つくる会の体質を正す会
■注目の種子島経氏の特別寄稿はこちらです。(5月26日掲載)
■騒動の「構図」についての記事はこちらです。(5月10日掲載)
■騒動の「あらすじ」はこちらです。(6月6日掲載)
■「西尾幹二氏の言説の変遷」はこちらです。(6月20日掲載)
■「藤岡氏の八木氏に対する言説の変遷」は、
  (15)(6月14日掲載)、(16)(6月15日掲載)、
  (17)(6月17日掲載)、(18)(6月19日掲載)です。
■「藤岡氏の事務局員に対する文書攻撃」はこちらです。(14)(6月11日掲載)
■西尾氏に対する訂正要求はこちらです。[資料編(1)]
  (5月12日3段目掲載の記事)
■藤岡氏への再質問はこちらです。[顛末記(5)](6月4日掲載)
■鈴木氏の人物については、こちら(5月24日掲載)とこちら(7月5日掲載)です。
■渡辺記者の反論については、こちらです。(5月25日掲載)
■西尾・藤岡両氏の「謀略」の可能性の立証については、こちらです。(7月3日掲載)
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ついに八木秀次氏『諸君!』に登場! 巻頭二段組、堂々11頁!
タイトル さては西尾幹二名誉会長の「文化大革命」だったか
訂正 本日(6月1日発売)! ご期待下さい!

急告 西尾氏に対する八木氏と勝岡氏の反論が6月28日発売の『サピオ』に掲載されることが決まりました。


●藤岡先生のブログへ以下のようなお願いを書きました(誤植を訂正できませんので、ここで訂正しておきます)

新田均です。

私どものブログで昨年12月15日の「会長声明」関係資料を掲載いたしております。私どもが、今回の「つくる会」騒動を考える上で、藤岡先生については、次の二点が重要だと考えております。

①.宮崎氏の事務局復帰を自ら提案された時の藤岡先生のお考えと、その後、八木氏追及へと急に態度を変えられた理由。

②.事前に八木氏の訪中を知りながら、あるいは、その直後に中身の報告を受けながら、12月、1月と問題視されることがなかった理由と、二月下旬以降、急に訪中そのものが怪しからぬと言い出された原因。

 この点についての、先生のお考えやお気持ちの変化についてお教え願えれば有り難く存じます。

 お答えいただけるのであれば、私どものブログのコメント欄に書き込んでいただいても結構ですし、御自身のブログに書いていただいても結構です。よろしくお願いいたします。

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もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(12)ー平成17年12月15日付「会長声明」関係資料ー
【解説】

 今回、皆さんにご紹介する五つの資料は、事務局長人事問題に発した理事会内の混乱が、実は、昨年12月15日の段階で、会長と四副会長との合意が成立したことによって解決済みであったこと、また、八木会長の中国訪問についても、四副会長たちはそれを知っており、それにもにもかかわらず、当時は何ら問題視していなかったこと等の事実を示す、これまで紹介した資料の中でも最重要のものです。

 昨年12月9日に、事務局員達の意向を背に、宮崎氏が事務局へ乗り込んだことは前回書きました。藤岡氏が、後になって、宮崎氏が「自分を辞めさせれば、日本会議、日本政策センター、キリストの幕屋、全国の神社などの諸団体もつくる会の支援から一斉に手を引くぞ」と脅迫してきた、と述べているのはこの時のことです。しかし、宮崎氏が実際に言ったことは「退職について何人かの人々に相談したが、その中には、『宮崎さんが辞めさせられるのなら、これまでのようには協力できないね』と発言した有力団体の関係者もいた」ということだけでした。
 ところが、その言葉を聞いた藤岡氏は、自分が思いついた宮崎氏が相談したと思われる人の名前を列挙し、宮崎氏が何の反応も示していないにもかかわらず、勝手にコロッと態度を変えて、「私は日本会議の椛島氏をつくる会の恩人だと思って今でも感謝している。会の発足時には椛島氏のところへ相談に行き、言論人中心の会にして、賛同者を幅広く募るという方法を教示された。今度の件についても、椛島氏に相談に行くべきだと思っている」などと語り始めたそうです。

 そして、翌10日の午後5時、藤岡氏は富山にいた八木氏に電話をかけて、「宮崎氏を会長補佐として事務局に復帰させる」という案を提示したのです。

 宮崎追放の急先鋒であった藤岡氏が、自ら率先して宮崎復帰を唱えるに至った背景としては次の四つが考えられます。
①.12月7日に事務局員たちから厳しい追及を受けた。
②.宮崎氏が断固として対決するとの意志を固めて12月9日に事務局に帰ってきた。
③.宮崎氏の言葉から「日本会議が宮崎支持に回った。自分は敵視されている」と判断して、勝手に怯えてしまった。
④.頼りの西尾氏が12月5日から15日まで海外旅行で日本にいなかった。

 このような藤岡氏の急変によって、一挙に問題解決の流れが生まれたわけですが、それをこれから、資料に基づいて説明していきます。


●(資料1)平成17年12月15日付「会長声明」にいたるまでの執行部のメーリングリスト

 「執行部のメーリングリスト」というのは、執行部会メンバー(八木、藤岡、遠藤、福田、工藤)+西尾名誉会長が、執行部会内の話し合いの手段や情報共有化の手段として用いていたものです。12月11日から14日までのメールを見ると次のことが確認できます。
1.藤岡氏は、私たちが声明を出すとの情報を得て(おそらく高池理事から)、八木会長に対策を求めた。
2.八木会長は、これに対して、「処分はすべて凍結して宮崎氏を事務局長として復職させる」「コンピューター問題を含むこれまでの『つくる会』のあり方を来年3月までに総括する」「総括後、その反省の上に立って事務局・執行部ともに新体制を組む」という解決案を提示し、副会長たちに一任を求めた。また、事務局長人事をめぐる混乱の原因について「私のリーダーシップの欠如が招いたもの」であることを認めて「深く反省」するとともに、しかしながら、「初動において私の意志とは別に既に走り始めていたという経緯もあります。正直言えば、私はそのあとを追いかけているという感じでした」という認識をも示した。
3.以上の解決案にどの副会長からも異論はなく「一任」をとりつけることができた。また、混乱の原因についての会長の見解についても、副会長たちからの異論はなかった。
4.ただ、遠藤氏の求めによって、「宮崎弁明書」に反論する「執行部見解」を添付することになり、そこに八木氏の判断で「富樫文書批判」も加えられることになった。
5.12月12日の藤岡メールによって、八木氏の中国訪問は全副会長に知らされていた。
6.日本会議の椛島氏訪問は、(宮崎氏に頼んで)藤岡氏がアポをとり、八木氏に連絡していた。
7.椛島氏訪問は、執行部内で「宮崎事務局長復帰」の結論が出た後のことだった。

 ここから、西尾氏が『サピオ』で書いた「昨年の秋に八木・藤岡の両氏が椛島氏を訪ね、宮崎更迭を理解してもらえないかとお願いしたところ、『宮崎君を何とか雇っておいてください』の一点張りであった」という話が全くの嘘であることが分かります。
 八木・藤岡両氏が椛島氏を訪ねたのは、宮崎更迭を理解してもらうためではなくて、宮崎氏の事務局復帰で問題を解決しようとしていることを伝え、心配をかけたことを詫びて、理解を求めるため、もっとはっきりと藤岡氏の思惑を言えば、自分を敵視しないようにお願いするためだったのです。
 ですから、椛島氏と会った時の藤岡氏は「借りてきた猫」のようで、日本会議に対する感謝の言葉を並べ立て、「分裂するようなことがあれば、協力が難しくなるので避けてほしい」との椛島氏の言葉を、まことに素直に聞いていたとのことです。そして、この会見の後で、八木氏と藤岡氏に福田氏を加えた三人の間で、宮崎氏の出勤停止を解き、事務局長に復帰させることをあらためて確認し、さらに、帰国した西尾氏が大騒ぎしないように抑えに行く役まで、藤岡氏が買って出たと言います。

 椛島氏は外部からの干渉どころか、好意から心配して会見に応じてくれたのに、それをあろうことか、圧力をかけた悪人のように言い立てるとは、恩を仇で返す行為以外の以外の何者でもないでしょう。宮崎氏の「円満退職」案への了解を伊藤哲夫氏にお願い行ったり、椛島氏に事情説明に参上し、それとなく取りなしを頼んだりと、これらの行為は、藤岡氏が自主的にしたことなのに、それをひっくり返して、「支部扱いされた」などというのは言いがかりも甚だしい。それは、自ら勝手に卑屈な行動をとったのに、相手が尊大だったと言い換える、まさに「まやかしの言説」です。

 ちなみに、八木氏から椛島氏を訪ねることを事前に聞かされた私は「内部のゴタゴタの収拾を他団体にお願いするようなみっともないまねはやめた方がいいのではないか。日本会議にしたって迷惑だろう」と忠告しました。しかし、八木氏は「藤岡さんが熱心なんです。椛島さんに間に立ってもらって、それで、彼が納得して円満に収まるのなら、それでもいいと思います」とのことでしたので、私はもうそれ以上言いませんでした。

 この14日までのメールのやり取りの中で、もう一つ大切な点は、藤岡氏が八木氏に対しても、他の副会長に対しても「宮崎から、自分を辞めさせれば、日本会議、日本政策センター、キリストの幕屋、全国の神社などの諸団体もつくる会の支援から一斉に手を引くと脅迫された」などと、一言も言っていないということです。
 もしも、実際にそうは言われていたのに、それを他の幹部には言えないほどに怯えてしまって、宮崎氏復帰を自ら提案し、西尾氏が帰国して、ようやくそれを口にすることが出来たのだとすれば、藤岡氏というのは本当に臆病で、西尾氏がいなければ何もできない人物ということになってしまいます。しかし、おそらく、本当はそうではなくて、「宮崎氏はそんなことは言っていなかった」というのが真実だと思います。


●(資料2)平成17年12月15日付「会長声明」は、八木会長が副会長たちからの「一任」を取り付けた上で出した声明です。「初動において私の意志とは別に既に走り始めていたという経緯もあります。正直言えば、私はそのあとを追いかけているという感じでした」とあったところが、「率直に言えば、私の意志とは別にことが始まり、既成事実が積み上げられていく中で、それを動かしがたい事実と捉えてしまい、限られた選択肢の中で、当会の宥和を図ろうとしたことが、かえって問題を長期化・深刻化させてしまったように思います」と一層詳しくなっている以外は、基本的に11日のメールと同じです。
 ところが、西尾氏帰国後に心変わりした藤岡氏やそれに追随した副会長たちは、まるで、八木会長が自分たちの了解をとることもなく、唐突に心変わりし、裏切ったと言い出して、八木氏を追及し始めました。


●(資料3)平成17年12月15日付「執行部見解」は、八木会長が遠藤副会長や福田副会長の意向を汲んで出した文書です。


●(資料4)平成17年12月20日付「八木氏の帰朝報告」は、帰国した八木氏が中国での活動の様子を西尾氏や副会長達に伝えたもので、これも重要な資料です。

 12日の藤岡メールによって、すでに副会長達は八木訪中を知っていたわけですが、さらに、この八木氏の報告によって、「中国社会科学院メンバーと扶桑社教科書をめぐって激論、盧溝橋の抗日記念館・南京虐殺記念館・大韓民国臨時政府跡博物館などの見学、産経新聞中国総局長・伊藤正氏との懇談」などの具体的中身を知らされることになりました。
 ところが、その後の執行部内の紛糾にも関わらず、副会長達が中国訪問そのものを問題にすることはありませんでした。彼らが問題にしたのは「宮崎氏と一緒に旅行したのが怪しからん」というにすぎなかったのです。
 いずれ、詳しく書きますが、この中国旅行を計画したのは、事務局員たちで、その話を聞いて、八木氏や宮崎氏も後から参加を希望したのです。事務局への出勤停止中に、事務局員から参加確認の電話を受けた宮崎氏は「もし退職することになったら、みんなとのお別れ旅行にするつもりだから、よろしく」と答えています。しかし、実際には「事務局復帰」ということになったので、お別れ旅行にはなりませんでした。

 八木氏の訪中そのものが問題視されるようになったのは、「八木降ろし」が本格化した今年の二月下旬以降です。5月29日付「つくる会FAX通信」175号を見ると、今の「つくる会」理事会は、私たちを非難する根拠が無くなってしまったために、再び、八木訪中を最大の論点にしようとしているようです。
 しかし、そうなると、八木訪中から二ヶ月間も彼らがそれを問題視しなかった理由が説明できません。要するに、「八木訪中問題」というのは、はじめ西尾氏や藤岡氏が、八木氏を追い落とすために捏造し、今は、「つくる会」内における自分たちの立場を守るために強弁している幻想にすぎないのです。

 なお、鈴木尚之氏もこの中国旅行への参加を希望していたのですが、直前になってキャンセルしたということです。八木訪中を厳しく非難している現在の「つくる会」の中枢にいる鈴木氏は、当時の自分の考えをどのように理事達に説明しているのでしょうか?


●(資料5)平成17年12月27日付「理事会開催のご案内」は、「会長声明」を受けて出された理事会開催通知で、今年1月16日の理事会がどのような意図で開かれたものであったのかを、これで確認することができます。


 繰り返しますが、以上の資料からお分かりのように、事務局長人事問題に発する理事会の混乱は、二ヶ月を擁したとは言え、八木会長の決断に副会長達が同意して出された昨年12月15日の「会長声明」によって、理事会内で決着がついていたのです。
 ところが、帰国した西尾氏がこれを知って激怒し、「会長によるクーデターだ!」「八木を潰してやる!」などと騒ぎはじめました。これが「つくる会」内紛の真のはじまりだったのです。


☆   ☆   ☆

●(資料1)平成17年12月15日付「会長声明」にいたるまでの執行部のメーリングリスト

From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Sunday, December 11, 2005 9:47 PM
to:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject:事態は重大です!

八木会長殿

会長から全理事にこの間の事情について何らかの通信を出さなければならないと 思います。反対派理事が理事会開催要求の署名をして執行部糾弾に乗り出します。先手を打って理事会開催を通知するのが最善ですが、ともかく、何らかのアクションを起こさなければダメです。勝岡、新田、松浦氏には、電話を入れて下さい。よろしくお願いします。

藤岡

─────────

From: 八木 秀次
Sent: Sunday, December 11, 2005 10:52 PM
to:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject: RE:事態は重大です!

執行部各位

 事務局長問題の収拾は次の方法しかないと思います。これまでのように“改 築”に“改築”を重ねていても事態は複雑になるばかりで、もう収拾は無理です。
 この際、すべて元に戻す、すなわち処分はすべて凍結して宮崎氏を事務局長として復職させるということです。ただし、その上で、コンピューター問題を含むこれまでの「つくる会」のあり方を来年3月までに総括する。その際には宮崎氏の事務局長のとしての適格性も問題になるでしょう。総括後、その反省の上に立って事務局・執行部ともに新体制を組む。つまり、来年3月までは暫定的に宮崎氏を事務局長とするが、その後は分からないとし、ソフトな形で鈴木事務局長体制に移行させるということです。来年4月に新体制を組むことは宮崎氏にも伝える必要があるでしょう。
 この問題は私のリーダーシップの欠如が招いたものであり、その点、深く反省しておりますが、とはいえ、初動において私の意志とは別に既に走り始めていたという経緯もあります。正直言えば、私はそのあとを追いかけているという感じでした。
 以上の方向での収拾を私にご一任頂けませんでしょうか。いろいろ考えてみましたが、これが会を分裂させない唯一の方法であると思っております。どうかご理解下さい。

八木秀次

────────

From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Monday, December 12, 2005 6:37 AM
to:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject: Re:事態は重大です!

