つくる会の体質を正す会
■注目の種子島経氏の特別寄稿はこちらです。(5月26日掲載)
■騒動の「構図」についての記事はこちらです。(5月10日掲載)
■騒動の「あらすじ」はこちらです。(6月6日掲載)
■「西尾幹二氏の言説の変遷」はこちらです。(6月20日掲載)
■「藤岡氏の八木氏に対する言説の変遷」は、
  (15)(6月14日掲載)、(16)(6月15日掲載)、
  (17)(6月17日掲載)、(18)(6月19日掲載)です。
■「藤岡氏の事務局員に対する文書攻撃」はこちらです。(14)(6月11日掲載)
■西尾氏に対する訂正要求はこちらです。[資料編(1)]
  (5月12日3段目掲載の記事)
■藤岡氏への再質問はこちらです。[顛末記(5)](6月4日掲載)
■鈴木氏の人物については、こちら(5月24日掲載)とこちら(7月5日掲載)です。
■渡辺記者の反論については、こちらです。(5月25日掲載)
■西尾・藤岡両氏の「謀略」の可能性の立証については、こちらです。(7月3日掲載)
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もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(2)ー種子島会長・八木副会長・松浦理事の辞表ー
【解説】
 (資料1)は4月30日の理事会で私たちが退席した直後に「つくる会」会員に対して送られた種子島会長と八木副会長の辞表です。しかし、新執行部の命令によって途中で送信が止められてしまったため、届いていない地域もあります。
 この「FAX通信172号」について、その破棄を通告した藤岡さん起草の「FAX通信」では「理事会のルールを破る事態」「異常な行動を八木前副会長が指示した」と、八木氏が一人で勝手な行動をとったかのように書かれていますが、事実は違います。
 誰が考えても分かることですが、予め送信の準備をしておかなければ、理事会の最中にこんな長文の「FAX通信」を流すことなどできません。その上、ここには種子島会長の辞表も含まれているのですから、種子島会長の同意と指示がなければ入力も送信も不可能です。事実、私はその場にいたのですが、種子島氏の指示で、八木氏が送信の連絡を事務局員にしていました。
 予め両氏が辞表送信の準備を整えていたのは、新執行部成立と同時に、真実を会員に対して伝えることが不可能になる事態が十分に予想できたからです。会長と副会長がこんなことまで考えて準備しなければならなかったということ自体に、この会の理事会の「異常」さが端的に表れていると思います。

 (資料2)は、私が松浦光修理事から預かって、4月30日の理事会が始まる前に種子島会長にお渡しした松浦氏の辞表です。私たちが辞任しなければならなかった理由を極めて的確に表現した名文だと思いますが、いかがでしょうか。


(資料1)
つくる会FAX通信172号      平成18年4月30日(日)

          会長、副会長辞任のお知らせ

                    新しい歴史教科書をつくる会会長
                               種子島経

 まことに申し訳ない次第ですが、本日、4月30日の理事会で、会長の私、副会長の八木秀次が揃って辞任することとなりました。昨年9月以来の混乱を収拾すべく就任した私共が、かくも短期間で辞任せざるをえなくなったのは、次のような事情によります。
1. 2月27日理事会で急遽会長に選任された際、私は次の2点を確認し、それに基づいて再建構想を進めることとしました。
  1) 全理事が揃って支持してくれること
  2) 副会長選任などの人事については私に一任されること
2. 3月28日理事会で次の決議を行いました
  1) 私の推挙により八木氏を副会長に選任
  2) 理事間の内紛は一切やめる
  3) 今後は将来についての議論のみ行い、過去に遡っての糾弾など行わない
 ご承知の通り、組織というものは、かような決議を一つ一つ踏まえて、それを前提に進むべきものであります。ところが、この3月28日から10日も経たないうちに、一部の理事が、会の活動とは関係ないことをことさら問題にして、八木氏を査問にかけ、会から追放すべき旨の提言を執拗に行って参りました。これは、私の選んだ副会長を信任せず、またぞろ内紛を起こそう、というもので、以上のいきさつからしても到底承服できないところであり、私は峻拒しました。かようなルール違反、統制違反は、以前から「会」に見られ、昨年9月以来の混乱の一因をなしており、また私の会長就任後の短期間にも何度かあって、その都度注意して参ったことでした。しかし、こんなことでは私として会長職の責務を全うすることは不可能であります。
 これらの理事を解任して、私なりの統治を貫くことも考えました。だが、宿亜の糖尿病と高血圧が予想外に悪化して、予定していたブロック会もキャンセルせざるをえなかったような状態では、長期間会長職が勤まろうはずもありません。私なりの責任がとれないのなら、と私は辞任を決意し、八木副会長に伝えました。彼は、在任中、とりわけ昨年9月以来、このような問題に悩まされ続けて来ただけに、「もう精神的に限界です。私も辞めます」と表明、揃っての辞任となったわけであります。

