【解説】
昨日の記事で、鈴木尚之氏が、4月30日の理事会で「産経新聞の渡辺記者が怪メールを流したのは『八木、宮崎だと告白した』などという虚偽を述べ立てた」と書きましたので、本日はその理事会で八木氏によって紹介された、渡辺記者の「回答」の関係部分を紹介します。
この資料は、種子島会長と八木副会長の質問に答えて、その渡辺記者自身が4月3日と6日に藤岡氏に話した内容を記したものです。それによれば、渡辺記者は、怪文書の主体は「八木、宮崎、新田」だと告白したと言えるような証言はしていません。
西尾先生のブログで大活躍しておられる福地惇教授は、藤岡氏や鈴木尚之氏の証言を鵜呑みにして「一連の『怪情報』は八木およびその近縁から発せられた。これを産経新聞渡辺記者が証言した」と断言しておられます。党派的利害にとらわれると実証主義の教養も無力なものです。福地氏が「藤岡・鈴木の発言を信じたい」とお考えになるのは勝手ですが、せめて、この「回答」くらいには言及した上で、自分の主張を展開されるのが、学者としての公平さではないでしょうか。
それから、4月30日の理事会では、この渡辺回答をも資料としながら、八木氏が詳細な弁明を行いました。ですから、福地氏が「怪情報」問題について「八木氏らは一言の弁明もできずにそそくさと六名そろって辞表を出して退席したのである」と書いているのも嘘です。
これは「つくる会FAX通信」173号が、八木氏の本来の「退会の辞」(資料編(2)参照)には「私としては弁明もし」とあったものを、「私としては弁明もせず」と書き換えているように、藤岡氏のグループにはよくみられる資料の改竄、事実の歪曲です。
ちなみに、藤岡氏の発言では、渡辺記者が証言で上げたとされる名前は「八木、宮崎、新田」でしたが、鈴木氏の発言では「八木、宮崎」で、何故か私の名前はなく、両者の発言には齟齬が見られました。この齟齬についても、福地氏は無視を決め込んでおられます。
ところで、3月28日の理事会の内容を伝えた、翌日の「産経新聞」の記事を、西尾氏は盛んに「捏造」だと宣伝していますが、その正式な根拠は、「つくる会FAX通信」第170号(3月29日)の次の記事にあります。
「報道された理事会の内容は、憶測を多く含んでおり、『つくる会』本部として産経新聞社に対して正式に抗議しました。とくに、『西尾元会長の影響力排除を確認』『宮崎正治前事務局長の事務局復帰も検討』は明らかに理事会の協議・決定内容ではありませんので、会員各位におかれましては、誤解することの無いようにお願い致します。」
この一節が「FAX通信」170号の載せられるまでの様子を、私はたまたま当日の朝、事務所に種子島会長と一緒に行っておりましたので、つぶさに見ていました。種子島会長は、「ちょっと困ったな。でも、まぁ、ほっときましょうや」というような態度だったのですが、藤岡氏から「事実無根だ。断固抗議し、FAX通信に載せるべし」といった主旨のファックスが送られて来ると、鈴木氏が藤岡氏の言うとおりにすべきだと強く主張し、産経への抗議、FAX通信への掲載、ということになってしまったのでした。
この時以降、藤岡氏と鈴木氏は、西尾氏とともに、渡辺記者に、記事の「捏造」、怪メールへの「関与」などのイメージを張り付け、非難を集中するようになりました。
ついでに書きますと、もちろん理事会の議事には付されませんでしたが、「宮崎氏の事務局復帰も検討されている」という事実は確かにありました。
種子島氏は、会長就任後間もなく、「コンピューター問題」が藤岡氏らによって捏造された冤罪であったことを知ります。そうなると、八木氏が「自分の名誉を回復するというのであれば、この問題で傷ついて人々、特に、宮崎氏の名誉は同時に回復されなければならない」旨を評議員・支部長宛の文書で明言していたのも「もっともだ」ということになりました。そこで、種子島・八木両氏の間で、宮崎氏の名誉回復と今後の新構想推進のために、宮崎氏を何らかの形で復帰させる案が検討されはじめたのです。ただ、この事実は、極秘とされました。
決して自らがしかけた謀略を認めて反省しようとはしない藤岡氏や、藤岡氏の謀略に乗せられてしまったことが恥ずかしくて認められず、自分に恥をかかせた宮崎氏を逆恨みしている理事が多数をしめているのが理事会の現実だったからです。この現状の中で、謀略体質の理事や面子にこだわる理事たちを押さえて、どうやってスムースに八木新体制へ移行させるのか。種子島会長は深く悩まれたと思います。
こういう状況の中で、事前取材や資料の読み込みによって、渡辺記者にあのような記事を書かれてしまったのですから、種子島氏が「困ったな」と思われるのは当然ですし、藤岡・鈴木氏とは違った意味で、「FAX通信」170号を出さざるをえないと判断されたのも理解できます。
