つくる会の体質を正す会
■注目の種子島経氏の特別寄稿はこちらです。(5月26日掲載)
■騒動の「構図」についての記事はこちらです。(5月10日掲載)
■騒動の「あらすじ」はこちらです。(6月6日掲載)
■「西尾幹二氏の言説の変遷」はこちらです。(6月20日掲載)
■「藤岡氏の八木氏に対する言説の変遷」は、
  (15)(6月14日掲載)、(16)(6月15日掲載)、
  (17)(6月17日掲載)、(18)(6月19日掲載)です。
■「藤岡氏の事務局員に対する文書攻撃」はこちらです。(14)(6月11日掲載)
■西尾氏に対する訂正要求はこちらです。[資料編(1)]
  (5月12日3段目掲載の記事)
■藤岡氏への再質問はこちらです。[顛末記(5)](6月4日掲載)
■鈴木氏の人物については、こちら(5月24日掲載)とこちら(7月5日掲載)です。
■渡辺記者の反論については、こちらです。(5月25日掲載)
■西尾・藤岡両氏の「謀略」の可能性の立証については、こちらです。(7月3日掲載)
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閑話休題2ーある昔話ー
昭和50年代の話。
 あるタレント会社がありました。その創業時代を支えたのが「西崎さん」と「藤尾さん」という二枚看板で、彼らの強烈な個性によって、その会社は順調に伸びていきました。しかし、その陰では、彼らのわがままに泣かされる人々も多く、一番の被害者は何と言ってもマネージャーで、彼らの気分を害するとすぐに首が飛びました。なにしろ、マネージャーの代わりはいてもスターの代わりはいないのですから仕方がありません。しかし、もちろん、そんなことが表ざたになれば会社の経営にかかわりますから、彼らの素顔を世間に対してはできるだけ秘めて、プラス面だけを強調するように会社員たちは努力しました。時折、問題が世間に洩れることもありましたが、なんとか大事になる前に済ますことができました。そうやって内部の人々は、会社のために、あるいは株主のために、我慢して尻拭いをし、彼らを持ち上げ続けたのです。しかし、それが、かえって益々彼らの驕りを増大させてしまうという悪循環を生んでしまったのも偽らざるところでした。

 これは本社内の者にとっては大変なストレスで、体調を崩したり、中には過労死が噂される者まで出ましたが、そんな酷い状況を想像できない外部の人に話してみても、「会社のためには、そのくらい我慢しなくちゃぁ」と笑いとばされて、まじめに取り合ってもらえないのが実状でした。それくらい二大スターのカリスマ性は強烈だったのです。

 しかし、世の常として、次第に彼らの芸も飽きられ、人気が低下しはじめました。このままでは先細りなのが目に見えて来ました。そんな時に、新たな魅力をふりまいて登場してきたのが「八岡さん」でした。会社が創業者の時代を終えて、第二ステージに立つためには、新たな企画に耐えられる新たなスターが必要だったのです。そこで、先見の明のある人々は、今後は彼を全面に押し出して、トップ・スターとして売り出していくしかないと考えはじめたのです。

 ところが、その切り替えの動きに旧スターの二人が嫉妬したのです。そのきっかけは、会社のために彼らの横暴をできるだけ抑えようとしてきたマネージャーの「宮木さん」が、さまざまな難癖をつけられて、いつものように、追い出されそうになったことでした。ところが、今回だけは様子が違っていて、旧スターの横暴に対して面とむかって批判できる重役が少数ながらおり、「八岡さん」も「宮木さん」を庇うという事態が起ったのです。すると、今度は直接的に「八岡さん」とその少数の重役達が攻撃対象にされてしまったのです。
「なによ、あんた、生意気ね。最近少し売れて来たからって、いい気になるんじゃないわよ。誰のお陰で、この会社がここまできたと思ってんのよ。でしゃばるんじゃないわよ」「支社で少しくらい業績を上げたからってナンボのもんじゃ。本社の内情も知らんくせに」といった感じです。

