【資料解説】
西尾氏は4月19日のブログに「八木秀次氏の犯罪の可能性を立証」という副題をつけておられます。その顰みにならって、ついに公開することになってしまった決定的な資料の副題を「両氏の『謀略』の可能性を立証」としました。
●(資料1)2月23日付「謀略」文書
この資料は、冒頭の記述から明らかなように、2月23日、つまり、八木会長・宮崎事務局長解任劇がおこる2月27日の理事会の直前に、「つくる会」評議員各位に宛てた文書です。
西尾・藤岡氏らが騒ぎ立てた「怪文書」は、4月30日理事会における種子島氏の証言ではっきりしているように、3月28日の理事会決定に何の影響も与えませんでした。藤岡氏が副会長に復帰できなかったのは、ひとえに彼の人格が、会長からも、その他の理事からも評価されていなかったからにすぎません。
ところが、この2月23日付「謀略」文書は、まさに、1月16日の理事会決定を非合法的に覆すために、西尾・藤岡両氏が歪曲された情報を理事会外に持ち出したのと軌を一にしており、内容から見て、2月27日の八木会長・宮崎事務局長解任劇のための地均し、事前説明、を目的としたものであり、その後に大きな影響を与えたことは否定できません。
しかも驚くべきことに、その内容は、3月7日以降に西尾氏が言い出した「クーデター物語」(新田発言、生長の家云々、八木訪中など)を先取りしているのです。こんな主旨の文を、これだけ大量に、しかも詳しく書けるのは、第一に西尾氏、次に藤岡氏、あるいは両氏のどちらかから言い含められて資料提供を受けた西尾・藤岡信者以外には考えられません。
●(資料2)尾形美明氏からの「つくる会」事務局への送り状
この資料は、尾形美明氏が、すでに出回っていた上記の「謀略」文書を「つくる会」事務局のウェッブ・マスターに(つまり、事務局宛に)送ってきた時の送り状です。
そこに添付されていた茂木氏と篠原氏宛のメールの日時、及び「内容はほぼ藤岡先生のご説明通りです」という文章にご注目下さい。この日付は、西尾ブログに「『つくる会』顛末記」がはじめて掲載された日と同じです。しかも、その「『つくる会』顛末記」の内容とほぼ一致する「謀略」文書の内容(私が言ったという言葉も同じ)は、それ以前に藤岡氏が尾形氏らに話していた内容ともほぼ同じだというのです。ということは、西尾・藤岡氏が意思統一をし(つまり「共同謀議」をめぐらし)、その統一された虚偽の「物語」を自ら書くか、第三者に書かせない限り、この「謀略」文書の作成は不可能だということです。
●(資料3)西尾ブログに投稿された「中年z」氏の書き込み
それでは、(資料2)にある「藤岡先生のご説明」とは、いつのことだったのでしょうか。それを推定する根拠を示してくれているのが、西尾ブログ「続・つくる会顛末記(一)」に書き込まれた「中年z」氏(松本謙一評議員によれは、「中年z」氏とは、東京支部会員の空花正人氏だそうです)のコメントです。
これによれば、1月16日理事会後、1月31日に開かれたという「江戸川橋会談」なるものが、それなのでしょう。
●(資料4)2月1日付で空花正人氏が「全国の有志」に送ったメール
この「江戸川橋会談」(藤岡氏邸会談)の中身を明らかにしてくれているのが、空花氏が2月1日付で「全国の有志」に送ったメールです。
ここでは、1月16日の理事会決定を非合法的に覆すために「評議会」を利用することが話し合われたとのことです。この策略は、(資料1)の2月23日付「謀略文書」を「評議員各位」宛てにしたのと同じ手法です。
以上、(資料1)~(資料4)によって、八木会長・宮崎事務局長解任劇は、まず事前に、西尾・藤岡両氏が「共同謀議」をめぐらし、ついで、意思統一された虚偽に満ちた物語を載せた「謀略」文書を予め流して地均しをし、解任劇の後で、西尾氏がブログに「謀略」文書の内容と一致する文を載せて仕上げる、という手順で進行したことが明らかとなりました。ここに私は、物語創作=西尾幹二氏、指揮監督=藤岡信勝氏という「謀略」の「可能性を立証」し得たと確信します。
西尾氏は『諸君!』で、私たちの新団体に集う人々に対して、「犯罪や不正に手を染めた人間を追い掛けるほどに閑と財を持て余している世の人々の度量の宏さにただ驚嘆措く能わざるものがある」と書きました。藤岡氏は「支持者は将来後悔することになろう」と書きました。恐ろしい「呪いの言葉」です。
しかし、今や、この「呪い言葉」は、そのまま両氏や両氏の信者のもとに跳ね返り、降り懸かろうしているのではないでしょうか。
*注目箇所は、赤字に変えました。
☆ ☆ ☆
●(資料1)2月23日付「謀略文書」
「つくる会」評議員各位
「つくる会」の混乱を検証する ―複数の関係者に取材してー
2006年2月23日
つくる会 一会員
◆◆ きっかけは宮崎正治事務局長の更迭問題らしい ◆◆
1. 発端は教科書採択戦を通じて、宮崎氏氏の事務局長としての能力が、中心的幹部数名から大いに疑われたことにあるようです。
採択戦の最も熱い所で会員からの再三の運動支援に関し、「静謐に」の掛け声をいいことに、彼は不作為を決め込んだのです。採択運動に関してはきわめて消極的であり、独自のアイデアも無く、与えられた狭い範囲の「シンポジウム・ビジネス」、冠婚葬祭業務にかまけていました。事務局員の統率もできませんでした。
2. 9月17日に開かれた全国活動者会議の少し前に、八木会長自ら宮を決定し、その急先鋒を演じ、その夜懇親会の後で宮崎氏に引退を促しました。しかし宮崎氏は猛反発したのです。そこで執行部は彼を解雇するでもなく、名誉を重んじた形で事務局に残すことを考えました。彼は書類作りには長けていたので内局を任せ、一方弱点であった外交戦略面を強化するべく、10月初旬に新たに濱田實氏を事務局次長に迎え入れました。
