つくる会の体質を正す会
■注目の種子島経氏の特別寄稿はこちらです。(5月26日掲載)
■騒動の「構図」についての記事はこちらです。(5月10日掲載)
■騒動の「あらすじ」はこちらです。(6月6日掲載)
■「西尾幹二氏の言説の変遷」はこちらです。(6月20日掲載)
■「藤岡氏の八木氏に対する言説の変遷」は、
  (15)(6月14日掲載)、(16)(6月15日掲載)、
  (17)(6月17日掲載)、(18)(6月19日掲載)です。
■「藤岡氏の事務局員に対する文書攻撃」はこちらです。(14)(6月11日掲載)
■西尾氏に対する訂正要求はこちらです。[資料編(1)]
  (5月12日3段目掲載の記事)
■藤岡氏への再質問はこちらです。[顛末記(5)](6月4日掲載)
■鈴木氏の人物については、こちら(5月24日掲載)とこちら(7月5日掲載)です。
■渡辺記者の反論については、こちらです。(5月25日掲載)
■西尾・藤岡両氏の「謀略」の可能性の立証については、こちらです。(7月3日掲載)
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もう一つの「つくる会」顛末記(1)ー「つくる会」内部対立の意味ー
新田均

はじめに

 私は四月三十日で「新しい歴史教科書をつくる会」の理事を辞任し、あわせて会員も辞めました。ことここに至るまでの私たちの言動については、会の秩序を無視し、一般常識に反する形で、様々な悪宣伝が行われてきました。しかし、これまでの私は、理事として、また、会員として、会を守り、会長を支え、会長の指示にしたがい、組織としての最低限のルールは守るという制約の下にありましたので、理不尽な個人攻撃に対しても、縦横無尽に反撃するというわけには参りませんでした。しかし、今やそのような制約は過去のものとなりました。これからは、自らの良心の指し示すところにしたがって、私の名誉と誇りを守るために、また、会員や支援者の皆さんへの説明責任を果たすために、存分に破邪顕正の筆をふるって参りたいと思います。
 予め申し上げれば、今回の私たちの辞任は、自分たちの言動を正当化できなくなったからでも、立場に窮したからではもありません。また、良心的な会員を見捨てて、無責任に会を抜け出したのでもありません。むしろ、この会の中に居続けたのでは、事実を広く会員や支援者に伝えることが出来ず、会の陋習(老醜でも可)に引きずられて、会員や支援者の期待に反し、自分自身の良心にも背き、結局、「つくる会」の体質を改善することができず、教科書改善運動を保守運動全体の中に適切に位置づけることもできない、と考えたからです。
 私たちは、本当に信頼できる仲間とともに、闘いの最中に背中から弾を打つような人々がいない環境で、明るく、楽しく、伸びやかに、お国のために働いて行こうと決めました。もう濁った心の持ち主たちとの「調整、協調」に人生の貴重な時間を費やしたくはありません。そして、こちらの道こそ、私心なく日本のことを考えておられる良質な保守派の期待に応えるものだと確信しています。


一、「つくる」会内部対立の意味ー単なる「内紛」ではなかった

 これから私は、「つくる」会の「内紛」がどのようにして起こり、拡大していったのかを説明していきたいと思っているわけですが、その経過説明の前に、対立の構図の大枠を説明しておいた方が読者には分かり安いのではないかと思います。余り単純化してしまうと誤解を受ける恐れもあるのですが、思いきって図式化すれば、今回の一連の騒動は、人的には、西尾・藤岡vs八木・新田等の対立に、中間派(様子見派、私益重視派)が絡んでのことだったと言えると思います。
 そして、余り事情を知らない会員には、八木会長や宮崎事務局長の解任、種子島会長や八木副会長の辞任、その間に現れた出所不明情報などが、会の理念を無視した私的で低俗な争いの繰り返しに見えたことは確かでしょう。しかし、そこには、これからの保守運動を考える上で貴重な教訓を多く含んだ深刻な対立があり、確かに徒労感はあるものの、決して無意味なものではなかったと申し上げたいと思います。
 それを説明する前に予め申し上げておきたいのですが、低俗な攻撃に対して反撃したからと言って、反撃した方まで低俗だということではない、ということです。日本を攻撃する際に、中国が持ち出す「南京大虐殺」、韓国が持ち出す「従軍慰安婦」は低俗な議論ですが、日本の名誉を守るために、それに反論することは決して低俗ではありません。また、その反撃によって、日中関係や日韓関係が悪化したとしても、そこに大義がないわけではないでしょう。

