つくる会の体質を正す会
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■騒動の「構図」についての記事はこちらです。(5月10日掲載)
■騒動の「あらすじ」はこちらです。(6月6日掲載)
■「西尾幹二氏の言説の変遷」はこちらです。(6月20日掲載)
■「藤岡氏の八木氏に対する言説の変遷」は、
  (15)(6月14日掲載)、(16)(6月15日掲載)、
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■「藤岡氏の事務局員に対する文書攻撃」はこちらです。(14)(6月11日掲載)
■西尾氏に対する訂正要求はこちらです。[資料編(1)]
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『サピオ』、明日(6月28日)発売!
八木秀次「西尾幹二氏の『手記』に反論する」

勝岡寛次「私たちが『つくる会』を去った本当の理由」

【追加】

 本日をもって、コメント欄を閉じると申し上げましたが、まだ、ご自分の分析や見解をお書きになりたいというご要望も多いようですので、もうしばらくこのままにしておくことにしました。

 なお、このブログにお書きの方々には、釈迦に説法でしょうが、抑制された表現でお願いしたいと思います。もちろん、それは、楽しさ、面白さを否定するものではありません。

 また、今後のこのブログの処理の仕方についても、ご意見があればお寄せください。私としては、「つくる会」騒動記とでも名前を変えて、誰もが参照できる記録資料として残そうかと思っているのですが。




もう一つの「つくる会」顛末記(最終章3)ー新組織の課題とは何かー
 「つくる会」騒動について論じてきたこ「もう一つの『つくる会』顛末記」も今回で最後となりました。幕引きに当たって、特定の個人の問題を越えて、組織そのもののあり方という観点から見た場合、「つくる会」には、どのような問題点があり、それを克服する道は何か。それを最後に考えてみたいと思います。


1.保守運動全体との調和と補完を考える。

 まず、なんと言っても、「つくる会」の特徴は、「1テーマ、1プロジェクトの組織だった」ということです。課題を教科書一つに絞り込み、教科書の作成と普及だけを目的として、人々が集い、全国的な運動を展開するとういう方式で、「つくる会」は爆発的な力を発揮してきました。
 しかし、そのために、教科書以外の国家的課題になると理事の間に深刻な対立が生じたり、他の運動課題との関連・軽重を無視して内部争いに熱中したり、といった事態に陥ってしまいました。したがって、これからを考えるならば、改めて、日本の保守運動全体の中における自分達の位置を見極め、全体との調和や相互補完を考えて、進退を決する組織でなければならないと思います。


2.複数のプロジェクトが発生と消滅を繰り返す場、という発想に立つ。

 考えてみると、1テーマ、1プロジェクトの組織というあり方の中に、特定の人々が自分の地位に固執したり、組織の存続そのものが自己目的化してしまう大きな原因があったように思います。したがって、これを防ぐためには、それぞれに責任者を異にする複数のプロジェクトが常時活動しており、それらが必要と効果に応じて、創られては消えるという過程を繰り返している場、そういうものとして新団体は発想されるべきではないかと思います。
 人間は失敗するものだという前提に立てば、人間が思いつくプロジェクトにも失敗はつきものでしょう。とすれば、一プロジェクトで、しかもそれを永続させようとするのは危険すぎます。多数のプロジェクトが同時に稼働し、成果の出たものは存続し、成果の出なかったものは貴重な失敗体験として教訓を総括した上で廃止し、新たなプロジェクトを創出するという新陳代謝を繰り返す、そういうプロジェクトが生まれては消えながら、そこに関わる人間たちには、体験を通じての成長の機会が常に与えられる、そういう自己実現の「場」「空間」としての「組織」。
 これなら、個人が自分の立場にしがみつくことはできませんし、役割を終えたプロジェクトを終了することも簡単で、不必要な組織の存続が自己目的化することもなくなると思います。そして、日本の教育の再生のためにやるべきことがなくなれば、さっさっと解散する。そのような覚悟、いや、こんな組織が一日も早く不必要になることこそが日本のためだという認識をしっかりと持っておくべきでしょう。


3.小さな核と多くの協力者の二重構成にする。

 保守運動全体との調和と補完を考えて、さまざまなプロジェクトを起こすとなると、当然、中心者の間には、さまざまな問題について広範な意見の一致が必要となります。しかし、集まる人の数が多くなるほどそれは難しいということは、「つくる会」の内紛史からも明らかです。そこで、団体としての基本的な政策の企画・立案に関わる人々の数は少なくし、他方で、協力者を増やして、個々のプロジェクト毎に参加・協力していただくようにすれば、多くの賛同者を抱えつつ、しかも、それらの人々の間の意見の不一致によって団体が混乱するということはなくなると思います。


4.自前の支部や全国組織はもたず、既存の組織や有志の団体とネットワークを組む。

 既存の保守団体関係者の中には、新団体について、次のような懸念をお持ちの方もいらっしゃるのではないかと思います。
「つくる会と会員の取り合いをして、泥仕合を展開し、またまた他団体に迷惑をかけるのではないか」
「すでに存在している他団体とも会員の取り合いになるのではないか」
 しかし、私は、今度の団体には、支部も全国組織も、そして、いわゆる「会員」も不要だと考えています。
 これから支部を創ったり、それを組織化したりなどといったことは、能率が悪すぎます。それよりも、すでに、保守系の団体は数えきれないほどある訳ですから、それらの団体とネット・ワークを組んで、時にはそれらの団体や個人をつないで効果を高める仲介者になったり、活動を活性化するためのお手伝いをしたり、新たな運動の企画の司令塔になったり、また、時には自らが前線に出て戦ったりと、機動性の高い、小回りの利く組織を目指したいと思います。
 すでに、存在している日本にとって有意義な諸組織のネットワーク化を推進して、それぞれがもっと力を発揮できるように援助するサテライト組織、そんなイメージです。
 だいたい、「会員」といっても、保守系の運動に携わる人々の数はだいたい決まっており、多くの人々が複数の会に属していて、もう「会費」は大変、機関誌を送られても読み切れない、というのが実状でしょう。それに、私たちは、会員サービスに時間や費用や労力をかけるよりも、国を動かす運動に全力を投入したいのです。


5.自らも人を育てる、あるいは人が育つ、成長する団体でありたい。

①.主導者について

 「つくる会」は、これまでにもう何度も指摘してきたことですか、一芸に秀でた創業者の欠点を覆い隠して神格化してしまいました。やはり、そこに内紛や陰謀や隠蔽の体質から抜けられない原因があったように思います。ですから、新団体においては、はじめから、主導者といっても、欠点もあれば失敗もする普通の人間であるという常識に立って、問題や失敗を隠さず、むしろプロジェクトの失敗や挫折を通して、成長していくのだという認識を共有し、多少なりとも、人間修行のような要素を導入すべきではないかと思います。

②.プロの運動家について

 「つくる会」では、事務局長をはじめとした専従者に対して、「たかが使用人」「私たちはボランティア、彼らは金をもらっている」などという言葉に象徴されるように、敬意を払ってきませんでした。ですから、一方で、わがままな理事たちを自由自在に操って戦闘的な運動を展開することを期待しながら、他方では、生活をかけて運動しているにもかかわらず、理事たちに嫌われたらさっさっと辞めなければいけないといったような矛盾した要求をして平気でいられたわけです。

 実は、運動の専従者というの大変なのです。給料は安くないと会員から不満がでます。成果は、自分がやったことでも、偉い先生方がやってくださったことにし、失敗の泥はかぶらなければなりません。時には会員の不満のはけ口も引き受けなければならないこともあります。
 人一倍志が高く、運動に生活をかける覚悟があり、秘密が守れ、裏方を引き受けられるだけの自己抑制力を備えている。それが専従者に求められる資質です。その現実を少しでも知れば、誰も「俺はボランティアなのに、お前は金をもらっている」などとは言えないはずです。むしろ、「私が出来ないことを代ってやっていただいて、ありがとうございます」ということになるはずです。

 ただ、周りの者がどれほど理解したとしても、専従者の立場が不安定なものであることに変わりはありません。高い給料は期待できないでしょうし、団体がいつ解散になるかもわかりません。ですから、中には、志が歪んでしまう人も出てくるわけです。
 そこで、新団体では、彼らを対等のパートナーとして尊重するばかりでなく、この団体がなくなっても自らの力で生活していけるように、プロの運動家としての技量(構想力、統率力、事務能力、人脈、集金力)を高める機会をどんどんと与えていくべきだろうと思います。

③.協力者について

 私は、いわゆる「会員」は不要だといいましたが、「来る者を拒む」つもりはありません。ただ、新団体に参加する人の条件として、「大衆であることを止める覚悟」ということだけはあげたいと思います。
 晩年の清水幾太郎は「大衆」を次のように定義しています。
「大衆とは、第一に、敢えて自らに困難や義務を課そうとしない人たち、第二に、自ら自分を超えて行こうとしない人たち、そういう意味で、現在の自分に満足している人たち、第三に、もし不満がある場合、その原因を先ず自分以外のものに求める人たち、第四に、原始的欲望を制御することを知らない人たち。」(『世紀末に生きる「社交学」ノート』文藝春秋、212頁)

 「つくる会」は、創業者を神格化してきたばかりでなく、会員を甘やかしてきたと私は思います。ただ会費を払っている、少しばかり活動した、というだけの理由で、自らの欲求の実現を会に要求し、不満があると総会やネットで大騒ぎし、自らは「戦後の大衆性」にどっぷりとつかりながら、そのことに気づきもしない会員に、反省をもとめることが余りに少なかったと思っています。

 もちろん、「つくる会」会員が、そんな人ばかりだったと決めつけるつもりは毛頭ありません。黙って自己犠牲を払ってきた人々が多いことは承知しています。しかし、やはり、誰かに頼り、お願いして、それで良きことをなそういう依頼心が強かったことは否定できないでしょう。ですから、自分が頼った人が誤った場合には、厳しく糺して、正しい道にもどすことができなかったのだと思います。

 ですから、新団体に参画しようとする人には、主導者と憂いをともにする人であってほしいと思います。何かをやってほしいとお願いするのではなく、自らがこれをやりたいというアイデアや企画、これをやるんだという覚悟を持つ、できれば、そのために一国一城の主となって、その夢や企画や事業を実現するために新団体と提携する。そういう人であってほしいと思います。

 もしも、気持ちだけはあるのだが・・・という人がいたら、そういう人には黙って資金援助をしていただきたいと思います。サービスといたしませんが、成果は確実にあげ、それについては、お知らせしたいと思います。

④.後継者について

 保守運動に限らず、後継者の育成は、どこの組織においても大切な課題でしょう。ただ、若い人を大切にしようとする余り、まだ自らの言葉を持てず、小器用に著名人の思想や言葉をつなぎ合わせているだけの若者がチヤホヤされて、そのために、未だ自らの力では何も達成していないのに、もうすでに何事か有意義なことを実現したかのように勘違いして、思い上がり、最前線で戦っている人々を批評し、中傷するといったことが、「つくる会」騒動の副産物として起こりました。

 私にしても、八木氏にしても、そうなのですが、誰にも理解してもらえず、時にはかつての仲間からも批判の目をむけられる、自らの方向性にも能力にも確信が持てない不安の中で、それでも志を捨てないように、裏切らないように努力した、そんな孤独な修行時代がありました。ただ、それに耐えられたのは、何人かの暖かく見守ってくださった先生方がおられたからです。その先生方の恩を、今度は次の世代を育むことで、私たちがお返しする巡り合わせになってきたように思います。胸中に志を秘めて、地道に努力している若者を見出し、鍛え、お国のために働けるように援助することも、新団体の大切な機能だと思います。


6.「命もいらず、名もいらず」ではなく、正しいこと、意義深いことと、楽しいこと、ワクワクすることとの融合、調和を目指したい。

 大学時代に、ある年長者が三島由紀夫の自決の時の心境を語ってくれたことがありました。「自分は、それまで、国のために死ぬなんてことを軽々しく口にしていたが、三島さんの事件を知って、俺には日本のために命を懸ける覚悟なんてないことがよく分かった。でも、そんな自分でも何かできることはないかと考えたら、国のために一生を懸けることならできそうに思えた。」

 ちょうどその頃、『西郷南洲遺訓』を読んでいて、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」という一節の重みに耐えかねていた私にとって、その言葉は救いになりました。もちろん、名誉や地位や金を手に入れたいとの下心を美しい言葉で飾って人々を欺くのは論外ですが、とかく、保守的な人々の中には、不必要に、名誉や地位や金を毛嫌いする傾向があることも否定できません。
 何よりも大切なことは国のために何事かをなすということで、そのために名誉や地位や金が邪魔ならば退け、必要ならば手に入れる、そういう執着なしの自由自在が必要だと思います。そして、究極においては、公に向かうことを覚悟しつつ、出来うる限り、個人としての自己実現(夢や希望や楽しさや富や地位)との両立の道を探っていきたいと思っています。
 そんな私が考えている新団体のイメージは、戦うイベント会社、運動するベンチャー企業、保守運動を活性化する仲介業者、様々な教育団体をネットワーク化する企画会社といった感じです。


7.「一揆」の伝統を復活したい。

 私はかつて拙著でこんなことを書きました。
「一揆とは、今日では農民反乱のように思われているが、本来はそのような限定された現象ではない。中世に盛んだった一揆とは、身分に関係なく、通常の手段では解決不可能な課題に対処するため、各人が従来のしがらみを超越して新たな共同体を創出することが必要になった場合に、結ばれたものだった。
 例えば、頼朝死後の鎌倉幕府において、評定会議が設置されたが、その際に、この会議を個々の構成員の私的利害(「縁」)を超越した公権力の執行機関とするために、ただ「道理」に従い、「一同」「一味」(一味同心)する(共同責任を負う)という「神仏への誓約書である起請文」が結ばれた。勝俣[鎮夫]はここに「一揆」の伝統の起点を見ている。

 この一揆の特徴を列挙すれば、合議による意志決定と共同責任、さらには、「一味神水」と言われる神仏への誓約と構成員間の平等性などである。この一揆は「日本の歴史の基層に生き続けた集団心性」だったと勝俣は言っている。
 一揆の要点をもっと普遍化して、「非常時に対処するために、神聖なものの下で、あるいは神聖なものを中心として、合議制や平等性を重要な要素として共同体を創出すること」と言い換えるならば、それは何も中世に限らない。律令国家の起点となった大化改新にあたっては、群臣を大槻の木の下に集めて盟約を結び、天神地祇に誓わせているし、さらに、神話にまで遡れば、岩戸隠れした天照大神に再び御出現いただく方法を神々が天の安の河原で話し合い、共同で祭祀を執行している。

 とすれば、明治維新とは、時間的には神話の時代から近世までの、階層的には朝廷から庶民にいたるまでの、まさに日本人全体の集団心性の基層に存在する一揆の伝統を、近代の要請に応じて蘇らせて国民国家を創出した壮大な復活劇だったと言えるのではあるまいか。「祭政一致」の宣言、それを象徴する儀式として改革の断行を諸大名を率いて天皇が神々に誓った「五箇条の御誓文」の誓祭式、四民平等と国民皆兵の政策、中央・地方での議会の設置など、すべて「一味神水」「一味同心」の文脈で整合的に理解することができる。」(拙著『「現人神」「国家神道」という幻想』PHP研究所、257ー258頁)

 私は日本という国は、歴史通じて、聖なるものを中心とする人間集団という特色が保持され、それによって国家としての健康が保たれてきたと思っています。その平常時の現れが、皇室祭祀を中心とした多様な祭祀群であり、非常時の現れが「一揆」だったのではないかと考えます。ですから、どこかで、「一揆」の伝統を維持したり、復活したりいることが必要ではないかと思っていたところ、新団体の事務所開きに当って、祭祀が行われ、八木氏が「五カ条の御誓文」を朗読したと聞きました。これは全く、私との打ち合わせなしに決まったことですが、それだけに、いっそう、私たちには深いところで問題意識が共有しているのだなと思ったわけです。
 また、改めて読んでみて、これから自分たちがやりたいと思っていることが、この五カ条に言い尽くされていることにも驚きました。

一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。

二、上下心を一にして、盛んに経綸を行ふべし。

三、官武一途庶民に至る迄、各々其志を遂げ、人心をして倦まざらしめん事を要す。

四、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。

五、知識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。


8.悪しき伝統は改めたい。

 「五カ条の御誓文」の第四条に「旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし」とあります。これまでの私たちは、不当な自虐史観の払拭に全力を注がなければならなかったために、我が国の伝統に含まれている負の遺産については、その指摘や清算に手が回らないという状況にありました。しかし、「つくる会」騒動を経験してみて、伝統的な価値観と戦後の価値観とが妙な科学反応をおこして融合し、おかしな状況を生み出しているのではないかと思うようになりました。そこで、日本の文化や歴史や伝統を静かに、大らかに肯定しつつ、個別の欠点については、改める努力を始めるべきではないかと思っています。


おわりに

 誤解していただきたくないのですが、本日私が書き連ねた組織的な反省や対策は、私がこのブログを書き続ける中で得た、個人的な見解で、決して新団体の正式決定ではありません。吸い上げてもらえる部分もあるでしょうし、取り上げてもらえない提案もあるでしょう。それに、今日申し上げたことは「組織論」に限られていますので、具体的な運動目標や政策については、まったく新団体の公式発表を待っていただかなければなりません。

 ともあれ、今日までお付き合い下さった皆様には厚く感謝し、お礼を申し上げたいと思います。

 「もう一つの『つくる会』顛末記」は今日でお仕舞いです。ただ、これからも、必要に応じて、お知らせなどを掲示することがあるかも知れません。

 今後、このブログは、「つくる会」騒動を伝える資料として残すつもりですが、コメントの書き込みについては、今月28日(水)をもって終了にしたいと思います。

それでは皆様、本当にありがとうございました。

平成18年6月25日

新 田  均
もう一つの「つくる会」顛末記(最終章2)ー進歩主義の論理は超えられるかー
「歴史を解釈するときに、まずある大前提となる原理をたてて、そこから下へ下へと具体的現象の説明に及ぶ行き方は、あやまりである。歴史を、ある先験的な原理の図式的な展開として、論理の操作によってひろげてゆくことはできない。このような「上からの演繹」は、かならずまちがった結論へと導く。事実につきあたるとそれを歪めてしまう。事実をこの図式に合致したものとして理解すべく、都合のいいもののみをとりあげて都合のわるいものは棄てる。そして、「かくあるはずである。故に、かくある。もしそうでない事実があるなら、それは非科学的であるから、事実の方がまちがっている」という。
 「上からの演繹」は、歴史をその根本の発生原因と想定されるものにしたがって体制化すべく、さまざまの論理を縦横に駆使する。そして、かくして成立した歴史像をその論理の権威の故に正しい、とする。しかし、そこに用いられている論理は、多くの場合にははなはだ杜撰なものである」(竹山道雄『昭和の精神史』講談社学術文庫、13-14頁)。

「「上からの演繹」がいかに現実とくいちがい、しかもなお自分の現実理解の方式をたて通そうとして、ついにはグロテスクな幻想のごときものを固執するようになるかー。それの例をわれわれはいくらも身近に感じることができる。」(同書、33頁)

「人間は外界によって直接にうごかされるのではなく、外界について彼がいだいているイメージによってうごかされるのだから、かくて成立した世界把握が大きな力となって社会をうごかす。それは科学に名をかりながら、むかしの魔術を思わせる。
 もともと魔術の本質は、ある特定の世界像をあたえて、それにしたがった行動をさせることだった。いま論理はまさにこれと同じ役目をしている。そしてインテリほど論理にたよって判断するから、インテリほど魔術にかかっている」(同書、35頁)


 かつて「日本ファイズム論」という幻想が一世を風靡していた時代がありました。上記の文章は、その時代に、竹山道雄氏が「進歩主義の論理」(=「上からの演繹」)の「まやかし」を見破るという観点から、その論理に根本的な批判を加えた論文の一節です。

 私の専門は近代日本の政教関係の研究ですが、竹山氏の教えに導かれて、「日本ファシズム論」の亜流である「国家神道論」という幻想を、吟味・批判してきました。それを行うに当たって、竹山論文から学んだ方法論というのは次のようなものです。

「歴史を解明するためには、先取りされた立場にしたがって予定の体制を組み立ててゆくのではなくて、まずいちいちの具体的な事実をとりあげてそれの様相を吟味するのでなくてはなるまい。前提された発生原因から事実へと下るのではなく、むしろあべこべに個々の事実から発生因へと遡るのでなくてはなるまい。固定した公理によって現象が規定されるのではなく、現象によって公理の当否が検証されなくてはなるまい。外から形をわりつけるのではなくて、その事自体についてその事がもつ形を見きわめるのでなくてはなるまい。考究の出発点は、うたがうことのできない現象が直接に語る意味を解読することからはじめなくてはなるまい。」(同書、38頁)

 一言で言えば、私が研究上やってきたことは、「事実に依拠した、仮説の公理化への異議申し立て」だったわけです(私の専門研究の方に興味がおありの方は、拙著『「現人神」「国家神道」という幻想』PHP研究所、をご覧下さい)。

 ここまで書けば、もう賢明な読者には、私が何を言おうとしているかがお分かりになったことだろうと思います。そうです。「つくる会」騒動を語るにあたって、西尾氏や藤岡氏が「進歩主義の論理」「上からの演繹」を用いたのに対して(曰く「コンピューター問題」「生長の家グループの介入」「近代保守コントラ神社右翼・宗教右翼」「会長によるクーデター」「中共対日工作の窓口」「怪メール問題」)、私はこのブログで竹山氏の方法論を用いて対抗してきたのです。


 ところで、「近代保守」たる西尾氏も藤岡氏も、「自虐史観」「日本ファシズム」「侵略戦争」「南京大虐殺」「従軍慰安婦」などといった「上からの演繹」には反対していたはずです。ところが、「つくる会」騒動に関しては、まったく「進歩主義の論理」に逆戻りしてしまいました。私は、ここに、「近代保守」、すなわち「戦後保守」が清算できていない戦後教育の残滓、その深い爪痕を見る思いがします。

 自分の日常生活から遠い「大きな物語」については、「進歩主義の論理」を乗り越え、それですっかり戦後教育を克服できたつもりでいたのに、自らの利害や面子、権力や立場が直接的に関係してくる日常的な場面では、未だに「進歩主義の論理」にどっぷりと浸かったままであることが露見してしまったのです。

 「つくる会」の運動が爆発的な力を発揮できた背景には、創業者がもっていた巨大なエネルギーがありました。けれども、最後まで残った人々を見ると、それはエネルギーはエネルギーでも負のエネルギー、否定や反発、さらにその底には、個人的な不遇感や劣等感、歪んだ上昇志向などがあったように思います。そして、どうやら、そのような負のエネルギーと「進歩主義の論理」とは親和性があって、内攻して自己崩壊をもたらす危険性を孕んでおり、知らない内に、自分が否定したはずのものに、身近なところでは、そっと忍び寄られ、すっかりからめ取られてしまっていた、ということだったのだと思います。

 ここから得られる教訓は、“自分の身の回りの「小さな物語」についても「進歩主義の論理」を克服する努力をはじめなければならない”“他人に向かって「上からの演繹」の否定を求めるのと同様に、自分の利害・嫉妬・羨望・欲求・劣等感・不遇感・憎しみ・怒り・人間関係などが絡まる世界で、内なる戦後、内なる進歩主義史観の超克を目指さなければならない”“負のエネルギーを、静かな誇り、感謝、愛といった正のエネルギーに置き換える”ということだと思います。

 西尾氏は、私たちが書いた文書の中に、執行部のやっていることはまるで「東京裁判の問題点と同じ性質です」「まるで南京大虐殺を左翼がでっちあげて日本軍国主義批判を展開することを想起させます」とあったの捉えて、「見当はずれの、全共闘学生と変わらぬ、おどろおどろしい言葉」だと言い、「いったいこれが保守の仲間に向ける言葉でしょうか。私がもう共に席を同じくしたくないと思ったのはこのような言葉の暴力に対し無感覚な、新しい理事の出現です」と書きました。

 西尾氏が、私たちの言葉に「暴力」を感じとり、これほどまでに怒り、恐れ、慌てふためいたのは何故か。それこそ、「近代保守」を自称する彼の本質的な欠陥を言い当ててしまっていたからだと、今になって思います。私の本質的な弱点を「見たな!」というわけです。

 ですから、西尾氏が、その内的欠陥を克服する道を選ばないならば、表面的な対立を言い立てて、私たちを排除することでごまかすより仕方がなかったのでしょう。

もう一つの「つくる会」顛末記(最終章1)ー内ゲバの論理はこえられるかー
1.高橋和己の思想

「革命を遂行する過程で、圧倒的な敵の包囲の中で不可避的にとられる秘密結社組織や陰謀性も、次の段階では自己否定して組織や指針を公開化し、さらには党派自体を解体してゆくべきであるということも、思念自体としては、否定する人はあまり多くない。しかし、これまでの革命史の現実は遺憾ながらそうではなく、今後も、真にそうありうると思っている人はおそらくはなく、また革命運動それ自体のなかにそうした自己否定、少なくとも自己相対化の要素を導入しようとしている集団はほんどない。」(高橋和己「内ゲバの論理はこえられるか」『わが解体』河出文庫、174頁)

「苦しい変革過程の運動形態のなかに孕まれていなかったいかなるものも、権力奪取後に不意に姿をあらわすことはない。権力奪取後に、自由が制限されるなら、それは運動形態自体のなかにすでに自由はなかったのである。」(同書、215頁)

「現権力者は、あらん限りの悪を、合法性の名のもとに敢えてしている。フェアプレイだけをやっていては、実際の活動は出来ないし、道徳的人気だけでは、権力をくつがえすことはできない。にもかかわらず、未来を担う階級は、やはり、現体制の維持者以上の道徳性をもっていなければならない。/革命を、単なる易姓革命、王朝交替におわらせないために、ある場合には自らを呪縛するように働く、新しい道徳性を、運動の過程それ自体のなかで築いていっていなくてはならないのである。」(同書、216頁)

 上記の文章は、私が学生時代に読んで、赤鉛筆で線を引いていた部分です。私が理想や運動や組織というものを考える時には、常に、高橋和己のこの言葉が一つの基準となっていたように思います。

 西尾幹二氏は、私のことを「全共闘的」と評しました。それは私の理事会における発言を指してのもので、その発言自体が存在しないのですから、その意味ではお門違いです。しかし、私の思想的・行動的あり方の本質的な部分に、高橋和己の影響を感じとっていたのだとしたら、やはり、評論家として天才的な嗅覚をお持ちなのだと認めざるを得ません。

「自らを呪縛するように働く、新しい道徳性を、運動の過程それ自体のなかで築いていかなくてはらない」との思想は、「両刃の剣」です。敵だけを切り捨て、自分には何の危険も与えない「刀」ではありません。その思想が導入されることの危険性をいち早く察知し、恐れ、怒り、あわてふためいた。これが、西尾氏を深層で駆り立てた情念だったように思います。

 創業者の考え一つで昨日までの同志に突然切りつけ、言うことを聞かなければ冤罪をでっち上げて罵倒し、追放する。使用人の分際で主人に逆らうなどとはとんでもない。こうした思考は、「自分達はサヨク以上の道義性をもっていなければならない」と考える私にとって、小さな問題どころか、運動や組織の根幹に関わる問題で、とても受け入れられるものではありませんでした。

 しかし、そうやって、一段高い倫理性を会に求め、内ゲバの論理をこえようとしたことが、かえって、内紛を激化させてしまったという面も否定できません。このことは、どう総括したらいいのでしょうか。


2.士(サムライ)の思想

「『葉隠』にあっては、まず「個」としての武士の完成が要求された。それは「御家を一人して荷ひ申す志」というものを、常に胸のうちに蔵しているような能動的で、自我意識の強烈な「個」としての武士である。そして主君に対する忠誠の問題は、このように完成された「個」としての武士の、主体的で能動的な自己滅却として捉えられていたのである。

 さればこそ、主命への事なかれ主義的な恭順ということは『葉隠』の最も嫌悪するところであった。「事によりては主君の仰付をも、諸人の愛相をも尽くして」、おのれが信ずるままに打ち破って行動せねばならないこともある。畢竟は主君、御家のためを思う心さえ堅固であるならば紛れはないものとする。

 あるいはまた、自己の名誉を侵す者は、たとえ相手が主君であっても、その不当を強く申し立てるべきであるとも主張する。自己の働きに対する評価や行賞が、言われなく過小であると判断したならば、「一入勇み進み候」て、異議を申し立ててこそ鍋島家代々の侍というものだとする。しかるに不当の待遇を受けながら、「面目なき次第」などと頭をかいているような気概のない者では、将来とも役に立つ見込みは望めないのである。

 自己主張の激しい彼らは扱いに面倒で手の焼ける厄介な存在ではあるが、ひとたび主家が困難に直面し、存亡の危機に陥ったときにも、けっしてひるむことなく、保身に走ってその場を逃げ出すということなく、己一人にても御家の危難を救うべく、全身全霊を尽くして困難に立ち向かっていく者たちなのである。「曲者は頼もしき者、頼もしき者は曲者」と述べる所以であり、御家にとって真に役に立つのは、このような者たちであるとされる。」(笠谷和比古『士(サムライ)の思想』岩波書店、85-86頁)

 これは昨年12月15日の八木会長声明が出た頃に、私が八木氏や宮崎氏にファックスした文書です。
 私も「くつる会」がもっと戦える組織になることを望んでいましたが、それは、西尾氏や藤岡氏が考えていたような、上意下達を徹底させて、名誉会長や副会長の意のままに動く組織にし、指示待ち人間を増やす、ということではありませんでした。むしろ、それぞれの理事や事務局員や会員が、自らの見識と誇りにかけて、自己責任で戦う強固な「個」となることを目指す。その強固な「個」の集合体であってはじめて会は戦闘集団たりえる、そう私は考えていました。

 しかし、八木氏や宮崎氏を励まし、ともに戦ってみて分ったことは、私たちが素朴に信頼していた言論人や会員に、実に深く、戦後の「平和思想」「非戦論」が浸透している、ということでした。「言っていることは分かるが、争うのはよくない」「戦えばどっちもどっち、泥仕合だ」「とにかく仲良く」。
 戦後体制の中で、戦いの意味を奪われ、それゆえに、戦いの中で正邪の区別を見極める体験を積むこともなく、ただ「和を以て尊してなす」ことだけを教えられ、それが魂の底にまで染み着いてしまっている。これでは、百戦錬磨の外国と対等にやり合えるわけがありません。
 明治の指導者たちは、外国とやり合う前に、厳しい藩内闘争を勝ち抜いた人々でした。その経験があったから、腹も据わり、外交も上手だったのだろう、とつくづく思います。だから、私たちが戦える組織を目指すなら、内部闘争の肯定的な面をもっと認識すべきでしょう。

 しかし、そうなると、これまた、内紛の連続となることが懸念されます。そうならないためには、どうしたらいいのでしょうか。
 強い自負心と誇りとをもった強固な「個」としての「曲者」。一人でも戦えるだけの覚悟を備えた「士(サムライ)」。その思想を甦えらせつつ、他方で、醜い内紛を防ぐためには、どのようすればいいのでしょうか。


3.天照大神の神格に学ぶ

 「つくる会」は、一芸に秀でた創業者を、あたかもすぐれた日本人の代表のように演出することで、多くの人々の期待を集めて来ました。それで成功したわけですが、やがて、創業者の驕りと、一部の会員による創業者の神格化がはじまり、ついに軌道修正することができませんでした。ここに「つくる会」の悲劇の一つがあったと私は見ています。

 ですから、私たちは、一人一人が誇り高い士(サムライ)となることを目指す一方で、決して、自分が万能ではなく、限られた視野しか持たず、判断を誤る可能性をもっていることを十分意識して、謙虚な心を忘れず、不断に研鑽に努め、神格化されることがないように心がけなければならないと思います。

 これは考えてみれば、日本人にとっては当たり前のことです。なにしろ、最高神の天照大神自身が、最初から完成された神格ではなく、さまざまな失敗体験を経て、徐々に神格を磨かられていった方だったのですから。

 高天原を治めはじめた頃の天照大神は、お別れを言うために高天原に登ってきた弟のスサノオノ尊の心さえ正確に理解できませんでした。そのために、初めは武装して待ち受け、次にスサノオノ尊の心を確かめるために占いをし、占いの結果が出てからはスサノオノ尊の大暴れを抑えることができず、ついに、天岩屋に引きこもってしまいました。
 高天原には、個々の能力においては天照大神をも凌駕する神々がおられましたが、光を与える中心者がいなくなってしまうと困り果て、天照大神に出てきていただくために、天岩屋の前で祭りを行うことにしました。この祭祀によって、天岩屋から引き出された天照大神は、高天原の中心者に相応しい神格へと進化を遂げられたのでした。

ここで再び葦津珍彦氏の文章引用します。
「天照大御神の神話は、全知全能には遠い感じである。弟の「すさのをの命」の意思を誤り解せられたといふやうな話も出て来る。高天ヶ原の神話では、ただ「知」といふことでは「思兼の神」とか、「力」といふ点では「手力男の命」とか、おそらく大御神以上の能力者もあるのではないか。前に大御神が御自ら祭りをされたといったが、おそらく海山、風水を治めたりするには、大御神以上にも能力のある神々があったのではあるまいか。」(『天皇ー昭和から平成へ』143頁)

「天照大御神は、ただ独りの全知全能にして無謬の神ではなかった。高天ヶ原に於ても、御自らよりも、より有能(あるいはよりすぐれた)神を祭り給ひ、多くの有能有力なる神々の存在を認めて、その神々の能力をより高からしめることにつとめられた。」(同書、145頁)

 高天原では、様々な能力を有する神々が、その神々を適所に配置し、その能力をいっそう高めようと努めておられる天照大神を中心として、互いの能力を認め会い、尊敬しあって暮らしておられる。我々の先祖が、そのような世界を理想としたのであれば、私たちもまた、個人として、組織として、どこまでそのような世界をこの地上で実現することができるのか。そのような問題意識で生きた時、内ゲバの論理はこえられるのではないか。私はそう思っています。

もう一つの「つくる会」顛末記(7)―呪術的逃走―
「およそこの地上で、人間によって構造されたものは、王朝であれ政治権力であれ、あるいは宗教教会であれ、大いなる権威を有するものの歴史には、一つの宿命的法則がある。それらは、初めにおいては、それぞれの理想をもち、それ故にこそ権威を高めたのであるが、社会的権威と権勢とが高まれば、時とともに、必ずやそこに罪とけがれが集中して汚染され、やがて汚染が進めば、当初の権威の源となった存在の意義も失って滅亡して行く。その汚染をいかにして浄めて行くかが一大問題である」(葦津珍彦『天皇ー昭和から平成へ』神社新報社、36頁)

「外国の王朝にも、政治権力者にも、偉大なる思想はあった。特にシナ大陸の文明的王朝などには、私のあこがれるやうな歴史も少なくない。しかしそれは、その建国の思想が頽廃して行くと、復元するバイタリティがなくて亡び去ってしまった。それは人間の優劣の差ではなくして、その初めの理想を守り、頽廃すればそれを克服し復活しようとする祈り(大祓ひ)、祭りの優劣の差だったのだと思ってゐる。」(同書、35頁)

 以上の文章は、戦後長らく神社界の理論的指導者だった故葦津珍彦氏の言葉です。「つくる会」騒動の最中、私は頭のどこかでこの言葉を意識していたように思います。
 私も「神社右翼」のはしくれとして、祈りに導かれた行動によって、なんとかしたいともがきつつ、しかし、「つくる会」の組織自体に「祭り」の浄化機能が組み込まれておらず、しかも、汚染の堆積がことのほか進んでしまっている状況では、個人的な努力にも限界がありました。

 「神様でもどうしようもないケガレもある」ということは、日本の神話でも語られています。『古事記』に登場する黄泉の国です。火の神を生んだことによって死んでしまったイザナミノ神を追いかけて、黄泉の国に行ったイザナギノ神は「私とお前が作った国は、まだ完成していない。だから、帰って来て欲しい」と呼びかけました。しかし、闇の中で光を灯してしまったことで、醜いイザナミノ神の正体を見てしまい、恐れて逃げ出してしまいます。

 ある時、光をともしたら、本当の姿が見えてしまった。もう一緒には居られない。出ていくしかなかった、というわけです。

 すると、イザナミノ神は「よくも私に恥をかかせたわね」と怒り、黄泉の国の醜女にあとを追いかけさせました。イザナギノ神は身に付けていたものを次々と投げすてて、逃げていきます。

 臨床心理学では、これを称して「呪術的逃走」と呼ぶ、とどこかで聞いた記憶があります。「ダメだ、危ない」と分かったら、何とかしたいとか、守りたいとか、続けたいなどという執着は捨てて、「さっさと逃げ出すしか、生き延びる術はない」ということらしいのです。

 投げ捨てた装飾品が葡萄や竹の子に変わって、醜女がそれを食べている間に、イザナギノ神はどんどん逃げて行きます。

 私たちが辞めた時点で「つくる会」には1億円近い資金がありました。その内の3000万円強は、八木さんと宮崎さん、二人の運動姿勢に共鳴した方たちが次の運動のためにと寄付して下さったお金で、全く手つかずのままでした。ですから、二人が会の運動をつづけられないと分った時点で、「出資者にお返しするのが筋ではないか」という議論も出ました。しかし、そんなことをすれば「会員の浄財を持ち出した」などと逆宣伝されることは目に見えていました。「こんなことで先生たちに泥をかぶせるわけにはいきません」という出資者の方々のあたたかいお言葉もあり、そのままにして会を出てきました。

 醜女の追跡を振り切って黄泉ひら坂にたどり着いたイザナギノ神は、大きな岩で坂を塞ぎ、追いかけてきたイザナミノ神と問答します。イザナミノ神が「あなたの国の人間を一日に千人殺しましょう」と言うと、イザナギノ神は「それなら私は千五百人生みましょう」と答えるのでした。