3. その間コンピューターによる「会員管理システム」の不調が続き、担当するMさんが再三宮崎事務局長に善処を求めていたのですが、これといった対応をとらないままで来るといういきさつがありました。10月4日いよいよ恐れていたシステム故障が生じ、保守を依頼したのですが業者は年内の修理は行えない旨の返答が来るだけでした。Mさんは八木会長に相談したものの宮崎氏から問題なきがごとくの説明を八木氏は真に受け、曖昧な対応であったそうです。切羽詰ったMさんは藤岡信勝副会長に辞職を示唆しながら、窮状を訴えました。
4. コンピューター・システムの不備に関しては、平成14年、それは坂本多加雄氏が亡くなったころでしょうか、富樫信子監事が指摘し、西尾幹二名誉会長も追及したことがあったのですが、黙殺されていました。
担当の種子島経理事は宮崎氏にくれぐれも事務局長が全責任を負って改修を図るように、さらに個々のオペレーターのわがままな要求を出させないようにと厳命しました。
しかしその通りにはならず改修に逐次費用が投じられていきました。コンピューター会社に必ずしも責任はなく、古いシステムの上に新しいシステムを次々と加えるよう要求したため費用がどんどんかさみました。開発は再改修の段になってもオペレーターの意見を際限なく聞き入れ、その都度仕様書もないまま改修を加えていくという、杜撰極まりないものでした。開発責任者不在で、コスト、工程管理、納期、瑕疵担保責任などの不明朗な開発であり、最後に1700万円の支払が求められました。 【資料 A】
5.10月28日の理事会で、「事務局再建委員会」を結成することが議決され、遠藤浩一副会長を含む幹部が改めてシステム問題の事情聴取を開始しました。調査の結果明らになったことは、そもそも初めから相見積もりがなされておらず、口約束のような私的関係で開発が進められたこと、価格は最終的に1000万円に妥結したこと、保守契約は書類の上で為されていてもコンピューター会社がその契約を承認していないという玉虫色の契約であったためトラブル続きを誘発したこと、などです。このように宮事務局長の失策が判明し、彼の降格処分が議題になりました。
執行部は11月12日付で「執行部告知」をもって、会員管理システムの実務上の責任者としての宮崎氏の次長降格処分を決め、さらに執行部の理事と名誉会長が100万円の罰金を払うこととし、11月18日の緊急理事会に諮りました。
6. その後の12月12日に、内田智、勝岡寛次、新田均、松浦光修、の4人の理事が「抗議声明」を発表しました。 【資料 B】
さきの事情聴取を「査問」と言い換え、「まるで東京裁判だ」「南京大虐殺のようなデッチアゲだ」とまで言い募りました。彼らは日本会議事務総長の椛島有三氏、日本政策研究センター所長の伊藤哲夫氏らに泣きつき、宮氏処分問題をもみ消しにかかったのです。肝心の宮氏は一向に謝罪をせず、「システム問題に関して、自分は悪くない」と開き直る有様でした。宮崎氏は余勢を駆って、「俺を首にしたら神社や日本会議、キリストの幕屋などが金輪際つくる会には協力しないぞ」と恫喝までするに至ったそうです。 【資料 C】
7. 年が改まった1月16日開かれた理事会には、システムを長い間使ってきたオペレーターのMさんはじめ、つくる会事務局スタッフも陪席しました。
かねて富樫監事は「システム問題」に関する所見を理事に配布していましたが、勝岡理事が独断で事務局員にまで配布していたため、西尾氏が「信義違反である」と一喝するという一幕もありました。新田理事は「名誉会長がなぜこの場にいるのか。理事ではないではないか」と、名誉会長の理事会参加は既定確認事項であるにも拘らず無礼な発言をしました。
この場でMさんは沈黙し、八木会長、遠藤・福田副会長、藤岡副会長も要領を得ない発言で終始。四人組の勢いはいや増すばかりであったそうです。とくに八木会長は当初宮氏更迭で自ら動いたにもかかわらず、西尾氏を弁護しないばかりか「藤岡・西尾とは違って、自分は宮崎の解任を意図していなかった」と突然今までの自分の主張とは正反対のことを発言する始末。事務局再建委員の遠藤副会長はしらけ、藤岡副会長も八木会長の変節をそれ以上責めませんでした。この日の理事会には珍しく伊藤哲夫氏が顔を出していたそうです。おそらくは八木会長が招聘したのであろうと思われます。
だれもいざとなると発言を控えるのは、何か集団意志の力、見えざる力に動かされているのでしょうか。個人の立場で行動する真正保守の人々は無力です。
次の日西尾名誉会長は会を永遠に去り、福田、遠藤、工藤の副会長三名が、八木会長に副会長の辞表を提出しました。
◆◆ 4理事の行動の背景には何があるのか ◆◆
内田、勝岡、新田、松浦の新任理事が四人そろって、なぜ宮崎氏を擁護するのでしょうか。
その背景を探ると、みんな昔の仲間だったのです。生長の家の保守運動仲間であり、後に「全国学生連絡協議会」という組織を作った関係者であったようです。それは昭和44年のころ結成されました。 参加者には一水会の鈴木邦男氏、日本会議の椛島有三氏、それからつくる会の関係者の高橋史朗氏、新田均氏、伊藤哲夫氏、内田智弁護士、勝岡寛次氏 などが名を連ねていたとか。若い松浦理事は新田氏の引きでしょう。なるほどみんな昔の仲間であったわけです。
しかし会員管理システムの問題や教科書採択戦において、宮崎氏の取り続けてきた曖昧な態度や事務能力不足など、身近なところでこれを見てきた中心の幹部、執行部が、宮崎氏のこれ以上の留任は認められないと判断したことに対して、余り経緯を知らない新任の理事達はもっと謙虚であるべきではないでしょうか。昔の活動仲間を擁護する一点で徒党を組み、執行部方針に異議を唱えるに留まらず、温厚な理事達に暴言を吐くのは全くもって「つくる会」の健全な運営に支障を来たすものです。