八木秀次様

お考えは分かりました。
そこで、次のことをお願いします。
まず、元に戻すための手続きをご提案下さい。
1)執行部全員の合意を取り付ける方法と時期(このメールへの返信で代用するのか)
2)わたしは今日は10時に事務局に出て、予定通り朝のミーティングをやりますが、宮崎氏に交代するのはいつからか。
3)2)と連動しますが、会長が直接事務局に出て説明する以外の伝達方法はあり得ません。それはいつか。
4)15日から訪中されると間接的に伺いましたが、その間、代表権をどうするのか。
5)理事会はいつ開くのか。理事にはいつどのように説明をするのか。
などなどです。
手続きについてだけは事前に私の意見を聞いてください。

藤岡信勝

─────────

From: Fujioka Nobukatsu
Sent: Tuesday, December 13, 2005 4:11 PM
to:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject:日本会議椛島総長とのアポ

八木会長殿

日本会議椛島事務総長とのアポがやっととれました。あす、14日(水)午前9時30分から10時30分まで、日本会議の本部です。直接現地で落ち合うということでいかがでしょうか。

藤岡拝

─────────

From: 八木 秀次
Sent: Tuesday, December 13, 2005 10:53 PM
to:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject: 会長一任へのお礼と事態対応策

執行部各位

会長一任のご了解を頂き、ありがとうございました。早速、既に述べた通りの収拾策を実行に移します。
decoding[00087]で藤岡先生からご質問がありましたが、以下のように考えております。
1.執行部全員への合意を取り付ける方法と時期について
メールを通じて既に皆様にご了解頂きました。
2.宮崎氏に交代する時期
混乱を収拾するためにはできるだけ早い方がいいと思います。15日の午前中には事務所に出向くことができますので、その時点で藤岡先生の「事務局長代行を解き、宮崎氏を事務局長に復させます。
3.訪中期間の代表権について
田中前会長の時にも長期の海外出張がありましたが代表権を誰かに委任する等のことは問題にならなかったように思います。9月には韓国に行きましたが、そのときも代行は立てませんでした。今回も四日間と短期でもあり問題にする必要はないと思います。
4.理事会の召集は早ければ早いほどよいと思いますが、事柄の性質上、関係理事が出席できないような状況での開催は将来に禍根を残す恐れがありますので、少なくとも、今回の問題について意見を表明している理事全員が出席できるように日時を調整したいと思います。
5.現状復帰の処置をとる前に、理事各位に簡単にでも経緯を説明する必要があると思います。そこで11日のメール主旨に沿った収拾方針を「会長声明」という形で早急に各理事に伝えたいと思います(15日の宮崎氏の事務局長復帰とともに発送する予定です)。その際、内田理事などからの要望書と声明を添えることにします(現時点では会長宛に来たものを私の指示で執行部にのみ送付しております)。それは各理事に事態の重大さを理解していただくためと、内田理事らの他の理事への伝達の要求を無視すると執行部は真実を隠蔽しようとしている等の無用の誤解を招き事態が一層紛糾する可能性があるからです。

八木秀次

─────────

From: 八木 秀次
Sent: Tuesday, December 13, 2005 10:57 PM
to:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject: RE:日本会議椛島総長とのアポ

藤岡先生

椛島総長とのアポ、了解しました。

八木秀次

────────

From: K.E
Date: 12/14(水)08:42
Subject: Re:会長一任へのお礼と事態対応策

皆様

 八木会長の収拾方針に、基本的に賛成いたしますが、一点だけ。

 今回の四理事の動きは、もとを辿れば「宮崎弁明書」(宮崎氏の一方的な見方)をうけたものです。18日の議論の混乱もそこから発してゐます。これに対する富樫文書は、いささか乱暴な内容を含むものとはいへ、これにたいする反応です。「四理事声明」を全理事に送るのは結構ですが、ならば、宮崎弁明書に対する執行部の見解も示してください。
 とくに、①宮崎氏には弁明の機会は十分与えられてきたこと、②この間宮崎氏 はコンピューター問題に関する自身の責任について一切発言がなかつたこと、③執行部としてはコンピューター問題と事務局人事問題を分離して処理する努力をしてきたこと(つまり事務局長更迭の道具として同問題を利用するといふ構図ではなかつたこと)、④9月20日の理事会で事務局長更迭が議題に予定されてゐたが反対多数とみられたため取り下げられたといふ同氏の「推測」に根拠がないこと(少なくとも、副会長たる小生は、そのことを全く関知してをりません)、⑤これまで同弁明書の恣意や歪曲に対して沈黙を守つてきたのは混乱を拡大させたくないといふ配慮だつたこと――等については、是非明快な見解を示した上で四理事声明を添付していただきたいと思ひます。
 いづれにせよ、判断は八木会長に一任しますが。

遠藤浩一 

────────

From: h.fukuda
Sent: Wednesday, December 14, 2005 10:26 AM
To:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject: Re:会長一任へのお礼と事態対応策

 基本的に会長に一任しますが、遠藤副会長の御指摘の諸点を内田声明文に添付すること、さんせいです。 福田

────────

From: 八木 秀次
Sent: Wednesday, December 14, 2005 11:51 PM
To:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject: RE:会長一任へのお礼と事態対応策

執行部各位

 遠藤さん、いろいろご面倒をお掛けして申し訳ありません。ご心労も如何ばかりかと思います。ご指摘の5点に「⑥富樫監事の意見書は執行部の見解とは異なるものであり、事実関係についても誤認が見られ、遺憾であること」を加え、「執行部見解」として添付することにします。
 明朝10時に、藤岡先生の事務局長代行の任を解き、宮崎氏を事務局に復帰させるセレモニーを挙行します。併せて、「会長声明」、「四理事の意見書」、「執行部見解」、「理事会開催日程についてのお伺い」を理事及び関係各位に送付します。当面、これで問題は沈静化するはずです。
 総括の後、3月辺りに再び、万全な事務局体制を構想しましょう。
 鈴木さんには本日、現状を伝えました。西村代議士の一件が落ち着けば、真剣に考えて頂けると思います。
 ともあれ、皆さん、お疲れ様でした。徒労感がなきにしもあらずだとは思いますが。

八木秀次


☆   ☆   ☆

●(資料2)平成17年12月15日付「会長声明」

             平成17年12月15日
理事及び関係各位
            新しい歴史教書をつくる会
             会 長 八 木 秀 次

      会 長 声 明

 皆様御存じの通り、事務局人事をめぐる問題は11月18日の緊急理事会以後におきましても解決の目途がたたず、別添資料のように、益々混迷の度を深めております。ことここに至り、このままでは当会の存続が危機に瀕する可能性も否定できず、会長として自ら収拾に乗り出す決意をいたしました。
 その収拾策とは、これ以上状況対応的な解決策を模索するのをやめて、先ずは、この問題発生以前の状態に復し、次いで、来年3月までを一応の目途に、事務局の問題はもちろん、あらゆる角度から本会の問題点を見直し、その総括に基づいて、新たな執行部・事務局体制を構築するというものです。
 そこで、まず、本日12月15日をもって、藤岡副会長の事務局長代行を解き、宮崎正治氏に事務局長職に復帰していただきます。そして、できるだけ早い段階で理事会を開いて、今回の問題の根源を究明し、理事のわだかまりを解いて、公明正大な総括が、期待できる体制を整えたいと思います。
 このように事務局長人事問題が紛糾してしまったことに対しまして、会長として責任を痛感しております。率直に言えば、私の意志とは別にことが始まり、既成事実が積み上げられていく中で、それを動かしがたい事実と捉えてしまい、限られた選択肢の中で、当会の宥和を図ろうとしたことが、かえって問題を長期化・深刻化させてしまったように思います。
 今後は、このような反省に立って、会長としてのリーダーシップを発揮して参る所存でおりますので、どうかご理解、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。


☆   ☆   ☆

●(資料3)平成17年12月15日付「執行部見解」

           平成17年12月15日
理事及び関係各位
         新しい歴史教科書をつくる会執行部

 「会長声明」とともに内田理事以下4理事の「抗議及び声明」を添付しますが、この前提となる宮崎事務局長の弁明書及びその後に皆様に送付された富樫監事の意見書について以下の点を「執行部見解」として申し添えます。ご理解頂きますようお願い申し上げます。

     執行部見解

①宮崎氏には弁明の機会を十分に与えられてきたこと
②この間、宮崎氏はコンピューター問題に関する自身の責任について一切発言がなかったこと
③執行部としてはコンピューター問題と事務局人事問題を分離して処理する努力をしてきたこと、つまり事務局長更迭の道具として同問題を利用するという構図ではなかったこと
④9月20日の理事会で事務局長更迭が議題に予定されていたが反対多数とみられたため取り下げられたという同氏の「推測」に根拠がないこと
⑤これまで宮崎氏の弁明書に対して沈黙を守ってきたのは混乱を拡大させたくないという配慮だったこと
⑥富樫監事の意見書は執行部の見解とは異なるものであり、事実関係にも誤認が見られ、遺憾であること
                          以上

  ☆    ☆    ☆

●(資料4)平成17年12月20日付「八木氏の帰朝報告」

From: 八木 秀次
Sent: Tuesday, December 20, 2005 3:06 PM
To:執行部会メーリングリスト・アドレス
Subject: RE:24日執行部会合の件

執行部各位

 昨夜遅く帰国し、本日の午前中は寝ておりました。ようやくの活動再開です。
 今度の訪中はつくる会事務局員のプライベートな旅行に加わった形のものでしたが、中国社会科学院メンバーと扶桑社教科書をめぐって激論、盧溝橋の抗日記念館・南京虐殺記念館・大韓民国臨時政府跡博物館などの見学、産経新聞中国総局長・伊藤正氏との懇談など、大変有意義な旅でした。
 訪中前に執行部会(確か正式の会合ではなく、懇談会であったはず)の案内 メールを私から送付することになっていたのですが、ぎりぎりのスケジュールを こなして慌しく出掛けたので、すっかり忘れていました。失礼致しました。藤岡先生にはご迷惑をお掛けしました。24日はもちろんOKです。
 鈴木尚之さんが逮捕されたことはご承知のことと思いますが、今後のこともありますので、明日にでも日帰りで大阪に出掛け、手紙とともに差し入れをしてこようと思います。 藤岡先生、遅ればせながら正論大賞ご受賞おめでとうございます。つくる会としてお祝いの会をしたいと思います。またご相談致します。

          八木秀次

  ☆    ☆    ☆

●(資料5)平成17年12月27日付「理事会開催のご案内」

平成17年12月27日
理事関係各位
                新しい歴史教科書をつくる会
                  会長 八 木 秀 次

   理事会開催のご案内

前略、平素、会の発展のためにご尽力いただき洵に有り難うございます。
 さて、先に理事各位に次回理事会の日程につきおたずねいたしましたが、その集計結果をもとに執行部各位と相談した結果、新年1月16日(月)午後6時より、下記の要項にて第86回理事会を開催することに決定しましたのでご案内申し上げます。
 今回の理事会では10月28日の理事会決定にもとづき執行部に設置された「事務局再建委員会」からの経過報告、ならびに12月15日に送付しました「会長声明」等の事情説明をもとに、事務局体制ならびに今後の会の運営方法等についてご討議いただく予定です。言うまでもなく本問題は4年後の採択戦はもとより、今後の「つくる会運動」の性格・方向性に関わる重要問題であり、理事各位による自由闊達な論議により理事会としての最終方針を決定し、すみやかに本年の採択結果の総括の作業に着手したいと考えます。理事各位におかれましては、すでにご予定がおありの方も会の事情をご理解いただき、万難を排してご出席たまわりますようお願い申しあげます。(以下略)


「つくる会」の逝きし日々(3) 奇跡の夏ー全国初の採択と民団の来襲
            松浦光修


「ここで問題です。扶桑社の歴史・公民教科書を、全国で初めて『うちの学校で採択する』と宣言した普通中学とは…、さて、どこでしょう?」。こんな質問をされたら、今の「つくる会」の役員や会員で、はたして何人が正解できるであろう?。ほとんどの人は忘れているにちがいない。正解は津田学園中学…、三重県の桑名市にある私立中学である。

時は、平成13年の春にさかのぼる。4月3日の夕、『新しい歴史教科書』と『新しい公民教科書』が教科書検定に合格した、とのニュースが流れた。たまたま私はそのニュースを伊勢市内の、あるラーメン屋で見ていたのだが、喜びのあまり思わず椅子から立ち上がって、テレビに近寄った覚えがある。ところが、そのニュースを見たラーメン屋の夫婦は、小さな声で、たぶん「なんでや…」とつぶやいたのである。そして、なんだか苦虫を噛み潰したような顔になった。その時は、ただ少し気になっただけであったが、あとで噂に聞いたところによれば、その夫婦は「元(今も?)左翼」であるという。
なぜか三重県は、人口のわりに、いたるところに左翼がいる。ちなみに私は、その噂を聞いたあとは、その店では決してラーメンを食べるまいと堅く心に誓い、いまだにその誓いを守りつづけている(私は律儀なタイプである…)。

なぜ三重県には、いたるところに左翼がいるのか?。周知のとおり三重県は「98パーセント」という日本一の驚異的な組織率をもつ「日教組王国」であるが、それは、おそらくそのせいにちがいない。だから三重県の公立学校では、ほぼ全県下で、この数十年来「反日教育」が、ごく当たり前のように行われてきた。「ふつうの市民が左翼」でも…不思議はないのである。

という次第であるから、三重県での扶桑社の教科書採択は、はじめから、ほぼ絶望的であった。当然のことながら私は、「ならば私立しか、採択の可能性はないではないか…」と考え、地道な「お願い活動」をつづけていた。むろん一応、公立での採択も、いろいろと働きかけてはいた。ある時は、県会議員に同道してもらって伊勢市の教育長と面談し、そのあとで略式の記者会見を開いたこともある。
 しかし、あくまでも私は、「他の都道府県は知らず、三重県では、私立の普通中学で複数の採択を取れれば上々…」と考えていた。「状況は、それだけ厳しい」と見ていたのである。この点、「つくる会」理事会の見通しは、なぜか前回も今回も甘かつた。要するに「今の現場を知らない」からであろう。

さて、そうこうしているうちに、平成13年も6月となったが、その16日、ついに待ちに待った第一報が入った。桑名市の津田学園中学が扶桑社の教科書を採択することを決定したと、『中日新聞』が報じたのである。普通中学では、全国初の採択で、快挙である。次いで6月18日、『毎日新聞』が、わが学園の一角をなす皇學館中学も「採択の方向で検討中」と報じた。
私は大学の仕事で、毎年6月ごろは、東海地方の学校現場を回っていることが多い。私が、皇學館中学についての報せを受けたのは、ちょうど岐阜県の、ある高校近くの小さな駅に一人ぼんやりと佇んでいた時で、「これでなんとか、最低限の面目は、ほどこすことができたな」と、安堵したものである。

しかし、その喜びもつかのまで、それからが大騒ぎであった。津田学園中学にも、わが皇學館中学にも、「大韓民国民団」から、ほとんど暴力的ともいえる圧力がかかってきたのである。
まず6月16日、彼らは突如、マスコミをひきつれて、津田学園中学に押し かけ、授業中にもかかわらず、ハンドマイクで抗議文を読み上げた。その様子はテレビでも新聞でも報道された。津田学園にしてみれば「ふいうち」であったらしい。それにもかかわらず、マスコミは津田学園側に不利な報道をした。