 この後、イザナギノ神は、身体に残ったケガレを祓うために筑紫の日向の橘の小門のあわぎ原で禊ぎをされました。すると、マガツヒノ神という禍をもたらす神が生まれたり、ナオビノ神という禍を取り除く力をもった神が生まれたりと、次々に神々が誕生していくのですが、最終的には、天照大神の誕生へとつなかっていくわけです。

 このブログを書き始めてから今日までの日々を振り返ってみますと、なんとか黄泉ひら坂を岩で封印しようとする試みから始めて、イザナミノ神の呪いの言葉を跳ね返し、残ったケガレを祓うために禊ぎを続けてきた、そんな過程のように感じられます。
 書き続ける過程で、さまざまな問題点が見えてきました。それと同時に、いろいろな課題やアイデアも浮かんできました。そして、新たな希望の光をはなつ新団体の誕生が具体的日程にのぼってきたのです。

もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(19)ー西尾幹二氏の言説の変遷ー
【解説】

 ここ最近の資料編は、藤岡氏の言説に焦点を当ててきました。その印象が強烈なために、藤岡氏が「つくる会」騒動の第一原因者のように見えてしまったかもしれませんが、私は、西尾幹二氏こそ、最大の火付け役であり、扇動者だったと考えています。なにしろ、西尾氏の大騒ぎがなければ、昨年12月15日の段階で「コンピューター問題」や「事務局長人事問題」に決着がつき、もしかしたら、藤岡氏の本質がこれほど世間に露出することもなく、様々な困難な条件がそろっていたとはいえ、なんとか八木氏のリーダーシップで会がまとまっていくことができたかもしれないのです。

 ところで、文筆に携わる者は、最低限の倫理として、言葉と心や事実との一致に努めるべきだというのが私の考えです。ところが、西尾幹二氏は、そのような倫理観とは無縁の方でした。むしろ、それを意図的に無視することで、かえって大きな影響力を保ち続けてこられたのではないか、とさえ考えられます。

 むかし、早稲田大学で、ある教授がマルクス経済学を批判して、「マルクスの矛盾が露呈しなかった理由の一つは、『資本論』が長すぎることにある。誰も前の主張を覚えていないから、後で矛盾したことを書いても気付かれなかったのだ」と言っていたのを思い出します。
 西尾氏の巧みなレトリックに、あちこち引き回されている内に、具体的な物言いは忘れさせられて、西尾氏が読者に与えたいと思っている印象や先入観だけが心に残る。その言葉使いは、確かに天才的です。しかし、他方で、これほど言葉を貶め、蝕み、虐げ、弄ぶ書き手もまた希なのではないでしょうか。

 資料編の最後として、この点を明らかにする資料として、西尾氏の言説の変遷をテーマ別にまとめてみました。後の資料は、状況に応じて、必要ならば出す、ということにします。


●(資料1)西尾氏が名誉会長を辞めた理由

 4月19日の西尾ブログ「怪メール事件(四)」で「私が1月の理事会の翌日の17日に名誉会長の称号を返上し、会を離れる声明を出したのは、『つくる会』を見捨てたからではなく、会の外部に出て誰に遠慮もせずに内部の恥部を暴き、病巣を剔り出し、背後にうごめく他の組織の暗部に光を当てようと決心したからであった」と西尾氏は語っています。
 これが彼の最も素直な真情の告白であろうと私は考えています。そこにどのような戦術が隠されていたかについては、もう何度も書いてきたのでここでは繰り返しません。

●(資料2)辞めた後の「つくる会」との関係

「いかなる意味でも私は「つくる会」に今後関係を持たないこと、影響力を行使しないことを宣言します」という自分の言葉を、西尾氏が自らの行動で裏切り続けたことを証す記録です。

●(資料3)藤岡信勝氏について

●(資料4)八木秀次氏について

●(資料5)種子島氏経氏について

●(資料6)藤岡信勝氏の「平成13年共産党離党問題」

●(資料7)四理事について

●(資料8)「つくる会」騒動の原因

 最後の資料のポイントは二つです。

 一つは、4月19日、西尾ブログ「怪メール事件(四)」 で、西尾氏が次のように書いていることです。
《「四人組」は私に言わせれば「つくる会」の一角に取り憑いたガン細胞のようなものであって、放って置けばどんどん増殖するだろう。新しい理事として昔の組織の仲間を多数入れて、やがて八木氏も追い払ってしまうかもしれない。思い切って切除し、今のうちに強権で排除するか、それができなければ会そのものをスクラップにするしか、増殖を阻む手はない。Scrap and build againである。
 私はこの会に「宥和」の政策はもはやあり得ないと考えている。八木氏の代わりに強力な指導者が立って、強権発動して「四人組」を排除してしまう以外に会が救われる道はなく、そのためには現状では同じ方針を公言していた藤岡信勝氏に会長になってもらうのが一番いいと思った。それ以外に方策はないだろう。1月後半から2月にかけて、私だけでは決してなく良識派は他に選択肢はないと認識し、おおむねそういう判断だったといってよい。丁度正論大賞の受賞もきまり、藤岡氏には追い風だった。何で氏が阻まれる理由があろう。》

 つまり、「1月後半から2月にかけて」、西尾氏は、私達四人を「『つくる会』の一角に憑いたガン細胞と断定し、私達を強制的に排除するか、または、会そのものをスクラップにしようと決意していたということです。そして、そのために「八木降ろし」「藤岡擁立」を画策したわけです。ここに「つくる会」騒動の真の原因が西尾氏自身の口によって語られているのです。

 もう一つのポイントは、西尾氏をそのような行動に駆り立てた、彼の思い込みが、やはり思い込みに過ぎなかったことが、これまた西尾氏自身の口で語られているということです。

 4月19日の「怪メール事件(四)」の補記(4月21日)で、西尾氏は「保守思想界にいま二筋の対立する思想の流れがあり、私は早い時期からそれが『近代保守』コントラ『神社右翼』の対立であると公言もし、書きもしてきたが、裏づけがとれなかった」「これにより今回の騒動の背景の事情が、ようやくくっきりと浮かび上った。「左」と「右」の対立軸だけで考えて来た戦後思想界に曲り角が来たことを物語る。保守系オピニオン誌も新しい二軸の対立をあらためて意識し、選択する必要が生じ、無差別な野合は許されなくなったというべきだろう」と書きました。
 日本会議や日本政策センター、そして私たちを「神社右翼」と呼び、「つくる会」騒動の背景、原因だとしたこの図式の結論は次のようなものでした。

 「『つくる会』の出来事を振り返って全体を判断するにはまだ時間が少なすぎるかもしれませんが、なにか外からの力が働いたという印象は私だけでなく多くの人が抱いているでしょう。一つには旧「生長の家」系の圧力の介入があった、という推論を先に述べたわけですが、それは今までの仲間との癒着の油断であって、分り易いので目立っただけで、本質的な変化を引き起こしている原因ではないかもしれません。」(6月13日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (七)の1」)

 「本質的な変化を引き起こしている原因ではないかもしれません」?! これを「ペテン師の文章」と言う以外にどう評したらいいのか、私には他の言葉が見つかりません。

   ☆    ☆    ☆

●(資料1)西尾氏が名誉会長を辞めた理由


平成18年1月17日(執行部メーリングリスト)

八木、藤岡、工藤、遠藤、福田各先生へ
退会の挨拶文案を以下のとうりにさせていただければ幸いです。
 前略
 私は「新しい歴史教科書をつくる会」の創設に携わり、平成13年10月まで同会の会長、さらにその後も名誉会長の名で今日まで9年余り会の維持と発展のために微力を尽くして参りました。昨年私は古希を迎え、 同会の新しい指導体制も確立した潮時でもあるので、このたび名誉会長の称号を返上して、名実ともに完全に同会から離れ、書斎にもどることといたし度、同会幹部の合意をいただきました。
 もとより私の思想活動に変更はなく、著作面でもやらねばならぬことが山積している事情を顧みての措置です。
 今後も関係各位へはひきつずき会へのご理解とご支援を賜るよう、切にお願い
申し上げます。               敬具
                    西尾幹二

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1月18日

「若い世人と言葉が通じなくなってきて、むなしい。これからは自分の著作に専念したいと」(読売新聞)

「若い世代とは話が合わなくなった。個人の著作に専念したい」(毎日新聞)

「会の新しい指導体制が確立したため書斎に戻ることにした。教科書の執筆者は、要請されれば続ける」(産経新聞)

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3月23日(『週刊新潮』)

「私の書いた[歴史教科書の]部分を岡崎久彦氏が変えてしまったのですが、岡崎氏は“自分が手を入れたことで誰に見せても恥ずかしくない内容になった”と雑誌で自慢しているんです。それを釈明も謝罪もしない執筆代表者の藤岡信勝氏に腹が立ってしようがなかったのです」
「決定的だっのは1月の理事会でした。4人の理事の一人は私に対して、何の資格で出席しているのかと無礼なことを言う。もうバカバカしくなったんですよ」

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4月19日、西尾ブログ「怪メール事件(四)」

 私が1月の理事会の翌日の17日に名誉会長の称号を返上し、会を離れる声明を出したのは、「つくる会」を見捨てたからではなく、会の外部に出て誰に遠慮もせずに内部の恥部を暴き、病巣を剔り出し、背後にうごめく他の組織の暗部に光を当てようと決心したからであった。

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5月25日「私が『新しい歴史教科書をつくる会』を去った理由」(『サピオ』6月14日号)

理由の一つは、旧版『新しい歴史教科書』(西尾幹二氏が代表執筆者)の重要部分が、改訂版では私に何の断りもなく岡崎久彦氏(改訂版・監修者)の手で大幅に改筆され、親米的な内容にされたこと。(中略)改訂版のみが会を代表する教科書になった以上、私は会を辞める以外に責任のとりようがない。
(中略)

[4理事の]問答無用の団体的思考や、下から突き上げる一方的口調は、かつての全共闘学生と変わらない。私も1月16日の理事会で彼らの攻撃を受け、その言葉の暴力に腹を据えかねたがゆえに、「つくる会」を辞めたのである。

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6月12日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (六)の5」

 責任をとって理事が辞任するのは簡単ですが、辞任すれば会がなくなってしまうので、八木、藤岡、遠藤、福田、工藤、西尾の六人で100万円を罰金として会に支払い、謝罪の意志を表明することとし、宮崎事務局長は次長降格、給与10%3か月分カット、調査中なので当分の間出勤停止という裁定を会は自らに下したのでした。公明さを示すためにこの裁定を「つくる会」支部にも公表すべき、と言ったのは、八木氏と西尾であり、それに反対し、むしろ内々で辞職勧告とするよう慎重な道を選べ、と言ったのは藤岡氏でした。
 しかるに、新田氏らいわゆる四人組は、お前たちは宮崎に責任を押しつける手前、金を払ってごまかすという汚い手を使った、と居丈高に理事会で発言しました。私はこういうコンテクストの中で、こういう理窟を言い立てる人々とはとても席を同じくすることは出来ないと思って、それが辞任に至った直接の原因でした。


   ☆    ☆    ☆


●(資料2)辞めた後の「つくる会」との関係


1月17日(執行部メーリングリスト)

 このたび名誉会長の称号を返上して、名実ともに完全に同会から離れ、書斎にもどることといたし度、同会幹部の合意をいただきました。

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2月3日「藤岡氏宛メール]

 昨夜は貴方にとって何のためにもならない会合をなぜしたのですか。
 八木氏と握手させようとしている鈴木氏があなたの最大の敵だということがわからないのですか。
 わたしが「これから八木コントラ藤岡のはてしない闘争が始まる」といったら、あなたはニヤニヤ笑っていればいいのに、なぜすぐ打ち消したのですか。
 きのうは鈴木さんに仕切られ、あなたは八木さんのペースにはまってしまいました。なんのための会ですか。
 それよりなぜ求めて執行部会を開かせたのですか、会合をしない会長の怠惰をついて、文書攻撃をすべきだったのではないですか。
 行動は果敢に、そして孤独にひとりでゆるものです。西部グループに公民教科書で屈したときに、わたしは援軍もなく一人でした。小林を追放したときは田久保さんがみかたでした。でも貴方でさえ傍観者でした。
 こんどあなたには私をふくめ、たくさんの援軍がいます。しかし援軍はあくまで、助っ人です。それ以上のものではありません。
 覇権は自分で獲得するものです。
 私はあなたを緊急応援するように、三副会長と福地さんに今朝、檄をとばしました。   (西尾)

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2月27日の理事会前、講演先の大阪で「くつる会」関係者に西尾氏がささやいた言葉

「今度の理事会は大変なことになるよ」

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2月28日(八木会長解任、種子島会長就任の翌日)の昼過ぎ、西尾氏から種子島氏への電話(種子島氏「狂乱の春」5月26日)

この日の電話は、私の時間帯に配慮してお昼過ぎだった。
「ご苦労だが、2.3年やって、福地さんに譲るんだな」
 私は、後で述べる理由から、短期のリリーフを決意していたので、2.3年もやる気はないこと、福地さんは私が副会長を辞めた昨年9月理事に就任された方で全然存じ上げないから、会長候補の一人として考えること、を答えた。彼の人選にはたまに全然ピント外れのものもあり、こんなことで彼の意見を鵜呑みにするつもりはなかったのである。別途、二度まで「会」との絶縁を宣言している人が、その会長人事に言及するなど、遠慮すべきことをメールしておいた。
   (中略)

 私は、昨年9月以来という私にとっての空白地帯に関して、当事者に聞き、私自身考えることを始めた。その結果私なりに理解できたのだが、ここでも実は藤岡さんの呪いだったのだ。彼が年若いライバル八木さん追い落としを画策し、それに西尾さんが乗った、この二人はいずれおつらぬ自分中心の天動説論者で、宿命的に仲が悪いのだが、ただ、誰かを呪い潰そう、という際だけ共同戦線を組むこともある。いうなれば呪い仲間である。
   (中略)

西尾、藤岡両天動説巨頭は、私について読み違えていたようだ。私を会長に据えておけば、私は西尾さんの「院政」に従い、藤岡さんの「傀儡」になって、彼らの思う通りに動く、と考えたのだろう。

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2月27日の理事会後に再び大阪の「つくる会」関係者に西尾氏が語った言葉

「[2月27日の]理事会はシナリオ通りだった」

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3月7日、西尾ブログ「『つくる会』顛末記 ーお別れに際してー」

 いかなる意味でも私は「つくる会」に今後関係を持たないこと、影響力を行使しないことを宣言します。
(中略)
 名誉会長の名で会長より上位にある立場を主宰することは二重権力構造になり、不健全であるとかねて考えていましたので、いわば採択の谷間で、離脱を決意しました。
   (中略)
 しかし1月16日に重要な理事会があり、17日に名誉会長の称号を返上したのですから、昨秋より最近の内部のさまざまなトラブルに対し私もまた勿論無関係ではありません。私が自らの判断と言動で一定の影響力を行使したことは紛れもありません。
   (中略)
 いずれにせよ今日を最後に、私は「つくる会」の歴史から姿を消すことにしたいと思います。
皆様どうも永い間ありがとうございました。


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3月16日、西尾ブログ「寒波来襲の早春ーつれづれなるままにー(一)」

 3月3日には扶桑社の編集者真部栄一さんと荻窪で酒を飲み、「つくる会」の今回の推移をみていると、西尾は会を影で操っている「愉快犯」だとさんざんな言いようでからまれた。2月27日の、私がもう参加しない理事会で会長、副会長の解任劇があったことを指している。
 私は会の動きに関心はもっているがーそれもひごとに薄れていくがー影で操るような魔力を持っていると思われるのは買い被りで、残った他の理事諸氏に対して失礼な見方である。新会長に選ばれた種子島氏がたまたま私の旧友だからだろうが、私が「院政」を企てているという妙な憶測記事を3月1日付の産経新聞がどうかしているのだ。このところ産経の一、二の若い記者に、一方に肩入れしたいという思いこみかの暴走があるのではないか。私は「つくる会顛末記」を書く必要があると感じた。

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3月23日(『週刊新潮』)

「すでに辞任を表明しているのですが、院政などと誤解されないように、全く関係がなくなったことを宣言しておいたのです」

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3月29日、西尾ブログ「産経新聞への私の対応」

 産経新聞の記者の中に明かに会の一部の勢力の謀略に協力して、捏造記事を書く者がいることが以上で明瞭になったので、私に対する名誉毀損(「西尾元会長の影響力排除」)も含まれているので、本日、産経新聞社住田良能社長に書簡を送り、事実調査をお願いした。記者の名を公表し、厳重に処罰することを要求した。書簡は29日付の郵送である。

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4月2日、西尾ブログ「産経新聞への私の対応(二)ー種子島会長の書簡公表ー」

 私は心機一転して、昨日は「桜の咲く少し前」を日録に出して、バカバカしいことから離れたいと思っているのに、後から後から追いかけてくるのです。申し上げておきたい。私は会に関与などしたくない。一般会員証も返したいと思っている。たゞ私は不正を憎んでいる。なにかがおかしい。今回はなにかが狂っている。

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4月3日、西尾ブログ「産経新聞への私の対応(三)ー『諸君!』などもー」

 3月に入ってから「つくる会」の周囲には精神的になにか異様なものが漂っている。怪メール、脅迫状、偽情報を用いた新聞利用ーなどなど余りにも不健全である。「つくる会」がこれからいかに再出発しようとしても、こういうただならぬ空気を抱えた侭で自由で、の暢びやかな活動が果たしてできるのであろうか。私はそれを心配している。

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4月5日、西尾ブログ「産経新聞への私の対応(四)ー共同謀議の可能性ー」

 八木、新田、内田の三理事が天麩羅屋で共同謀議をしていたか否かについては「つくる会」の理事会に調査権がある。物事を自分に有利に運ぶために報道機関を利用した罪は重く、悪辣であり、調査の結果いかんでは、「つくる会」がの三理事の追放処分が当然の措置となる。

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4月13日、西尾ブログ「怪メール事件(三)」

 田久保氏の誠実さ、福地氏の剛毅さ、高池氏の智謀――この三つはいまだ「つくる会」に望みを託せる人間の存在を告げ知らせてくれる。何らかのことで三氏が会を去れば、この会は本当に終焉を迎える。

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4月19日、西尾ブログ「怪メール事件(四)」

 私が1月の理事会の翌日の17日に名誉会長の称号を返上し、会を離れる声明を出したのは、「つくる会」を見捨てたからではなく、会の外部に出て誰に遠慮もせずに内部の恥部を暴き、病巣を剔り出し、背後にうごめく他の組織の暗部に光を当てようと決心したからであった。
(中略)

 私はこの会に「宥和」の政策はもはやあり得ないと考えている。八木氏の代わりに強力な指導者が立って、強権発動して「四人組」を排除してしまう以外に会が救われる道はなく、そのためには現状では同じ方針を公言していた藤岡信勝氏に会長になってもらうのが一番いいと思った。それ以外に方策はないだろう。1月後半から2月にかけて、私だけでは決してなく良識派は他に選択肢はないと認識し、おおむねそういう判断だったといってよい。丁度正論大賞の受賞もきまり、藤岡氏には追い風だった。何で氏が阻まれる理由があろう。
 私はこの希望や期待を会を離れた直後の当時、誰にも隠さなかった。1月25日に九段下会議が終って、飲み屋で友人数人に事情を全部開陳した。30日の路の会で保守系知識人の諸先生に背景の経緯を全面公開し、藤岡さんにいよいよ会長になってもらうべきときが来た、と言った。その席に小田村四郎氏、石井公一郎氏といった日本会議の重鎮もおられた。
 たちまち八木氏の耳に入った。当然である。私は隠し立てするつもりもないし、名誉会長を辞めても一会員として主張すべきことを主張する権利を失ったわけではない。
 国家の機密じゃあるまいし、たかが私的団体のこれからの方向に期待を表明するのをなんで陰険に隠し立てする必要があろう。
 (中略)

 ところで、上記とは別件だが、「怪メール事件」(一)~(四)において私は「つくる会」をつぶせなどとひとことも言っていない。厳しい自己否定を潜らなければ、会の再生は望めないと言っているまでである。文章というものを読めない人がいる。否定で語りかけることが強烈な肯定であることがなぜ分らないのだろう。
 私は裏切りや謀略に関与した6人の理事の辞任を一会員として要求する。残りの理事諸氏は会を再建させ、発展させる十分な力を有しているので、会員諸氏は安心し、これからも期待してよい。

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5月21日、西尾ブログ「残された謎――種子島氏の変節」

 昔からの「日録」の読者の中には、「つくる会」問題はもうそろそろやめてもらいたいと考える人も少なくないだろう。私にしてもやめたい気持はやまやまである。読者にはあともうほんの少し辛抱してほしい。私にはまだ若干の証言責任が残っている。

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5月25日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (二)」
  
「名誉会長」は完全な閑職だったのです。私は総会が終れば辞めるつもりでした――本当に9月で辞任してしまえばよかった――が、辞めるなどトンデモナイという漠然とした「風圧」に押されてぐずぐずしていたにすぎません。
 心が会から離れていました。紛争が起きるまで、関心を失っていました。しかし何か事が起こると「名誉会長」は必ず引っ張り出される宿命にあります。みんなはそのとき私の存在を思い出すのです。

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5月25日「私が『新しい歴史教科書をつくる会』を去った理由」(『サピオ』6月14日号)

 そういう[会を辞めた]人間が、自分が離脱して以降の人事をめぐって生じた「つくる会」の混乱について発言しなければならないのは煩わしいが、1月に辞めた私に4月に怪メールが送られてくるなど、いわば「事件」が私を追いかけてくるのだから致し方ない。


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●(資料3)藤岡信勝氏について


2月3日「藤岡氏宛メール]

 こんどあなたには私をふくめ、たくさんの援軍がいます。しかし援軍はあくまで、助っ人です。それ以上のものではありません。
 覇権は自分で獲得するものです。
 私はあなたを緊急応援するように、三副会長と福地さんに今朝、檄をとばしました。   (西尾)

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3月23日(『週刊新潮』)

私の書いた[歴史教科書の]部分を岡崎久彦氏が変えてしまったのですが、岡崎氏は“自分が手を入れたことで誰に見せても恥ずかしくない内容になった”と雑誌で自慢しているんです。それを釈明も謝罪もしない執筆代表者の藤岡信勝氏に腹が立ってしようがなかったのです。

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4月8日、西尾ブログ「怪メール事件(一)」

他人の心をつかめずに退任の自由を操ろうとして、それが謀略めいてみえて、信用を失うことを彼は10年間、そして今も繰り返している。自分の権能の及ぶ範囲と及ばぬ範囲との区別が彼にはつかない。このため小さな策を弄して、他人を言葉で操って動かそうとし、現実が大きく変わるとたちまち昨日言ったことを替えて、結果的に彼を支持しようとしてきた人の梯子を外す。裏切りである。言うことがクルクル変わる。昨日顔を真赤にして怒りを表明していた相手に、今日はお世辞を言って接近する。今日たのみごとがあると下手に出て礼をつくすことばで接触するかと思うと、用が終ると、同じ人に数日後に会っても鼻もひっかけない。
 彼と付き合えばみんな分っているこういう彼の性向挙動は、多分共産党歴の長い生活と不可分で、党生活が人間性、普通の良識ある社会性を破壊してしまったものと思われる。彼は平成に入ってもなぜかビクビクして生きてきたように思える。

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4月9日、西尾ブログ「怪メール事件(二)」

 どこまでも残留するのは、およそプライドというものを持たない藤岡氏であろう。何度も副会長を降ろされてなお辞めない。彼は教科書問題の残存する場所にひっついていなければ生きていけないからなのか。八木氏に奴隷のように扱われても、伏してお願いし、理事の末端に居残るだろう。そして最後に叩き出されるだろう。

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4月19日、西尾ブログ「怪メール事件(四)」

 私はこの会に「宥和」の政策はもはやあり得ないと考えている。八木氏の代わりに強力な指導者が立って、強権発動して「四人組」を排除してしまう以外に会が救われる道はなく、そのためには現状では同じ方針を公言していた藤岡信勝氏に会長になってもらうのが一番いいと思った。それ以外に方策はないだろう。1月後半から2月にかけて、私だけでは決してなく良識派は他に選択肢はないと認識し、おおむねそういう判断だったといってよい。丁度正論大賞の受賞もきまり、藤岡氏には追い風だった。何で氏が阻まれる理由があろう。
(中略)

 2月2日の午後6時ごろ八木氏から私に電話がかゝり、これから藤岡、鈴木の三氏でつれ立って私の家に来たいという。緊急の相談があるらしい。西荻窪に彼らを迎え、空腹の三人に酒と粗餐をさし上げて、なごやかに、気分も良く話し合った。これ以上会のことを他人に話さないでほしい、というのが八木氏の私への要望であった。別れしなに「八木さん、ときどき電話を掛けてくださいよ」と私は言った。
 私の藤岡支持に変更はなかった。しかし、藤岡氏は鬱病にでもかかっているのではないかと思われるほど元気がなかった。2月3日朝、私は「昨夜の意図は?」と題したメールを彼に打った。するとメールの行間に、彼がペンで反論を書きこみ、ファクスで送り返して来た。それが以下に掲げる「西尾・藤岡往復私信」の全文である。
  (中略)

 以上の「西尾・藤岡往復私信」を経過して、私は藤岡氏にいたく失望した。穏和しい性格ではないのに、妙に温良ぶっている。戦意をすでに喪失している。昂然の気概がない。それにまた、心を打ち明けあった「私信」にユーモアひとつ書けないようではもうダメだ、先行きこれは見込みないと正直がっかりした。
 「覇権」ということばがたゞのレトリックだということがどうして分らないのだろうか。「私の目的はよい歴史教科書を多くの子どもに届けることによって日本を建て直すこと」だって?
 冗談じゃないよ。なんでこんな当り前すぎる、教訓めいたことばしか出てこないのか。
 せめてひとこと「私は覇道ではなく王道を歩みます。されば援軍は雲霞のごとき大軍となりましょう。ご心配なく。」くらいの悠然たる言葉をなぜ吐けないのか。
 心がちぢこまって、生真面目がいいことだと思って、言葉に遊ぶ心が全然ないのである。それでいて物静かで地味な真面目さが本領という人柄ではなく、何かというとむきになって、顔を真赤にして、激語乱発で怒っている。
 もちろん怒ることはいい。怒りは精神の高貴さにつながる。しかし真の怒りにはどこか他が見て笑いが宿っているような風情がなくてはいけないのだ。
 この「私信」は私が藤岡氏に本心をぶっつけ、彼が自分の正体をさらした最後の記念的文章だから全文をのせた。これ以後、会長候補として彼を支持する気持はどんどん失せていった。私は彼を可哀そうな人だと思うようになった。彼は何が理由か分らぬが、すでに背骨が折れている。)

 1ヶ月後の3月初めにさらに何かが起こったようだ。藤岡氏は6日の首都圏支部長会議で「八木氏は日本の宝です」と発言し、周囲をびっくりさせた。5日にはメールの激語が八木氏の家族をおびやかしたからといわれて、菓子折を持って八木氏宅に謝罪に行ったという噂がパッと広がった。鈴木氏がここでも悪い役割(藤岡氏の男の値打ちを下げる)を果たしている。
 あの「怪文書1」、「日本共産党離党H13」のメールがあちこちに撒かれたのは3月初旬の同じ頃である。因果関係は分らない。
 藤岡氏は3月11、12日の全国評議員・支部長会議で沈痛な表情で多くを語らなかったそうだ。いい気になって藤岡排撃の侮辱語を並べる新田氏の演説に隣席でじっと耐えつづけるその姿は、哀れを催すばかりの悲惨さであった、とある評議員が私に報告してきた。
 「つくる会」の半年に及ぶ混乱の原因の第一は、もとより八木氏の職務放棄とくりかえされる反則行動にあるが、しかし、それよりもっと大きな原因は藤岡氏の人間としての弱さにある。一方が倒れかかっているとき、他方の軸がぐらついていてはどうにもならない。いよいよになると藤岡氏は不可測な行動をする。
 ある理事に私が「藤岡さんには失望した。彼は将たり得ない人物だ」と言ったのもこの頃である。
 (中略)

 私は藤岡氏に同情こそすれ、決して道義的な罪を犯したことはないが、氏は2月3日付の「西尾・藤岡往復書簡」を同じ日に鈴木尚之氏に渡した、と表明している。一生懸命に彼を支援しようとしていた私に対する、同じ日の直後に起こった背信行為である。
 「八木氏と握手させようとしている鈴木氏があなたの最大の敵」と書いた私のことばに藤岡氏は「全くのまちがいです」と付記した事実はご覧の通りであるが、鈴木氏に対し自分が善良な心を持っていることを証明し、鈴木氏への忠誠心を誓うために私との「私信」を利用したのである。
 自己弁明のためにあっさりと他人を売る。しかもその他人は自分を守り、支えようとしている人である。信義は弁明より値が安い。自分が誰かに媚を売るために、信義なんか糞くらえ、なのだ。藤岡氏はそういう男である。
(中略)

藤岡さん、やはりあなたが保守思想界に身を投じたのは周囲の迷惑であり、あなたの不幸でもあったのではないか。

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5月21日、西尾ブログ「残された謎――種子島氏の変節」

 藤岡氏は2月27日の八木会長解任の前後まで意気盛んで、八木氏と四人組を追放することに自信満々の風があったが、3月初旬から急変して、弱腰になり、八木氏にすり寄りだした。なぜだろう。多分、「怪文書1」(党歴メール)の脅迫効果だろう。本人は証言していないが、私でなくても歴史の記録者は他に理由は考えられないと書くだろう。

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5月23日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (一)」
         
 坂本〔本多加雄〕氏が藤岡氏を評して「最初会ったときは田舎の中学校の先生みたいな素朴な人の印象だったが、間もなく断然変わっちゃったからなァ」と言ったのを覚えています。どう変わったかというと、「藤岡さんは次々と人を追及し、弾劾して、あれでは最後には自分以外はひとりもいなくなってしまうよ。」と言っていました。今よりもっと凄かったのです。
 最初の4年半(私の会長時代)に比べれば、今の藤岡さんはずっと穏やかな、場を弁えた紳士です。昔見ていた狼のような猛々しさがむしろ懐かしい。
 善かれ悪しかれこの会は藤岡氏の個性、創意と熱情でもって来ました。ほかにも小林よしのり氏や濤川栄太氏のような個性豊かな巨獣がいて、私はサーカスの猛獣つかいでした。よくやれたものです。
 藤岡氏の存在なくしてこの会はなかった。私はそれをはっきり言っておきます。私自身は「教科書」に基本的に関心がないからです。にも拘らず、藤岡氏の存在がこの会をたえず危くもしてきました。
 ただし藤岡氏は今回なにも咎められるようなことをしていません。むしろ一番、首尾一貫していて、大きく変節したりしない立場を貫いてきました。それでも、辞任していった八木元会長以下いわゆる「四人組」の理事諸氏と宮崎元事務局長の藤岡氏への「憎悪」の情は並大抵のものではありませんでした。

 私も藤岡氏からは何度も煮え湯を呑まされています。その個性の特殊性については「怪メール事件(一)」で詳しく分析しておきました。私以外にも、氏に対し好き嫌いのレベルで複雑な思いを抱く人は少なくないでしょう。
(中略)

 ここまでくると私は藤岡氏が哀れでなりません。保守思想界に身を転じたのは周囲にも迷惑だっただけではなく、ご自身にも不幸だったのではないかと前に書きましたが、今もその所見は変わりません。
 平成8年の「つくる会」創設の少し前に、噂を聴いて、藤岡氏の上司であった天野郁夫東大教育学部長が――私は当時非常に親しくしていました――私に葉書を寄越した。「西尾さんが組むべき相手ではない。あなたはきっと後悔する。止めなさい」と書いてきました。
 止めておけば良かったのかもしれませんが、しかし私は必ずしも後悔はしておりません。藤岡氏の野性の激しさ、論理の明解さに私は共感もし、同調もしてきたからです。10年という歳月、私と氏は共闘して来ました。その歴史は元へ戻りません。

 昨年の夏から始まった「つくる会」内紛では、藤岡氏は八木氏とその仲間たちよりもはるかに筋が通っていました。だから私は彼を支持したのであり、今も変わっていません。たとえ陰険だとか冷酷だとかいわれても、彼にはもっと激しく、もっと真直に、信念を曲げず、初志貫徹を目指してやってもらいたいと思っています。
 一番いけないのは氏が神妙に妥協的になることです。柄にもない優雅を装い、礼節を演技し、口先の宥和を目指す場合の自分らしさの喪失です。どうか恰好をつけないでほしい。
 たとえ相手が産経でも、おどかされて妥協したらすべてを失いますよ。最近の藤岡氏は、自分が悪役だと思われたくないためにか、おどかされてビビったり、他人に責任を転嫁したり、考えをクルクル変えたりするようになり、私は心配しています。心理的に「躁」の状態と「鬱」の状態の落差が大きくなってきたからです。
「つくる会」の安定は何といっても藤岡さんの心の安定が鍵です。まずこれは本稿の第一前提とします。

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5月31日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (三)の1」
 
 初代の事務局長は草野隆光さんといい、北大の助手をしていて、藤岡氏が北海道から連れて来ました。助手といっても藤岡氏より年上で、東大教授の藤岡氏を見下す態度でものを言っていましたので、いつか何かが起きそうだという予感は最初からありました。
(中略)
 草野さんは間もなく、私の知らない所で案の定藤岡さんと衝突し、会を去りました。草野解任に関する限り、私も狐につままれたようで、事情をまったく知りません。藤岡氏が「草野君はケシカラン」としきりに息まいていた顔だけを覚えています。本当に何があったのでしょうか。無責任といわれても、藤岡氏が北海道からつれて来た人のことですから、あの件だけは私の記憶の中は空っぽです。

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6月3日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (四)の2」

 さて、平成13年の第一回採択戦が敗北に終って、平成17年の第二回採択戦の後とまったく同じように、事務局の改革が自己反省の第一に取り上げられた時期に、事務局長高森氏はあらためて仕事ぶりが問われることになります。
(中略)

 けれども藤岡氏だけは事務局長のやる気、企画力、運動力が問題だと言い出していて、高森氏のやり方にいちいち疑問をぶつけるようになっていました。
 事務局の能率化を唱えている藤岡氏と高森氏の間は間もなく険悪になります。要するに藤岡氏は仕事をテキパキ合理的に推進することを事務局に求め、だらだら無方針で、非能率にやることが許せない性格なのです。他方、私は要するに放任派で、だらしなく、藤岡さんは責任感が強く、厳格だということです。宮崎氏に対したときとまったく同じ状況が生まれました。

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6月9日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (六)の3」

 藤岡氏は財務の一件[会員管理システム契約時のこと]になるといつも完全に沈黙します。後で人から聞きましたが、「西尾氏がコンピュータのことで騒ぐのは、田中会長を困らせ、追い落とすための工作だ。」こんなことを言ったというのです。


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●(資料4)八木秀次氏について


平成18年1月10日(執行部メーリングリスト)

八木会長殿

会長の藤岡氏への回答のなかに、「会長としては執行部内部の宥和を図らねばな らず」という文言があるが、会長はどうしていまさら「宥和」という言葉を使えるのであろうか。会長は昨年の12月25日より前に、副会長四氏と私に対し必死に説得し、説明し、状況を打開すべく努力し、執行部の意思統一を図る立場ではなかったであろうか。それがあったならいま「宥和」という言葉を使うことも 可能であったろう。

しかるに実際には会長はわれわれ他の執行部メンバーを無視し、言を左右にして逃げ回り、答えず、語らず、みずから主催すべき執行部会をひとごとのごとくに他にゆだね、われわれの要請にさながらいやいやながらの風情で少しだけ応じ、しかも謝罪せず、感謝もせず、「宥和」を図るどころか、あたかも「対立」を密かに期待するがごとき行動であった。

というのは、他の執行部メンバーに完全に秘密裏に、問題の渦中の人物宮崎氏を中国に平然と同行した一件のもつ不可解さだ。ある理事いわく「裁判官が被疑者を料亭につれていったようなもの」と評されるようなことをやってのけたのは、宮崎氏を問責している立場のものへの無神経な挑発であっただけでなく、執行部への裏切りともいうべき行動であった。

加えて反乱の長であり、全共闘まがいの言辞を弄して常識ある他の理事を今度という今度はほんとうに心底驚愕させた内田理事をひとり不用意に年末の事務局の納め会に呼び、「対立」をさながら煽るがごとき行動をくりかえした。何がいまさら「宥和」であろう。「対立」をみずから拡大しておいて、自らの陣営をかため、そのうえで「宥和」をいいだすのは党派的な、あまりに党派的な利益誘導行動であって、底意を疑わずにはおられないものがある。

これはよくある革命政治家の行動パターンである。八木氏はなにを考えておられるのか。なにを画策しておられるのか。意図的ではないか。

あなたはこの会が教科書の会であり、採択を最優先課題においている地味な会であることを知ったうえで行動しているのか。それとも他のなにかのーーそれは何であるかはわからないがーー 目論見があり、手段として会を利用しようとひそかに考えて行動しているのではないか。あなたの一貫した行動にはそうとしか思えないものがある。

われわれの誤解をとくために、あなたは謙虚に全力をあげて説得にあたってきたであろうか。それどころか、そういう努力はつねにせず、いきなり「宥和」という旗をかかげて、すべてをあいまいにして、ご自身の底意を覆い隠そうとしているのではないか。

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3月7、日西尾ブログ「『つくる会』顛末記 ーお別れに際してー」

 八木さんが不手際だったとも思いません。彼は彼で精一杯会を守りたいと念願していたのでした。しかし、藤岡さんはじめ他のメンバーも会を守りたいと考え、激しくぶつかるほかありませんでした。

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3月16日、西尾ブログ「寒波来襲の早春ーつれづれなるままにー(一)」