四理事の公私混同は戒めなければなりません。
八木氏は指導力を発揮するどころか形勢眺めで、四人組にとってまるで帽子の立場です。
◆◆ 今後の問題はどう考えたらよいか ◆◆
(1)三副会長の辞任
理事会が終わった翌日、福田逸、遠藤浩一、工藤美代子の三副会長は辞表を八木会長に渡しています。八木会長の前言をひるがえす無責任な腰のふらつきに抗議してと思われます。
それを八木会長はしばし隠して預かっていました。1月末に発行された機関誌『史』1月号に掲載されたのは西尾名誉会長ただ一人の勇退についてだけでした。三副会長の辞任は会員へ秘匿されていました。
あちらこちらから情報が動き出し、隠しきれないと見るや、ようやく「つくる会FAX通信165号(2月10日付け)」で、三人の副会長の辞表提出を発表しました。しかしこれは正常なルートでは流されてはいません。一般公開もされていません。内容たるや、三人が何故辞めたか、つまり八木批判という意味は伏せられています。富樫監事も辞表を八木会長に預け、1月末に退職しました。いずれも秘匿されています。八木氏は、事務局を私兵のように使って、自分たちに向けられた批判は全部隠して押し切ろうとしているのです。 【資料 D】
社会的常識人による業務監査体制が崩壊しかかっています。このことをもってしても、現八木執行部体制の機能不全を指摘することが出来ましょう。
(2)会員管理システム
システムオペレーターのMさんは、とうとうコンピューター・システムの維持管理に希望が持てないことかから、適切な対応をとろうとしない宮崎事務局長に対し1月16日に辞表願いを出し、予告期間満了となった2月3日退職しました。 いまさら急に臨時担当者を決めてもシステムはどうにもならないでしょう。
コンピューターシステム改修の為に、富樫監事は2社、濱田事務局次長も1社検討に加え、相見積もりを計画していますが、この改修費用は今では約300万円であって、これまでのシステム改修に要した1000万円に比し、いかに低価格かが理解できましょう。一体会員の浄財をこんなことで無駄に消費して良いのでしょうか。曖昧に内部処理されてきたシステム改修問題について、ここは一切のしがらみを断つべく、屋上屋を重ねる愚を避け、全く新しい既存のソフトを購入するべきです。
本件業務上のトラブルの全責任は八木会長にあります。彼の当初からの認識の幼さ、行動の鈍さが災いしました。成り行き次第でどうとでも態度を変えるような、右に左に揺れる八木会長には十分反省し、不明を詫びていただきたいと思います。
(3)八木会長の中国訪問の疑念
3副会長が辞任した最大の理由はなんでしょうか。
それは『正論』三月号に見ることができます。そこには
・・・・・つくる会会長、中国「反日の本丸」に乗り込む・・・・
の大見出しが踊っています。
八木氏はつくる会事務局職員有志の観光旅行に同行する形で、盧溝橋、南京の一連の反日施設の見学をしました。プライベート旅行といいながら、初日に中国社会科学院日本研究所を訪ね、所長以下と会見をしていることが、いかにも不自然ではないでしょうか。
八木氏自身、「お招きいただいた」ことに謝辞を述べています。
『正論』編集部記者が同行し、他ならぬ宮崎事務局長を伴っています。
常識的に見れば、あの国への訪問が、お膳立ても無く、非公式・プライベートな物見遊山であるわけがありません。
最も不審を抱かせることは、こうした中国訪問が四副会長には事前に知らされていなく、もちろん理事会承認もない、会長の独断専行であった点です。この件こそ、三副会長が辞表を叩きつけた最大の理由です。
『正論』に掲載された文章は、まさに日本国内で散々見聞きする中国共産党の政治宣伝ばかりであり、八木氏が誇らしげに「訪問して初めて知った」(『史』1月号)情報では決してありません。完全に相手に利用された形です。
(4)今後の会の運営
西尾幹二=藤岡信勝氏の指導なき「つくる会」は、考えられません。
しかし、西尾氏はつくる会から身を引き、それを待ってましたとばかりに、宮崎事務局長応援団は、八木会長を盛り立てて藤岡副会長バッシングを行っています。西尾氏の後押しなき藤岡氏は孤立しているのが現状です。
藤岡副会長は宮崎事務局長のみの処分で八木会長と手を組むつもりなのでしょうか。しかし辞任した三副会長の支持は得られないでしょう。沈黙を守る残りの理事達の去就にかかっています。
さて、2月27日の理事会で如何なる決着がつけられるのでしょうか。
評議員の皆さん、「つくる会」運動の初心に立ち返り、できるだけたくさんの子供たちにより良い教科書を手渡すためにはどういう組織が必要かをご一緒に考えてください。
以上
☆ ☆ ☆
●(資料2)尾形美明氏から「つくる会」事務局への送り状
From: 尾形美明
To: つくる会
Sent: Wednesday, March 08, 2006 9:30 AM
Subject: Fw: 問題の経緯
つくる会御中
「関東ブロックの説明会」の早期開催ありがとうございました。
こうした混乱時には内外から色んな怪文書も飛び交いますので、直接説明する機会を儲ける事が大切だと思います。
その直接の説明会で、あれほど懇切丁寧な説明がなされても、一部の方からは、「一体、この人達は説明を聞いていたのか?」と思うような質問や意見が出ます。
中には、会の混乱を一層煽ろうとする輩や、現執行部に対する敵愾心を持つ連中もいるのでしょうが、それは止む終えない事かと思います。
「解任された副会長が、規約にもない会長補佐などいう肩書きで執行部に入っている」