 会長二ヶ月、副会長1ヶ月という超短期で辞任のやむなきに至ったのは、一重に私共の力不足によるところであり、深くおわび申し上げます。私は、日本では日本人、アメリカではアメリカ人、ドイツではドイツ人をマネージして、40年間、ビジネスを展開して参りました。だが、「つくる会」の理事諸侯の一部に関してはマネージ不能であったことを遺憾とします。彼等は、ルールを守る、ボスの方針に従う、などの国際基準を全く無視しますので、マネージできないし、彼等との仕事は、賽の河原で石を積む子供たちのような空しさの繰り返しにしかならないのです。

 後任人事など、別途通知をご覧下さい。
 私と八木とは、理事も辞任し、一会員として会の外から今後その発展を見守りたい所存であります。今後とも、「つくる会」へのご支援方、よろしくお願い申し上げます。また、八木は、「つくる会」を離れても、今後ますます日本のために活動すべき人材であります。暖かい目で見守って下さるよう、併せてお願い申し上げます。


              退会の辞

                   新しい歴史教科書をつくる会副会長
                               八木秀次

 平素は本会の発展のために日夜ご尽力賜り誠にありがとうございます。
 さて私は本日をもって本会の副会長・理事を退任し、同時に正会員も辞して、名実ともに本会を去ることに致しました。会長を解任された後、3月末に副会長に就任し、7月の総会で会長に復帰する予定でありましたが、その路線を快く思わない一部の理事が会の外部と連動し、私の与り知らない問題で根拠もなく憶測を重ねて嫌疑を掛け、執拗に私の責任を追及し始めました。私としては弁明もし、何とか理事会の正常化ができないものかと思って耐え忍んで参りましたが、この半年間を通じて彼らとの間ではいつも後ろ向きの議論を余儀なくされ、その結果、遂に志も萎え、肉体的にも精神的にも限界に達するに至りました。またこれ以上、家族にも精神的負担を掛けられないと判断致しました。本会は発足以来定期的に内紛を繰り返して参りましたが、「相手代わって主代わらず」という諺があるように、今回は私などがたまたま「相手」とされたに過ぎません。「主」が代わらない限り、本会の正常化は無理であり、また発展も未来もないものと判断し、やむなく退会を決断した次第です。
 これまでご支援賜りました全国の会員・支援団体の皆様には大変申し訳ない限りですが、今回の退会は私の志を維持し発展させるための苦渋の決断であることをご理解賜りたく存じます。とき至り、再び私が必要とされるようになった暁には日本の子供たちに輝く虹を見せるための活動の一端を担う所存です。皆様には何卒微意をお汲み取り下さいますよう伏してお願い申し上げます。


(資料2)
              辞表
                        平成18年4月30日

「新しい歴史教科書をつくる会」会長・種子島経 様

                    新しい歴史教科書をつくる会理事
                            松 浦 光 修

 私は、平成十一年より今日に至るまで、現場では三重県支部副支部長、同支部長として、本部では評議員、理事として、本会のため微力を尽くしてまいりました。それは「つくる会」の理想を正しいものと信じたが故であり、また支部役員をはじめとする会員の皆様が、きわめて善良、かつ純粋な方々であったが故でもあります。しかし、昨年九月、請われて理事となってみると、理事会の実態は、会の理念とは隔絶しており、残念ながら「教科書よりも、まずはご自身を正されてはどうか」と、思わざるをえない方が、少なくありませんでした。おそらくそれが、「創業者」が会を私物化し、合理的な根拠もないまま、私情にまかせ、無慈悲にも汚名を着せ、次々と事務局長を追放し、それに多数の理事が無批判に追随するという、全体主義的で陰湿、かつ冷酷な慣行を継続させてきた原因の一つかと思われます。
 総じて理事会は地方の実情を何も知らず、余暇をもてあまし、誇大妄想、被害妄想気味の、エキセントリックな一部老人たちによる精神的支配がつづいているのが実態で、地方で苦労してきた私からすれば、悲しいほど大義のない、欺瞞に満ちたものでした。「これでは偉そうな左翼批判など、とても恥ずかしくてできない」「これでは善良な会員の方々に申しわけない」と考えた私は、同憂の理事たちと、本会を日本人らしい道義ある会に再生すべく、この半年、きわめて多忙な本務のかたわら、微力を尽くしてまいりました。幸い現副会長の八木秀次氏や現会長の種子島経氏は、日本人らしい善良さ、純粋さ、また社会常識をお持ちの方々であると感じられましたので、つい最近まで、まだ私は、その点に会の再生への一縷の希望を託していました。
 しかし、去る四月十三日、たぶん西尾幹二氏に使嗾されてのことと思われますが、藤岡信勝氏と、両氏に追随する福地惇氏が、せっかく会の再生に乗り出した八木秀次氏と種子島経氏を呼び出し、脅迫的な態度で辞任を迫るという、まるで背後から切り付けるかのような信じがたい行動に、またも出ました。この半年に限っても、私が彼らのその種の所行を聞くのは、いったい何度目のことでしょう。これを聞いて私は、彼らに反省を促すことなど不可能であり、そうである以上、もはや彼らと戦いをともにすることはできない、と諦観しました。かくして、結局のところ今日の事態に至りましたこと、善良なる会員の皆様に対しては、自らの力不足を恥じるばかりです。
 ここにおいて私は、理事として本会を浄化できなかった責任の一端を痛感し、本日を以て、本会の理事・評議員を辞することとしました。おって三重県支部長も辞する所存です。不義なる人々を戴いて戦うことを、私は男子として潔しとしません。今のところは残念ながら、これが神と君と、会員の皆様に対して誠を示す、私の採れる唯一の道と考えてのことですので、どうか私の我儘を、お許しください。
 なお、七年もの長きに渡って、私の本会での活動に御支援をいただいた三重県内外の会員の皆様と、数多くの市民の皆様には、深甚の謝意を表する次第です。今後とも各自の御判断で、報国の活動を御継続くだされば、幸いに存じます。