 八木秀次氏から会いたいと電話が入り、3月5日の日曜日の夜、西荻窪の寿司屋でゆっくり会談し、肝胆相照らした。彼は私の息子の世代である。彼が会を割ってはいけないという必死の思いだったことはよく分った。しかし、それならなぜそのことを辞表を出した三人の副会長や私に切々と訴えておかなかったのか。言葉が足りなかったのではないか、と私は言った。電話一本をかける労をなぜ惜しんだのか。
 すべてことが終ってからの繰り言はこんなものである。八木さんは自分の解任は不当で、自分を支持する勢力はなお大きいので、どうしたら良いかと私に質した。これが会談を求めてきた眼目だったようだ。私は答えようがない。再び指導力を結集して再起を図るなら、次の総会で再選される手を着実に打っていく以外にないだろう、と答えた。そのためには11、12日に行われると聞いている評議員・支部長会議に無理してでも出席した方がいいよ、と忠告した。日程がつまっていて困った、と言っていたが、出席して熱弁を振ったのであろうか。

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4月9日、西尾ブログ「怪メール事件(二)」

会長としての職務放棄と指導力不足、具体的にいえば、長期にわたり理事会を開かず混乱を放置し、唐突な会長声明を出してそれをまた取り消すなど、何をやっているのかといわれるような体たらく振りが理由で、解任されたのに、自分は何も悪いことをしていない、不当な解任だと言いつづけていた。
(中略)

情報メールを私に送ったのはひょっとして八木氏自身ではないかとさえ思うが、真偽は分らない。しかしメールの発信者でないとしても、公安とのパイプを強調し、それを種子に「つくる会」の理事を貶める言動を示したことは、メールを未知の人に秘かに送るのと同じ行為である。少なくとも公安を用いて仲間を脅迫していることでは同じである。
 八木氏は一体自分がしていることがどんなに恐ろしいことかに気がついているのだろうか。氏は「公安のイヌ」になり下がっているのである。
 昔ならそれだけで言論人としての資格剥奪である。今だってそれに近い措置をされても文句を言えまい。
 八木氏は大きな政治背景をもつ謀略の意図があってやっているのならともかく、それよりももっと悪いのは、謀略のまねごとに手を出し、自分が何をしているのか分っていない「未成熟」な人間なのである。
(中略)

 私にはどこまでもまだ間接情報である。けれども八木氏が「公安のイヌ」となって、自分の地位上昇のために、新聞記者を威して、報道を誘導し、ねじ曲げさせたことは疑いを容れまい。
 仄聞する処では八木=宮崎その他四人組の一部はいつも合議し、そのつど渡辺氏が呼ばれて同席していたという。3月1日、2日、9日、29日の偏向報道の上手に仕組まれた構成はこうして作られた。
(中略)

 不思議なことに八木氏は汚れ役をやらない。人にやらせる。彼は11、12日の評議員・支部長会議に姿をみせなかった。6日の首都圏支部長会議にも出席しない。批判を浴びそうな場からはパッと身を引く。「逃げも隠れもしないよ」という男らしさがない。理事会を長期間開かなかったのもこの手である。連絡をしないで相手をじらせる手も知っている。そしてウラで知能犯的な作戦を練る。小型スターリンの真似である。身体を張らないで、上昇志向のみ強く、心は冷たい。
 こういうタイプが会長になれば「つくる会」は異様な雰囲気の漂う、自由にものの言えない沈滞した独裁体制になるであろう。そして何よりも、八木=宮崎プラス四人組グループ以外の多数派の理事が次々と辞意を表明し、逃げていくであろう。
(中略)

 このまま予定どおり八木会長体制が成立すれば、どうなるかの予想を描いてみた。八木氏は「公安のイヌ」であることを片時も忘れるな。
 人間は目的のために手段を選ぶ。そこに人間の品位がかかる。

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4月19日、西尾ブログ「怪メール事件(四)」

 藤岡氏の私に対する行為には人間的信義をゆるがす道義的な罪の匂いがするが、犯罪の匂いはしない。しかし八木秀次氏の私に対する行為には、脅迫罪や私文書偽造といった、刑法上の罪の匂いがする。

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5月21日、西尾ブログ「残された謎――種子島氏の変節」

 八木氏の行動のもう一つの不思議さは、黙って穏和しくしていれば、7月2日の総会で会長に推戴される「含み」であることが分っていたのに、3月初旬から28日の理事会までに、やらんでもいい「怪メール」に手を出すなど不始末をしでかしたことだ。

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5月28日、西尾ブログ「ペテン師の文章」

八木氏を降ろすための宮崎更迭というような観点が西尾にあったかのごときもの言いをしているが、そもそも私の中にそのような思考はない。第一、八木氏に対して私は敵対感情などをまったく持っていなかった。私は彼を可愛がっていたのである。関係がおかしくなったのは、昨年の11月頃の八木氏の態度変更、遠藤、福田、工藤三氏が八木氏に不信感情をもつようになったときと同時期である。あのころにわかに彼はふてぶてしくなった。礼節を失った。そう思った。聞く処では過去にも八木氏は勤務先で上司に対し類似のトラブルを起こしているという。そういうタイプの人だと私は知らなかったのが不覚。


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●(資料5)種子島氏経氏について


2月28日(八木会長解任、種子島会長就任の翌日)の昼過ぎ、西尾氏から種子島氏への電話(種子島氏「狂乱の春」5月26日)

この日の電話は、私の時間帯に配慮してお昼過ぎだった。
「ご苦労だが、2.3年やって、福地さんに譲るんだな」
 私は、後で述べる理由から、短期のリリーフを決意していたので、2.3年もやる気はないこと、福地さんは私が副会長を辞めた昨年9月理事に就任された方で全然存じ上げないから、会長候補の一人として考えること、を答えた。彼の人選にはたまに全然ピント外れのものもあり、こんなことで彼の意見を鵜呑みにするつもりはなかったのである。別途、二度まで「会」との絶縁を宣言している人が、その会長人事に言及するなど、遠慮すべきことをメールしておいた。
   (中略)

 私は、昨年9月以来という私にとっての空白地帯に関して、当事者に聞き、私自身考えることを始めた。その結果私なりに理解できたのだが、ここでも実は藤岡さんの呪いだったのだ。彼が年若いライバル八木さん追い落としを画策し、それに西尾さんが乗った、この二人はいずれおつらぬ自分中心の天動説論者で、宿命的に仲が悪いのだが、ただ、誰かを呪い潰そう、という際だけ共同戦線を組むこともある。いうなれば呪い仲間である。
   (中略)

西尾、藤岡両天動説巨頭は、私について読み違えていたようだ。私を会長に据えておけば、私は西尾さんの「院政」に従い、藤岡さんの「傀儡」になって、彼らの思う通りに動く、と考えたのだろう。

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4月9日、西尾ブログ「怪メール事件(二)」

 3月28日の理事会に先立って、種子島氏は八木副会長案を八木氏に打診した。八木氏は3月末にすぐ会長として復帰するのでなければいやで、副会長ならむしろ平の理事でいたい、と返答した。そして翌日誰かと相談したらしく、種子島氏に電話で副会長案を受け入れるとあらためて言ってきたそうだ。自分を何さまと思っているのだろう、とある人は言った。
 しかし種子島氏はホッとした。なぜなら種子島会長は八木=宮崎四人組グループに、3月の初旬のあるときを転機に、完全にとりこにされ――なにか仔細があるかもしれない――今や百パーセント屈服しているからである。そこには理性も、道理も、判断力も、そして未来への予知力ももはや認めがたい。
 かくて「八木問題」はいつしか「種子島問題」と化しているのである

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4月30日、西尾ブログ「新しい友人の到来(三)」

 会長、副会長の自己弁解を披瀝したつくる会FAX通信172号は、新執行部(高池会長代行)の成立直前に、これを出し抜いて出した種子島、八木両氏の犯した、不正かつ卑劣な文書で、ただちに無効となっている。
 私はただ、八木は知らず、種子島の何故かくも、陋劣なるかを、彼を知る旧友とともに哀れむのみ。

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5月21日、西尾ブログ「残された謎――種子島氏の変節」

 宮崎問題は藤岡問題になり、次いで八木問題になり、そして今は最後にひとつだけ謎が残っている。私はもう電話もメールもしたくないし、向うも受けたくないであろう旧友種子島君の問題である。4月30日の彼の会長辞任の少し前まで私は彼と交流があって、以来、いっさいの関係を双方で断っている。
 (中略)

種子島経元会長の突然の変節はどうしても分らない。実業畑を歩いてきた人なら知識人世界に遠慮は要らないはずだ。産経や扶桑社の社長がどんな顔をみせようが、いっさい黙視してよい立場ではないのか。
 2月27日に種子島氏を会長に選んだ勢力は、八木氏を解任して会長の座から投票によって降ろしたのとまったく同じ勢力である。だから種子島氏は藤岡、福地両氏を補佐に選んだのだった。だとしたら自分を支持したこの同じ勢力にある程度誠意を見せつづけるなど拘束されるのが常識だろう。ところが、3月に入ると――あの党歴メールが飛び交い、八木氏が産経渡辺記者に見せるなどして触れ回っていたあの時期に――種子島氏はあれよあれよという間に心変わりし、一方から他方へ、自分を支持していた勢力からその反対派へ誰にことわるでもなく変節してしまった。

 ここにどんな怪しげな力が外から働いているのか、本人に聞かなければ分らない。3月初旬の大阪、福岡での説明会で藤岡批判が高まり、八木コールがあったからだといわれているが、大阪に関する限り、違う証言をきいている。たしかに大阪でも藤岡氏の説明の独断調が集った会幹部ににがい思いを与えたそうだ。けれどもさしたる八木コールもなかった。また、別れしなに大阪支部では八木、藤岡両氏の副会長就任を種子島氏に約束させ、会を割らないようにと強く要請した。
 しかるに種子島氏は帰京するや八木副会長一点張りになった。びっくりさせる変身だった。会員の世論に合わせるためだと言った。そして、福地氏が複数副会長制を唱える声にも耳を貸さなかった。このときの八木一点張りの決定が会を分裂させた決定的要因である。
 いったい何が種子島氏をしてかかる一方的独断的行動に走らせたのであろう。
(中略)

 種子島氏のあれよあれよという間に変わった理解のできない変節と、てこでも動かぬ頑迷振りの背後にはやはり何といっても、説明のできない謎が感じられる。彼は何かを隠している。
 なぜ彼は既往のことは問わずにこれからのことだけを考えようとしきりに言ったのか。何かがあるのではないか。私は多分謎の解明はできないが、現理事のまったく知らない諸状況をこのあと「続・つくる会顛末記」で最終的に証言する。

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5月25日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (二)」

 事務局長問題は8月に始まったと前に書きましたが、正式に問題としたのは藤岡氏でもなく、私では勿論なく、種子島副会長(当時)であったことが分ります。
(中略)

 ところがこの同じ種子島氏が2月27日に会長になるや、たちまち豹変し、投票数まで書いたつくる会ファクス通信165号の宮崎氏による退任直前の不法差し換え事件に、しっかり厳罰でのぞむということもできませんでした。それどころか、宮崎復帰をも射程の中に入れる八木会長復活案を言い出しました。3月28日の理事会でこれを決し、7月に八木会長を実現し、宮崎氏も復帰させるとの含みで走り出したのですから、あれよあれよという間に変貌した種子島氏の姿には妖怪変化を見るがごとき不可解な思いでした。
 いったいどうなっているのでしょう。まことに不思議でなりません。

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5月28日、西尾ブログ「ペテン師の文章」

1、種子島氏はコンピュータは今動いていて問題はない、というが導入に巨額の金のかかったことが問題。また今動いていても保守がなされなければ昨年のようにいつ再び不調になるか分らない。それがコンピュータというもの。3年前にきちんとした保守契約がなされなかったことが問題。というか、相見積をとるなどの、契約そのものの観念がなかったことが問題。責任は宮崎氏に3分、財務担当理事の種子島氏に7分あると私は思っている。

2、「怪メール事件」は些細な問題で、まともに取り上げるほうがおかしいと言わんばかりの口調だが、社会的にやって善いことと悪いことの自覚のない40-50歳代の前理事たちと同じスタンスでいいのか。彼らの卑劣を批判し、彼らから離れたいとむしろ思う違和感、ないし恐怖感はなかったのか。貴方の正義感はその程度のものなのか。社会人として指導者的立場にあった人の今までの道徳意識が疑わしいものに思われてくる。
 藤岡氏を批判するのと決してレベルを下げずに、八木、新田、渡辺の諸氏は厳しく批判されるべきだというバランス感覚は貴方にはまるきりなく、一方を真黒、他方を真白に描いている。私はそんな描き方はしていない。私は藤岡氏にも厳しい。70歳を越えて、黒か白か、の単純区分けでしか人間を見分けることができない種子島氏はじつに情ない。

3、宮崎事務局長の能力不足、不適格の問題点にはいっさい触れられていない。そもそもこれが発端であったはずだ。しかも問題の最初の提起者が種子島氏自身であったことは前回の日録で私が実証しておいた。いま種子島氏は宮崎氏を合格と見ているが、これは氏のもともとの自説に反する。

4、事務局員の八木支持、全国会員の八木支持の圧倒的優位云々、と氏は言っているが、まず事務局から反八木派二人の事務員は虐められて、追い出された。残った三人の男性は特殊な八木親衛隊である。ファクス通信の不法利用を見れば、分るだろう。全国会員の圧倒的八木支持という話は聞いていない。

5、福地氏が会長補佐を売りこんだと書かれているが、福地氏は種子島氏に呼び出されて会長補佐を頼まれたのが真実という。寝ている時間に電話で起したことは、それは一度くらいあったかもしれないが、生活習慣を知らぬうちの話で、種子島氏がこういう個人的な自分の事情で他人を誹謗するのは見苦しい。

6、八木氏を降ろすための宮崎更迭というような観点が西尾にあったかのごときもの言いをしているが、そもそも私の中にそのような思考はない。第一、八木氏に対して私は敵対感情などをまったく持っていなかった。私は彼を可愛がっていたのである。関係がおかしくなったのは、昨年の11月頃の八木氏の態度変更、遠藤、福田、工藤三氏が八木氏に不信感情をもつようになったときと同時期である。あのころにわかに彼はふてぶてしくなった。礼節を失った。そう思った。聞く処では過去にも八木氏は勤務先で上司に対し類似のトラブルを起こしているという。そういうタイプの人だと私は知らなかったのが不覚。

7、八木氏の中国行きにまったく触れられていないのは種子島氏文書の致命的欠点である。氏は「つくる会」を社会的機能でしか見ていない。あるいは政治的機能もしくは国家的観点で見ることがない。
 種子島君、私は会長になった貴方に、少し大袈裟になるが貴方は日本政治の中枢の一部に触れているのですよ、とくれぐれも「国家」の視点を忘れないで、と言ったことを覚えていますか。
 産経新聞から見捨てられたら教科書の会はつづかない、という一点だけで問題を考えるのではなく、謀略戦相次ぐ国際政治の唯中にある産経新聞、そして「つくる会」のあり方、これを忘れてはいけないという意味である。ときにはつくる会は産経新聞に警告を発し、これをリードするくらいの気概でなければいけない。

8、最後に、どうしても分らないのは、種子島氏には次期会長を誰にするかを皆に諮って決めるのが順当だったのに、どうして自分は全権を委任されていると最初から決めこんでいたのかという点である。この点の謎は前にも問うたが、今度も答えられていない。

 残念ながら「狂乱の春」は「狂乱の文」であった。自分に都合のいいことだけを拾い出して、「呪い」「天動説」などの奇抜な言葉で人を釣り、人を操り、問題の真実から目を外らさせる詐欺師の文章である。
 なによりも自分というものが批判されていない。自分の好都合を述べるだけでは、半面を知る人間からは嘲られるが落ちである。

   ☆    ☆    ☆

●(資料6)藤岡信勝氏の「平成13年共産党離党問題」


4月8日、西尾ブログ「怪メール事件(一)」

 入党や離党が「口頭」でできるものなのか、入離党の規律は90年代には査問もなく、そんなにあっけらかんとしたものになってしまったのか、いまだに私にはよく分からないし、謎である。
(中略)

 藤岡氏から次のような明確な自己説明と状況説明をいただき、曖昧な霧がはれる思いがした。

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4月19日、西尾ブログ「怪メール事件(四)」

 1ヶ月後の3月初めにさらに何かが起こったようだ。藤岡氏は6日の首都圏支部長会議で「八木氏は日本の宝です」と発言し、周囲をびっくりさせた。5日にはメールの激語が八木氏の家族をおびやかしたからといわれて、菓子折を持って八木氏宅に謝罪に行ったという噂がパッと広がった。鈴木氏がここでも悪い役割(藤岡氏の男の値打ちを下げる)を果たしている。
 あの「怪文書1」、「日本共産党離党H13」のメールがあちこちに撒かれたのは3月初旬の同じ頃である。因果関係は分らない。
  (中略)

藤岡氏にもひとこと、多くの人が口にする正直な疑問を私がいま代弁しておく。共産党離党は平成3年(1991年)であると信じてよいが、それでも常識からみると余りに遅いのである。

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5月2日、西尾氏と私の電話でのやり取り

新田「平成13年離党問題について、藤岡氏の弁明で、本当に先生は納得されたんですか」
西尾氏は「納得しているわけないじゃないか」

新田「それでは、どうして、『明確な自己説明と状況説明をいただき、曖昧な霧が晴れる思いがした』なんて書かれたんですか」
西尾「返す刀で、次に八木を切る必要があったからね」

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5月21日、西尾ブログ「残された謎――種子島氏の変節」

 藤岡氏は2月27日の八木会長解任の前後まで意気盛んで、八木氏と四人組を追放することに自信満々の風があったが、3月初旬から急変して、弱腰になり、八木氏にすり寄りだした。なぜだろう。多分、「怪文書1」(党歴メール)の脅迫効果だろう。本人は証言していないが、私でなくても歴史の記録者は他に理由は考えられないと書くだろう。


   ☆    ☆    ☆

●(資料7)四理事について


1月9日(執行部メーリングリスト)

ことに事務局人事は慣例上、執行部マターであって、採択の谷間で事務局長の更迭が諮られるのはこれまでもおこなわれ、普通のことである。これまで三回、まったくなにも問題はなかった。 今回だけとりたてて問題になるのは、前の三回とちがって、外部の特殊なネットワークの間接干渉があるためと考えられる。会が外部の見えない力の干渉を受けることに私は危機感をおぼえている。外部の力がどこにあるのか、どの国につながっているのかさえも本当にはわからないからである。今まではすべて人間的信頼にもとずいておこなわれてきた。突如として侵入してきた全共闘まがいの言辞に脅威をおぼえるのは私一人ではないはずだ。そうした勢力の排除を会長ならびに副会長諸氏にもとめたい。

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3月7日、西尾ブログ「『つくる会』顛末記 ーお別れに際してー」

四人の中の新田理事は「西尾名誉会長はいかなる資格があってこの場にいるのか。理事ではないではないか」と紋切り型の追及口調で言いました。一体私は好んでつくる会の名誉会長をつとめているとでも思っているのでしょうか。八木会長は彼をたしなめるでも、いさめるでもありません。
 「新人類」の出現です。保守団体のつねで今まで「つくる会」は激しい論争をしても、つねに長幼の序は守られ、礼節は重んじられてきました。とつぜん言葉が通じなくなったと思ったのは、12月12日の四理事の署名した執行部への「抗議声明」です。
   (中略)

 しかも当の宮崎氏は「俺を辞めさせたら全国の神社、全国の日本会議会員がつくる会から手を引く」と威したのでした。私はこれを聴いて、いったん会を脅迫する言葉を吐いた以上、彼には懲戒免職以外ないだろう、と言いました。それが私が会長なら即決する対応です。四人組が彼を背後から声援していることは明かです。
   (中略)

 まず最初に四人組が組織と団結の意志表明としました。全共闘的な圧力で向かってきました。そこで反対側にいるひとびとが結束し、票固めをせざるを得なかったのだと思います。

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4月5日、西尾ブログ「産経新聞への私の対応(四)ー共同謀議の可能性ー」

 八木、新田、内田の三理事が天麩羅屋で共同謀議をしていたか否かについては「つくる会」の理事会に調査権がある。物事を自分に有利に運ぶために報道機関を利用した罪は重く、悪辣であり、調査の結果いかんでは、「つくる会」がの三理事の追放処分が当然の措置となる。

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4月19日、西尾ブログ「怪メール事件(四)」

 彼らの目的は歴史教科書ではない。政治的支配権そのものが狙いだ。そして、新田氏の早大大学院政治学科の後輩である八木秀次氏は会長である立場を忘れ、昨年10月頃から事実上このグループの一員となって行動している。
 「四人組」は私に言わせれば「つくる会」の一角に取り憑いたガン細胞のようなものであって、放って置けばどんどん増殖するだろう。新しい理事として昔の組織の仲間を多数入れて、やがて八木氏も追い払ってしまうかもしれない。思い切って切除し、今のうちに強権で排除するか、それができなければ会そのものをスクラップにするしか、増殖を阻む手はない。Scrap and build againである。
(中略)

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5月23日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (一)」

 私も藤岡氏からは何度も煮え湯を呑まされています。その個性の特殊性については「怪メール事件(一)」で詳しく分析しておきました。私以外にも、氏に対し好き嫌いのレベルで複雑な思いを抱く人は少なくないでしょう。ですけれども、それはそのレベルです。好き嫌いは誰に対してでもあります。しかし辞任して行った5人の旧「生長の家」系の理事たちや事務局長の排撃意識は、嫌いとか、いやだとか、そういうレベルの感情ではありません。
 もっと根の深い、イデオローギッシュな、組織的な排除衝動でした。目の前から追い払ってしまうまで止まることのない、説明のできない、差別に発した除去本能です。
(中略)

4月30日の理事会録によると、内田智理事は「藤岡理事の言動が会の最大の障害であるとして、藤岡理事を解任すれば種子島会長は辞任を思い留まるのかと質問しました」(FAX通信173号)とあります。これまたもの凄い執念ではありませんか。新田均氏の藤岡批判のあくどい言葉の数々は多くの人々の記憶にあるはずです。いったい彼らの心の奥に何があるのでしょう。

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6月6日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (五)の3」

 四理事抗議文は内田智、新田均、勝岡寛次、松浦光修の四氏連名で出されて、すでに知られた〈コンピュータ問題の再調査は「東京裁判」のごとき茶番だ〉云々といった例の告発状めいた文章のことですが、私はいきなりこれを会議の席で見て、今まで例のないなにかが始まったと直観しました。

 会の中に会派が出来て、一つの要求が出されたのは初めてでした。西部公民グループは「つくる会」の外の勢力でした。『新しい公民教科書』は外の団体への委託でした。内部に一つの囲い込みの「意志」が成立すると、何でもかんでもその「意志」に振り回されてしまいます。これは厄介なことになったと正直このとき以来会の分裂を現実的なことと考えるようになりました。
 「会中の会」が生まれると、会はそれを力で排除しない限り、方向舵を失い、「会中の会」に支配されるか、さもなければ元の会が潰れるかもしくは自爆してしまわない限り、「会中の会」を振り払うことができないものです。イデオロギー集団とはそういうものだと本能的に分っていました。
 さて、今まで隣りにいた四人がにわかに異邦人に見えたときの感覚は、時間が経つうちにますますはっきりし、分裂にいたる事件の流れの果てに、最初の予感の正しかったことが裏づけられました。

 12月の後半から1月にかけて、何が背景にあるのかを事情通に調べてもらいました。私には二人の50歳代の、昭和40年代の保守系学生運動を知る人にご教示いたゞきました。小堀君の先の「学生運動のよしみ」という言葉がヒントになったのです。一人は福田恆存の、もう一人は三島由紀夫の比較的近い所にいた人から聞いたのです。
 そして旧「生長の家」系学生運動があの頃あって、転じて今、「日本青年協議会」や「日本政策研究センター」になっていること、四理事のうち三人と宮崎氏がその運動の参加者で、宮崎氏は三人の先輩格であることを知りました。昭和47-48年くらいのことで、彼らももう若い頃の運動を離れて久しく、元の古巣はなくなっているでしょう。
 政治運動は離合集散をくりかえしますので、小会派の名前や辿った歴史を概略人に教えられましたが、あまりに入り組んでいて、書けば必ず間違える仕組みですので、関心を持たないようにしています。
 「生長の家」という名も、谷口雅春という名も知っていましたが、私はあらゆる宗教の根は同じという万教帰一を説いた世界宗教というような妙な知識しかなく、政治運動もやっていたことは全然知りませんでした。60年安保騒動に反対する積極的役割を果したと後で聴きましたが、私の20代の思い出の中にこの名はありません。皇室尊崇を強く掲げた精神復古運動といわれているようです。
 そういえば、「つくる会」四人の「言い出しっぺ」の一人の高橋史朗氏が旧「生長の家」系でしたから、「つくる会」は最初から四分の一は谷口雅春の魂を抱えていたわけです。それはそれでいっこう構いません。様々な経歴と年齢の人々が集って一つになったのですから、会の内部でお互いに限界を守り、他を犯さずに生きる限り、外で他のどんな組織に属していようが、また過去に属していたとしても、なんら咎め立てするべき性格の問題ではありません。

 しかしながら、今度という今度は少し違うのではないか、と思いだしました。旧「生長の家」を母胎とする「日本青年協議会」、そしてそこを主軸とした神社本庁その他の数多くの宗教団体・政治団体を兼ねた「日本会議」という名の大きな、きわめて漠たる集合体があり、「つくる会」の地方組織の多くが人脈的にそこと重なっているように観察されます。入り混じってはっきり区別がつきません。それだけにかえって危いのです。
 どんな組織も、どんな団体も「独立」が大切なのです。精神の独立が大切で、これをいい加減にすると、精神活動は自由を失い、結局は衰弱していきます。
 協力関係にある限りは自由を失うことにはなりません。協力関係にあることと従属関係にあることとは微妙な一線で、はっきり区別がつかないケースが多く、あるとき甘い協力関係の中で、フト気がつくと自由を失っていることがままあります。人事権が失われていて他に介入されているケースはまさにそれに当るでしょう。しかも介入し侵犯する意識が大きい組織の側にないのが普通です。介入され侵犯された側だけが自由を失った痛みを感じるのです。
 今度のケースがそれでした。1月16日、私に対し「あなたはなぜここにいる」の新田発言の出る理事会のはるか前すなわち12月初旬に、八木氏は旧「生長の家」系の理事たちと事務局長の側にすり寄っていて、会は事実上あのときすでに分裂していました。八木氏の行動のトータルは彼を育てた伊藤哲夫氏の背後からの強いプッシュがあってのことではなかったかと今私は推理しています。

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6月12日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (六)の5」

 責任をとって理事が辞任するのは簡単ですが、辞任すれば会がなくなってしまうので、八木、藤岡、遠藤、福田、工藤、西尾の六人で100万円を罰金として会に支払い、謝罪の意志を表明することとし、宮崎事務局長は次長降格、給与10%3か月分カット、調査中なので当分の間出勤停止という裁定を会は自らに下したのでした。公明さを示すためにこの裁定を「つくる会」支部にも公表すべき、と言ったのは、八木氏と西尾であり、それに反対し、むしろ内々で辞職勧告とするよう慎重な道を選べ、と言ったのは藤岡氏でした。
 しかるに、新田氏らいわゆる四人組は、お前たちは宮崎に責任を押しつける手前、金を払ってごまかすという汚い手を使った、と居丈高に理事会で発言しました。私はこういうコンテクストの中で、こういう理窟を言い立てる人々とはとても席を同じくすることは出来ないと思って、それが辞任に至った直接の原因でした。

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6月13日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (七)の1」

 「つくる会」の出来事を振り返って全体を判断するにはまだ時間が少なすぎるかもしれませんが、なにか外からの力が働いたという印象は私だけでなく多くの人が抱いているでしょう。一つには旧「生長の家」系の圧力の介入があった、という推論を先に述べたわけですが、それは今までの仲間との癒着の油断であって、分り易いので目立っただけで、本質的な変化を引き起こしている原因ではないかもしれません。


   ☆    ☆    ☆

●(資料8)「つくる会」騒動の原因


1月9日(執行部メーリングリスト)

ことに事務局人事は慣例上、執行部マターであって、採択の谷間で事務局長の更迭が諮られるのはこれまでもおこなわれ、普通のことである。これまで三回、まったくなにも問題はなかった。 今回だけとりたてて問題になるのは、前の三回とちがって、外部の特殊なネットワークの間接干渉があるためと考えられる。会が外部の見えない力の干渉を受けることに私は危機感をおぼえている。外部の力がどこにあるのか、どの国につながっているのかさえも本当にはわからないからである。今まではすべて人間的信頼にもとずいておこなわれてきた。突如として侵入してきた全共闘まがいの言辞に脅威をおぼえるのは私一人ではないはずだ。そうした勢力の排除を会長ならびに副会長諸氏にもとめたい。

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2月3日(藤岡氏宛メール)

 わたしが「これから八木コントラ藤岡のはてしない闘争が始まる」といったら、あなたはニヤニヤ笑っていればいいのに、なぜすぐ打ち消したのですか。

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3月7日、西尾ブログ「『つくる会』顛末記 ーお別れに際してー」

 まず最初に四人組が組織と団結の意志表明としました。全共闘的な圧力で向かってきました。そこで反対側にいるひとびとが結束し、票固めをせざるを得なかったのだと思います。

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4年3日、西尾ブログ「産経新聞への私の対応(三)ー『諸君!』などもー」

[『諸君!』の西岡治秀論文の]全体をよく読むと元事務局長の言い分だけを取材した文章であり、「事務局長の資質」「八木会長の指導力」の問題があると指摘しながら、ほとんど掘り下げないで逃げている。この二点こそ今回の事件の核心であるのに、論点をすり替えて、理事たちの心情をあれこれ憶測するだけの無責任な内容になっている。

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4月9日、西尾ブログ「怪メール事件(二)」

会長としての職務放棄と指導力不足、具体的にいえば、長期にわたり理事会を開かず混乱を放置し、唐突な会長声明を出してそれをまた取り消すなど、何をやっているのかといわれるような体たらく振りが理由で、解任されたのに、自分は何も悪いことをしていない、不当な解任だと言いつづけていた。

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4月19日、西尾ブログ「怪メール事件(四)」
 「四人組」は私に言わせれば「つくる会」の一角に取り憑いたガン細胞のようなものであって、放って置けばどんどん増殖するだろう。新しい理事として昔の組織の仲間を多数入れて、やがて八木氏も追い払ってしまうかもしれない。思い切って切除し、今のうちに強権で排除するか、それができなければ会そのものをスクラップにするしか、増殖を阻む手はない。Scrap and build againである。
 私はこの会に「宥和」の政策はもはやあり得ないと考えている。八木氏の代わりに強力な指導者が立って、強権発動して「四人組」を排除してしまう以外に会が救われる道はなく、そのためには現状では同じ方針を公言していた藤岡信勝氏に会長になってもらうのが一番いいと思った。それ以外に方策はないだろう。1月後半から2月にかけて、私だけでは決してなく良識派は他に選択肢はないと認識し、おおむねそういう判断だったといってよい。丁度正論大賞の受賞もきまり、藤岡氏には追い風だった。何で氏が阻まれる理由があろう。
(中略)

余りに乏しい人材が生んだ悲劇である。
(中略)

補記(4月21日)  
 保守思想界にいま二筋の対立する思想の流れがあり、私は早い時期からそれが「近代保守」コントラ「神社右翼」の対立であると公言もし、書きもしてきたが、裏づけがとれなかった。本日コメント欄に出た下記の意見は、私も個人的によく知っている、著作もある若い思想家の分析である。背景の諸事情によく通じている人の見方なので、ここに特別枠で掲示する。
(中略)

Posted by: ストーンヘッジ at 2006年04月20日 22:45
(中略)

 これにより今回の騒動の背景の事情が、ようやくくっきりと浮かび上った。「左」と「右」の対立軸だけで考えて来た戦後思想界に曲り角が来たことを物語る。保守系オピニオン誌も新しい二軸の対立をあらためて意識し、選択する必要が生じ、無差別な野合は許されなくなったというべきだろう。

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5月21日、西尾ブログ「残された謎――種子島氏の変節」

 2月27日に種子島氏を会長に選んだ勢力は、八木氏を解任して会長の座から投票によって降ろしたのとまったく同じ勢力である。だから種子島氏は藤岡、福地両氏を補佐に選んだのだった。だとしたら自分を支持したこの同じ勢力にある程度誠意を見せつづけるなど拘束されるのが常識だろう。ところが、3月に入ると――あの党歴メールが飛び交い、八木氏が産経渡辺記者に見せるなどして触れ回っていたあの時期に――種子島氏はあれよあれよという間に心変わりし、一方から他方へ、自分を支持していた勢力からその反対派へ誰にことわるでもなく変節してしまった。
 ここにどんな怪しげな力が外から働いているのか、本人に聞かなければ分らない。
(中略)

 種子島氏のあれよあれよという間に変わった理解のできない変節と、てこでも動かぬ頑迷振りの背後にはやはり何といっても、説明のできない謎が感じられる。彼は何かを隠している。
 なぜ彼は既往のことは問わずにこれからのことだけを考えようとしきりに言ったのか。何かがあるのではないか。私は多分謎の解明はできないが、現理事のまったく知らない諸状況をこのあと「続・つくる会顛末記」で最終的に証言する。

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5月25日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (二)」
  
 事務局長問題は8月に始まったと前に書きましたが、正式に問題としたのは藤岡氏でもなく、私では勿論なく、種子島副会長(当時)であったことが分ります。
(中略)

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6月3日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (四)の2」

 さて、平成13年の第一回採択戦が敗北に終って、平成17年の第二回採択戦の後とまったく同じように、事務局の改革が自己反省の第一に取り上げられた時期に、事務局長高森氏はあらためて仕事ぶりが問われることになります。
(中略)
 けれども藤岡氏だけは事務局長のやる気、企画力、運動力が問題だと言い出していて、高森氏のやり方にいちいち疑問をぶつけるようになっていました。
 事務局の能率化を唱えている藤岡氏と高森氏の間は間もなく険悪になります。要するに藤岡氏は仕事をテキパキ合理的に推進することを事務局に求め、だらだら無方針で、非能率にやることが許せない性格なのです。他方、私は要するに放任派で、だらしなく、藤岡さんは責任感が強く、厳格だということです。宮崎氏に対したときとまったく同じ状況が生まれました。

      ───────────────

6月4日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (五)の1」

 「つくる会」内紛劇はそれ自体小さな出来事ですが、平成17年(2005年)夏の郵政法案参議院否決による衆議院解散、小泉首相の劇場型選挙とその文化破壊的な帰結とは切り離せない関係にあるように私は考えています。
(中略)

 私と[椛島]氏、もしくは私と日本会議とは仲間なのです。ずーっと私はそう思って来て、仲間だから共通の目的に向かって、協力関係が築けると考えていました。
 日本政策研究センターの伊藤哲夫さんとも永い付き合いで、同じような仲間意識でした。「つくる会」の協力団体である「改善協」の運営委員長を伊藤さんは永年やって下さって、教科書問題に関してもいわば同志でした。
 それどころか平成16年2月に「国家解体阻止宣言」を発表し、われわれは「九段下会議」を建ち上げました。外交・防衛とジェンダー・教育問題との二つのテーマに分け、講師を呼んでレベルの高い勉強会をくりかえした揚句、どうしても政治の世界に訴えたいという思いから、志ある議員を呼んで、情報研究会を創りました。日本政治にインテリジェンスの考えを根づかせるためです。そこの議員連盟会長が衛藤晟一氏、事務局長が城内実氏でした。
 ここまで読んで読者のみなさんはわれわれの間を引き裂く地殻変動を起こしたものが何であったかお気づきになるでしょう。小泉選挙です。

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6月5日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (五)の2」

 もしも小泉選挙がなく、自民党への姿勢において私と伊藤氏との間に考えの開きが大きくなく、度々電話をし合っていた夏までのような仲であったなら、恐らく最初からこんな衝突にはならなかったでしょう。双方に鬱積した感情の澱りがすでにありました。

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6月6日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (五)の3」

 八木、藤岡両氏が椛島有三氏を訪問したのは12月14日です。私が得たのは藤岡氏からの間接情報です。氏の記述によると、椛島氏は「どうか『つくる会』の分裂だけは絶対避けてほしい」とくりかえし言っていたそうで、また同時に、「宮崎氏は人的ネットワークの中心なので断ち切らないでほしい」といい、つまり何とか雇っておいてくれの一点張りで、穏やかな言葉の背後に、強い意志が感じられたそうです。「『つくる会』を自分たちの支部みたいに思っている」という感想を藤岡氏は漏らしていました。

 じつは彼がそう思う根拠が訪問のわずか三日前、12月11日に起こっていました。これが椛島氏サイドからの圧力の結果なのか、伊藤氏のプッシュによるのかは分りませんが、八木氏が11日(日)夜、「処分はすべて凍結、宮崎氏を事務局長に戻し、来年3月までに鈴木氏に移行する。以上の線で収拾することで会長に一任してほしい」と各副会長への緊急通達を出し、執行部管理以来八木氏の命令で自宅待機させられていた宮崎氏を事務所に戻す突然の決定が打ち出されました。
 これに平仄を合わせるかのごとく、12月11日(月)に例の四理事抗議文が出され、一読して衝撃を受けました。しかしこの抗議文と伊藤氏、椛島氏との関係性などは、その時点では、いやそれからしばらくの間もまったく分らず、どこでどうつながっているかは迂闊にも後でだんだん気がつくようになったのでした。
 今思うと八木氏を突然動かしたのは、彼を若いときから育てて来た庇護役の伊藤哲夫氏ではなかったか。八木氏は繁く伊藤氏と電話を交していたからです。これは勿論、私の推理です。しかし他方、四人の抗議文は分りません。15日に宮崎氏は「俺の首を切れば全国の神社がつくる会支援から撤退する」と事務局員たちの前で豪語したと記録にあり、彼はとつぜん強気に転じているのです。
(中略)