なお、この資料によって、藤岡氏が、種子島会長に無断で理事会のテープを渡辺記者に聞かせた(外部に公開していた)という事実が明らかとなりました。藤岡理事は、この他にも会長に無断で新理事の人選を進めるなどの越権行為におよんでいたわけですが、今の「つくる会」理事会では、このような行為も問題なしと認められているようです。したがって、私たちが弁明のために理事会の議事録やテープを公開することも当然に許されることなのでしょう。特に、西尾氏が『サピオ』で公然と理事会の内容を「歪曲」「捏造」しておりますので、その意味でも議事録の公開、場合よってはテープの公開も、避けられない情勢となってきたように思います。
最後に、渡辺記者が藤岡氏に「謝罪」したと聞いて、私が次のような文句を彼に言ったことを付け加えておきます。
新田「あなたは、藤岡氏の共産党離党は平成13年だった、と記事に書いたんですか?」
渡辺「そんなことは書いてません。」
新田「それでは、平成13年と信じたことが、何か記事に影響を与えたんですか?」
渡辺「何も影響を与えてません。」
新田「じぁ、何で藤岡氏に謝ったんですか」
渡辺「ただ、根拠がはっきりしないのに信じてしまったことを申し訳ないと思って・・・」
新田「そんなことを何で謝る必要があるんですか。単にあなたの内心だけの問題でしょう。それを他人からとやかく言われる筋合いはないでしょう。そんなお人好しだから、揚げ足をとられて、“捏造記事を書いたことを謝った”とか、“謀略に加わったことを謝った”とか、宣伝されてしまうんですよ。もっと、面の皮を厚くしてください。そうでないと、私たちが迷惑します。」
☆ ☆ ☆
種子島会長様、八木副会長様
お尋ねの件について回答致します。
【藤岡理事にお話ししたこと】
[4月]3日午後に藤岡理事と池袋でお会いしました。(中略)私がいわゆる「平成13年文書」に触れたところ、藤岡理事は「お前それを信じたのか」と激怒し、私が「はい、信じました」と答えると、さらに「私に対する最大の侮辱だ。私の行動を見ていて嘘と分からなかったのか。このことは一生忘れないからな!」と言葉を荒げましたので、「本当に申し訳ありません」と誠心誠意謝罪致しました。
私が間接的に聞いた話では、公安調査庁のデータベースは「平成13年」となっているが警察庁ではそうなっていないという情報があり、ご本人が否定している以上、公安調査庁のデータが間違っているのかもしれないと思い、お詫びするしかないと思った次第です。この文書の内容については西尾氏が弊社の清原会長と住田社長に電話で話して藤岡理事を非難したという経緯もあり、私は「社内で流れている情報も責任を持って訂正します」と約束しました。
「最初に誰に見せられたのか」「これと同じものか」との質問もありましたが、最初に情報に接したときのことはよく覚えていません。藤岡理事が持っていたものは「警察公安情報」と書かれていましたが、公安調査庁のデータがそうなっているという情報に接していたので、「『警察』の部分は違うような気がする」と答えました。しかし記憶は定かではありません。元々の発信源について藤岡理事は、つくる会とは関係ないある国立大教授(賛同者には名前があるようです)を挙げましたが、私は「彼がそういうことをしますかねえ」と答えました。「いずれにせよ、今後は不確かな情報が流れないよう各方面に呼びかけます」と約束しました。
3月29日付記事についての抗議もいただき、「鈴木[尚之]さんと3人で理事会の録音テープを聞いてほしい」との申し出がありました。
その日の夜に藤岡理事にメールを送り、①「13年問題」を信じたことへの謝罪②今後は不確かな情報が流れないように各方面に呼びかける③産経社内の情報も訂正する④教育正常化に命を懸けるー旨を改めてお伝えしました。
【高池理事への電話】
(中略)
【理事会の録音テープ】
[4月]6日午前、藤岡理事から電話があり、理事会の録音テープの準備ができたので午後に自由主義史観研究会の事務所に来てほしいとのことでしたので伺いました。鈴木氏はいませんでした。部外秘であるテープを聞いていいのかどうか迷いましたが、新聞記者として事実を知りたいと思い聞きました。録音してもいいとのことでしたのでICレコーダーで録音させていただきました。議事録も拝見しました。そこで判明したのは以下の事実です。
種子島会長が提起した「会長方針」の中で何度も「執行部の判断が創業者の圧力に影響された」「圧力を排除しなければいけない」と強調し、「圧力を排除する」と読み上げました。会長方針に異論は出ず、了承されています。つまり決定事項です。言うまでもなく「圧力」は「影響力」より強い言葉です。