  私に とらはる人の 公を 語る醜さ われは与せじ


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閑話休題1ー「つくる会FAX通信第174号」についてー
 「つくる会FAX通信第174号」が産経新聞の記者を攻撃するために3頁も割いているのを見ると、予想していたことですが、もはや藤岡氏の暴走を誰も止められなくなってしまったようです。そこには、私に関係した虚偽記事も含まれていますが、それについては連載の中ではっきりさせるつもりです。藤岡氏が明白な虚偽を散蒔いてくれればくれる程、私たちの正しさを証明することが楽になるので、今はどうぞ御勝手にという感じです。

 ただ、産経新聞の記者さんは、自分のために記事を書いて反論するわけには行かないでしょうからお気の毒です。藤岡氏は、反撃の手段を持たない人をよくターゲットにするのですが、堂々たる大家のやることではないでしょう。

 私にこの記者さんを弁護する義理はないのですが、3月29日の記事は正確です。しかし、それは誰かがリークしたからというよりも、正確な資料読解と緻密な周辺取材とによって「感づかれてしまった」と言うことなのです(この辺についても、追々、具体的にお話しします)。
 私がこの記者さんを弁護する義理がないと言ったのは、この方の取材力と新聞記者魂を込めた記事が、私が望んでいた八木氏の会長復帰を阻止する口実として藤岡氏らに使われてしまい、そのことを「恨めしく」思っているからです。しかし、自分が恨めしく思っている人であっても、抵抗の手段を奪われた状態で、まるでサンドバックのように痛めつけられているのを見過ごすわけにはいかないので一言しました。

 ちなみに、この「FAX通信第174号」の真の意図は、次の二点をごまかすことにあると思われます。
①.3月28日の理事会では八木氏の7月総会での会長復帰が既定路線であったこと(これに強く異を唱えたのは、藤岡氏自身で、他の理事は、彼がごねると面倒なので、表面上は「含み」ということにしたこと)。
②.ほとんどの理事が藤岡氏の執行部復帰を望んでいなかったこと(高池理事が副会長復帰を提案しましたが支持されませんでした)。
 この分析が正しいとすれば、もはや「FAX通信」は藤岡氏の自己正当化や弁明のための私物となってしまったと言えましょう。
 「自分に都合の悪い何かを隠すために、誰かを激しく攻撃(口撃の方が適切かな?)する」というのは藤岡さんによくみられる行動パターンの一つだと思います。

もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(1)ー西尾先生への訂正要求ー
【解説】
 以下の資料は、西尾幹二先生が「日録」でお書きになった「『つくる会』顛末記ーお別れに際してー」の中に含まれている主要な虚偽について、私が手紙で西尾先生に訂正を求めた経緯と内容を、予め西尾先生の了解を得た上で「西尾日録」に書き込んだものをまとめたものです。書き込みをお許しいただいた西尾先生に感謝します。


〈5月6日〉
新田均です。
 西尾幹二先生がブログでお書きになったことの内、特に五点について、五月五日までの訂正を求める手紙を配達証明付きで先生に差し上げました。すると、五月二日に拙宅に直接先生からお電話がありました。その時のやり取りの極一部を紹介するとこんな具合です。

西尾「逐条的というわけにはいかないが、貴方の要求に答えるエッセイを書きます。何故、私が貴方たちの行動を党派的・組織的だと思ったかについて、問題の前史を詳しく書いて材料を提供したいと思います。その際に、あなたの手紙も部分的に紹介します。」

