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つくる会の体質を正す会
■注目の種子島経氏の特別寄稿はこちらです。(5月26日掲載)
■騒動の「構図」についての記事はこちらです。(5月10日掲載)
■騒動の「あらすじ」はこちらです。(6月6日掲載)
■「西尾幹二氏の言説の変遷」はこちらです。(6月20日掲載)
■「藤岡氏の八木氏に対する言説の変遷」は、
  (15)(6月14日掲載)、(16)(6月15日掲載)、
  (17)(6月17日掲載)、(18)(6月19日掲載)です。
■「藤岡氏の事務局員に対する文書攻撃」はこちらです。(14)(6月11日掲載)
■西尾氏に対する訂正要求はこちらです。[資料編(1)]
  (5月12日3段目掲載の記事)
■藤岡氏への再質問はこちらです。[顛末記(5)](6月4日掲載)
■鈴木氏の人物については、こちら(5月24日掲載)とこちら(7月5日掲載)です。
■渡辺記者の反論については、こちらです。(5月25日掲載)
■西尾・藤岡両氏の「謀略」の可能性の立証については、こちらです。(7月3日掲載)
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お知らせ
1.「産経新聞」に「日本教育再生機構」の記事が本日載りました。

2.扶桑社より、八木秀次氏の『Q&Aで分かる天皇制度』が7月31日に発売されます。

3.雑誌『別冊正論』第3号に、松浦光修氏の伊勢神宮についての論文が掲載されます。

                        以上
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西尾先生、「工作」はお止め下さい
【資料解説】

西尾幹二氏が「八木秀次さんとともに日本の教育再生を考える夕べ」実行委員会の発起人に送った書簡

   ☆    ☆    ☆

              平成18年7月3日

拝啓

 その後ご健勝のこととお喜び申し上げます。
 八木秀次氏の新プロジェクトの賛同発起人リストにご尊名を発見し、おそらくこれまでに起こった事柄の歴史と背景の事情を失礼ながらあまりご存知ないせいではないかと、考え「諸君」8月号の拙論をお読みいただくわけには参らぬか、などともお願いしたい気持ちでおります。

 それはともかく、彼が公安情報を持ちまわり、怪文書をとばすなどした不正に頬かむりして、綺麗事を語りつずけることを放置することは許されないように考えています。

 「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛は時間とともに次第に正体がはっきりしてきました。かつてホリエモンがフジサンケイグループに仕掛けたのと同じような「乗っとり」がその正体で、八木一派によってつくる会本体にそれが仕掛けられ、失敗におわった出来事と判定できます。

 私は内紛の当事者ではありませんが、しかし発端から立ち会ってきた目撃証人としてそう申し上げるほかありません。

 八木一派による会の制圧の目的は年輩者を排除し、つくる会をいま彼らがやろうとしている運動体に切り替え、歴史教科書を作るとしても中国の意向にあわせ、朝日新聞に迎合する内容にしようとするプランにあります。AERA(7月3日号)で八木氏自身が次のように語っています。

 「南京事件や慰安婦など論争的な問題にこだわるのではなく、もっと歴史を大局的に見たものにしたい。朝日新聞に批判されるようなものにはならないはずですよ」

 とうとう本音を語り、正体を現したのです。八木氏が理事会に一言の相談もなく昨年暮れ独断で中国社会科学院を訪問し、今後の連携を約束し、いわば中国の国家工作にはまった危うい帰結から、つくる会はかろうじて離れることができたわけですが、八木氏や新田氏がやろうとしている新しい会はこの罠にますますはまっていくでしょう。

 八木一派の怪しげな策謀を疑い、これと戦ったのは西尾、藤岡の二人なのではなく、ことに臨んで結束し、沈着冷静に判断した良識派の理事諸氏、田久保忠衛、福地惇、高池勝彦、工藤美代子、遠藤浩一、福田逸、九里幾久男、吉永潤の各氏であります。彼らが動揺せず、八木氏たちの言動はおかしい、と強い懐疑の心を持し、評決をもって一貫して排除行動をしたことこそ会を救った壮挙として賞賛されねばなりません。

 このような全体の動きにどうか公平に目を向けていただきたく、よろしくご賢察ください。

 生き残った「新しい歴史教科書をくつる会」をこれからも旧に倍してご支援賜りたく、この点もお願い申しあげます。

 雨の多い季節柄ご自愛くださいませ。
                   敬具

                   西尾幹二

                    自署

お知らせ
コメントやトラック・バックの書き込みを中止しても、今までのものはこれまで通り表示できる方法がありましたので消えません。

それから、私の文章はお仕舞いですが、必要に応じて「お知らせ」は掲示し、場合によっては、他の方の文章が載ることもあるかもしれません。

『諸君!』掲載の西尾・藤岡論文へ一言
                               新田嫁

 マチ子だか誰だかのブログにも書かれていたし、西尾さんの文章にもあったけど、うちの電話、いつも録音なんてしていないですよ。
 でも主人は百戦錬磨。公教育是正や教科書採択活動の中で、三教組、解同、民団との攻防。降りかかる火の粉を振り払いながら、生きてきました。そんな中で、電話に録音機をつけるくらいの芸当は、常に闘っている者なら考えて当然。「これは、危ない」と、思った時点で、録音くらいはするでしょう。

 それに、皇學館大学での中国交流の世話役なんてこと、してないですよ。中国との学術交流を大学が始めた頃、むしろ「慎重にすべきだ」と、言った方なんですから。でも、中国からの留学生と食事したくらいで、なんだかんだと言うのなら、言う方の心が狭くないですか。

 それと、ずっと以前、皆様は覚えていらっしゃいますでしょうか。今から二十年程前、原書房から「新編日本史」という教科書が、世に出ました。今まで自虐史観一辺倒だった中で、やっとまともな歴史教科書が出てきたと、感極まる思いでした。暗闇に一筋の光が射した感がありました。私はあの感動が、教科書運動の出発点だったのではないか、と今でも思っています。

 実は、「四人組」と言われた主人と勝岡さんは、その時、一緒に「新編日本史」の執筆校正作業に携わっていました。作業場となったマンションの一室で、お金もなく、バナナジュ-スで栄養補給しながら、ひたすら教科書の執筆校正に励んでいた、当時の大学院生だった人達。とくに、分厚い教師用指導書は、彼らの努力の結晶だったそうです。「いい教科書を世に出したい」という思いだけで集まった者同士のいまだ続く志。その深いところが、西尾さんや藤岡さんにはわからないから、生長の家だなんだかんだとむちゃくちゃなことを言い出したのかもしれません。

 確かに「つくる会」の創始者は、西尾さん、藤岡さんですが、教科書改善運動自体は、ずっと以前からあったわけです。当時の諸先生方のご苦労を、おそば近くで見聞きした主人のような人達。「つくる会」が出来た時、喜んで馳せ参じ、一会員として会の底力となる決意で、尽力しようとしたことは言うまでもありません。だんだんと仲間も増え、県下で採択に奔走したり、センター試験に大学を通じて抗議したりしていた日々が昨日のことのようです。まさか、西尾さんや藤岡さんから罵倒される日がくるなんて、夢にも思わなかったはずです。「つくる会」がおかしくなって、最も残念だったのは主人達だったかもしれません。

 扶桑社の教科書が世間の脚光を浴び、教科書問題を広く国民に浸透させた西尾さんや藤岡さんの功績には多大なものがあります。だけど、採択がなかなか思うように進まなかった結果、その原因を冷静に総括することなく、ただ、安易に「首切り」ということで、片付けようとした所に間違いがあったと思います。それからの大混乱は、周知の如くです。

 主人達は、決して会の混乱を、わざと企てたということではないし、まして、中共のスパイだとか、変質者だとか、犯罪者だとかまで、言われる筋合いはどこにもありません。教科書をよくしたい、良い教科書を広めたいという純粋な思い、そんな志を二十年以上持ち続け、常に行動してきた者達に対して、もうこれ以上の暴言は謹んで頂きたいと思います。
もう一つの「つくる会」顛末記・番外編(最終章)ー鈴木尚之氏の人物像ー
「八木の言論人生命はもうおしまいだ」「[産経新聞の]渡辺は50パーセントの確率で自殺する」。「つくる会」騒動の最終局面で、そんな「呪いの言葉」を吐き続けた人物がいました。鈴木尚之氏(現つくる会事務局長)です。
 その鈴木氏の証言を最大の拠り所として、西尾氏と藤岡氏は『諸君!』八月号に八木・渡辺批判の文を書きました。ついに、「つくる会」“呪い三人衆”そろい踏み、といった感じです。

 藤岡氏のブログ(7月1日)で、その鈴木証言が「4月30日の理事会で話したことなど」(6月10日付)と題して公開されています。もう一つの「つくる会」顛末記・番外編の最後に、それを検討して、そこから見えてくる鈴木尚之氏の人物像を再度明らかにしておきたいと思います。


一、ルールや道理ではなく、力のバランスが全てでいいのか?

 鈴木氏は、「つくる会」騒動の原因と、自分の立場について、こんなふうに書いています。
《2月27日の理事会でとんでもないことが起こった。八木副会長と藤岡副会長の両方が解任され、事態を収拾するために種子島会長が選出される事態となってしまったのだ。この混乱は、理事会の冒頭、新田理事が「藤岡副会長の除名動議」を提出したことからはじまった。あの時この動議が可決されていたら、藤岡さんは除名され、事態は全く別の方向に進んでいたに違いない。しかし「藤岡除名動議」は否決されたのである。》

《4月30日までの2ヵ月間、私は誠実に事態の解決に向けて努力を続けた。八木さんは、『諸君!』7月号のなかで、私が「『まとめ役』と言いながら実際には『こわし役』をやっていたのではないか」とか、「そもそも宮崎氏の更迭を言いだしたのはX氏(鈴木を指す-引用者)だった」などと言っているが、それは全く根も葉もないことで、何で八木さんが今になってこんなことをいうのか私は不思議な気がする。この件に関し、私には一点の曇もない。とかく人は、自分が悪くないというために他人を悪者にするものだが、八木さんも所詮は「並み」だったのかと思うと残念でならない。》

 この鈴木証言では、八木会長・宮崎事務局長解任までの鈴木氏の動きが完全に隠されています。1月の理事会決定を誠実に実行しようとする八木会長に対し、藤岡副会長は、あの手この手で会則違反の抵抗を続けました。その時、鈴木氏は、八木氏を支えるのではなく、藤岡氏に同調して宮崎氏を追い出そうとしたのです。この鈴木氏の行動が、どれほど八木氏の足をひっぱり、会の混乱を助長したことか。

