つくる会の体質を正す会
■注目の種子島経氏の特別寄稿はこちらです。(5月26日掲載)
■騒動の「構図」についての記事はこちらです。(5月10日掲載)
■騒動の「あらすじ」はこちらです。(6月6日掲載)
■「西尾幹二氏の言説の変遷」はこちらです。(6月20日掲載)
■「藤岡氏の八木氏に対する言説の変遷」は、
  (15)(6月14日掲載)、(16)(6月15日掲載)、
  (17)(6月17日掲載)、(18)(6月19日掲載)です。
■「藤岡氏の事務局員に対する文書攻撃」はこちらです。(14)(6月11日掲載)
■西尾氏に対する訂正要求はこちらです。[資料編(1)]
  (5月12日3段目掲載の記事)
■藤岡氏への再質問はこちらです。[顛末記(5)](6月4日掲載)
■鈴木氏の人物については、こちら(5月24日掲載)とこちら(7月5日掲載)です。
■渡辺記者の反論については、こちらです。(5月25日掲載)
■西尾・藤岡両氏の「謀略」の可能性の立証については、こちらです。(7月3日掲載)
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もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(12)ー平成17年12月15日付「会長声明」関係資料ー
【解説】

 今回、皆さんにご紹介する五つの資料は、事務局長人事問題に発した理事会内の混乱が、実は、昨年12月15日の段階で、会長と四副会長との合意が成立したことによって解決済みであったこと、また、八木会長の中国訪問についても、四副会長たちはそれを知っており、それにもにもかかわらず、当時は何ら問題視していなかったこと等の事実を示す、これまで紹介した資料の中でも最重要のものです。

 昨年12月9日に、事務局員達の意向を背に、宮崎氏が事務局へ乗り込んだことは前回書きました。藤岡氏が、後になって、宮崎氏が「自分を辞めさせれば、日本会議、日本政策センター、キリストの幕屋、全国の神社などの諸団体もつくる会の支援から一斉に手を引くぞ」と脅迫してきた、と述べているのはこの時のことです。しかし、宮崎氏が実際に言ったことは「退職について何人かの人々に相談したが、その中には、『宮崎さんが辞めさせられるのなら、これまでのようには協力できないね』と発言した有力団体の関係者もいた」ということだけでした。
 ところが、その言葉を聞いた藤岡氏は、自分が思いついた宮崎氏が相談したと思われる人の名前を列挙し、宮崎氏が何の反応も示していないにもかかわらず、勝手にコロッと態度を変えて、「私は日本会議の椛島氏をつくる会の恩人だと思って今でも感謝している。会の発足時には椛島氏のところへ相談に行き、言論人中心の会にして、賛同者を幅広く募るという方法を教示された。今度の件についても、椛島氏に相談に行くべきだと思っている」などと語り始めたそうです。

 そして、翌10日の午後5時、藤岡氏は富山にいた八木氏に電話をかけて、「宮崎氏を会長補佐として事務局に復帰させる」という案を提示したのです。

 宮崎追放の急先鋒であった藤岡氏が、自ら率先して宮崎復帰を唱えるに至った背景としては次の四つが考えられます。
①.12月7日に事務局員たちから厳しい追及を受けた。
②.宮崎氏が断固として対決するとの意志を固めて12月9日に事務局に帰ってきた。
③.宮崎氏の言葉から「日本会議が宮崎支持に回った。自分は敵視されている」と判断して、勝手に怯えてしまった。
④.頼りの西尾氏が12月5日から15日まで海外旅行で日本にいなかった。