 四理事抗議文は内田智、新田均、勝岡寛次、松浦光修の四氏連名で出されて、すでに知られた〈コンピュータ問題の再調査は「東京裁判」のごとき茶番だ〉云々といった例の告発状めいた文章のことですが、私はいきなりこれを会議の席で見て、今まで例のないなにかが始まったと直観しました。

 会の中に会派が出来て、一つの要求が出されたのは初めてでした。西部公民グループは「つくる会」の外の勢力でした。『新しい公民教科書』は外の団体への委託でした。内部に一つの囲い込みの「意志」が成立すると、何でもかんでもその「意志」に振り回されてしまいます。これは厄介なことになったと正直このとき以来会の分裂を現実的なことと考えるようになりました。
 「会中の会」が生まれると、会はそれを力で排除しない限り、方向舵を失い、「会中の会」に支配されるか、さもなければ元の会が潰れるかもしくは自爆してしまわない限り、「会中の会」を振り払うことができないものです。イデオロギー集団とはそういうものだと本能的に分っていました。
 さて、今まで隣りにいた四人がにわかに異邦人に見えたときの感覚は、時間が経つうちにますますはっきりし、分裂にいたる事件の流れの果てに、最初の予感の正しかったことが裏づけられました。

 12月の後半から1月にかけて、何が背景にあるのかを事情通に調べてもらいました。私には二人の50歳代の、昭和40年代の保守系学生運動を知る人にご教示いたゞきました。小堀君の先の「学生運動のよしみ」という言葉がヒントになったのです。一人は福田恆存の、もう一人は三島由紀夫の比較的近い所にいた人から聞いたのです。
 そして旧「生長の家」系学生運動があの頃あって、転じて今、「日本青年協議会」や「日本政策研究センター」になっていること、四理事のうち三人と宮崎氏がその運動の参加者で、宮崎氏は三人の先輩格であることを知りました。昭和47-48年くらいのことで、彼らももう若い頃の運動を離れて久しく、元の古巣はなくなっているでしょう。
 政治運動は離合集散をくりかえしますので、小会派の名前や辿った歴史を概略人に教えられましたが、あまりに入り組んでいて、書けば必ず間違える仕組みですので、関心を持たないようにしています。
 「生長の家」という名も、谷口雅春という名も知っていましたが、私はあらゆる宗教の根は同じという万教帰一を説いた世界宗教というような妙な知識しかなく、政治運動もやっていたことは全然知りませんでした。60年安保騒動に反対する積極的役割を果したと後で聴きましたが、私の20代の思い出の中にこの名はありません。皇室尊崇を強く掲げた精神復古運動といわれているようです。
 そういえば、「つくる会」四人の「言い出しっぺ」の一人の高橋史朗氏が旧「生長の家」系でしたから、「つくる会」は最初から四分の一は谷口雅春の魂を抱えていたわけです。それはそれでいっこう構いません。様々な経歴と年齢の人々が集って一つになったのですから、会の内部でお互いに限界を守り、他を犯さずに生きる限り、外で他のどんな組織に属していようが、また過去に属していたとしても、なんら咎め立てするべき性格の問題ではありません。

 しかしながら、今度という今度は少し違うのではないか、と思いだしました。旧「生長の家」を母胎とする「日本青年協議会」、そしてそこを主軸とした神社本庁その他の数多くの宗教団体・政治団体を兼ねた「日本会議」という名の大きな、きわめて漠たる集合体があり、「つくる会」の地方組織の多くが人脈的にそこと重なっているように観察されます。入り混じってはっきり区別がつきません。それだけにかえって危いのです。
 どんな組織も、どんな団体も「独立」が大切なのです。精神の独立が大切で、これをいい加減にすると、精神活動は自由を失い、結局は衰弱していきます。
 協力関係にある限りは自由を失うことにはなりません。協力関係にあることと従属関係にあることとは微妙な一線で、はっきり区別がつかないケースが多く、あるとき甘い協力関係の中で、フト気がつくと自由を失っていることがままあります。人事権が失われていて他に介入されているケースはまさにそれに当るでしょう。しかも介入し侵犯する意識が大きい組織の側にないのが普通です。介入され侵犯された側だけが自由を失った痛みを感じるのです。
 今度のケースがそれでした。1月16日、私に対し「あなたはなぜここにいる」の新田発言の出る理事会のはるか前すなわち12月初旬に、八木氏は旧「生長の家」系の理事たちと事務局長の側にすり寄っていて、会は事実上あのときすでに分裂していました。八木氏の行動のトータルは彼を育てた伊藤哲夫氏の背後からの強いプッシュがあってのことではなかったかと今私は推理しています。
(中略)

 「自由と民主主義」を脅した小泉選挙の帰結として、「つくる会」の分裂が起こったことは特筆すべき点です。「つくる会」は戦前の体制を理想化し始めた近年の右傾化の価値観からやや距離を保つべきです。どこまでも「自由と民主主義」を小泉型の排他的ファナティシズムから守りつつ、従来の左翼路線をも克服する両睨み、両観念史観批判の方向に教育理念を見出していくべきでしょう。
 分裂は政治史の文脈からみて必然であったというべきなのかもしれません。

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6月12日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (六)の5」

 じつは今のシステムも本当は壊れているのかもしれません。あと何年かは保守すれば何とか使えるということでしょう。システムはどんなシステムでも予想できないトラブルが考えられることは常識です。一番の問題はトラブル発生時の即応体制にあります。そのため平時からの情報監視体制が不可欠です。「つくる会」は「保守体制」がまったくコンピュートロニクス社に丸投げの状況で考慮がなかった。つまり宮崎氏があまりにも安易に考えてきたことが問題です。

 新田氏がブログで「トラブルがないではないか・・・・」と書いているそうですが、こういう指摘は本質ではないのです。いまだにファイルメーカーを基本にしているのですが、ファイルメーカーは専門ソフトであり、その技術者が市場にたくさんいていつでも対応可という状況なら心配もありませんが、すでにマイナーなソフトになってきているのが問題なのです。技術者も減る一方です。それだけに、保守契約は大事な問題でしたが、何度も言いますが、実際には本来の保守契約ではなかった・・・・・これこそが最大の問題です。

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6月13日、西尾ブログ「続・つくる会顛末記 (七)の1」

 「つくる会」の出来事を振り返って全体を判断するにはまだ時間が少なすぎるかもしれませんが、なにか外からの力が働いたという印象は私だけでなく多くの人が抱いているでしょう。一つには旧「生長の家」系の圧力の介入があった、という推論を先に述べたわけですが、それは今までの仲間との癒着の油断であって、分り易いので目立っただけで、本質的な変化を引き起こしている原因ではないかもしれません。
(中略)

 今一番恐ろしいのは、政治家の力量不足を目の前にして、日本の内外で予想もつかない激変が起こることです。
(中略)

 これは70歳を過ぎた私が見ていて、死ぬに死ねない状況です。「新しい歴史教科書をつくる会」は理想を掲げて走りましたが、間に合わなかったのかもしれません。人間が育っていないのです。しかも、会の内部がそれをさらけ出しました。嗤うに嗤えない状況です。


もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(18)ー2月27日理事会以降の藤岡氏の八木氏に対する言説ー
【解説】

●(資料1)八木会長解任後の藤岡氏の発言

八木氏を解任してみたももの、八木支持の声は意外に大きく、反対に自分に対する風当たりが意外に強い、そして、種子島会長の意向も八木氏の復帰にあることが次第に明らかになっていく。その時期の藤岡氏の発言です。

●(資料2)八木副会長誕生後の藤岡氏の発言

3月28日の理事会で、八木氏副会長就任(7月会長復帰含み)・藤岡氏・福地氏会長補佐解任が決定し、さらに、4月8日に西尾氏がブログで「怪メール問題」を騒ぎはじめるという事態になって以降の藤岡氏の言動です。

 ここで興味深いのは、藤岡氏が「怪文書」の目的は、「次の理事会[3月28日]の人事で、私を副会長に入れないためである」と言いながら、「[3月]25日、種子島会長、福地会長補佐、それに事務局の鈴木氏の3人に私は詳細な説明を行った。会長らは、事情をよく理解してくださり、この時点で私への嫌疑は公的に晴れたことになる」と言っていることです。
 つまり、「怪文書」は、つくる会の人事には何の影響も与えない小さな事件だったのです。ところが、西尾氏が騒ぎ出して大事件に仕立て上げ、それに藤岡氏が飛びついて、それこそ自らの「復権」のために、捨て身で利用した。これが、いわゆる「怪メール問題」の本質だと私は考えています。

●(資料3)八木氏に対する藤岡氏の言説変遷抄出

●(資料4)4月8日のブログにおける西尾氏の藤岡氏評

   ☆    ☆    ☆

●(資料1)八木会長解任後の藤岡氏の発言

◎3月7付「つくる会全国の掲示板に寄せた藤岡氏の一文」

種子島会長としては、今までの行きがかりを捨てて、全理事が和解し、一刻も早く会を立て直したいというご意向です。私も全く賛成です。私は、特に、八木元会長の名誉を回復する措置を取らなければならないと思います。八木さんは将来ある、日本の宝です。教科書問題でもいずれ再びリーダーシップをとっていただかなければなりません。昨日、種子島会長のもとに届いた八木さんの退任の挨拶の中で、「私は教科書改善運動に意欲を失ったわけではありません」と書いておられました。誠に心強く、ありがたいことです。会に留まり、引き続き力を出していただけるということです。

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◎3月11日付藤岡氏の八木氏宛メール「お礼」

八木先生

昨夜は突然ご自宅にお邪魔いたしまして、大変失礼いたしました。 奥様にどうしてもお詫びを申し上げなければ先に進めないとの一心で、鈴木さんを口説いて参上いたしました。実は追い返されることも覚悟しておりましたが、お宅に上げていただいたばかりでなく、茶菓までごちそうになり、誠にありがとうございました。八木先生を傷つけたばかりでなく、奥様にまで耐え難い心労をおかけしたことについて、改めて謝罪いたします。八木先生に会の役職にもどっていただくべく、私なりに努力いたします。それ以外に日本を救う方法はないと考えております。
本当にありがとうございました。

藤岡

     ───────────────

◎3月13日付藤岡氏の八木氏宛メール「お願い」

八木先生

ご丁寧なお手紙をいただき、ありがとうございました。鎌倉の「鳩サブレー」をお子様が気に入っていただけたご様子、うれしく存じます。私は20年余り、横浜のはずれの鎌倉に近い所の公務員住宅に住んでおりましたので、鎌倉のものをいろいろ試す機会がありました。その中から、比較的口に合い、贈答用にも好評だったものを選んでお送りするつもりでした。お子様向けにサブレーを、ご夫妻向けには羽床総本店のマグロの加工食品を考えて、同時に注文するはずでしたが、羽床のカタログが見つからず、土曜日の朝は評議会の日でしたので、時間切れで一方だけになってしまいました。本日、羽床の商品を注文しましたので、数日後にはご自宅に届くかと存じます。改めて、お詫びの印としてご賞味いただければありがたく存じます。

さて、お手紙にお書きになっておられた件でございますが、編集者の方のご意見も大変もっともなことだと存じます。私個人としては、『発言者』に長期連載された欧米の憲法学説史のご論文をぜひ単行本にまとめていただきたく、念願しております。先生は保守言論界と学界を支えていくお立場にあるのですから、将来の大成を心から望んでおります。

ただ、先生のお力をもってすれば、運動方面を多少整理すれば、ご研究・ご執筆ニの両立は十分に可能だと思います。特に、皇室典範改悪問題が山を越えた現在、せっかくやりかけたA団体、B団体、C団体とのコネクトをぜひ継続していただきたいと念願しております。それは先生にしかできない重要な貢献であると考えます。そのために、先生が最も動きやすい役職を工夫する必要があります。その実現に私なりに微力を尽くします。何卒、ご高配のほど、伏してお願い申し上げます。

藤岡信勝


   ☆    ☆    ☆

●(資料2)八木副会長誕生後の藤岡氏の発言

◎4月1日

「私[八木氏]は藤岡氏に呼び出された。お前にはいろいろ疑惑があるので、静かに会を去れということだった。私はもううんざりだった。こんな人たちが残ったままでの会長再任なんてご免蒙りたいと思った。人生の無駄だと思った。」(『諸君!』7月号)。

「いずれにしてもこれであなたを支持する人たちが一連の怪文書を送ったことは明らかになった。自分でやったかどうかは問題ではない。リーダーとしてその結果責任をとれ」[と八木氏は藤岡氏は言われた](八木氏作成「『種子島会長・八木副会長の辞意表明文書の送付について』に関する見解」[4月30日の理事会で配布])

「藤岡は八木氏に面会し、八木氏の悪事はすでに露見し追及は避けられないこと、八木氏の言論人としての傷を深くしないためには、謀略に加わった他のメンバーとともに早々に自ら辞任する以外にないことを忠告した」(藤岡・福地両氏作成「会の混乱の原因と責任に関する見解」[4月30日の理事会で配布])

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◎4月19日、藤岡ブログ「私は何故共産党をやめたか」

 こんなガセネタを流してまで私を貶めることに利益を感じている人物がいることになる。しかし、このような卑劣な方法は断じて許されるものではない。私自身とつくる会の名誉のために、この問題を徹底的に明らかにする。

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◎4月21日、藤岡ブログ「家族への侮辱は許せない」

西尾氏宅に送りつけられた発信人不明の一連の脅迫文書は、個々ばらばらに存在するのではなく、緊密に関連し合った一体のものである、3月28日、八木氏が副会長に復権した理事会があった直後の3月30日に、西尾宅に送られたのが、私の妻を誹謗する「しんぶん赤旗」のコピーである。それは次のようなものだ。
[ここで「藤岡先生の岳父、船山謙次先生の活動のごく一部です」と書き込まれた「しんぶん赤旗」の記事を公開]
(中略)

私の家族を侮辱したファックスの犯人は許し難い。

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◎4月24日、藤岡ブログ「党籍問題に関する怪文書配布の目的」

話の内容は、私が平成13年まで日本共産党の党員であったことがわかったというものであった。西尾氏がどのような方法で調べたのかわからないが、公安調査庁の調査でわかったという。百パーセント信じ込んで、決めつけ、私を糾弾する調子である。私は開いた口がふさかせらなかった。西尾氏は、「私が最大の被害者だ」と言う。私はたまらず、「私が西尾先生にどんな被害を与えたというのですか?」反論した。すると西尾氏は、「ボクは共産党員といっしょに仕事をさせられたことになる」と言った。
(中略)

[3月]25日、種子島会長、福地会長補佐、それに事務局の鈴木氏の3人に私は詳細な説明を行った。会長らは、事情をよく理解してくださり、この時点で私への嫌疑は公的に晴れたことになる。
(中略)

八木氏が、これが事実に反するというのであれば、公安調査庁の誰から聞いたかを明らかにする必要がある。それが出来ないとするなら、これは明らかに八木氏の捏造ということになる。
 私の党籍離脱問題の怪文書は、上記の三者会合[八木・宮崎・福地]のあった3月20日前後から、相手を選んで複数の理事に送りつけられていた。なぜ、この時期に集中的に利用したのか、その狙いは明らかだ。次の理事会の人事で、私を副会長に入れないためである。
(中略)

しかし、1ヶ月後の理事会で副会長に選ばれたのは八木氏のみで、私は選ばれなかった。怪文書だけが原因ではなかろうが、それも一つの要因であったこと、何よりも党籍問題の怪文書配布の目的が、私の執行部からの排除にあったことは明らかだ。何のために? 天下国家のためではもちろんない。宮崎正治氏をつくる会の事務局長に復帰させる上で、私が邪魔だったからであろうと私は確信している。

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◎4月28日

産経新聞の渡辺浩記者は、4月3日、藤岡に対し、八木氏から公安調査庁の情報であるとして「藤岡の共産党離党は平成13年だった(藤岡はそれまでつくる会の副会長でありなかせら同時に共産党員であった)」という謀略文書を見せられて、すっかり信用していたが、ガセネタであることがわかったと告白をし、謝罪しました。渡辺記者の一連の変更記事は、そうした誤情報によってマインド・コントロールされた状態の中で書かれたことが判明しました。(つくる会各理事宛、藤岡・福地両氏作成「種子島会長・八木副会長の辞意表明文書の送付について」[4月28日付])

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◎4月30日 理事会当日

八木氏と新田氏の行為は、他の理事や会の元役員に対する重大な名誉毀損と脅迫行為にあたる。「悪魔の所業」(SAPIO誌掲載の西尾氏の言葉)とも言える。(中略)八木、新田両氏らの行動は、上記の通り、その責任を免れないものではあるが、それでもここで訴えたい。理事会と会員に対し、事実を認め、心から謝罪するなら、すべてを水に流して、大義のために、会と会員のために、手を結びたいと思う。(藤岡・福地両氏作成「会の混乱の原因と責任に関する見解」)


   ☆    ☆    ☆

●(資料3)八木氏に対する藤岡氏の言説変遷抄出

①.八木会長解任以前

1月9日「あなたは事実に反する間違った声明を書いたという「前科」があるのです」

1月10「自分を何様だと思っているのですか」

1月11日「さもないと、あなたの任務放棄について、あらゆる手段で責任を追及します」

1月14日「おあいにく様」

1月16日「もはやあなたは会長職になじみません」「私は今、どうしようもない会長不信に陥っています」

1月15日「ふざけるのもいい加減にしなさい。論外です」

2月22日「ふざけるな!」「これは最後通告です。22日の正午までに、宮崎の辞表を私に送って下さい。それが出来ない場合は、あなた自身の辞表を送って下さい。どちらもしない場合、私は正当防衛のため、全面的にあなたと戦います」

2月23「会を私物化し、何らかの利益を独占しようという魂胆で動いているとしか考えられません。実に卑しい、いやらしい行いです」


②.八木会長解任後

3月7付「八木さんは将来ある、日本の宝です。教科書問題でもいずれ再びリーダーシップをとっていただかなければなりませ。」

3月11日「八木先生を傷つけたばかりでなく、奥様にまで耐え難い心労をおかけしたことについて、改めて謝罪いたします。八木先生に会の役職にもどっていただくべく、私なりに努力いたします。それ以外に日本を救う方法はないと考えております。本当にありがとうございました」

3月13日「先生は保守言論界と学界を支えていくお立場にあるのですから、将来の大成を心から望んでおります」「せっかくやりかけたA団体、B団体、C団体とのコネクトをぜひ継続していただきたいと念願しております。それは先生にしかできない重要な貢献であると考えます。そのために、先生が最も動きやすい役職を工夫する必要があります。その実現に私なりに微力を尽くします。何卒、ご高配のほど、伏してお願い申し上げます」


③.八木副会長誕生後

4月1日「お前にはいろいろ疑惑があるので、静かに会を去れ」「いずれにしてもこれであなたを支持する人たちが一連の怪文書を送ったことは明らかになった。自分でやったかどうかは問題ではない。リーダーとしてその結果責任をとれ」

4月24日「公安調査庁の誰から聞いたかを明らかにする必要がある。それが出来ないとするなら、これは明らかに八木氏の捏造ということになる」

4月30日「八木氏と新田氏の行為は、他の理事や会の元役員に対する重大な名誉毀損と脅迫行為にあたる。「悪魔の所業」(SAPIO誌掲載の西尾氏の言葉)とも言える。(中略)八木、新田両氏らの行動は、上記の通り、その責任を免れないものではあるが、それでもここで訴えたい。理事会と会員に対し、事実を認め、心から謝罪するなら、すべてを水に流して、大義のために、会と会員のために、手を結びたいと思う」


   ☆    ☆    ☆

●(資料4)4月8日のブログにおける西尾氏の藤岡氏評

他人の心をつかめずに他人の自由を操ろうとして、それが謀略めいてみえて、信用を失うことを彼は10年間、そして今も繰り返している。自分の権能の及ぶ範囲と及ばぬ範囲との区別が彼にはつかない。このため小さな策を弄して、他人を言葉で操って動かそうとし、現実が大きく変わるとたちまち昨日言ったことを替えて、結果的に彼を支持しようとしてきた人の梯子を外す。裏切りである。言うことがクルクル変わる。昨日顔を真赤にして怒りを表明していた相手に、今日はお世辞を言って接近する。今日たのみごとがあると下手に出て礼をつくすことばで接触するかと思うと、用が終ると、同じ人に数日後に会っても鼻もひっかけない。
 彼と付き合えばみんな分っているこういう彼の性向挙動は、多分共産党歴の長い生活と不可分で、党生活が人間性、普通の良識ある社会性を破壊してしまったものと思われる。

もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(17)ー2月27日理事会までの八木氏に対する藤岡氏の言説ー
 私が今、この資料編を書き続けている最大の目的は、後世の人が、この騒動の全体像を自らの考えで理解できるように、最低限の資料を提供することにあります。何回も繰り返し述べてきたことですが、私は、「つくる会」騒動を単なるつまらない内紛だとは考えていません。また、何人かの個人の悪行のせいにしてしまえば、もう二度と起こらない、というものでもないと思っています。
 したがって、「大勢は決まったのだから」「別々の団体に分かれたのだから」などという状況論で、完結前に中断していいとは考えません。

 しかし、だからといって、ずっと闇に直面し続けるつもりも又ありません。闇に直面するのは、今回も入れて、あと五回。その次は、自分なりの分析を数回かやって、そして光の中へ、と考えています。

 ただし、読者の皆さんには、必ずしも私の議論にお付き合いいただかなくて結構です。新団体についての希望・アイデアなど、夢のある話を大いにされてはどうでしょうか。


【解説】

 『史』の五月号に掲載された高池勝彦会長代行の「種子島会長・八木副会長辞任に至る議論の経過」では、4月30日の理事会の冒頭で、田久保忠衛理事から「藤岡理事は八木宅へのファクスにたった一言書き込んだ言葉について八木氏の自宅に赴き、夫人に謝罪した」との発言があったとあります。しかし、私の記憶では、田久保理事の言葉の中に「たった一言書き込んだ言葉について」という一文はなかったように思います。
 おそらく、この一文は、八木氏に対する自分の暴言が「たった一言だった」と弁解したい藤岡氏が、まさに「書き込んだ」ものではないかと思います。

 高池氏は上記の文の最後で、藤岡氏が八木氏らに対して「理事会と会員に対し、事実を認め、心から謝罪するなら、すべてを水に流して、大義のために、会と会員と国民のために、手を結びたい」と提案したが、八木氏らから「応答はありませんでした」と書いています。もちろんそのような「事実」は存在しないわけですから「心から謝罪」できるはずもありません。高池氏は最後に「“謝ったら許してあげるから、大義のために手を結ぼうよ”という藤岡氏の寛大な呼びかけをしたのに、それに応えなかった八木氏が悪い」といいたいのでしょう。しかし、そんなことが八木氏にできるような状況だったのかどうか。少しでもプライドや気概がある人間ならば、それこそ「ふざけるな!」と、席を蹴って出ざるをえない状況だったのではないか。
 おそらく、藤岡氏はそこまで読んでいて、最終場面で寛大な人を演じて見せ、八木氏への悪のレッテルを決定的なものにしたかったのでしょう。

 その点について、さらに深く読者にお考えいただくために、今回は、1月16日の理事会で、「まず運動の総括、次に事務局体制の刷新」「コンピューター問題は、せいぜい口頭による注意処分。その処分対象者については改めて検討」という方針が決定して以降、2月27日理事会までの八木氏に対する藤岡氏の言動をご紹介します。


●(資料1)「2月22日、藤岡氏が八木氏宅に深夜0時3分に送ったファックス」

 1月16日以降、藤岡氏の抵抗によって、八木氏は理事会決定を一歩も前に進められない状況に陥りました。藤岡氏曰く「高池理事が欠席していたので、1月の理事会におけるコンピューター問題についての決定は無効である」(1月の理事会では、高池氏は田久保氏宛に委任状を出していました。ところが、2月の理事会になると高池氏は「理事会では、そもそも委任状などというものは無効である」と言い出しました。)、「宮崎の辞任が総括委員会結成の前提だ」。

 こうして、一ヶ月が経過した2月16日、状況打開のための執行部会が開かれました。第一部の出席者は、八木、藤岡、高池、内田、宮崎、鈴木の六人でした。ここでは「コンピューター問題」の処理が話し合われましたが、結論が出せず、結局、それぞれの理事が個別に処理案を次回の理事会に提出することになりました。ところで、この話し合いの中で、藤岡氏は、内田氏に対して「会則の文言を金科玉条とするのは法匪だ」という、信じられないような侮辱発言を行いました。

 続いて、高池、内田の二人を除いて、総括委員会などについて話し合うための第二部が開かれました(内田理事は、発言はしないのでオブザーバーとして出席したい旨を申し出ましたが、藤岡氏に拒否されました)。
 ちなみに、会則上、執行部会は「会長・副会長・事務局長により執行部会を構成する」(第12条第1項)、「執行部会は理事会が扱うべき事項で緊急に処理すべきものにつき審議し、決する。執行部会での決定事項については理事会に報告し、承認を受けるものとする」(第12条第2項)とされています。したがって、秘密会ではありませんし、理事会を無視して勝手に問題を処理できるわけでもありません。それなのに、理事の陪席をすら拒否し、逆に、理事でもない鈴木氏には出席を許し、発言の機会を与え、意志決定にさえ参加させているわけですから、きわめて矛盾に満ちた運営でした。

 さて、内田理事が去ると、藤岡氏は、宮崎氏に「この場で辞表を書け」と迫り、鈴木氏がそれに同調し、何も決められないままに、この第二部は終了となりました。会則では「事務局長は、会長が指名し、理事会の承認を受けるものとする」(第18条第3項)となっています。会長権限や理事会決定を無視した藤岡氏の暴走はすでに常軌を逸していました。

 それでも、八木氏や宮崎氏は打開の道をさぐるべく、2月21日に田久保理事にあって、状況を説明し、解決に向けた協力を依頼しました。二人から事情を聞いた田久保氏の言葉は次のようなものだったと言います。
「そうだったのか、(西尾側だけの話でなく)いろんな人の話を聞いて見るものだね」
「西尾は愉快犯だ。西尾が一番悪い。」
「藤岡は、周りが見えなくなっている。あの目つきをみれば分かるだろ。点しか見ていないんだ。」
「どうだね、宮崎君、ここは一つ、君が一歩さがっては。そうすれば、他の理事も納得すると思うがね。」

 この田久保氏のアドバイスを受けて、八木氏と宮崎氏は、「総括委員会の結論が出た後の処遇は八木会長に一任する」という進退伺いを宮崎氏が八木氏に提出することで事態を打開しようと考え、執行部会開催の通知を出しました。それに対する藤岡氏の回答が(資料1)です。


●(資料2)「2月22日、藤岡氏が、執行部メーリングリストで、八木氏に深夜1時6分に送ったメールおよびファックス」

 (資料1)に続いて、八木氏宅に深夜午前1時に送られてきたものです。事態の急迫を感じた八木氏は、この日の朝、田久保氏に(資料1)と(資料2)をFAX送付で送付した上で、田久保氏に電話しました。すると、田久保氏は「こりゃ、たまらんな」と言われ、藤岡氏をなだめるために電話してくれたそうですが、後で八木氏に電話して来て、「藤岡は、もう、怒りまくっていて、とりつく島がなかった」と伝えたということです。


●(資料3)「2月22日付、宮崎氏の「進退伺」」

 田久保氏の助言にしたがって宮崎氏が書いたものです(手書き)。


●(資料4)「2月23日付で藤岡氏が的場大輔事務局員に出したメール(抄出)」

 藤岡氏の八木氏に対する「全面的に戦う」という覚悟を、事務局員に対しても披瀝した文書です。

 2月27日理事会の当日、その午前中に議題打ち合わせの執行部会が開かれました。宮崎氏の「進退伺」を示して、1月16日理事会決定に従うように求めた八木氏に対して、藤岡氏は「こんなものはゼロ回答だ」と突っぱね、今日の理事会では「私が議長をやる」主張、ついに二人の怒鳴り合いとなり、何も決められないままの理事会突入となりました。

 この日の理事会の冒頭、議長になると立候補した藤岡氏に対して、「対立する一方の側の人が議長になるのはよくない。前回同様、田久保先生にお願いするのがいいのではないか」と私は主張しました。
 すると、藤岡氏は「あなたは私が不公平な議事運営をするとでもいうのか。それは侮辱だ。」と反論し、田久保氏も「私はお断りします」と言った上で、藤岡議長案に賛成してしまいました。田久保、遠藤、福田、高池、九里、吉永、福地、種子島の各理事が一斉に藤岡議長案に賛成した時点で「あぁ、そういうことなの」と、彼らの寝技に私は観念しました。

 そして、この後、宮崎氏と八木氏が解任されたのは皆様ご存知の通りです。


   ☆    ☆    ☆

●(資料1)「2月22日、藤岡氏が八木氏宅に深夜0時3分に送ったファックス」

 宮崎 正治 事務局長殿    平成18年2月21日

        「新しい歴史歴史教科書をつくる会」副会長
                     藤岡 信勝

    「執行部会開催の案内」について

 前略
「本日昼過ぎ、「執行部会開催のご案内」と題するFAX文書をいただきましたが、これは無効です。
  小生と八木会長の間では、
  ① 副会長である小生の同意無く会長名の文書を出さないこと
  ② 宮崎事務局長の辞表が文書で提出されない限り執行部会は開かないこと
が確認されております。上記文書は、どちらの確認にも反しております。従って、無効・無意味な文書であることをお伝えします。
                                    早々
 ふざけるな! (ここだけ手書き)


   ☆   ☆    ☆

●(資料2)「2月22日、藤岡氏が、執行部メーリングリストで、八木氏に深夜1時6分に送ったメール」

差出人:   藤岡信勝
送信日時:  2006年2月22日水曜日 1:06
宛先: [執行部会メーリングリスト・アドレス]
件名: 八木会長への最後通告

八木会長殿

 あなたの二枚舌、不実、裏切りにはほとほとあきれ果てました。鈴木氏の仲介によってこれまで、何度にもわたる裏切りにもかかわらず我慢に我慢を重ねてきましたが、もうあなたの「ぶらかし戦術」につきあうつもりは毛頭ありません。
 これは最後通告です。
 22日の正午までに、宮崎の辞表を私に送って下さい。
 それが出来ない場合は、あなた自身の辞表を送って下さい。
 どちらもしない場合、私は正当防衛のため、全面的にあなたと戦います。
 あなたはとんでもない勘違いをしてきたようです。もう後戻りはできません。
 携帯にも出ず、自宅の電話にも出ず、逃げているので、やむなく、執行部の時代のメーリング・リストから発信します。
同時に、自宅にFAXでも送ります。

藤岡信勝(22日午前1時)


   ☆   ☆   ☆

●(資料3)「2月22日付、宮崎氏の「進退伺」」

    進退伺い

 私の事務局長としての立場をめぐり、執行部会の統一がはかれず、理事会決定である総括委員会の発足が大幅に遅れるなど、会の重要事業の停滞を招いています。
 ここに於いて、私は自らの進退を明らかにすることが事態改善に役立つものと判断し、総括委員会の結論が出た後の私の処遇については、八木会長にご一任申し上げます。

 平成十八年二月二十二日
           新しい歴史教科書をつくる会
              事務局長 宮崎正治 印

会長 八木秀次 様


   ☆    ☆    ☆


●(資料4)「2月23日付で藤岡氏が的場大輔事務局員に出したメール(抄出)」

八木・宮崎氏は、採択のために外部団体との提携を進めているという、一見もっともらしい大義名分を掲げながら、その実、会を私物化し、何らかの利益を独占しようという魂胆で動いているとしか考えられません。実に卑しい、いやらしい行いです。あなたがそういう魂胆に巻き込まれていなければ幸いですが、どうですか。以上の事実をあなたはどう考えますか。
 なお、これらのことは将来、つくる会の会員全員に公表しますので、そのつもりでお答え下さい。私は、当然、八木・宮崎両氏にも公開の場でこの質問をぶつけるつもりであることもここで宣言しておきます。


もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(16)ー藤岡氏の話法への反証資料ー
【解説】

 藤岡氏のブログが6月15日に更新されて「新田ブログが隠し続けた文書」という題で、平成18年1月12日付の「会員管理システム問題にかかわる宮崎弁明書への反論」という資料と藤岡氏の解説が載りました。

 その解説をまともに読むと、藤岡氏お得意の歪曲の手法が、誰でも理解できます。そこで、今回は、その解説の分析と、反証のための資料を提示します。


藤岡氏による解説の前半
《新田ブログでは、あたかも公平に資料を公開しているかのように装っているが、実はコンピューター問題に関して未だに隠し続けている資料がある。それは、「宮崎弁明書」に対して八木会長と4人の副会長全員が連名で出した「会員管理システム問題にかかわる宮崎弁明書への反論」という、1月12日付けの文書である。》

 「会員管理システム問題にかかわる宮崎弁明書への反論」という文書を執行部会メンバー以外の理事が目にすることになったのは、1月16日の理事会においてでした。私のブログを読んで下さっている常識ある読者には、説明するまでもないことですが、このブログでの資料公開は、順をおって進んでおり、ようやく1月16日の理事会の前まできたところです。したがって、「隠して続けている」のではなく、「まだそこまで来ていなかった」というだけのことです。
 このように、膨大な資料の公開を、時の順をおって行っているのに、それがまだ到達していない時点を指して、「未だに隠し続けている」と言い募る。ここに、私達を悩し続けた藤岡氏の「歪曲の話法」が端的にあらわれています。

 それから、この「会員管理システム問題にかかわる宮崎弁明書への反論」は、藤岡氏が起草した文書なので、私の手許にはもちろん、八木氏の手許にもデータがありません。そこで、公開するためには、私が手作業で一から打ち込まなければなりませんでした。それでちょっと困っていたのですが、藤岡氏が公開して下さったので、その手間が省けました。感謝します。


藤岡氏による解説の後半
《混乱を増幅させまいとする配慮から、宮崎弁明書には執行部は敢えて反論することを差し控え、実質的な解決策を模索してきたのだが、宮崎氏の態度も一向に改まらない中で、これ以上宮崎弁明書の欺瞞を放置出来ないとして、用意された文書である。これは、1月12日に4時間もかけて文案を練り上げ確定稿としたもので、最も重要なことは、八木会長の修正意見も十分に取り入れられ、その上で八木会長自身も署名していることだ。
 こうしたことが可能となったのは、宮崎事務局長の人事問題については、八木会長が率先して取り組んできた課題であったからで、他の副会長は八木会長に協力する形で参加してきたのである。だから、八木会長の12月15日の声明で突如、自身の責任を他に転嫁する驚くべき背信行為に出た後ではあったが、経過の中で八木氏も宮崎弁明書の問題点については、他の執行部メンバーと認識を共有せざるを得なかったのである。》

 すでに、執行部会内のやり取りが公開されているにもかかわらず、まだ「最も重要なことは、八木会長の修正意見も十分に取り入れられ、その上で八木会長自身も署名していることだ」「経過の中で八木氏も宮崎弁明書の問題点については、他の執行部メンバーと認識を共有せざるを得なかった」と言えてしまう藤岡氏の心臓の強さを、私はある意味で尊敬します。

 しかし、如何に度胸よく語ったとしても、事実でないことは、事実ではありません。

その証拠となる資料を二つ提示します。
●(資料1)は「1月16日の理事会にいたるまでの八木氏と藤岡氏のメールでの発言(抄出)」です。藤岡氏自身が「執行部一体という事実がないのに、一体であるかのようにして会長が経過報告をするのは問題があります」(1月13日)、「反論文書を事前にお渡しすると、改ざんされるのではないかと心配です。私の方でコピーを準備して、直接理事会の会場に持参します」(1月16日)と言っていたわけですから、「最も重要なことは、八木会長の修正意見も十分に取り入れられ、その上で八木会長自身も署名していることだ」「経過の中で八木氏も宮崎弁明書の問題点については、他の執行部メンバーと認識を共有せざるを得なかった」という藤岡氏の主張が出鱈目なのは明かです。

●(資料2)は「会員管理システム問題に関わる宮崎弁明書に対する見解(私見)」という文書です。

 これは、執行部会メンバーと意見の一致をみることができなかった八木氏が、1月16日の理事会で個人の見解として配布するために用意していった文書です。しかし、この文書を遠藤、福田、西尾の三氏に見せて、配布したいと伝えたところ、藤岡氏抜きでは決められないと拒否されてしまいました。他方、藤岡氏は、理事会の開会の6時30分ぎりぎりに、自ら作成した「会員管理システム問題にかかわる宮崎弁明書への反論」を人数分用意して現れ、八木氏と話し合うことなく、それを配布したのでした。

 理事会当日、八木氏はメールで「このままの「反論」(私は「見解」とでもするのが適当と思います)ですと、私は会長として名前を連ねることができません」との意志を明らかにしていました。ところが、もはや八木氏に対して聞く耳をもたず、話し合いを拒否して、理事会開会ぎりぎりに現れた藤岡氏は、八木氏が独自の文書まで用意していたことを知らなかったのです。

 この文書から、当時の八木氏は、執行部の理事に配慮して、「宮崎事務局長が弁明書において一連の会員管理システム問題に関する自らの責任に言及していないのは遺憾である」とする一方で、「コンピューター問題」は執行部の陰謀ではないかと疑っている私達の追及を、「執行部の不手際」を認め、「最終責任は会長である私にある」とすることによってかわし、宮崎氏だけでなく、契約に関った全ての「関係者」の責任を問うという形で問題の収束をはかろうとしていたことが分かります。

 ところが、この考えを封殺されて、藤岡氏起草の文書を読み上げさせられたために、質疑での答弁がちぐはぐになり、そこを私達に追及され、その結果、他の理事達に、それが八木氏の本心でないことが明らかになってしまいました。そのために私達の主張が通って、「まず運動の総括、次に事務局体制の刷新」「コンピューター問題は、せいぜい口頭による注意処分。その処分対象者については改めて検討」という理事会決定になったのです。