その騒ぎのようすを私は、たまたま夕方のテレビニュースで見ていた。「これは、いずれうちにも来るな…」と、腹をくくった。
問題は、「いつ来るのか?」である。なにしろ彼らは、「ふいうち」を常套手段とする。まるで「授業中」の教職員や生徒が精神的に動揺するのを楽しんでいるかのように…。これは「世評」に弱い「私立中学」の弱みを、知りぬいた作戦といってよい。
しかし、ありがたいことに、私には事前に情報が入っていた。じつは彼らは、まず「味方のマスコミ」に「来襲」を予告する。マスコミを引き連れてくれば、彼らの「世論へのアピール」という(じつは、これが第一の)意図が達せられるからである。しかし、その「味方のマスコミ」から回りまわって、「来襲」の前日の夕方、私の耳に「彼らは明日の午後、確かに皇學館中学に行く」という情報が入ったのである。

7月10日、真夏の昼下がりのことであった。私は、中学の校門から道一つ隔てた向いの草むらに、スーパーで買ったパイプ椅子を置き、一人扇子を使いながら、彼らが来るのを待った。扇子は乃木神社でもらったもので、乃木大将の有名な「もののふは…」の和歌が記されていた。「さて、右から来るのか、左から来るのか?」、どこから来るのか、そこまではわからなかつたので、校門の向かいに座って、どちらから来ても対応できるよう、じっと、アホのように座っていたのである。
 話を聞きつけた何人かの学生が、「先生、一緒に戦います」などと悲壮な顔をして来たが、私は「学生さんは遠くから見物していなさい」と言って追い返した。やがて情報どおり、民団は大挙してやってきたのであるが、私たちが、彼らにどう対処したか?。詳しくは、拙著『いいかげんにしろ日教組』(PHP研究所・平成15年)に譲る…。
 なお、この時、皇學館中学の教頭として、動じることなく彼らとの対応に当たってくださったのが山下久樹氏であった。残念なことに山下氏は、平成17 年2月25日、まだ52歳という若さで病没されている。

 あのころの、こういう「戦いの記憶」なら、私にはいくらでもある。そしてそこには、いつも様々な方々のありがたい支えがあった。ふつうの者なら、それらの「戦いの記憶」をたぐるたび、そういう方々への感謝の思いが心に満ちるはずである。半年前、私は、そういう方々の思いを背負って理事として理事会に望もう、との思いで東京まで出かけた。

 すると、いきなり最初の理事会で、西尾幹二氏は私の面前で、こう発言したのである。「地方の理事は、交通費がかかるから、いらないんだよね」。その時、出席していた「地方の理事」は、私一人であった。忙しい本務の合間をぬって、四時間もかけて私が会議に出席していることを知っていながら、最初の言葉が、なんとそれである。

 ふつうは「遠いところ、どうも…」の一言くらいはありそうなものであるが、そんな言葉は、昔からいる理事の誰からも、ついに一言も発せられなかった。すでに私はその時、「なんか、お呼びじゃないみたいだし、理事とか…引き受けるんじゃなかったなぁ」と後悔したものである。しかし、保守の世界には、そういう「ふつう」ではない人々が、じつは多数生息しているらしい。そのことを、骨身にしみて理解できたというだけでも、この半年の私の「理事体験」は無駄ではなかったかもしれない。

 ともあれ平成13年当時は、たった私立中学一校の採択を取ることでさえ、現場では、これほどの圧力と戦わなければならなかった、ということである。しかも、そんな戦いを「自分の日常生活の場」でやるということが、どれほどの気苦労をともなうものなのか、これは、やった経験のある者にしかわかるまい。
 もっとも、この程度の体験なら、地方の現場で奮闘されてきた方々なら、いくらでもお持ちであろう。もっていないのは、本部の理事たちくらいかもしれない。

 藤岡氏を除いて、採択の現場で指揮をした経験のある理事は、ほとんどいまい。しかし、かりにそういう経験を持っていたとしても、「自分の日常生活の場」以外の場所に、時々出かけて、勇ましげに騒ぎ立てるだけのことなら、じつはそれほど難しいことではない。偉そうなことを言う方々に、ぜひ言っておきたいのは、「自分の日常生活の場」で採択戦をやってみてください、ということである。「そんなリスクは負いたくない」というのであれば、そんな人に「保身に走る教育委員」を責める資格などあるまい。

 結果的に平成13年の第一回の採択戦では、公立の普通中学での『新しい歴史教科書』・『新しい公民教科書』の採択は、「ゼロ」に終わった。全国で一校もとれなかったのである。そんな悲惨な状況の中にあって、三重県は私立二校の採択を勝ち取ったのであるから、普通中学では、なんと全国最高の採択率という結果になった。「日教組王国で奇跡が起きた」と…、そのころの私たちは、ずいぶんと喜んだものである。

 以上は私の小さな経験の、さらに小さなひとコマにすぎない。しかし、その小さな経験があるからこそ、私は全国各地の同志の方々が、扶桑社の教科書の採択のため、どれほどの苦難と、また悔しい思いを味わってこられたのか、想像くらいはつく。つまり、「つくる会」と扶桑社の教科書には、すでに全国の同志の方々の、はかりしれない汗と涙とが染み込んでいるのである。そうであるにもかかわらず、いつまでたっても、「これはオレの会だ」とか「これはオレの教科書だ」とか、また「これはアノ先生の会だ」とか「これはアノ先生の教科書だ」とか…、そんな「私」にとらわれた発想から逃れられない人が、いまだに少なくない。

 それらすべての人々は、私には、まことに「バチあたり」な人々としか見えないのであるが、その「勘違い」に彼らは永遠に気づくまい。気づかせようとする親切な人は、みな逆に憎まれ、「呪われ」てしまうからである。
もしかしたら、そういう人たちは、いい年をして、「感謝」という言葉を、本当はまだ「実感」したことがないのかもしれない。「感謝できるのは強い人」(河合隼雄)というのは、なるほど名言である。

 理事たちとの飲み会に、私も何度か出席したことがある。ところが、印象に残っているのは、西尾氏が頭から湯気を出さんばかりの勢いで、あるいは藤岡氏が目を三角にせんばかりの勢いで、いずれも怒っている情景ばかりである。しかも、お二方とも好物の「つまみ」は、なによりも「人の悪口」らしい…。
 あんな「呪いの宴」のようなものに、もう二度と出席しなくてもよくなった、というだけでも私は幸せ者であると、今は神に「感謝」している。(平成18年5月29日記す)。
もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(11)ー事務局員有志一同の「今回の一連の問題に関する主な問題点(メモ)」ー
【解説】

 種子島前会長の「狂乱の春」についてのコメントが100を越え、どこまで数字が延びるのか分からない状態ですが、そろそろ、連載を再会します。

 今回ご紹介する「事務局員有志一同」の「今回の一連の問題に関する主な問題点(メモ)」は、本年1月16日の理事会で配布されたものですが、その元は昨年の12月7日に書かれ、後に八木会長に提出された「八木会長へのお伺い ― 今回の一連の問題に関する主な疑問点(覚書) ―」(以下「お伺い」)という文書でした。その「お伺い」は、二つの意味で、これまでにご紹介した資料の中でも特に重要なものです。

 一つは、その「お伺い」によって、それまでは事務局の実態に疎く、西尾・藤岡両氏と既に事務局を辞めてはいましたが、付き合いのあった鈴木尚之氏から、「宮崎は事務局を掌握できていない。事務局員からも嫌われている」と繰り返し聞かされていたために、疑いを抱きつつも西尾・藤岡両氏の宮崎排撃の考えに配慮したり、同調したりしてきた八木氏が、事務局員の真意を知って、「コンピューター問題」なるものが虚偽であることを確信し、宮崎氏を事務局長に復帰させようと考える決定打になったことです。つまり、八木氏が事務局長問題に対する態度を変えたのは、西尾「顛末記」が言うように外部からの圧力に「おびえた」からではなくて、事務局員の言葉によって真実を知らされたからだということを、この資料は物語っているわけです。

 もう一つは、事務局員有志が、この「お伺い」を示し、事務局の窮状を訴えて、宮崎氏に事務局への復帰を要請したということです。「円満退職案」を示された宮崎氏は、会のためには自分一人が泥をかぶって身を引くことも考えていたそうですが、その事務局員たちの態度に打たれて、彼らの思いに応え、彼らを守るために、たとえ自分は傷ついても西尾・藤岡両氏と対決しようと決めたといいます。この経緯が分かれば、「宮崎は事務局長の地位にしがみつこうとして騒ぎを大きくした」などという批判が的外れなこことは明かでしょう。この問題に関して、すでにいろいろなところで言われている考察ですが、心に邪念が多い人ほど、自分の姿を他人に投影して、驚き、おびえ、怒り、そして攻撃するもののようです。

 さて、この「お伺い」が書かれた経緯は以下のようです。

 昨年11月18日の緊急臨時理事会で宮崎氏処分案が継続審議になった後、執行部は12月1日に予定されていた理事会を急遽中止し、宮崎氏の「円満退職案」(「執行部告知」は凍結し、名誉は回復するので、事務局長のままで退職してほしい)を決定し、それについての了解をえるために伊藤哲夫氏に会っています(藤岡、八木、遠藤、福田。西尾氏は別の場所で待機し、伊藤氏との後に、執行部と合流しています。この時、西尾氏から「神社右翼、宗教右翼を追い出せ。追い出す時は徹底的に侮辱しろ。そうすれば、もう帰ってこなくなる。小林よしのりの時もそうした」との発言があったことは既に紹介した通りです。)。

 宮崎氏の「円満退職案」を理事会にも諮らずに、裏で伊藤氏に了解を取り付けに行ったのは、伊藤氏が宮崎・新田・内田・勝岡を束ねる陰のリーダーで、伊藤氏の了解さえ取り付ければ、宮崎も内田たちも大人しくなるだろうと邪推したからのようです。

 この伊藤氏との話し合いの結果、伊藤氏から「円満退職案」への了解をとりつけることができたと考えた執行部(後に伊藤氏はそんな同意はしていないと主張している)は、12月7日に宮崎氏に「円満退職案」を示しました(藤岡、遠藤、八木)。それに対して、宮崎氏は、12日までに回答すると答えたそうです。宮崎氏に対して、遠藤氏が説明した円満退職案決定の理由は「宮崎氏が弁明書を全理事に送ったことによって執行部との間に抜き差しならない不信感が生じたため」ということだったそうです。

 宮崎氏との会談を終えた後、執行部三名(藤岡、遠藤、八木)は、事務所に出向き、「宮崎氏は円満退職する。これは伊藤哲夫氏も了解している」旨を伝え、八木会長が藤岡副会長に「事務局長代行」の辞令を発しました。

 この時、事務局員からは「コンピューターのことは、いつも扱っている自分たちが一番よく知っている。ちゃんと稼働しているのに、どこが問題なのかを説明してくれ」「問題があるというなら、事務局長だけを辞めさせるのはおかしい。執行部と事務局全員が責任を取って辞めるべきだ」などという批判が相次いだといいます。しかし、宮崎追放しか頭にない藤岡・遠藤両氏は聞く耳は持たないかったといいます。

 そこで、その夜、事務局有志が集まって書き上げ、事実を正確に理解してもらうために八木会長に提出したのが、「お伺い」なる文書で、事務局員達の言葉を直に聞いて、「コンピューター問題」についての疑惑を深めていた八木氏は、この文書によって決定的に目を覚まされたのだそうです。

 他方で、事務局有志は、その夜、宮崎氏に電話をかけて「円満退職」についての真意をただすとともに、「事務局の大半は宮崎氏に辞めないでほしいと考えている」旨と伝え、翌日も、宮崎氏に会って、その「お伺い」を示して、事務局の窮状を訴え、事務局へ復帰することを強く求めたのでした。
 この事務局員たちの願いを聞いて、最終的に、宮崎氏は、西尾・藤岡両氏と対決する決意を固め、12月9日、八木会長に電話して、円満退職には応じらない旨を伝えるとともに、藤岡氏と対決するために事務所に乗り込んだのです。

 なお、この「お伺い」が、1月16日の理事会で配布された時には、「今回の一連の問題に関する主な問題点(メモ)」と名称を変え、12月7日以後の出来事を付け加えるとともに、有志一同が自主的に出したものではなくて、八木会長の質問に答えたという形に書き変えられました。それは、後にご紹介しますが、当時、事務局員たちは藤岡副会長による激しい文書攻撃にさらされており、彼らが自主的に書いたものだということになると、さらに、彼らが藤岡氏から攻撃されることが予想されたからでした。


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今回の一連の問題に関する主な疑問点(メモ)

新しい歴史教科書をつくる会 会長
        八木 秀次 様

 1月10日、八木会長より今回の一連の問題に関して、事務局員は一体どのように認識しているのか、その疑問点などについて急ぎ聴取して、メモ程度としてまとめて提出してほしい、回答者の名前などはあえて出さなくて良い旨の指示がありました。
 そこで如何に記して提出いたします(1月13日記)。
                                          事務局有志一同

○ コ社を「豊田商事」呼ばわりする富樫文書の表現は、「事実誤認であり、きわめて不適切な表現」であると、12月7日(水)の事務局での執行部と事務局員との懇談会の場において手きびしく執行部は批判をされました。その富樫監事は未だにコンピューター問題調査委員会に所属して活動しているのでしょうか。先日、監事として辞表を提出されたと聞きますが、コンピューター問題調査委員としては解任されたのでしょうか。

○ 富樫監事は経理上の問題について明らかに間違った告発をしました。明白なる「事実誤認」を犯し「きわめて不適切な表現」の文章を理事に送付するような富樫監事に、公平で、適正な判断が下せるとは思えません。

○ 藤岡副会長は富樫文書については厳しく批判しておきながら、「富樫監事はコンピューター問題の委員ではない」と12月7日に発言されましたが、それは明らかな「事実誤認」です。10月31日付けの事務局再建委員会が出した文章に「富樫」委員の名前が明記されています。執行部および再建委員会が「解任」したとは未だに聞いておりません。あるいは藤岡副会長が12月7日までに解任したのでしょうか。それならば手続き上、きわめておかしな事態になるのではないですか。

○ このようにコンピューター問題調査委員会は、富樫監事という「不適切」な人選を行い、富樫委員に「事実誤認」の状態のままコンピューター問題の追求を続行させ、その結果として富樫監事が「不適切」な文章を理事に送付する事態にまで立ち至ったという責任があります。それを正式に委員から解任することもせず、しかも藤岡副会長のように、「富樫監事はコンピューター問題の委員ではない」などと発言をされるのは、一種の言い逃れであり、責任逃れでしかありません。富樫監事が同委員である事実を意図的に隠蔽することで富樫文書の責任から免れようとする行為ではないですか。これは執行部のメンバーの言動として軽視してよいものでしょうか。

○ コ社を「豊田商事」呼ばわりする富樫文書の表現について、藤岡副会長も12月7日に「事実誤認であり、きわめて不適切な表現」だと厳しく批判されていましたが、しかし、11月25日(金)における藤岡副会長の事務局員への説明では、コ社の対応を「耐震偽造マンション問題」になぞらえる発言をして、平岡ユリ子氏から「それはどういう意味ですか」と問い詰められていました。コンピューター問題に関する藤岡副会長の発言は矛盾しすぎていませんか。

