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つくる会の体質を正す会
■注目の種子島経氏の特別寄稿はこちらです。(5月26日掲載)
■騒動の「構図」についての記事はこちらです。(5月10日掲載)
■騒動の「あらすじ」はこちらです。(6月6日掲載)
■「西尾幹二氏の言説の変遷」はこちらです。(6月20日掲載)
■「藤岡氏の八木氏に対する言説の変遷」は、
  (15)(6月14日掲載)、(16)(6月15日掲載)、
  (17)(6月17日掲載)、(18)(6月19日掲載)です。
■「藤岡氏の事務局員に対する文書攻撃」はこちらです。(14)(6月11日掲載)
■西尾氏に対する訂正要求はこちらです。[資料編(1)]
  (5月12日3段目掲載の記事)
■藤岡氏への再質問はこちらです。[顛末記(5)](6月4日掲載)
■鈴木氏の人物については、こちら(5月24日掲載)とこちら(7月5日掲載)です。
■渡辺記者の反論については、こちらです。(5月25日掲載)
■西尾・藤岡両氏の「謀略」の可能性の立証については、こちらです。(7月3日掲載)
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もう一つの「つくる会」顛末記(4)ー対立が解消できなかったある原因(三)ー
四、対立が解消できなかったある原因(三)ー八木さんの大失敗ー

 「つくる会」の騒動が解決できなかった責任の一端は、たしかに八木氏にもあります。しかし、それは西尾・藤岡両氏が言われているような意味においてではありません。彼の最大の失敗は、鈴木尚之氏を信じて、彼を通じて西尾氏や藤岡氏との宥和を計ろうとしたことでした。1月16日の理事会以降、八木氏は鈴木氏に引きずりまわされ、疲れ果てて体調を崩し、最後には、裏切られて脅されるという目にまで会い、深く傷つくことになりました。「うちの家族とも付き合いがありました。僕の出会った中で、最大の悪人かもしれません。しばらくは、怒りで目が覚める朝が続きました」と、八木氏は語っています。

 鈴木尚之氏は、「眞悟の会」の有力者で、国鉄解体の時に大活躍した人だと私は聞いていました。人当たりがよく、私たちが三重県で日教組の勤務時間中の組合活動批判を展開していた時には、その意味を高く評価してくれたりしたので、私はかなりの好印象を持っていました。それは八木氏も同じだったようで、「コンピューター問題」で、宮崎氏の解任が必至だと思い込まされていた昨年10月末頃は、鈴木氏を事務局長に迎えることを考えていたそうです。

 ところが、「コンピューター問題」での解任・処分に、宮崎氏が抵抗し、私たちも反対したことで、鈴木事務局長案はしばらく店晒しとなりました。それが幸いしたのです。鈴木氏は西村眞悟議員の名義貸し事件に連座して、12月16日に逮捕されてしまいました。もしも、鈴木氏がスムースに事務局長になっていたら、「つくる会事務局長逮捕!」ということで、会はとてつもない打撃を受けたことでしょう。「だから、宮崎氏の抵抗は結果的に会を救ったんですよ」と、私が今年3月11日の第4回評議会及び全国支部長会で申し上げたところ、状況がよく飲み込めていない人たちから笑われてしまいました。
 しかし、逮捕という事態にもかかわらず、八木氏の鈴木氏に対する好意は変わらなかったようで、12月22日には、わざわざ大阪拘置所に差し入れに出かけています。

 1月16日の理事会は「人事は総括の後に行う」「総括は総括委員会を設けてそこで行い、その委員は会長が近日中に指名する」ことで決着を見ました。つまり、内紛は理事会内の議論で一旦は収束したのです。ところが、この理事会決定に不満な西尾名誉会長が辞任し、副会長たちも辞任を申し出、それに連動して藤岡氏が執行部内でゴネはじめました。

 この時、起訴猶予処分となって出所していた鈴木氏は、「八木・藤岡のどちらかの片翼では会はもたない。両翼が必要だ。だから藤岡と手を結ぶべきだ。そのとりなし役は自分しかいない。宮崎には無理だ」と、会の紛争を解決できる唯一の仲介者という歌い文句で八木氏に接近してきたのです。すると、鈴木氏を素朴に信頼していた八木氏は、この言葉に乗ってしまい、彼を執行部内へ引き入れてしまいました。