 さて、今回の西尾・藤岡vs八木・新田等の対立は、運動理念、組織理念、方法論、人間観、世界観など様々なレベルに渡りますが、以下、思いつくままに列挙してみましょう。

1.「つくる」会至上主義路線vs他団体との協調路線
 西尾・藤岡両氏は、西尾氏の「神社右翼、宗教右翼」という言葉に象徴されるように、これまで「つくる」会の運動を陰で、あるいは下で支えてくれた他団体に対する感謝の念がありません。ただ、利用しようと思っているだけです。したがって、人事の問題などで「他団体の考えも考慮しなければ」などと言うと、途端に「それは介入だ、圧力だ」と言い出すわけです。その対象には、教科書を出してくれている扶桑社なども含まれているのですが、そこの編集者が気に入らないと「あいつを外せ」などと言って、自分たちが他団体の人事に介入するのは平気なのです。そんなわけですから、新たな団体から協力の申し出を受けるのはいつも八木氏で、しかもその時には「西尾・藤岡とは一緒にやりたくありません」と言われて困っていました。

2.忘恩派vs先人尊重派
 御存じのように教科書改善運動は、「つくる会」が嚆矢だったわけではありません。それ以前に長い先人の努力の歴史があります。教科書に限っても、「日本を守る国民会議」(現「日本会議」)作成の高校用教科書「新編日本史」(「最新日本史」)がありました。この「新編日本史」での経験が様々な形で伝えられたことによって「つくる会」の運動は発展できたのです。ところが、西尾・藤岡氏は、すべて自分たちの力で達成したことだと思い上がってしまい、先輩たちを厚く遇することはしませんでした。西尾氏にいたっては「新編日本史」の悪口を方々で吹聴していました。それでも、「新編日本史」を作成した人々、あるいは、その普及のために努力し、今は「つくる会」の会員になっている人々は、日本のために「つくる会」運動が成功して欲しいという思いで黙って我慢していました。実は私もその一人で、「つくる会」の立ち上げの時に、故坂本多加雄氏に日本会議の関係者を紹介したことがあります。しかし、その思いやりが仇になってしまい、益々両氏を増長させ、「万能感」すらも与えてしまったように思います。
 ちなみに、藤岡氏は今回の問題で日本会議に仲介を頼みながら、後から「日本会議は『つくる会』を支店扱いしている」などと恩知らずな言葉を吐いています。

3.教科書至上主義派vs国益重視派
 「つくる会」の「内紛」が展開されていた昨年の秋から今年の四月までの国家的な課題は決して「教科書問題」ではありませんでした。それは「皇位継承問題」であり、「教育基本法改正問題」でした。それに対応していたのは、八木氏であり、私たちでした。ところが、「つくる会」至上主義派は、その時に会の内紛を演出して、私たちの足を引っ張り、会務怠慢と責めたてたのです。そこに国益の視点はありません。日本の保守運動全体の中に、教科書改善運動をどのように位置づけるのか。この視点を欠いた西尾・藤岡両氏が率いる会では、これまではともかく、これからは他の保守運動の足を引っ張ることになると思います(すでに「日本会議」批判にそれは現れていますが) 。
 ついでに言えば、この時期の私たちには、会内部のことについて、陰謀をめぐらしているような「暇」はありませんでした。理事や支部長や一部の会員に電話をかけまくったり、秘密の会合を開いたりといった「暇」があったのは、西尾・藤岡氏の方です。

4.怨念派vs感謝派
 「新しい歴史教科書」は、確かに、これまでにない愛国的・保守的な教科書で、新しい地平を切り開いた功績はいくら強調しても強調しすぎることはないでしょう。しかし、そこには欠点もありました。それは左翼史観に対する反感や怨念が強すぎるということです。そのエネルギーが運動を押し進める原動力として大変役立ったことも確かですが、一定以上の採択を確保しようとする際には、教科書に漂う負の感情が敬遠されることになってしまいました。そこで、改訂にあたって扶桑社側は、もっと大らかに日本への誇りや感謝が伝わる記述に替えようと努力したといいます。ところが、それに西尾氏が強く反発し、後になって藤岡氏が西尾氏の機嫌をとるために同調したのです。ここに今回の騒動の発端があるのですが、そこで両氏の非難の集中砲火を浴びたのが扶桑社の編集者・真部栄一氏であり、宮崎正治事務局長は西尾・藤岡両氏の行き過ぎにまったをかけようとして、今度は宮崎氏が更迭運動を起こされる羽目になってしまったのです。