「種子島会長は組織を再建したら早期に退任したいと言っている。その後の会長就任を狙っているのではないか?」などという露骨な藤岡先生への攻撃的意見も出ていました。
こういう人達は、「つくる会」がどういう経緯で生まれ、西尾先生、藤岡先生(それと亡くなった坂本先生)がどのようなお気持ちで、どのようなご苦労をされて、この会をここまで持ってこられたかを全く理解していないのだと思います。或いは、承知の上で会の混乱を狙っているのでしょうか。
いずれにしても、「つくる会」は日本の教育正常化運動の中心であり、シンボルであります。
いや、それに留まらず日本人の精神再建運動の核心でもあります。
それだけに、この会は社共、朝日、日教組などの反日日本人と中国、北朝鮮など敵性国家の目の上のコブです。彼らが、この会を何とかして混乱させたい、出来れば潰したい、と虎視眈々と狙っていることは間違いありません。そういう視点から考えますと、昨年の八木訪中旅行はまさに、中国の狙い通りの結果を出したわけです。これほど早期に、しかもこれほど大きな破壊的効果をもたらすとは彼らも予想していなかったのではないでしょうか。それだけに、彼らはお腹を抱えて大笑いしていると思います。それと関連して、やはりこの旅行を計画した人物の中には中国のエージェントと化した者がいた可能性が高いように思います。これは被害妄想ではなくて、中西先生がご指摘のように、中国の諜報活動の日本国内での広がりと浸透度を考えますと、決して妄想とはいえないような気がします。
いずれにしましても、私たち一般会員は種子島会長の「とにかく、この会を潰してはならない」というお気持ちは十分に理解し、指示します。それどころか、「どうか潰さないで下さい」「大変でしょうが、会の運営が再び軌道に乗るまで頑張って下さい」と心底よりお願いします。そのことは、あえて渦中の栗を拾われて、ご苦労なさっている藤岡、福地両会長補佐の先生方に関しても全く同様であります。「どうか、ご苦労ですが会長を支えて会を再建した下さい」という気持ちで一杯です。
以上、説明会に出席しました一会員のお礼とお願いであります。
添付文書は、既に入手されていると思いますが、こういう文書もございます。
尾形拝
----- Original Message -----
From: 尾形美明
To: 茂木 弘道 ; 篠原 寿一
Sent: Tuesday, March 07, 2006 10:36 AM
Subject: 問題の経緯
茂木・篠原様
昨夕はご苦労様でした。
添付の如き資料が入っていました。内容はほぼ藤岡先生のご説明通りですが、ただ一点、伊藤哲夫日本政策研究センターの立場についての記述が気掛かりです。真相は分りませんが、伊藤氏や産経新聞が対応を誤らないで欲しいと思います。
彼らが、この問題で判断を誤っておかしな行動をすると、日本の真の保守の再建に大きなダメージを与える恐れがあります。
尾形
☆ ☆ ☆
藤岡先生が「変節」したのではない、「心が不安定」なのだ、と仰る西尾先生のご所見ですが、私共東京支部の面々ならびに首都圏評議員有志は首肯できません。
確かに藤岡先生はある種の躁鬱状態なのかもしれませんが、心の変遷が私の記録にあります。
1.10池袋会談、1.16理事会、1.31江戸川橋会談までの強気の攻めの姿勢が、2.2執行部会で八木・宮崎側の反撃に遭うや腰砕けになり、周章狼狽したあげく、杉並採択戦で闘った支援者まで猜疑心で見るようになりました。あとは人が変わったように八木体制へ諂うようになり、2・27理事会で周囲の理事の支えが会って辛うじて八木体制を粉砕したかに見えたのも束の間、種子島氏ともどもフジサンケイグループの軍門に下りました。
3.5関東評議員有志の前での「評議員軽視」の不用意な発言は、すっかり別人となった氏の姿を確認した日でもあります。あくる日の3.6関東ブロック説明会での「八木氏は日本の宝」発言が象徴的です。
あれほど「八木・宮崎・事務局員」の支那詣でを非難しておきながら、その後の理事会でも深追いしない(会則20条違反として徹底糾弾しない)のは、我らにとって「変節」以外のなにものでもありません。
このことが明確にならない限り、東京支部は新体制を支持できません。(裏返せば、八木体制の残滓を刷新していただけるものと信じています)
中途半端な妥協は「支那の容喙、干渉」を招く原因となります。「つくる会会長中国反日の本丸に乗り込む」という、我らの思潮と相容れないキャンペーンを張ったフジサンケイグループとも距離を置くことも辞さない覚悟で当たっていただきたい。ダメなものはダメと。
理事の皆様には別途意見書をお送りします。
藤岡先生には、我ら支援者を値踏みするようなことはなさらず、虚心坦懐にあの夏の戦いの頃を思い出しながら、またお付き合いいただきたくお願いします。
幸い新理事の方々は、心の広い方ばかりです。どうか協力を仰いで、目標を高く掲げて新体制を確立してください。
Posted by: 中年z at 2006年05月24日 10:33
☆ ☆ ☆
●(資料4)2月1日付で空花正人氏が「全国の有志」に送ったメール
(前略)
理事会問題の早期解決を目指し、昨日有志で藤岡邸で検討会を開き、正攻法で理事会を再建させよう、そのためには、評議会を早急に召集し、会員へ事の顛末を知らせ、健全な理事会の復活を期そうと、話し合いました。
一方、私は、遠藤副会長の真意をお聞きするべく、ブログの掲示板を利用させていただきました。遠藤先生はたいへんお苦しみのようですが、一理事として、戦うという決意を表していただきましたので、しばらくは見守ることにします。
(後略)