 百歩譲って、「それは会の分裂を防ぐためだった」という鈴木氏の主張に嘘がなかったとしましょう。しかし、私が藤岡副会長解任動議を出さざるをえなかった理由については何ら触れていないことからも明らかなように、彼の考えにしたがえば、実力者が「俺は気に入らない」といって正式決定に実力で抵抗し、無理難題を押しつけてきたら、力のバランスを考えて妥協し、「落としどころ」を考えなければならないのです。「功労者がやったことでも、悪いことは悪い、改めて下さい、それが出来なければ罰するべきです」などというのは、世間を知らない青二才の言うことだ、というのが鈴木氏の考えです。
 したがって、彼の言う通りにすると、ルールーに則った道理にかなった組織運営はできません。彼が仲介する世界では、道理よりも力が優先され、実力者はゴネ得で、だから、内紛は永遠に収まりません。

 正邪を無視して、何でもかんでも、単なる権力闘争にしてしまい、対立者の間を往来して、これを仲裁できるのは私だけだと自分の価値を高めていく。だから、道理が支配する世界よりも、争いの巷が住みやすい。必要とあれば、怪文書を出せと、教唆することも厭わず、状況が変われば、教唆した相手を脅して妥協を迫る。
 誰かに文書を渡す時に、後から出所がわかるように、自分だけにわかる印しをつけておくなどということも、権謀術数の中で生きている人にしか思いつかないことでしょう。
 本人の内心において、それがどんなに「組織のため」でも、正直言って、私たちは、もう、そんな人間が蠢く世界はまっぴらです。

 「つくる会」の小林正新会長は、勝岡氏への手紙の中で「創業者の時代から組織の時代へ」と言っておられます(この手紙は、7月2日の「つくる会」総会で、読み上げられました)。これは種子島前会長の言葉ですが、鈴木氏は、それを受け入れず、4月の理事会を藤岡・福地両氏に有利に進めるために、預かっていた種子島会長の辞表を、事前にこの二人に横流しし、種子島氏の信頼を裏切りました。

 証言の最後で、鈴木氏はこんなことを言っています。
《私は、事務局は理事会内の党派に与すべきではないと一貫して考えている。事務局は、理事会で決定したことを誠実に、しかも熱心に実行する存在でなければならない。この考え方に立って事務局も早急に再建しなければならないと思っている。》
 「事務局は、理事会で決定したことを誠実に、しかも熱心に実行する存在でなければならない」。この言葉が偽りなのは、一月の理事会決定に対する彼の態度を見れば明らかです。鈴木氏にとっては、理事会の決定も、会長の意向も、与してはならない、他とのバランスを取らなければならい「一党派の見解」に過ぎないのです。


二、自らの生き残りがすべてなのか?

 鈴木氏は、自分の使命について、次のように語っています。
《八木さん、藤岡さんに対しては「私はどちらの味方でもありません。真ん中です。手を結んだ体制をつくることが私の任務です」と言いつづけた。私が今日までの間、一切の弁明をしなかったのは、事態が解決すれば必ず理解してもらえると信じていたからである。》

 「手を結んだ体制をつくる」のが、鈴木氏が自ら課した任務でした。彼はそれを実現できませんでした。「事態が解決すれば必ず理解してもらえると信じていた」はずなのに、事態解決に失敗してから弁明をはじめました。そして、事務局長に昇格し、事務局再建の決意表明をしているのです。

 私は男の出処進退として、彼には疑義があります。「誰かから求められたから」と、かつて藤岡氏が口にしていたのと同じ台詞で弁明されるかもしれません。「理屈と膏薬はどこにでもつく」と言います。しかし、どんなに理屈がついても、美しくない進退、見苦しい行為というものはあるものです。「美しい日本の再建」にふさわしくない人物というのもいるものです。

 ちなみに、八木氏に「結果責任」をとることを強く迫った藤岡氏が、「結果責任」をとらない鈴木氏の弁明を、ご自身のブログへ積極的に掲載されたのも不可解です。


三、「呪いの言葉」を繰り返す人物に「大義」が語れるか?

 鈴木氏は、この証言でもまた八木氏に対する「呪いの言葉」を、四回も繰り返しています。
《八木さんの言論人としての生命、学者としての生命が断たれる事態になる》
《この問題の処理を誤ればあなたは保守派言論人としての生命を失うことにもなりかねませんよ》
《八木さんの保守派言論人としての生命に関わることである》
《八木さんに保守派言論人としての未来はない》

 鈴木氏は、「つくる会」総会の翌日から、新団体の関係者や政治家筋に働きかけて、「つくる会」と新団体との「宥和」に奔走しはじめたとのことで、その理由は「大義のため」だそうです。
 鈴木氏の考えが正しかったのなら、「つくる会」を辞めたことで、八木氏は言論人生命を失ったはずです。そんな人と組むことに何の意味があるのでしょうか。
 鈴木氏が手を貸した西尾氏や藤岡氏の主張が正しいならば、八木氏は犯罪者、謀略者のはずです。その人物が立ち上げようとしている組織と提携することの、どこに「大義」があるというのでしょう。


四、あらたな連携へ

 実は、私も「大義のため」に、先日、「つくる会」の小林正新会長とお話ししました。小林会長は「あなた方とは、共通言語で話せるから安心だ」と言ってくださり、「別団体としての節度、一定の線を守りつつ、必要な事業については協力を考えて行きましょう」ということで意見が一致しました。
 私どものパーティーへも出席していただけるとのことでしたので、そのことを皆さんにお話ししたところ、それでは招待状をお送りいたしましょうということになりました。有り難いことです。

 ただし、私どもの同志を呪った人々、新しく参加を表明されている方々から嫌悪されている人々、そして、そのことに何の反省もない人々、このような人々とは、イザナギノ神が黄泉ひら坂を大石で塞いだように、話し合うことはないし、まして、手を結ぶことなど有り得ない。それが私達の一致した考えです。

 「大義、大義」と大言壮語し、大上段に降りかぶる人で、言行一致の人を私はあまり見たことがありません。そんな虚飾に満ちた言葉よりも、今、「つくる会」の中で孤立していると言われる藤岡信勝氏と、どいう状況になっても運命をともにしようとする個人としての誠実さ。あるいは、宥和のためには自己犠牲を払える勇気(藤岡氏が「宮崎の辞表をもってこい」と八木氏に迫っていたころ、鈴木氏は、大義のため、会の分裂をさけるために、辞任するように宮崎氏に勧告したそうです)。その実践を私達は望んでいるのです。


 これで、私の文は終了です。ただ、ブログを書いている間、もっとも熱心な読者の一人であった家内が、私にも一つけだけ言わせて欲しいと言って書いた文章がありますので、それを掲載して最後にしたいと思います。

 それでは、読者の皆様、短い間ではありましたが、本当にありがとうございました。


【お知らせ】

 このブログは、記録として残しますが、7月10日(月)以降は、新たな書き込みはできないようにします。そうすると、これまでのコメントやトラック・バックは表示できなくなりますので、必要な方はそれまでに各自で保存してください。
 なお、「つくる会」騒動に意義深い考察を加えて下さっている他のブログとのリンクは保ちたいと考えておりますので、この記事のトラック・バックだけは開けておきますので、ここに書き込んで下さい。ただし、取捨選択いたします。

西尾・藤岡両氏が言及を避け続けた「謀略」文書ー両氏の「謀略」の可能性を立証ー
【資料解説】

 西尾氏は4月19日のブログに「八木秀次氏の犯罪の可能性を立証」という副題をつけておられます。その顰みにならって、ついに公開することになってしまった決定的な資料の副題を「両氏の『謀略』の可能性を立証」としました。


●(資料1)2月23日付「謀略」文書

 この資料は、冒頭の記述から明らかなように、2月23日、つまり、八木会長・宮崎事務局長解任劇がおこる2月27日の理事会の直前に、「つくる会」評議員各位に宛てた文書です。

 西尾・藤岡氏らが騒ぎ立てた「怪文書」は、4月30日理事会における種子島氏の証言ではっきりしているように、3月28日の理事会決定に何の影響も与えませんでした。藤岡氏が副会長に復帰できなかったのは、ひとえに彼の人格が、会長からも、その他の理事からも評価されていなかったからにすぎません。

 ところが、この2月23日付「謀略」文書は、まさに、1月16日の理事会決定を非合法的に覆すために、西尾・藤岡両氏が歪曲された情報を理事会外に持ち出したのと軌を一にしており、内容から見て、2月27日の八木会長・宮崎事務局長解任劇のための地均し、事前説明、を目的としたものであり、その後に大きな影響を与えたことは否定できません。

 しかも驚くべきことに、その内容は、3月7日以降に西尾氏が言い出した「クーデター物語」(新田発言、生長の家云々、八木訪中など)を先取りしているのです。こんな主旨の文を、これだけ大量に、しかも詳しく書けるのは、第一に西尾氏、次に藤岡氏、あるいは両氏のどちらかから言い含められて資料提供を受けた西尾・藤岡信者以外には考えられません。


●(資料2)尾形美明氏からの「つくる会」事務局への送り状

 この資料は、尾形美明氏が、すでに出回っていた上記の「謀略」文書を「つくる会」事務局のウェッブ・マスターに(つまり、事務局宛に)送ってきた時の送り状です。
 そこに添付されていた茂木氏と篠原氏宛のメールの日時、及び「内容はほぼ藤岡先生のご説明通りです」という文章にご注目下さい。この日付は、西尾ブログに「『つくる会』顛末記」がはじめて掲載された日と同じです。しかも、その「『つくる会』顛末記」の内容とほぼ一致する「謀略」文書の内容(私が言ったという言葉も同じ)は、それ以前に藤岡氏が尾形氏らに話していた内容ともほぼ同じだというのです。ということは、西尾・藤岡氏が意思統一をし(つまり「共同謀議」をめぐらし)、その統一された虚偽の「物語」を自ら書くか、第三者に書かせない限り、この「謀略」文書の作成は不可能だということです。


●(資料3)西尾ブログに投稿された「中年z」氏の書き込み

 それでは、(資料2)にある「藤岡先生のご説明」とは、いつのことだったのでしょうか。それを推定する根拠を示してくれているのが、西尾ブログ「続・つくる会顛末記(一)」に書き込まれた「中年z」氏(松本謙一評議員によれは、「中年z」氏とは、東京支部会員の空花正人氏だそうです)のコメントです。

 これによれば、1月16日理事会後、1月31日に開かれたという「江戸川橋会談」なるものが、それなのでしょう。


●(資料4)2月1日付で空花正人氏が「全国の有志」に送ったメール

 この「江戸川橋会談」(藤岡氏邸会談)の中身を明らかにしてくれているのが、空花氏が2月1日付で「全国の有志」に送ったメールです。
 ここでは、1月16日の理事会決定を非合法的に覆すために「評議会」を利用することが話し合われたとのことです。この策略は、(資料1)の2月23日付「謀略文書」を「評議員各位」宛てにしたのと同じ手法です。

