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つくる会の体質を正す会
■注目の種子島経氏の特別寄稿はこちらです。(5月26日掲載)
■騒動の「構図」についての記事はこちらです。(5月10日掲載)
■騒動の「あらすじ」はこちらです。(6月6日掲載)
■「西尾幹二氏の言説の変遷」はこちらです。(6月20日掲載)
■「藤岡氏の八木氏に対する言説の変遷」は、
  (15)(6月14日掲載)、(16)(6月15日掲載)、
  (17)(6月17日掲載)、(18)(6月19日掲載)です。
■「藤岡氏の事務局員に対する文書攻撃」はこちらです。(14)(6月11日掲載)
■西尾氏に対する訂正要求はこちらです。[資料編(1)]
  (5月12日3段目掲載の記事)
■藤岡氏への再質問はこちらです。[顛末記(5)](6月4日掲載)
■鈴木氏の人物については、こちら(5月24日掲載)とこちら(7月5日掲載)です。
■渡辺記者の反論については、こちらです。(5月25日掲載)
■西尾・藤岡両氏の「謀略」の可能性の立証については、こちらです。(7月3日掲載)
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もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(18)ー2月27日理事会以降の藤岡氏の八木氏に対する言説ー
【解説】

●(資料1)八木会長解任後の藤岡氏の発言

八木氏を解任してみたももの、八木支持の声は意外に大きく、反対に自分に対する風当たりが意外に強い、そして、種子島会長の意向も八木氏の復帰にあることが次第に明らかになっていく。その時期の藤岡氏の発言です。

●(資料2)八木副会長誕生後の藤岡氏の発言

3月28日の理事会で、八木氏副会長就任(7月会長復帰含み)・藤岡氏・福地氏会長補佐解任が決定し、さらに、4月8日に西尾氏がブログで「怪メール問題」を騒ぎはじめるという事態になって以降の藤岡氏の言動です。

 ここで興味深いのは、藤岡氏が「怪文書」の目的は、「次の理事会[3月28日]の人事で、私を副会長に入れないためである」と言いながら、「[3月]25日、種子島会長、福地会長補佐、それに事務局の鈴木氏の3人に私は詳細な説明を行った。会長らは、事情をよく理解してくださり、この時点で私への嫌疑は公的に晴れたことになる」と言っていることです。
 つまり、「怪文書」は、つくる会の人事には何の影響も与えない小さな事件だったのです。ところが、西尾氏が騒ぎ出して大事件に仕立て上げ、それに藤岡氏が飛びついて、それこそ自らの「復権」のために、捨て身で利用した。これが、いわゆる「怪メール問題」の本質だと私は考えています。

●(資料3)八木氏に対する藤岡氏の言説変遷抄出

●(資料4)4月8日のブログにおける西尾氏の藤岡氏評

   ☆    ☆    ☆

●(資料1)八木会長解任後の藤岡氏の発言

◎3月7付「つくる会全国の掲示板に寄せた藤岡氏の一文」

種子島会長としては、今までの行きがかりを捨てて、全理事が和解し、一刻も早く会を立て直したいというご意向です。私も全く賛成です。私は、特に、八木元会長の名誉を回復する措置を取らなければならないと思います。八木さんは将来ある、日本の宝です。教科書問題でもいずれ再びリーダーシップをとっていただかなければなりません。昨日、種子島会長のもとに届いた八木さんの退任の挨拶の中で、「私は教科書改善運動に意欲を失ったわけではありません」と書いておられました。誠に心強く、ありがたいことです。会に留まり、引き続き力を出していただけるということです。

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◎3月11日付藤岡氏の八木氏宛メール「お礼」

八木先生

昨夜は突然ご自宅にお邪魔いたしまして、大変失礼いたしました。 奥様にどうしてもお詫びを申し上げなければ先に進めないとの一心で、鈴木さんを口説いて参上いたしました。実は追い返されることも覚悟しておりましたが、お宅に上げていただいたばかりでなく、茶菓までごちそうになり、誠にありがとうございました。八木先生を傷つけたばかりでなく、奥様にまで耐え難い心労をおかけしたことについて、改めて謝罪いたします。八木先生に会の役職にもどっていただくべく、私なりに努力いたします。それ以外に日本を救う方法はないと考えております。
本当にありがとうございました。

藤岡

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◎3月13日付藤岡氏の八木氏宛メール「お願い」

八木先生

ご丁寧なお手紙をいただき、ありがとうございました。鎌倉の「鳩サブレー」をお子様が気に入っていただけたご様子、うれしく存じます。私は20年余り、横浜のはずれの鎌倉に近い所の公務員住宅に住んでおりましたので、鎌倉のものをいろいろ試す機会がありました。その中から、比較的口に合い、贈答用にも好評だったものを選んでお送りするつもりでした。お子様向けにサブレーを、ご夫妻向けには羽床総本店のマグロの加工食品を考えて、同時に注文するはずでしたが、羽床のカタログが見つからず、土曜日の朝は評議会の日でしたので、時間切れで一方だけになってしまいました。本日、羽床の商品を注文しましたので、数日後にはご自宅に届くかと存じます。改めて、お詫びの印としてご賞味いただければありがたく存じます。