西尾氏は4月19日のブログに「八木秀次氏の犯罪の可能性を立証」という副題をつけておられます。その顰みにならって、ついに公開することになってしまった決定的な資料の副題を「両氏の『謀略』の可能性を立証」としました。
●(資料1)2月23日付「謀略」文書
この資料は、冒頭の記述から明らかなように、2月23日、つまり、八木会長・宮崎事務局長解任劇がおこる2月27日の理事会の直前に、「つくる会」評議員各位に宛てた文書です。
西尾・藤岡氏らが騒ぎ立てた「怪文書」は、4月30日理事会における種子島氏の証言ではっきりしているように、3月28日の理事会決定に何の影響も与えませんでした。藤岡氏が副会長に復帰できなかったのは、ひとえに彼の人格が、会長からも、その他の理事からも評価されていなかったからにすぎません。
ところが、この2月23日付「謀略」文書は、まさに、1月16日の理事会決定を非合法的に覆すために、西尾・藤岡両氏が歪曲された情報を理事会外に持ち出したのと軌を一にしており、内容から見て、2月27日の八木会長・宮崎事務局長解任劇のための地均し、事前説明、を目的としたものであり、その後に大きな影響を与えたことは否定できません。
しかも驚くべきことに、その内容は、3月7日以降に西尾氏が言い出した「クーデター物語」(新田発言、生長の家云々、八木訪中など)を先取りしているのです。こんな主旨の文を、これだけ大量に、しかも詳しく書けるのは、第一に西尾氏、次に藤岡氏、あるいは両氏のどちらかから言い含められて資料提供を受けた西尾・藤岡信者以外には考えられません。
●(資料2)尾形美明氏からの「つくる会」事務局への送り状
この資料は、尾形美明氏が、すでに出回っていた上記の「謀略」文書を「つくる会」事務局のウェッブ・マスターに(つまり、事務局宛に)送ってきた時の送り状です。
そこに添付されていた茂木氏と篠原氏宛のメールの日時、及び「内容はほぼ藤岡先生のご説明通りです」という文章にご注目下さい。この日付は、西尾ブログに「『つくる会』顛末記」がはじめて掲載された日と同じです。しかも、その「『つくる会』顛末記」の内容とほぼ一致する「謀略」文書の内容(私が言ったという言葉も同じ)は、それ以前に藤岡氏が尾形氏らに話していた内容ともほぼ同じだというのです。ということは、西尾・藤岡氏が意思統一をし(つまり「共同謀議」をめぐらし)、その統一された虚偽の「物語」を自ら書くか、第三者に書かせない限り、この「謀略」文書の作成は不可能だということです。
●(資料3)西尾ブログに投稿された「中年z」氏の書き込み
それでは、(資料2)にある「藤岡先生のご説明」とは、いつのことだったのでしょうか。それを推定する根拠を示してくれているのが、西尾ブログ「続・つくる会顛末記(一)」に書き込まれた「中年z」氏(松本謙一評議員によれは、「中年z」氏とは、東京支部会員の空花正人氏だそうです)のコメントです。
これによれば、1月16日理事会後、1月31日に開かれたという「江戸川橋会談」なるものが、それなのでしょう。
●(資料4)2月1日付で空花正人氏が「全国の有志」に送ったメール
この「江戸川橋会談」(藤岡氏邸会談)の中身を明らかにしてくれているのが、空花氏が2月1日付で「全国の有志」に送ったメールです。
ここでは、1月16日の理事会決定を非合法的に覆すために「評議会」を利用することが話し合われたとのことです。この策略は、(資料1)の2月23日付「謀略文書」を「評議員各位」宛てにしたのと同じ手法です。
以上、(資料1)~(資料4)によって、八木会長・宮崎事務局長解任劇は、まず事前に、西尾・藤岡両氏が「共同謀議」をめぐらし、ついで、意思統一された虚偽に満ちた物語を載せた「謀略」文書を予め流して地均しをし、解任劇の後で、西尾氏がブログに「謀略」文書の内容と一致する文を載せて仕上げる、という手順で進行したことが明らかとなりました。ここに私は、物語創作=西尾幹二氏、指揮監督=藤岡信勝氏という「謀略」の「可能性を立証」し得たと確信します。
西尾氏は『諸君!』で、私たちの新団体に集う人々に対して、「犯罪や不正に手を染めた人間を追い掛けるほどに閑と財を持て余している世の人々の度量の宏さにただ驚嘆措く能わざるものがある」と書きました。藤岡氏は「支持者は将来後悔することになろう」と書きました。恐ろしい「呪いの言葉」です。
しかし、今や、この「呪い言葉」は、そのまま両氏や両氏の信者のもとに跳ね返り、降り懸かろうしているのではないでしょうか。
*注目箇所は、赤字に変えました。
☆ ☆ ☆
●(資料1)2月23日付「謀略文書」
「つくる会」評議員各位
「つくる会」の混乱を検証する ―複数の関係者に取材してー
2006年2月23日
つくる会 一会員
◆◆ きっかけは宮崎正治事務局長の更迭問題らしい ◆◆
1. 発端は教科書採択戦を通じて、宮崎氏氏の事務局長としての能力が、中心的幹部数名から大いに疑われたことにあるようです。
採択戦の最も熱い所で会員からの再三の運動支援に関し、「静謐に」の掛け声をいいことに、彼は不作為を決め込んだのです。採択運動に関してはきわめて消極的であり、独自のアイデアも無く、与えられた狭い範囲の「シンポジウム・ビジネス」、冠婚葬祭業務にかまけていました。事務局員の統率もできませんでした。
2. 9月17日に開かれた全国活動者会議の少し前に、八木会長自ら宮を決定し、その急先鋒を演じ、その夜懇親会の後で宮崎氏に引退を促しました。しかし宮崎氏は猛反発したのです。そこで執行部は彼を解雇するでもなく、名誉を重んじた形で事務局に残すことを考えました。彼は書類作りには長けていたので内局を任せ、一方弱点であった外交戦略面を強化するべく、10月初旬に新たに濱田實氏を事務局次長に迎え入れました。