○ コ社を「豊田商事」呼ばわりする富樫文書が「事実誤認」「不適切」であるならば、故意に「偽造マンション事件」になぞらえた藤岡副会長の発言も「事実誤認」「不適切」なものになり、富樫文書だけが批判されるのは不公平な扱いになります。藤岡副会長の発言は批判されてしかるべきではないですか。

○ 藤岡副会長は富樫監事と同じコンピューター問題調査委員会のメンバーとして行動を共にし、同類の失言を犯し、しかも富樫監事は「委員ではない」などと明白な「事実誤認」を公言して責任逃れをしているのですから、富樫監事だけが批判されたり処分されたりするのは明らかな片手落ちではないですか。

○ また、藤岡副会長は12月7日にも富樫文書に関して「当たっているところもある」と発言されましたが、これも11月25日に「偽造マンション事件」云々という発言と連動するものなのでしょうか。どこが「当たっている」のか、明らかにしていただけないものでしょうか。

○ さらに、「偽造マンション事件」になぞらえる発言をしておきながら、12月7日には藤岡副会長は「コ社の平岡さんの発言は首尾一貫している」、「きわめて誠実に対応している」、「平岡氏は善意でやってくれた」などと、前言と明白に矛盾する発言をしています。どちらが藤岡副会長の本当の真意なのでしょうか。

○ 矛盾する発言を事務局員の前で繰り返す藤岡副会長は、こうしたコンピューター問題の調査という微妙な問題に関して今後も調査する委員にふわさしい人選といえるのでしょうか。富樫監事だけでなく藤岡副会長にも相当の処分があるのが当然ではないですか。

○ 12月7日、遠藤副会長と藤岡副会長は、11月16日付けで宮事務局長が理事にあてて提出した反論文について、「全面的に反論できる」、「デタラメ」だと酷評されましたが、一体どのように「デタラメ」であると「全面的に反論できる」のでしょうか。是非お教えいただきたい。

○ 両副会長のコンピューター問題に関しての宮事務局長批判は、事務局員の間からも多くの反論が続出しましたが、このように事務局のメンバーですら全く説得できない議論が、果たして理事会などで承認されるものなのでしょうか。また、外部の人間がこんな話を耳にしたならば、「つくる会」に対して一体どのようなイメージを持つでしょうか。

○ 宮事務局長を擁護しているといわれる伊藤哲夫先生(理事待遇)と、執行部との間で12月1日に会見が行われ、伊藤先生は執行部側の説明に「納得」したとの藤岡副会長からの発言が12月7日にありましたが、それは本当でしょうか。しかし、事実は全く異なるという話を聞いております。

○ また、宮崎事務局長に対しては遠藤・藤岡副会長は「円満退職」、「宮さんの名誉を守る」、「大人の対応」などの方向で話が決着するであろうとのお話し振りでしたが、それは実情とは余りに乖離した途方もない発言ではないですか。これでは、事務局員に対してこの問題に関して著しく誤ったイメージや予見を与えたということになりませんか。これは意図的な虚偽報告ではありませんか。

○ 藤岡副会長は、宮事務局長が「理事会への説明責任を果たしていない」、「理事会は正しい指示をしているが、宮さんはそれを守らず、肝心のことについては『記憶にない』という」、「具体的な問題についてあいまい」、「背景についての説明がなかった」、「理事会にだけ責任があるといっている」などとして12月7日に宮事務局長の責任を追及していました。つまり、結論的に宮事務局長の理事会に対する「不作為」、ネグレクト、理事会への「責任転嫁」などを問題にしていましたが、それは、それ以前の11月12日付け事務局再建委員会「会員管理システム問題にかかわる調査報告書」の「総括」の一体どこに相当するのですか。調査報告書や緊急理事会での説明と比較すると、批判の論点があまりにも変化しすぎていませんか。

○ 理事会に対する数々の宮事務局長の「不作為」は「懲戒」に相当する旨の発言が12月7日に藤岡副会長からありましたが、それも調査報告書の「総括」と一体どのような関係があるのでしょうか。藤岡副会長の個人的見解なのですか。

○ これらは、調査報告書の信頼性に対して疑惑が生じてしまうような発言ではないですか。時間の経過とともに論点がズレていくような批判というのは、公的な場で個人を批判し処分しようとする手法としてはきわめて不適当であり、「事務局再建委員会」のメンバーとしてはたして相応しい行為だったのでしょうか。

○ コンピューター問題から宮事務局長を批判する手法はすでに破綻しておりますが、それが破綻した責任は、本当は一体誰にあるのですか。すぐに破綻するような批判点を正式に提出し、宮事務局長を休職にまで追い込み、理事会や事務局などを混乱に陥れた真の責任は一体誰にあるのですか。これらに対して何の処分もなく終わってしまってよいものなのでしょうか。会の内外の眼が気にならないのでしょうか。

○ 宮事務局長の文書によると、「本決定については理事会の承認を受けるが、執行部としては承認されない場合は総辞職する決意である旨」を伝えられたとありますが、次の理事会で宮事務局長の処分に関する「執行部決定」が承認されない場合、執行部は「総辞職」するのでしょうか。それとも事情が変化したので、執行部の特定の方が責任をとられて「辞職」されるのでしょうか。

○ コンピューター問題よりもさらに重要な問題は、今回の採択の「敗北」結果に対する責任ですが、この場合、採択本部長たる藤岡副会長が最高責任者となりますが、その藤岡本部長のそうした結果責任について何ら追求の声が挙がっていないのはなぜですか。コンピューター問題では、事務局長を休職させ、これだけ騒いで大混乱を招いたのですから、最も重要な問題である採択の結果責任についてはさらに厳しい責任追及がなされてしかるべきですが、なぜ少しも問題にならないのですか。コンピューター問題だけを突出して綿密に調査するのは、最も重要な採択問題の責任をあえて回避する隠蔽工作なのではないですか。

○ また、採択の責任を明らかにする調査委員会の中に藤岡副会長がご自分で「入る」と12月7日の懇親会で発言されていましたが、採択の最高責任者が自分自身の責任を調査し審査するというやり方はおかしくないですか。コンピューター問題に関しては宮事務局長や田村さんを完全に外したように、藤岡副会長は採択の責任調査や審査から外れるべきではありませんか。

○ 杉並および東京都下の採択に関しては藤岡副会長とY氏にすべて任されていたのですから、調査をするならば、まず両氏の責任から明らかにすべきではありませんか。

○ 宮事務局長の解任問題について、11月前後にT夫人が河村ユリ子さんから聞かされたということですが、これは誰が洩らしたのですか。外部への情報漏洩ですから早急に調査して防止するべきではありませんか。

○ さまざまな会合で濱田氏が次期事務局長として紹介されていたとのことですが(八木会長も濱田氏が関係している「日本経済人懇話会」でそうした話を聞いたとのこと。またM氏も知人から同様の情報を得ているとのこと)、誰がそんな情報を流したのでしょうか。

○ 理事会等で承認される前から当会の人事に関して故意に情報を流す、しかも非常に不正確な情報を流すなどということは、守秘義務違反であり一種の情報リークや情報操作であることはもちろんのこと、理事会の権威を著しく傷つける行為であり、理事会の権限を不当に軽視する行為ではないですか。

○ 藤岡副会長は日ごろタクシーを愛用され、パスネットも1万円分を一度に請求されるなど高額な交通費を請求されることがしばしばありますが、かつて「100万円以上」ものタクシー代を一度に請求されたことがあり、宮事務局長に支払いを拒否された経緯があると聞いています。その高額の支払い請求については、理事会に「報告」され、「承認」を受けたのでしょうか。また、その実情や経緯について詳しくお教えいただきたい。

○ 茨城支部総会において藤岡先生は20分の事情説明を行うところを40分に延長させ、2万円の出張費の予定だったのに10万円の講演料を請求したと聞いていますが、それは事実ですか。事実であるならば、それは当会の副会長や役員としてふさわしい行為といえるのでしょうか。他の理事の先生の報酬額とあまりにも格差がある請求額ではないですか。

○ 藤岡副会長は採択に関して「10パーセントは無理でも、少なくとも1パーセントは取れたはずだ。1パーセントも取れなかったのは事務局の責任だ」と、九州ブロック会議や10月31日での事務局での説明で発言されていました。しかし、全国の採択資料の収集すら未だ進んでおらず、採択結果に関して調査が不十分な状態であるのは誰の目にも明らかなのに、藤岡副会長は一体何の根拠をもって事務局の責任で残りの0,6パーセントが取れなかったと判断されたのですか。どの地域と、どの地域に、どのような行動をすれば一パーセントに届いたのか、具体的に詳しく明らかにしていただきたい。

○ もしも、周囲を十分に納得できる説明ができなかった場合には、これは採択本部長として説明責任を果たしておらず、その適性を疑うほどの著しい認識不足であり、事務局に一方的に責任を転嫁しようとする問題発言ということになります。副会長として責任問題になるのは仕方がないことではないですか。

○ 濱田事務局次長は、上司である宮事務局長に対して明らかな「虚偽報告」をしております。これは、八木会長の声明に対する12月15日付けの内田理事らの二度目の声明文に関して、執行部ではなく藤岡副会長だけに他の事務局員に分からないように密かに送付しておきながら(後に西尾名誉会長の平岡氏への電話でこの濱田氏の虚言が発覚する)、12月20日、宮事務局長からこれを問責されると、「どこにも出していない」などと平然と虚言を述べました。宮事務局長が背景を説明し、「ウソをつくな」と一喝すると、ようやく事実を認めて陳謝しました。

○ 濱田氏のこの虚偽報告は上司に対する背任行為であることはもちろんのこと、事務局全体にも一種の不穏な空気を醸し出してしまいました。すなわち、濱田氏が藤岡副会長などに対して事務局員の日常について密かに情報を流している内部の密告者であることが明らかになったからです。こうした密告まがいの内部調査のような権限を藤岡副会長は濱田氏に特別に与えていたのでしょうか。藤岡副会長にそのような権限があるのでしょうか。

○ 上司に追及されても平然と嘘をつく濱田氏により、上層部や外部に密かに流されてきた事務局内部の情報が正確であるとは限りません。むしろ、他の事務局員に確認を取っていない密告なのですから、情報内容が不正確である疑いが濃いことはもちろん、上司に向かって平然と虚言を述べる濱田氏ですから故意に虚偽の情報を上層部に密告し、それが多方面に流れてしまった疑いすらあります。

○ 事務局員は3月に一斉に解雇され、審査のうえ再雇用が検討されるという微妙な立場にあります。こうしたおり、特定の事務局員に対して著しく不利な情報や虚偽の情報が流されてしまうと、個々の事務局員の立場は非常に苦しくなります。また、事務局員同士が疑心暗鬼におちいり、協力関係を作ることができなくなり、余計な業務の停滞を招いてしまいます。こうした深刻な相互不信の事態を招いた濱田氏の行為は、事務局次長の要職としてきわめて不適当な行為であると非難するしかありません。また、事務局長昇格はもちろん事務局次長としても不適格という見方が執行部や理事の中にあると聞いていますが、それは本当のことでしょうか。

○ また、富樫文書という「不適切な表現」の元になった情報はいったい事務局の誰が富樫監事に伝えたのでしょうか。事務局員が富樫文書に抗議する意味で提出した「執行部へのお伺い」の文章に署名しなかったのは、濱田氏と丸山氏だけです。濱田氏は文面が作成される前から署名を「遠慮する」と言われ、丸山氏は「お伺い」の文面を一瞥することすらなく、「直接には一切関わりたくない」と述べて署名を拒否しました。

○ こうした疑惑の人物・濱田氏を突然に事務局次長に就任させ、次期事務局長に据える密約を交わし、事務局内の情報について密告させるようにしたのは一体誰なのでしょうか。また、丸山氏からも同様の密告を受けている方が上層部にいるのでしょうか。さらにいえば、上層部の方々にこうした権限が本当に与えられているのですか。どのような密告がなされたのか、情報を速やかに開示していただけませんか。その情報の真偽について検討していただけませんか。虚偽の内部密告でないかどうか検証すべきではないですか。

○ 濱田氏はすでに執行部から事務局長に就任させない意向を告げられたと聞いておりますが、こうした背任行為や密告まがいの言動をとっている濱田氏に対しては、重ねて厳重に注意をしていただくよう伏してお願いするとともに、そうした濱田氏をリクルートし、こともあろうに密告に使っていた上層部のある特定の方に対しても、事実関係を明らかにした上で、厳しく責任を追及していただくようお願い申し上げます。これは事務局の責務を果たそうと努めているものとして当然のお願いではないでしょうか。

○ 先日、藤岡副会長は同「副会長」「事務局再建委員会委員」の名前で福原氏の12月5日の発言について、特定の事務局員だけ(福原・土井・的場・高橋氏)にあてて「質問」のFAXを事務局の勤務時間中に送付されました。しかも12日正午までに文書で回答するように、という随分と急な「質問」でした。再建委員会は解散したと聞きますが、執行部や理事会など上層部ではこうした「質問」についてどのようにお考えですか。こうした「質問」を勤務時間中に出す権限が副会長にあるのでしょうか。

○ そもそも事務局再建委員会ができるきっかけとなったのは、事務局員が八木会長の指示で会長に提出した「提言書」が原因ですが、あの「提言」が今後の会の方針に僅かでも活かされるというよりも、宮事務局長の休職や解任問題へのきっかけとなったことは、事務局員にとって非常に不本意な使われ方をしたという疑念はぬぐえません。

○ 12月7日の執行部と事務局での懇談で、福原氏が「丸山氏は辞めたい、辞めたいと何度となく繰り返しており、一日でも早く止めたいと先日も言った」との趣旨の発言をしましたが、藤岡副会長は「丸山さんが何時辞めると言いましたか。いい加減なことを言わないで下さい」との意味の言葉で福原氏を非難されました。しかし、明白な事実誤認を犯しているのは藤岡副会長の方です。丸山氏は辞めたい、辞めたいと、事務局会議の場であってもところ構わず発言しており、これは事務局の誰もが聞いております。あまりにも明白な事実誤認であるので、誰も抗弁する必要を認めなかったようですが、丸山氏が「退職」の意思を見せていることは藤岡副会長もご存知であることは、11月12日付け事務局再建委員会「会員管理システム問題にかかわる調査報告書」にも「…丸山事務局員は退職を決意」、「丸山事務局員より藤岡副会長に退職の挨拶」と書かれている通りです。

○ 事務局員がはっきり聞いているところでは、丸山氏は日ごろから「採択までに辞める」、「採択が終わったら辞める」、「10月には辞める」、11月のある事務局会議では「私ももう辞めたいね~。一日でも早く辞めたい。こんなところ早く辞めてしまいたい」との発言をしたことすらあります。最後は事務局会議の席上での公的な場での発言ですから、その投げやりな態度、無責任をきわめる発言内容には、他の事務局員は呆れ果てるほかありませんでした(宮事務局長は休職中)。事務局の問題に関して「いい加減なことを言」っているのは丸山氏を擁護し福原氏を批判する藤岡副会長の方ではないでしょうか。

○ この1月6日に発生した事務局のコンピューターの「バグ一件」について、丸山氏は宮事務局長よりも先に藤岡副会長に報告し、10日、田村氏がコ社と交渉した結果、すみやかに解消したことについても、事務局長や八木会長ではなく藤岡副会長に報告したことが既に判明しております。これが事務局員としての取るべき態度でしょうか。