さて、お手紙にお書きになっておられた件でございますが、編集者の方のご意見も大変もっともなことだと存じます。私個人としては、『発言者』に長期連載された欧米の憲法学説史のご論文をぜひ単行本にまとめていただきたく、念願しております。先生は保守言論界と学界を支えていくお立場にあるのですから、将来の大成を心から望んでおります。

ただ、先生のお力をもってすれば、運動方面を多少整理すれば、ご研究・ご執筆ニの両立は十分に可能だと思います。特に、皇室典範改悪問題が山を越えた現在、せっかくやりかけたA団体、B団体、C団体とのコネクトをぜひ継続していただきたいと念願しております。それは先生にしかできない重要な貢献であると考えます。そのために、先生が最も動きやすい役職を工夫する必要があります。その実現に私なりに微力を尽くします。何卒、ご高配のほど、伏してお願い申し上げます。

藤岡信勝


   ☆    ☆    ☆

●(資料2)八木副会長誕生後の藤岡氏の発言

◎4月1日

「私[八木氏]は藤岡氏に呼び出された。お前にはいろいろ疑惑があるので、静かに会を去れということだった。私はもううんざりだった。こんな人たちが残ったままでの会長再任なんてご免蒙りたいと思った。人生の無駄だと思った。」(『諸君!』7月号)。

「いずれにしてもこれであなたを支持する人たちが一連の怪文書を送ったことは明らかになった。自分でやったかどうかは問題ではない。リーダーとしてその結果責任をとれ」[と八木氏は藤岡氏は言われた](八木氏作成「『種子島会長・八木副会長の辞意表明文書の送付について』に関する見解」[4月30日の理事会で配布])

「藤岡は八木氏に面会し、八木氏の悪事はすでに露見し追及は避けられないこと、八木氏の言論人としての傷を深くしないためには、謀略に加わった他のメンバーとともに早々に自ら辞任する以外にないことを忠告した」(藤岡・福地両氏作成「会の混乱の原因と責任に関する見解」[4月30日の理事会で配布])

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◎4月19日、藤岡ブログ「私は何故共産党をやめたか」

 こんなガセネタを流してまで私を貶めることに利益を感じている人物がいることになる。しかし、このような卑劣な方法は断じて許されるものではない。私自身とつくる会の名誉のために、この問題を徹底的に明らかにする。

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◎4月21日、藤岡ブログ「家族への侮辱は許せない」

西尾氏宅に送りつけられた発信人不明の一連の脅迫文書は、個々ばらばらに存在するのではなく、緊密に関連し合った一体のものである、3月28日、八木氏が副会長に復権した理事会があった直後の3月30日に、西尾宅に送られたのが、私の妻を誹謗する「しんぶん赤旗」のコピーである。それは次のようなものだ。
[ここで「藤岡先生の岳父、船山謙次先生の活動のごく一部です」と書き込まれた「しんぶん赤旗」の記事を公開]
(中略)

私の家族を侮辱したファックスの犯人は許し難い。

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◎4月24日、藤岡ブログ「党籍問題に関する怪文書配布の目的」

話の内容は、私が平成13年まで日本共産党の党員であったことがわかったというものであった。西尾氏がどのような方法で調べたのかわからないが、公安調査庁の調査でわかったという。百パーセント信じ込んで、決めつけ、私を糾弾する調子である。私は開いた口がふさかせらなかった。西尾氏は、「私が最大の被害者だ」と言う。私はたまらず、「私が西尾先生にどんな被害を与えたというのですか?」反論した。すると西尾氏は、「ボクは共産党員といっしょに仕事をさせられたことになる」と言った。
(中略)

[3月]25日、種子島会長、福地会長補佐、それに事務局の鈴木氏の3人に私は詳細な説明を行った。会長らは、事情をよく理解してくださり、この時点で私への嫌疑は公的に晴れたことになる。
(中略)

八木氏が、これが事実に反するというのであれば、公安調査庁の誰から聞いたかを明らかにする必要がある。それが出来ないとするなら、これは明らかに八木氏の捏造ということになる。
 私の党籍離脱問題の怪文書は、上記の三者会合[八木・宮崎・福地]のあった3月20日前後から、相手を選んで複数の理事に送りつけられていた。なぜ、この時期に集中的に利用したのか、その狙いは明らかだ。次の理事会の人事で、私を副会長に入れないためである。
(中略)

しかし、1ヶ月後の理事会で副会長に選ばれたのは八木氏のみで、私は選ばれなかった。怪文書だけが原因ではなかろうが、それも一つの要因であったこと、何よりも党籍問題の怪文書配布の目的が、私の執行部からの排除にあったことは明らかだ。何のために? 天下国家のためではもちろんない。宮崎正治氏をつくる会の事務局長に復帰させる上で、私が邪魔だったからであろうと私は確信している。