5.同志切り捨て派vs思いやり派
 宮崎氏が両氏の標的にされたのには、もう一つ理由があります。それは、支部の組織化に宮崎氏の貢献が大きかったということです。理由は異なっていたようですが、西尾氏も、藤岡氏も、いまのままの支部ではだめだ、改革しなければならない、そのためには宮崎は邪魔だ、と考えたようです。
 そこで、事務局長の実績を検証することもなく、宮崎事務局長は無能だと言い募り、あまつさえ、1000万円もした会員管理システムが「事実上崩壊してしまった」などという事実無根の「コンピューター問題」まで捏造し、「[契約]当時から今日まで一貫して執行に当たっている宮崎事務局長の責任を不問に付すことは不当である」として、彼を追い落とそうとしました。これに対して、私たちは、「いくらなんでも、それは昨日までの同志にする仕打ちではないでしょう。少なくとも、事実をしっかり検証すべきでしょう」と主張したわけです。この私たちの主張の正しさは、次の二点によって既に証明されています。
 ①.この会員管理システムは「崩壊」することなく、本年三月末日をもって、これを設計したコンピュートロニクス社との契約期間が終了したこと。
 ②.コンピュートロニクス社並びに藤岡氏が連れてこられた専門家・小林太巖氏によって、このシステムの安定性が保証されたことにより、早急に新システムの構築を行うのではなくて、小林氏との間でのメンテナンス契約(月二万円)で現在のシステムが運用されることになったこと。

6.事務蔑視派vs事務重視派
 「つくる会」の歴史を振り返ってみると、事務局長という存在は、その時々の西尾氏や藤岡氏の思惑次第で、さまざまな難癖をつけられて更迭されるのが常で、その際には、正確な事実検証はなかったようです。「たかだか使用人の問題で会がこじれていいのか」という藤岡派評議員の発言や、事務局員を問いつめた藤岡氏自身の文書に象徴されるように、彼らの心底には事務に対する蔑視があります。自分たちの代わりはいないが、事務局長の代わりも、事務局員の代わりもいくらでもいるというわけです。西尾・藤岡両氏は、はじめ「宮崎氏は事務局員から嫌われている」と言っていたのですが、実は反対で事務局員の心は宮崎氏の側にあり、自分たちの方が嫌われていることが露になると、今度は「宮崎は事務局をしっかり把握していない」と非難しはじめました。
 私たちは、会の中で一番弱い立場の事務局員の側にたって、彼らの思いを汲み取ろうとして、西尾・藤岡氏とはげしく対立することになっていったのです。

7.地方無視派vs地方尊重派
 西尾・藤岡両氏、それに結局は彼らを応援した理事、その中に地方支部出身者はいませんし、地方のこと、さらには、多額寄付者のことを分かっている人はいません。ですから、勝手に支部を改造できると思ったり、多額の寄付を集めている八木氏や宮崎氏を切ろうなどと言えるのです。

8.私益派vs公益派
 西尾・藤岡両氏には、会のために自分を犠牲にするという精神はありません。常に、自分あっての「つくる会」なのです。ですから、自分がいない「つくる会」などなくてもいい、自分がいることによってどんなに「つくる会」が困ろうとも去る気はない、ということになるわけです。だから、自分たちの意見に従わない理事は「追い出そう」ということにもなるわけで、「つくる会」がこれまで何回も「内紛」を繰り返してきた原因の一つは、ここにあります。八木氏の「つくる会」辞任の弁にある「相手代わって主代わらず」という言葉の意味はここにあります。
 今回の「内紛」の間にも、出所不明情報が飛び交いました。「つくる会」は発足当初から「怪文書」や「怪情報」が飛び交う内紛を繰り返してきましたが、その歴史を通じて、理事会に居続けたのは西尾幹二氏と藤岡信勝氏の二人だけです。「このお二人は全く善良で、志が高く、清らかで、人情味にあふれる、立派な指導者であるにも関わらず、次々に不埒な理事が入ってきては、まるで遺伝でもしているかのように同じ手口で悪事をなして彼らを苦しめ続けた」などという話を皆さんは本当に信じられるのでしょうか。