 以上、(資料1)~(資料4)によって、八木会長・宮崎事務局長解任劇は、まず事前に、西尾・藤岡両氏が「共同謀議」をめぐらし、ついで、意思統一された虚偽に満ちた物語を載せた「謀略」文書を予め流して地均しをし、解任劇の後で、西尾氏がブログに「謀略」文書の内容と一致する文を載せて仕上げる、という手順で進行したことが明らかとなりました。ここに私は、物語創作=西尾幹二氏、指揮監督=藤岡信勝氏という「謀略」の「可能性を立証」し得たと確信します。


 西尾氏は『諸君!』で、私たちの新団体に集う人々に対して、「犯罪や不正に手を染めた人間を追い掛けるほどに閑と財を持て余している世の人々の度量の宏さにただ驚嘆措く能わざるものがある」と書きました。藤岡氏は「支持者は将来後悔することになろう」と書きました。恐ろしい「呪いの言葉」です。
 しかし、今や、この「呪い言葉」は、そのまま両氏や両氏の信者のもとに跳ね返り、降り懸かろうしているのではないでしょうか。


*注目箇所は、赤字に変えました。


   ☆    ☆    ☆

●(資料1)2月23日付「謀略文書」


「つくる会」評議員各位

「つくる会」の混乱を検証する ―複数の関係者に取材してー
                         2006年2月23日
                         つくる会 一会員

◆◆ きっかけは宮崎正治事務局長の更迭問題らしい ◆◆
1. 発端は教科書採択戦を通じて、宮崎氏氏の事務局長としての能力が、中心的幹部数名から大いに疑われたことにあるようです。
採択戦の最も熱い所で会員からの再三の運動支援に関し、「静謐に」の掛け声をいいことに、彼は不作為を決め込んだのです。採択運動に関してはきわめて消極的であり、独自のアイデアも無く、与えられた狭い範囲の「シンポジウム・ビジネス」、冠婚葬祭業務にかまけていました。事務局員の統率もできませんでした。

2. 9月17日に開かれた全国活動者会議の少し前に、八木会長自ら宮を決定し、その急先鋒を演じ、その夜懇親会の後で宮崎氏に引退を促しました。しかし宮崎氏は猛反発したのです。そこで執行部は彼を解雇するでもなく、名誉を重んじた形で事務局に残すことを考えました。彼は書類作りには長けていたので内局を任せ、一方弱点であった外交戦略面を強化するべく、10月初旬に新たに濱田實氏を事務局次長に迎え入れました。

3. その間コンピューターによる「会員管理システム」の不調が続き、担当するMさんが再三宮崎事務局長に善処を求めていたのですが、これといった対応をとらないままで来るといういきさつがありました。10月4日いよいよ恐れていたシステム故障が生じ、保守を依頼したのですが業者は年内の修理は行えない旨の返答が来るだけでした。Mさんは八木会長に相談したものの宮崎氏から問題なきがごとくの説明を八木氏は真に受け、曖昧な対応であったそうです。切羽詰ったMさんは藤岡信勝副会長に辞職を示唆しながら、窮状を訴えました。

4. コンピューター・システムの不備に関しては、平成14年、それは坂本多加雄氏が亡くなったころでしょうか、富樫信子監事が指摘し、西尾幹二名誉会長も追及したことがあったのですが、黙殺されていました。
担当の種子島経理事は宮崎氏にくれぐれも事務局長が全責任を負って改修を図るように、さらに個々のオペレーターのわがままな要求を出させないようにと厳命しました。
しかしその通りにはならず改修に逐次費用が投じられていきました。コンピューター会社に必ずしも責任はなく、古いシステムの上に新しいシステムを次々と加えるよう要求したため費用がどんどんかさみました。開発は再改修の段になってもオペレーターの意見を際限なく聞き入れ、その都度仕様書もないまま改修を加えていくという、杜撰極まりないものでした。開発責任者不在で、コスト、工程管理、納期、瑕疵担保責任などの不明朗な開発であり、最後に1700万円の支払が求められました。     【資料 A】

5.10月28日の理事会で、「事務局再建委員会」を結成することが議決され、遠藤浩一副会長を含む幹部が改めてシステム問題の事情聴取を開始しました。調査の結果明らになったことは、そもそも初めから相見積もりがなされておらず、口約束のような私的関係で開発が進められたこと、価格は最終的に1000万円に妥結したこと、保守契約は書類の上で為されていてもコンピューター会社がその契約を承認していないという玉虫色の契約であったためトラブル続きを誘発したこと、などです。このように宮事務局長の失策が判明し、彼の降格処分が議題になりました。
執行部は11月12日付で「執行部告知」をもって、会員管理システムの実務上の責任者としての宮崎氏の次長降格処分を決め、さらに執行部の理事と名誉会長が100万円の罰金を払うこととし、11月18日の緊急理事会に諮りました。

6. その後の12月12日に、内田智、勝岡寛次、新田均、松浦光修、の4人の理事が「抗議声明」を発表しました。    【資料 B】
さきの事情聴取を「査問」と言い換え、「まるで東京裁判だ」「南京大虐殺のようなデッチアゲだ」とまで言い募りました。彼らは日本会議事務総長の椛島有三氏、日本政策研究センター所長の伊藤哲夫氏らに泣きつき、宮氏処分問題をもみ消しにかかったのです。肝心の宮氏は一向に謝罪をせず、「システム問題に関して、自分は悪くない」と開き直る有様でした。宮崎氏は余勢を駆って、「俺を首にしたら神社や日本会議、キリストの幕屋などが金輪際つくる会には協力しないぞ」と恫喝までするに至ったそうです。     【資料 C】

7. 年が改まった1月16日開かれた理事会には、システムを長い間使ってきたオペレーターのMさんはじめ、つくる会事務局スタッフも陪席しました。
かねて富樫監事は「システム問題」に関する所見を理事に配布していましたが、勝岡理事が独断で事務局員にまで配布していたため、西尾氏が「信義違反である」と一喝するという一幕もありました。新田理事は「名誉会長がなぜこの場にいるのか。理事ではないではないか」と、名誉会長の理事会参加は既定確認事項であるにも拘らず無礼な発言をしました。
 この場でMさんは沈黙し、八木会長、遠藤・福田副会長、藤岡副会長も要領を得ない発言で終始。四人組の勢いはいや増すばかりであったそうです。とくに八木会長は当初宮氏更迭で自ら動いたにもかかわらず、西尾氏を弁護しないばかりか「藤岡・西尾とは違って、自分は宮崎の解任を意図していなかった」と突然今までの自分の主張とは正反対のことを発言する始末。事務局再建委員の遠藤副会長はしらけ、藤岡副会長も八木会長の変節をそれ以上責めませんでした。この日の理事会には珍しく伊藤哲夫氏が顔を出していたそうです。おそらくは八木会長が招聘したのであろうと思われます。
だれもいざとなると発言を控えるのは、何か集団意志の力、見えざる力に動かされているのでしょうか。個人の立場で行動する真正保守の人々は無力です。
次の日西尾名誉会長は会を永遠に去り、福田、遠藤、工藤の副会長三名が、八木会長に副会長の辞表を提出しました。

◆◆ 4理事の行動の背景には何があるのか ◆◆

内田、勝岡、新田、松浦の新任理事が四人そろって、なぜ宮崎氏を擁護するのでしょうか。
その背景を探ると、みんな昔の仲間だったのです。生長の家の保守運動仲間であり、後に「全国学生連絡協議会」という組織を作った関係者であったようです。それは昭和44年のころ結成されました。 参加者には一水会の鈴木邦男氏、日本会議の椛島有三氏、それからつくる会の関係者の高橋史朗氏、新田均氏、伊藤哲夫氏、内田智弁護士、勝岡寛次氏 などが名を連ねていたとか。若い松浦理事は新田氏の引きでしょう。なるほどみんな昔の仲間であったわけです。

しかし会員管理システムの問題や教科書採択戦において、宮崎氏の取り続けてきた曖昧な態度や事務能力不足など、身近なところでこれを見てきた中心の幹部、執行部が、宮崎氏のこれ以上の留任は認められないと判断したことに対して、余り経緯を知らない新任の理事達はもっと謙虚であるべきではないでしょうか。昔の活動仲間を擁護する一点で徒党を組み、執行部方針に異議を唱えるに留まらず、温厚な理事達に暴言を吐くのは全くもって「つくる会」の健全な運営に支障を来たすものです。
四理事の公私混同は戒めなければなりません。
八木氏は指導力を発揮するどころか形勢眺めで、四人組にとってまるで帽子の立場です。



◆◆ 今後の問題はどう考えたらよいか ◆◆

(1)三副会長の辞任
  理事会が終わった翌日、福田逸、遠藤浩一、工藤美代子の三副会長は辞表を八木会長に渡しています。八木会長の前言をひるがえす無責任な腰のふらつきに抗議してと思われます。
それを八木会長はしばし隠して預かっていました。1月末に発行された機関誌『史』1月号に掲載されたのは西尾名誉会長ただ一人の勇退についてだけでした。三副会長の辞任は会員へ秘匿されていました。
あちらこちらから情報が動き出し、隠しきれないと見るや、ようやく「つくる会FAX通信165号(2月10日付け)」で、三人の副会長の辞表提出を発表しました。しかしこれは正常なルートでは流されてはいません。一般公開もされていません。内容たるや、三人が何故辞めたか、つまり八木批判という意味は伏せられています。富樫監事も辞表を八木会長に預け、1月末に退職しました。いずれも秘匿されています。八木氏は、事務局を私兵のように使って、自分たちに向けられた批判は全部隠して押し切ろうとしているのです。 【資料 D】
社会的常識人による業務監査体制が崩壊しかかっています。このことをもってしても、現八木執行部体制の機能不全を指摘することが出来ましょう。

(2)会員管理システム
 システムオペレーターのMさんは、とうとうコンピューター・システムの維持管理に希望が持てないことかから、適切な対応をとろうとしない宮崎事務局長に対し1月16日に辞表願いを出し、予告期間満了となった2月3日退職しました。 いまさら急に臨時担当者を決めてもシステムはどうにもならないでしょう。
コンピューターシステム改修の為に、富樫監事は2社、濱田事務局次長も1社検討に加え、相見積もりを計画していますが、この改修費用は今では約300万円であって、これまでのシステム改修に要した1000万円に比し、いかに低価格かが理解できましょう。一体会員の浄財をこんなことで無駄に消費して良いのでしょうか。曖昧に内部処理されてきたシステム改修問題について、ここは一切のしがらみを断つべく、屋上屋を重ねる愚を避け、全く新しい既存のソフトを購入するべきです。
本件業務上のトラブルの全責任は八木会長にあります。彼の当初からの認識の幼さ、行動の鈍さが災いしました。成り行き次第でどうとでも態度を変えるような、右に左に揺れる八木会長には十分反省し、不明を詫びていただきたいと思います。