新田「ありがとうございます。読者に私の主張を正確に理解していただくために、私の手紙を全部載せていただけませんか。」

西尾「それは、長谷川さんが大変だから難しい。」

新田「それでは、私がコメント欄に書き込むのはどうでしょうか。」

西尾「それは貴方の自由です。ただ、せっかく書いても読まれなければ意味がないので、私が書いた後で、『元はこういう手紙です』と書き込まれるのが、いいんじゃありませんか。今は原稿や旅行で忙しいので五月五日までに書くというわけにはいかない。さわりだけでも、五日に出したいが、場合によっては、それも難しいかもしれない。書き始めても一挙に書き上げられないかもしれないので、貴方も一度に全部載せるのはやめて下さい。」

新田「分かりました。それでは、先生が書き始められたら、私も順次載せていくようにします。ただ、こうやってお話しして、私が「問答無用」「対話不可能」な人間でないことはお分かりいただけましたよね。」

西尾「そう思っていたら、電話なんかしないよ。それから、私の知らないことについては、あんまりつっこまないでください。」

新田「先生、今さらそんなこと言われても・・・(笑い)。言論上のことですから、きっちりやりましょうよ。」

というわけで、私の訂正要求の具体的内容は、西尾先生の筆の進みに会わせて、順次このコメント欄に紹介していくことになりました。ただ、私としても、自ら期限を切った以上、その時点で何のアクションも起こさないというのでは不誠実でしょう。そこで、何故、西尾先生に手紙を差し上げたのか、その理由だけでも先に明らかにしておこうと思います。以下はその理由について触れた手紙の冒頭と最後の部分です。


前略
 西尾幹二先生。先生の日録に基づいてインターネットその他での議論が広がっているようですね。その議論のきっかけとなり、前提ともなっているのは、三月七日の「『つくる会』顛末記ーお別れに際してー」ですが、そこには多くの虚偽が書かれていて、人々の議論の前提を誤らせ、私たちが謂れのない非難を受ける原因となっています。そこで、それらを以下に指摘いたしますので、ご訂正下さい。

(中略)

 日録におけるその他の歪曲や事実の相違を挙げていけばきりがありませんが、上記の五点は、先生が私たちを、「全共闘的な圧力」「言葉の暴力」「固い血の盟友関係」「『つくる会』の一角に取り憑いたガン細胞のようなもの」と非難する原点となったものですから、私たちの名誉にとって真偽の認定は重要です。したがって、このいずれもが事実でないことを先生の日録で明示していただくことを求めます。
 これまで先生が活躍してこられた活字の世界では、出版社や編集者に共同責任がありましたので、このような訂正を求める手紙は、先ずはそちらの方に出すのが筋なのでしょうが、この日録については全ての責任がそれを発信した個人にあると考えますので、こうして直接にお手紙を差し上げた次第です。

 この手紙での要求は、根拠を示した上での訂正要求を拒否するような方ではないだろうという、言論人・西尾幹二氏に対する、私にわずかに残された信頼の表現であると御理解下さい。もしも、御自身での訂正に躊躇を感じられるのであれば、この手紙をそのままブログに掲載していただくという方法でも構いません。すこし余裕を見て、五月五日までに訂正していただくことを求めます。
 ちなみに、日録によれば、「つくる会顛末記」を緊急出版されるとのことですが、こちらについては、くれぐれも虚偽記述が改められないままの出版とはならないようにお願い申しあげます。                              草々

  新 田  均

平成十八年四月二十八日

西 尾 幹 二 先生


〈5月7日〉
西尾先生へ
新田均

 5月6日のお返事、ありがとうございます。ところで、私が先生に訂正要求の手紙を差し上げた主旨をコメント欄に投稿いたしましたところ、多くの人から早く訂正要求の内容を教えてほしいとの電話がかかって参りました。
 その中には「西尾先生は、『時期は確約できません』『ご質問に必ずしも対応して書くことはできません』と言っておられるのだから、必ずしも西尾先生の筆の進み具合に合わせる必要はないのではないか。それよりも、貴方は自分の説明責任を果たすことを優先すべきではないか」という的確な指摘もありました。そこで、先生には申し訳ないのですが、先生の筆の進み具合には必ずしも縛られることなく、私の要求内容を順次投稿して参りたいと思いますのでご了承下さい。
 なお、先生は、私の掲げた項目を「問い掛け」「質問」と受け取っておられるようですが、私の意図はそうではなくて、「事実に反することが書かれていますので、ご訂正下さい」というものです。したがいまして、私の申し上げていることが間違っていて、「訂正の必要を認めない」とおっしゃるのであれば、それなりの証拠を示して、反論していただきたいと存じます。そうでないと、先生が私たちを「全共闘的な圧力」「言葉の暴力」「固い血の盟友関係」「『つくる会』の一角に取り憑いたガン細胞のようなもの」と非難した根拠がくずれてしまう、換言すれば、先生は根拠もなく私たちを誹謗中傷したことになる、というのが私の考えです。