 このような藤岡氏の急変によって、一挙に問題解決の流れが生まれたわけですが、それをこれから、資料に基づいて説明していきます。


●(資料1)平成17年12月15日付「会長声明」にいたるまでの執行部のメーリングリスト

 「執行部のメーリングリスト」というのは、執行部会メンバー(八木、藤岡、遠藤、福田、工藤)+西尾名誉会長が、執行部会内の話し合いの手段や情報共有化の手段として用いていたものです。12月11日から14日までのメールを見ると次のことが確認できます。
1.藤岡氏は、私たちが声明を出すとの情報を得て(おそらく高池理事から)、八木会長に対策を求めた。
2.八木会長は、これに対して、「処分はすべて凍結して宮崎氏を事務局長として復職させる」「コンピューター問題を含むこれまでの『つくる会』のあり方を来年3月までに総括する」「総括後、その反省の上に立って事務局・執行部ともに新体制を組む」という解決案を提示し、副会長たちに一任を求めた。また、事務局長人事をめぐる混乱の原因について「私のリーダーシップの欠如が招いたもの」であることを認めて「深く反省」するとともに、しかしながら、「初動において私の意志とは別に既に走り始めていたという経緯もあります。正直言えば、私はそのあとを追いかけているという感じでした」という認識をも示した。
3.以上の解決案にどの副会長からも異論はなく「一任」をとりつけることができた。また、混乱の原因についての会長の見解についても、副会長たちからの異論はなかった。
4.ただ、遠藤氏の求めによって、「宮崎弁明書」に反論する「執行部見解」を添付することになり、そこに八木氏の判断で「富樫文書批判」も加えられることになった。
5.12月12日の藤岡メールによって、八木氏の中国訪問は全副会長に知らされていた。
6.日本会議の椛島氏訪問は、(宮崎氏に頼んで)藤岡氏がアポをとり、八木氏に連絡していた。
7.椛島氏訪問は、執行部内で「宮崎事務局長復帰」の結論が出た後のことだった。

 ここから、西尾氏が『サピオ』で書いた「昨年の秋に八木・藤岡の両氏が椛島氏を訪ね、宮崎更迭を理解してもらえないかとお願いしたところ、『宮崎君を何とか雇っておいてください』の一点張りであった」という話が全くの嘘であることが分かります。
 八木・藤岡両氏が椛島氏を訪ねたのは、宮崎更迭を理解してもらうためではなくて、宮崎氏の事務局復帰で問題を解決しようとしていることを伝え、心配をかけたことを詫びて、理解を求めるため、もっとはっきりと藤岡氏の思惑を言えば、自分を敵視しないようにお願いするためだったのです。
 ですから、椛島氏と会った時の藤岡氏は「借りてきた猫」のようで、日本会議に対する感謝の言葉を並べ立て、「分裂するようなことがあれば、協力が難しくなるので避けてほしい」との椛島氏の言葉を、まことに素直に聞いていたとのことです。そして、この会見の後で、八木氏と藤岡氏に福田氏を加えた三人の間で、宮崎氏の出勤停止を解き、事務局長に復帰させることをあらためて確認し、さらに、帰国した西尾氏が大騒ぎしないように抑えに行く役まで、藤岡氏が買って出たと言います。

 椛島氏は外部からの干渉どころか、好意から心配して会見に応じてくれたのに、それをあろうことか、圧力をかけた悪人のように言い立てるとは、恩を仇で返す行為以外の以外の何者でもないでしょう。宮崎氏の「円満退職」案への了解を伊藤哲夫氏にお願い行ったり、椛島氏に事情説明に参上し、それとなく取りなしを頼んだりと、これらの行為は、藤岡氏が自主的にしたことなのに、それをひっくり返して、「支部扱いされた」などというのは言いがかりも甚だしい。それは、自ら勝手に卑屈な行動をとったのに、相手が尊大だったと言い換える、まさに「まやかしの言説」です。

 ちなみに、八木氏から椛島氏を訪ねることを事前に聞かされた私は「内部のゴタゴタの収拾を他団体にお願いするようなみっともないまねはやめた方がいいのではないか。日本会議にしたって迷惑だろう」と忠告しました。しかし、八木氏は「藤岡さんが熱心なんです。椛島さんに間に立ってもらって、それで、彼が納得して円満に収まるのなら、それでもいいと思います」とのことでしたので、私はもうそれ以上言いませんでした。

 この14日までのメールのやり取りの中で、もう一つ大切な点は、藤岡氏が八木氏に対しても、他の副会長に対しても「宮崎から、自分を辞めさせれば、日本会議、日本政策センター、キリストの幕屋、全国の神社などの諸団体もつくる会の支援から一斉に手を引くと脅迫された」などと、一言も言っていないということです。
 もしも、実際にそうは言われていたのに、それを他の幹部には言えないほどに怯えてしまって、宮崎氏復帰を自ら提案し、西尾氏が帰国して、ようやくそれを口にすることが出来たのだとすれば、藤岡氏というのは本当に臆病で、西尾氏がいなければ何もできない人物ということになってしまいます。しかし、おそらく、本当はそうではなくて、「宮崎氏はそんなことは言っていなかった」というのが真実だと思います。