(3)八木会長の中国訪問の疑念
 3副会長が辞任した最大の理由はなんでしょうか。
それは『正論』三月号に見ることができます。そこには
・・・・・つくる会会長、中国「反日の本丸」に乗り込む・・・・
の大見出しが踊っています。
八木氏はつくる会事務局職員有志の観光旅行に同行する形で、盧溝橋、南京の一連の反日施設の見学をしました。プライベート旅行といいながら、初日に中国社会科学院日本研究所を訪ね、所長以下と会見をしていることが、いかにも不自然ではないでしょうか。
八木氏自身、「お招きいただいた」ことに謝辞を述べています。
『正論』編集部記者が同行し、他ならぬ宮崎事務局長を伴っています。
常識的に見れば、あの国への訪問が、お膳立ても無く、非公式・プライベートな物見遊山であるわけがありません。
最も不審を抱かせることは、こうした中国訪問が四副会長には事前に知らされていなく、もちろん理事会承認もない、会長の独断専行であった点です。この件こそ、三副会長が辞表を叩きつけた最大の理由です。
『正論』に掲載された文章は、まさに日本国内で散々見聞きする中国共産党の政治宣伝ばかりであり、八木氏が誇らしげに「訪問して初めて知った」(『史』1月号)情報では決してありません。完全に相手に利用された形です。

(4)今後の会の運営
 西尾幹二=藤岡信勝氏の指導なき「つくる会」は、考えられません。
 しかし、西尾氏はつくる会から身を引き、それを待ってましたとばかりに、宮崎事務局長応援団は、八木会長を盛り立てて藤岡副会長バッシングを行っています。西尾氏の後押しなき藤岡氏は孤立しているのが現状です。

藤岡副会長は宮崎事務局長のみの処分で八木会長と手を組むつもりなのでしょうか。しかし辞任した三副会長の支持は得られないでしょう。沈黙を守る残りの理事達の去就にかかっています。
さて、2月27日の理事会で如何なる決着がつけられるのでしょうか。

評議員の皆さん、「つくる会」運動の初心に立ち返り、できるだけたくさんの子供たちにより良い教科書を手渡すためにはどういう組織が必要かをご一緒に考えてください。

以上


   ☆    ☆    ☆

●(資料2)尾形美明氏から「つくる会」事務局への送り状

From: 尾形美明
To: つくる会
Sent: Wednesday, March 08, 2006 9:30 AM
Subject: Fw: 問題の経緯

つくる会御中

 「関東ブロックの説明会」の早期開催ありがとうございました。
こうした混乱時には内外から色んな怪文書も飛び交いますので、直接説明する機会を儲ける事が大切だと思います。
その直接の説明会で、あれほど懇切丁寧な説明がなされても、一部の方からは、「一体、この人達は説明を聞いていたのか?」と思うような質問や意見が出ます。

中には、会の混乱を一層煽ろうとする輩や、現執行部に対する敵愾心を持つ連中もいるのでしょうが、それは止む終えない事かと思います。
「解任された副会長が、規約にもない会長補佐などいう肩書きで執行部に入っている」
「種子島会長は組織を再建したら早期に退任したいと言っている。その後の会長就任を狙っているのではないか?」などという露骨な藤岡先生への攻撃的意見も出ていました。
こういう人達は、「つくる会」がどういう経緯で生まれ、西尾先生、藤岡先生(それと亡くなった坂本先生)がどのようなお気持ちで、どのようなご苦労をされて、この会をここまで持ってこられたかを全く理解していないのだと思います。或いは、承知の上で会の混乱を狙っているのでしょうか。

いずれにしても、「つくる会」は日本の教育正常化運動の中心であり、シンボルであります。
いや、それに留まらず日本人の精神再建運動の核心でもあります。
それだけに、この会は社共、朝日、日教組などの反日日本人と中国、北朝鮮など敵性国家の目の上のコブです。彼らが、この会を何とかして混乱させたい、出来れば潰したい、と虎視眈々と狙っていることは間違いありません。そういう視点から考えますと、昨年の八木訪中旅行はまさに、中国の狙い通りの結果を出したわけです。これほど早期に、しかもこれほど大きな破壊的効果をもたらすとは彼らも予想していなかったのではないでしょうか。それだけに、彼らはお腹を抱えて大笑いしていると思います。それと関連して、やはりこの旅行を計画した人物の中には中国のエージェントと化した者がいた可能性が高いように思います。これは被害妄想ではなくて、中西先生がご指摘のように、中国の諜報活動の日本国内での広がりと浸透度を考えますと、決して妄想とはいえないような気がします。

いずれにしましても、私たち一般会員は種子島会長の「とにかく、この会を潰してはならない」というお気持ちは十分に理解し、指示します。それどころか、「どうか潰さないで下さい」「大変でしょうが、会の運営が再び軌道に乗るまで頑張って下さい」と心底よりお願いします。そのことは、あえて渦中の栗を拾われて、ご苦労なさっている藤岡、福地両会長補佐の先生方に関しても全く同様であります。「どうか、ご苦労ですが会長を支えて会を再建した下さい」という気持ちで一杯です。

以上、説明会に出席しました一会員のお礼とお願いであります。
添付文書は、既に入手されていると思いますが、こういう文書もございます。

尾形拝

----- Original Message -----
From: 尾形美明
To: 茂木 弘道 ; 篠原 寿一
Sent: Tuesday, March 07, 2006 10:36 AM
Subject: 問題の経緯

茂木・篠原様

 昨夕はご苦労様でした。
添付の如き資料が入っていました。内容はほぼ藤岡先生のご説明通りですが、ただ一点、伊藤哲夫日本政策研究センターの立場についての記述が気掛かりです。真相は分りませんが、伊藤氏や産経新聞が対応を誤らないで欲しいと思います。
彼らが、この問題で判断を誤っておかしな行動をすると、日本の真の保守の再建に大きなダメージを与える恐れがあります。

尾形


   ☆   ☆    ☆

藤岡先生が「変節」したのではない、「心が不安定」なのだ、と仰る西尾先生のご所見ですが、私共東京支部の面々ならびに首都圏評議員有志は首肯できません。
確かに藤岡先生はある種の躁鬱状態なのかもしれませんが、心の変遷が私の記録にあります。

1.10池袋会談、1.16理事会、1.31江戸川橋会談までの強気の攻めの姿勢が、2.2執行部会で八木・宮崎側の反撃に遭うや腰砕けになり、周章狼狽したあげく、杉並採択戦で闘った支援者まで猜疑心で見るようになりました。あとは人が変わったように八木体制へ諂うようになり、2・27理事会で周囲の理事の支えが会って辛うじて八木体制を粉砕したかに見えたのも束の間、種子島氏ともどもフジサンケイグループの軍門に下りました。

3.5関東評議員有志の前での「評議員軽視」の不用意な発言は、すっかり別人となった氏の姿を確認した日でもあります。あくる日の3.6関東ブロック説明会での「八木氏は日本の宝」発言が象徴的です。

あれほど「八木・宮崎・事務局員」の支那詣でを非難しておきながら、その後の理事会でも深追いしない(会則20条違反として徹底糾弾しない)のは、我らにとって「変節」以外のなにものでもありません。

このことが明確にならない限り、東京支部は新体制を支持できません。(裏返せば、八木体制の残滓を刷新していただけるものと信じています)
中途半端な妥協は「支那の容喙、干渉」を招く原因となります。「つくる会会長中国反日の本丸に乗り込む」という、我らの思潮と相容れないキャンペーンを張ったフジサンケイグループとも距離を置くことも辞さない覚悟で当たっていただきたい。ダメなものはダメと。

理事の皆様には別途意見書をお送りします。
藤岡先生には、我ら支援者を値踏みするようなことはなさらず、虚心坦懐にあの夏の戦いの頃を思い出しながら、またお付き合いいただきたくお願いします。
幸い新理事の方々は、心の広い方ばかりです。どうか協力を仰いで、目標を高く掲げて新体制を確立してください。

Posted by: 中年z at 2006年05月24日 10:33


   ☆    ☆    ☆

●(資料4)2月1日付で空花正人氏が「全国の有志」に送ったメール

(前略)
理事会問題の早期解決を目指し、昨日有志で藤岡邸で検討会を開き、正攻法で理事会を再建させよう、そのためには、評議会を早急に召集し、会員へ事の顛末を知らせ、健全な理事会の復活を期そうと、話し合いました。
一方、私は、遠藤副会長の真意をお聞きするべく、ブログの掲示板を利用させていただきました。遠藤先生はたいへんお苦しみのようですが、一理事として、戦うという決意を表していただきましたので、しばらくは見守ることにします。
(後略)
もう一つの「つくる会」顛末記・番外編ー「怪文書」問題をめぐる私と藤岡氏とのやりとり関係資料ー
「もう一つの『つくる会』顛末記」を閉じるにあたって、「これからも、必要に応じて、お知らせなどを掲示することがあるかも知れません」と書きましたが、残念ながら、「お知らせ」以上のことを掲示する必要が生じてしまいました。西尾・藤岡両氏、いわゆる「呪い仲間」が、ひどい相互不信を見事に乗り越えられて、本日発売の『諸君!』誌上で、八木、新田、渡辺批判のために、再びタッグを組んだのです(西尾氏2段組み・10頁、藤岡氏3段組み・5頁、という配置を見ると、親分・子分の関係になったと思われる方もいるでしょう)。そこで、新たな資料を提示する必要が生じてしまったわけですが、私が西尾氏なら、「バカバカしいことから離れたいと思っているのに、後から後から追いかけてくるのです」と言い訳するかもしれません。

 本日、ご紹介する資料は、「怪文書」問題をめぐる私と藤岡氏のやり取りを中心としたものです。以前から公表できるように書き上げてはあったのですが、藤岡氏に対する私の言葉がかなりキツイので、公開することを控えていました。しかし、『諸君!』執筆の目的は、「怪文書」問題を強調し、それによって、それまで自分達がなしてきたあらゆる悪行に対する「免罪符」を手に入れることにあるようですし、このブログの読者の中にも、この問題についての私の詳しい見解を聞きたいという方がおられましたので、公開に踏み切ることにいたしました。
 なお、資料解説の後に、『諸君!』の両氏論文に対する私の簡単な批判を書き加えました。


【資料解説】

●(資料1)「怪文書」問題をめぐる私と藤岡氏とのやりとり

 4月16日の日曜日の朝、とつぜん自宅の電話か鳴り、藤岡氏からファックスが送られてきました。最初に目にしたのは家内でした。少し青ざめた顔で「あなた、藤岡先生からの宣戦布告よ」といって私に渡したのが、最初の資料です。それから、しばらく藤岡氏とファックスでのやり取りが続きました。
 私は藤岡氏の質問に誠実に答えたのですが、藤岡氏は私の質問に全く答えてくださいませんでした。