(訂正要求1)
 今回の騒動は宮崎正治事務局長の更迭問題に端を発したわけですが、その更迭の提言について、先生は「三人[八木、藤岡、西尾]の誰かが先走ったということはありません」と書かれていますが、これは他の二人によって明確に否定されています。
 昨年12月13日の私への電話の中で、「八木さんは、自分の知らないところで事務局長がらみで話が進んでいたと言っていますが、どうなんですか」という私の問いかけに対して、藤岡信勝氏は「そうなんですよ、それがよくないんです」「西尾さんが声をかけちゃったんですよ」「要するに独走した」とはっきり言われました。
 したがって、この問題の出発点において、八木会長を無視して西尾先生が独走された事は明白です。それをごまかそうとするのは大変卑怯なことだと思います。まず、この点をご訂正下さい。
 (西尾先生の「独走」については改めて八木氏に確認済みです。先生が「つくる会」顛末記の中で「名誉会長の名で会長より上位にある立場を主宰することは二重権力構造になり、不健全であるとかねて考えていました」と書かれたのは、実は、このようなご自分の独走に対する素直な反省の弁だったのではありませんか?)


 なお、「哭泣の書」の中で、先生は「つくる会ファックス通信173号では、産経渡辺記者が『謀略的怪文書を流しているのが〈八木、宮崎、新田〉であると明言した。』とはっきり書いている。会の公文書がここまで打ち出しているのである。軽く見逃すことはできない。」と書いておられますが、本心でしょうか。
私は渡辺記者本人から「そんなことは言っていない」と聞いています。それに、このファックス通信はいくつかの重大な虚偽を含んだ怪しいもので、高池会長代行名で出されていますが、恐らく、原案は藤岡氏の手になるものでしょう(「陰で操る」のは藤岡氏の常套手段です)。その藤岡氏について先生は「他人を言葉で操って動かそうとし、現実が大きく変わるとたちまち昨日言ったことを替えて、結果的に彼を支持しようとしてきた人の梯子を外す。裏切りである。言うことがクルクル変わる。昨日顔を真赤にして怒りを表明していた相手に、今日はお世辞を言って接近する。今日たのみごとがあると下手に出て礼をつくすことばで接近するかと思うと、用が終ると、同じ人に数日後に会っても鼻もひっかけない。/彼と付き合えばみんな分かっているこういう彼の性向挙動は、多分共産党歴の長い生活と不可分で、党生活が人間性、普通の良識ある社会性を破壊してしまったものと思われる。」〈怪メール事件(一)〉
 ここまで扱き下ろした藤岡氏が主導している会が出しているファックス通信を、何故、先生が「軽く見逃すことはできない」と言われるのか、私には理解できません。まさか、八木や新田を罵倒できる材料ならなんでも構わない、などとは考えておられないと思いますが・・・・。
 蛇足ですが、これまで先生は「つくる会」騒動の最後に現れた出所不明情報を誇大に言い募ってこられました。「哭泣の書」を読むと、今度は騒動の遥か以前の八木氏との関係を情緒的に書き上げて人々の同情を引こうとされているようにみえます。このように事後と事前を強調することで、騒動の本来の出発点をごまかそうとされているのではないか。そんな懸念が私の心の中に生じたことを申し添えておきます。


〈5月8日〉
西尾先生へ
新田均

(訂正要求2)
 私たち四人が八木会長に対して抗議の声明[昨年12月12日]を送ることになった前提には、宮崎氏が「コンピューター問題」なるものによって、理事会の承認もなしに停職とされ、しかも、「事務局長の任を解き、事務局次長に降格する。事務局次長としての給与の10%を本年12月より3ヶ月にわたり減額する」という処分まで受けようとしていたという事態がありました。
 この問題について「事務局再建委員会」の「調査報告書」は「現行[会員管理]システムは今後正常な稼働が期待できない」「いずれにせよ現行システムは早晩廃棄し新しいシステムを構築することが迫られている」「結果として、1000万円もの高額投資が僅か3年間で事実上崩壊してしまった事態はきわめて重大」と断じ、「[契約]当時から今日まで一貫して執行に当たっている宮崎事務局長の責任を不問に付すことは不当である」としました。
 ところが、今年の三月二十八日の理事会において、種子島会長から、この現行システムに問題はなく、制作者であるコンピュートロニクス社とのメンテナンス契約が切れた後も、藤岡氏が連れてこられた専門家に、月二万円程度の保守管理料を支払えば十分使用可能であることが報告され、出席者を唖然とさせました。そして、このことは「つくる会FAX通信」第171号ですでに会員に周知されています[そして、本年三月末日をもって、データ消滅などの事故もなく、コンピュートロニクス社との契約期間は終了しました]。つまり、「1000万円もの高額投資が僅か3年間で事実上崩壊」したという「コンピューター問題」は幻だったわけです。
 したがって、私たちが昨年十二月十二日の「声明」において、「“損害”なる主張は何ら法的実体を伴わないものです」「これらの言挙げは、まるで南京大虐殺を左翼がでっちあげて日本軍国主義批判を展開することを想起させます」と指摘したことは極めて適切だったことになります。また、被害も確定できていないのに、宮崎氏を処分しようとしていることに対して、宮崎氏解任のためにしくまれた「一種の謀略」ではないかと考えたことも十分に合理性があったといえるでしょう。
 ところが、先生のブログでは、「コンピューター問題」についての執行部の調査報告書が事実無根であったこと、それによって宮崎氏の地位や名誉が著しく不当に貶められたこと、したがって、宮崎氏解任のための謀略ではないかと疑われてもしかたのない事件であったことが全く書かれておりません。これは読者を欺くものですので、すみやかにご訂正下さい。