   ☆    ☆    ☆

●(資料1)1月16日の理事会にいたるまでの八木氏と藤岡氏のメールでの発言(抄出)


○藤岡氏(1月8日)
「再度確認します。<A>については、【 】内をそのままコピーして文書をつくって下さい。<B>については、私の要求通りに実行して下さい。」

○八木氏(1月9日)
「会長声明」の文言は削除しません。私の真意が伝わるよう以下のように修正します。これは私の名前で出したものですから、私の責任で修正します。」
「「執行部見解」なるものは、事務局長が入っていない段階では成立しません。」
「「恣意や歪曲」の削除については、12月25日にも言いましたが、12月15日に藤岡先生の了解を得ていたはずです。」
「何より今は、会全体の宥和を図ることが最重要課題です。なくても文意は通じるのですから、「恣意や歪曲」は不要と考えます。それでもその文言を入れろというのであれば、私の名前は明記できません。」
「「サボタージュ」だの、ご自分の原案をそのままコピーして文書を作れ、だの、要求どおりに実行しろ、だのという言葉遣いは大人同士の関係として如何かと思います。」
「16日の理事会は最終的には総括をする体制を如何に構築するかに議論をもっていくべきです。その前提として、会長・副会長の不手際を認める必要があります。一時、険悪な状態になるかもしれませんが、今はオン・ザ・テーブルでの議論をする必要があると思います。」
「会員管理ソフトの問題で宮崎氏を解任することは法的に無理です」
「藤岡先生の案はお膳をぜんぶひっくり返すようなものです。こんなことをやっていたのでは本当に会が壊れます。私は全面的に反対です。ご再考下さい。」
「メールの遣り取りは私には時間が掛かりすぎます。これだけの時間を割くことは現時点では無理です。できるだけ直接会っての話し合いを求めます。」

○藤岡氏(1月9日)
「あなたは事実に反する間違った声明を書いたという「前科」があるのですから、他のメンバーの同意を得て文面を決めるのは当然です。25日の決定はそのような趣旨です。」
「会長は一つの職務であり、機関であって、あなた個人の恣意で何を書いてもいいわけではありません。」
「執行部の内部で誰がどんな主張をしたかは、本当は問題ではありません。」
「反対勢力に対して他の執行部メンバーを売り渡しているわけです。こんな修正文を私は絶対に認めません。」
「個々の理事に執行部の決定に対する拒否権などない。」
「事態を放置して反対派を結束させたのは、八木さん、他ならぬあなたですぞ。」
「あなたは自ら立候補して会長になったのです。多忙を理由に会長の仕事の手抜きをすることは許されません。」

○藤岡氏(1月10日)
「しらじらしい「宥和」という言葉」
「「総括」の必要があるから宮崎事務局長を留任させよというのは、所詮、宮崎擁護派の戦術に過ぎません。」
「あなたがご自分の不手際を認めるのは勝手ですが、副会長の不手際を認めよと言われるのはお断りです。」
「私が採択本部長、宮崎氏はその事務局長でもありましたから、二人だけしか知らないことがたくさんあります。それをよいことに、彼は私に責任をかぶせる議論をすることは間違いありません。すでにそういう言動を始めています。水掛け論にして、うやむやにしようというわけです。 その手にのるわけにはいきません。」
「「法的問題」は宮崎氏が会を告訴したら問題になるでしょうが、あなたはそれを奨励しているのですか。そして、それ以外は、法的問題などありません。」

○藤岡氏(1月11日)
「貴殿は、その後、このMLに何の発言もしておりません。全く不誠実な態度であり、会長としての任務放棄です。12日正午までに、必ず、①私が代筆した案通りの文面で会長声明と執行部見解の訂正文を理事に送ることを承認するか、②または、25日の執行部会議の内容を反映し、同席した他の4人が納得しうる代案をつくってこのMLに提案するか、どちらかの方法で任務を実行してください。さもないと、あなたの任務放棄について、あらゆる手段で責任を追及します。 」

○八木氏(1月12日)
「「警告文」とは穏やかではありません。」
「以下に文章案を作成しました。」
「私は「恣意や歪曲」の文言は不要だと思いますが、どうしてもというのであれば、藤岡案に従い、以下の文章を⑥の前に入れても構いません。」(1月12日)

○藤岡氏(1月12日)
「「恣意や歪曲」は必ず入れて下さい。」
「八木会長の意志とは別に誰かが事務局長人事を進めるべきだと発想しても、何ら問題はありません。」
「「会長としてのリーダーシップ」という言葉も、実は会長独裁体制の要求または宣言の意味だということになります。」
「事務局長人事についての執行部の議論に、手続きとして何ら瑕疵はありませんでした。会長の心中を表明してのいいわけなど出す必要もありません。宮崎事務局長擁護グループに対し、自分は悪くなかったとあくまで責任を回避し、他の執行部メンバーを売り渡す八木会長の訂正文案は認められません。」

○藤岡氏(1月13日)
「今回の場合、執行部が一体であるとは、まだまだとうてい言えない状況にあると思います。たとえば、八木さんがやる経過報告と私がやる経過報告では、相当の違いがあるでしょう。だから、執行部一体という事実がないのに、一体であるかのようにして会長が経過報告をするのは問題があります。」

○八木氏(1月14日)
「宮崎弁明書への反論文で気になることがあります。 「恣意や歪曲」「論理のすり替え」などの評価に関わる表現はできるだけ避けて、事実を淡々と書く方がよいのではないでしょうか。」
「 皆さんのお怒りはよく分かりますが、あまり戦闘姿勢を出すと逆効果だと思うのです。冷静に事実関係の間違いを指摘し、このような意図はなかったということを強調するのが反論の主目的と思います。 」

○藤岡氏(1月14日)
「おあいにく様ですが、十分時間をとって検討した結果ですので、些末な字句の改善は別として、重要なポイントについては、修正要求には応じられません。」

○八木氏(1月14日)
「私は宮崎氏への糾弾の姿勢を示すことは逆効果だという意見です。私はもう懲りました。その意味で宮崎弁明書への「反論」とするのではなく、「宮崎弁明書に対する意見」とするのが妥当と思います。」

○藤岡氏(1月15日)
「今になってタイトルまで変更せよとは、ふざけるのもいい加減にしなさい。論外です。」「私を除いて執行部の会合をすることはお断りします。」

○八木氏(1月16日)
「藤岡先生、「反論」をご修正いただけませんでしょうか。ここは曲げてお願いします。刺激的な表現は泥仕合を誘発するだけです。泥仕合となれば、皆が傷つきます。 私はそれを恐れますし、もう懲り懲りです。 それに我々の本当の敵は外にいるのですから、嫌な相手であっても付き合っていくしかないのではないでしょうか。このままの「反論」(私は「見解」とでもするのが適当と思います)ですと、私は会長として名前を連ねることができません。」

○藤岡氏(1月16日)
「八木会長は、すでに当事者能力を失っているのではありませんか。男が(女でも)一度責任をもって認めたことを、あとでひょいひょいと覆すことができると考えているとしたら、もはやあなたは会長職になじみません。」
「私は今、どうしようもない会長不信に陥っています。反論文書を事前にお渡しすると、改ざんされるのではないかと心配です。私の方でコピーを準備して、直接理事会の会場に持参します。陪席事務員の分も含めて、30部用意します。」


   ☆    ☆    ☆

●(資料2)会員管理システム問題に関わる宮崎弁明書に対する見解(私見)

                  平成18年1月16日

会員管理システム問題に関わる宮崎弁明書に対する見解(私見)

                       八 木 秀 次

 宮崎正治事務局長が平成17年11月16日付で理事関係者各位に送付した文書について会長・副会長の統一見解を出すべく検討していたが、藤岡信勝副会長が原案を起草し本年1月12日の名誉会長・会長・副会長による懇談会で内容が検討された「会員管理システム問題に関わる宮崎弁明書に対する反論」には、宮崎弁明書について「その論法は、①恣意と歪曲に満ち」や「責任逃れのスリカエが徹底している箇所はない」などの刺激的な表現が目立つものであった。これを本日1月16日の理事会にて会長・副会長の連名で発表することになっていたが、このような表現では一部理事との対立を深め、事態を深刻にするばかりであると判断し、私はその後、再三その修正を求めたが、藤岡副会長には遂に聞き入れてもらえなかった。そこで、やむなく下記のような私見を明らかにする。

    記

1)宮崎事務局長が弁明書において一連の会員管理システム問題に関する自らの責任に言及していないのは遺憾である。

2)コンピューター調査委員会の調査の手法、執行部が平成17年11月12日付けで宮崎事務局長に示した「処分」案の内容等は、当事者に悪意がないとはいえ、配慮に欠ける点があり、執行部の不手際を認めざるを得ない。その最終責任は会長である私にあることはいうまでもない。

3)会員管理システムの契約に関しては多くの落ち度があり、関係者の責任を不問に付すことはできない、再度検討の上、処分を検討すべきである。
                                    以上
もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(15)ー執行部内での八木氏追及関係資料ー
 昨日、新団体の事務所開きがありました。それを知って、多くの方々が喜んでくださっているのを見て大変心強く思いました。ところで、その事務所開きに参加してくださった方々について、個人名や団体名がすでに語られていますが、新団体の趣旨や方針がまだ未発表の段階ではやや時期尚早という気がいたしましたので、僭越ながら削除させていただきました。新団体への期待や希望を述べていただくのは大いに結構かと思いますが、具体的な参加者・協力者につきましては、正式発表があるまで今しばらくお待ちいただきたいと思います。


 このブログをお読みの皆様へ

 「つくる会」騒動についての資料を公開しながら、正直、「もうやめようかな」と思ったことが何度かありました。読者の中にも、「もう分かった。やめてくれ。」という気持ちになっておられる方がおられるのではないかと推察します。
 たしかに、現実に直面することは、時に、残酷で、辛く、悲しく、大きな失望や幻滅、落胆を伴うものです。
 しかし、だからと言って、目を瞑り、耳を塞いで、うずくまっていれば・・、無かったことにすれば・・、見なかったことにすれば・・、忘れてしまえば・・、そうすれば、上手くいくというわけではありません。
 むしろ、私は、現実と徹底的に直面し、闇の壁を見破って、その向こうに光が現れるのを見出すという生き方を選びたいと思います。その光はすでに見えています。それについては、もう間もなく、語るつもりです。
 ですから、もうしばらく、「つくる会」会員の純粋な期待を背に受けながら、私達が避けて通れなかった闇について語ることをお許し下さい。


【解説】

 今日ご紹介する資料は、執行部会の中で、裏切り者扱いされ、孤立してしまった八木氏が、密室の中で追い詰められ、昨年12月15日の「会長声明」を訂正させられるとともに、心ならずも「宮崎弁明書の対する執行部の反論」に署名させられて、1月16日の理事会で読み上げさせられるまでの過程が記録された「執行部内のメーリングリスト」です。

 それにしても、日本の保守界の言論を担っている人々が、自分のちょっとした過ちを認めなくないばかりに、あるいは私的関係にしばられて、確信犯たる西尾・藤岡氏に操られ、過ちに気付いて修正しようと努力しはじめた八木氏に、密室で集団の圧力をかけていく過程は「無惨」としかいいようのないものです。

 とりわけ、藤岡氏の言葉が次第に限度を越えていく過程は、衝撃的かもしれません。しかし、私にとっては、そのことよりも、一般には良識的だと信じられていた他の副会長たちが、自分達が「会長声明」に同意していた事実には頬かむりを決め込み、藤岡氏の言動を制止するどころか、むしろ、同調していく過程の方により大きなショックを受けました。そこには密室やメールの負の側面が見て取れます。


   ☆    ☆    ☆

From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Sunday, January 08, 2006 6:44 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00131] 理事宛文書の訂正と追加文書の送付について

八木会長殿

 <A>昨年の12月25日、新宿で行われた執行部の会議において、貴殿は、 昨年12月15日付けで全理事に配布された「会長声明」と「執行部見解」の文言の一部の訂正を約束し、メーリング・リストにて原案を執行部メンバーに送ることになっていました。しかるに、小生は貴殿の書き込みを今か今かと待ち続けましたが、今日(1月8日)に至るも原案の提示がありません。これは明白なサボタージュです。仕方がありませんので、小生が以下に原案をつくりますから、以下の【 】で括った部分をそのままコピーして文書をつくり、週明け早々に事務局経由で全理事に送付して下さい。

 【(1)平成17年12月15日付け「会長声明」のうち、下記の、第4パラグラフの第2文は、事実に反する不適切な内容であるため、削除します。事実 に反するゆえんは、会長である私がこの間の執行部のすべての決定に参加してきたからです。

 「率直に言えば、私の意志とは別にことが始まり、既成事実が積み上げられていく中で、それを動かしがたい事実と捉えてしまい、限られた選択肢の中で、当会の宥和を図ろうとしたことが、かえって問題を長期化・深刻化させてしまったように思います。」

 (2)同じく12月15日付けで配布した、宮崎弁明書及び富樫意見書についての「執行部見解」のうち、次の2点を訂正します。

 ⑤の文中、「宮崎氏の弁明書」のあとに、「恣意や歪曲」を入れる。従って、全文は次の通りとなる。
 「⑤これまで宮崎氏の弁明書の恣意や歪曲に対して沈黙を守ってきたのは混乱を拡大させたくないという配慮だったこと」

 また、「⑥富樫監事の意見書は執行部の見解とは異なるものであり、事実関係にも誤認が見られ、遺憾であること」を、次のように訂正します。

 「⑥富樫監事の意見書は同氏の自主的な判断で出されたもので、執行部とは無関係であること」】


 <B>昨年12月に、執行部と見解を異にすると思われる理事が連名で、以下の三つの要望やら抗議やらを会長あてに提出しています。

 1)12月12日付け、「理事会招集の要望」(内田・勝岡・高池・高森・新田・松浦の6理事による連名の文書)
 2)12月12日付け、「事務局長人事をめぐる執行部対応への抗議及び経過説明等の善処を求める声明」(内田・勝岡・新田・松浦の4理事による連名の文書)
 3)12月19日付け、「理事会議題について」(内田・勝岡・新田・松浦の4理事による連名の文書)

 このうち、八木会長は2)の文書だけを「会長声明」に添付して全理事に送付し、自らの「収集策」の背景的な根拠としていますが、他の文書は全理事には配布しておりません。しかし、これは理事会に関わる重大な提起を会長の恣意によって配布したりしなかったりする情報操作であるといわれても仕方のないやり方であり、著しく公正を欠いております。
 ちなみに、私(藤岡)は、今回の「混乱」の原因は、12月1日以降、会長が理事会を招集するか又は理事会招集のめどを伝えるかして、事態がどうなっているかを理事に説明する責任があるのに、その任務を放棄した不作為に最大の原因があると考えております。従って、上記の1)の「理事会招集の要望」という文書の趣旨には全面的に賛成であり、もし私が事前にこの要望が発出されることを知っていたら私も署名に加わっていたであろうことを申し添えます。
 いずれにせよ、執行部見解と一致しようがそれに反していようが、理事会に関わって会長に提出された文書は速やかに全理事に周知するのが透明で公平なやり方であり、姑息な情報操作はお止めいただきたいと存じます。
 そこで、上記の12月15日付け文書の訂正と併せて、上記の1)と3)の文書も週明けに事務局経由で全理事に送付するよう要求します。

再度確認します。<A>については、【 】内をそのままコピーして文書をつくって下さい。<B>については、私の要求通りに実行して下さい。

 1月8日 藤岡発信

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From: 西尾幹二
Sent: Sunday, January 08, 2006 9:35 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: Re: [text-decoding][00132] 理事宛文書の訂正と追加文書の送付について

この文書の内容は昨年12月25日に新宿の中華楼外楼での執行部会で、参加した5人が全員合意した見解に基ずくものであり、また、16日の理事会の執行部方針を決定ずける内容を先取りし、かつ今後のつくる会の基本を決める動かせない、重要な方向をきめていて、しかも会長がこの秋にはやくから自ら賛同、主張した趣旨にいささかも矛盾せず、したがって会長がこれに反対するいかなる根拠もみだせないので、当然のこととしてこれを支持します。これに異をとなえる立場が執行部内にあるとは、楼外楼での誓約を考慮すると、到底考えられません。 よってこれを支持します。

                西尾幹二

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From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Sunday, January 08, 2006 10:03 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00133] 12日執行部会議の議題について

執行部各位

■12日執行部会議の議題について

 12日の執行部会議は、16日に行われる理事会の運営について、その内容と形式を決めることが議題となります。これについてメモをつくりましたので、以下の諸点をご確認下さい。

 1)16日の理事会は11月18日の緊急臨時理事会の継続として開かれるものである。従って、議題は「事務局長人事について」であり、その内容は
 ①調査委員会の報告と処分について出された宮崎弁明書や、11月18日理事会に提出された意見書、その理事会でなされた執行部の処分に対する批判的発言などについて、まず、執行部側の反論を展開する。
 ②会員管理問題以外の、宮崎事務局長の事務局長としての資質と言動の問題点についても議論する。その際、採択戦の経過も一つのデータとして取り上げる。
 ③その上で、宮崎事務局長の処遇について執行部の方針を説明する。
というものになる。
 そこで、それらの議題についての準備として、まず、①については、12日ま
でに遠藤・藤岡で【反論文書】を作成する。
 次に、②については、現執行部のみならず、種子島理事、富樫監事など宮崎氏の近くで仕事をともにする機会のあった理事に発言を用意してもらう。
 ③については、12日に執行部としての決定を行う。なお、理事会で議論することは構わないにせよ、本来はこの件は執行部マターであって、理事会の承認は絶対条件ではないことも確認する必要がある。

 2)16日の理事会は、上記のように11月18日の継続であるから、宮崎事務局長はもちろんのこと、他の事務局メンバーも同席できない。ただし、宮崎事務局長についてだけは、むしろ、別室で待機してもらい、議事の一定の段階で同席させて、当人の発言を求めるようにすることも一つの方法である。さらに、11月18日に出席した富樫・平野両監事にも引き続き参加してもらわなければならない。

 3)将来問題が起きることがあるかもしれないので、執行部の責任において、議事を録音する。

 4)理事会に提出する文書資料を確認する。(例えば、経過の日誌、執行部告知など)

1月8日 藤岡発信



  From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Sunday, January 08, 2006 11:31 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00134] 会員管理システムに不具合発生

執行部各位

 1月6日、また、ファイルメーカーの不具合が発生していたことがわかりました。オペレーターの丸山さんからの報告によれば、会員番号1番の会員カードと全く同じものが、最後に入会した会員カードのあとに出来てしまうとのことです。新規入力は1月6日には行っていませんでした。
 実は、以前にも同じ状態が2度は起こっていて、その都度、コンピュートロニクス社から電話で指導を受け、2枚のカードのうちの1枚を消していました。そのときも原因不明で、他のファイルとのつながりがオペレーターにはわからないため、勝手にいじることは不可能であるとのことです。
 事務局の田村氏のルートでコ社にアピールしたが、来週火曜日でなければ対応できないと言われてしまった由です。会員管理システムが、いよいよ危殆に瀕しているという実態がはっきりしてきました。

1月8日          藤岡信勝

     

From: 西尾幹二
Sent: Monday, January 09, 2006 12:18 AM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: Re: [text-decoding][00135] 12日執行部会議の議題について

12日の議題についても同様に下記を支持する。ことに事務局人事は慣例上、執行部マターであって、採択の谷間で事務局長の更迭が諮られるのはこれまでもおこなわれ、普通のことである。これまで三回、まったくなにも問題はなかった。 今回だけとりたてて問題になるのは、前の三回とちがって、外部の特殊なネットワークの間接干渉があるためと考えられる。会が外部の見えない力の干渉を受けることに私は危機感をおぼえている。外部の力がどこにあるのか、どの国につながっているのかさえも本当にはわからないからである。今まではすべて人間的信頼にもとずいておこなわれてきた。突如として侵入してきた全共闘まがいの言辞に脅威をおぼえるのは私一人ではないはずだ。そうした勢力の排除を会長ならびに副会長諸氏にもとめたい。

              西尾幹二



From: FUKUDA hayaru
Sent: Monday, January 09, 2006 6:28 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: Re: [text-decoding][00136] 12日執行部会議の議題について

執行部各位

藤岡さんのML[00131]のAとBの二点、および[00133]の12日の議題について、賛成です。

なお、16日の理事会ですが、事務局長が別室待機、時に応じて意見聴取もしくは 弁明の機会をつくるのは、事務局長ご本人に対してもフェアではないかと愚考します。他の理事の方達も直接事務局長の意見を聞きたいかもしれません。

また、暮れの25日に申し上げましたが、念の為、もう一度以下のこと確認します。

事務局長が理事会に出席するのは飽くまで事務局代表としての陪席です。これは大学の教授会でも私の劇団(財団法人)でも、当然の常識で、教授会や理事会の構成メンバーではありません。さらに明大商学部の場合、教授会の上位にある商学部執行部(内閣)に出席する事務長や事務員も陪席です。事務方が内閣の一員と言ふことは考へられません。従つて、当然のことながら、「つくる会」の執行部会でも、事務局サイドは陪席だと、私は考へてゐます。

12月25日の新宿の会議も、執行部会であり、懇談会ではないといふことです。勿論、議事録作成等のため事務方の陪席は常識ですが、その事務方の、しかも、事務「局長」そのものの資質を議論する席であれば、当該「局長」を外すのは已むを得ざることです。殊に、作為・不作為はさておきその本人が会員の浄財の使途に関し甚だ不透明な態度を取り続けるに到つては、当然の処置と考へます。 以上、蛇足ですが、気になつてゐました。

福田 逸

     

From: 八木秀次
Sent: Monday, January 09, 2006 6:50 PM
To: [執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: RE: [text-decoding][00137] 理事宛文書の訂正と追加文書の送付について


何をそんなに焦っているのでしょうか。理事会開催まで1週間はありますし、事務局の本格的再開は10日(火)からです。前にも言いましたが、事務局が機能しての会長職です。それ以上求められても困ります。

「会長声明」の文言は削除しません。私の真意が伝わるよう以下のように修正します。これは私の名前で出したものですから、私の責任で修正します。

〈私も執行部の一員として執行部の全決定に参加してきた身であり、全責任は私にあることは承知しておりますが、今から振り返れば、私の意志とは別に事務局長人事問題が始まり、そのころ多忙であったこともあって、その後を着いていくのが精一杯であったことを告白しなければなりません。しかし、会長としては執行部内部の宥和を図らねばならず、執行部で積み上げられた手続きを尊重してきましたが、そのことが逆に他の理事からは理解を得にくい性急な結論を導き出したのではないかと考えております。会員管理ソフトの契約に関する宮崎事務局長の落ち度については現在も大いに問題であると考えております。しかし、たとえそれが問題であるとしても、事務局をいきなり執行部管理にしたり、宮崎事務局長を「処分」するのは明らかにいき過ぎであったと今から振り返ってみて反省しております。これらはひとえに私の会長としてのリーダーシップの欠如が招いたものです。)

「執行部見解」ですが、正確に言えば、事務局長は執行部会の一員〈会則第12条)ですから、「執行部見解」なるものは、事務局長が入っていない段階では成立しません。「会長・副会長見解」、あるいは会長・副会長である「理事有志の見解」と言うべきでしょう。これは好むと好まざるとに関わらず、会則上、そうなります。

さて、その中身ですが、「恣意や歪曲」の削除については、12月25日にも言いましたが、12月15日に藤岡先生の了解を得ていたはずです。私個人の見解は、「恣意や歪曲」という部分は今もない方がいいと思っております。私も確かに宮崎文書には「恣意や歪曲」があるといえばあると思いますが、現時点ではそれがどこであるのかを明示していない以上、「恣意や歪曲」は不要と思います。それより何より今は、会全体の宥和を図ることが最重要課題です。なくても文意は通じるのですから、「恣意や歪曲」は不要と考えます。それでもその文言を入れろというのであれば、私の名前は明記できません。
富樫文書の件は、藤岡案の通りとします。

理事からの理事会開催の要望書は、それを受けて理事会を招集したのですから、執行部メンバーでとどめました。議題についての要望も同様です。しかし、なぜ、そのこを今になって、「情報操作」などという言葉で批判されるのでしょうか。藤岡先生も納得されていたのではなかったでしょうか。理事会開催延期の話も皆で話し合って決めたことではなかったでしょうか。

「サボタージュ」だの、ご自分の原案をそのままコピーして文書を作れ、だの、要求どおりに実行しろ、だのという言葉遣いは大人同士の関係として如何かと思います。

   八木秀次

 
From: 八木 秀次
Sent: Monday, January 09, 2006 7:08 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: RE: [text-decoding][00138] 12日執行部会議の議題について

今は会全体の宥和を図るべきと思います。16日の理事会は最終的には総括をする体制を如何に構築するかに議論をもっていくべきです。その前提として、会長・副会長の不手際を認める必要があります。一時、険悪な状態になるかもしれませんが、今はオン・ザ・テーブルでの議論をする必要があると思います。したがって宮崎氏も出席させた方がいいと思います。そしてその後の数ヶ月掛けた総括の後に宮崎氏の事務局長としての適格性を議論するのが筋です。

それから会員管理ソフトの問題で宮崎氏を解任することは法的に無理です。法律を持ち出すなといわれるでしょうが、ここまで問題がこじれた以上、法的問題を無視するわけにはいきません。
藤岡先生の案はお膳をぜんぶひっくり返すようなものです。こんなことをやっていたのでは本当に会が壊れます。私は全面的に反対です。ご再考下さい。

それから、メールの遣り取りは私には時間が掛かりすぎます。これだけの時間を割くことは現時点では無理です。できるだけ直接会っての話し合いを求めます。

   八木秀次

       

From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Monday, January 09, 2006 10:15 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00139] 八木会長の訂正文について

八木会長殿

 [00137]の貴信、拝見しました。あなたはとてつもない勘違いをされて いるようです。12月25日の執行部会議で、12月15日の「会長声明」について、あなた以外の4人のメンバーが異口同音に重大な問題点を指摘し、あなたもそれを認めざるを得なくなり、訂正文の案をあなたが書いてこのメーリングリスト(ML)にのせ、執行部のメンバーの合議を経て理事全員に送付するという段取りを決めたのです。ですから、事務局が本格的に始動するのが10日からであるとしても、案文の検討は少なくとも数日前にこのMLでなされていなければならないのです。昨日、しびれを切らした私が言い出さなければ、放置するつもりだったのではありませんか。

 「私の名前で出したものですから、私の責任で修正します」というのも、上記の経過から見て、滅茶苦茶な言い分です。あなたは事実に反する間違った声明を書いたという「前科」があるのですから、他のメンバーの同意を得て文面を決めるのは当然です。25日の決定はそのような趣旨です。このように、一度決めたことを、自分の都合のよいようにずらしていくのは、誠に卑劣です。会長は一つの職務であり、機関であって、あなた個人の恣意で何を書いてもいいわけではありません。

 今回の修正文も、欺瞞と歪曲に充ち満ちています。「私の意志とは別に事務局長人事問題が始まり」という一文を、相変わらず書き込んでいますが、この伝でいくと、あなたの意志で発意したもの以外は、すべて、「私の意志とは別に」始まったと主張していることになります。そうすると、あなた以外の誰も、あなたの意志で始まったのではない問題を考えたり、提起したりすることは認めないという論理になっています。これは、端的に言って、独裁者の主張です。誰がその問題を最初に考え始めたかが問題なのではなく、その問題が正当な手続きにそって執行部で十分議論されたかが問題です。その点で、執行部の議論に瑕疵はなかったはずです。

 宮崎事務局長の件について、「たとえそれが問題であるとしても、事務局をいきなり執行部管理にしたり、宮崎事務局長を『処分』するのは明らかにいき過ぎであったと今から振り返ってみて反省しております」と書いています。しかし、 「事務局の執行部管理」は、他ならぬあなたが言い出したことではありませんか。10月28日の理事会に先立つ執行部会での、あなたの「コーンパイプ」発言を私は鮮やかに覚えています。つまり、マッカーサーが日本の占領統治のため厚木の飛行場にコーンパイプを口にくわえて降り立ったように、事務局を事務局長に任せず執行部が直接管理するというわけです。

 11月12日の執行部会の「処分」もあなたがリードしたと言えるのです。それを今になって、自分は乗り気ではなかったかのようになぜ描き出す必要があるのですか。いや、そうではない、自分も進んでやったことであるからこそ、「反省」していると書いたのだ、と反論されるかもしれません。しかし、その反論は成り立ちません。なぜなら、その直後に、「これらはひとえに私の会長としてのリーダーシップの欠如が招いたものです」と書かれているからです。この流れで 読むと、前のことは、やはり会長は本当は気が進まないままに渋々やったことなのか、と読者は読むように誘導しているのです。

 執行部の内部で誰がどんな主張をしたかは、本当は問題ではありません。どんな決定にせよ執行部は連帯して決定に責任を負わなければなりません。それを、自分だけはいい子だったのだ、本当に悪いのは執行部の他のメンバーなのだ、とあなたの修正文は言っているのです。反対勢力に対して他の執行部メンバーを売り渡しているわけです。こんな修正文を私は絶対に認めません。

「事務局長は執行部会の一員<会則第12条>ですから、『執行部見解』なるものは、事務局長が入っていない段階では成立しません」というのも、驚くべき暴論です。事務局長の位置づけについては、このMLに福田さんが書かれたものが私の見解と一致します。会則第12条には、確かに「会長・副会長・事務局長により執行部会を構成する」と書いてありますが、それでも事務局長が、事務局長という職務の故に会議に陪席するという事の本質に変わりがあるわけではありません。その証拠に、会則でも、会長、副会長は「役員」として位置づけられ、「会長、副会長は理事の中から、理事会の決議によって選任する」<第7条>となっているのに対し、事務局長については、「第5章 補足」の中で「事務局長 は会長が指名し、理事会の承認を受けるものとする」としか規定されていません。事務局長人事は、執行部マターであり、本来理事会の権限ではないという点も、我々の間で確認してきたことです。以上の理由から、会則全体の構成に照らしても、事務局長が会長、副会長と同じ資格において執行部を構成するものであるという、宮崎氏が言い出し、今、八木会長が主張し始めたこの論点は成立しません。まして、当の事務局長の処分が議題になっているのですから、席を外すのは当然です。事務局長の人事を事務局長自身が一票を投じて決定に参加することを想定するなどとは、お笑い草です。いずれも福田発言で言い尽くされていますから、これ以上は述べません。

 宮崎文書に関する「恣意や歪曲」という言葉の取り扱いについてですが、「現時点ではそれがどこであるのかを明示していない以上、『恣意や歪曲』は不要」という、あなたの主張もおかしな話です。短い「執行部見解」のなかにそれを書き込めるはずもなく、執行部側が「沈黙を守っ」た理由を書いている文脈ですから、論理としては「恣意や歪曲」が入らなければならないのです。また、宮崎文書のような卑劣な内容のものを「会全体の宥和」を理由に不問に付すなどとんでもないことです。12月15日に、事務所で私の了解を得ていたはずという言い分も成り立ちません。私は八木さんの意図を了解しただけであり、富樫文書への「遺憾」という言葉を使った評価との相関関係において全体を検討したわけではありません。それに、あの文言は遠藤さんの案であり、削除するならば何よりも遠藤さんの了解を得なければならないはずです。その後、12月25日の執行部会議で復活すべきだという指摘があったのですから、やはりその通りにするのがスジです。

 富樫文書の件は、ご同意いただき、感謝いたします。

「情報操作」についてですが、あなたの会運営は著しく透明性に欠けています。6人の理事が理事会の開催要求をしたという事実は、会長が事態の説明も理事会開催の見通しを理事に与えることもせずに事態を放置したため、みんながじりじりと不満を募らせていた12月中旬ころの状況をよく表しています。また、4理事の議題要求は、会長の、ボクは悪くなかった発言を受けたものであり、これも事態を分析するための重要な情報です。改めて、全理事への配布を求めます。念のため申し上げれば、理事会開催を延期することを遠藤さんと私は提言しましたが、それはあくまで12月1日の理事会に限られます。その後は、私は一貫して、早く理事会を招集するなり、説明をするなりすべきだと主張しました。

いずれにせよ、私の案文をもとに簡潔に修正文を考え直して下さい。お願いします。

1月9日午後10時 藤岡発信

     

From: 西尾幹二
Sent: Tuesday, January 10, 2006 12:24 AM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00142] いまさら宥和という言葉が使えるか

八木会長殿

会長の藤岡氏への回答のなかに、「会長としては執行部内部の宥和を図らねばな らず」という文言があるが、会長はどうしていまさら「宥和」という言葉を使えるのであろうか。会長は昨年の12月25日より前に、副会長四氏と私に対し必死に説得し、説明し、状況を打開すべく努力し、執行部の意思統一を図る立場ではなかったであろうか。それがあったならいま「宥和」という言葉を使うことも 可能であったろう。

しかるに実際には会長はわれわれ他の執行部メンバーを無視し、言を左右にして逃げ回り、答えず、語らず、みずから主催すべき執行部会をひとごとのごとくに他にゆだね、われわれの要請にさながらいやいやながらの風情で少しだけ応じ、しかも謝罪せず、感謝もせず、「宥和」を図るどころか、あたかも「対立」を密かに期待するがごとき行動であった。

というのは、他の執行部メンバーに完全に秘密裏に、問題の渦中の人物宮崎氏を中国に平然と同行した一件のもつ不可解さだ。ある理事いわく「裁判官が被疑者を料亭につれていったようなもの」と評されるようなことをやってのけたのは、宮崎氏を問責している立場のものへの無神経な挑発であっただけでなく、執行部への裏切りともいうべき行動であった。

加えて反乱の長であり、全共闘まがいの言辞を弄して常識ある他の理事を今度という今度はほんとうに心底驚愕させた内田理事をひとり不用意に年末の事務局の納め会に呼び、「対立」をさながら煽るがごとき行動をくりかえした。何がいまさら「宥和」であろう。「対立」をみずから拡大しておいて、自らの陣営をかため、そのうえで「宥和」をいいだすのは党派的な、あまりに党派的な利益誘導行動であって、底意を疑わずにはおられないものがある。

これはよくある革命政治家の行動パターンである。八木氏はなにを考えておられるのか。なにを画策しておられるのか。意図的ではないか。

あなたはこの会が教科書の会であり、採択を最優先課題においている地味な会であることを知ったうえで行動しているのか。それとも他のなにかのーーそれは何であるかはわからないがーー 目論見があり、手段として会を利用しようとひそかに考えて行動しているのではないか。あなたの一貫した行動にはそうとしか思えないものがある。

われわれの誤解をとくために、あなたは謙虚に全力をあげて説得にあたってきたであろうか。それどころか、そういう努力はつねにせず、いきなり「宥和」という旗をかかげて、すべてをあいまいにして、ご自身の底意を覆い隠そうとしているのではないか。                            
                   西尾幹二

     

From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Tuesday, January 10, 2006 3:29 AM
To: [執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00143] 八木コメントへのコメント

八木会長殿

 私の理事会運営方針に対するあなたのコメントを拝読しました。以下は、そのコメントに対する私のコメントです。< >内は八木氏の文章の引用です。

 ①<今は会全体の宥和を図るべきと思います。>
 このしらじらしい「宥和」という言葉については、西尾先生がお書きになっておられますので、西尾先生の書き込みに全く同感であるとだけ申し上げておきます。

 ②<16日の理事会は最終的には総括をする体制を如何に構築するかに議論をもっていくべきです。>
 9月からもう何ヶ月経っていると思いますか。あなた自身は、今までどんな総括を提出されたのですか。採択そのものの精密な総括を問題にするなら、まず採択地区の選定資料を集めることが先決ですが、この活動を推進しているのは私ですよ。「総括」と言い出したのは、宮崎擁護派の理事たちです。それなら、自分が何をしたのか、しなかったのか、まず文書を出すべきですが、多分、誰も16日に持ってくるものはいないでしょう。「総括」の必要があるから宮崎事務局長を留任させよというのは、所詮、宮崎擁護派の戦術に過ぎません。

③<その前提として、会長・副会長の不手際を認める必要があります。>
 あなたがご自分の不手際を認めるのは勝手ですが、副会長の不手際を認めよと言われるのはお断りです。それに、一体、どんな不手際なのですか。

 ④<一時、険悪な状態になるかもしれませんが、今はオン・ザ・テーブルでの議論をする必要があると思います。したがって宮崎氏も出席させた方がいいと思います。そしてその後の数ヶ月掛けた総括の後に宮崎氏の事務局長としての適格性を議論するのが筋です。>
数ヶ月の総括などしなくても、すでに有り余るほどの材料によって、宮崎事務局長の不適格性は自明です。また、私が採択本部長、宮崎氏はその事務局長でもありましたから、二人だけしか知らないことがたくさんあります。それをよいことに、彼は私に責任をかぶせる議論をすることは間違いありません。すでにそういう言動を始めています。水掛け論にして、うやむやにしようというわけです。 その手にのるわけにはいきません。

 ⑤<それから会員管理ソフトの問題で宮崎氏を解任することは法的に無理です。法律を持ち出すなといわれるでしょうが、ここまで問題がこじれた以上、法的問題を無視するわけにはいきません。>
 とんでもないことです。「法的問題」は宮崎氏が会を告訴したら問題になるでしょうが、あなたはそれを奨励しているのですか。そして、それ以外は、法的問題などありません。これを機会に、原則的な点を確認しておきましょう。
1)適切な人事を行う権限は、運動体の当然の前提である。それを否定することは運動体の存在そのものを否定することである。
 2)節目の人事異動には、何の不自然さもない。宮崎氏以前に、節目ごとに3人の事務局長が退任しているが、その際、今回のようなトラブルが起こったことはない。トラブルが起こったのは、宮崎氏が退任を拒否し、理事の中にその応援団が結成されたからである。これ自体が異常である。
 3)事務局長の処遇は本来、理事会マターではない。理事会の承認は必要だが、一人でも不承認の理事がいたら、「理事会不承認」となるのかと言えば、そんなことはない。個々の理事に執行部の決定に対する拒否権などない。