終盤の議論で、新田理事が「平成13年文書」に絡めて「西尾先生の動きを止めてもらわないといけない」と切り出し、協議が行われています。これに対し、7、8人の理事から約20の発言がありました。例えば、西尾氏がSAPIOに書こうとしていることについて、藤岡理事が「(書かないよう、会として)事前に警告を出すことはできないか」と述べています。高池理事は「実際にやったら会長が注意することにしよう」と応じました(高池理事は少なくとも5回発言していますが、いずれも「西尾さんに影響を受けない。何かあったら抗議しよう」という趣旨です)。田久保理事が「党歴問題は西尾さんが原因ですか?」、福地理事が「西尾先生は正しいことも言っている」という趣旨の発言をしていますが、大勢としては影響を受けないようにしようという議論になり、最終的に「西尾先生に振り回されないということでいいですね」という合意がなされています。
抗議のもう一点「宮崎前事務局長の事務局復帰」について私は、その時点ではそういう検討がなされており、記事の中では理事会の議論とは区別して書いたと藤岡理事に説明しました。実際に雇用されたかどうかは「雇用されていれば給与が支出されているでしょう」と話しました。
「平成13年文書」以外の文書も見せられましたので、「不確かな情報が流れないよう各方面に呼びかけます」と改めてお話しました。「各方面」とは「平成13年文書」を話題にした社内外の数人であり、「あの情報について藤岡先生は否定している。確認できない情報には気をつけよう」と訂正することしか私にはできません。
先に述べた通り、3月29日付記事は誤報でないことが判明しました。訂正記事を出すとすれば「『影響力』ではなく『圧力』でした」ということになります。しかし私はあえてそれを主張するつもりはありません。種子島会長にお詫びした通り、記事によってご迷惑をおかけしていることは事実だからです。西尾氏の日録で「捏造記事」と書かれて挑発され、それを引用した私への非難がインターネット上で流れていますが、耐えております。
(後略)
平成18年4月28日
渡辺浩
昨日の記事で、鈴木尚之氏が、4月30日の理事会で「産経新聞の渡辺記者が怪メールを流したのは『八木、宮崎だと告白した』などという虚偽を述べ立てた」と書きましたので、本日はその理事会で八木氏によって紹介された、渡辺記者の「回答」の関係部分を紹介します。
この資料は、種子島会長と八木副会長の質問に答えて、その渡辺記者自身が4月3日と6日に藤岡氏に話した内容を記したものです。それによれば、渡辺記者は、怪文書の主体は「八木、宮崎、新田」だと告白したと言えるような証言はしていません。
西尾先生のブログで大活躍しておられる福地惇教授は、藤岡氏や鈴木尚之氏の証言を鵜呑みにして「一連の『怪情報』は八木およびその近縁から発せられた。これを産経新聞渡辺記者が証言した」と断言しておられます。党派的利害にとらわれると実証主義の教養も無力なものです。福地氏が「藤岡・鈴木の発言を信じたい」とお考えになるのは勝手ですが、せめて、この「回答」くらいには言及した上で、自分の主張を展開されるのが、学者としての公平さではないでしょうか。
それから、4月30日の理事会では、この渡辺回答をも資料としながら、八木氏が詳細な弁明を行いました。ですから、福地氏が「怪情報」問題について「八木氏らは一言の弁明もできずにそそくさと六名そろって辞表を出して退席したのである」と書いているのも嘘です。
これは「つくる会FAX通信」173号が、八木氏の本来の「退会の辞」(資料編(2)参照)には「私としては弁明もし」とあったものを、「私としては弁明もせず」と書き換えているように、藤岡氏のグループにはよくみられる資料の改竄、事実の歪曲です。
ちなみに、藤岡氏の発言では、渡辺記者が証言で上げたとされる名前は「八木、宮崎、新田」でしたが、鈴木氏の発言では「八木、宮崎」で、何故か私の名前はなく、両者の発言には齟齬が見られました。この齟齬についても、福地氏は無視を決め込んでおられます。
ところで、3月28日の理事会の内容を伝えた、翌日の「産経新聞」の記事を、西尾氏は盛んに「捏造」だと宣伝していますが、その正式な根拠は、「つくる会FAX通信」第170号(3月29日)の次の記事にあります。
「報道された理事会の内容は、憶測を多く含んでおり、『つくる会』本部として産経新聞社に対して正式に抗議しました。とくに、『西尾元会長の影響力排除を確認』『宮崎正治前事務局長の事務局復帰も検討』は明らかに理事会の協議・決定内容ではありませんので、会員各位におかれましては、誤解することの無いようにお願い致します。」