 ちなみに、三回も同じ文書を送り続けるという行動パターンにゾッとするのは私の家族だけでしょうか。私が西尾さんだったら、「脅迫だ!脅迫だ!」と大騒ぎしていたことでしょう。


●(資料2)平成18年3月10日付「第4回評議会及び全国支部長会議(合同会議)御主席の皆様へ」(拙文)

 3月11日に全国から集ってこられた評議員・支部長の方々に、私なりの見方で八木会長解任劇の深層を御説明した文書です。西尾・藤岡氏と同様、私も種子島氏の人間性を見誤っていた頃の文章ですので、種子島氏についての部分は、何度も申し上げたことですが、お詫びしなければなりません。ただし、歴史を改竄するわけには参りませんので、私の不明は不明として残し、訂正したり、削除したりせずに、そのまま載せました。

 この資料の赤字の部分について、「何度も会への関わりを否定していた西尾氏が、裏で八木氏解任の糸を引いていたというのは本当なのでしょうか」と質問してこられた方々がおられ、その人々に証拠として、私は「西尾・藤岡メール」を示したわけです。


●(資料3)4月10日消印の「八木氏を誹謗した怪文書」(抄出)

 4月10日「国分寺」の消印で松浦氏宛に送られてきた、八木氏を誹謗する「怪文書」です。私はこれを「つくる会」本部にファックスで知らせました。4月30日の理事会では八木氏自らが問題として言及しました。しかし、無視されてしまいました(この怪文書と同一のものかどうかは分かりませんが、中西輝政氏のところにも八木氏を中傷した怪文書が送られたそうです)。
 種子島氏によれば、4月13日、丸の内ホテルのロビーで、藤岡氏と福地氏は八木氏のつるし上げをはじめようとし、止めようとした種子島氏に対して、福地氏が「お前も同罪だ! 帰るなら帰れ!」と大声で怒鳴ったといいます。これについて、種子島氏は「八木さんのプライバシーへの配慮など皆無」と書いていますが、いくら八木氏が『反人権宣言』の著者であるからといっても、ここまで彼の「人権」を無視するのは、少し酷すぎます。
 西尾氏や藤岡氏が言えば、それは「怪文書」であり、「脅迫」なのに、八木氏や私に対してはやりたい放題、したい放題、そして無視。それでは余りに不公平でしょう。


●(資料4)2月27日の理事会に私が提出した動議

 藤岡氏や西尾氏らによって、理事会内の議論が一方的な形で外に持ち出されたり、会長に対する根拠のない悪宣伝が行われたり、会長権限を侵す行為が横行したりという状況を、なんとか理事会の力で改めるために、会則第8条および第20条に基づいて私が提出した動議です。しかし、この動議は否決され、理事会自らが、内部情報の流出について、ルール無用の状態を容認することになってしまいました。

 ことここにいたって、私も理事会外へ情報を公開して、弁明に務めざるを得なくなり、支部長の方々に事情説明の文書を作成して配布することにしました。しかし、その後でも、理事在任中は、内部情報の発信についてはできるだけ範囲を限ろうと私は努めました。
 他方で、西尾氏や藤岡氏はブログでところまわず、全世界に、虚偽をたっぷりと混ぜた内部情報を垂れ流すという行為を繰り返したわけです。しかし、もはやそれを止める理事はいませんでした。藤岡氏にいたっては、会長に無断で(まして、その他の理事の許可を得ることはなく)、理事会の録音を渡辺記者に聞かせるなどという行為に及びました。

 このような両氏の行為に対抗するために、私が理事辞任後にブログを立ち上げ、広く事情説明をせざるをえなくなったことについては、皆様ご承知の通りです。
 それにしても、2月の理事会の時点で、もう少し他の理事に先見の明があり、藤岡氏や西尾氏に対して、軽い処分でも出来ていたら、こんな事態にはならなかったのではないか、そう思うと残念でなりません。

 ここで、「怪文書」問題についての私の考えを申し上げます。第一原因は、八木氏や宮崎氏や私たちを貶めるために、西尾氏や藤岡氏が理事会内の情報を虚実とりまぜて外部に流したことです。そして、決定的だったのは、そのような状況が明らかなのにも関わらず、理事会がそれを放置し、情報に関する無政府状態を容認してしまったことです。

 4月30日の理事会で、藤岡氏と福地氏は「怪文書問題」なるものについて、会則第20条も持ち出し、八木氏と私の責任は免れないと勝手に断定した上で、「理事会と会員に対し、事実を認め、心から謝罪するなら、すべてを水に流して、大義のために、会と会員と国民のために、手を結びたい」と述べて、自分たちの寛大さを演出しようとしました。自分たちはやりたい放題で、会則を空洞化させた挙げ句、可哀想な被害者を装って、他人に対してはその遵守を求める。常識ではもはや理解できないこの言動を、他の理事たちがそろって受け入れている姿を前にして、私にはもはや退会以外の選択肢はありませんでした。


【『諸君!』について】


1.西尾論文について(《》内は西尾氏の文章)

 ①西尾氏は、冒頭で、《八木氏のやったのもクーデター》と書いています。つまり、会長には実権がなく、西尾氏の「院政」だったことをはっきりしと認めておられるわけです。

 ②.西尾氏は《周知の通り私は一月十六日の理事会で、「お前はなぜそこにいる」という意味の重ねての無礼な反乱側の挑発に腹を立て、名誉会長の称号を返上した》と書いています。「周知の通り」というのですから、今まで通り、「新田が言った」というのかと思いきや、「反乱側の挑発」と、発言主体をごまかす姑息な論法に切り替えています。
 私の反証に追い詰められた結果、「新田は言わなかったかもしれないが、仲間が言えば同じことだ」と弁解したかったのでしょう。これは、ユダヤ人をガス室送りにした、ユダヤ人であることそのものが罪なのだというナチスの「集団の罪」論に西尾氏が与したことを意味しています。「四人組」「生長の家」「神社右翼・宗教右翼」などという言葉を使い出した時点で、私は西尾氏の思考に、この「集団の罪」論の臭いを感じとっていましたが、今回の論文で、いよいよそれが明瞭になりました。

 ③.西尾氏は、私を《「自閉的右翼」》と決めつけ、《自分にかかってくる電話をすべて録音するという新田均氏》と書いています。「すべて録音するという」というのは誰の、どれほど確実な証言なのでしょうか。はっきり言いますが、私は他人からの電話を無闇に録音するほど暇人ではありません。
 ただし、「平気で嘘をつくような人間と大切な話をする時には、記録をとらなければいけない」と、長年、日教組と戦ってこられた名誉教授から教わりましたので、それを素直に実践しているのは事実です。そして、確かに、西尾先生との会話の記録もありますし、理事会の記録も全部もっています。
 『諸君!』編集部から確認のための電話があった時には、「証拠はありますから、お送りしますよ」と申し上げました。「そこまでの必要はありません」ということでしたので、信用して安心していたところ、こんなことになってしまいました。こうなってみると、ちゃんと説明したのに、証拠の確認を怠った編集部の手落ちは免れないところでしょう。

 ④.それから、西尾氏は「つくる会」騒動とは何の関係もない私の勤務大学に言及して、次のように書いています。《彼の勤務大学は中国社会科学院と交流契約を結び、彼自身が中国人留学生の世話係を担当している。誤解され易い、危ういポジションである。》
 こんなことを書くのは、私の勤務大学に動揺を与えて、私を困らせようという魂胆なのでしょう。西尾氏は、老獪に振る舞ったつもりなのでしょうが、ここでまた決定的なミスを犯してしまいました。私が「中国人留学生の世話係を担当している」などという事実はないのです。この虚偽は決定的です。私個人の名誉を越えて、勤務大学の名誉に関わることですから、それなりの対応を考えなければならないでしょうし、そうなれば、私個人の訂正要求同様に無視する、というわけにはいかないと思います。

 ⑤.以上のような古い虚偽と新しい虚偽をブレンドした西尾論文の結論は次のようなものでした。
《つくる会がなぜ分裂したのか究極の理由を判断するにはまだ時間が少なすぎるかもしれない。なにか外からの強い力が働いた結果という印象を多くの人が抱いていると思う》
さんざん「怪しい、怪しい」と騒いだ挙げ句の結論が、「~という印象を多くの人が抱いていると思う」?! しかも、6月13日の西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (七)の1」では、この後に「一つには旧『生長の家』系の圧力の介入があった、という推論を先に述べたわけですが、それは今までの仲間との癒着の油断であって、分り易いので目立っただけで、本質的な変化を引き起こしている原因ではないかもしれません」という一文が続いていたのですが、それをそっと引っ込めています。
 そして、決めの文句がこれです。
《藤岡氏の党歴に関する怪文書の最初の作成者はいまだ未知のままである。》
 読者をおちょくるにも程がある!!! と感じるのは私だけでしょうか。


2.藤岡論文について

①.西尾論文でもそうなのですが、新たに出してきた証拠というのは、鈴木尚之氏の証言です。鈴木氏は、この度めでたく「つくる会」事務局長に就任されるとのことですが、彼がどのような人物なのかについては、私が5月24日のブログ「もう一つの『つくる会』顛末記(4)」で書いておりますので、そちらを御覧下さい。

②.藤岡氏は《八木氏も渡辺氏も、この私の文章に文句があるなら、公開の場で対決討論を求めたい》と勇ましいことを書いておられます。しかし、私としては、「その前に、私が出した数々の質問から逃げないで、ちゃんと答えなさい」と申し上げたいと思います。

③.相変わらず、藤岡さんの決めの言葉は「恐い」です。「恐ろしい」です。「呪いの言葉」のようです。《7月27日には、賛同者多数を集めて「八木秀次さんとともに日本の教育再生を考える夕べを開催するという。支持者は将来後悔することになろう。》
 こんな言葉が、日本の保守言論を代表する雑誌である『諸君!』に掲載されるなんて!?と驚愕している読者も少なくないのではないでしょうか。


   ☆    ☆    ☆

●(資料1)「怪文書」問題をめぐる私と藤岡氏とのやりとり

新田 均 様                 平成18年4月16日

藤岡 信勝

 あなたは、八木秀次氏から、西尾幹二氏と私との間で2月3日に交わした私信のやりとり1枚のコピーを受け取り、西尾氏を脅迫するため同氏宅にファックスで送りつけたという疑惑が浮上しています。

 そこで、次の2点について質問させていただきます。

(1)あなたは、いつ、どのような方法で八木氏からコピーを受け取りましたか。

(2)八木氏によれば、この件についての問い合わせに対し、あなたは「八木君には黙っていたけれども、重要な内容が書かれていたので、かなり広範囲の人にコピーを渡した。その先のことは分からないけれども、何か悪かった?」と答えているそうです。