 ⑥<藤岡先生の案はお膳をぜんぶひっくり返すようなものです。こんなことをやっていたのでは本当に会が壊れます。私は全面的に反対です。ご再考下さい。>
 冗談ではありません。私の案は、いままでの経過を踏まえた至極当然のものです。「会が壊れる」というのは、具体的には一部の理事が辞めるかもしれないということですか?会員管理問題についてそれらの人々との認識のギャップがあったことは確かです。それを埋めるために手分けして説得しようと提案したのは私です。あなたはそれに乗らず、事態を放置して反対派を結束させたのは、八木さん、他ならぬあなたですぞ。執行部としてはスジを通して進めるだけで、それでも一部の理事が反対して辞任するというなら、仕方がないことです。

 ⑦<それから、メールの遣り取りは私には時間が掛かりすぎます。これだけの時間を割くことは現時点では無理です。できるだけ直接会っての話し合いを求めます。>
 あなたにとって時間がかかりすぎるだけでなく、誰にとっても時間がかかりすぎるのですよ。自分のことだけおっしゃらないでください。自分を何様だと思っているのですか。あなたが、12月25日の決定通りに粛々とことを進めていれば、お互いによけいな時間を取らなくてすんだのです。原因をつくったのはあな たです。それから、一言いっておきますが、あなたは自ら立候補して会長になったのです。多忙を理由に会長の仕事の手抜きをすることは許されません。16日の理事会の手続きについては、すでに私の案に対して、西尾、福田の両氏から賛意が表されています。遠藤氏は10日に旅行から復帰されるでしょう。16日の理事会の運営方法については、これ以上ネット上での議論は打ち切り、12日、執行部会議でやりましょう。

10日午前3時 藤岡発信

     

From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Tuesday, January 10, 2006 1:05 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00144] 訂正文を早く確定して下さい

八木会長殿 執行部各位

ML発信の最終便で、12日に話しましょうと書いたのは、あくまで、16日の理
事会の進め方の問題です。もう一つの、「会長声明」及び「執行部見解」の訂正
文と、未発送2件の理事あての送付は、早急にやってもらわなければなりませ
ん。誤解のないように念のため。

10日午後1時 藤岡発信

     

From: 工藤美代子
Sent: Tuesday, January 10, 2006 1:26 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00145] 遅くなってすみません

執行部の皆様

 私は昨年末の執行部会には出席できませんでしたが、すでに藤岡先生ご提案の内容は了承されていたものと理解しておりました。八木先生のお考えが、ここまで他の執行部の人々と乖離しているのが、少々異様に感じられます。「宥和」は根本的な問題の解決を抜きにしては不可能です。なぜ突然のように宮崎氏解任はできないと会長がおっしゃるかも不可解です。
 12日の執行部会に出席できないのが残念ですが、私は福田先生、藤岡先生のこれまでメールに書かれてきたことを支持いたします。よろしくお願いいたします。

工藤美代子


From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Wednesday, January 11, 2006 6:44 AM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00146] 福原慎太郎氏への質問状

執行部各位

 事務局勤務員・福原慎太郎氏が、12月15日に行った執行部への侮辱発言について、昨日、同氏あて質問状を送りましたのでご報告いたします。なお、本日、同趣旨の質問を、八木会長の中国旅行に同行した的場大輔、土井郁麿、高橋雄二の3氏にも送る予定です。
福原 慎太郎 様         平成18年1月10日

            新しい歴史教科書をつくる会副会長
                  事務局再建委員会委員
藤 岡 信勝

福原氏の発言についての質問
     (以下 略 ) 

     

From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Wednesday, January 11, 2006 6:54 AM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00147] 八木会長への警告文

八木会長殿

 貴殿は、その後、このMLに何の発言もしておりません。全く不誠実な態度であり、会長としての任務放棄です。12日正午までに、必ず、①私が代筆した案通りの文面で会長声明と執行部見解の訂正文を理事に送ることを承認するか、②または、25日の執行部会議の内容を反映し、同席した他の4人が納得しうる代案をつくってこのMLに提案するか、どちらかの方法で任務を実行してください。さもないと、あなたの任務放棄について、あらゆる手段で責任を追及します。

11日午前7時 藤岡発信

       

From: K.E
Sent: Wednesday, January 11, 2006 9:37 AM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00148] 昨夜帰りましたが…

皆様

 昨夜帰りましたが、Eメールでのやりとりを拝見し、いささか困惑してゐます。
 詳しくは12日に議論させていただきますが、簡単に四点だけコメントさせていただきます。

 ① 八木会長の修正見解には不服です。理由は前回25日の会合で申し上げたことに尽きます。

 ② 16日の理事会で議論が事務局長の適格性に及ぶのはやむを得ないし、成り行き上当然のことと思ひますが、執行部が提起する主要議題として「事務局長の人事問題」を掲げることには反対です。何故なら事務局長人事は執行部マターであり、理事会で議論するべきことではないからです。11月18日の理事会に諮つたのは、あくまでも、「会員管理システム問題の調査報告と処分」について理事会の承認を得ること――だつた筈です。ところが宮崎弁明書によつて両者が混同され、事情を知らない理事の介入によつて議論が迷走しはじめました。ここにいたつて執行部自らが「事務局長人事」を理事会の主要議題として提起したのでは、これまでわれわれの積み上げてきたことが瓦解します。会の運営上、事務 局長人事については執行部において粛々と処理するといふ建前を崩してはならないと思ひます。

 ③ 上記②とも関連しますが、福田副会長が示された、事務局長たるものは、理事会、執行部会の正式メンバーではなく、あくまでも両会に陪席するといふ前提の確認は、きはめて重要です。宮崎氏であらうとなからうと、仮に事務局長が最高意思決定機関たる理事会、そして執行上の最高機関たる執行部会の正式メンバーであつたならば、実務処理権限と併せて、事務局長に権力が集中し、会の健全な運営が期待できなくなります。会則第12条にある「会長・副会長・事務局長により執行部会を構成する」との文言が、「事務局長は執行部会の正規メン バーである」との解釈をもたらしてゐるとするならば、早急に「会長・副会長により執行部会を構成する。事務局長はこれに陪席する」と、修正すべきでせう。 いささか泥縄ではありますが……。

 ④ 「事務局長陪席」との前提を確認した上で、今回に限り宮崎氏は理事会に出席、適宜発言してもらつたはうがいいと思ひます。ここで小細工を弄すると、また、痛くもない腹を探られることになりかねません。

 以上、思ひつくままに管見を申し上げましたが、詳しくは明日議論させていただきたく存じます。

遠藤浩一


     ────────────────

From: K.E
Sent: Wednesday, January 11, 2006 3:22 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00149] 追伸/遠藤

皆様

 追伸

 先に送りましたものは舌足らずでした。

 議題として「事務局長人事」を掲げるのは不適切ですが、藤岡副会長ご提案の「①調査委員会の報告と処分について出された宮崎弁明書や、11月18日理事会に提出された意見書、その理事会でなされた執行部の処分に対する批判的発言などに対する執行部側の反論」は不可欠ですし、「②会員管理問題以外の、宮崎事務局長の事務局長としての資質と言動の問題点」についても、当然議論されることになるでせう。

 その上で事務局長人事は執行部マターとして、折りを見て粛々と処理すればいいのではありませんか。16日の理事会で急いで提案を出す必要はないと思はれます。

遠藤浩一

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From: 八木 秀次
Sent: Thursday, January 12, 2006 2:44 AM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: RE: [text-decoding][00150] 八木会長への警告文

「警告文」とは穏やかではありません。
この数日、日々の仕事をぬって、日本青年会議所(JC)との連携を進めるべく動いておりましたので、文書の作成が遅れてしまいました。JCが近代史研究会を設置することになり、昨年の11月に「つくる会」と連携することを検討するようお願いしていたのですが、いよいよそれを進めるべく幹部と会って相談していたということです。
そのような事情ですので悪しからずご了承下さい。

以下に文章案を作成しました。
朝から出掛けるので、詳しくはお目に掛かった上で伺います。

   八木秀次

【(1)平成17年12月15日付け「会長声明」のうち、下記の、第4パラグラフについて、私の真意が分かりかねるとの指摘がありました。そこで以下のように修正します。
〈このように事務局長人事問題が紛糾してしまったことに対しまして、会長として責任を痛感しております。全責任は私にあると思っております。しかし、ことここに至った事情として、初動において私の意志とは別に事務局長人事問題が始まっていたということもありました。私自身、会長として執行部内部の融和を図るべく、執行部で積み上げられた手続きを尊重しようとしてきたことが逆に問題を長期化・深刻化させてしまったようにも思います。これらはひとえに私自身の指導力のなさが招いたことです。会員管理ソフトの契約に関する宮崎事務局長の落ち度については現在も大いに問題であるとの認識に変わりはありません。しかし、事務局の執行部管理や宮崎事務局長の「処分」は、私自身が決定したこととはいえ、明らかにいき過ぎであり、配慮に欠ける行動であったと今から振り返ってみて反省しております。今後は、以上のような反省に立って、会長としてのリーダーシップを発揮して参る所存でおりますので、どうかご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。)〉

【(2)同じく12月15日付けで配布した宮崎弁明書と富樫意見書についての「執行部見解」のうち、次の点を訂正します。
 「⑥富樫監事の意見書は執行部の見解とは異なるものであり、事実関係にも誤認が見られ、遺憾であること」を、次のように訂正します。
 「⑥富樫監事の意見書は同氏の自主的な判断で出されたもので、執行部とは無関係であること」】

 私は「恣意や歪曲」の文言は不要だと思いますが、どうしてもというのであれば、藤岡案に従い、以下の文章を⑥の前に入れても構いません。

【⑤の文中、「宮崎氏の弁明書」のあとに、「恣意や歪曲」を入れる。従って、全文は次の通りとなる。
 「⑤これまで宮崎氏の弁明書の恣意や歪曲に対して沈黙を守ってきたのは混乱を拡大させたくないという配慮だったこと」】

     ────────────────

From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Thursday, January 12, 2006 6:49 AM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00151] 八木会長の訂正文について

八木会長殿 執行部各位

[150]の八木会長の訂正文は、「執行部見解」については、問題ありません。「恣意や歪曲」は必ず入れて下さい。
 しかし、肝心の会長声明は、相変わらず、「私の意志とは別に」という文言に固執しています。すでにこのMLでのべたように、どんな問題でも誰かが発意するのですから、八木会長の意志とは別に誰かが事務局長人事を進めるべきだと発想しても、何ら問題はありません。すべての問題が八木会長の「意志」から始まらなければならないとしたら、北朝鮮の独裁者のようになります。そうすると、その後の「会長としてのリーダーシップ」という言葉も、実は会長独裁体制の要求または宣言の意味だということになります。
 事務局長人事についての執行部の議論に、手続きとして何ら瑕疵はありませんでした。会長の心中を表明してのいいわけなど出す必要もありません。宮崎事務局長擁護グループに対し、自分は悪くなかったとあくまで責任を回避し、他の執行部メンバーを売り渡す八木会長の訂正文案は認められません。

藤岡信勝

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From: "K.E"
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Sent: Friday, January 13, 2006 8:42 AM
Subject: [text-decoding][00152] 16日の理事会について

皆様

昨日はお疲れさまでした。

 さて、16日の理事会ですが、冒頭の会長声明に関する訂正の後、簡単に一の経緯報告をし、その上で宮崎弁明書への反論をし、議論に移るといふ次第にしたはうがいいと思ひますが、如何でせうか。

遠藤浩一 

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From: "西尾幹二
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Sent: Friday, January 13, 2006 11:37 AM
Subject: Re: [text-decoding][00153] 16日の理事会について

遠藤浩一様
ごくろうさまです。「経過報告」に賛成ですが、それは議長指名の後の議長マターですか、会長の仕事ですか。おふたりで話あって決めておいてください。 

西尾幹二

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From: FUKUDA hayaru
Sent: Friday, January 13, 2006 1:35 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: Re: [text-decoding][00154] 16日の理事会について

皆様

昨日はお疲れ様でした。

16日の進行について。勿論、会長声明を冒頭に「別扱ひ」でやつてしまふ事でもよろしいのですが、最初に会長が(執行部会の相談の結論として)遠藤さんを議長指名して、会長声明そのものから議長の司会進行といふのは如何ですか?
結論は、西尾先生と同じくお二人のご相談に委ねます。

福田 逸

     ────────────────

From: 工藤美代子
Sent: Friday, January 13, 2006 1:46 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00155] 16日の理事会

執行部の皆様
 昨日は欠席をして申し訳ありませんでした。
理事会の進行に関しましては、もちろん、遠藤先生(が議長だそうですね)と会長にお任せいたします。よろしくお願いいたします。

工藤美代子

     ────────────────

From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Friday, January 13, 2006 4:50 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00156] 遠藤副会長ご質問の趣旨

遠藤副会長殿 皆様

 ご質問の趣旨が今ひとつわかりません。私の理解では、冒頭に八木会長が12 日にやったと同じようなことをおっしゃるのでしたね。これ自体が経過報告を含んでいると思いますが、遠藤さんご提案の経過報告は、執行部としてこの間の経過をおさらいし、説明するというもののようです。そういうものは共通理解のため当然あるべきですが、今回の場合、執行部が一体であるとは、まだまだとうてい言えない状況にあると思います。たとえば、八木さんがやる経過報告と私がやる経過報告では、相当の違いがあるでしょう。だから、執行部一体という事実がないのに、一体であるかのようにして会長が経過報告をするのは問題があります。本来、経過報告自体を12日に詰めるべきでしたが、そこまで頭が回らず、時間もありませんでした。そこで、逆提案になりますが、次善の策として、理事会の最初にまず会長が議長を指名し、議長である遠藤さんがなるべく「客観的に」事実経過を説明し、そのあと、会長のあいさつをし、もし質問があれば受け、それから議事に入って、会長声明と執行部見解を訂正し、宮崎弁明書への執行部見解を提示する、という流れがよいのではないかと思います。

 それからもう一つ、宮崎事務局長を同席させるのは合意されましたが、他の事務局員を同席させるのか決めていません。事務局も理事会と同様に一体とは言えない現状にあり、しかも微妙な問題を議論するのですから、特定の事務局員だけを会議の雑務のためとして同席させるのは大問題です。同席させるなら全員をもれなく同席させるべきです。私としては、この際、全員を同席させたほうがよいと思いますが、皆さんのご意見をお伺いします。

藤岡信勝

────────────────
From: K.E
Sent: Friday, January 13, 2006 5:14 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: Re: [text-decoding][00157] 遠藤副会長ご質問の趣旨

皆様

 藤岡副会長のご提案通りで結構と思ひます。

遠藤浩一 

────────────────
From: 西尾幹二
Sent: Friday, January 13, 2006 6:02 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: Re: [text-decoding][00158] 遠藤副会長ご質問の趣旨

執行部各位へ  

 私はむしろこう考えます。執行部が一体になっているかいないかの実質を問う前に、すでに一体になっていて、宮崎処断その他に関して、挑発者側につけいられる隙を見せないように、執行部の見解が分断される危険を回避するような心構えでいるべきではないでしょうか。そのためには誰が全体の口上をのべるべきかはわかりかねますが、執行部一体を演出するうえでもっとも効果的な手順はなにか、という観点からぜひ考えてください。
(以下略)
(西尾)


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From: K.E
Sent: Friday, January 13, 2006 7:35 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: Re: [text-decoding][00159] 遠藤副会長ご質問の趣旨

西尾先生、皆様

 西尾先生の仰せの通りです。

 そして、そのことと藤岡副会長のご提案は軌を一にすると思はれます。すなはち、小生が、簡潔に事態の推移を(事実の経緯を中心として客観的に)整理してから、八木会長のコメント(および質疑)、宮崎弁明書への反論(および議論)といふ展開にするといふ手順がいいと思ひます。会長声明や弁明書といつた、抜き差しならぬ論点に入る前に、事実に即して事態の推移を整理し、その上で本質に入つていくといふ展開を辿ることによつて、執行部一体の、隙のない有り様といふものを提示できると思ひます。

 小生の提案も、藤岡先生のレスポンスも、西尾先生の助言も、同じところに立
つてゐると思ひます。八木会長は、いかが思はれますか? 

遠藤浩一 

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From: K.E
Sent: Friday, January 13, 2006 8:17 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00160] 追伸

八木会長

(内容略)

遠藤浩一 

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From: FUKUDA hayaru
Sent: Friday, January 13, 2006 10:42 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00161] 16日の進行

皆様

私が[154]で提案した形は、会長声明を「別扱ひ」でやるより、最初から会長指名の下に、遠藤副会長が議事進行し、その中に八木会長の声明訂正も宮崎への反論も含まれることにより、執行部一体化の姿を見せる必要があると考へたからです。
今は執行部一体化の演出が重要で、さうでない姿を見せたが最後、内田理事は付け込んできます。(伊藤氏も宮崎も足元を見ます。)これらの事態は絶対に避けなければいけないし、他の理事の方々にも、一体の姿を見せることは必要ではありませんか?

藤岡先生の事務局員出席の件ですが、全員出席か、宮崎以外は欠席させるか、どちらかでせう。私にはすぐに判断付けかねますが、どちらかといへば、全員出席でせうか。(以下略)

福田 逸

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From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Saturday, January 14, 2006 8:32 AM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00162] 西尾提案について

皆様

 お考えはわかります。執行部一体を演出するのも確かに一つの行き方です。しかし、もしそうするなら、12日になされたような八木会長の、内情に立ち入った釈明風の冒頭発言はやめるべきです。遠藤副会長の経過報告だけで、内容に入っていったらいかがでしょうか。(以下略)

藤岡

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From: K.E
Sent: Saturday, January 14, 2006 9:12 AM
To: [執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00163] 事務局員の陪席について

皆様

 事務局員については、全員入れるか、全員入れないかのどちらかです。入れる場合も、あくまでも陪席で、発言権がないことが前提です。

遠藤浩一 

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From: 八木 秀次
Sent: Saturday, January 14, 2006 9:13 AM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: RE: [text-decoding][00164] 西尾提案について

 執行部懇談会でも述べましたが、ここ数日、公私共に多忙のため書き込みができません。昨日も一日出掛けておりました。スケジュールの合間をぬって書き込みます。
 
 理事会の進め方ですが、私が冒頭で挨拶し、「会長声明」を出した経緯を説明した後、その一部訂正(削除)を告げ、口頭で訂正の理由を述べる。質問もあるでしょうから、それに応じ、その後、コンピューター問題に入るに当たって司会として遠藤さんを指名する。それ以降はコンピューター問題の経緯の説明とする、・・・ということで如何でしょうか。
 事務局員の出席は全員とするのがよいと思います。私はそれは自明のことだと思い、会場予約の際に人数の中に入れておりました。 (以下略)

  八木秀次

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From: 八木秀次 [mailto:ya8gi@nifty.com]
Sent: Saturday, January 14, 2006 9:59 AM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00165] 宮崎弁明書への反論で気にあること

宮崎弁明書への反論文で気になることがあります。
「恣意や歪曲」「論理のすり替え」などの評価に関わる表現はできるだけ避けて、事実を淡々と書く方がよいのではないでしょうか。3月に円満に退職してもらうことを考えるならば、追い込まない方が賢明だと思います。そのことでは懲りたはずです。
将来を構想した際に事務局長して適格ではないという線を強く打ち出さないと元の木阿弥になります。 皆さんのお怒りはよく分かりますが、あまり戦闘姿勢を出すと逆効果だと思うの です。冷静に事実関係の間違いを指摘し、このような意図はなかったということを強調するのが反論の主目的と思います。

以上、出掛ける前、トイレに入っていて気になったものですから。

  八木秀次

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From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Saturday, January 14, 2006 3:40 PM
To: text-decoding@yahoogroups.jp
Subject: [text-decoding][00166] 八木会長の修正要求について

八木会長殿

おあいにく様ですが、十分時間をとって検討した結果ですので、些末な字句の改善は別として、重要なポイントについては、修正要求には応じられません。

藤岡

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From: 八木 秀次
Sent: Saturday, January 14, 2006 5:18 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00167]理事会の進め方と緊急打ち合わせ会の提案


再度出掛けなければならず、時間がないので受信メールを見ないまま書き込みます。

理事会の進め方について執行部内で齟齬があるように思います。

直接会って話したほうがいいように思いますので、つきましては16日(月)4時30分に水道橋グランドホテルのロビーにご集合頂き、打ち合わせ会を開きたいと思います。ご都合をお聞かせ下さい。

詳しくはそこでお話しますが、私は宮崎氏への糾弾の姿勢を示すことは逆効果だという意見です。私はもう懲りました。その意味で宮崎弁明書への「反論」とするのではなく、「宮崎弁明書に対する意見」とするのが妥当と思います。

なお、このようなメールでの意見交換はパソコンに接する時間のある人が議論をどうしてもリードしてしまいます。私のように自宅滞在時間が短い者は議論に加わるのが遅れてしまうのです。お互い忙しい中でもできるだけ直接会って意見交換することが必要だと思います。

これから静岡に出掛け、明日の夜に帰ってきます。

   八木秀次

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From: FUKUDA hayaru
Sent: Saturday, January 14, 2006 9:49 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: Re: [text-decoding][00168] 理事会の進め方と緊急打ち合わせ会の提案

16日(月)4時~4時30分には水道橋グランドホテルに行けます。

福田 逸

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From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Sunday, January 15, 2006 3:32 AM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00169] タイトルの変更は論外

八木会長殿

 今になってタイトルまで変更せよとは、ふざけるのもいい加減にしなさい。論外です。
 なお、月曜日は八王子で授業ですから、その時間は不可能です。私を除いて執行部の会合をすることはお断りします。

藤岡

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From: "K.E"
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Sent: Sunday, January 15, 2006 10:23 AM
Subject: Re: [text-decoding][00170] 理事会の進め方と緊急打ち合わせ会の提案

小生は5時までには行けますが、藤岡副会長がご無理といふことですね。 どうしますか。

遠藤浩一

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From: "Fujioka Nobukatsu"
To: [執行部メーリングリスト・アドレス]
Sent: Sunday, January 15, 2006 11:32 AM
Subject: Re: [text-decoding][00171] 理事会の進め方と緊急打ち合わせ会の提案

八王子からもどって会場に着くのが、6時ぎりぎりか少し過ぎるくらいです。 宮崎氏への反論文書の内容の修正は論外ですが、議事進行の確認に限る打ち合わせなら、食事をしながら別の場所で6時30分までやることは可能でしょう。ただ、それも12日の結論を大きく変えるような変更には反対です。

藤岡

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From: FUKUDA hayaru
Sent: Sunday, January 15, 2006 1:47 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: Re: [text-decoding][00172] 理事会の進め方と緊急打ち合わせ会の提案

16日の件。
この際、八木さん、藤岡さんにお任せします。
もし、集まるなら16日当時に携帯に連絡下さい。駆けつけますので。

福田 逸

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From: K.E
Sent: Sunday, January 15, 2006 2:04 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: Re: [text-decoding][00173] 理事会の進め方と緊急打ち合わせ会の提案

福田副会長と同感です。

 執行部の意思を再確認する上で、明日事前に打ち合はせの時間を持つたはうがいいと思ひますが、それが困難ならば、見解に開きのある八木会長、藤岡副会長でご相談、ご調整下さい。その結論に従ひます。

遠藤浩一

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From: 八木 秀次
Sent: Monday, January 16, 2006 1:15 AM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00175]泥仕合は避けましょう

今夜、静岡から帰ってきました。

藤岡先生、「反論」をご修正いただけませんでしょうか。ここは曲げてお願いします。刺激的な表現は泥仕合を誘発するだけです。泥仕合となれば、皆が傷つきます。 私はそれを恐れますし、もう懲り懲りです。 それに我々の本当の敵は外にいるのですから、嫌な相手であっても付き合っていくしかないのではないでしょうか。このままの「反論」(私は「見解」とでもするのが適当と思います)ですと、私は会長として名前を連ねることができません。

なお、本日は大学に行きますが、4時30分には私は水道橋グランドホテルに出向いております。
(中略)
会長声明と執行部見解の一部訂正は以下のような文面にしました。

                  平成18年1月16日
平成17年12月15日付「会長声明」および「執行部見解」の一部訂正について
                        
                  新しい歴史教科書をつくる会
                      会長 八木秀次

 (1)平成17年12月15日付け「会長声明」のうち、下記の2点について訂正します。
①第4パラグラフの第1文のうち、「責任を痛快」を「責任を痛感」に訂正。

②第4パラグラフの第2文は削除。
 「率直に言えば、私の意志とは別にことが始まり、既成事実が積み上げられていく中で、それを動かしがたい事実と捉えてしまい、限られた選択肢の中で、当会の宥和を図ろうとしたことが、かえって問題を長期化・深刻化させてしまったように思います。」

 (2)同じく12月15日付けで配布した、宮崎弁明書及び富樫意見書についての「執行部見解」のうち、下記の部分を訂正します。

 「⑥富樫監事の意見書は執行部の見解とは異なるものであり、事実関係にも誤認が見られ、遺憾であること」を「⑥富樫監事の意見書は同氏の自主的な判断で出されたもので、執行部とは無関係であること」と訂正。

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From: K.E
Sent: Monday, January 16, 2006 9:11 AM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: Re: [text-decoding][00176] 泥仕合は避けましょう

八木会長

 会長の「太陽作戦」は理解できます。

 しかし、「宮崎弁明書への反論」は、12日に、主として会長の要望を反映してオーソライズされたものです。したがつて、現段階では12日の決定が有効です。ご帰宅されてから気が変わられたのかもしれませんが、そのたびに文書を修正してゐたのでは、この種の会議・会合は成立しません。ましてや「このままで会長として名前を連ねることができない」といふのは、会および執行部を束ねる会長の発言としては不適当どころかも異常です。

 12日の会合でも申し上げましたが、宮崎氏およびその周辺に対して融和的にすぎませんか。太陽作戦は結構ですが、譲れない道理を踏み外してまで宥和を急ぐのは、却つて禍根を残します。本日の理事会は、理非曲直を明確にさせることが目的です。八木会長はノイジー・マイノリティーの声を過大に受け止め、泥仕合になることを恐れ、宥和を焦つてをられるやうですが、理非曲直を明らかにしたからといつて、泥仕合になんかなりません。むしろ「臭いものにフタ」をすることが、却つて将来の泥仕合を誘発します。騒ぎ得、ゴネ得を許すやうな会は、的に攻められる前に、必ず自壊します。

 今日は肝を据ゑて、理事会に臨みませう。そして、会長の責任において12日にオーソライズされた文書を堂々と読み上げてください。

 今日の理事会前に、再度会長・副会長の意見集約をしたはうかせベターとは思ひますが、物理的にそれが不可能ならば、12日の決定通りの姿勢で臨むしかありません。藤岡副会長抜きの打ち合わせは、誤解を招きますから、反対です。藤岡副会長が出られない以上、小生も出席しません。

八木会長、どうか、「理不尽な宥和」を焦らないでください。

これから出かけ、夕方、直接理事会に赴きます。

遠藤浩一

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From: "Fujioka Nobukatsu"
Sent: Monday, January 16, 2006 11:06 AM
To: [執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: Re: [text-decoding][00177] 宮崎弁明書への反論文書について

八木会長殿

 私が書こうと思っていたことを、遠藤副会長が書いて下さいましたので、全く同意見であるとだけ申し上げます。

 八木会長は、すでに当事者能力を失っているのではありませんか。男が(女でも)一度責任をもって認めたことを、あとでひょいひょいと覆すことができると考えているとしたら、もはやあなたは会長職になじみません。

 あなたは、ひょっとして、事前に宮崎氏に執行部の反論文書を見せたのではありませんか。もしそうだとすれば、執行部に対する何度目かの重大な裏切り行為になります。たとえは悪いが、検察が裁判所で行う論告を事前に被告に見せ、その了解の範囲内で文書をまとめようとするようなものです。事実なら、このことだけで、会長は懲戒の対象になります会長は懲戒の対象になります」

 私は12日の会合での皆さんのご意見をすべて反映して、文書を確定しました。会長の意向をおもんぱかって、私の判断で許容範囲の修正であると考え、若干表現をゆるめたところがありますが、本質を変えたところはありません。

 私は今、どうしようもない会長不信に陥っています。反論文書を事前にお渡しすると、改ざんされるのではないかと心配です。私の方でコピーを準備して、直接理事会の会場に持参します。陪席事務員の分も含めて、30部用意します。

 私もこれから八王子に授業に出かけます。

藤岡信勝

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From: 工藤美代子
Sent: Monday, January 16, 2006 11:43 AM
To:つくる会
Subject: [text-decoding][00178] 理事会

執行部の皆様
 仕事で東京を留守にしておりましたため、失礼いたしました。
今日の理事会は12日の執行部会の決定に従って進められたらいかがでしょうか?
当然、反撃は予想されますが、それは一度は通過しなければならないものだと思います。宮崎さんの問題が片付かない限り、前進はないのですから、ここは会長に頑張っていただきたいものです。執行部が、それを支える構図が理想的だと思いますが。
 (中略)
 それでは6時に水道橋へ伺います。

工藤美代子

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From: FUKUDA hayaru
Sent: Monday, January 16, 2006 11:49 A[M
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: Re: [text-decoding][00179] 泥仕合は避けましょう

八木様

遠藤さんの意見に賛成表明。
私達がつめた「反論」に、執行部全員がぶれたり揺らいだりせず対応すれば、宮崎さん再反論は出来ないはずです。さうなつた時、内田さんも自分達が拙速に声明文を出したことを感じるはずです。
どうか、ここは会長として、我々をリードしてゐる位の心意気で自信を持つて、あの《反論》に望んで下さい。ぶれれば泥仕合です。ぶれなければ、このまま収まる可能性が大です。
確信に満ちた態度で臨んでください。期待してゐます。

福田 逸

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From: 西尾幹二
Sent: Monday, January 16, 2006 2:50 PM
To:[執行部メーリングリスト・アドレス]
Subject: [text-decoding][00180] 遠藤さんの立派な「個」としての発言

八木様
私は早めに遠藤さん個人にあててつぎのように書きました。

あなたの今朝の書き込み、立派でした。私はあえて同じ欄に書きません。

八木さんの1昨日の私への電話以降、彼は変です。今後、会長の任に耐えられる人物かどうかかえって昨日、今日、不可解になってきました。

私がDECORDINGに書かないのは、複数者の圧力でない、あなたの「個」の言葉を、八木氏がしっかり、印象深く受け止めてもらいたいからです。
            西尾幹二

 以上ように書いて、あえてことばを控えていましたが、ほかのかたも全員書きましたので、史的書き込みを公開します。12日にあなたはしっかりした人物にみえました。きょうのあなたはとてもたよりなくみえます。悲しいです。 西尾



     

もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(14)ー藤岡氏の事務局員に対する文書攻撃関係資料ー
【解説】

 昨年12月15日の「会長声明」をめぐって、執行部会の中で八木氏が「裏切り者」扱いされて、追及され、孤立していくのと並行して、事務局の実態を八木氏に訴え、宮崎氏の事務局復帰を願って行動した若手事務局員たちが、藤岡副会長から文書攻撃を受けるという事態が発生していました。

 昨年12月15日、「会長声明」実行のために八木氏とともに事務所に赴いた藤岡氏に対して、F事務局員は「執行部は人間を大事にしていないのではないか」と発言しました。すると、それから一ヶ月近くもたった今年1月10日、突然、藤岡副会長はこれを問題視しはじめ、会長に無断で、しかも、すでに解散された「事務局再建委員会」の名をかたって、F氏を始めとした若手事務局員に詰問状を送りつけ、一両日中に回答せよと迫ったのです。今日、ご紹介する資料は、その時の藤岡氏の詰問状と事務局員たちの回答です。

 これは藤岡氏の異様さを関係者に深く印象づけた出来ごとでした。何故、一ヶ月近くもたってから突然問題視しはじめたのか? 何故口頭ではなく、文書を送りつけ、文書での回答を求めたのか? 何故、一両日中という短い期限を切ったのか? 相手の業務や迷惑を一切考えなかったのか? 何故、会長に相談しなかったのか? 何故、「事務局再建委員会」などという既に存在しない肩書きを使ったのか? 副会長が平の事務局員に質問状を送りつけるなどという前代未聞の行為を異常だとは思わなかったのか?等など。

 それだけに、藤岡氏が事務局員たちの回答を受けて書いた「貴重な資料とさせていただきます」という言葉は、事務局員の間に、これから何をされるか分からないという恐怖心を呼び起こさずにはおきませんでした。


   ☆    ☆    ☆

●(資料1)平成18年1月10日付「藤岡信勝氏のF事務局員に対する詰問状」

 F 様         平成18年1月10日
                    
              新しい歴史教科書をつくる会副会長
                      事務局再建委員会
                         藤岡 信勝

F氏の発言についての質問

 副会長ならびに事務局再建委員会の一員として、事務局の規律の現状と事務局再建の今後の方針を考える参考にするため、次の質問にお答え下さい。

 (1)去る12月15日、午前10時、八木会長と私が引き継ぎのためつくる会事務所に赴きました。そのとき、貴殿は、執行部のやり方は非人間的である、または人間性に欠陥があるという趣旨の発言をしました。これは執行部に対する見逃せない侮辱発言です。そこで伺いますが、それは具体的にはどういう事実を指すのですか。あなたの道徳的非難の根拠を教えてください。
 
 (2)執行部にそういう問題があるとすれば、その最大の責任者は会長である八木秀次氏であるということになります。ところが、あなたは口を極めて道徳的な非難をされたその八木会長と、その日の夜から連れ立って中国旅行に出かけられました。その旅行は、もともとあなたが企画・提案したものだそうです。そこで伺いますが、八木会長は、人間性に欠陥のある執行部から除外されるのですか。そうだとすれば、その判断は誰のどういう情報に基づくものですか。

 (3)つくる会の事務局勤務員が、会長、副会長、理事、監事などの会の役員人事に口出しすることは不適切な行為だと思いますか、それとも別の考えをお持ちですか。お考えをお聞かせ下さい。

 (4)貴殿は12月末に事務局を退職し、郷里に帰られると伺っていました。ところが、1月20日まで勤務を延長されました。それは、会長または事務局長の懇願によるものであるという以外に考えられないものですが、一体、どのような理由で引き留められたのですか。

 恐れ入りますが、以上の4項目について、回答は項目別に、文書で、12日正午までに、[藤岡氏の自宅の電話番号]までファックスにてお願いいたします。
                                    (以上)


●(資料2)平成18年1月11日付「F事務局員の回答」

                  平成18年1月11日
藤岡 信勝 様
                 新しい歴史教科書をつくる会
                    事務局 F

 まず初めに、個人間でこのようなやり取りがあることは組織として異常な状態だと考えます。それに加え、現在私は事務局での残務整理や引継ぎ等の業務で多忙な状況でお答えする時間的余裕がございません。以上の理由から文書による回答は控えさせていただきたく存じます。また、「事務局再建委員会」は12月15日の時点で解消されたものであると認識していますので、その点でも同様です。

 質問内に誤解があるようですので、事実と異なっている点について訂正させていただきます。(1)に関して、私は当日「執行部は人間を大事にしていないのではないか」という趣旨のことを申し上げました。内容についてもその時申し上げた通りです。よって、「執行部のやり方は非人間的」、「執行部の人間性に欠陥がある」という趣旨の発言はしておりません。お聞き違いであろうかと思います。

 尚、ご質問やご不明な点については、16日(月)の理事会には伺いますので、会議の前後にでも直接お尋ねいただければ幸いです。

 最後に、尊敬する藤岡副会長とこのような形のやり取りをしなければならないことを大変残念に思います。今回の文章を見て私は本当に残念であり、ショックでした。このようなやり取りは事務局員の士気を下げ、相互不信感を招き、ひいては事務局の機能不全に陥ることを心から危惧しております。本来であれば、面と向かい、コミュニケーションを取ることが必要であり、それが相互信頼を築く人間関係だと私は信じます。そのことがつくる会の発展につながると思います。私達は私怨ではなく、教科書改善を通した教育の改革、日本の建て直しにこそ全力でエネルギーを注ぐべき時であると考えます。

                                   以上


●(資料3)平成18年1月11日付「藤岡信勝氏の的場・土井・高橋各事務局員に対する詰問状」

的場 大輔 様            平成18年1月11日
(土井、高橋宛も同文)
             新しい歴史教科書をつくる会副会長
                     事務局再建委員会
                        藤岡 信勝

F氏の発言についての質問

 副会長ならびに事務局再建委員会の一員として、事務局の規律の現状と事務局再建の今後の方針を考える参考にするため、次の質問にお答え下さい。

 (1)去る12月15日、午前10時、八木会長と私が引き継ぎのためつくる会事務所に赴きました。そのとき、F氏は、執行部のやり方は非人間的である、または人間性に欠陥があるという趣旨の発言をしました。これは執行部に対する見逃せない侮辱発言です。F氏の発言は、事務局の一部のグループを代弁・代表する形でなされたと考えられます。またもし同じ認識である場合、それは具体的にはどういう事実を指すのですか。その道徳的非難の根拠を教えてください。
 
 (2)執行部にそういう問題があるとすれば、その最大の責任者は会長である八木秀次氏であるということになります。ところで、あなたは、その八木会長と、その日の夜から連れ立って中国旅行に出かけられました。その旅行は、もともと福原氏が企画・提案したものだそうです。そこで伺いますが、もしあなたがF氏と同様の認識を持っているとするならば、そのように道徳的な非難をされた八木会長と連れ立って外国旅行に出かけることとはどう両立するのですか。それとも、八木会長は、人間性に欠陥のある執行部から除外されるのですか。そうだとすれば、その判断は誰のどういう情報に基づくものですか。