○ 上記の件について、丸山氏は翌朝の事務局会議でいつものように実に素っ気ない短い報告をし(藤岡副会長に報告したことなどは何ら話さなかった)、あまりの無内容さに平岡氏から「内容」について説明を求められましたが、それでも詳細に説明しようとはしませんでした。藤岡副会長に急いで報告するのもおかしな話ですが、それを他の事務局員にあえて隠すというのはさらにおかしな態度ではないですか。

○ コンピューター問題とは、そもそも丸山氏が藤岡副会長に「問いただ」されて「危惧を報告」したことから始まりました。大問題に発展した原因の当事者であるにもかかわらず、この「バグ」については、事務局員に対して不貞腐れた他人事の無責任な態度を見せました。余りにもおかしくないですか。

○ にもかかわらず、先日の事務局会議では、福原氏が藤岡副会長からの「質問」状に関して報告をしていた話を、丸山氏はたいへん熱心にメモを取っていました。自分の重要な業務については無責任な報告内容や態度に終始するのに、特定の事務局員の特定の発言内容についてだけは詳細にメモを取る。事務局員として本末転倒の勤務姿勢であり、これでは日ごろから他の誰かに報告するため熱心にメモを取っていると推測されてしまうのは当然の行動ではないですか。

狂乱の春—「つくる会」会長職2ヶ月   種子島 経
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種子島前会長、まもなく登場! 驚愕の手記、16000字、一挙掲載! 乞うご期待!
もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(10)
【解説】
 11月18日の理事会では議論の末、宮崎事務局長処分問題は次回12月1日の理事会へ持ち越されました。ところが、12月1日の理事会は理由も示されないままに中止され、さらに12月7日には私たちの知らないところで宮崎氏が執行部から退職を勧告され、しかも、本人の返答も待たずに、執行部は事務局に赴いて「宮崎事務局長は辞めることになった」旨を公言し、藤岡氏が「事務局長代行」なる立場で事務局長業務を始めるという事態が起こりました。

 これによって、「コンピューター問題」は宮崎解任のための謀略ではないかという私たち疑念は、確信に近いものになりました。事態がここまで来てしまった以上、一人一人がバラバラに意見を言っていても無視されるだけなので、まとまって物を言った方がいいと言う提案が内田理事からあり、彼が文書を作成して、心当たりの理事に声をかけてくれました。こうして八木会長宛に出されたのが、(資料1)「六理事要望」と(資料2)「四理事声明」です。

 西尾氏は、それまでの経緯を隠した上に、さらに「六理事要望」も無視して、意図的に「四理事声明」だけを強調するというやり方で、「四理事」「四人組」という「異質の集団の介入、問答無用のなじめない組織的思考、討論を許さない一方的断定、対話の不可能という現象」を演出したのです。
 これまで、私が紹介した資料を御覧いただいた皆さんには、3月7日付「『つくる会』顛末記」の次の言葉が、全く事実を転倒させた欺瞞に満ちたものであることをお分かりいただけると思います。
「まず最初に四人組が組織と団結の意思表明をしました。全共闘的な圧力で向かってきました。そこで反対側にいるひとびとは結束し、票固めをせざるを得なかったのだと思います。(中略)組織的圧力がまずあって、ばらばらだった反対側があわてて組織的防衛をしたというのが[八木会長解任の]真相でしょう。」

 繰り返しますが、私たちは何の前触れもなく唐突に団体行動に出たのではありません。、理事会で継続審議となっている問題について、執行部が宮崎氏を自主退職に追い込むという裏工作までしていることを知り、そのような理事会無視を押し止め、理事会での話し合いによる決着をはかるためには、もはや個々人が良識的な意見を言っているだけではダメだと判断して、連名の文書を会長宛に出し、会長を通じて他の理事にも私たちの考えを伝えていただこうとした。ただそれだけのことなのです。

 したがって、ここであらためて、「突然の挑戦状」「異質の集団の介入、問答無用のなじめない組織的思考、討論を許さない一方的な断定、対話の不可能という現象」「全共闘的な圧力」などと表現が虚偽であったことを西尾氏が認め、訂正し、謝罪することを求めたいと思います。


   ☆   ☆    ☆

●(資料1)「六理事要望」
                            平成17年12月12日
新しい歴史教科書をつくる会
会長 八 木 秀 次 殿

             理事会召集の要望

理事 内 田   智
理事 勝 岡 寛 次
理事 高 池 克 彦
理事 高 森 明 勅
理事 新 田 均
理事 松 浦 光 修

前略 会長におかれましては国事多難の折り、会務に御精励を頂き誠にありがたく存じます。

第84回理事会(平成17年10月28日)の開催後、同年11月12日付けで「執行部告知」が発せられ、同月14日付け緊急理事会招集によって同月18日に「緊急臨時理事会」が開かれました。同理事会においては、執行部告知についての理事会承認は“保留”とされ、既に決定済みであった12月1日の定例理事会において宮崎事務局長のみならず伊藤哲夫氏や高橋史朗氏らの出席も求めたうえで採択戦の総括を踏まえて議論を尽くし、透明性の高い今後の会活動に向け事務局体制に関する重要問題を決着すべきことになっていたと存じます。

 しかるに11月25日付「理事会開催延期のお知らせ」により理事会延期が発せられ、その後、全く理事会開催のための連絡が参りません。この間、各理事には富樫監事から緊急臨時理事会での発言をさらに補足する見解が直接に表明されました。一方、理事の中には今回の採択戦についての適切な総括を求める声や、諸団体との緊密かつ友好的な運動体制の構築等についての事務局長人事の重要性についての意見もあり、いずれにしてもできるだけ早急に理事会を開催し、これらの諸課題を十分に議論して事務局体制を整え、迅速に円滑な会の運営を図ることが多数の会員からの付託を受けて理事に就任している者の務めであると存じます。

 そこで我々理事は、会則第11条による会長の理事会召集を促す要望を行います。
 宜しくお取りはからい頂き、なるべくすみやかに理事会が開催されますようにご要望申し上げます
                                    草々

   ☆    ☆    ☆

●(資料2)「四理事声明」
                            平成17年12月 12日
新しい歴史教科書をつくる会
会長 八 木 秀 次 殿

  事務局長人事をめぐる執行部対応への抗議及び経過説明等の善処を求める声明

                            理事 内 田   智
                            理事 勝 岡 寛 次
                            理事 新 田   均
                            理事 松 浦 光 修

前略
 会長に対しましては、先に我々4名の理事を含む6名の理事から「理事会召集の要望」を発しております。

 我々理事4名は、今回の事務局長人事をめぐる執行部の対応に関して抗議し、会長に対してこれまでの経緯の問題点に関する説明を含めて善処を求めるものです。

 我々が聞き及んでいるところによると、12月7日に執行部と事務局長が面談し、執行部から事務局長に対し、①11月12日付「執行部告知」を凍結し名誉を回復するから、②事務局長自らが円満に会から離れる形をとって欲しいと要望し、③事務局長はその場での即時回答を保留した(12月9日に会長及び藤岡副会長へ拒否を回答した)。④ところが執行部は、事務局長からの回答前に事務局に赴いて「宮崎事務局長は辞めることになった」旨公言し、⑤藤岡副会長は事務局長の席を整理して「事務局長代行」なる立場で事務局長業務を開始した(12月8日)とのことであります。⑥そして、事務局長による拒否の回答に対応して、藤岡副会長は一転、「会長補佐」職なる新たなポストを宮崎氏のために用意したらどうかという提案を八木会長にした(11日)とも聞いております。
1、しかしもともと11月18日の「緊急臨時理事会」においては、“採択戦の総括”の ためにはこれまでの運動の詳細を知り、関係諸団体との交渉経緯等も最も承知している 宮崎事務局長を現段階で退任させるのは不当であり、現下における会の急務は、正確な 採択戦の及び運動の総括である旨の理事の意見があったはずです。何故、12月1日の 定例理事会(多くの参加者のもとで徹底的な議論をするはずであった)の日程につき理 由も不明確なまま変更したうえで上記のごとき極めて不明朗な対応をとられたのですか。
2、そもそも「執行部告知」なるものは“罪刑法定主義”(法の不遡及)に反するもので あって、被用者に対する違法な懲戒処分(減給・出勤停止)を労働法の確定した原則に 反して行おうとした不当な処置であるということは理事会で了解されたのではないでし ょうか(高池・内田両理事は法律家の立場として意見を表明しています)。これはまさ に東京裁判の問題点と同じ性質です。まさか我々の会が東京裁判の論理を正当なものと して、本件でも不当な処分をあたかも既成事実として擁護することなどできないはずで す。
  「事務局長代行」なる職の設置は、執行部告知による事務局長への処分を事実上、固 定化し既成事実とするための方策ではないでしょうか。我々はそれに反対します。
3、9月半ば頃から水面下で選考していた“事務局長更迭論”のまさに道具として、“コ ンピューター問題”が取り上げられたことは、理事会でも指摘されました。“損害”な る主張は何ら法的実体を伴わないものです。当時の理事会及び種子島副会長の承認行為 の責任や評価を棚上げにして一方的に導入時の契約に際する不手際という曖昧な問題を 取りあげて、事務局長の不適任性が強調されています。
  これらの言挙げは、まるで南京大虐殺を左翼がでっちあげて日本軍国主義批判を展開 することを想起させます。曖昧に事務局長批判ムードを醸成するために急遽、針小棒大 に意図的な宣伝が流布されているのではないですか。その観点からも慎重に事実を把握 することが必要だという意見が理事会で出されています。
  なおコンピューターについて抽象的かつ一方的な言説(11月30日付富樫見解書) が提出されたことに関して、12月6日付で浜田、丸山両事務員を除く他の事務局員全 員から批判的な質問書を会長宛に提出していると聞いています。
4、要するに上記した執行部による11月18日以降の拙劣かつ言わば一種の謀略的な対 応は、理事会の意見を無視あるいは軽視して社会常識的に見ても到底、妥当とは思われ ないことを積み重ねているものです。このような執行部のもとで、個人の利害関係や思 惑にとらわれることなく日本の歴史の真実を明らかにして立派な国民をつくるという、 良識ある保守的思想を持った国民及び諸団体との円滑な運動が、今後、十分に展開して いくことが果たして可能であろうか、という深い憂念を持たざるを得ません。

 八木会長におかれましては以上の我々理事4名の声明に対して、誠意ある御対応をされますよう切に望む次第です。
草々

もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(9)ー渡辺記者の「回答」ー
【解説】

 昨日の記事で、鈴木尚之氏が、4月30日の理事会で「産経新聞の渡辺記者が怪メールを流したのは『八木、宮崎だと告白した』などという虚偽を述べ立てた」と書きましたので、本日はその理事会で八木氏によって紹介された、渡辺記者の「回答」の関係部分を紹介します。

 この資料は、種子島会長と八木副会長の質問に答えて、その渡辺記者自身が4月3日と6日に藤岡氏に話した内容を記したものです。それによれば、渡辺記者は、怪文書の主体は「八木、宮崎、新田」だと告白したと言えるような証言はしていません。
 西尾先生のブログで大活躍しておられる福地惇教授は、藤岡氏や鈴木尚之氏の証言を鵜呑みにして「一連の『怪情報』は八木およびその近縁から発せられた。これを産経新聞渡辺記者が証言した」と断言しておられます。党派的利害にとらわれると実証主義の教養も無力なものです。福地氏が「藤岡・鈴木の発言を信じたい」とお考えになるのは勝手ですが、せめて、この「回答」くらいには言及した上で、自分の主張を展開されるのが、学者としての公平さではないでしょうか。

 それから、4月30日の理事会では、この渡辺回答をも資料としながら、八木氏が詳細な弁明を行いました。ですから、福地氏が「怪情報」問題について「八木氏らは一言の弁明もできずにそそくさと六名そろって辞表を出して退席したのである」と書いているのも嘘です。
 これは「つくる会FAX通信」173号が、八木氏の本来の「退会の辞」(資料編(2)参照)には「私としては弁明もし」とあったものを、「私としては弁明もせず」と書き換えているように、藤岡氏のグループにはよくみられる資料の改竄、事実の歪曲です。

 ちなみに、藤岡氏の発言では、渡辺記者が証言で上げたとされる名前は「八木、宮崎、新田」でしたが、鈴木氏の発言では「八木、宮崎」で、何故か私の名前はなく、両者の発言には齟齬が見られました。この齟齬についても、福地氏は無視を決め込んでおられます。

 ところで、3月28日の理事会の内容を伝えた、翌日の「産経新聞」の記事を、西尾氏は盛んに「捏造」だと宣伝していますが、その正式な根拠は、「つくる会FAX通信」第170号(3月29日)の次の記事にあります。
「報道された理事会の内容は、憶測を多く含んでおり、『つくる会』本部として産経新聞社に対して正式に抗議しました。とくに、『西尾元会長の影響力排除を確認』『宮崎正治前事務局長の事務局復帰も検討』は明らかに理事会の協議・決定内容ではありませんので、会員各位におかれましては、誤解することの無いようにお願い致します。」
 この一節が「FAX通信」170号の載せられるまでの様子を、私はたまたま当日の朝、事務所に種子島会長と一緒に行っておりましたので、つぶさに見ていました。種子島会長は、「ちょっと困ったな。でも、まぁ、ほっときましょうや」というような態度だったのですが、藤岡氏から「事実無根だ。断固抗議し、FAX通信に載せるべし」といった主旨のファックスが送られて来ると、鈴木氏が藤岡氏の言うとおりにすべきだと強く主張し、産経への抗議、FAX通信への掲載、ということになってしまったのでした。
 この時以降、藤岡氏と鈴木氏は、西尾氏とともに、渡辺記者に、記事の「捏造」、怪メールへの「関与」などのイメージを張り付け、非難を集中するようになりました。

 ついでに書きますと、もちろん理事会の議事には付されませんでしたが、「宮崎氏の事務局復帰も検討されている」という事実は確かにありました。
 種子島氏は、会長就任後間もなく、「コンピューター問題」が藤岡氏らによって捏造された冤罪であったことを知ります。そうなると、八木氏が「自分の名誉を回復するというのであれば、この問題で傷ついて人々、特に、宮崎氏の名誉は同時に回復されなければならない」旨を評議員・支部長宛の文書で明言していたのも「もっともだ」ということになりました。そこで、種子島・八木両氏の間で、宮崎氏の名誉回復と今後の新構想推進のために、宮崎氏を何らかの形で復帰させる案が検討されはじめたのです。ただ、この事実は、極秘とされました。
 決して自らがしかけた謀略を認めて反省しようとはしない藤岡氏や、藤岡氏の謀略に乗せられてしまったことが恥ずかしくて認められず、自分に恥をかかせた宮崎氏を逆恨みしている理事が多数をしめているのが理事会の現実だったからです。この現状の中で、謀略体質の理事や面子にこだわる理事たちを押さえて、どうやってスムースに八木新体制へ移行させるのか。種子島会長は深く悩まれたと思います。
 こういう状況の中で、事前取材や資料の読み込みによって、渡辺記者にあのような記事を書かれてしまったのですから、種子島氏が「困ったな」と思われるのは当然ですし、藤岡・鈴木氏とは違った意味で、「FAX通信」170号を出さざるをえないと判断されたのも理解できます。