 なお、私の投稿の意図は、西尾先生には予めご了解いただいていることですが、虚偽の宣伝に対して、その発信者に訂正を求めるというものですから、何ら非難される筋合いのものではないでしょう。そして、自らの主張については、近々ブログを立ち上げて、そこで展開するつもりでおります。

 ちなみに、出所不明の藤岡氏「平成13年共産党離党」情報に、もっとも振り回され、大問題だと、産経新聞の社長、福地氏などに吹聴し、さらにはブログにまで載せて世間にばらまいたのは西尾先生でした。先生は、裏も取らずに大騒ぎしてしまった自分の軽率さ、滑稽さをごまかすために、一生懸命に八木氏や私に罪を擦りつけようとなさっているのではありませんか?


〈5月9日〉
西尾先生へ
新田均
(名前を先に書いているのは、読みたくない人は読まなくてもいいよ、という思いやりの表現です。私には西尾先生を崇めている人々の信仰を破壊したり、その悲鳴を聞いて悦んだりといった悪趣味な意図はありません。)

(訂正要求3)
 「つくる会」顛末記(三)には、私どもの「声明」を指して、「問答無用のなじめない組織的思考、討論を許さない一方的な断定、対話の不可能という現象」と述べ、これは「突然の挑戦状」であったとしています。これは事実とは正反対の悪質な宣伝です。事実は、「コンピューター問題」に関連して、宮崎事務局長の処遇が理事会で継続審議になっていたにもかかわらず、それを無視して執行部が宮崎氏に辞任を迫ったことに抗議し、理事会での議論を要請したにすぎません[追記 しかも、それは八木会長に宛てた抗議で、会長を通じて他の理事にも私たちの考えを知らせていただくことをお願いしたものですから、もちろん、理事会外に問題を持ち出したわけではありません]。また、四人連名の文書となったのは、それ以前に、個別に出していた意見が無視されたためで、「突然の挑戦状」などというものではありませんでした。
 それに、私には最初から宮崎氏個人を守ろうなどというつもりはありませんでしたし、今でも、そんな考えはありません。ただ、誰に対してであろうと、「コンピューター問題」なるものをでっち上げて処分しようとしたり、それがうまく行かなくなると陰で辞任を迫るというような[陰湿で]理不尽なやり方が許せなかっただけです。
 その上、人事や運動の総括に関して理事会で公明正大に議論すべきだとの私の主張については、「声明」後の12月13日に電話をくださった藤岡氏も「僕も原則的に、それは全然、賛成ですよ」と賛意を表されていましたし、「いろいろお聞きしてよかったです。また宜しく」と言われていたくらいですから、この時に「問答無用」の状態など存在しませんでした。むしろ、藤岡氏が大変危惧しておられたのは、私たちに対してではなくて、帰国した西尾先生が「大暴れしないか」ということでした。そして、事実、そのように事態は動いて行きました。
 したがって、私たちに対して「問答無用」「討論を許さない一方的な断定」「対話の不可能」などのレッテルを貼ることは、事実を転倒させるものですので、ご訂正下さい。


〈5月10日〉
西尾先生へ
新田均

(訂正要求4)
 「つくる会」顛末記では、私どもの「声明」を指して「異質の集団の介入」と言ったり、「一つのネットワークが一つの組織に介入して、四人組をその先兵として送り込んできているのではないか」と言ったりしていますが、事実無根です。
 私たちは、互いに推薦しあって理事になったわけではありません。誰が推薦したのかは知りませんが、それぞれが採択の実績や裁判での活躍、あるいは中韓の教科書批判の実績を買われて理事に推薦され、集まってみれば、昔なじみの顔があったというだけのことです。
 また、私たちが日本会議や日本青年協議会の意向を受けて動いたなどという事実もありません。事実はむしろ逆で、日本会議による仲介に熱心だったのは藤岡氏の方でした。