 (3)つくる会の事務局勤務員が、会長、副会長、理事、監事などの会の役員人事に口出しすることは不適切な行為だと思いますか、それとも別の考えをお持ちですか。お考えをお聞かせ下さい。

 恐れ入りますが、以上の3項目について、回答は項目別に、文書で、12日正午までに、[藤岡氏の自宅の電話番号]までファックスにてお願いいたします。
                         (以上)


●(資4料)平成18年1月11日付「土井郁麿事務局員の回答」

                 平成18年1月11日
藤岡 信勝 先生
             新しい歴史教科書をつくる会 事務局
                      土 井 郁 麿 印

「F氏の発言についての質問」に関するお伺い

 いつも「つくる会」活動を中心に大変にお世話になっており、心より感謝を申し上げます。

 さて、1月10日にFAXにて「新しい歴史教科書をつくる会副会長/事務局再建委員会委員/藤岡信勝」とのお名前で事務局員・F氏に向けて「質問」が発せられました。さらに同11日、他の事務局員に対し「事務局の規律の現状と事務局再建の今後の方針の参考にするため」ということで、同じく再建委員会委員・副会長のお名前で藤岡先生が出された「F氏の発言についての質問」について、取り急ぎ「お伺い」を申し上げます。

 といいますのも、聞き及ぶところでは、去る12月15日の時点で藤岡副会長ご同席の事務局における会合において、「事務局再建委員会」は解消された旨、八木会長よりお話があったと他の事務局員より聞いております。(土井自身は12月15日の会合は出席しておりませんので後から聞きました。)
 ということは、「事務局再建委員会」が解散した以上、FAXをいただいた藤岡副会長の「質問」は正確には「再建委員会委員」ではなく藤岡「副会長」個人からの「質問」ということになります。そうなりますと、この「質問」は執行部や理事会などの意向をふまえた上での「質問」ではないと考えられます。「執行部」などの正式な要請であるとはどこにも書かれていないからです。

 すなわち、最高機関である理事会により問題を任されていた「再建委員会」はすでに解散し、しかも執行部や理事会などの意向とは直接に関係が無い「質問」だと判断できますから、こうした特定の事務局員に向けられた個人質問に対して即座に「回答」するのが事務局員として本当に正しい行為となるのかどうか、果たしてどう対処するのが事務局員のとるべき行動なのかは、これはすぐには見当がつきかねます。

 それに、土井のように直接聞いていない話について正確を期した文書で簡潔にお答えするためには相当多くの時間と労力を割かなければならず、とくにFさんの名誉や執行部の先生方の名誉、果ては八木会長の名誉にまで問題が及んでおり、もちろん自分らの事務局員の責任にも大きく関係する重要な「質問」であり、ここは熟慮に熟慮を重ねた上で時間をかけてお答えするのはやむを得ない事態であると考えますが、それでは事務局の通常の日常業務にまで支障をきたすという職務停滞の事態に陥ってしまいます。

 それに、なぜ回答期限が翌日の12日正午までなのでしょうか。「事務局の規律の現状と事務局再建の今後の方針を考える参考にする」とお書きになっている趣旨からしても、軽々にお答えできる「質問」でないことは明瞭です。去る10月以降の経緯をふり返りながら慎重にも慎重を期した上でお答えすべきなのでしょうが、しかし、そもそも問題を専管していた「再建委員会」はすでに解散しているのですから、これでは取り急ぎ回答するのが適当な行為かどうか、事務局員などに判断がつかないというのはどうにも仕方がないことではないでしょうか。
 12日正午が提出期限というのが、今度行われるという執行部会や理事会などの材料として藤岡副会長が「質問」されているのだとすれば、これは正確にお答えする必要も出てまいります。しかし、この点でも、問題が審議されるはずの執行部や理事会などの承認や許可を得た上で藤岡副会長への回答とするのが本来ならば、手続き上、正しく誠実な手順となると考えます。
 
 これらはおそらく出すぎた事務局員の言い分であり、誠に僭越な言動とは存じますが、やはり今回の藤岡先生の「質問」は回答をあまりに急ぎ過ぎているのではないかと失礼ながら愚考いたします(ちなみに的場氏は11日体調を崩してお休みです)。

 繰り返しますが、当日午後2時過ぎに「質問」して翌日正午まで、実質22時間以内に「文書」で回答を求めるということですが、これはあまりに性急であり、これでは日常業務をストップしてまで綿密に回答書を作るしかありません。
 しかも、業務に支障を来たしてまで事務局員に「質問」に答えさせる権限が執行部なり理事会などから藤岡副会長に特に与えられていないようですから、それならば事務局員の立場としては、このような重要かつ微妙な問題に対してすぐに対処してよいものかどうかは、結局は判断がつきかねるのはやむを得ない事情であると存じます。

 それとも、これらは会則上、副会長には最初から権限が付与されているのでしょうか。条文から権限があると見なされるものなのでしょうか。あるいは、過去にそうした慣例や慣行が何度かあったのでしょうか。
 そうであるならば話はまったく別ですが、しかし周囲に聞いてみましたが、現在の事務局員にはすぐには判断がつかない問題だと思われます。

 誠に申し訳もありませんが、どう考えても早急にお答えすべき「質問」なのかどうかはすぐには見当がつきかねます。
 また、藤岡副会長がどのようなご意向から「質問」を発せられたのか、「参考にする」程度だとすれば、これも誠に僭越ではありますが、藤岡副会長が事務局にお出でになるなり、別の場所に集合をかけるなり、あるいは執行部として各自を呼んで口頭でゆっくりお聞きいただくなり、もっと別の良い対処法があるはずではないかと恐縮ながら拝察をいたします。

 藤岡先生は、今まで事務局員との間で様々な話し合いを数多く続けてこられ、「事務局長代行職」までお勤めになり、他の事務局員と共に多くの業務をこなしてこられた時期もあったのに、突然、特定の事務局員に限って驚くような「質問」を発して他の事務局員にも「文章」の回答を早急に求めるというのは、一体どうした事態の変化なのでしょうか。
 また、なぜ「文書」回答のような後の証拠となってしまい、それゆえ慎重にならざるをえない回答をそんなに急がれるのでしょうか。
 もうすでに、土井などの想像を超えた事態となっているのでしょうか。

 長くなりましたので以上をまとめますと、

① 藤岡副会長が日常業務に支障をきたす「質問」を特定の事務局員に発して、性急に「文書」の回答を求めておられるのは何の権限に基づくものなのでしょうか。
② 当日午後に「質問」して翌日正午までに急いで文書で回答を求めるのは、いったい何故であり、何のためなのでしょうか。誠に僭越ですが、別のもっと穏当な手法をお考えいただく方が良いのではないでしょうか。
③ このような重要な「質問」を副会長が執行部や理事会と関係なく事務局員個人に向けて業務中に発し、早急に回答を求めた事例が過去にあるのでしょうか。
④ こうした「質問」に即座に回答すべきなのかどうか、事務局員でもすぐに判断できる明瞭な問題であると、どのような根拠や慣例などから判断されたのでしょうか。
 
 これらを明確にお示しいただいて「質問」をしていただかなければ、事務局員として業務を後回しにしてまで急ぎ回答の「文書」を作成するのは、職責上、無責任な行動となります。といって、藤岡先生から「文書」による正式な回答が求められている以上、適当にお答えするというのもまことに無礼な対処となりますので、土井としてもたいへん困惑する事態に立ち至っております。なにとぞ、藤岡副会長には是非とも上記の「お伺い」にお答えいただきたく存じます(もちろん何か機会に簡単な御回答でも結構でございます)。
 
 以上は、業務に差しさわりのない時間を見て、急遽作成したまとまりのない文書であります。たいへん恐縮ではございますが、何らお答えせずに無視してしまう、あるいは簡単な回答で済ませてしまうのは、藤岡先生に対してたいへん不誠実な行為でしかなく、きわめて失礼に当たると考えましたので、取り急ぎ「お伺い」をさせていただきました。
 何卒、宜しく諸事情をお察しいただき、御容赦をたまわりますよう御願いを申し上げます。                                
                        以上でございます。
                              (手書き)


●(資料5)平成18年1月12日付「高橋雄二事務局員の回答」

平成18年1月12日
藤岡信勝 様

新しい歴史教科書をつくる会
事務局   高橋 雄二

 突然のこのような文面を頂きまして、恐縮すると共に大変驚いております。

 まず、12月15日に引継ぎのため藤岡先生が参加された報告会がありました。その会の中で八木会長が「その日をもって、10月28日時点に戻す」とお話になりました。となりますと、事務局再建委員会は解散ということになります。藤岡先生が未だにその肩書き(事務局再建委員会 委員)を使われるのはなぜでしょうか。

 さらに、この質問状は事務局員全員でなく、なぜ特定の人にのみ送られてきたのでしょうか。個人間でこのような文面のやりとりを行うのは組織としては不適切であり、不健全な前例と成ってしまうことを危惧致します。充分ご注意されていると思われますが、本来であれば事務局長もしくは事務局次長に意見を求めることが適切だと考えますが、先生はどのように思われますか。

 文面の中でF氏が「執行部のやり方は非人間的である、または人間性に欠陥があるという趣旨の発言をした」と書かれていますが、そのことを侮辱発言と捉えているのは執行部の総意であるのか、副会長一個人であるのか不明瞭です。また、執行部に対して侮辱する暴言を吐いたとするならば、何人もの面前ですから、その不適切な発言について藤岡先生からF氏にその場で訂正を求めるべきで、なぜ今頃になりそのことを取り上げ、しかも文面で回答を求めるのでしょうか。

 またこの質問状は執行部・理事会等の承認を得た上で行われたものなのでしょうか。もし副会長として個人的な意見を求めているとすれば、その質問について無責任にお答えすることはできませんし、時間的(12日正午まで)にも業務上差し支えがありますので大変失礼かと思いますが、簡潔な回答に留めることをお許しいただきたく存じます。また詳細については1月16日の理事会の場でご質問頂ければ幸いです。

 最後になりましたが、ご多忙にもかかわらず、わたしたち事務局員についてお時間をさいて様々なことを真剣に対応していただいたことを感謝申し上げます。蕪雑な文章であることをどうぞお許しください。


●(資料6)平成18年1月12日付「的場大輔事務局員の回答」

平成18年1月12日
藤岡信勝先生
新しい歴史教科書をつくる会 事務局
的場 大輔

1月11日付「F氏の発言についての質問」に関して

 先生の教科書改善運動へのご尽力に心より敬意を表しますとともに、日頃より御指導御教授を賜り誠に感謝いたします。

 さて、昨年は「つくる会」採択戦の末席を汚させていただき、大変有意義な時間と悔しい思いを同時に体験しましたが、「さあ4年後に結果を出してやるぞ!」と次の採択戦に眼を向け始めた矢先、「コンピューター問題」と「事務局の機能不全」の指摘があり、結果、事務局に相互不信や疑心暗鬼が渦巻く「異常事態」が発生したことはご記憶に新しいことと存じます。

 私自身、新年早々不覚にも体調を崩してしまい、昨日(1月11日)までお休みをいただいておりましたが、心機一転して3年後の教科書改善に向けて「いざスタート!」と臨んだ本日の出勤早々、藤岡先生から「F氏の発言についての質問」という文章が送られてきておりました。まさに出鼻を挫かれたというべきでしょうか、今年も早々から教科書改善という大義から大きくかけ離れたことで忙殺されなければならないのかという虚無感が襲ってまいります。皆が力を合わせて教科書改善運動に取り組むことで、強いては日本再生にまで繋がる潮流を築く、その中心点に「つくる会」はなりうるはずだと信じていましたが、それは幻想だったのでしょうか。

 残念ながら、藤岡先生のご質問に対して、満足していただけるような答えは出せそうにありません。まず第1に当該文章はどのような性質を持つ文章であり、どういった趣旨で書かれたのかがわからない為、答える意義を見出せないのです。「つくる会」副会長及び事務局再建委員会委員の肩書きで文章が作られていますが、「事務局再建委員会」は未だに存在しているのでしょうか。もし存在するのならば「事務局再建委員会」の意志に基づいた文章なのでしょうか。若しくは理事会や執行部会の意志に基づいた文章なのでしょうか。それならば私も「つくる会」事務局員の端くれとして明確にお答えしなければなりません。が、そうではなく藤岡先生からの個人的な話や質問ならば、勤務時間外にお願いしたいものです。

 第2に会議中に、F氏が何を発言しようがしまいが、それはその日に清算されたことではないのでしょうか。F氏の発言に対して異議や不満があれば、その場において堂々と反論すれば良いだけの話であり、その時の発言を後日あげつらい、しかも特定の局員に対してのみ文章で質問状を送りつけるというのは感心できる行為ではありません。

 第3にこれは個人的な感情というか、お願いと申し上げても良いかと思うのですが、私自身、もうこのような問題で時間を割かれたくないということです。「つくる会」の本分を心得、その為の活動に、微力ではありますが全精力を傾注させていただきたいのです。昨年の採択戦後から、八木会長の指揮のもと、「A団体」や「B団体」との連携強化の模索が始まっているのはご承知のことだと思います。事務方としてこのプロジェクトに関わっていますと、「つくる会」にとって如何に重要なプロジェクトかということが肌で感じられますし、そのような仕事ができることを光栄に思っております。八木会長や藤岡先生も同じだと思いますが、私たちはこの様な状況下でも、少しでも会の運動を推進すべく日夜微力を尽していることをどうかご理解いただきたいものです。釈迦に説法だとは思いますが、次回採択まではたったの3年しかありません。私たちがしなければならないことが山積しているのは、藤岡先生がよくご承知のことだと思います。昨年の採択戦の完全な総括も終わっておりません。今後3年間の前向きで具体的な方策もまだ聞き及んでおりませんが、そんな中でも私たちは前を向いて進んでいかなければならないのです。停滞や後退は許されないことだと考えています。出来る限り不毛な論議から遠ざかりたいと思うのは我儘なのでしょうか。

 以上の理由から藤岡先生の質問状に対する回答は控えさせていただきます。粗雑な文章によるご無礼をお許しいただきますようお願い申し上げます。
 
 以上


●(資料7)平成18年1月12日付「藤岡氏の各事務局員への言葉」

           平成18年1月12日
  F    様
的場 大輔 様
土井 郁麿 様
高橋 雄二 様
           藤岡 信勝

 小生の質問にご回答賜り、ありがとうございました。
 質問内容の多くにご回答をいただけなかったのは残念ですが、それでも皆さんのお考えが分かった部分があり、貴重な資料とさせていただきます。
 いろいろと誤解があるようですが、改めて機会を見たいと思います。
 再度、ご返事をお書き下さいましたことにつき、お礼を申し上げます。

もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(13)―昨年12月25日の中華料理屋における「八木氏吊るし上げ」関係資料
文末に以下の資料を追加しました。
●(資料4)つくる会・評議員 石井竜生の「八木会長・宮崎事務局長の『中国観光視察旅行』に関する公開質問状

ご意見に従い「査問」を「吊るし上げ」に変更しました。

Ozekiさん、ご忠告に感謝します。そのつもりです。


【解説】

●(資料1)八木氏がまとめた「吊るし上げ」の様子

 昨年12月15日に帰国した西尾氏は「会長声明」を知って激怒、この怒りに触れて藤岡氏は八木追及・宮崎追放に再転向し、これに他の副会長が追従するという事態になりました。そして、12月25日に西尾氏が主宰して、八木氏「吊るし上げ」のために、執行部会が都内のある中華料理屋で開かれたのです。この資料は、その時の様子を八木氏自身がまとめたものです。
 なお、これは『諸君!』7月号に発表した「独占手記」の元原稿からの転載です。八木氏によれば、『諸君!』の手記は紙幅の関係で大幅に内容を圧縮せざるを得なかった箇所が多く、この「吊るし上げ」の様子も不十分にしか記述できなかったとのことです。その他の部分も含めて元原稿は著作権の関係で今月いっぱいは公開できませんが、『諸君!』次号発売後には公開する用意があるとのことです。

 さて、西尾氏の怒りの背景には、工藤美代子理事の夫である加藤康男氏の「会長によるクーデターがはじまった」という囁きがあったと、5月2日の電話で西尾氏本人の口から直接聞きました。さらに、西尾氏は「加藤さんは素晴らしい編集者で、『つくる会』のことについても、いつも的確な判断をされていた」とも言われていました。この会話をある出版関係者に話したところ「やはりそうでしたか。田久保先生がどうして西尾さんの肩をそんなに持つのかわからなかったのですが、加藤さんという補助線を引いてみると、構図が見えてくるんですよ」と言われていました。

 ところで、「会長による粛正」なら話は分かりますが、「会長によるクーデター」というのは実に奇妙な言葉です。「内閣総理大臣によるクーデター」といっているようなものです。これはつまり会長には権限がなく、要するに、西尾院政か、藤岡摂関政治という認識が西尾氏やその周辺にあったことを端的に表しているのでしょう。

 それから、細かいことですが、この「査問」会の費用を、西尾氏は「つくる会」の公費から出すように主張したそうです。しかし、八木氏が拒否して「割り勘」(一人1万円)ということになったのだそうです。それくらいの拒否権は八木会長にもあったということでしょうか。


●(資料2)藤岡氏が八木氏「吊るし上げ」のために用意したメモ

 「会長へ一任」していたにもかかわらず、どのような論法でそれをひっくり返していったのか。八木訪中を予め知っていたにもかかわらず、後からどのようにして問題化して行ったのか。藤岡氏の戦術がよく読みとれる文書です。種子島氏流に言えば「天動説」の面目躍如といったところでしょうか。


●(資料3)本年2月27日の理事会で配られた「八木訪中」についての前事務局員・F氏の説明書

 もはや、この時には八木解任の空気が出来上がっており、解任に賛成した理事たちは誰も、この説明書に関心を示しませんでした。


   ☆    ☆    ☆

●(資料1)八木氏がまとめた「吊るし上げ」の様子

 12月25日の夜には私を追及するための執行部会が開かれた。執行部会なのに召集者は会長である私ではなく、名誉会長である西尾氏だった。おかしなことだった。だから私はその後もこれは執行部の懇談会にすぎないと主張した。冒頭、西尾氏から名誉会長である自分が執行部会を召集せざるを得なくなったのに私(八木)から西尾氏へのお礼の言葉がないと批判してきた。お礼も何も、会長である私ではなく、名誉会長が会長の了解もなく、執行部会を召集している。私は会長ではないのか、と思った。その後、藤岡氏が「八木さんに聞きたいことがある」と述べて、ペーパーを用意し、例の通りで「査問」が始まった。

 追及されたのは、なぜ宮崎氏と旅行したのかということだった。後に問題にされることになる中国に行ったこと自体はここでは全く問題にされなかった。いつもそうだが、藤岡氏の態度は西尾氏がその場にいるかどうかで見事に変わる。宮崎氏を事務局に戻すことは自分が言い始めたことでもあったのに、私を糾弾する急先鋒になっていた。「裁判官が被疑者と温泉旅行に行ったようなものだ」といって批判した。

 福田氏からはなぜ自分に宮崎氏と一緒に旅行することを事前に言ってくれなかったのかと聞かれた。私は「言い辛かった」とだけ述べた。福田氏は「事前に言ってくれれば、行くのを止めたのに」と述べた。完全なプライベートな旅行であり、宮崎氏ももう事務局長に戻ったのだからいいだろうという思いと、宮崎氏を事務局長に戻したことと旅行とは直接の関係はないが、結び付けられるのが嫌で言わないでいた。後には「言い辛かった」のは疚しい気持ちがあったからだ、と批判されることになった。

 案の定、一直線で結び付けられているようだった。私が計画を立てて、宮崎氏や内田・勝岡・新田・松浦の4氏と連動して西尾・藤岡両氏を追放し、会を乗っ取ろうとしている。中国旅行に一緒に行ったのは皆がグルだったということの何よりの証拠だ、という趣旨のことが西尾氏の口から発言された。私が「それは分かりやす過ぎやしませんか。そんな分かりやすい馬鹿なことなんてしませんよ」と言うと、「わざと分かりやすくしているのではないか」と西尾氏はさらに追及した。宮崎氏も含めて事務局で中国に旅行に行こうという話が最初に出たのはまだ騒動が大きくなる前の9月の下旬だったと思う。出勤停止処分になった宮崎氏は中国旅行を辞めようかと思ったが、もし退職することになれば、送別旅行ということにしてくれと、事務局の若いメンバーには告げていたという。

 後に西尾氏に聞いたところでは、藤岡氏は私の「会長声明」を見て「八木に殺意を覚えた」と語っていたそうだ。「これは仲間内では有名な発言だ」とも西尾氏は語った。どうもこの頃、「諸君!」五月号で西岡治秀氏が明らかにしているように、A氏が「これは八木による西尾・藤岡追放のクーデターである」と囁いたことがあったようだ。西尾氏からもこの執行部会で「会長によるクーデターだと言っている人もいるんだよ!」との強い調子での発言があった。私は「それは誰ですか」と強く迫ったが、答えはなかった。クーデターなど私には考えてもみないことだった。ただ「どうして会長である私に仕事を任せてもらえないのか、どうして今日の会合の召集者も西尾先生なのか、私はチーママではない」ということだけはその場で発言した。

 私はいつしか「裏切り者」のレッテルを張られていた。「裏切り者」ではない。藤岡氏がことさらに問題にしたコンピューター問題のおかしさ、西尾氏のクラッシュ・アンド・ビルド・アゲインの無定見さに気付き、彼らに同調していればこの会は壊れると思い直しただけのことである。結局、「会長声明」の内、「私の意志とは別にことが始まり」という部分を書き換えるよう求められた。彼らは自分たちのやっていることに疚しさを感じていたのか、お前だけの足抜けは許さないよ、といった趣旨のことかと思われた。
 私は、西尾氏が会長である私に無断で濱田氏に事務局長に就任するよう声を掛けたことが混乱の原因であり、そのことを言ったに過ぎないと主張し、「ただ意味がよく分からないというのであれば、次の理事会で補足説明をする」と答えた。ところが、年が明けてみると、「修正を約束」したことにされていた。


●(資料2)藤岡氏が八木氏「吊るし上げ」のために用意したメモ

□問題点

1)八木会長は執行部のすべての決定に参加しているにもかかわらず、12月15日の「会長声明」では、「私の意志とは別にことが始まり、既成事実が積み上げられていく中で、それを動かしがたい事実と捉えてしまい、限られた選択肢の中で、当会の宥和を図ろうとしたことが、かえって問題を長期化・深刻化させてしまった」と書いています。会長はこの間の決定に責任を負わないということなのでしょうか。

2)会長の中国旅行に事務局メンバーを引き連れてゆくのはまだしも、①執行部として処分を決めた人を同行させたこと、②それを他の執行部メンバーに隠していたこと、③この間の処分問題の渦中で中国行きが決まっていたらしいこと、などについて会長自身の説明をいただきたいと存じます。

3)12月15日付けの「執行部見解」は、執行部としてオーソライズされたものとはいいがたいと思われます。⑤では、宮崎弁明書に付けられた遠藤案の形容語が省かれ、他方、富樫意見書には「遺憾」の言葉が使われています。富樫氏の監事辞任の申し出はこれと関連していると考えられます。これらの点について、執行部の見解を明確にする必要があると考えられます。

4)会長の行動からは「当会の宥和を図ろうとした」とは考えにくい点があります。11月18日臨時理事会で反対意見が明確になった段階で、個々の人々への説得・説明、妥協点の模索などをどのようにやられたのか明らかにしていただきたいと思います。

5)理事会も開催せず、理事会への説明もないまま事態を放置し、混乱を拡大してから、会長が乗り出して一任を取り付ける、というパタンで進んできたと考えられます。この点の事情説明もいただきたいと思います。
                                 (以上)


●(資料3)本年2月27日の理事会で配られた「八木訪中」についての前事務局員・F氏の説明書

                    平成18年2月18日
昨年12月の中国研修旅行について
               前・つくる会事務局員 F

経緯

・9月下旬、採択も終わったので、年末あたりに研修とリフレッシュを兼ねて中国、韓国、台湾などどこかに自費で海外研修旅行に行かないかとFが若手事務局員(土井、的場、高橋)に茶飲み話として提案
・どこかに行きたいとの話が盛り上がり、盧溝橋・抗日記念館、南京虐殺記念館などの反日施設や展示の見学を目的とする中国研修旅行を全員が支持
・その後、大まかなスケジュール試案をFが作成、提案
・充実した旅行にするためには、最低でも4日間の日程が必要であるが、この時点では休暇取得が可能かどうか未確定
・また、この時点では、休暇の点と会わせて確定した話とFは認識していない
・その後、他の3人に本当に行くかどうか何度か念押しの確認
・事務局に影響が少ないと思われる12月16日(金)から19日(月)の日程を提案

・10月中旬、宮崎事務局長に土井氏より休暇の打診
・10月中旬、松下政経塾時代に一時期一緒に過ごした旧知の中国社会科学院日本研究所の張研究員へ中国行きを検討中であることと、実現した際の日本研究所訪問の打診(以下、送信メールより抜粋)
F〈基本的には若手職員の私的な訪問とということをご理解いただければと思います。〉
・ちなみに、日本研究所と松下政経塾は15年前から提携しており、毎年政経塾に研究員が派遣されている
・宮崎事務局長、八木会長、鈴木尚之氏がそれぞれ同行を希望している未確認情報が時期も別々にFに間接的に入る
・Fは当初予定通り若手職員による気楽な指摘旅行にしたいため、また、タクシーが2台以上になる人数での中国国内の日程に自信が持てないため、同行には正直消極的であった(よって、この時点では3氏に特に確認していない)
・そのうち執行部の事務局管理が始まり、宮崎事務局長の出勤停止など事務局のゴタゴタが始まり、中国行きについて打合せする暇がなくなる

・11月上旬、最終決定する時期が迫りつつあるため、中国行きについて3氏が
参加することも含め、本当に実行するかどうか若手職員に確認
⇒実行を最終確認、3氏の同行についても若手職員も了承
・Fが3氏に個別に確認
・ちなみに、出勤停止中の宮崎事務局長に参加の有無を確認したところ、「もし退職することになったら、お別れ旅行にして欲しい」との返事
・社会科学院の張研究員に訪問者と日程の最終確認
・この間、飛行機、宿泊、中国内の鉄道をすべてFが手配(手配内容については、若手職員以外には詳細の連絡をしていない)
・その後、八木会長より正論編集部小島氏が参加させてほしい旨連絡あり⇒手配追加
・11月下旬、社会科学院より懇談内容の確認があり、八木会長と確認の上連絡
  1.表敬訪問
  2.歴史教育のあり方について
・11月下旬、鈴木尚之氏より中国行き辞退の連絡
・事務局長不在のため、八木会長に中国行きに伴う休暇届を各自提出

・Fの認識としては、非公式な訪問でもあり、「簡単な懇談」であると理解していたが、出発の前日(12月15日)夜、張研究員より懇談内容のメールが届き、社会科学院側の発表者、順番がきっちり組まれていること、懇談時間が3時間に延びていることに驚く
⇒宮崎事務局長には当日その場で報告、八木会長には翌日(当日)朝成田空港にて報告
・それまで、ビデオ撮影は可とのことだったが、前日になって「非公式懇談」のため、不可との連絡(録音は可)
・当日、念のため高橋事務局員がビデオ、三脚を持ち込むが、撮影はやはり不許可(社会科学院側も録音のみ)
・八木会長より冒頭に「非公式訪問であること」、「若手職員の私的旅行に同行したこと」を述べる(「正論」に掲載された通り)
・落ち着いた中にもきっちりとした議論を展開、非公式とは思えない内容
・訪問中、中国側公安等に監視されるかと考えたが、そのような様子もなく全日程を無事終了(社会科学院外に話が漏れてないことを実感)

・帰国後、小島氏から懇談内容の「正論」への掲載を検討中である旨連絡あり
⇒小島氏と社会科学院側で直接交渉、Fは関知せず
・その後、懇談内容をほぼそのまま3、4月号に掲載予定との情報が入る
⇒2月1日、「正論」3月号発売
・2月初旬、地元帰着後に張研究員に12月の訪問がどこまで報告されたか以前から知りたかったため個人的に確認(以下やりとり抜粋)

F<12月には色々とお世話になり、ありがとうございました。また、雑誌「正論」への掲載ありがとうございます。私も予期しないことだけに驚くと共に今回の懇談が日中関係に少しでも貢献できればと思っただけに大変嬉しく思います。張さんにお聞きするのを忘れていたのですが、今回の私達の訪問は政府首脳のどのレベルまで伝わっているのでしょうか。李外相でしょうか、胡国家出席まででしょうか。非公式という前提ですが、中国側でどのような受け止め方がされたのか知りたいと思いましたのでお尋ねします。>

張 <つくる会来訪の件に関しては非公開という前提で普通の交流としかみえないので、上へは情報を流していません。>

参考資料
・各自に配布した日程表

補足
・今回の中国訪問はすべて自費で行われた私的なもの
・経緯は上記に説明した通りであり、Fが企画、提案、計画した
・中国社会科学院日本研究所へは、Fの人的つながりで実現した
・社会科学院側も「非公式訪問」であることを了承しており、上記の通りそれに基づいた行動を取っている
・社会科学院側からも今後は公式訪問団を派遣してほしいとの希望が出されただけでなく、合同シンポジウムの開催などの提案もあった
・月刊「正論」への掲載は小島氏と八木会長の間で決定されている
・今後は堂々と公式訪問団で訪問すれば良いだけの事


【解説】
 八木訪中から二ヶ月後、訪中そのものを問題視する声が、どこからか上がりはじめました。この文書は、その一例で、藤岡氏と親しい石井竜生氏の公開質問状です。
「藤岡副会長を謂われなく侮辱している施設見学を旅程に組んでいる八木氏らが、もし抗議書を手渡さなければ、中国側の『反日』の歴史認識を、会長と事務局長以下が、公の場で黙認したことにもなる」というくだりには、石井氏の藤岡氏に対する並々ならぬ愛情が感じられますが、少し思い入れが強すぎて、「やらせ」と受け取られかねない懸念があります。
 ところで、八木氏が見学した施設には、そのような「拡大写真」はなかったそうです。


●(資料4)つくる会・評議員 石井竜生の「八木会長・宮崎事務局長の『中国観光視察旅行』に関する公開質問状


 月刊誌『正論』三月号にのった八木会長の「つくる会会長、中国『反日の本丸』に乗り込む」という記事を読んだ。八木会長・宮崎事務局長らの訪中は、信じられないほど軽率な行動だったと考える。

 平成十四年、船橋市の「図書廃棄事件」が発覚した折り、公立図書館に務めていた私は、当時の田中英道会長から、つくる会側の窓口となるよう依頼され、下準備を手伝った。無給のボランティアで参加した十人近い弁護士たちは、何度も検討会をひらき、入念に準備して裁判に臨んだ。それでも一審、二審は敗訴、最高裁でやっと逆転勝訴できたことは、記憶に新しい。

 「反日」を生き残りのカードにしている共産党独裁の中国に乗り込むにあたって、八木会長はいったいどれほどの準備をしたのか。つくる会の事務局には、旅行時に九人の常勤職員がいたが、事務局長以下五人をひきつれ中国に乗り込むほどの喫緊の価値とは、いったい何だったのか。言論の自由を奪われている中国の公務員学者と話して、どんな本音をひきだせると思ったのか。

 八木氏は、一連の「反日施設」の見学を目的としたプライベートな旅だったと強調している。だが、その初日に「中国社会科学院日本研究所」を訪ねたうえ、「意見交換の場を設けて頂いたばかりか、記録の掲載をお許し頂いた」ことに「厚くお礼を申し上げる」とも言う。政府機関の学者が、アポなしに会ってくれるはずもなく、プライベートな旅などであり得ないことは明らかだ。現に八木氏自身、「本日は中国社会科学院にお招きいただき」「深く感謝する」と続けている。事前の折衝があったと解釈するしかない。

 八木氏らはその後、南京や北京の反日施設を見学したはずだが、とうぜん館内の掲示物に対し、あらかじめ用意した抗議文を手渡したと思うが、どうなのか。反日施設に、藤岡副会長と石原都知事の拡大写真が、わざと歪められて掲示されていることは、この問題に関心のあるひとなら誰でも知っている話だ。つくる会を軍国主義ときめつけ、藤岡副会長を謂われなく侮辱している施設見学を旅程に組んでいる八木氏らが、もし抗議書を手渡さなければ、中国側の「反日」の歴史認識を、会長と事務局長以下が、公の場で黙認したことにもなるが、いったい八木氏と事務局長はどう対応したのか。

 他にも、いくつも疑問がある。こうした重大な「外交案件」を、なぜ理事会に全く諮らなかったのか。また、いかに八木氏が博識多弁であるにせよ、たった一人で、中国政府機関の英才らを相手に、どんな議論が可能だと予測していたのか。議論の優劣にかかわらず、つくる会の運動にマイナスになるかもしれないという危機感を、なぜ抱かなかったのか。公平な通訳は同席したのか。中国側が、会長が膝を屈して「反省した」というニュースを、国内外に流した場合はどう対処する気だったのか。

 「お手柔らかに」という、事前の打ち合わせがなされていたというなら、本会理事の中西輝政教授が警告されている「ハニー・トラップ」の疑いすら浮上する。「観光視察旅行」なる珍奇な下準備をしたのは誰か。もし事務局以外からの働きかれなら、橋本龍太郎総理のケースと同じ“罠”かもしれない。職員に誘われたとしたら、その人物が中国側に“汚染”されていないという証を、どうやって見極めたのか。これらの事情を、全会員に直ちに披瀝する義務がある。

 八木会長の軽挙を諌めるどころか、物見遊山感覚でのこのこと同行した宮崎氏は、補佐役としての資格を全く欠くと思うが、どうか。

 右の疑問文で述べた全ての事項について、八木会長・宮崎事務局長に、速やかな公開の回答を求めるものである。

平成十八年二月二十三日 
藤岡先生のブログに対するコメント
 藤岡先生が私の書いた「『つくる会』騒動のあらすじ」について、御自身のブログで「反論」を書きはじめられました。様々な観点からの論が出ることは、全体像を読者が判断するための材料が増えるという意味で大変よいことだと思います。


 ただ、一読したところ、大量の文字を連ねておられるにもかかわらず、実際には、あまり「反論」になっていないのではないかと感じました。

1.前史としての「教科書改訂問題」について

 これについて、私は次のように書きました。
《藤岡氏が「私が責任をもって西尾さんから了解を取る」と言うので、任せておいたところ、藤岡氏がそれを怠ってしまい、それで西尾氏が「無断で改訂された」と怒り出した、というのが真相のようです。》

これに対する藤岡先生のお答えは次のようなものでした。
【西尾氏の執筆箇所の修正に関しては、その一部について、もめごとになるかもしれないという懸念はあった。そこで、「西尾氏の了解を取る」という話になっていたかもしれない。結果として私はそれをしなかったので、西尾氏には申し訳ないという気持ちはある。】

この記述は、反論どころか、これまでは誰も言及しなかった教科書改訂問題での西尾氏の大騒ぎの理由について、私の説明が正しいことを基本的に認められたものでしょう。

上記の文に続けて、藤岡先生は次のようにも書かれています。
【しかし、一方で、原文の修正は代表執筆者の権限であるという意識が私にあったことも確かである。結果として言えば、私は西尾氏に事前の了解を求めないでよかったかも知れないと思っている。もし、そうしていれば、その時点で私たちの教科書は完成する前にもっと紛糾し、空中分解していた可能性もあるからである。】

 ここで藤岡先生は「西尾氏に事前の了解を求めないでよかったかも知れない」と言っておらりますが、これは私が昨年の12月13日に藤岡先生から電話で聞いた話と明らかに矛盾しています。その時の会話を次に再現しましょう。あの頃の西尾氏に対する藤岡先生の素直なお考えが表れていて興味深いやり取りです。

藤岡氏「執行部じゃないけれど、西尾さんを完全に放り出して決めるとこれまた大変なあれになるんですよ。」
新田「実はそれもちょっと、問題じゃないですか?」
藤岡氏「問題ですよ。原則から言えば。」
新田「だってそれじゃ、西尾さんの“院政”じゃないですか。はっきり言って。」
藤岡氏「ですね、悪く言えば。西尾さんを外してやると、教科書の[改訂]申請のときも、ご存知かもしれないけど、要するに西尾さんが外れて、田中会長と私、執行部のメンバーでやり始めたら、西尾さんは「分量が減るとか、教科書が東京書籍と同じなる」とか大騒ぎした。それで「自分は外された」と。外されたんじゃなく、ご自分で「俺はこんな教科書なんてくだらない仕事をいつまでもやってられるか」と、慰留したのに辞めた。本人がそれなのに、それでまた、広島の何とかさんを、インターネットで使って大騒ぎした。」
新田「ああそうなんですか。そこまで含めて本当は総括なんじゃないですか。そんなこと続けられたら困りますよね。」
藤岡氏「困ります。そりゃそうだ。」

 このように、この時点では、「教科書改訂問題」の経験は、何事も西尾氏のご意向を伺わなければならない理由にとして私に説明していたのに、今回のブログでは、「西尾氏の御意向を伺わなくてよった」ことになっています。状況によって議論をクルクルと変え、しかも、「あの時は藤岡さんはそうはおっしゃていませんでしたよね」という人に対して、「それは謂れのない誹謗中傷だ」と逆に攻撃を加える。このような藤岡先生の行動パターンが、ここによく現れていると思います。

 もう一つ、興味深いのは、自分から辞めたのに、「辞めさせられた、辞めざるを得なくなった」と言い出して、被害者の立場を演出し、ブログで大騒ぎするという西尾氏の行動パターンについて、この時点で、すでに私が「何とかしなければいけない」と藤岡先生に提言していたということです。しかし、この時は、まさか、名誉会長辞任の演出によって私がその被害者になろとうは全く予想していませんでした。