この一節が「FAX通信」170号の載せられるまでの様子を、私はたまたま当日の朝、事務所に種子島会長と一緒に行っておりましたので、つぶさに見ていました。種子島会長は、「ちょっと困ったな。でも、まぁ、ほっときましょうや」というような態度だったのですが、藤岡氏から「事実無根だ。断固抗議し、FAX通信に載せるべし」といった主旨のファックスが送られて来ると、鈴木氏が藤岡氏の言うとおりにすべきだと強く主張し、産経への抗議、FAX通信への掲載、ということになってしまったのでした。
この時以降、藤岡氏と鈴木氏は、西尾氏とともに、渡辺記者に、記事の「捏造」、怪メールへの「関与」などのイメージを張り付け、非難を集中するようになりました。
ついでに書きますと、もちろん理事会の議事には付されませんでしたが、「宮崎氏の事務局復帰も検討されている」という事実は確かにありました。
種子島氏は、会長就任後間もなく、「コンピューター問題」が藤岡氏らによって捏造された冤罪であったことを知ります。そうなると、八木氏が「自分の名誉を回復するというのであれば、この問題で傷ついて人々、特に、宮崎氏の名誉は同時に回復されなければならない」旨を評議員・支部長宛の文書で明言していたのも「もっともだ」ということになりました。そこで、種子島・八木両氏の間で、宮崎氏の名誉回復と今後の新構想推進のために、宮崎氏を何らかの形で復帰させる案が検討されはじめたのです。ただ、この事実は、極秘とされました。
決して自らがしかけた謀略を認めて反省しようとはしない藤岡氏や、藤岡氏の謀略に乗せられてしまったことが恥ずかしくて認められず、自分に恥をかかせた宮崎氏を逆恨みしている理事が多数をしめているのが理事会の現実だったからです。この現状の中で、謀略体質の理事や面子にこだわる理事たちを押さえて、どうやってスムースに八木新体制へ移行させるのか。種子島会長は深く悩まれたと思います。
こういう状況の中で、事前取材や資料の読み込みによって、渡辺記者にあのような記事を書かれてしまったのですから、種子島氏が「困ったな」と思われるのは当然ですし、藤岡・鈴木氏とは違った意味で、「FAX通信」170号を出さざるをえないと判断されたのも理解できます。
なお、この資料によって、藤岡氏が、種子島会長に無断で理事会のテープを渡辺記者に聞かせた(外部に公開していた)という事実が明らかとなりました。藤岡理事は、この他にも会長に無断で新理事の人選を進めるなどの越権行為におよんでいたわけですが、今の「つくる会」理事会では、このような行為も問題なしと認められているようです。したがって、私たちが弁明のために理事会の議事録やテープを公開することも当然に許されることなのでしょう。特に、西尾氏が『サピオ』で公然と理事会の内容を「歪曲」「捏造」しておりますので、その意味でも議事録の公開、場合よってはテープの公開も、避けられない情勢となってきたように思います。
最後に、渡辺記者が藤岡氏に「謝罪」したと聞いて、私が次のような文句を彼に言ったことを付け加えておきます。
新田「あなたは、藤岡氏の共産党離党は平成13年だった、と記事に書いたんですか?」
渡辺「そんなことは書いてません。」
新田「それでは、平成13年と信じたことが、何か記事に影響を与えたんですか?」
渡辺「何も影響を与えてません。」
新田「じぁ、何で藤岡氏に謝ったんですか」
渡辺「ただ、根拠がはっきりしないのに信じてしまったことを申し訳ないと思って・・・」
新田「そんなことを何で謝る必要があるんですか。単にあなたの内心だけの問題でしょう。それを他人からとやかく言われる筋合いはないでしょう。そんなお人好しだから、揚げ足をとられて、“捏造記事を書いたことを謝った”とか、“謀略に加わったことを謝った”とか、宣伝されてしまうんですよ。もっと、面の皮を厚くしてください。そうでないと、私たちが迷惑します。」
☆ ☆ ☆
種子島会長様、八木副会長様
お尋ねの件について回答致します。
【藤岡理事にお話ししたこと】
[4月]3日午後に藤岡理事と池袋でお会いしました。(中略)私がいわゆる「平成13年文書」に触れたところ、藤岡理事は「お前それを信じたのか」と激怒し、私が「はい、信じました」と答えると、さらに「私に対する最大の侮辱だ。私の行動を見ていて嘘と分からなかったのか。このことは一生忘れないからな!」と言葉を荒げましたので、「本当に申し訳ありません」と誠心誠意謝罪致しました。