 なお、この資料によって、藤岡氏が、種子島会長に無断で理事会のテープを渡辺記者に聞かせた(外部に公開していた)という事実が明らかとなりました。藤岡理事は、この他にも会長に無断で新理事の人選を進めるなどの越権行為におよんでいたわけですが、今の「つくる会」理事会では、このような行為も問題なしと認められているようです。したがって、私たちが弁明のために理事会の議事録やテープを公開することも当然に許されることなのでしょう。特に、西尾氏が『サピオ』で公然と理事会の内容を「歪曲」「捏造」しておりますので、その意味でも議事録の公開、場合よってはテープの公開も、避けられない情勢となってきたように思います。

 最後に、渡辺記者が藤岡氏に「謝罪」したと聞いて、私が次のような文句を彼に言ったことを付け加えておきます。
新田「あなたは、藤岡氏の共産党離党は平成13年だった、と記事に書いたんですか?」
渡辺「そんなことは書いてません。」
新田「それでは、平成13年と信じたことが、何か記事に影響を与えたんですか?」
渡辺「何も影響を与えてません。」
新田「じぁ、何で藤岡氏に謝ったんですか」
渡辺「ただ、根拠がはっきりしないのに信じてしまったことを申し訳ないと思って・・・」
新田「そんなことを何で謝る必要があるんですか。単にあなたの内心だけの問題でしょう。それを他人からとやかく言われる筋合いはないでしょう。そんなお人好しだから、揚げ足をとられて、“捏造記事を書いたことを謝った”とか、“謀略に加わったことを謝った”とか、宣伝されてしまうんですよ。もっと、面の皮を厚くしてください。そうでないと、私たちが迷惑します。」


   ☆      ☆      ☆

種子島会長様、八木副会長様

お尋ねの件について回答致します。

【藤岡理事にお話ししたこと】

 [4月]3日午後に藤岡理事と池袋でお会いしました。(中略)私がいわゆる「平成13年文書」に触れたところ、藤岡理事は「お前それを信じたのか」と激怒し、私が「はい、信じました」と答えると、さらに「私に対する最大の侮辱だ。私の行動を見ていて嘘と分からなかったのか。このことは一生忘れないからな!」と言葉を荒げましたので、「本当に申し訳ありません」と誠心誠意謝罪致しました。
 私が間接的に聞いた話では、公安調査庁のデータベースは「平成13年」となっているが警察庁ではそうなっていないという情報があり、ご本人が否定している以上、公安調査庁のデータが間違っているのかもしれないと思い、お詫びするしかないと思った次第です。この文書の内容については西尾氏が弊社の清原会長と住田社長に電話で話して藤岡理事を非難したという経緯もあり、私は「社内で流れている情報も責任を持って訂正します」と約束しました。

 「最初に誰に見せられたのか」「これと同じものか」との質問もありましたが、最初に情報に接したときのことはよく覚えていません。藤岡理事が持っていたものは「警察公安情報」と書かれていましたが、公安調査庁のデータがそうなっているという情報に接していたので、「『警察』の部分は違うような気がする」と答えました。しかし記憶は定かではありません。元々の発信源について藤岡理事は、つくる会とは関係ないある国立大教授(賛同者には名前があるようです)を挙げましたが、私は「彼がそういうことをしますかねえ」と答えました。「いずれにせよ、今後は不確かな情報が流れないよう各方面に呼びかけます」と約束しました。

 3月29日付記事についての抗議もいただき、「鈴木[尚之]さんと3人で理事会の録音テープを聞いてほしい」との申し出がありました。
 その日の夜に藤岡理事にメールを送り、①「13年問題」を信じたことへの謝罪②今後は不確かな情報が流れないように各方面に呼びかける③産経社内の情報も訂正する④教育正常化に命を懸けるー旨を改めてお伝えしました。

【高池理事への電話】

(中略)

【理事会の録音テープ】

 [4月]6日午前、藤岡理事から電話があり、理事会の録音テープの準備ができたので午後に自由主義史観研究会の事務所に来てほしいとのことでしたので伺いました。鈴木氏はいませんでした。部外秘であるテープを聞いていいのかどうか迷いましたが、新聞記者として事実を知りたいと思い聞きました。録音してもいいとのことでしたのでICレコーダーで録音させていただきました。議事録も拝見しました。そこで判明したのは以下の事実です。

 種子島会長が提起した「会長方針」の中で何度も「執行部の判断が創業者の圧力に影響された」「圧力を排除しなければいけない」と強調し、「圧力を排除する」と読み上げました。会長方針に異論は出ず、了承されています。つまり決定事項です。言うまでもなく「圧力」は「影響力」より強い言葉です。
 終盤の議論で、新田理事が「平成13年文書」に絡めて「西尾先生の動きを止めてもらわないといけない」と切り出し、協議が行われています。これに対し、7、8人の理事から約20の発言がありました。例えば、西尾氏がSAPIOに書こうとしていることについて、藤岡理事が「(書かないよう、会として)事前に警告を出すことはできないか」と述べています。高池理事は「実際にやったら会長が注意することにしよう」と応じました(高池理事は少なくとも5回発言していますが、いずれも「西尾さんに影響を受けない。何かあったら抗議しよう」という趣旨です)。田久保理事が「党歴問題は西尾さんが原因ですか?」、福地理事が「西尾先生は正しいことも言っている」という趣旨の発言をしていますが、大勢としては影響を受けないようにしようという議論になり、最終的に「西尾先生に振り回されないということでいいですね」という合意がなされています。
 抗議のもう一点「宮崎前事務局長の事務局復帰」について私は、その時点ではそういう検討がなされており、記事の中では理事会の議論とは区別して書いたと藤岡理事に説明しました。実際に雇用されたかどうかは「雇用されていれば給与が支出されているでしょう」と話しました。

 「平成13年文書」以外の文書も見せられましたので、「不確かな情報が流れないよう各方面に呼びかけます」と改めてお話しました。「各方面」とは「平成13年文書」を話題にした社内外の数人であり、「あの情報について藤岡先生は否定している。確認できない情報には気をつけよう」と訂正することしか私にはできません。

 先に述べた通り、3月29日付記事は誤報でないことが判明しました。訂正記事を出すとすれば「『影響力』ではなく『圧力』でした」ということになります。しかし私はあえてそれを主張するつもりはありません。種子島会長にお詫びした通り、記事によってご迷惑をおかけしていることは事実だからです。西尾氏の日録で「捏造記事」と書かれて挑発され、それを引用した私への非難がインターネット上で流れていますが、耐えております。
(後略)

平成18年4月28日

渡辺浩


もう一つの「つくる会」顛末記(4)ー対立が解消できなかったある原因(三)ー
四、対立が解消できなかったある原因(三)ー八木さんの大失敗ー

 「つくる会」の騒動が解決できなかった責任の一端は、たしかに八木氏にもあります。しかし、それは西尾・藤岡両氏が言われているような意味においてではありません。彼の最大の失敗は、鈴木尚之氏を信じて、彼を通じて西尾氏や藤岡氏との宥和を計ろうとしたことでした。1月16日の理事会以降、八木氏は鈴木氏に引きずりまわされ、疲れ果てて体調を崩し、最後には、裏切られて脅されるという目にまで会い、深く傷つくことになりました。「うちの家族とも付き合いがありました。僕の出会った中で、最大の悪人かもしれません。しばらくは、怒りで目が覚める朝が続きました」と、八木氏は語っています。

 鈴木尚之氏は、「眞悟の会」の有力者で、国鉄解体の時に大活躍した人だと私は聞いていました。人当たりがよく、私たちが三重県で日教組の勤務時間中の組合活動批判を展開していた時には、その意味を高く評価してくれたりしたので、私はかなりの好印象を持っていました。それは八木氏も同じだったようで、「コンピューター問題」で、宮崎氏の解任が必至だと思い込まされていた昨年10月末頃は、鈴木氏を事務局長に迎えることを考えていたそうです。

 ところが、「コンピューター問題」での解任・処分に、宮崎氏が抵抗し、私たちも反対したことで、鈴木事務局長案はしばらく店晒しとなりました。それが幸いしたのです。鈴木氏は西村眞悟議員の名義貸し事件に連座して、12月16日に逮捕されてしまいました。もしも、鈴木氏がスムースに事務局長になっていたら、「つくる会事務局長逮捕!」ということで、会はとてつもない打撃を受けたことでしょう。「だから、宮崎氏の抵抗は結果的に会を救ったんですよ」と、私が今年3月11日の第4回評議会及び全国支部長会で申し上げたところ、状況がよく飲み込めていない人たちから笑われてしまいました。
 しかし、逮捕という事態にもかかわらず、八木氏の鈴木氏に対する好意は変わらなかったようで、12月22日には、わざわざ大阪拘置所に差し入れに出かけています。

 1月16日の理事会は「人事は総括の後に行う」「総括は総括委員会を設けてそこで行い、その委員は会長が近日中に指名する」ことで決着を見ました。つまり、内紛は理事会内の議論で一旦は収束したのです。ところが、この理事会決定に不満な西尾名誉会長が辞任し、副会長たちも辞任を申し出、それに連動して藤岡氏が執行部内でゴネはじめました。

 この時、起訴猶予処分となって出所していた鈴木氏は、「八木・藤岡のどちらかの片翼では会はもたない。両翼が必要だ。だから藤岡と手を結ぶべきだ。そのとりなし役は自分しかいない。宮崎には無理だ」と、会の紛争を解決できる唯一の仲介者という歌い文句で八木氏に接近してきたのです。すると、鈴木氏を素朴に信頼していた八木氏は、この言葉に乗ってしまい、彼を執行部内へ引き入れてしまいました。

 以後、鈴木氏は、ただ八木氏の信頼を得ているというだけの資格(会長アドバイザー)で、執行部会に出席し、八木・西尾・藤岡の間を泳ぎ回ることになりました。それを見て、私が「八木さんのやろうとしていたのは、会長の指導力の確立ではなかったのですか。院政、摂関政治の次が、側用人政治では困ります」と皮肉を言うと、八木氏は「誰か間に立ってくれる人がいないと、この会は上手くいかないんですよ」と答えました。
 確かに、創業者の圧力をまともに受けながら、一人で頑張るのは大変だったと思います。しかし、そうかと言って、またまた、会長のリーダーシップが阻害されては、意味がないので、私は「理事の中で一番年下の八木さんが、そう思うのも無理はないと思うけれども、どうも鈴木さんは信用できない。気を付けた方がいいですよ」と忠告しました。

 この時、私が「鈴木氏は信用できないな」と感じていた理由は二つありました。
 一つは、「自分のボスが逮捕されてしまっているという状況の時に、それを止められなかったにもかかわらず、他の組織のゴタゴタを解決してやろうなどと申し出るのはおこがましい。例え頼まれたとしても断るのが筋ではないか。それなのに『彼奴ではだめだ。俺ならできる』など言って入り込んでくるのは、何か怪しい」ということです。後に、私がこの疑念を鈴木氏に直接質したところ。「西村眞悟は、ボスではなくて、同志だ」というのが、彼の答えでした。
 二つ目は、「コンピューター問題」の欺瞞性が指摘されて宮崎氏が事務局に復帰し、人事よりも総括を優先するという理事会の結論が出た以上、言いがかりをつけた西尾・藤岡両氏は責任をとって、一歩身を引き、八木氏を盛り立てていくのが人としての道というものでしょう。彼等がそうしないのなら、自分が憎まれ役となって彼等にそうさせるようにもっていくことこそが、八木氏に信頼されている鈴木氏の役割だったはずです。ところが、鈴木氏は「宮崎を事務局長から解任して、すべてを彼奴のせいにして、藤岡と手を結べ」と八木氏に迫ったのです。
 「この人のいう宥和は、正義を無視した力の均衡のことなんだ。むしろ、トラブルを抱えた組織に入り込んで、どちらの側にもコネをもち、火をつけたり、消したりしながら、巧妙に対立を残して、その間で生きていくのが、この人の人生哲学なのかもしれない。そんな人が力を持てば、会の正常化などできない。これは危ない」と、私は感じたのです。

 私の鈴木氏に対する不信感が決定的になったのは、3月上旬のことです。その頃、鈴木氏は赤坂の「M」という店で、八木会長解任劇の後、毎晩のように八木氏や事務局の若手と飲んでいたのですが、私が実名で種子島会長を批判する文書を事務局に送ったり、支部長に事情を説明する文書を送ったりしていることを批判して、「新田のやっていることなんて、しょせん水鉄砲だ。何の効果もない。こういう時は、相手の背中を寒くさせるのが一番だ」。こう述べて、藤岡氏を批判する怪文書を作成するようにそそのかしたというのです。
 その話を八木氏から聞かされた私は「絶対そんな話に乗っちゃ駄目だよ。そうやって、仲間のふりをしてそそのかして、弱みを握るつもりかもしれないから」と強く忠告しました。八木氏も「分かりました。鈴木氏には気をつけます」と答え、私の心配にようやく気付いてくれたようでした。

 その後、鈴木氏は、一方では、西尾・藤岡両氏の陰謀メールを八木氏に流し(後で考えて見ると、鈴木氏は八木氏の隠し事ができない性格を見抜いていて、周りの誰かに渡すだろうと踏んでいたように思います。実際、八木氏は私の懇請に負けたわけですが)、他方では、種子島会長の辞表を藤岡・福地氏に流すという怪しい行動を繰り返します。こうして、彼の周りで怪しげな雰囲気が醸し出されて行きました。そして、最終局面で、彼は八木氏との信頼関係よりも、自己の会での生き残りの方を選びました。

 4月30日の理事会で、辞任して去ろうとしている八木氏に対して鈴木氏は、八木氏が藤岡氏の「平成13年共産党離党問題」を公安関係者に確認し、そのことを他の理事に話したことを強く何度も非難し、さらに、産経新聞の渡辺記者が怪メールを流したのは「八木、宮崎だと告白した」などという虚偽を述べ立て、「ここであなたは罪を認めて、皆さんに謝罪して、会に残るべきだ」と脅し、「ここから出ていけば、あなたは言論人生命を失う」と三度も繰り返しました。藤岡氏に付いて事務局を握る見返りとして、八木氏を屈服させ、服従を誓わせるようとしたのでしょう。

 「怪文書を出せ」と教唆した男が、こういうことを言うのか、と私はその様子を呆れて見ていました。お人好しの顔をして近づき、酒を飲んで、安心させ、信用させ、弱みを握り、脅す。労働組合では当たり前のことなのかもしれませんが、正直驚きました。私は八木氏が出所不明情報を出したとは思いません。ただ、やがて書きますが、昨年の暮れ以来、西尾氏や藤岡氏に苦しめられ続けてきた八木氏が何か反撃したいと考えたとしても不思議ではありませんでした。その八木氏の耳に、鈴木氏の囁きが残っていて、公安に確認した情報を関係者にしゃべってしまったのでしょう。しかし、それは責められるべきことなのでしょうか。むしろ、重要な内容を含む未確認情報については、確認するのが筋でしょう。

 まして、鈴木氏に責められる理由はありません。それなのに、八木氏に怪文書攻撃を教唆した張本人が、今私の目の前で、会の宥和を願う正義の味方を演じている。この場で八木氏を悪人に仕立て上げようとしている。それも、堂々と、何の悪びれるところもなく。

 その圧力に抗して、八木氏は決然と席を立ちました。部屋を出ようとする八木氏に、鈴木氏は「八木さん、残念です!」と声をかけました。その声の妙に明るく元気で、空々しかったこと。その時、確かに、私の背筋は「ゾッ」としました。