●(資料2)平成17年12月15日付「会長声明」は、八木会長が副会長たちからの「一任」を取り付けた上で出した声明です。「初動において私の意志とは別に既に走り始めていたという経緯もあります。正直言えば、私はそのあとを追いかけているという感じでした」とあったところが、「率直に言えば、私の意志とは別にことが始まり、既成事実が積み上げられていく中で、それを動かしがたい事実と捉えてしまい、限られた選択肢の中で、当会の宥和を図ろうとしたことが、かえって問題を長期化・深刻化させてしまったように思います」と一層詳しくなっている以外は、基本的に11日のメールと同じです。
 ところが、西尾氏帰国後に心変わりした藤岡氏やそれに追随した副会長たちは、まるで、八木会長が自分たちの了解をとることもなく、唐突に心変わりし、裏切ったと言い出して、八木氏を追及し始めました。


●(資料3)平成17年12月15日付「執行部見解」は、八木会長が遠藤副会長や福田副会長の意向を汲んで出した文書です。


●(資料4)平成17年12月20日付「八木氏の帰朝報告」は、帰国した八木氏が中国での活動の様子を西尾氏や副会長達に伝えたもので、これも重要な資料です。

 12日の藤岡メールによって、すでに副会長達は八木訪中を知っていたわけですが、さらに、この八木氏の報告によって、「中国社会科学院メンバーと扶桑社教科書をめぐって激論、盧溝橋の抗日記念館・南京虐殺記念館・大韓民国臨時政府跡博物館などの見学、産経新聞中国総局長・伊藤正氏との懇談」などの具体的中身を知らされることになりました。
 ところが、その後の執行部内の紛糾にも関わらず、副会長達が中国訪問そのものを問題にすることはありませんでした。彼らが問題にしたのは「宮崎氏と一緒に旅行したのが怪しからん」というにすぎなかったのです。
 いずれ、詳しく書きますが、この中国旅行を計画したのは、事務局員たちで、その話を聞いて、八木氏や宮崎氏も後から参加を希望したのです。事務局への出勤停止中に、事務局員から参加確認の電話を受けた宮崎氏は「もし退職することになったら、みんなとのお別れ旅行にするつもりだから、よろしく」と答えています。しかし、実際には「事務局復帰」ということになったので、お別れ旅行にはなりませんでした。

 八木氏の訪中そのものが問題視されるようになったのは、「八木降ろし」が本格化した今年の二月下旬以降です。5月29日付「つくる会FAX通信」175号を見ると、今の「つくる会」理事会は、私たちを非難する根拠が無くなってしまったために、再び、八木訪中を最大の論点にしようとしているようです。
 しかし、そうなると、八木訪中から二ヶ月間も彼らがそれを問題視しなかった理由が説明できません。要するに、「八木訪中問題」というのは、はじめ西尾氏や藤岡氏が、八木氏を追い落とすために捏造し、今は、「つくる会」内における自分たちの立場を守るために強弁している幻想にすぎないのです。

 なお、鈴木尚之氏もこの中国旅行への参加を希望していたのですが、直前になってキャンセルしたということです。八木訪中を厳しく非難している現在の「つくる会」の中枢にいる鈴木氏は、当時の自分の考えをどのように理事達に説明しているのでしょうか?


●(資料5)平成17年12月27日付「理事会開催のご案内」は、「会長声明」を受けて出された理事会開催通知で、今年1月16日の理事会がどのような意図で開かれたものであったのかを、これで確認することができます。


 繰り返しますが、以上の資料からお分かりのように、事務局長人事問題に発する理事会の混乱は、二ヶ月を擁したとは言え、八木会長の決断に副会長達が同意して出された昨年12月15日の「会長声明」によって、理事会内で決着がついていたのです。
 ところが、帰国した西尾氏がこれを知って激怒し、「会長によるクーデターだ!」「八木を潰してやる!」などと騒ぎはじめました。これが「つくる会」内紛の真のはじまりだったのです。


☆   ☆   ☆

●(資料1)平成17年12月15日付「会長声明」にいたるまでの執行部のメーリングリスト

From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Sunday, December 11, 2005 9:47 PM
to:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject:事態は重大です!

八木会長殿

会長から全理事にこの間の事情について何らかの通信を出さなければならないと 思います。反対派理事が理事会開催要求の署名をして執行部糾弾に乗り出します。先手を打って理事会開催を通知するのが最善ですが、ともかく、何らかのアクションを起こさなければダメです。勝岡、新田、松浦氏には、電話を入れて下さい。よろしくお願いします。

藤岡

─────────

From: 八木 秀次
Sent: Sunday, December 11, 2005 10:52 PM
to:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject: RE:事態は重大です!