私が間接的に聞いた話では、公安調査庁のデータベースは「平成13年」となっているが警察庁ではそうなっていないという情報があり、ご本人が否定している以上、公安調査庁のデータが間違っているのかもしれないと思い、お詫びするしかないと思った次第です。この文書の内容については西尾氏が弊社の清原会長と住田社長に電話で話して藤岡理事を非難したという経緯もあり、私は「社内で流れている情報も責任を持って訂正します」と約束しました。
「最初に誰に見せられたのか」「これと同じものか」との質問もありましたが、最初に情報に接したときのことはよく覚えていません。藤岡理事が持っていたものは「警察公安情報」と書かれていましたが、公安調査庁のデータがそうなっているという情報に接していたので、「『警察』の部分は違うような気がする」と答えました。しかし記憶は定かではありません。元々の発信源について藤岡理事は、つくる会とは関係ないある国立大教授(賛同者には名前があるようです)を挙げましたが、私は「彼がそういうことをしますかねえ」と答えました。「いずれにせよ、今後は不確かな情報が流れないよう各方面に呼びかけます」と約束しました。
3月29日付記事についての抗議もいただき、「鈴木[尚之]さんと3人で理事会の録音テープを聞いてほしい」との申し出がありました。
その日の夜に藤岡理事にメールを送り、①「13年問題」を信じたことへの謝罪②今後は不確かな情報が流れないように各方面に呼びかける③産経社内の情報も訂正する④教育正常化に命を懸けるー旨を改めてお伝えしました。
【高池理事への電話】
(中略)
【理事会の録音テープ】
[4月]6日午前、藤岡理事から電話があり、理事会の録音テープの準備ができたので午後に自由主義史観研究会の事務所に来てほしいとのことでしたので伺いました。鈴木氏はいませんでした。部外秘であるテープを聞いていいのかどうか迷いましたが、新聞記者として事実を知りたいと思い聞きました。録音してもいいとのことでしたのでICレコーダーで録音させていただきました。議事録も拝見しました。そこで判明したのは以下の事実です。
種子島会長が提起した「会長方針」の中で何度も「執行部の判断が創業者の圧力に影響された」「圧力を排除しなければいけない」と強調し、「圧力を排除する」と読み上げました。会長方針に異論は出ず、了承されています。つまり決定事項です。言うまでもなく「圧力」は「影響力」より強い言葉です。
終盤の議論で、新田理事が「平成13年文書」に絡めて「西尾先生の動きを止めてもらわないといけない」と切り出し、協議が行われています。これに対し、7、8人の理事から約20の発言がありました。例えば、西尾氏がSAPIOに書こうとしていることについて、藤岡理事が「(書かないよう、会として)事前に警告を出すことはできないか」と述べています。高池理事は「実際にやったら会長が注意することにしよう」と応じました(高池理事は少なくとも5回発言していますが、いずれも「西尾さんに影響を受けない。何かあったら抗議しよう」という趣旨です)。田久保理事が「党歴問題は西尾さんが原因ですか?」、福地理事が「西尾先生は正しいことも言っている」という趣旨の発言をしていますが、大勢としては影響を受けないようにしようという議論になり、最終的に「西尾先生に振り回されないということでいいですね」という合意がなされています。
抗議のもう一点「宮崎前事務局長の事務局復帰」について私は、その時点ではそういう検討がなされており、記事の中では理事会の議論とは区別して書いたと藤岡理事に説明しました。実際に雇用されたかどうかは「雇用されていれば給与が支出されているでしょう」と話しました。
「平成13年文書」以外の文書も見せられましたので、「不確かな情報が流れないよう各方面に呼びかけます」と改めてお話しました。「各方面」とは「平成13年文書」を話題にした社内外の数人であり、「あの情報について藤岡先生は否定している。確認できない情報には気をつけよう」と訂正することしか私にはできません。
先に述べた通り、3月29日付記事は誤報でないことが判明しました。訂正記事を出すとすれば「『影響力』ではなく『圧力』でした」ということになります。しかし私はあえてそれを主張するつもりはありません。種子島会長にお詫びした通り、記事によってご迷惑をおかけしていることは事実だからです。西尾氏の日録で「捏造記事」と書かれて挑発され、それを引用した私への非難がインターネット上で流れていますが、耐えております。
(後略)
平成18年4月28日
渡辺浩
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