 この発言自体も疑わしいものですが、もし本当なら、あなたがコピーを渡したすべての人の

 ①氏名、②住所、③電話番号

をお知らせ下さい。

 上記(1)、(2)の質問に対する回答を、17日(月)午後10時までに私の自宅にファックスで送って下さい。この作業を拒否される場合は、上記の発言を虚偽とみなしますのでお含みおきください。

〈追記〉 私の自宅のファックス番号は、**-****-**** です。

                                   (以上)

    ─────────────────

平成18年4月16日
藤岡信勝 様
                             新田 均

 13時44分発信のファックスを受信しました。これが貴方の言われた西尾氏「脅迫のため」の文書でしょうか。私は、どのような人からの問いであれ、私の行動についての疑問にはできるだけ誠実に答える心づもりでおりますが、それには、それ相応の条件があります。そこで、あなたの質問にお答えする前提として、こちらから幾つかの質問をさせていただきます。

1.本日8時29分のファックス送信の時点で、あなたは「現物を見ていない。持っていない」とのことでしたが、見たこともないものについて、「脅迫するため」と判断した根拠は何なのでしょうか。西尾氏がそのように言ったのでしょうか。言ったとすれば、西尾氏は何といったのでしょう。その発言を貴方が信じた根拠は何なのでしょうか。

2.ファックスでいただいたものは、私が入手した文書とは、冒頭に「私の立場(資料4)」という文句が付されていることと、「覇権」という言葉に対して書き込まれた五行の文がない点で異なっておりますが、どちらが本物なのでしょうか。そして、念のためにお伺いしますが、そもそも、このようなメールを西尾氏が貴方に送り、貴方がそれに書き込みをして送り返したということ自体は間違えのない事実なのでしょうか。

3.貴方は、私に「脅迫」の疑いをかけておられますが、他の可能性については、どのような調査を、どの程度したのでしょうか。西尾氏の自作自演の可能性も考えられるのではありませんか。

4.私が入手した文書は、貴方が鈴木尚之氏に渡し、鈴木氏が八木氏に渡したものだと聞いています。その時、鈴木氏は「西尾・藤岡が結託して陰謀をめぐらしていた決定的な証拠だ。核爆弾だ。使い方は、自分が考えるので、他の人には見せないで欲しい」と言っていたそうです。その鈴木氏の潔白はどのようにして証明されたのでしょうか。

5.鈴木氏は、この文書の中で西尾氏から「あなたの最大の敵だ」と言われている人物です。そのような人物に対して、貴方が西尾氏との私信を開示した意図は何ですか。いつ、どこで、どのようにして渡したのでしょうか。

6.いただいた文書を見る限り、脅迫めいた文はなく、ただ西尾氏が出したメールが西尾氏の元に返っただけのように見えます。ここに何らかのメッセージがあるとすれば、二人のやりとりを第三者が知っていることを西尾氏に知らせるということくらいでしょうが、それが何故、脅迫に当たるのでしょうか。それとも、第三者に知られるだけで脅迫に当たるほど、その内容が酷いものだということをあなた方が認めたということなのでしょうか。

7.そもそも、貴方はどういう立場で、どのような権限に基づいて、私に「質問」を発信し、回答を求めているのですか。私と貴方との関係は、ともに「つくる会」の理事であること以外にありません。ですから、この「質問」は、当然に「つくる会」の理事としての公務としてなのでしょうが、対等の理事同士である貴方に何の権限があって、私に質問を発しているのでしょうか。種子島会長の命令ですか、そもそも、会長は貴方の行為を知っているのでしょうか。もし会長の許可もなくこのようなことを独断でしているとしたら、それこそ、会の秩序を乱す越権行為ではないでしょうか。

8.脅迫の被害にあったとされる西尾氏が私を問いただすのなら、まだ話は分かりますが、貴方は、どのような理由で西尾氏の「パシリ」のようなことをなさっているのでしょうか。西尾氏の日録では、貴方のことを「彼と付き合えばみんな分かっているこういう彼の性向挙動は、多分共産党歴の長い生活と不可分で、党生活が人間性、普通の良識ある社会性を破壊してしまったものと思われる」「どこまでも残留するのは、およそプライドというものを持たない藤岡氏であろう。何度も副会長を降ろされてなお辞めない。彼は教科書問題の残存する場所にひっついていなければ生きていけないからなのか。八木氏の奴隷のように扱われても、伏してお願いし、理事の末端に居残るだろう。そして最後に叩き出されるだろう」と書いています。
 私が知る限り、この人格否定にも等しい西尾氏の言葉に、貴方は何も反論しておられません。それどころか、その西尾氏を信じて、彼のために働こうとしているように見えます。八木氏に対してはとても勇敢なのに、西尾氏に対しては、まるで、彼の言葉を証明しているかのような振る舞いです。これ以上の自己否定があるでしょうか。
 貴方が、西尾氏の言葉を否定せず、彼の判断を信頼しておられるなら、私はそれこそ「藤岡氏は共産党歴によって人間性や社会性が破壊されていることを自ら認めておられる。そのような人物が理事であるのはいかがなものか」と問題にせざるをえなくなると思います。

 以上の8点について、「文書による」明確なお答えをお願いします。確認しますが、これは私信ではありませんので、私の問いも貴方の答えも、ともに公開が前提です。
 なお、私は停年退職者ように時間が自由になる身ではありませんので、そちらの都合で勝手に期限を切るなどという不躾なことは以後慎んでいただきたいと思います。

────────────────


平成18年4月17日
藤岡信勝 様
                            新田 均

〈追伸〉「疑惑が浮上しています」との事でしたが、私に対して疑惑を抱いている人の

 ①氏名、②住所、③電話番号

も合わせてお答え下さい。

───────────────

新田 均 様 平成18年4月17日

藤岡 信勝

★質問なるものをファックスで送られましたが、答える必要を認めません。改めて、以下のことを求めます。

 あなたは、八木秀次氏から、西尾幹二氏と私との間で2月3日に交わした私信のやりとり1枚のコピーを受け取り、西尾氏を脅迫するため同氏宅にファックスで送りつけたという疑惑が浮上しています。

 そこで、次の2点について質問させていただきます。

(1)あなたは、いつ、どのような方法で八木氏からコピーを受け取りましたか。

(2)八木氏によれば、この件についての問い合わせに対し、あなたは「八木君には黙っていたけれども、重要な内容が書かれていたので、かなり広範囲の人にコピーを渡した。その先のことは分からないけれども、何か悪かった?」と答えているそうです。

 この発言自体も疑わしいものですが、もし本当なら、あなたがコピーを渡したすべての人の

 ①氏名、②住所、③電話番号

をお知らせ下さい。

 上記(1)、(2)の質問に対する回答を、17日(月)午後10時までに私の自宅にファックスで送って下さい。この作業を拒否される場合は、上記の発言を虚偽とみなしますのでお含みおきください。

〈追記〉 私の自宅のファックス番号は、**-****-**** です。

                                   (以上)

     ────────────────

 平成18年4月17日付けの藤岡氏のファックスがわが家に届いた時、私は出張で東京に向かう近鉄電車に乗っていました。家内から電話が入り、どうすればいいかと問われたので、「生憎主人は出張中で、今晩はもどりません」とファクスするように伝えました。


先程faxをお送り頂きましたが、主人は生憎、出張中で本日は帰宅致しません。
不躾ながら左記、早急にお知らせ申し上げます。
                              新田内
藤岡先生
  四月十七日

     ────────────────


新田 均 様 平成18年4月19日

藤岡 信勝

 4月19日午前9時現在、私が2回にわたってお送りしたファックスの質問へのご回答をいただいておりません。
 どうしたことでしょうか。
 今後速やかにご回答がない場合、その帰結はあなたご自身にふりかかるものであることを老婆心ながらお伝えしておきます。

 あなたは、八木秀次氏から、西尾幹二氏と私との間で2月3日に交わした私信のやりとり1枚のコピーを受け取り、西尾氏を脅迫するため同氏宅にファックスで送りつけたという疑惑が浮上しています。

 そこで、次の2点について質問させていただきます。

(1)あなたは、いつ、どのような方法で八木氏からコピーを受け取りましたか。

(2)八木氏によれば、この件についての問い合わせに対し、あなたは「八木君には黙っていたけれども、重要な内容が書かれていたので、かなり広範囲の人にコピーを渡した。その先のことは分からないけれども、何か悪かった?」と答えているそうです。

 この発言自体も疑わしいものですが、もし本当なら、あなたがコピーを渡したすべての人の

 ①氏名、②住所、③電話番号

をお知らせ下さい。

 上記(1)、(2)の質問に対する回答を、17日(月)午後10時までに私の自宅にファックスで送って下さい。この作業を拒否される場合は、上記の発言を虚偽とみなしますのでお含みおきください。

〈追記〉 私の自宅のファックス番号は、**-****-**** です。

                                   (以上)

     ────────────────

平成18年4月19日
藤岡信勝 様
                             新田 均

 出張から帰り17日付け、および19日付けの貴方のファックスを見ました。自分たちが被害者であると思い込み誰かを加害者だと一方的に断定すると(誰かを加害者に仕立て上げようと決定すると?)、その相手には何を言っても、どんな要求をしてもかまわない、という左翼や中国・韓国と同様の無礼な(陰険な?)信条を貴方がお持ちであることが確認できました。今さら驚くようなことではないのかもしれませんが、しばらく運動を共にしてきた者として悲しみを禁じ得ません。

 さて、私の質問には「答える必要を認めません」とのことですが、となると、文書そのものや出来事についての真偽が不明なわけですから、それこそ、「答える必要を認めません」ということになります。しかも、貴方には、昨年12月13日の私への電話ではっきりしているように、自分のしていることを他の理事がしていることにように語って自分を大きくみせたり、多数派にみせたり、他人の陰に隠れたり、誰かに責任を押しつけたり、あるいは、相手によって会話の内容をすり替えたり、といった行動パターンがあります。ですから、「疑惑の浮上」などということも、貴方の内心のことにすぎないのかもしれませんが、私の〈追伸〉に答えていただけなかったのではっきりしません。

 ただ、私としては、貴方のファックスを受けて、独自の立場で、はっきりさせておかなければならないこと、私の内心で浮上している貴方への疑惑などがありますので、以下にそのことを記させていただきます。

一、貴方のファックスに対する私の見解

①.八木氏の言葉は、言葉たらずで、正確ではありません。私の言ったことは、次の通りです。「八木君には黙っていたけれども、[今回の一連の出来事についての私の推理を裏付ける]重要な内容が書かれていたので、[私が評議員・支部長会で配布した文書の記述内容を立証する証拠として」かなり広範囲の人にコピーを渡した。[私は学者なので、根拠のない議論はできない。逆に、『あなたの推理について疑念があるので、その証拠を示せ』と言われれば、示すのが当然だ。君との約束を破ったのは悪かったが、学者としての責務の方を優先させた。君も学者なのだから、私の立場は分ってもらえると思う。]その先のことは分からないけれども、何か悪かった?[むしろ、鈴木氏のように、謀略的に使おうとすることの方が問題ではないか。]」