執行部各位

 事務局長問題の収拾は次の方法しかないと思います。これまでのように“改 築”に“改築”を重ねていても事態は複雑になるばかりで、もう収拾は無理です。
 この際、すべて元に戻す、すなわち処分はすべて凍結して宮崎氏を事務局長として復職させるということです。ただし、その上で、コンピューター問題を含むこれまでの「つくる会」のあり方を来年3月までに総括する。その際には宮崎氏の事務局長のとしての適格性も問題になるでしょう。総括後、その反省の上に立って事務局・執行部ともに新体制を組む。つまり、来年3月までは暫定的に宮崎氏を事務局長とするが、その後は分からないとし、ソフトな形で鈴木事務局長体制に移行させるということです。来年4月に新体制を組むことは宮崎氏にも伝える必要があるでしょう。
 この問題は私のリーダーシップの欠如が招いたものであり、その点、深く反省しておりますが、とはいえ、初動において私の意志とは別に既に走り始めていたという経緯もあります。正直言えば、私はそのあとを追いかけているという感じでした。
 以上の方向での収拾を私にご一任頂けませんでしょうか。いろいろ考えてみましたが、これが会を分裂させない唯一の方法であると思っております。どうかご理解下さい。

八木秀次

────────

From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Monday, December 12, 2005 6:37 AM
to:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject: Re:事態は重大です!

八木秀次様

お考えは分かりました。
そこで、次のことをお願いします。
まず、元に戻すための手続きをご提案下さい。
1)執行部全員の合意を取り付ける方法と時期(このメールへの返信で代用するのか)
2)わたしは今日は10時に事務局に出て、予定通り朝のミーティングをやりますが、宮崎氏に交代するのはいつからか。
3)2)と連動しますが、会長が直接事務局に出て説明する以外の伝達方法はあり得ません。それはいつか。
4)15日から訪中されると間接的に伺いましたが、その間、代表権をどうするのか。
5)理事会はいつ開くのか。理事にはいつどのように説明をするのか。
などなどです。
手続きについてだけは事前に私の意見を聞いてください。

藤岡信勝

─────────

From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Tuesday, December 13, 2005 4:11 PM
to:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject:日本会議椛島総長とのアポ

八木会長殿

日本会議椛島事務総長とのアポがやっととれました。あす、14日(水)午前9時30分から10時30分まで、日本会議の本部です。直接現地で落ち合うということでいかがでしょうか。

藤岡拝

─────────

From: 八木 秀次
Sent: Tuesday, December 13, 2005 10:53 PM
to:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject: 会長一任へのお礼と事態対応策

執行部各位

会長一任のご了解を頂き、ありがとうございました。早速、既に述べた通りの収拾策を実行に移します。
decoding[00087]で藤岡先生からご質問がありましたが、以下のように考えております。
1.執行部全員への合意を取り付ける方法と時期について
メールを通じて既に皆様にご了解頂きました。
2.宮崎氏に交代する時期
混乱を収拾するためにはできるだけ早い方がいいと思います。15日の午前中には事務所に出向くことができますので、その時点で藤岡先生の「事務局長代行を解き、宮崎氏を事務局長に復させます。
3.訪中期間の代表権について
田中前会長の時にも長期の海外出張がありましたが代表権を誰かに委任する等のことは問題にならなかったように思います。9月には韓国に行きましたが、そのときも代行は立てませんでした。今回も四日間と短期でもあり問題にする必要はないと思います。
4.理事会の召集は早ければ早いほどよいと思いますが、事柄の性質上、関係理事が出席できないような状況での開催は将来に禍根を残す恐れがありますので、少なくとも、今回の問題について意見を表明している理事全員が出席できるように日時を調整したいと思います。
5.現状復帰の処置をとる前に、理事各位に簡単にでも経緯を説明する必要があると思います。そこで11日のメール主旨に沿った収拾方針を「会長声明」という形で早急に各理事に伝えたいと思います(15日の宮崎氏の事務局長復帰とともに発送する予定です)。その際、内田理事などからの要望書と声明を添えることにします(現時点では会長宛に来たものを私の指示で執行部にのみ送付しております)。それは各理事に事態の重大さを理解していただくためと、内田理事らの他の理事への伝達の要求を無視すると執行部は真実を隠蔽しようとしている等の無用の誤解を招き事態が一層紛糾する可能性があるからです。