3. その間コンピューターによる「会員管理システム」の不調が続き、担当するMさんが再三宮崎事務局長に善処を求めていたのですが、これといった対応をとらないままで来るといういきさつがありました。10月4日いよいよ恐れていたシステム故障が生じ、保守を依頼したのですが業者は年内の修理は行えない旨の返答が来るだけでした。Mさんは八木会長に相談したものの宮崎氏から問題なきがごとくの説明を八木氏は真に受け、曖昧な対応であったそうです。切羽詰ったMさんは藤岡信勝副会長に辞職を示唆しながら、窮状を訴えました。
4. コンピューター・システムの不備に関しては、平成14年、それは坂本多加雄氏が亡くなったころでしょうか、富樫信子監事が指摘し、西尾幹二名誉会長も追及したことがあったのですが、黙殺されていました。
担当の種子島経理事は宮崎氏にくれぐれも事務局長が全責任を負って改修を図るように、さらに個々のオペレーターのわがままな要求を出させないようにと厳命しました。
しかしその通りにはならず改修に逐次費用が投じられていきました。コンピューター会社に必ずしも責任はなく、古いシステムの上に新しいシステムを次々と加えるよう要求したため費用がどんどんかさみました。開発は再改修の段になってもオペレーターの意見を際限なく聞き入れ、その都度仕様書もないまま改修を加えていくという、杜撰極まりないものでした。開発責任者不在で、コスト、工程管理、納期、瑕疵担保責任などの不明朗な開発であり、最後に1700万円の支払が求められました。 【資料 A】
5.10月28日の理事会で、「事務局再建委員会」を結成することが議決され、遠藤浩一副会長を含む幹部が改めてシステム問題の事情聴取を開始しました。調査の結果明らになったことは、そもそも初めから相見積もりがなされておらず、口約束のような私的関係で開発が進められたこと、価格は最終的に1000万円に妥結したこと、保守契約は書類の上で為されていてもコンピューター会社がその契約を承認していないという玉虫色の契約であったためトラブル続きを誘発したこと、などです。このように宮事務局長の失策が判明し、彼の降格処分が議題になりました。
執行部は11月12日付で「執行部告知」をもって、会員管理システムの実務上の責任者としての宮崎氏の次長降格処分を決め、さらに執行部の理事と名誉会長が100万円の罰金を払うこととし、11月18日の緊急理事会に諮りました。
6. その後の12月12日に、内田智、勝岡寛次、新田均、松浦光修、の4人の理事が「抗議声明」を発表しました。 【資料 B】
さきの事情聴取を「査問」と言い換え、「まるで東京裁判だ」「南京大虐殺のようなデッチアゲだ」とまで言い募りました。彼らは日本会議事務総長の椛島有三氏、日本政策研究センター所長の伊藤哲夫氏らに泣きつき、宮氏処分問題をもみ消しにかかったのです。肝心の宮氏は一向に謝罪をせず、「システム問題に関して、自分は悪くない」と開き直る有様でした。宮崎氏は余勢を駆って、「俺を首にしたら神社や日本会議、キリストの幕屋などが金輪際つくる会には協力しないぞ」と恫喝までするに至ったそうです。 【資料 C】
7. 年が改まった1月16日開かれた理事会には、システムを長い間使ってきたオペレーターのMさんはじめ、つくる会事務局スタッフも陪席しました。
かねて富樫監事は「システム問題」に関する所見を理事に配布していましたが、勝岡理事が独断で事務局員にまで配布していたため、西尾氏が「信義違反である」と一喝するという一幕もありました。新田理事は「名誉会長がなぜこの場にいるのか。理事ではないではないか」と、名誉会長の理事会参加は既定確認事項であるにも拘らず無礼な発言をしました。
この場でMさんは沈黙し、八木会長、遠藤・福田副会長、藤岡副会長も要領を得ない発言で終始。四人組の勢いはいや増すばかりであったそうです。とくに八木会長は当初宮氏更迭で自ら動いたにもかかわらず、西尾氏を弁護しないばかりか「藤岡・西尾とは違って、自分は宮崎の解任を意図していなかった」と突然今までの自分の主張とは正反対のことを発言する始末。事務局再建委員の遠藤副会長はしらけ、藤岡副会長も八木会長の変節をそれ以上責めませんでした。この日の理事会には珍しく伊藤哲夫氏が顔を出していたそうです。おそらくは八木会長が招聘したのであろうと思われます。
だれもいざとなると発言を控えるのは、何か集団意志の力、見えざる力に動かされているのでしょうか。個人の立場で行動する真正保守の人々は無力です。
次の日西尾名誉会長は会を永遠に去り、福田、遠藤、工藤の副会長三名が、八木会長に副会長の辞表を提出しました。
◆◆ 4理事の行動の背景には何があるのか ◆◆
内田、勝岡、新田、松浦の新任理事が四人そろって、なぜ宮崎氏を擁護するのでしょうか。
その背景を探ると、みんな昔の仲間だったのです。生長の家の保守運動仲間であり、後に「全国学生連絡協議会」という組織を作った関係者であったようです。それは昭和44年のころ結成されました。 参加者には一水会の鈴木邦男氏、日本会議の椛島有三氏、それからつくる会の関係者の高橋史朗氏、新田均氏、伊藤哲夫氏、内田智弁護士、勝岡寛次氏 などが名を連ねていたとか。若い松浦理事は新田氏の引きでしょう。なるほどみんな昔の仲間であったわけです。
しかし会員管理システムの問題や教科書採択戦において、宮崎氏の取り続けてきた曖昧な態度や事務能力不足など、身近なところでこれを見てきた中心の幹部、執行部が、宮崎氏のこれ以上の留任は認められないと判断したことに対して、余り経緯を知らない新任の理事達はもっと謙虚であるべきではないでしょうか。昔の活動仲間を擁護する一点で徒党を組み、執行部方針に異議を唱えるに留まらず、温厚な理事達に暴言を吐くのは全くもって「つくる会」の健全な運営に支障を来たすものです。