 以後、鈴木氏は、ただ八木氏の信頼を得ているというだけの資格(会長アドバイザー)で、執行部会に出席し、八木・西尾・藤岡の間を泳ぎ回ることになりました。それを見て、私が「八木さんのやろうとしていたのは、会長の指導力の確立ではなかったのですか。院政、摂関政治の次が、側用人政治では困ります」と皮肉を言うと、八木氏は「誰か間に立ってくれる人がいないと、この会は上手くいかないんですよ」と答えました。
 確かに、創業者の圧力をまともに受けながら、一人で頑張るのは大変だったと思います。しかし、そうかと言って、またまた、会長のリーダーシップが阻害されては、意味がないので、私は「理事の中で一番年下の八木さんが、そう思うのも無理はないと思うけれども、どうも鈴木さんは信用できない。気を付けた方がいいですよ」と忠告しました。

 この時、私が「鈴木氏は信用できないな」と感じていた理由は二つありました。
 一つは、「自分のボスが逮捕されてしまっているという状況の時に、それを止められなかったにもかかわらず、他の組織のゴタゴタを解決してやろうなどと申し出るのはおこがましい。例え頼まれたとしても断るのが筋ではないか。それなのに『彼奴ではだめだ。俺ならできる』など言って入り込んでくるのは、何か怪しい」ということです。後に、私がこの疑念を鈴木氏に直接質したところ。「西村眞悟は、ボスではなくて、同志だ」というのが、彼の答えでした。
 二つ目は、「コンピューター問題」の欺瞞性が指摘されて宮崎氏が事務局に復帰し、人事よりも総括を優先するという理事会の結論が出た以上、言いがかりをつけた西尾・藤岡両氏は責任をとって、一歩身を引き、八木氏を盛り立てていくのが人としての道というものでしょう。彼等がそうしないのなら、自分が憎まれ役となって彼等にそうさせるようにもっていくことこそが、八木氏に信頼されている鈴木氏の役割だったはずです。ところが、鈴木氏は「宮崎を事務局長から解任して、すべてを彼奴のせいにして、藤岡と手を結べ」と八木氏に迫ったのです。
 「この人のいう宥和は、正義を無視した力の均衡のことなんだ。むしろ、トラブルを抱えた組織に入り込んで、どちらの側にもコネをもち、火をつけたり、消したりしながら、巧妙に対立を残して、その間で生きていくのが、この人の人生哲学なのかもしれない。そんな人が力を持てば、会の正常化などできない。これは危ない」と、私は感じたのです。

 私の鈴木氏に対する不信感が決定的になったのは、3月上旬のことです。その頃、鈴木氏は赤坂の「M」という店で、八木会長解任劇の後、毎晩のように八木氏や事務局の若手と飲んでいたのですが、私が実名で種子島会長を批判する文書を事務局に送ったり、支部長に事情を説明する文書を送ったりしていることを批判して、「新田のやっていることなんて、しょせん水鉄砲だ。何の効果もない。こういう時は、相手の背中を寒くさせるのが一番だ」。こう述べて、藤岡氏を批判する怪文書を作成するようにそそのかしたというのです。
 その話を八木氏から聞かされた私は「絶対そんな話に乗っちゃ駄目だよ。そうやって、仲間のふりをしてそそのかして、弱みを握るつもりかもしれないから」と強く忠告しました。八木氏も「分かりました。鈴木氏には気をつけます」と答え、私の心配にようやく気付いてくれたようでした。

 その後、鈴木氏は、一方では、西尾・藤岡両氏の陰謀メールを八木氏に流し(後で考えて見ると、鈴木氏は八木氏の隠し事ができない性格を見抜いていて、周りの誰かに渡すだろうと踏んでいたように思います。実際、八木氏は私の懇請に負けたわけですが)、他方では、種子島会長の辞表を藤岡・福地氏に流すという怪しい行動を繰り返します。こうして、彼の周りで怪しげな雰囲気が醸し出されて行きました。そして、最終局面で、彼は八木氏との信頼関係よりも、自己の会での生き残りの方を選びました。

 4月30日の理事会で、辞任して去ろうとしている八木氏に対して鈴木氏は、八木氏が藤岡氏の「平成13年共産党離党問題」を公安関係者に確認し、そのことを他の理事に話したことを強く何度も非難し、さらに、産経新聞の渡辺記者が怪メールを流したのは「八木、宮崎だと告白した」などという虚偽を述べ立て、「ここであなたは罪を認めて、皆さんに謝罪して、会に残るべきだ」と脅し、「ここから出ていけば、あなたは言論人生命を失う」と三度も繰り返しました。藤岡氏に付いて事務局を握る見返りとして、八木氏を屈服させ、服従を誓わせるようとしたのでしょう。