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◎4月28日

産経新聞の渡辺浩記者は、4月3日、藤岡に対し、八木氏から公安調査庁の情報であるとして「藤岡の共産党離党は平成13年だった(藤岡はそれまでつくる会の副会長でありなかせら同時に共産党員であった)」という謀略文書を見せられて、すっかり信用していたが、ガセネタであることがわかったと告白をし、謝罪しました。渡辺記者の一連の変更記事は、そうした誤情報によってマインド・コントロールされた状態の中で書かれたことが判明しました。(つくる会各理事宛、藤岡・福地両氏作成「種子島会長・八木副会長の辞意表明文書の送付について」[4月28日付])

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◎4月30日 理事会当日

八木氏と新田氏の行為は、他の理事や会の元役員に対する重大な名誉毀損と脅迫行為にあたる。「悪魔の所業」(SAPIO誌掲載の西尾氏の言葉)とも言える。(中略)八木、新田両氏らの行動は、上記の通り、その責任を免れないものではあるが、それでもここで訴えたい。理事会と会員に対し、事実を認め、心から謝罪するなら、すべてを水に流して、大義のために、会と会員のために、手を結びたいと思う。(藤岡・福地両氏作成「会の混乱の原因と責任に関する見解」)


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●(資料3)八木氏に対する藤岡氏の言説変遷抄出

①.八木会長解任以前

1月9日「あなたは事実に反する間違った声明を書いたという「前科」があるのです」

1月10「自分を何様だと思っているのですか」

1月11日「さもないと、あなたの任務放棄について、あらゆる手段で責任を追及します」

1月14日「おあいにく様」

1月16日「もはやあなたは会長職になじみません」「私は今、どうしようもない会長不信に陥っています」

1月15日「ふざけるのもいい加減にしなさい。論外です」

2月22日「ふざけるな!」「これは最後通告です。22日の正午までに、宮崎の辞表を私に送って下さい。それが出来ない場合は、あなた自身の辞表を送って下さい。どちらもしない場合、私は正当防衛のため、全面的にあなたと戦います」

2月23「会を私物化し、何らかの利益を独占しようという魂胆で動いているとしか考えられません。実に卑しい、いやらしい行いです」


②.八木会長解任後

3月7付「八木さんは将来ある、日本の宝です。教科書問題でもいずれ再びリーダーシップをとっていただかなければなりませ。」

3月11日「八木先生を傷つけたばかりでなく、奥様にまで耐え難い心労をおかけしたことについて、改めて謝罪いたします。八木先生に会の役職にもどっていただくべく、私なりに努力いたします。それ以外に日本を救う方法はないと考えております。本当にありがとうございました」

3月13日「先生は保守言論界と学界を支えていくお立場にあるのですから、将来の大成を心から望んでおります」「せっかくやりかけたA団体、B団体、C団体とのコネクトをぜひ継続していただきたいと念願しております。それは先生にしかできない重要な貢献であると考えます。そのために、先生が最も動きやすい役職を工夫する必要があります。その実現に私なりに微力を尽くします。何卒、ご高配のほど、伏してお願い申し上げます」


③.八木副会長誕生後

4月1日「お前にはいろいろ疑惑があるので、静かに会を去れ」「いずれにしてもこれであなたを支持する人たちが一連の怪文書を送ったことは明らかになった。自分でやったかどうかは問題ではない。リーダーとしてその結果責任をとれ」

4月24日「公安調査庁の誰から聞いたかを明らかにする必要がある。それが出来ないとするなら、これは明らかに八木氏の捏造ということになる」

4月30日「八木氏と新田氏の行為は、他の理事や会の元役員に対する重大な名誉毀損と脅迫行為にあたる。「悪魔の所業」(SAPIO誌掲載の西尾氏の言葉)とも言える。(中略)八木、新田両氏らの行動は、上記の通り、その責任を免れないものではあるが、それでもここで訴えたい。理事会と会員に対し、事実を認め、心から謝罪するなら、すべてを水に流して、大義のために、会と会員のために、手を結びたいと思う」


   ☆    ☆    ☆

●(資料4)4月8日のブログにおける西尾氏の藤岡氏評

他人の心をつかめずに他人の自由を操ろうとして、それが謀略めいてみえて、信用を失うことを彼は10年間、そして今も繰り返している。自分の権能の及ぶ範囲と及ばぬ範囲との区別が彼にはつかない。このため小さな策を弄して、他人を言葉で操って動かそうとし、現実が大きく変わるとたちまち昨日言ったことを替えて、結果的に彼を支持しようとしてきた人の梯子を外す。裏切りである。言うことがクルクル変わる。昨日顔を真赤にして怒りを表明していた相手に、今日はお世辞を言って接近する。今日たのみごとがあると下手に出て礼をつくすことばで接触するかと思うと、用が終ると、同じ人に数日後に会っても鼻もひっかけない。
 彼と付き合えばみんな分っているこういう彼の性向挙動は、多分共産党歴の長い生活と不可分で、党生活が人間性、普通の良識ある社会性を破壊してしまったものと思われる。

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