9.似非宥和派vs真正宥和派
 西尾・藤岡両氏にとって、「つくる会」は自分たちの名声のための手段ですから、自分を守るためであれば、あるいは、気に入らない理事をたたき出すためであれば、会が混乱しても構わないわけです。ところが、私たちはそうは考えていませんでした。争いはできるだけ小さい範囲で押さえたい、外に出さないようにしたいと常に努力してきました。そのために、情報発信が常に後手にまわり、私たちに対するダーティー・イメージや私闘イメージが先に固められてしまったのです。対立は理事会内で収めたい、話し合いで解決したい、会員に心配をかけたくない、まして、会の外に持ち出すなどもっての他だ。こういう良識が、私たちの手足をしばり、積極的には情報発信できなかったのです。
 具体的な経過は後で記しますが、これだけ申し上げれば、心ある方には、会の名誉を守ろうとしていたのはどちらか、宥和を考えていたのはどちらか、自ずと分かっていただけるものと思います。

10.偏狭なナショナリズム派vs開かれたナショナリズム派
 中国訪問を問題視されて、八木氏が会長を降ろされたことに端的に現れているように、西尾・藤岡氏には、対決や圧力の姿勢はあっても、対話の姿勢はありません。したがって、八木氏が対話によって勝ち得た成果も全く評価しようとしないのです。このままでは、「つくる会」は、徒に対外緊張を生み出す存在として国民から指弾されることになるのではないでしょうか。

11.人治主義派vs法治主義派
 どこの組織でも正式なリーダーの意向に従うというのは当たり前の原則でしょう。ところが、「つくる会」では、それが通用しません。会則では会長が「この会を代表し、会務を総括する」「副会長は、会長を補佐し」となっているのですが、実際には、創業者の西尾・藤岡両氏が理事の間で隠然たる力をもち、他の副会長たちも西尾・藤岡両氏には逆らえないという心構えでいたために、会長がリーダーシップを発揮することは不可能でした。
 しかし、私たちは、会の未来は新しいビジョンと方法を持つ八木氏に託すべきだと考えていたので、理事会が会則通りに運営されるように努力したのです。
 このような私たちの考えを最後に分かって下さったのが、種子島前会長でした。種子島さんは、会の混乱の原因は、創業者二人の圧力によって会長の指導力が抑えられていたことにあったと気が付いて、西尾氏との長年の友情を犠牲にすることも辞さずに、私たちを支持して下さったのです。

12.無神論派vsサムシング・グレイト派
 西尾氏の言う「近代保守」の別名は無神論派でしょう。それが言い過ぎならば、神なんてものの実在は信じないけれども、神についての物語を人々が信じている方が社会にとって有益だ、だから、自分も信じているかのように振る舞うという「かのように派」でしょう。私は、真の保守とは、どこかで人間を超えるものの実在を感じて生きているものだと思っています。それをフィクションとしか思えない人は本物の保守ではないのではないでしょうか。はっきり言えば、天皇制度の意味など本質的には理解できない人々だと思います。
 そのような人々は、平気で物語りを作り替えます。嘘をつきます。多くの人々が信じるならば、それが真実だ、と思っているのです。ある物語が疑わしくなれば、別の物語に置き換えればいいさ、ということで次々に偽りに満ちた幻想を創作し続けるのです。
 ちなみに、西尾氏は、「つくる会」や「日本会議」を支えている宗教団体を「神社右翼、宗教右翼」と非難し、「日本保守界を特定の宗教右翼ではなく真の保守主義者たちの手に取り戻さなければならない」(早瀬善彦氏)との主張を後押ししています。しかし、誰がどう考えても、日本会議に集う宗教者は事務局も含めて保守の良質な部分であり、日本の将来のために対決すべき宗教団体は創価学会でしょう。したがって、西尾氏の態度は無知に基づく誤解などというレベルで済まされるものではなく、保守派にとっては明らかに利敵行為です。このような人の言動に「つくる会」が左右されることを私たちは許せませんでした。

 本連載は、当然ながら西尾氏のブログを意識しており、内容は「きつい」ものになるでしょうが、彼のように「酷い」ものにはならないと自負しております。読み比べていただければ幸いです。(つづく)

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