 運動には仲介者や黒子を必要とする場面が確かにあるでしょう。しかし、それは、究極においては、自分の利害よりも公を優先できる、自己犠牲が払える人でなければ、信頼した人が深く傷つくことになるでしょう。鈴木氏は、最後の最後で馬脚をあらわしてしまいました。
 「八木さんに、事務局長代行になるのを阻まれた」と居酒屋で、ある時ふっと漏らした恨み節。それが真の狙い、裏切りの本質だったとしたら、あまりにも残念です。柔和な仮面の下の冷酷な強持ての素顔を見てしまった今、私たちは、貝の口を開かせておいて、柔らかな肉に食いつくような鈴木の存在は、お人好しの保守派にとって、とても危険だと感じています。ですから、「鈴木氏は危ないよ。信用してはいけないよ。近づけちゃダメだよ」と大切な人々に警告しなければならないでしょう。

 《鈴木氏は、相手に酒を飲ませて、色々としゃべらせ、その内容をノートに書き留めています。彼に付け込まれないためには、一緒に酒を飲まないのが一番です。聞くところによれば、赤坂の「M」はけっこう高い店だということなので、よく資金が続いたなぁと不思議に思います。
 ちなみに、私は西尾ブログや藤岡ブログに出ている「怪メール」なるものを見ましたが、どうして、あの内容で「脅迫」と言えるのか分かりませんでした。また、それが現れた原因についても、西尾氏や藤岡氏が続けてきたむちゃな行為を見聞きしている人々の間から自然発生的に出てくることは十分に考えられることですし、逆に、やられ放題だった八木氏の客観状況を利用して、さらに彼を悪人にしたて上げようと企む輩がいたとしても、これまた不思議ではないと思います。そもそも「脅迫」とは、どういう行為を指すのか、については内田弁護士に解説してもらうのがいいかもしれません。》

 年長者から様々に圧力を受けていた八木氏に対して、「大失敗」などと書くのが酷なのは分かっています。「お前だったら、ちゃんと出来たのか」と問われれば、「私も八木さんの立場なら、同じことをしそうな気がつます」と答えるしかありません。ただ、八木氏の場合には、これからの日本の保守言論界を背負っていくべき逸材として、他者を頼らず、自らの足で立つ覚悟を決めるために、次々に年長者に裏切られるという特別な試練が与えられたのだと思います。大切なのは、ごまかさずに、そこからしっかりと学びとることでしょう。もちろん、それは、そばにいた私たちにも必要なのですが・・・・。
 最近の様子を見ていると、この煉獄を経て、八木(山羊)さんは、独立不羈の志士(獅子)へと変貌を遂げていっているように思えます。その雄叫びが聞けるのも、もう間もなくではないでしょうか。 

乞うご期待!!

 ただし、どんなに頑張っても、八木氏も、私も、決して過ちを犯さない万能のリーダーなどにはなれそうもありません。過ちを早い内に修正して、少しずつ生長していくのが精々でしょう。「無謬・万能」を期待するなら、西尾氏や藤岡氏の方がいいでしょう。

もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(8)ー富樫監事文書と事務局員の反論
【解説】

●(資料1)昨年11月28日付「富樫信子監事の各理事宛文書」
 11月18日の理事会での議論に不満を抱いた富樫信子監事が各理事宛に送付した宮崎事務局長や事務局員を非難する文書。藤岡信勝氏でさえ「すさまじい文書」(12月13日の私への電話)と評したほどのもの。
 この富樫氏の見解は、「お伺い」で事務局員たちが心配していたように、後に「懇切な説明、資料提供」(平成18年2月22日の田久保捷三氏、大西裕氏、川又和敏氏、松本謙一氏、河村ユリ子氏、石井竜生氏との面談)という形で理事会外に持ち出されることになりました。
 この文書で、富樫氏は新会員管理ソフト導入時の契約の仕方を盛んに問題にしているのですが、それについては、今年1月の理事会で、内田理事に「あなたはそうおっしゃいますが、その年の会計監査で、貴方は『適正でした』と総会の場で報告したんでしょう。」と指摘されて、二の句がつけませんでした。

 この富樫文書の送付に見られるように、《本人に直接確認することなく、確実な根拠もなく、単なる印象や伝聞で勝手に悪のイメージを創り上げ、それを裏で宣伝して、実状を知らない人々に、特定の人についての固定した先入観を刷り込み、それを既成事実化してしまう》という手法は、西尾・藤岡両氏ならびに彼らを支持する人々に共通するものです。
 そこに透けて見えるのは「同志に対する信頼の薄さと、猜疑心の強さ」「尊敬や感謝の念の少なさと、不満や怒りの充満」「他人の痛みに対する鈍感さと、自分の痛みに対する過敏さ」「加害者意識の希薄さと、被害者意識の過剰」「自己正当化の欲求の強烈さと、他人に対する非寛容」。このアンバランスに私たちは戸惑い続けました。

 私は、この富樫文書送付の背景には西尾氏の意向が働いていたのではないかと推測しています。昨年12月1日、八木氏は西尾氏から「追い出すときは徹底的に侮辱しろ。そうすれば帰ってこなくなる。小林よしのりの時もそうした。神社右翼・宗教右翼を追い出せ」と言われていますが、富樫文書に見られる宮崎氏に対する執拗な非難の出所を推測させるのに十分な発言でしょう。今の時点で富樫文書を読み返してみると、「なるほど、巨大な幻というのはこうやって創られるのか」と感慨深いものがあります。

 富樫氏は、この文書の中で、事務局長に有能な人を得ることの必要性を強調し、宮崎氏ではその任に耐えないと繰り返しています。ところが、西尾氏がほとんど何の審査もせずに次の事務局長候補として連れてきた濱田氏がとてもその任に耐えられる人でないことがあっという間に分ってしまい、昨年の12月1日には西尾・藤岡両氏が濱田氏に「あなたを事務局長にすることはできない」旨を伝えています。濱田氏の月給は新採用としては破格の40万円。彼が3年間勤務すれば総額1560万円となり、新会員管理ソフトの代金(3年半で1000万円)を軽く越えてしまうはずでした。ところが、この西尾名誉会長の独走が会に与えかねなかった損害、それについての西尾氏の責任、これに関して富樫監事が大騒ぎをすることはありませんでした。

 こうしてみると、あれこれと理屈はつけられていますが、富樫監事が言いたかったことは「自分の言うことを聞いてくれない宮崎さんは嫌いだ。辞めてほしい」ということだけだったのではないでしょうか。この女性の感情を西尾氏が巧みに利用した。それは丸山事務員についても同じだった。そんなふうに私は考えています。

 ちなみに、このような文書を理事に配布し、宮崎氏や事務局員、あるいはコンピュートロニクス社に対する歪められた情報を世間に流布させたことについて、富樫氏が彼らに謝罪した事実を私は知りません。また、そうするように、西尾・藤岡両氏が富樫氏に忠告したという話も聞いておりません。


●(資料2)昨年12月6日付「事務局員連名の富樫文書への反論」

 八木氏はこの文書によって「宮崎は事務局員から嫌われている」という西尾・藤岡両氏の主張も嘘であることを知り、「コンピューター問題」に対する疑惑をさらに深めていくことになりました。それは、私も同様でした。

 今年の1月16日の理事会の前のことですが、私は福田逸理事に電話して自分の立場を次のように説明しました。
「事務局員たちの文書を見て、宮崎氏が事務局員から嫌われているという話が嘘だという事が分かりました。一番立場の弱い事務局員たちが、ここまで言うのは余程のことであり、彼らの言い分を十分に聞いてあげなければならないと思います」
 それに対する福田理事の答えは次のようなものでした。
「そういう見方もあるんですね。でも、あれを読んだ時の私は、事務員たちは執行部に反抗的で怪しからん。宮崎氏はちゃんと事務員を統率する能力がない、としか感じませんでした」
 緑の眼鏡をかければ、何でも緑に見えてしまいます。それは本人にとっては、決して嘘偽りではなく、主観的には全く事実なのですが、しかし客観的真実ではありません。このように、先入観を予め刷り込まれることの恐ろしさを、私はこの福田氏との会話で感じました。

 1月16日の理事会では、この資料も含め、事務局員たちの考えを記した資料[他のものについては、やがて紹介します]が配布され、私は「事務局員たちの考えを知るために、彼らが書いた文書を読んでほしい。主旨説明だけでも聞いてほしい」と何度も言ったのですが、認められませんでした。「あぁ、この理事たちにとっては、事務局員などどうでもいい存在なんだ」と、その時つくづく思いました。

*なお、資料については、一部イニシャルにしたり、《》で文書を改めた箇所があります。


       ☆      ☆      ☆

●(資料1)昨年11月28日付「富樫信子監事の各理事宛文書」

新 田  均 先生

 拝啓 枯れ葉舞う季節、一年の経つのは本当に早く、あと数日で師走であります。つくる会の理事の先生方も、益々ご多忙の時期をお迎えと存じます。

 さて、突然ですが、このようなお便りをお出しする失礼を、お許し下さい。
既にご存知の如く、ただ今、つくる会の会員管理ソフトのトラブルとそれに派生した問題が提起されているようですが、当時その件に係わった者として、もう一度、理事の皆様にご説明致したく、別紙の如く筆を取った次第です。

 誠にご多忙の折、厄介な事柄を持ち込みまして申し訳なく存じますが、どうぞ宜しくご検討下さいますようお願い申し上げます。

           平成17年11月28日
                        つくる会
                        監事 富樫信子
☆      ☆      ☆

           平成17年11月28日
つくる会 理事 諸先生

1 はじめに
 私は、平成11年9月に監事に就任して以来、去年の特別募金寄付議案の時に続いて理事会に出るように2回目の召集を受け、去る18日の臨時理事会に出席させて戴きました。

 理事の先生方の白熱した議論をお伺いしていて、初めは口出しするつもりは全くなかったのですが、実態を究明しようとする執行部の先生方の、この何週間ものご努力を傍で拝見していた者として、反対の理事の皆様のご理解と随分の温度差があると実感しまして、あの時つい余計な口出しをしてしまい理事の先生方には、誠に失礼申し上げました。

 しかし臨時理事会の翌日、宮崎事務局長の弁明書を私も初めて拝見致しまして、あえて発言させて戴きたいと考えるに至りました。反対の理事の皆様は、きっと宮崎事務局長の言い分をもっともだと解釈なさったのだと推測致しただけに、一言申し上げたいのです。
 私が事務局の管理の側面から、つぶさに見てきた立場からの解釈を申し上げることが許されるなら、あの宮崎氏の弁明書は、欺瞞に満ちており、宮崎氏の狭い主観的思考の範囲の域をでないのではないかと解釈致しております。

 平成15年1月に会員管理システム問題が発覚致した時も、宮崎事務局長は同じような論調で、私の報告書に対抗して弁明書を理事会に提出致しました。
その弁明書は、自己保身に走るあまりに巧妙な歪曲と主観的な思考に満ちていて、私は、まともに反論する気力もなく、そのようなことに費やす時間ももったいなく、バカバカシイ、事実が明白に語っていると、当時は、無視して捨て置いておりました。
しかし、今回は、前回の轍を踏んではならない、このまま捨て置けないものを感じ、私なりに会員管理ソフトのトラブルに潜む問題点を検討して事情を先生方にご報告する必要を感じた次第です。

2 会員管理システム移行時の取引の総括

 さて、話しが変わりますが、随分前になりますが、豊田商事事件という一時、世間を騒がせた事件がありました。確かお年寄りが悪徳業者に引っか掛って、大損害を蒙るという事件でありましたが、覚えておいででしょうか。
会員管理システム問題の全体像を考える時、私は、ふと豊田商事事件を思い浮かべました。
騙されたお年寄りが宮崎事務局長で、宮崎事務局長の無知に付け込んた悪徳業者がコンピュートロニクス(株)という構図です。
 思い起こせば新会員管理ソフト開発の当初から、すべてが口約束で、契約から完成納入の最後までそうでした。ソフト納入引渡し後にして、初めてソフト購入代価を決め、その間の具体的にとりかわすべき契約書や仕様要求書等の双方の取引確認書がないまま進行して、すべて終わった段階で辻褄合わせに契約書類を作成するというありさまで、通常当然行われるべき事が出来ていませんでした。
 宮崎事務局長は、私の問いに対していつも「信頼してやってもらっている」、「善意でやってもらっている」と二言目には仰いましたが、1000万円に及ぶ高額な投資について、すべてが口約束で進行するという事態は、私には全く信じられませんでした。
当時私は、どんな異常なことか、宮崎事務局長にことばを尽くして説明しましたが、彼は聞く耳を持ちませんでした。コ社側の口実をただ鸚鵡返しに言い張るのみでした。豊田商事事件の被害者の老人と同じと言ったのは、その意味です。

つくる会が、どのような内容のものを発注したか等の契約条件が曖昧なままであるので、果たして完成品が納入されたのか、購入代価の計算根拠が適正なのか、など購入後となっては、もはや明確に確かめようもありません。
 今回の執行部の処理方法として、コンピュートロニクス側に損害賠償責任を問うことが先決だという意見もございます。確かにコ社に損害賠償金を要求すべきとの声が挙がるのも当然です。しかしいざ実際に行動を移すとなると、取引全体像の不明確さによる必要十分な証拠の不存在に加え、コ社の窓口担当者が、つくる会の会員であり、縁故者であるなど厄介な要素が存在して、コ社に対して損害賠償責任を追及するのを、さらに困難な状況にしております。コ社と例え、争ったとしても、多大な労力と時間を要する事、それに見合うだけの成果が得られるすどうか分からず、上記の諸般の状況を考慮すると損害賠償の訴えを起こしたとしても得るところが少なくないように私は思います。

 尚、問題のソフトが元来1000万円という額が妥当であったのか、一番知りたい事ですが、その点については、現在新しいソフトの選定作業を進める中で、見積を依頼している業者の技術者に、件ソフトの開発値段の査定をお伺いしたところ、最高のブランド力のうるN社に発注したとしても350万位ではないかということでした。
また宮崎氏が、現在、会員管理システムの保守管理を、コ社と宮崎氏の友人のA氏(家族会員を増設した時に、「桐」で補完するシステムの作成を依頼した方)の二者に委託している型になっていますが、その宮崎氏の友人であるA氏は、今回のソフトのトラブルで、100万円もあれば、替わりのソフトを作成すると言ったとも伺っております。
どう考えても1000万円は異常に高いのです。

このような観点から考察すると、宮崎事務局長がもう少し、事務局長としての要求される資質があったら、いや、通常の社会的常識さえあったら、元来こんな事件は、第一義的には避けえたでしょう。
無論、監事である私にも責任がないとは言えません。私にも当時のことを振り返って反省する事があるとしたら、それは私が、会の理事の先生方から、私の警告に耳を傾けうるだけの信頼を勝ち得ていなかったということでしょうか。これは、私自身の不徳の致すところであったと、会員管理システム移行問題を改めて総括して自分自身を戒めております。

3 その後の展開と事務局長職の考察

 コ社の新会員管理システム移行後、1年も過ぎない内に、家族会員の新設があり、システムの新たな対応が必要となりました。その時宮崎事務局長は、友人に依頼した「桐」で作成したソフトで対応して、現在コ社との2本立てになっております。高額投資をした割には、早くもシステムが不十分になり、なぜ中、長期展望を考慮に入れることが出来なかったのかと、ここでも投資の有効性に疑問が涌いてきます。