②.無名または変名で根拠のない怪文書を送ったり、本人のいないところで悪評を流したり、手先を使って扇動したり、という卑怯な手法は貴方たちの手法で、私の手法ではありません。私の流儀は、個人の責任で、自分の名を名乗って、根拠を示し、本人の面前で、あるいは名指しで批判するというものです。
 なお、私の議論にはすべてメールやテープなどの物証がありますが、しかし、これまで公開したのは、そのほんの一部にすぎません。それは「武士の情け」というものです。しかし、それにも限度があるということを、ついでに申し上げておきます。

③.「西尾・藤岡メール」を私が入手したこと、それを他の人に見せたことについて、私がお二人から責められる理由はないと考えます。私は貴方たちのコンピューターに侵入したわけではありません。それなのに、二人の(秘密の?)私信が外部に洩れたのだとすれば、それは二人の内のどちらかが、何らかの思惑をもって他方を裏切ったにすぎません。それがまた、意図しない人々の手に渡ったのだとすれば、私信をばらしてしまった張本人の判断が間違っていた、思惑がはずれた(間抜けだった?)だけ、ということでしょう。


二、貴方の言動についての私の疑惑

①.貴方は、怪文書事件なるものに関して、「八木自身がやっていないとしても、八木の支持者がやっていることは間違いないのだから、支持されている八木が責任をとって会を去るべきだ」と迫ったそうですが、本当でしょうか。そうだとすれば、何故、貴方は藤岡・涛川問題の時に会を去らなかったのでしょうか。あの時、「親・藤岡」派の者たちが流した怪文書について、貴方は多くの理事から理事会の場で追求されたはずです(添付資料『新ゴーマニズム宣言』第8巻、一四二~一四三頁)。それでも、貴方は自ら会を去ろうとはしませんでした。その貴方が、八木氏に「会を去れ」、などと迫るのは「笑ってごまかす自分の問題、あくまで追求他人の問題」と言うことなのでしょうか。お笑いの世界ならいざ知らず、教育者としては、倫理的に破綻していると言わざるを得ません。ですから、前言が事実であるとすれば、手本を示して貴方がまず会を去るか、それが出来ないのであれば、発言を撤回して八木氏に謝罪すべきではないでしょうか。
 ちなみに、四月十日消印(国分寺)で「八木次期会長は統一教会ですか?」という怪文書が「会員」を名乗る者から松浦氏の所へ送られてきました。これは状況から見て、「親・藤岡」派の者が出したと言えるでしょう。

②.貴方は自分の判断能力について疑念をお持ちになったことはないのでしょうか。貴方は昨年12月13日の電話で、私に、八木氏は「リーダーシップを発揮しないと駄目ですよ」と言っておきながら、彼がそれを発揮しはじめると、「間違った声明書いた『前科』」者扱いし、ついに「辞表を送って下さい」とまで言うようになりました。ところが、八木氏を解任してみると、彼の支持者が多いことが分かり、途端に「八木元会長の名誉を回復する措置を取らなければならないと思います。八木さんは将来のある、日本の宝です」と言い始めました。しかし、怪文書問題なるもので西尾氏が騒ぎはじめると、また言うことを変えて、副会長になった彼に「会から去れ」と要求したのです。同じ人間に対する評価が、五ヶ月の間に、これだけくるくる変わってしまうのは、要するに、貴方に人を見る目がない証拠でしょう。そんな貴方が理事という重要な立場にいていいのでしょうか。

③.また、貴方は、12月13日の電話で、西尾さんが教科書改訂に不満でインターネットで大騒ぎしたことを問題として指摘されました。ところが、今回のことでは、彼のインターネットでの大騒ぎを非難しないどころか、それに同調しておられます。これはどうしたことでしょうか。これは、やはり、「党生活が人間性、普通の良識ある社会性を破壊してしまった」という西尾氏の指摘が正しいと言うことなのでしょうか。

④.西尾氏は、私たちが「共同謀議」をしていると盛んに書いています。しかし、「つくる会」における陰謀や怪文書の伝統は、私が理事になるはるか以前からありました。昭和の日本の内閣では一貫して中枢にいた人物はいませんでしたから「共同謀議」説は成り立ちませんが、「つくる会」の場合は、そうではありません。貴方と西尾氏が一貫して中心におられました。このことは伊藤隆先生の辞表からも明らかです。新人理事の中には、近視眼的にしか物が見えない方もおられるようですが、少し長い目で「つくる会」の歩みを見ることのできる人々には、正邪は自ずと明らかだと思います。

 なお、貴方が送られたファックスによって、私の家内はかなりの精神的ショックを受けたようです。しかし、この件についての「夜間訪問」や「鳩サブレー」「マグロの加工食品」等の贈り物はかたくお断り申し上げます。


   ☆    ☆    ☆

●(資料2)
平成18年3月10日
第4回評議会及び全国支部長会議(合同会議)
 御主席の皆様へ
                  新しい歴史教科書をつくる会理事
新 田  均

 3月11日の第4回評議会及び全国支部長会議(合同会議)は、事前に日程調整の相談もないままに開催されることになりました。会の将来に重大な影響を与えることが予想される会議だけに、いくら緊急事態とはいえ、忙しい理事の多い当会の事情を考えれば、せめて理事の間だけでも日程の相談をしていただきたかったと思います。
 私は出席はできますものの11日の午後4時から7時間までしか居られません。それでは、十分に私の考えを出席者の皆さんにお伝えすることは難しいと考えますので、皆さんにじっくり考えていただけるように文書の形でお示しすることにいたしました。


     一、私の目に映った「つくる会」八木会長解任劇の深層

 2月27日の理事会で決定された八木秀次会長解任・宮崎正治事務局長解雇について、その動議に私は反対しました。今の私に今回の解任劇の理由がどのように見えているのかを御説明したいと思います。

 今回の事件の発端は、昨年9月17日に西尾幹二名誉会長と藤岡信勝副会長が宮崎正治事務局長の解任を言い出したことにあります。しかしながら、事務局長についての人事問題としてはじまったこの問題が、何故、八木会長の解任などという大問題にまで発展してしまったのか、事態があれよあれよという間に深刻化していく中で、実は、それを間近で見ていた私でさえ、「その本当の理由がよく分からない」というのが理事会終了後の率直な実感でした。

 ところが、以下のようなその後の新会長の言動を聞くにおよんで、次第にことの真相が見えて来たように思います。
 ①.新会長に就任した種子島会長が「次の会長には藤岡氏になってもらい、西尾名誉会長にも戻ってきていただきたいと考えている」と事務局員に話した。
 ②.副会長を解任されたばかりの藤岡氏が会長補佐に就任し、さらに、八木会長・藤岡副会長両氏に対する解任動議を提出した本人である福地惇氏も藤岡氏とならんで会長補佐に就任し、この二人について種子島会長が「会長補佐の言葉は会長の言葉として聞いて欲しい」と事務局員に言い渡した。
 ③.2月28日に記者発表された種子島会長名の「新しい歴史教科書をつくる会の人事についてのお知らせ」の中で、「ゼロ・ベースからの会の再建を目指す」ことが宣言された。

 「ゼロ・ベースからの会の再建」などと言われても、これまでの事情を知らない方々にはこの言葉が何を意味しているのか皆目分からないと思いますが、私にはピンときました。「ああ、そうだったのか。すべては、この会を本質的に変質させてしまいたいという西尾氏と藤岡氏の強力な意志の合体によって運ばれたことだったんだ!」と、ようやく納得がいったのです。

 昨年9月17日、採択活動者会議の終了後、宮崎氏に辞任を求めた西尾・藤岡両氏はその理由として次の二点を上げています。
 ①.本日の総括会議の出席者の顔ぶれでは次回は戦えない。支部を総入れ替えする必要がある。今回の出席者は宮崎が決めた宮崎人脈だから、宮崎ではやっていけない。新事務局長に、全国を回って新たな人材を発掘してもらい、支部役員の人事の総入れ替えをして刷新する。
 ②.宮崎は戦わない。攻撃的でない。戦う姿勢をもった事務局長に替えないと次の戦いでは勝てない。

 私も藤岡氏から「宮崎さんは戦いには向かない」と聞かされたことがありました。しかし、その時には「戦略眼に欠ける」とか、「少し穏和ずきる」くらいの意味で言っているのだろうと思っていました。ところが、今回の八木会長や私たちに対する西尾・藤岡両氏の戦い方を見て、あれは「次の採択戦に勝つためには、つくる会を共産党のような目的のためには謀略も辞さない組織に変えないと駄目で、そのためには、常識人の宮崎ではだめだ」という意味だったんだな、と気がつきました。
 そして、この時の「支部を総入れ替え」を巧みに言い換えたのが「ゼロ・ベースからの会の再建」なのだと悟りました。現に西尾氏は八木会長や関係者に「これは宗教右翼・神社右翼対近代保守の闘いだ。宗教右翼・神社右翼を追い出せ!」と繰り返し発言しています。1月16日の理事会でもそれを言いかけました。その西尾氏の言う「宗教右翼・神社右翼」とは日本会議・神社関係者・キリストの幕屋・日本政策センター・モラロジー研究所・新樹会・念法真教等の関係者のことだそうです。八木会長は「そんなことをしたら地方組織はもたない」と抵抗したとのことです。

 この組織変質に向けた両氏の意志は強固で、「そんな無茶なことはできない」と最初に抵抗した宮崎氏は「事務局長の地位に恋恋とする私心の固まり」というレッテルを貼られ、ついで、会員管理システムのコンピューターの不具合を、あたかも会に巨大な損失を与えたかように捏造されて処罰されそうになり、「それは事実無根だ」として抵抗すると、それを逆手にとられて「抵抗して無実を訴えたことが怪しからぬ。その行為自体が会を混乱させた」として解雇されてしまいました。なお、コンピューター問題が浮上した頃、八木会長は西尾氏から「人を追い出す時には徹底的に罵倒し、侮辱して、二度と帰ってこれないようにしないといけない。小林よしのりの時もそうした」と言われたそうです。