四理事の公私混同は戒めなければなりません。
八木氏は指導力を発揮するどころか形勢眺めで、四人組にとってまるで帽子の立場です。
◆◆ 今後の問題はどう考えたらよいか ◆◆
(1)三副会長の辞任
理事会が終わった翌日、福田逸、遠藤浩一、工藤美代子の三副会長は辞表を八木会長に渡しています。八木会長の前言をひるがえす無責任な腰のふらつきに抗議してと思われます。
それを八木会長はしばし隠して預かっていました。1月末に発行された機関誌『史』1月号に掲載されたのは西尾名誉会長ただ一人の勇退についてだけでした。三副会長の辞任は会員へ秘匿されていました。
あちらこちらから情報が動き出し、隠しきれないと見るや、ようやく「つくる会FAX通信165号(2月10日付け)」で、三人の副会長の辞表提出を発表しました。しかしこれは正常なルートでは流されてはいません。一般公開もされていません。内容たるや、三人が何故辞めたか、つまり八木批判という意味は伏せられています。富樫監事も辞表を八木会長に預け、1月末に退職しました。いずれも秘匿されています。八木氏は、事務局を私兵のように使って、自分たちに向けられた批判は全部隠して押し切ろうとしているのです。 【資料 D】
社会的常識人による業務監査体制が崩壊しかかっています。このことをもってしても、現八木執行部体制の機能不全を指摘することが出来ましょう。
(2)会員管理システム
システムオペレーターのMさんは、とうとうコンピューター・システムの維持管理に希望が持てないことかから、適切な対応をとろうとしない宮崎事務局長に対し1月16日に辞表願いを出し、予告期間満了となった2月3日退職しました。 いまさら急に臨時担当者を決めてもシステムはどうにもならないでしょう。
コンピューターシステム改修の為に、富樫監事は2社、濱田事務局次長も1社検討に加え、相見積もりを計画していますが、この改修費用は今では約300万円であって、これまでのシステム改修に要した1000万円に比し、いかに低価格かが理解できましょう。一体会員の浄財をこんなことで無駄に消費して良いのでしょうか。曖昧に内部処理されてきたシステム改修問題について、ここは一切のしがらみを断つべく、屋上屋を重ねる愚を避け、全く新しい既存のソフトを購入するべきです。
本件業務上のトラブルの全責任は八木会長にあります。彼の当初からの認識の幼さ、行動の鈍さが災いしました。成り行き次第でどうとでも態度を変えるような、右に左に揺れる八木会長には十分反省し、不明を詫びていただきたいと思います。
(3)八木会長の中国訪問の疑念
3副会長が辞任した最大の理由はなんでしょうか。
それは『正論』三月号に見ることができます。そこには
・・・・・つくる会会長、中国「反日の本丸」に乗り込む・・・・
の大見出しが踊っています。
八木氏はつくる会事務局職員有志の観光旅行に同行する形で、盧溝橋、南京の一連の反日施設の見学をしました。プライベート旅行といいながら、初日に中国社会科学院日本研究所を訪ね、所長以下と会見をしていることが、いかにも不自然ではないでしょうか。
八木氏自身、「お招きいただいた」ことに謝辞を述べています。
『正論』編集部記者が同行し、他ならぬ宮崎事務局長を伴っています。
常識的に見れば、あの国への訪問が、お膳立ても無く、非公式・プライベートな物見遊山であるわけがありません。
最も不審を抱かせることは、こうした中国訪問が四副会長には事前に知らされていなく、もちろん理事会承認もない、会長の独断専行であった点です。この件こそ、三副会長が辞表を叩きつけた最大の理由です。
『正論』に掲載された文章は、まさに日本国内で散々見聞きする中国共産党の政治宣伝ばかりであり、八木氏が誇らしげに「訪問して初めて知った」(『史』1月号)情報では決してありません。完全に相手に利用された形です。
(4)今後の会の運営
西尾幹二=藤岡信勝氏の指導なき「つくる会」は、考えられません。
しかし、西尾氏はつくる会から身を引き、それを待ってましたとばかりに、宮崎事務局長応援団は、八木会長を盛り立てて藤岡副会長バッシングを行っています。西尾氏の後押しなき藤岡氏は孤立しているのが現状です。
藤岡副会長は宮崎事務局長のみの処分で八木会長と手を組むつもりなのでしょうか。しかし辞任した三副会長の支持は得られないでしょう。沈黙を守る残りの理事達の去就にかかっています。
さて、2月27日の理事会で如何なる決着がつけられるのでしょうか。
評議員の皆さん、「つくる会」運動の初心に立ち返り、できるだけたくさんの子供たちにより良い教科書を手渡すためにはどういう組織が必要かをご一緒に考えてください。
以上
☆ ☆ ☆
●(資料2)尾形美明氏から「つくる会」事務局への送り状
From: 尾形美明
To: つくる会
Sent: Wednesday, March 08, 2006 9:30 AM
Subject: Fw: 問題の経緯
つくる会御中
「関東ブロックの説明会」の早期開催ありがとうございました。
こうした混乱時には内外から色んな怪文書も飛び交いますので、直接説明する機会を儲ける事が大切だと思います。
その直接の説明会で、あれほど懇切丁寧な説明がなされても、一部の方からは、「一体、この人達は説明を聞いていたのか?」と思うような質問や意見が出ます。
中には、会の混乱を一層煽ろうとする輩や、現執行部に対する敵愾心を持つ連中もいるのでしょうが、それは止む終えない事かと思います。
「解任された副会長が、規約にもない会長補佐などいう肩書きで執行部に入っている」