 このタレント会社が継続的に発展していくためには、新企画と新スターとが必要なことは外部の者や現場の担当者達には明白でしたが、本社内部は旧来の人間関係が支配していました。かつての栄光を背景にして「私たちとあの子とのどっちを取るのよ」と迫られれば、旧スターの言うなりにならざるを得ない重役や社員が大半でした。彼らのやり方に抵抗できたのは、彼らとの縁が薄かったり、外部から会社のことを眺められたり、現場を知っていたり、他社での重役経験があったり、会社を辞めても生きていけるだけの生活基盤をもっている重役たちでしたが、残念ながら、それは少数に過ぎませんでした。

 この会社は、これまでも旧スターが新人を潰したり、追い出したりするという「内紛」を繰り返してきましたが、今度は「八岡さん」という救世主の可能性をもったタレント(頼みの綱、最終兵器)が追い出されてしまったのです。こうして、この会社は旧来の陋習を改めることができず、相変わらず、旧スターの伝統芸を頼りにして行くことになりました。それで、この会社の未来に絶望した重役たちは辞任して行ったということです。その後、この会社がどうなったかについては、記録がないので分かりません。(おしまい)

   ☆      ☆      ☆

 世代交代を如何に混乱なく行うかはどんな組織にとっても重大な課題ですが、保守系の運動組織ももちろん例外ではありません。その時に、もっとも大切なことは、実績もあり、権威もある創業者に「次の世代に上手に譲ってやろう。育ててやろう。支えてやろう」という「大旦那」の心構えがあることです。ところが、創業者が「いつまでも自分がトップでいたい。これは俺が創った組織だ、誰にも渡すもんか」などと考えて、地位に固執していると、世代交代はできません。実績をだけを較べれば、年長者の方が上に決まっているわけですから、若い世代は彼らの人脈に包囲されて窒息させられてしまいます。
 世代交替の問題は、高齢化社会を迎える「平成日本の重大問題の一つ」なのかもしれません。

 誰をリーダーに選ぶのかという問題は、どんな理念を掲げるのかという問題と同じくらい、組織にとっては大切だと私は思っています。組織を通じて何かを実現しようと本気で考えるのなら、どんなビジョンを持った誰にリーダーシップを委ねるのかはその組織の未来を左右する重大問題で、「単なる醜い権力闘争」などと言って避けて通るわけには行きません。また、そのリーダー選択の問題が過熱化した中で現れる未確認情報の問題などと同列に考えていい問題でもないでしょう。
 福地惇氏の文章を読むと、この辺の軽重の区別が彼にはできていなかったように思います。福地氏がご専門の明治初年の時期は、誰が新政府のリーダーシップを握るのか、それをどうやって制度化していくのか、が真剣に模索された時期でした。
 いくら過去の歴史に対する知識を豊かに持っていても、あるいは、真実にせまるための実証的方法を知っていても、ただそれだけでは自らの実人生を正しく導いてくれる実践的な智恵を身に付けたことにはならない。そんな教訓を福地氏の言動から得たような気がします。

 はじめに書いた昔話を御存知だったのかどうかは知りませんが、世代交替の重要性をもっともよく理解して、最後の努力して下さったのが、種子島前会長でした。就任時の経緯から、最初、私は種子島会長に不信の念を強く抱き、それを言動にも表していました。しかし、最終局面で、種子島さんが実は誠意の人で、次世代を育てよう、俺が防波堤になってやろう、そのためには嫌われ役も引き受けてやろう、という覚悟の持ち主だったことが分かり、私は当初の不埒な態度を深く反省せざるをえなくなりました。とても恥ずかしく、申し訳ない話なのですが、しかし、最近、老人に対して失望することの多かった私にとっては、種子島さんの存在は誠に有り難く、大きな救いでもありました。その辺のことについては、後にまた詳しく書くことにします。

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