 藤岡先生は、私が前史としての「教科書改訂問題」を書いたことについて【そうした苦労を何も知らない新田氏が、党派的目的のために、いけしゃあしゃあと私や西尾氏をあらん限りの言葉を連ねて批判するのは許し難い傲慢である。】と書いておられます。けれども、私は何も知らなかったわけではなく、藤岡先生ご自身からその一部をうかがっており、だから、二度と同じ様なことが起きないように、そのための解決策も提案していたのです。
 藤岡先生は「あらん限りの言葉をつらねて」とおっしゃっいますが、私が書いたのは、ほんの数行、ただ因果関係を説明しただけで、藤岡先生に対する非難めいた形容詞は使っておりません。

 それから、藤岡先生は【新田氏は、1月16日の理事会の後で、「宮崎氏は事務局長の器ではないな」と八木氏に漏らしていた】と書かれていますが、この会話を何時、誰から藤岡先生は聞かれたのでしょうか。その前後の文脈はどうなっていたのでしょう。八木氏への確認は取られたのでしょうか。
 それにしても、もしも、この会話が事実なら、「新田たちは学生運動以来の絶対的な上下関係の中で、先輩を守るために徒党を組んだ」という西尾氏の物語はどうなってしまうのでしょうか。
 藤岡先生も「人事よりも総括を優先すべきだとの内田や新田の主張は、宮崎を守るための策略に過ぎない」旨を、後から言い出されましたが、先の私の発言が事実だとすれば、まさに、総括の結果として宮崎氏が事務局長として残れなくなるという可能性を受け入れる用意が私の方にはあったことになります。となると、「総括優先」の主張は策略どころか、私のまぎれもない真情の吐露だったということなるのではないでしょうか。


2.鈴木氏による反論について

 鈴木さんは【宮崎氏から「若い人を誘って飲みに行くことはやめてくれ。若い人の気持ちが鈴木さんの方にみんな傾いてしまう。それでは事務局長としての権威がなくなってしまう」と言われたことがあった。】と書かれています。
 しかし、宮崎氏は、会の仕事でもないのに、鈴木さんが、勤務時間を問わず勝手に若手事務局員を連れ回すことがあったので、「事務局の秩序を乱さないでほしい」と注意しただけだと言います。
 この「事務局の秩序を乱さないでほしい」という宮崎氏の言葉を言い換えて、鈴木さんは、若手事務局員たちに「宮崎は俺に嫉妬している。若い人の気持ちが俺に傾いて、事務局長としての権威がなくなるのを恐れているのだ」と語っていたと言います。つまり、自分の意図を宮崎氏の嫉妬のせいにして、宮崎氏が、こう言った、ああ言ったと吹聴したわけです。このあたり、鈴木さんの思考は藤岡先生と似かよっており、だから、お二人は気が合うのかもしれません。
 結果的に見ると、鈴木氏の行為は事務局の秩序を乱すのではないかという宮崎氏の心配は当たっていました。けれども、若手事務局員は、鈴木さんの八木氏や宮崎氏に対する背信行為にあいそをつかし、鈴木さんから離れて行ってしまいましたので、「若い人の気持ちを自分に傾けよう」という計画は失敗したということになります。

【「事務局長の職を狙っていた」と言うに及んでは、全く話が逆だ。去年の秋から、八木氏は宮崎氏についての不足をあれこれ言い、私(鈴木)に事務局長として事務局に入って欲しいと言っていたが、私は事情が許さないので断り続けていたということが事実である。だから、八木氏がこんなことを言うはずがない。】
と鈴木さんは言われています。
 しかし、もはや、以前と違い、私は鈴木さんの発する表面上の言葉と彼の内心とが一致していたとは思えなくなっています。私が「誰々が言っていた」と書く際には、かならず本人に確認するか、物証があるか、いずれにしても、裏はちゃんと取っています。このケースでは、八木氏本人に確認しています。
 “鈴木さんは、かなり早い段階から裏で色々な人に「宮崎ではダメだ」と吹き込んで、鈴木待望論に誘導しながら、表面では「事情が許さない」と言って自分の価値を高めていく、そういう誠に巧みな行動をとっていた”というのが、あのころの鈴木さんの言動に接していた人々の一般的な見方です。

『論座』、八木氏批判を訂正。 それから、西尾先生に重ねて訂正と謝罪を要求
末尾に、西尾先生への訂正・謝罪要求の根拠を追加しました。


急告 朝日新聞社刊『論座』7月号の「編集手帳」(344頁)に次のような訂正記事が載りました。


 6月号「『新しい歴史教科書をつくる会』内部抗争の深層」(俵義文氏)で、八木秀次会長(当時)らが「『つくる会』の財政を使って中国に行き」とありますが、八木氏および「つくる会」によると、「会の財政は使っていない」とのことでした。訂正します。

 また、八木氏が「産経新聞社は私を支持している、藤岡主導の『つくる会』にはお金を出さないといっている」と語ったというくだり(233ページ)について、八木氏から「産経新聞社から、会にお金が出ていたように読める」との指摘がありました。産経新聞社および「つくる会」によると、産経新聞社から会にお金が払われたことはないとのことですので補足致します。



 なお、八木氏の抗議に対して、『論座』編集部は「確認が取れれば、訂正記事を出します」と答えたそうです。ところが、『論座』編集部が、八木訪中の資金について「つくる会」に問い合わせたところ、鈴木尚之氏が「この論文については訴訟も含めて対応を検討しているので、事実関係を含めてすべて回答しない」「会計担当者でないと分からない」と言ったきり回答してこなかったので、「事実関係が確認できないため、誌面での対応等を検討することができない状況です」(5月18日付『論座』編集部からの中間報告)ということで、訂正記事を出すべきかどうかがなかなか決めらなかったと言います。仕方がないので八木氏が、会計担当が田村氏であることを伝え、『論座』編集部が田村氏に電話してようやく確認が取れ、訂正記事の掲載にいたったのだそうです。

 こんなところにも、姑息な手段で人を貶めようとする体質が垣間見えるのではないでしょうか。



なお、「つくる会」の『史』5月号で、高池勝彦会長代行が「種子島会長・八木副会長辞任に至る議論の経過」を書いておられますが、5月2日の「つくる会FAX通信」173号での虚偽を訂正することなく、八木氏が「私としては弁明もし」と述べたところを、「私としては弁明もせず」と改竄したままであることなど、もはや、意図的だとしか考えられない情報操作を繰り返しておられます。それは、「つくる会」の体質を世間に暴露してしまっているばかりでなく、弁護士としての自らの立場をも汚す行為だといわなければなりません。誠に残念です。


【追加】
 私の訂正・謝罪要求について、西尾先生のブログで議論になっているようですが、どうも事実関係を正確に理解しないままに議論が進んでいるように思います。そこで、すこし詳しく説明をしておきたいと思います。


 今年1月16日の理事会では、執行部会(八木、藤岡、工藤、福田、遠藤)の5人の連名で、宮崎氏の弁明書に対する「反論」が提出されました。ところが、この文書は実際には藤岡氏が起草し、八木氏の反対を強引に押さえ込んで出させたものだったため、当日の八木会長の説明は「しどろもどろ」でした。

 そこで、私が八木氏に質そうとして、「あの、本当にこれ、会長とその他の方が合意して作ったのか、疑問があります。いくつか聞きたいのですが、あの・・・」と言いかけたところ、西尾先生が「失礼じゃないか、署名しているものに対して」と言って、八木氏に対する私の質問を遮ろうとされたのです。

 しかし、私は西尾先生の横槍を無視して、質問を続け、最後にこう付け加えたのです。「なんで名誉会長に失礼だと私がいわれなきゃいけないのかわかりませんよ。だって、ここに名誉会長はいないでしょ。名前が書かれていないのに、何で私が名誉会長に失礼だといわれまければいけないのですか?」
すると、西尾先生は「一般論として失礼ですよ」と言われたのでした。

 要するに、話はこういうことです。私が「本当にこの文書に同意しているのか」と八木さんに質そうとしたら、西尾先生が「そういう言い方は、署名している八木さんに対して失礼だ」と言って私の発言を遮ろうとされたので、「文書に名前を連ねている副会長さんたちに言われるのなら、まだ話はら分かりますが、文書に名前を連ねていない西尾先生に何故失礼だと言われなければならないのか理由が分からない」と言っただけのことなのです。つまり、もし、この議論において、私の発言が失礼であったかどうかが問題となるにしても、その対象は西尾先生ではなくて、八木氏なのです。


 ちなみに、執行部会や理事会への名誉会長の出席云々という議論は、他の人々の間でありました。その部分はこうです。

福地惇氏「執行部会というのはあくまでも会長と副会長なんです。執行部会議ですよ、それが執行部会議ですよ、そこに事務局長は陪席するんですよ。」
伊藤哲夫氏「名誉会長はどうなりますか?」
藤岡信勝氏「必要に応じて執行部会はいろんな人を入れるんですよ。」
八木秀次氏「いや、必要に応じて理事を入れるんですよ。」

伊藤哲夫氏「執行部会には名誉会長は入るんですか?」
八木秀次氏「入りません。」
西尾幹二氏「入りますよ。」
八木秀次氏「規定上は入りません。」
西尾幹二氏「私は入りたくないけど入れって怒られた。」
宮崎正治氏「先生、名誉会長就任の時の話ですけど、先生は責任ある立場に立ちたくないということで理事ははっきりとお断りになられました。理事の一員ではない。ただ執行部会、理事会の要請とか、当時は先生の出たい時に出てよいという非常に特別扱い的な形になっています。執行部会についても先生については出たい時に出てもらう、あるいは執行部が要請して是非出てくださいという時には特別に要請すると。」
西尾幹二氏「だんだんと出てもらいたくなくなってきてるわけだ。」
(爆笑)

 これが全てです。つまり、西尾氏は、他の複数の人々が論じたこと(しかも「和やかに」)をすべて、私の議論(しかも「紋切り型だった」と)にすり替えて、私を「全共闘的だ」と誹謗したわけです。
 もちろん、人間には記憶違いということはあるものです。しかし、他人の人格に関わるような非難の根拠にするのであれば、事前確認は不可欠です。まして、「そんなことは言っていない」と言われたら、「つくる会」に問い合わせて確認するのが当たり前でしょう。

 ところが、西尾先生は、そのいずれでもなく、相変わらず根拠のない誹謗中傷を続けておられます。これはもはや、単なる勘違いなどという問題ではなく、「全共闘的な神社右翼・宗教右翼」という自らが描いた虚構を守るための確信犯的な言動だと断定せざるを得ません。

 重ねて、訂正と謝罪を要求します。
 



もう一つの「つくる会」顛末記(6)ー騒動のあらすじー
西尾先生が「続・つくる会顛末記(五)の3」で、また私についての虚偽を繰り返しておられましたので、改めて訂正と謝罪を求める一文を西尾先生のブログに書き込みました。それを(補足1)として末尾に追加します。

1の「教科書改訂問題」についても、赤字の部分を追加しました。

 ここまで書いてきて大分話が細かくなってきていますし、途中からこのブログを見るようになった方もおられるでしょうから、一度、ここで「つくる会」騒動のあらすじを整理しておこうと思います。

1.前史としての「教科書改訂問題」

 西尾幹二氏は、「つくる会」名誉会長を辞めた第一の理由として、「旧版『新しい歴史教科書』の重要部分が、改訂版では私に何の断わりもなく岡崎久彦氏(改訂版・監修者)の手で大幅に改筆され、親米的な内容にされたこと」(『サピオ』6月14日号)を上げていますが、その経緯は次のようなものでした。
 改訂作業に岡崎氏に加わってもらうことを主導したのは藤岡信勝氏でした(西岡治秀氏によれば「西尾氏は、今回の歴史教科書の改訂にあたり、そのリライトに加わっていなかった。それは、自らがリライトする気がないと申し出たからという」『諸君!』本年五月号)。
 岡崎氏の改定案の大部分が西尾氏の執筆箇所だったため、扶桑社の編集者は後から問題になることを大変心配し、その旨を藤岡氏に伝えました。すると、藤岡氏が「私が責任をもって西尾さんから了解を取る」と言うので、任せておいたところ、藤岡氏がそれを怠ってしまい、それで西尾氏が「無断で改訂された」と怒り出した、というのが真相のようです。

 その西尾氏の怒りは、岡崎氏が『中央公論』などで「今度の教科書は反米的な面が消えて大変よくなった」旨を書かれたことによって増幅され、理不尽なことに、長年教科書を担当してきた扶桑社の編集者である真部栄一氏へと向かい、次に、採択への影響を考えて、間に入って西尾氏を押さえた宮崎正治事務局長へと振り向けられることになって行きました。

2.宮崎事務局長更迭問題

 昨年9月17日、西尾・藤岡・八木の三氏が、突然、宮崎氏に事務局長辞任をせまるという事態が起きました。その時の、それぞれの人々の考えは以下のようなものだったと考えられます。
 西尾氏「神社・幕屋の関係者では次の採択戦は勝てない。全国の支部幹部の半分は入れ替える必要がある。宮崎は神社・幕屋人脈を代表しているから変える必要がある。」(こう考えて、西尾氏は、八木会長に無断で、勝手に人選を行い、濱田実氏に委嘱してしまいました)。
 藤岡氏「宮崎氏は戦う姿勢に欠ける。静謐な環境で採択を取ろうした扶桑社側の言うことを聞きすぎた(この考えは西尾氏も同じ)。共産党のような戦える組織に改めたい」。
 八木氏「自分には特に不満はないが、創業者二人が強く主張するのだから、宮崎氏には何か問題があるのだろう。それに鈴木尚之氏も『宮崎は事務局員から嫌われている』『若手を育てない』『第一線から引くべきだ』と言っていた」(鈴木氏は、このころ、事務局の若手を飲みに連れ出しては、「宮崎はダメだ」と吹き込んでいました。「今から考えてみると、あの頃からすでに事務局長職を狙っていたんでしょうね」とは八木氏の言葉です。)

 しかし、宮崎氏が「西尾氏の言うような無茶な支部改革は会のためにならない。敗戦の総括を行うまでは事務局長の職に留まるのが、むしろ責任を果たす所以だろう」と考えて即座の辞任を拒否しました。それで、八木氏が、運動強化のために濱田氏を事務局次長に迎え、事務局長人事は今年3月にはっきりさせるという妥協案を出し、一旦この問題は収まりました(ただし、間もなく、濱田氏の力量が露呈し、西尾氏は後悔し、八木氏は彼の事務局長就任に断固反対するという事態になりました)。

3.「コンピューター問題」の捏造

 昨年10月21日、宮崎氏が藤岡副会長との打ち合わせの席で、事務局の丸山女史がコンピューターの不具合を気にしており、それが決着しないと11月に辞めると言っていることを伝えました。
 他方、丸山女史はこれより先、八木会長にコンピューターの不具合について直訴していました。しかし、八木氏が宮崎氏に様子を聞いたところ、「丸山さんが過敏になっているだけで問題はない」とのことだったので、八木氏はそれ以上問題にしませんでした。
 それに不満だった丸山女史は、鈴木氏に相談し、鈴木氏から「藤岡さんに話しなさい」と指示されて、自分の不安を藤岡氏にぶつけたのです。

 話を聞いた藤岡氏は、これを重大視して西尾氏に伝え、それがまた富樫監事に伝えられ、10月28日の執行部会での「事務局再建委員会」「コンピューター問題調査委員会」の設置決定、宮崎氏の出勤停止の決定、11月12日の「調査報告書」「執行部告知」へと展開していきました。この流れに遠藤副会長や高池理事が同調してしまったことによって、“宮崎氏のせいで欠陥ソフトをつかまされ、会は1000万円の損害を被った”という「コンピューター問題」が捏造されてしまいました。
 西尾・藤岡両氏は、これを理由にしての「宮崎処罰、宮崎辞任」というシナリオを描いていたようです。しかし、まず内田理事がその陰謀に気付き、次いで松浦・勝岡氏が気づき、最後に私や高森氏が疑問を呈したことによって、すんなり行くはずだった11月18日の緊急臨時理事会では結論が出す、「コンピューター問題」「宮崎事務局長処分問題」は継続審議となりました。

 すると、西尾氏や藤岡氏らは、自分たちの汚いやり方が逆に問題視されることを恐れたためでしょうか、裏で宮崎氏に辞任を勧告し、藤岡氏を事務局長代行に据えるという挙に出ました。ところが、この処置にまず事務局員たちが猛反発し、ついで宮崎氏が辞任を拒否して事務所に乗り込み、さらに、私たちが会長宛に抗議声明を送るという事態になりました。すると急に、藤岡氏は「会長補佐」というポストを用意して宮崎氏を事務局に戻すことを提案したのでした。

 このような過程の中で創業者の横暴、「コンピューター問題」の捏造に気付いた八木氏は、藤岡提案を受けて、宮崎氏を事務局長に戻し、今年の3月を目途にしっかりと運動の総括を行った上で新体制の人事を行うという案を副会長達に示しました。これを副会長達が了承したことによって、12月15日の「会長声明」が出され、この会長のリーダーシップによって、一連の問題は、理事会内では一旦完全に決着が付いたのでした。

4.「会長声明」無化工作と1月16日理事会での決着

 「会長声明」を出し終えて八木氏が中国へ出かけました。それと入れ違いに海外旅行から帰国した西尾氏は、「これは会長によるクーデターだ! 八木を潰してやる!」と大騒ぎをはじめました(そこには、工藤美代子理事のご主人である加藤康男氏が関与していたことは改めて記します)。すると、西尾氏のなだめ役を買って出ていた藤岡氏は、教科書改訂問題の時と同じようにその任務を果たさず、それどころか、八木追及・宮崎追放の急先鋒へと再び態度を変えてしまいました。この西尾・藤岡両氏に、遠藤・福田・工藤の三副会長が同調したことによって、八木氏は執行部の中で完全に孤立してしまいました。

 この後、執行部内では、12月15日の「会長声明」を修正させ、八木氏を先頭に立てて再び宮崎氏を追及しようとする藤岡・西尾両氏と、それに抵抗して「会長声明」を守ろうとする八木氏の対立が続きました。しかし、最終的には、藤岡・西尾両氏とそれに同調する副会長達に羽交い締めにされて、八木氏は「会長声明」の修正に応じざるをえなくなり、再び事務局長問題を論じることになった本年1月16日の理事会では、藤岡氏作成の「宮崎弁明書への反論」に署名させられた上に、会長としてそれを理事会で読み上げることまで強要されたのでした。

 しかし、八木氏は自分が同意していない文書を読み上げさせられたわけですから、それについての質問を受けると、受け答えがちぐはぐとなり、そこを私たちが追及した結果、この日の理事会では、「コンピューター問題は、せいぜい口頭による注意処分が相当だが、その対象は宮崎氏だけとはかぎらないので、改めて執行部で処分案を考える」「採択戦を振り返って総括を行うための総括委員会を発足させるが、その委員は会長が近日中に指名する」ということで決着しました。つまり、ここでもまた、理事会内の議論によって、「コンピューター問題」「事務局長人事問題」には決着が付けられていたのです。

 したがって、福地惇氏が西尾氏のブログに書いた「1月16日の理事会でも宮崎事務局長問題はまたもや決着の目途すらつかず、激論の末に閉会となった」(「平成18年5月5日付「種子島・八木両氏の『捨て台詞』を追撃する」)という話は全くの虚偽です。この点について、福地氏が事実関係を争うというのであれば、私の手許にある理事会の音声資料を公開しても構いません。

 なお、この理事会の最後では、伊藤哲夫氏から、西尾氏が外部の有力者に「八木は政界進出の野心のために『つくる会』を利用している」と言ったという事実が指摘され、さらに、理事会内部の議論が歪曲されて一部会員に伝えられたりしている事実もあり、「今日のやり取りを持ち出して余計な対立関係を創らないように、切にお願いします」との言葉が八木会長からありました。

5.「宮崎解任・八木おろし」工作

 しかし、この八木氏の「切なるお願い」は、西尾氏によってあっという間に踏みにじられることになりました。理事会決定に不満だった西尾氏は、即座に、名誉会長の辞任を声明し、表では完全に「つくる会」から手を引くと言いながら、裏では、全国の支部長達に電話で八木氏や私たちの悪口を言い触らし、富樫氏と組んで理事会の資料を理事会外に持ち出して一部の会員に一方的な情報を流し、さらに、藤岡氏には会長になれとけしかけ、三副会長や福地氏にその応援を依頼する、という行為に出ました。
 今考えてみると、名誉会長の辞任は、理事会の外に出て自由にものが言えるようにし、会員の同情を引いて自分の意見が通りやすくするための高等戦術だったのだと思います。

 さて、この西尾氏の煽動に同調するかのように三副会長が辞任を表明し、さらに、1月16日の理事会決定を実行しようとする八木氏の足を藤岡氏が「宮崎辞任」を求めて引っ張り続け、その上、八木氏が当てにしていた鈴木尚之氏が藤岡氏に同調し、外では八木訪中を持ち出して騒ぎ始める会員が現れ、理事会内では田久保忠衛氏までが八木氏の指導力や訪中を追及するという状況になり、ついに2月27日の理事会で、宮崎氏も八木氏も解任されてしまったのでした。

 この時、西尾氏が採った「理事会で正式決定した結論を、被害者を演じて外に持ち出したり、拡大したりして、ひっくり返すという戦術」は、この前にも後にも、彼らが使い続けた常套手段でした。

6.西尾・藤岡両氏の誤算=種子島氏

 私たちが、「もう西尾・藤岡両氏と一緒に運動はできない」と考えて、本当に団結したのは、この八木・宮崎解任劇の後からでした。ただ、「つくる会」は日本にとって大切な組織だという思いは強くありましたし、会員に対する責任も感じていましたので、「会に残って改革の努力をする方がいいのか、それとも、出ていく方がいいのか。軽々しく動かずに、それをしばらく見極めてみよう」と考えていました。

 そんな時、新しく会長になった種子島氏から八木氏に「会長復帰の打診」が来たのです。種子島氏は、(おそらく西尾氏の意向を受けた)田久保氏の推薦によって会長になられたわけですが、本当に私心なく会の行く末を考えた末、八木氏でなければ会の未来はなく、「コンピューター問題」は冤罪であり、内紛の原因は八木氏のリーダーシップの欠如ではなく、西尾・藤岡両氏の行為にあった、という結論に達したというのです。

 そこで、八木氏は、たとえ自分が復帰しても、西尾・藤岡氏の影響下では会に未来はなく、そのためにも宮崎氏の協力が必要だと、種子島氏に説きました。その基本認識を種子島氏と共有できたので、八木氏は会長復帰に同意し、後は、スムーズに八木新体制に移行できる方法を一緒に考え行こうということになったのです。そのソフトランディングの観点から、田久保氏や遠藤氏の顔を立てて、八木氏は先ずは(7月理事会での会長復帰を前提として)副会長に就任し、宮崎氏については様子を見て復帰の方法を考えるということになりました。こうして、3月28日理事会での八木氏の副会長就任が実現したのです。

7.種子島会長・八木副会長の辞任

 ところが、この八木氏の7月会長就任という結論を快く思わず、これまでの自分の所業を考えれば、やがて敬遠されることになるだろうと予想した藤岡氏は、まず3月29日の産経新聞の記事を利用して、再び「八木降ろし」をはじめました。
 それに追い打ちをかけたのが、西尾氏によるブログを利用した「出所不明情報」の事件化工作でした。藤岡氏の共産党離党が実は平成13年だったとする情報に最初に飛びついて大騒ぎし、問題を拡大したのは西尾氏だったのですが、途中からそれを打ち消して、「出所は八木氏だった」と言い出して、「八木降ろし」に利用しはじめたのです。

 5月2日に西尾氏から電話をいただいた時に、私は「平成13年離党問題について、藤岡氏の弁明で、本当に先生は納得されたんですか」と聞いたところ、西尾氏は「納得しているわけないじゃないか」と言われたので、「それでは、どうして、『明確な自己説明と状況説明をいただき、曖昧な霧が晴れる思いがした』なんて書かれたんですか」と重ねて問うと、「返す刀で、次に八木を切る必要があったからね」と平然と言われたので、私は二の句が付けませんでした。

 この西尾氏の戦略に藤岡氏が同調して騒ぎはじめました。どこまでの範囲で出回ったのかも分からない、藤岡夫人の父親が熱心な共産党員だっとする文書を「家族への侮辱は許せない」(4月21日)と題してブログに掲示し、全世界の人々の目にさらして、同情を引くとともに、八木氏への不信を掻き立てる、という捨て身の戦法に出たのです。この戦法に、まんまと引っかかったのが、最初は八木追及、次に藤岡追及、そしてまた八木追及と、コロコロと立場を変えた挙げ句、最後に藤岡氏の同志となった福地惇氏でした。

 4月30日の理事会では、八木氏追及側に、最終的に八木氏を見限って藤岡氏についた鈴木氏が加わり、さらに、内々に会った時には「君、そんなひどい目にあってたの、そりゃたまらんな」と八木氏に同情を示し、「西尾は愉快犯だよ」「ありゃ、狂ってる、もうお手上げだ」「藤岡は人間の顔をしてなかった」「世間から見れば、あの二人が問題なのははっきりしている」などと言っておられながら、理事会の席になると、何故か彼らの肩を持つ田久保氏が加わりました。

 種子島会長は理事をマネージメントできないことを理由に辞意を表明し、「藤岡氏が辞任するなら会長に留まってもいい」と述べましたが、藤岡氏はそれを拒否し、他の理事からも種子島氏に対する慰留や藤岡氏への辞任勧告はなく、この状況では、もはや、この会に再生の望みはないと考えて、私たちも、種子島・八木両氏とともに辞意を表明して、理事会を退席したのでした。

(補足1)
新田均です。
【1月16日、私に対し「あなたはなぜここにいる」の新田発言の出る理事会】
この記述の証拠をお示し下さい。「つくる会」には録音があるはずですから、簡単なことでしょう。
もしも、証拠が提示できないのならば、訂正と謝罪を要求します。




もう一つの「つくる会」顛末記(5)ー目的の再確認ー
藤岡先生のお答えに対応して、最後に【補足2】を加えました。

 このブログでの平成17年12月15日付「会長声明」関係資料の公表によって、「つくる会」騒動前半の資料紹介がすみました。そこで、中締めの意味で、あらためて、このブログの目的を確認してみたいと思います。

 私がこのブログを主宰している意図は次の三つです。

①.西尾幹二氏から四理事(内田、勝岡、新田、松浦)に浴びせられた「突然の挑戦状」「異質の集団の介入」「問答無用のなじめない組織的思考」「討論を許さない一方的な断定」「対話の不可能という現象」「全共闘的な圧力」といった非難が、事実無根の誹謗中傷にすぎないことを明にして、汚名をそそぐこと。あわせて、日本会議や日本青年協議会や日本政策センターなどの関係団体に浴びせられた汚名をも晴らすこと。

 この①については、ほぼこれまでの連載で目的を達成することができたのではないかと思っていますが、それでもまだこのブログは書き続けようと考えています。その理由は次の二点にあります。

 ②.昨年12月の時点で創業者の横暴に気付いてしまった八木氏が、その後、執行部の中で孤立しつつも、会の分裂を避けるために、如何に「誠実にもがいたか」、他方、創業者の圧力と、それに同調した副会長たちの非協力が、如何に酷いものだったか、それを読者にお示しし、八木氏に対する「指導力不足」という非難が、事実を全く転倒させた言いがかり、と言うよりも、意図的に演出された陰謀に近いものであったことを明らかにすること。
 さらに、この騒動の過程で、もっとも弱い立場にあった事務局員たちが、如何に苦しめられたかを明らかにすること。

 ③.多大の期待を担って出発し、はなばなしいとはまでは言えないかもしれませんが、かなりの実績をあげてきた「つくる会」の運動が、今日のような混乱と分裂に陥り、深い失望と傷を多くの人々に与える結果になってしまったことにかんがみて、二度とこのようなことが繰り返されないために、その原因について関係各位がよく考え、自分なりの教訓や反省や展望が得られるように、出来るだけ正確に事実を記録として残し、情報公開すること。それこそが運動に深く関わってきた者としての社会的責任を全うする所以だろうと考えていること。

 ③について言えば、今回の騒動の大きな原因が西尾・藤岡両氏の行為にあることは間違いないのですが、しかし、二人を悪者にすればそれで済むのかといえば、そんな単純なものではないと思います。
 例えば、その他の理事の会に対する態度・考え方・行動などの問題、支部や事務局に対する無知・無理解の問題、「一プロジェクト・一組織」という会のあり方そのものの問題、創業者の自覚・進退・処遇の問題、後継者の育成や有為な若者の育て方の問題、関係団体についての知識や配慮などの問題等々、あげていけば切りがないほどです。

 今回の紛争で、私たちは会員や他団体の方々に多大のご心配とご迷惑をかけてしまいました。それについてはお詫びのしようもありません。
 しかし、私たちが会を去ったことによって紛争の根が断たれたのかと言えば、決してそうではありません。「つくる会」現執行部は、八木グループが去ったことによって禍根は断たれたと言うのでしょうが、私たちの目から見れば、内紛を連続させてきた本当の病根には未だに何らメスが入れられていません。ですから、このままの在り方で「つくる会」が続くならば、必ずやまた内紛を起こし、会員や関係団体に迷惑をかけることになると思います。
 しかし、それが分かっていても、もう私たちにはどうすることもできません。ですから、せめて、「つくる会」のこれまでの在り方についての情報をできるだけ開示することによって、会員や関係団体の人々が「つくる会」との関係を考え直す際の根拠を提供したいと思っているわけです。

 そうやって「つくる会」の等身大の姿を明らかにすることは、幻滅を伴うものであることは間違いありませんが、だからと言って、「つくる会」10年の歩みの意義が失われてしまうわけでも、この運動にはせ参じた人々の努力が無駄になってしまうわけでもないと私は思います。むしろ、その問題点を直視して、素直に反省すれば、もっと明るい、もっと大きな未来が見えてくるのだろうと思います。
 ですから、私の時間の都合もありますが、このブログをいつまでも続けるつもりはありません。むしろ、出来るだけ早く、役割を終えて、次の段階に進みたいと思っています。

 なお、私たちが「つくる会」を去ったことについて、「怪メール問題」についての弁明ができなかったからだと、現「つくる会」幹部は主張しているようですが、それは偽りです。
 私たちが去ったのは、種子島前会長の言葉に端的に表れているように、内紛の根本原因の一つである藤岡氏が全くそれを自覚も反省もせず、したがって、改めるつもりも退くつもりも無いことを明言され、しかも、他の理事達も彼に反省を促さず、去ろうとしている種子島氏や八木氏を弁護することも引き留めることもしない様子を見て、もはや、この会を立て直すことは不可能であり、この会に固執しても時間を無駄にするだけだと考えたからでした。

《補足》
 西尾先生が「顛末記」を再開され、「つくる会」の過去の思い出を書いておれらます。これは私の問いや要求に対する西尾先生なりの答えだと思うのですが、どうも私が求めていることとはずれているような気がします。
 西尾先生が書いておられることは、さまざまな問題について「どうして、自分が、そう思ってしまったのか」という理由の説明にはなっているでしょうが、「事実そうだった」という証明にはなっていません。
 私は西尾先生とお話ししていて「この方は、20代の青年ではないか」と思ったことがしばしばあります。しかし、私がいくら西尾先生を20代の青年だと思ってしまった理由を説明しても、西尾先生が70代である事実に変わりはなく、西尾先生が20代の青年であることを証明したことにはなりません。
 ですから、繰り返しますが、西尾先生が、いくら自分の思い込みの理由を説明しても、事実の証明にはならないのです。

《補足2》
 藤岡先生がブログで私の質問の一部に答えて下さいました。そこには、大変意義深い言葉がいくつか含まれていますので、まず、それ指摘したいと思います。次に、また新たな嘘や言い逃れも付け加えられていますので、それを指摘したいと思います。

【意義】
①.藤岡先生の「今でも椛島氏をつくる会にとっての最大の恩人の一人だと思っている」「日本会議がつくる会の人事に介入した事実はない」との証言により、西尾先生ならびにそれに追随した学生諸君の関係他団体に対する非難が事実無根のものであったことが明かとなりました。これでようやく「あわせて、日本会議や日本青年協議会や日本政策センターなどの関係団体に浴びせられた汚名をも晴らすこと」という本ブログの目的の一部が達成でき、とても嬉しく思っています。

②.藤岡先生は、私が公開した資料に対応して、「日本会議以下の具体的な団体名を列挙したことについて、宮崎氏は、そういう具体的な名前は言っていないとして、この私のメモを批判している。しかし、この前後の時期に、いろいろな場面で類似のことを宮崎氏が述べていたことを耳にしていたので、私の記憶の中ではそういう団体名がインプットされていたのは間違いないが、宮崎氏がその場でこれらの団体名を列挙したのかと言われると、確かに私にもそれほどの自信はない。だから、上記のメモのうち、当該箇所を、《(3)宮崎事務局長を辞めさせれば、有力な諸団体が、つくる会の支援から一斉に手を引く。》と訂正したい」と述べられました。
 これはご自分が虚偽を広めてきたことをお認めになったということですから、大変勇気ある行為だと思います(ただ、そこに宮崎氏への謝罪がないのは不可解ですか)。あとは、最後にある「有力な諸団体が、つくる会の支援から一斉に手を引く」と言ったという部分を、宮崎氏の証言通り、「宮崎が事務局を辞めたらこれまでのように協力出来ないと言明し、事務局に留まるよう要請された有力団体もある」と訂正されれば完全に事実と合致することになるでしょう。

③.「5月24日に店頭で発売された雑誌『SAPIO』(6月14日号)に掲載された西尾氏の「私が『新しい歴史教科書をつくる会』を去った理由」という文章の中には、次のような一節がある。/《昨年の秋に八木・藤岡の両氏が椛島氏を訪ね、宮崎更迭を理解してもらえないかとお願いしたところ、「宮崎君を何とか雇っておいてください」の一点張りであった。》/私も八木氏も、「宮崎更迭を理解してもらえないかとお願い」していないし、椛島氏が、「宮崎君を何とか雇っておいてください」の一点張りであった、という事実もない。私は西尾氏に、椛島氏が「宮崎君を何とか雇っておいてください」の一点張りであった、などという報告はしていない」との証言により、この八木・藤岡・椛島会談に出席していない西尾氏の記事が、完全な虚偽であることが明らかになりました。これによって、西尾氏ならびに『サピオ』編集部は、椛島氏に対して、訂正し、謝罪する義務が生じたと思います。

【嘘と言い逃れ】

①.藤岡先生は「今でも椛島氏をつくる会にとっての最大の恩人の一人だと思っている」と言われていますが、それが心からのものとは思えません。その理由は次の三つです。
1)西尾氏の日本会議など対する非難は3月7日からはじまっていたのに、それをずっと放置してきた。
2)西尾氏が八木氏に、昨年9月17日に「神社(日本会議)・幕屋では採択はとれない。支部幹部を大幅に入れ替える必要がある」と言い、12月1日には「神社右翼、宗教右翼を追い出せ」と言った時に、その場にいながら藤岡先生は西尾氏に反論しなかった。
3)八木・藤岡・椛島会談を終えた後で、藤岡先生は八木氏に「しょせん『つくる会』は日本会議の支店みたいなものなんだ」と語った。

②.藤岡先生は「12月12日付け八木会長あて4理事声明では、『採択戦の総括』のために宮崎氏を事務局長職に留めておくべきだという論点を打ち出しているが、それは口実にすぎない」と書いています。ところが、12月13日の私への電話では、総括の後に人事をすべきだとの私に意見に対して、藤岡先生は「僕もむしろそっちの考えだ、つまりそちらを正面から議論したい」「ボタンの掛け違いだね、我々の責任ですね」「原則的には、それは全然、賛成ですよ」と言われておりました。
 この点について、藤岡先生がそんな発言はしていないと否定されるのであば、私には証拠として音声資料を公開する用意があります。
 したがって、「4人組の本当の目的は、宮崎事務局長の処遇問題を解決することではなく、この問題を奇貨として利用し、つくる会を乗っ取ることだったのである」という結論も虚偽だということになります。

③.藤岡先生は 「宮崎氏は『円満退職』案を個人としては受け入れかかったのである。それを妨害したのは、4人組である。執行部は宮崎氏と交渉しているのではなく、氏の背後のグループと交渉しているようなもの」「問題が解決しそうになると、ことごとく妨害する。今回の紛争の元兇は4人組らの小グループであり、その首謀者格の人物こそ、新田均氏その人なのである 」と書きながら、他方では、「今では、(松浦氏を除く)彼らが宮崎氏と大学時代から宗教的信念と政治的立場を共有する学生運動組織に属し、強固な同志的結合体をなしていたことを私たちは知っており、そのグループの中でも宮崎氏は指導者格であったことが分かっている」とも書いています。
 もしも、私たちが「強固な同志的結合体」をなしており、「そのグループの中でも宮崎氏は指導者格であった」のなら、何故、宮崎氏が「『円満退職』を受け入れつつあった」のに、私が異議を唱える必要があったのでしょうか、また、異議を唱えることができたのでしょうか。これは明かな矛盾です。この藤岡先生の物言いは、 むしろ、私たちの間には、宮崎氏を指導者とする学生時代以来の強固な同志的結合などなく、ただ、個人の信条に基づいてた行動があっただけだということを証明しているのではないでしょうか。
 ところで、藤岡先生の主張するように、私を首謀者とする四人組の「つくる会」乗っ取り計画が今回の紛争の元凶であったとすると、それと中国による工作とはどんな関係があったというのでしょうか。 まさか、「つくる会」の四人組は、本場の四人組の子孫だったとでもいうつもりではありますまい。

 なお、藤岡先生にお答えいただいたのは、大変有り難いのですが、何故、12月15日の「会長声明」発表後に、宮崎追放・八木追及に急旋回されたのかについては説明がありません。私としては、西尾先生のお怒りに動かされてのことだと理解しておりますが、それでよろしいでしょうか。また、八木訪中を知っていながら問題にしなかった理由についても、次には、お書きいただきたいと思います。

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