八木秀次

─────────

From: 八木 秀次
Sent: Tuesday, December 13, 2005 10:57 PM
to:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject: RE:日本会議椛島総長とのアポ

藤岡先生

椛島総長とのアポ、了解しました。

八木秀次

────────

From: K.E
Date: 12/14(水)08:42
Subject: Re:会長一任へのお礼と事態対応策

皆様

 八木会長の収拾方針に、基本的に賛成いたしますが、一点だけ。

 今回の四理事の動きは、もとを辿れば「宮崎弁明書」(宮崎氏の一方的な見方)をうけたものです。18日の議論の混乱もそこから発してゐます。これに対する富樫文書は、いささか乱暴な内容を含むものとはいへ、これにたいする反応です。「四理事声明」を全理事に送るのは結構ですが、ならば、宮崎弁明書に対する執行部の見解も示してください。
 とくに、①宮崎氏には弁明の機会は十分与えられてきたこと、②この間宮崎氏 はコンピューター問題に関する自身の責任について一切発言がなかつたこと、③執行部としてはコンピューター問題と事務局人事問題を分離して処理する努力をしてきたこと(つまり事務局長更迭の道具として同問題を利用するといふ構図ではなかつたこと)、④9月20日の理事会で事務局長更迭が議題に予定されてゐたが反対多数とみられたため取り下げられたといふ同氏の「推測」に根拠がないこと(少なくとも、副会長たる小生は、そのことを全く関知してをりません)、⑤これまで同弁明書の恣意や歪曲に対して沈黙を守つてきたのは混乱を拡大させたくないといふ配慮だつたこと――等については、是非明快な見解を示した上で四理事声明を添付していただきたいと思ひます。
 いづれにせよ、判断は八木会長に一任しますが。

遠藤浩一 

────────

From: h.fukuda
Sent: Wednesday, December 14, 2005 10:26 AM
To:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject: Re:会長一任へのお礼と事態対応策

 基本的に会長に一任しますが、遠藤副会長の御指摘の諸点を内田声明文に添付すること、さんせいです。 福田

────────

From: 八木 秀次
Sent: Wednesday, December 14, 2005 11:51 PM
To:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject: RE:会長一任へのお礼と事態対応策

執行部各位

 遠藤さん、いろいろご面倒をお掛けして申し訳ありません。ご心労も如何ばかりかと思います。ご指摘の5点に「⑥富樫監事の意見書は執行部の見解とは異なるものであり、事実関係についても誤認が見られ、遺憾であること」を加え、「執行部見解」として添付することにします。
 明朝10時に、藤岡先生の事務局長代行の任を解き、宮崎氏を事務局に復帰させるセレモニーを挙行します。併せて、「会長声明」、「四理事の意見書」、「執行部見解」、「理事会開催日程についてのお伺い」を理事及び関係各位に送付します。当面、これで問題は沈静化するはずです。
 総括の後、3月辺りに再び、万全な事務局体制を構想しましょう。
 鈴木さんには本日、現状を伝えました。西村代議士の一件が落ち着けば、真剣に考えて頂けると思います。
 ともあれ、皆さん、お疲れ様でした。徒労感がなきにしもあらずだとは思いますが。

八木秀次


☆   ☆   ☆

●(資料2)平成17年12月15日付「会長声明」

             平成17年12月15日
理事及び関係各位
            新しい歴史教書をつくる会
             会 長 八 木 秀 次

      会 長 声 明

 皆様御存じの通り、事務局人事をめぐる問題は11月18日の緊急理事会以後におきましても解決の目途がたたず、別添資料のように、益々混迷の度を深めております。ことここに至り、このままでは当会の存続が危機に瀕する可能性も否定できず、会長として自ら収拾に乗り出す決意をいたしました。
 その収拾策とは、これ以上状況対応的な解決策を模索するのをやめて、先ずは、この問題発生以前の状態に復し、次いで、来年3月までを一応の目途に、事務局の問題はもちろん、あらゆる角度から本会の問題点を見直し、その総括に基づいて、新たな執行部・事務局体制を構築するというものです。
 そこで、まず、本日12月15日をもって、藤岡副会長の事務局長代行を解き、宮崎正治氏に事務局長職に復帰していただきます。そして、できるだけ早い段階で理事会を開いて、今回の問題の根源を究明し、理事のわだかまりを解いて、公明正大な総括が、期待できる体制を整えたいと思います。
 このように事務局長人事問題が紛糾してしまったことに対しまして、会長として責任を痛感しております。率直に言えば、私の意志とは別にことが始まり、既成事実が積み上げられていく中で、それを動かしがたい事実と捉えてしまい、限られた選択肢の中で、当会の宥和を図ろうとしたことが、かえって問題を長期化・深刻化させてしまったように思います。
 今後は、このような反省に立って、会長としてのリーダーシップを発揮して参る所存でおりますので、どうかご理解、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。