 コンピューター問題について補足しますと、最初の理事への通知には「1000万円もの高額投資が僅か3年で事実上崩壊してしまった」「1000万円もの損失を当会に与えた」と書かれていました。それで私はシステムが完全に壊れてしまったのだと思い込み、これは確かに大問題だと感じたのです。ところが、後で藤岡氏に直接聞いてみると、「壊れたわけではないが、時々調子が悪くなるのでオペレーターがとても心配している。いつ壊れてもおかしくないと専門家も言っているが、崩壊の確率がどのくらいなのかは私も素人なので分からない。被害額は確定できない。しかし、保守契約が履行されておらず、契約延長も断られてしまった。というわけで、事実上崩壊したと言っていい」とのことでした。そこで、今年の1月16日の理事会で「相手の会社は不具合に全く対応してくれないのか」とオペレーターに質したところ、「今は対応してくれている」とのことでした。また、この日執行部から出された文書には、被害については「調査報告は、会に与えた損害額を約1000万円と認定したわけではない。『1000万円もの高額投資が僅か3年で事実上崩壊してしまった事態』を問題にしたものである」などという訳の分からないことが書かれていました。

 要するに、この問題は、「不具合への契約会社の対応が悪い。契約を延長してくれると思っていたのに断られたので、また新しいシステムを導入しなければならなくなってしまった。だから、この契約は高すぎた」ということらしいのです。しかし、三年半の契約が三年半で切れるのは仕方のないことですし、契約が高すぎるといっても、当時の理事会で正式に承認されているわけですから、責任を問うのなら当時の理事全員の責任を問わなければならないと思います。ところが、処分案は、執行部については「道義的責任をとって六人で100万円を支出する」という軽いものだったにもかかわらず、宮崎氏についてだけは、「事務局次長に降格」「3カ月間の減給」「出勤停止」という実に重いものでした。

 これを飛行機事故に例えるなら、第一報では「墜落」と報じられたのに、実は「計器の故障か何かで墜落するのではないかとの不安が畿内に広がったのに、その不安に適切に対応しなかった」というのが事実で、それにも関わらず、あたかも墜落したかのような処分が行われようとした、ということのようなのです。事実、今年の三月で契約が切れるこのシステムは現在も消えることなく動いていると聞いています。ですから、私たちは、これではまるで、東京裁判における南京大虐殺の捏造と同じではないか、と主張したわけです。

 最初は西尾・藤岡両氏の言葉を信じて行動をともにしていた八木会長でしたが、次第に両氏の意図ややり方に疑問を抱きはじめ、「宮崎氏の処遇を決める前に、まずは採択戦の総括をしっかりとするのが筋だ」と考えて、自らのリーダーシップで混乱を収拾しようと決意されたようです。すると、今度は八木降ろしがはじまったのです。おそらく、八木秀次という清新な看板の陰に隠れて会の実権を握り続けるのが両氏の狙いだったのでしょう。だから、本当に八木氏に実権が移ること、さらには、自分たちの意に反する行動をとることは許せなかったのだと思います。しかも、採択戦の総括をしっかりやるとなれば、運動本部長の責任は免れがたく、宮崎氏を厳しく批判していただけにかえって、藤岡副会長の場合は、自分の功罪が厳しく問われるのではないかと恐れたのかもしれません。

 そこで、両氏はまず、良心的ではあるが、彼らの底意を見抜けない他の副会長たちを巻き込んで、時には脅迫とも思える言辞を弄して八木会長に翻意を迫りました。しかし、八木会長の決意が次第に固いものになって行き、翻意させるのは無理だと分かると、今度は「宮崎解任問題を迅速に処理しなかった責任」と「中国旅行問題」を持ち出して、会長解任を強行してしまったのです。

 ただし、1月16日の理事会では、激論の末に、「人事は総括の後に行うことにして、まずは総括のための委員会を設置し、その人選は会長に一任する」「コンピューター問題は重い処罰を科さなければならないような問題ではなく、せいぜい注意処分止まりであり、その対象も宮崎氏一人とは限らないので、次回理事会に執行部が処分案を提出する」といことで理事会の意見がまとまり、いったんは収拾に向かいました。

 ところが、次の2月27日の理事会になると、理事会内の空気が一変しており、1月16日の理事会決定を実行しようとする八木会長に抵抗し続けた藤岡副会長が議長に選出され、藤岡議長の下で、前回の理事会決定に反する宮崎氏解雇動議が可決され、次いで、八木会長解任動議も可決、最後だけ、まるで言い訳のように、執行部の一員だったということで藤岡副会長の解任動議も可決される、ということになったのです。

 この理事会内の空気の激変を象徴していたのが、1月16日の理事会で議長を務めた田久保忠衛氏でした。藤岡氏の抵抗を排除して理事会決定を実行しようと決意した八木会長は、2月21日に田久保氏に会って苦しい胸の内を打ち明け、会の今後のことを相談するとともに、次の理事会でも議長を務めていただくという形で支援していただくことをお願いしていたのです。快諾していた田久保氏でしたが、理事会の当日になって蓋を開けて見ると、田久保氏は議長就任を拒否して、藤岡議長案に賛成し、さらに「中国旅行問題」で八木会長を追求して、「私はかつて会長就任をしぶっていた八木さんに決断を促したが、この問題についての態度をみていると会長不適任と考えざるをえない」旨を述べて、解任動議に賛成してしまったのです。この発言に我が耳を疑ったのは私ばかりではなかったと思います。

 2月27日の理事会の前に、ある支部関係者に「今度の理事会は大変なことになるよ」と語っていた西尾氏は、理事会後その人に会って「2月27日の理事会はシナリオ通りに行った」とつぶやいたそうです。

 平成16年9月号の『史』の「巻頭言」には「八木新体制に期待する」と題した西尾氏の文章が載っていて、その最後には「若い会長が新任されたのは会が未来を信じている証拠」と書かれていました。ところが、若き会長を支えるべき年長者たちによって、保守言論界の希望の星である八木氏が貶められ、会の時計の針が三十年も播き戻れてしまったのです。このことは、誠に痛切の極みであると同時に、「会が未来を信じなくなった証拠」ではないかと深く落胆するばかりです。


 その落胆の先に見える会の未来像は次のようなものです。
①.「ゼロ・ベースからの会の再建」を掲げる種子島新体制だが、実際には、まず、西尾・藤岡両氏のやり方に反対する理事が解任され、両氏を支持する新たな理事に入れ替えられる。
②.西尾・藤岡両氏のやり方に反対する評議員や支部長達が次々に解任され、両氏を支持する新たな評議員や支部長に入れ替えられる。
③.こうして、「歴史教科書をつくる会」でありながら、これまで会を支えてきた様々な人々(彼らはそれを「宗教右翼・神社右翼」と批判して排除しようとしている)の努力の歴史とは無縁な、さらには「つくる会」に先立つ様々な運動の歴史とも無縁な、文字どおり“革命的な”組織が誕生する。
④.この組織はイデオロギーこそ異なるものの、その倫理観においては左翼・共産党と何ら異なるところがなく、次の採択戦のおいて、ウソ、偽り、捏造をたくましくし、謀略まがいの泥仕合を展開する。
⑤.その様子を見て、国民は教科書改善の意欲を失い、その諦めの中で日本は衰退していく。

 以上が「ゼロ・ベースからの会の再建」の意味するところです。振り返って見てつくづく思うことは、今回の事件は、表面的には会内の人事という些細な問題をめぐる内紛のように見えながら、実は、この会の性格の本質をめぐる争いだったということです。会の思想や人間関係が歴史と道徳を語るに相応しいものになるのか、それとも目的のためには手段を選ばす、同志といえども非情に切り捨てる“革命的な”ものになるのか、私たちはその岐路に立たされているのだと思います。3月6日から執行部による各支部への説明がはじまり、11・12の両日には「評議員および全国支部長会議」が開かれるそうですが、それが良心的な評議員や支部長の方々の「断頭台へと続く道」にならないことを切に願うばかりです。ただ、そのことは覚悟しておいた方が賢明だと思います。


●(資料3)4月10日消印の「八木氏を誹謗した怪文書」

八木次期会長は統一教会会員ですか? この掲示板によると、勝共連合機関誌「世界思想」に載せた論文を「国民の思想」に転載しています。調査して下さい。ー会員

(中略)

→八木秀次会長が統一教会の『世界思想』誌に掲載の論文はある有名な『国民の思想』に収録。
(後略)


●(資料4)2月27日の理事会で私が提出した動議

藤岡副会長の解任ならびに会則第二○条に基づく処分を求める動議
                              平成18年2月27日
理事 新 田 均

理由
 以下の藤岡副会長の言動は、会則第八条二項にいう「副会長は、会長を補佐し」という条項に違反するとともに、会則第二○条にいう「除名その他の処分」の対象となる「この会の活動を混乱させ、あるいは会員としての品位を欠く行為をなし、その他この会の会員としてふさわしくないと認められるもの」に当たると考える。

1.以下の行為は、会長に対する誹謗中傷であると同時に、会に対する社会的信用を失墜させる行為であると考える。
  ①.藤岡氏は産経新聞記者に対して、「八木会長は政治的野心のために『つくる会』を利用しようとしている。私物化している。いま会長解任のための票読みをしている」と述べたこと。
  ②.八木会長の中国旅行をいたずらに問題化しようとしているらしいこと。

2.理事会でのやりとりを外部に漏らして余計な対立を作らないというのは前回の理事会での確認事項でもあるが、それ以前にまともな社会人としての常識である。しかしながら、以下の行為は明らかにそれに反している。
  ①.2月1日の空花メールにある藤岡邸での会合。
②.八木会長の制止を無視して2月25日の評議員有志への説明会に出席したこと。
③.2月22日の西尾前名誉会長・富樫前会計幹事と評議員有志との会合を事前に知りながら制止しなかった、あるいは同意したこと。
  ④.小田村四郎氏に面会してコンピューター問題その他について話したこと。
  ⑤.「路の会」における西尾前名誉会長の不規則発言を制止しなかったこと。

3.以下の行為は、会長を補佐するという副会長の職務に反すると同時に、理事会を軽視する行為である。その中には会長に対する侮辱や脅迫と取られてもおかしくないようなものが含まれている。
  ①.藤岡氏は2月16日の執行部会において、宮崎事務局長に対して、その場で辞表を書くように迫ったこと。
  ②.執行部会開催の通知を出した会長に対して、2月22日午前0時ころ、自宅に「ふざけるな!」と書き込んだファックスを送付したこと。これによって会長の家族は相当の精神的ショックを受けたこと。
  ③.2月22日午前1時6分、「正午までに、宮崎の辞表を私に送って下さい。それが出来ない場合は、あなたの辞表を送って下さい。どちらもしない場合、私は正当防衛のため、全面的にあなたと戦います。」とのメールを会長に送付したこと。
  ④.的場大輔事務員に対する質問状の中で次のように書いたこと。
「八木・宮崎は、採択のために外部団体との提携を進めているという、一見もっともらしい大義名分を掲げながら、その実、会を私物化し、何らかの利益を独占しようという魂胆で動いているとしか考えられません。実に卑しい、いやらしい行いです。」

 以上の事実に照らせば、藤岡氏の副会長解任は当然である。また、処分については、会則第二○条にいう「除名処分」に該当するとも考えられる。

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