「種子島会長は組織を再建したら早期に退任したいと言っている。その後の会長就任を狙っているのではないか?」などという露骨な藤岡先生への攻撃的意見も出ていました。
こういう人達は、「つくる会」がどういう経緯で生まれ、西尾先生、藤岡先生(それと亡くなった坂本先生)がどのようなお気持ちで、どのようなご苦労をされて、この会をここまで持ってこられたかを全く理解していないのだと思います。或いは、承知の上で会の混乱を狙っているのでしょうか。
いずれにしても、「つくる会」は日本の教育正常化運動の中心であり、シンボルであります。
いや、それに留まらず日本人の精神再建運動の核心でもあります。
それだけに、この会は社共、朝日、日教組などの反日日本人と中国、北朝鮮など敵性国家の目の上のコブです。彼らが、この会を何とかして混乱させたい、出来れば潰したい、と虎視眈々と狙っていることは間違いありません。そういう視点から考えますと、昨年の八木訪中旅行はまさに、中国の狙い通りの結果を出したわけです。これほど早期に、しかもこれほど大きな破壊的効果をもたらすとは彼らも予想していなかったのではないでしょうか。それだけに、彼らはお腹を抱えて大笑いしていると思います。それと関連して、やはりこの旅行を計画した人物の中には中国のエージェントと化した者がいた可能性が高いように思います。これは被害妄想ではなくて、中西先生がご指摘のように、中国の諜報活動の日本国内での広がりと浸透度を考えますと、決して妄想とはいえないような気がします。
いずれにしましても、私たち一般会員は種子島会長の「とにかく、この会を潰してはならない」というお気持ちは十分に理解し、指示します。それどころか、「どうか潰さないで下さい」「大変でしょうが、会の運営が再び軌道に乗るまで頑張って下さい」と心底よりお願いします。そのことは、あえて渦中の栗を拾われて、ご苦労なさっている藤岡、福地両会長補佐の先生方に関しても全く同様であります。「どうか、ご苦労ですが会長を支えて会を再建した下さい」という気持ちで一杯です。
以上、説明会に出席しました一会員のお礼とお願いであります。
添付文書は、既に入手されていると思いますが、こういう文書もございます。
尾形拝
----- Original Message -----
From: 尾形美明
To: 茂木 弘道 ; 篠原 寿一
Sent: Tuesday, March 07, 2006 10:36 AM
Subject: 問題の経緯
茂木・篠原様
昨夕はご苦労様でした。
添付の如き資料が入っていました。内容はほぼ藤岡先生のご説明通りですが、ただ一点、伊藤哲夫日本政策研究センターの立場についての記述が気掛かりです。真相は分りませんが、伊藤氏や産経新聞が対応を誤らないで欲しいと思います。
彼らが、この問題で判断を誤っておかしな行動をすると、日本の真の保守の再建に大きなダメージを与える恐れがあります。
尾形
☆ ☆ ☆
藤岡先生が「変節」したのではない、「心が不安定」なのだ、と仰る西尾先生のご所見ですが、私共東京支部の面々ならびに首都圏評議員有志は首肯できません。
確かに藤岡先生はある種の躁鬱状態なのかもしれませんが、心の変遷が私の記録にあります。
1.10池袋会談、1.16理事会、1.31江戸川橋会談までの強気の攻めの姿勢が、2.2執行部会で八木・宮崎側の反撃に遭うや腰砕けになり、周章狼狽したあげく、杉並採択戦で闘った支援者まで猜疑心で見るようになりました。あとは人が変わったように八木体制へ諂うようになり、2・27理事会で周囲の理事の支えが会って辛うじて八木体制を粉砕したかに見えたのも束の間、種子島氏ともどもフジサンケイグループの軍門に下りました。
3.5関東評議員有志の前での「評議員軽視」の不用意な発言は、すっかり別人となった氏の姿を確認した日でもあります。あくる日の3.6関東ブロック説明会での「八木氏は日本の宝」発言が象徴的です。
あれほど「八木・宮崎・事務局員」の支那詣でを非難しておきながら、その後の理事会でも深追いしない(会則20条違反として徹底糾弾しない)のは、我らにとって「変節」以外のなにものでもありません。
このことが明確にならない限り、東京支部は新体制を支持できません。(裏返せば、八木体制の残滓を刷新していただけるものと信じています)
中途半端な妥協は「支那の容喙、干渉」を招く原因となります。「つくる会会長中国反日の本丸に乗り込む」という、我らの思潮と相容れないキャンペーンを張ったフジサンケイグループとも距離を置くことも辞さない覚悟で当たっていただきたい。ダメなものはダメと。
理事の皆様には別途意見書をお送りします。
藤岡先生には、我ら支援者を値踏みするようなことはなさらず、虚心坦懐にあの夏の戦いの頃を思い出しながら、またお付き合いいただきたくお願いします。
幸い新理事の方々は、心の広い方ばかりです。どうか協力を仰いで、目標を高く掲げて新体制を確立してください。
Posted by: 中年z at 2006年05月24日 10:33
☆ ☆ ☆
●(資料4)2月1日付で空花正人氏が「全国の有志」に送ったメール
(前略)
理事会問題の早期解決を目指し、昨日有志で藤岡邸で検討会を開き、正攻法で理事会を再建させよう、そのためには、評議会を早急に召集し、会員へ事の顛末を知らせ、健全な理事会の復活を期そうと、話し合いました。
一方、私は、遠藤副会長の真意をお聞きするべく、ブログの掲示板を利用させていただきました。遠藤先生はたいへんお苦しみのようですが、一理事として、戦うという決意を表していただきましたので、しばらくは見守ることにします。
(後略)
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