☆   ☆   ☆

●(資料3)平成17年12月15日付「執行部見解」

           平成17年12月15日
理事及び関係各位
         新しい歴史教科書をつくる会執行部

 「会長声明」とともに内田理事以下4理事の「抗議及び声明」を添付しますが、この前提となる宮崎事務局長の弁明書及びその後に皆様に送付された富樫監事の意見書について以下の点を「執行部見解」として申し添えます。ご理解頂きますようお願い申し上げます。

     執行部見解

①宮崎氏には弁明の機会を十分に与えられてきたこと
②この間、宮崎氏はコンピューター問題に関する自身の責任について一切発言がなかったこと
③執行部としてはコンピューター問題と事務局人事問題を分離して処理する努力をしてきたこと、つまり事務局長更迭の道具として同問題を利用するという構図ではなかったこと
④9月20日の理事会で事務局長更迭が議題に予定されていたが反対多数とみられたため取り下げられたという同氏の「推測」に根拠がないこと
⑤これまで宮崎氏の弁明書に対して沈黙を守ってきたのは混乱を拡大させたくないという配慮だったこと
⑥富樫監事の意見書は執行部の見解とは異なるものであり、事実関係にも誤認が見られ、遺憾であること
                          以上

  ☆    ☆    ☆

●(資料4)平成17年12月20日付「八木氏の帰朝報告」

From: 八木 秀次
Sent: Tuesday, December 20, 2005 3:06 PM
To:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject: RE:24日執行部会合の件

執行部各位

 昨夜遅く帰国し、本日の午前中は寝ておりました。ようやくの活動再開です。
 今度の訪中はつくる会事務局員のプライベートな旅行に加わった形のものでしたが、中国社会科学院メンバーと扶桑社教科書をめぐって激論、盧溝橋の抗日記念館・南京虐殺記念館・大韓民国臨時政府跡博物館などの見学、産経新聞中国総局長・伊藤正氏との懇談など、大変有意義な旅でした。
 訪中前に執行部会(確か正式の会合ではなく、懇談会であったはず)の案内 メールを私から送付することになっていたのですが、ぎりぎりのスケジュールを こなして慌しく出掛けたので、すっかり忘れていました。失礼致しました。藤岡先生にはご迷惑をお掛けしました。24日はもちろんOKです。
 鈴木尚之さんが逮捕されたことはご承知のことと思いますが、今後のこともありますので、明日にでも日帰りで大阪に出掛け、手紙とともに差し入れをしてこようと思います。 藤岡先生、遅ればせながら正論大賞ご受賞おめでとうございます。つくる会としてお祝いの会をしたいと思います。またご相談致します。

          八木秀次

  ☆    ☆    ☆

●(資料5)平成17年12月27日付「理事会開催のご案内」

平成17年12月27日
理事関係各位
                新しい歴史教科書をつくる会
                  会長 八 木 秀 次

   理事会開催のご案内

前略、平素、会の発展のためにご尽力いただき洵に有り難うございます。
 さて、先に理事各位に次回理事会の日程につきおたずねいたしましたが、その集計結果をもとに執行部各位と相談した結果、新年1月16日(月)午後6時より、下記の要項にて第86回理事会を開催することに決定しましたのでご案内申し上げます。
 今回の理事会では10月28日の理事会決定にもとづき執行部に設置された「事務局再建委員会」からの経過報告、ならびに12月15日に送付しました「会長声明」等の事情説明をもとに、事務局体制ならびに今後の会の運営方法等についてご討議いただく予定です。言うまでもなく本問題は4年後の採択戦はもとより、今後の「つくる会運動」の性格・方向性に関わる重要問題であり、理事各位による自由闊達な論議により理事会としての最終方針を決定し、すみやかに本年の採択結果の総括の作業に着手したいと考えます。理事各位におかれましては、すでにご予定がおありの方も会の事情をご理解いただき、万難を排してご出席たまわりますようお願い申しあげます。(以下略)


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