 「怪文書を出せ」と教唆した男が、こういうことを言うのか、と私はその様子を呆れて見ていました。お人好しの顔をして近づき、酒を飲んで、安心させ、信用させ、弱みを握り、脅す。労働組合では当たり前のことなのかもしれませんが、正直驚きました。私は八木氏が出所不明情報を出したとは思いません。ただ、やがて書きますが、昨年の暮れ以来、西尾氏や藤岡氏に苦しめられ続けてきた八木氏が何か反撃したいと考えたとしても不思議ではありませんでした。その八木氏の耳に、鈴木氏の囁きが残っていて、公安に確認した情報を関係者にしゃべってしまったのでしょう。しかし、それは責められるべきことなのでしょうか。むしろ、重要な内容を含む未確認情報については、確認するのが筋でしょう。

 まして、鈴木氏に責められる理由はありません。それなのに、八木氏に怪文書攻撃を教唆した張本人が、今私の目の前で、会の宥和を願う正義の味方を演じている。この場で八木氏を悪人に仕立て上げようとしている。それも、堂々と、何の悪びれるところもなく。

 その圧力に抗して、八木氏は決然と席を立ちました。部屋を出ようとする八木氏に、鈴木氏は「八木さん、残念です!」と声をかけました。その声の妙に明るく元気で、空々しかったこと。その時、確かに、私の背筋は「ゾッ」としました。

 運動には仲介者や黒子を必要とする場面が確かにあるでしょう。しかし、それは、究極においては、自分の利害よりも公を優先できる、自己犠牲が払える人でなければ、信頼した人が深く傷つくことになるでしょう。鈴木氏は、最後の最後で馬脚をあらわしてしまいました。
 「八木さんに、事務局長代行になるのを阻まれた」と居酒屋で、ある時ふっと漏らした恨み節。それが真の狙い、裏切りの本質だったとしたら、あまりにも残念です。柔和な仮面の下の冷酷な強持ての素顔を見てしまった今、私たちは、貝の口を開かせておいて、柔らかな肉に食いつくような鈴木の存在は、お人好しの保守派にとって、とても危険だと感じています。ですから、「鈴木氏は危ないよ。信用してはいけないよ。近づけちゃダメだよ」と大切な人々に警告しなければならないでしょう。

 《鈴木氏は、相手に酒を飲ませて、色々としゃべらせ、その内容をノートに書き留めています。彼に付け込まれないためには、一緒に酒を飲まないのが一番です。聞くところによれば、赤坂の「M」はけっこう高い店だということなので、よく資金が続いたなぁと不思議に思います。
 ちなみに、私は西尾ブログや藤岡ブログに出ている「怪メール」なるものを見ましたが、どうして、あの内容で「脅迫」と言えるのか分かりませんでした。また、それが現れた原因についても、西尾氏や藤岡氏が続けてきたむちゃな行為を見聞きしている人々の間から自然発生的に出てくることは十分に考えられることですし、逆に、やられ放題だった八木氏の客観状況を利用して、さらに彼を悪人にしたて上げようと企む輩がいたとしても、これまた不思議ではないと思います。そもそも「脅迫」とは、どういう行為を指すのか、については内田弁護士に解説してもらうのがいいかもしれません。》

 年長者から様々に圧力を受けていた八木氏に対して、「大失敗」などと書くのが酷なのは分かっています。「お前だったら、ちゃんと出来たのか」と問われれば、「私も八木さんの立場なら、同じことをしそうな気がつます」と答えるしかありません。ただ、八木氏の場合には、これからの日本の保守言論界を背負っていくべき逸材として、他者を頼らず、自らの足で立つ覚悟を決めるために、次々に年長者に裏切られるという特別な試練が与えられたのだと思います。大切なのは、ごまかさずに、そこからしっかりと学びとることでしょう。もちろん、それは、そばにいた私たちにも必要なのですが・・・・。
 最近の様子を見ていると、この煉獄を経て、八木(山羊)さんは、独立不羈の志士(獅子)へと変貌を遂げていっているように思えます。その雄叫びが聞けるのも、もう間もなくではないでしょうか。 

乞うご期待!!

 ただし、どんなに頑張っても、八木氏も、私も、決して過ちを犯さない万能のリーダーなどにはなれそうもありません。過ちを早い内に修正して、少しずつ生長していくのが精々でしょう。「無謬・万能」を期待するなら、西尾氏や藤岡氏の方がいいでしょう。

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