 執行部に退職を求められた宮崎氏は何人かの人々に相談したそうですが、その中には、「宮崎さんが辞めさせられるのなら、これまでのようには協力できないね」と発言した有力団体の関係者もいたとのことです。そのことを12月9日に宮崎氏は藤岡氏に率直に伝えたようですが、それは当然のことでしょう。「つくる会」には、特定の個人の信条や活動実績に共鳴して協力して下さっている有力者も多いのですから、その人が辞めさせられたりしたら、困ったことになるのは目に見えています。
 事実、八木氏や宮崎氏が解任された後、彼らの個人的な関係で繋がっていた有力寄付者からは多額の寄付金の停止や返還を求められることになってしまいました。宮崎氏の立場に立てば、自分を信頼してついてきてくれた人々に対して、濡れ衣まで着せて自分を追い出そうとした不誠実な組織への支援を、それでもお願いし続けることなどできないのは当然でしょう。
 それに、組織運動に少しでも関わったことのある人なら分かることですが、他団体との関係や事務の要である事務局長が、後任も決っていないの辞めたりしたら組織は大混乱に陥ってしまいます。事実、宮崎氏が停職にされていた間や辞任して後の事務の停滞や混乱には看過できないものがありました。

 宮崎氏の前記の発言が意味していたのは、その程度の常識的なことに過ぎなかったのですが、この言葉から藤岡氏は「日本会議が宮崎支持に回った。自分は敵視されている」とは判断し、勝手に怯えてしまったようで、急に態度を変え、「日本会議には『つくる会』立ち上げの時には大変お世話になりました」などと話しはじめたそうです。
 ちなみに、「どうしてそんなに私を辞めさせたいのですか」との問いに対する答えは、「要するに、相性かな?」というものだったと言います。藤岡氏による執拗な宮崎批判の根底がこんなものだったとは、開いた口が塞がらないのは私だけではないでしょう。

 さて、藤岡氏は「摺り寄ろう」とでも思ったのでしょうか、日本会議の椛島氏に会いに行くことを八木会長に提案したそうです。そのことを八木氏から聞かされた私は「内部のゴタゴタの収拾を他団体にお願いするようなみっともないまねはやめた方がいいのではないか。日本会議にしたって迷惑だろう」と忠告しました。しかし、八木氏は「藤岡さんが熱心なんです。椛島さんに仲に立ってもらって、それで、彼が納得して円満に収まるのなら、それでもいいと思います」とのことでしたので、私はもうそれ以上言いませんでした。
 後で八木氏から聞いたところでは、12月14日に椛島氏と会った時の藤岡氏は「借りてきた猫」のようで、日本会議に対する感謝の言葉を並べ立て、「分裂するようなことがあれば、協力が難しくなるので避けてほしい」との椛島氏の言葉を、まことに素直に聞いていたとのことです。そして、この会見の後で、八木氏と藤岡氏との間で、宮崎氏の停職処分を解き、事務局長に復帰させることが確認されて、さらに、帰国した西尾先生が大騒ぎしないように抑えに行く役まで、藤岡氏が買って出たと聞きました。その時は、「これでようやく解決だな。本格的な運動の総括を行って未来の展望も開けるだろう」と私は悦んだものです。

 ところが、藤岡氏は西尾先生を抑えるどころか、大叱責を受けたためでしょうか、全く態度を変えて、宮崎氏や八木氏を糾弾し始めたのです。宮崎氏が「自分をやめさせれば、日本会議、日本政策研究センター、キリストの幕屋、全国の神社などの諸団体が、つくる会の支援から一斉に手を引く」などと具体的組織の名前まであげて、藤岡氏を脅迫したなどというのは、後から藤岡氏が考え出した創作にすぎません。自分が勝手に日本会議の影に怯えて、八木氏のリーダーシップにしたがってしまった惨めな姿をごまかすために、またもや宮崎氏に濡れ衣を着せて脅迫者に仕立て上げようとしたのでしょう。
 藤岡氏とお付き合いの長い西尾先生ならば、彼が、時と所と相手と状況によって、言葉をすり替えたり、誰かを悪役に仕立て上げたりして、自己保身を計ることくらいはよく御存知のことだろうと思います。それなのに、どうして、彼の言葉を鵜呑みにして、「異質の集団の介入」などという虚偽を信じておしまいになったのか、私には大きな謎の一つです。
 [追記 たしか西尾先生は「自己弁明のためにあっさりと他人を売る。しかもその他人は自分を守り、支えようとしている人である。信義は弁明より値が安い。自分が誰かに媚びを売るために、信義なんか糞くらえ、なのだ。藤岡氏はそういう男である」(怪メール事件(四))と書いておられましたね。]

 要するに、私たちが「つくる会」の理事になったのは他団体の意思とも、互いの意思とも無関係であり、今回の問題について他団体の圧力を利用しようとした事実もありません。また、これは私のことではありませんが、宮崎氏が「俺を辞めさせたら全国の神社、全国の日本会議会員がつくる会から手を引く」と「会を脅迫する言葉を吐いた」事実もないとのことです。この点をご訂正下さい。

[追記 西尾先生は3月5日に八木氏に会われて「肝胆相照らした」時に、「[宮崎氏の事務局長復帰を宣言した]12月15日の「会長声明」を読んで、藤岡は『八木に対して殺意を覚えた』と私に言ったんだよ。これは仲間内では有名な話だ」と八木氏に告げたそうですが、これは本当の話でしょうか?]


〈5月11日〉
西尾先生へ
新田均

(訂正要求5)
 先生は、一月十六日の理事会で「新田理事は『西尾名誉会長はいかなる資格があってこの場にいるのか。理事ではないではないか』と紋切り型の追及口調で言いました」と書いておられますが、このような事実は存在しません。執行部が出してきた文書について私が質していた時に、「あなたの発言は失礼だ」と言った西尾先生に対して、「文書に名前を連ねていない先生に失礼だと言われる理由が分かりません」と言っただけです。ここには明確な事実の歪曲があります。その歪曲が単なる聞き違いではなく、私を貶めようとする意図に裏打ちされているのだとしたら、事態はもっと悪質です。訂正を求めます。


 先生の日録を読ませていただいて、結局、先生はこれまでの人生の中で、面子や利害やイデオロギーを越えて、自らを疑い、体験によって自分の思索を深め、社会正義を実現したいと考える自立した個人に出会うことが出来なかったのではないか、と残念に思いました。先生が、私たちの行動に「薄気味悪さ」を感じられたのだとしたら、それは自立した個人が正義感に基づいて覚悟ある行動をとり、それが自然に一致するなどということを信じる用意が先生の側になかったためだと思います。宗教イデオロギーにとりつかれた組織のロボットたちとでも解釈して納得しなければ、自らの世界観が崩壊してしまうような不安が先生を襲ったのかもしれません。

[追記 西尾先生作・西尾劇場(激情?)「余りにも悲しい物語」(別名「怪メール事件」)の感想を最後に記させていただきます。
 西尾先生は、「つくる会」の理事諸氏を指して「余りに彼らは孤独に耐える力がない」とおっしゃっておられますが、私が見るところ、最も孤独に弱いのは西尾先生御自身ではないかと思います。自らの影響力の衰えに対する不安と焦燥、「忘れられるくらいなら、嫌われたほうがましだ」というのが、先生を突き動かした衝動だったのではないでしょうか。そして、その思惑は今のところ「大成功」のように見えます。しかし、その破壊力によって、結局は、御自身の栄光を未来に語り継いでくれるはずだった人々まで、みんな吹き飛ばしてしまったのではないか、そんな憂いを抱いているのは私だけなのでしょうか。]

    ー「西尾先生への訂正要求」了ー

〈補足〉
 西尾先生のいう「怪メール事件」についてのお尋ねがありましたので、簡単にお答えしておきます。私は怪文書などというものを作成も、発信もしておりません。藤岡氏から文書でお尋ねがあった時に、次のようにお答えしました、
「無名または変名で根拠のない怪文書を送ったり、本人のいないところで悪評を流したり、手先を使って扇動したり、という卑怯な手法は貴方たちの手法で、私の手法ではありません。私の流儀は、個人の責任で、自分の名を名乗って、根拠を示し、本人の面前で、あるいは名指しで批判するというものです。」

 私が「コンピューター問題」を重視するのは、「怪メール事件」をごまかすためではありません。また、この問題は「言った、言わない」などという些細な問題でもありません。この問題が重大な理由は以下の四点です。
 ①.この問題が私たちが西尾・藤岡両氏と対立することになった直接の原因であったこ  と。
 ②.この問題は、1000万円の被害という巨大な虚偽が宣伝され、そのために宮崎氏  に対して「出勤停止」という具体的処分が下された上に、降格・減給処分までが提示  され、さらには西尾・藤岡両氏らの口を通じて広く会員に喧伝されました。ここには  本来の被害が不明の「怪メール事件」(世間に喧伝したのは西尾・藤岡両氏)などと  は比較にならない名誉毀損であること。
 ③.具体的被害についての究明は行わず、そのイメージだけを誇大に宣伝して、特定の  人を攻撃し、貶めるという手法は「コンピューター問題」と「怪メール事件」に共通  するものであり、「怪メール事件」なるものの本質を理解するためには「コンピュー  ター問題」の真相を明らかにすることが不可欠であると考えられること。
 ④.むしろ、「怪メール事件」の方こそ、「コンピューター問題」とそれに続く虚偽や  暴言や圧力や陰謀を覆い隠す煙幕ではないかと考えられること。

 なお、私は今回の「つくる会」騒動について、純粋な会員の皆さんに対して大変申し訳なく感じておりますが、それが無意味な「内紛」だったとは考えておりません。むしろ、これからの保守運動の未来を考える上で、貴重な教訓を多く含んだ出来事だったのではないかと感じています。それについは、私たちが立ち上げたブログ「つくる会の体質を正す会」(http://tadasukai.blog58.fc2.com/)で語ることにいたします。
 ただし、西尾先生や藤岡先生を信仰されている皆さんには「目の毒」だと思いますので、御覧にならないことをお勧めします。


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