 また、現在問題になっているコ社とのメンテナンストラブルに対する宮崎事務局長の対応は、当時のズサンな対応と、同一線上にあるものです。
宮崎事務局長は、当時も今も会員管理業務の実態を理解する事がなく、コ社の不誠実な対応に悲壮な気持ちに追い詰められ、なんとか誠実に業務を遂行しようとする担当のオペレーターの言い分を聞く事もなく、ただただ、相手の会社の言われるまま、鸚鵡返しに返答するだけで、一体、つくる会側でなくてコ社側の人間の発言かと一瞬、勘違いする程、相手の立場に立ち、このような事務局長の言動は、未だに不可解なのであります。
 彼は失敗からなんら学ぶことなく、同じ愚かな対応をしているように見えます。この件については、執行部の先生方が直接、事情聴取に当たっておられるので、今回はこれ以上触れません。

 さてコンピュータ問題を離れ管理一般に関する事柄を私が事務局長に、口酸っぱく申し上げても、ぬかに釘であり、しまいには、最近の私は、私の方が根負けして、惰性の気楽さの誘惑に負けてしまい、要求される程度の顧問としてのサービスに留めがちになり、最近はこれではいけないと反省致していたところです。
 私でさえ、そんな気持ちになるのですから、日ごろ事務局員各自の職務の範囲が明確でない、傍で見ていて管理統制がとれていない事務局の雰囲気を考慮すると、事務局員のモラールの低下が非情に心配であります。
 大幅な遅刻をする若い男子事務局員に対しては、一言も注意することも出来ず、真面目に仕事をしている女子所員には強く小言を言う、強い者に者が言えず、弱い者にむしろ強く出る感じです。彼は所員に対して事務の明確な支持をしません。所員の能力開発を考えません。一昨年退職した事務局次長のY氏が「史」の編集(編集料*万円)をやりたい意向だからと、言われるまま依頼するのはどんなものでしょう。過去に事務局次長職にあって退職したY氏に対して、韓国後訳、中国語訳の前払金としての支払いを、Y氏の名刺の裏にサインで領収書替わりにする等、事務局長としての宮崎氏の管理能力に多々疑問符がつく事がございます。(過去の内部関係者であるからこそ、きちんとした手続きを経なければならないと私は口酸っぱく言ったのですが、ただ煩がるだけのようでした。)

 事務局長の人格は、微妙に部下である事務局員の士気にも影響します。事務局長が無気力で統率力がなければ、事務局自体の沈滞ムードが蔓延します。このような雰囲気から、私用と公用の区別の認識が希薄になり、ほんのチョットした出来心から、物品費等について公私の混同が起こり、ひれが麻痺して常態化していくという、取替えしのつかない事態が発生することになるという事例を、監査人として過去何度が体験致したことがございます。

 このような言い分は、一般論で会には関係がないとお思いになると存じますが、そのような危うげな雰囲気を私は、残念ながら、最近強く感じ始めております。
それはある男子所員のことで、退職致して今は事務局におりませんが、プリンターを2台購入して、一台は自宅へ配送させ2台分の領収書を会に請求していたのではないかと推測できる事態があったと、義憤に駆られた他の所員の報告を受けたことがあります。私には領収書や請求書があれば、承認するほかはなく、そのような私用分も含まれているということは、小額の金額では発見が困難です。

 元来、人間は弱い存在です。現代の自由な時代に、如何に生きるか、良い自由と悪い自由があると、どこかで西尾先生がお書きでしたが、このような領域は、事務職員の良識に委ねて、良い自由を行使するような組織体制にするしかないのです。
その良い自由を行使するように導くのも事務局長の職務の一つなのであり、事務局を管理統制する能力の重要性は幾ら語っても語り過ぎではないと思います。

 事務局全体の士気は、何度も申し上げますが、事務局長としての良識と人格が大きく影響いたします。
事務局長はじめ事務局の方々は、会がボランティアの会であるので、そんな厳しい事を言っても仕方がないと言う声を良く聞きます。会の創設期のころは、ボランティアであったでしょう。が、現在の事務局員は、一般の民間企業と遜色のない給与を支給されております。ボランティアは、理事、支部の役員及び会員の方達であります。事務局長は、そういう言い方を適当に方便として使っているようにしか、私にはみえません。

 それに、草創期のゆかりの事務局員が居なくなって行くにつれて、残念ながら、会の本来の真摯な志が伝統として引き継がれて行く事もなく、今の事務局は、官僚的、公務員的な、いや、それ以下に成り下がっているように見えます。
厳しいことを申し上げますが、今の事務局は、各自は自分のやりたい仕事だけやり、興味のないもの、やりたくないものは、しないで済ませ、気ままに日々の決まった仕事だけをこなしているように見受けられます。本来必要な規律というものが欠けています。私が観察するところそうとしか見学されないのです。私が今まで担当した他の事業組織で見たことのない規律の喪失状態です。

 明確な業績評価が比較的容易な民間企業に比べ、公益法人やNPO法人で働く事務局員は働く意欲の動機づけが難しいものが確かにあります。それを克服するのが事務局長の仕事ではないでしょうか。
 何度も申し上げますが、事務局長としての人格、管理能力は非常に重要です。
公益法人等の組織体に於いては、非常勤の理事を補佐して事業を有効に導くことに加え、事務局管理という職務があり、言うまでもなく、事務局長席は大変重要な職位であります。事務局長が有効に機能すればこそ、事務局員に権威や権力が発生するのです。
単に事務局長の椅子に権威があるのではなく、そのような機能を果たせる人が、事務局長の職務を全うしていると言えるのではないでしょうか。

 事務局員の職務としての機能の重要性を十分にご配慮の上、どうか今回の問題点をもう一度皆様で、再検討を戴きたくお願い申し上げる次第です。

 僭越ながら、私のような一介の会計士が事務局管理の観点からとは言え、日本の思想界をリードなさる諸先生方に、このような愚考を申し上げる失礼の段、お許し下さい。

つくる会
監事 富樫信子 


●(資料2)昨年12月6日付「事務局員連名の富樫文書への反論」

                             平成17年12月6日
新しい歴史教科書をつくる会
  会長 八木 秀次 様


富樫信子監事が理事諸先生に配布した文書に関する執行部へのお伺い


 いつも温かいご指導、ご教示をたまわりまして誠にありがとうございます。心より感謝を申し上げます。
 さて、平成17年11月28日付けで富樫信子監事が「理事 諸先生」あてに配布した文書について申し上げます。

① 富樫監事の文書を知ることになった経緯

 11月30日朝に勝岡寛次理事より本部事務局に富樫監事の文書に関する問い合わせのFAXがあり、その全文が送られてきました。
 その後、宮正治事務局長から電話があり、これまでコンピューター問題等に関して事務局員のみんなには余計な迷惑がかからないよう極力配慮してきたが、今度の富樫理事が出した文章は単に宮崎を誹謗するだけでなく、他の事務局員をも中傷する文面になっている、これは事務局員の今後の立場はもちろん各人の名誉にも関わる内容であるため、急ぎ事務局全員に配布してほしい、あわせて宮崎が11月18日付けで理事関係者に配布した文書を配布してほしい旨の話がありました。

② 事務局での反応

 そこで富樫監事の文章を的場・土井が見たところ、そこには驚くことに、
「会員管理システム問題の全体像を考える時、私は、ふと豊田商事事件を思い浮かべました。/騙されたお年寄りが宮崎(ママ)事務局長で、宮崎事務局長の無知に付け込んだ悪徳業者がコンピュートロニクス(株)という構図です」
などとあり、旧知のコンピュートロニクス(株)を悪質な犯罪者や詐欺集団と同類よばわりする言葉が見えております(以下、コ社と記す)。
 宮崎事務局長については、「豊田商事事件の被害者の老人と同じ」として犯罪集団に「騙されたお年寄り」に相当するなどとも記されています。
 また、宮崎事務局長以外の他の事務局員についても、
「…残念ながら、会の本来の真摯な志が伝統として引き継がれていく事もなく、今の事務局は、官僚的、公務員的な、いや、それ以下に成り下がっているように見えます。/厳しいことを申し上げますが、今の事務局は、各自は自分がやりたい仕事だけやり、興味のないもの、やりたくないものは、しないで済ませ、気ままに日々の決まった仕事だけをこなしているように見えます。…」
などと、現在の事務局員が自分たちの仕事に対して何の志も自覚もなく、各人が勝手し放題にふるまっているとする文章が見えます。富樫監事は何の根拠も示すことなく、ご自分の印象からなのか、誰かによる特定の情報に基づくものか不明ではありますが、
「官僚的、公務員的な、いや、それ以下に成り下がっているように見えます」
「気ままに日々の決まった仕事だけをこなしているように見えます」
などと事務局員を一方的に非難しています。
 内容的に事務局員個人の問題にまで関わる問題であり、急遽、事務局会議を開いて検討しました。多くの意見が出され、とりあえず八木会長あてに質問と要望の文書を署名入りで出すことで一致しました(濱田事務局次長は文書を出すこと自体には反対しなかったが署名はしない意向を述べ、丸山氏は体調不良でお休み)。

③ 事務局員有志の見解

 富樫監事の文章は常識をふまえた社会人が書く文章とは思えません。根拠を明らかにすることなく人を極端な表現で罵ることは誹謗中傷でしかありません。ましてや、多くの関係者に勝手に配布するなどというのは名誉毀損にも相当する行為であると考えます。
 各事務局員に対して言うべきことがあるならば、事務局員に面と向かって直接言うべきです。本人にじかに言えない話を各理事に文書で言いつけて、広めようとするなど、つくる会の役員にふさわしくない振る舞いです。
 そう考える理由として、以下の諸点を挙げておきます。

イ.根拠が示されていない

 富樫監事は時おり僅かな時間だけ事務局にお見えになり、そこで対応する事務職員も多くて3名ほどでしかありません。なぜ富樫監事はここまでご自分の主観から事務局員全体を厳しく批判できるのでしょうか。
「日ごろ事務局員各自の職務の範囲が明確でない、傍らで見ていて管理統制がとれていない事務局の雰囲気を考慮すると、事務局員のモラールの低下が非常に心配であります」
「彼(宮崎事務局長)は所員に対して職務の明確な指示をしません。所員の能力開発を考えません」
明確な根拠を一切示さず人をここまであからさまに非難できる富樫監事の感覚は不思議でなりません。繰り返しますが、富樫監事は事務局全体について、
「官僚的、公務員的な、いや、それ以下に成り下がっているように見えます」
「各自は自分がやりたい仕事だけやり、興味のないもの、やりたくないものは、しないで済ませ、気ままに日々の決まった仕事だけをこなしているように見受けられます」
などと根拠や証拠を一切あげることなく、「…見えます」「…身受けられます」とのご自分の主観だけで人の仕事ぶりを罵っています。
 果たして「官僚的、公務員的な、いや、それ以下に成り下がっている」、「興味のないもの、やりたくないものは、しないで済ませ」るなどと断定できる何か特別な情報を隠し持っておられるのでしょうか。根拠がない、あるいは事実誤認に基づく偏見により歪曲し誤った情報が広まることはきわめて遺憾です。

ロ.主観的な判断であり、事実に反している

 また、宮崎事務局長が事務局員に対して、
「大幅な遅刻をする若い男子職員に対しては、一言も注意することも出来ず、真面目に仕事をしている女子所員には強く小言を言う、強い者にものが言えず、弱いものにむしろ強く出る感じです」
などと記しているのには、明白に事実に反する内容が含まれています。
 宮崎事務局長は、遅刻するなら理由を述べて出勤できる時刻をきちんと報告しそれを遵守すること、講演会など学習会に参加する場合は直前になって簡略に申し出るのでなく早くから報告すべきことなど、かなり厳しい口調で男性職員に注意していたことを複数の所員が記憶しております。
 「真面目に仕事をしている女子所員には強く小言をいう」などというのも、具体的には何時、どんな場面で、宮崎事務局長がどんな発言をしたことを指しているのか、全く内容が示されていません。「小言」なのか業務についての注意なのか、具体的説明がないならば主観的な判断にすぎず、通常は物事を判断する基準にはなりません。
 「強い者に物が言えず、弱い者にむしろ強く出る感じ」などとも書かれていますが、宮崎事務局が西尾幹二名誉会長と何度も電話で怒鳴り合いをし、藤岡信勝副会長に対しても「それは違います」などと述べて対立するようなやり取りをしばしば起こしていることを、事務局員は直接見聞きして知っております。どのような情報を元にすればこうした偏見が生まれるのか、理解に苦しむところです。

ハ.事務局の現状に対する配慮がない

 これが一会員の無責任な批判ならば我慢して無視もいたしますが、当会役員の名を明記した正式な文章として各理事の方々にゆきわたり、現在の事務局に関して著しく歪んだイメージが持たれてしまうということは、事務局員とって到底耐えられることではありません。
 誤った事務局のイメージが固定化されてしまう前に誰かが声を挙げるしかなかったのです。今回やむなく、「お伺い」の文章を提出せざるをえなかった事情を、どうか執行部の先生方にはご理解たまわりたく存じます。

 富樫理事の文章には、現在、事務局長が長期にわたり不在で何かと困惑することの多いなか、事務局の日々の業務をこなし、会の発展のため努めている事務局員の立場や実情、来年三月には全員一斉に解雇という現在の事務局の置かれている特殊状況などについて、少しの配慮も見られません。
 当会の役員に名を連ねる方として、こういった文章はその人間性を十分に疑わしめるものであり、今後、役員としての重責を担われるとすればわれわれは重大な懸念を表明せざるをえません。

ニ.「豊田商事」記述の危険性

 さらに富樫監事の文章が重大な問題であるのは、この内容が外部の常識ある人々や当会の会員あるいは関係者の耳に入ることになった場合、果たして富樫監事に責任がとれるのかということです。
 とくに、コ社をあの犯罪者集団「豊田商事」と同等扱いした事実が外部に漏れた場合、当会を全面的に信頼し、絶大な支援を下さっている関係者の方々は、つくる会について一体どのように見るでしょうか。コ社のHさん(略)は《有力な支援団体の指導者の方》もつねに気にかけている方であることは周知の事実です。富樫監事の文面にもあるように「損害賠償責任」を追及するにも「必要十分な証拠」が「不存在」という状況なのに、コ社を一方的に「豊田商事」よばわりしていることが関係者に知れたら、大変な怒りを呼ぶであろうことは誰の目にも明らかです。
 つくる会の会計監査の責任者である富樫監事がコ社を「悪徳業者」の「豊田商事」よばわりする文書を各理事に平然と配布し、しかも理事がそれに明確に対処していないことが関係者に伝わるということになれば、当会の存続に関わるほどの重大な危機が将来するであろうことは容易に想像されます。富樫監事がこうした事態への配慮が全くなされておらず、これは不見識かつ無責任というべきです。
 
ホ.守秘義務違反に抵触するおそれ

 コンピューター問題等の諸問題に対する善処は、執行部に一任されているはずです。その執行部が組織した「コンピューター問題調査委員会」のメンバーである富樫監事は執行部もしくは「事務局再建委員会」「コンピューター問題調査委員会」等の了承を得て当該文章を理事諸先生方に配布されたのでしょうか。または、執行部に当該文章配布の許可を下された先生がいらっしゃるのでしょうか。
 もし、いずれにも該当しないのならば、「コンピューター問題調査委員会」等が取り扱っている、きわめてデリケートな問題を富樫監事はいとも安易に委員会外部へ流出させたことになります。こうした情報漏洩に常時神経をつかっている当会や執行部の方針に反する行為ではないでしょうか。監督責任当事者である執行部の先生方のご見解をうかがいたく存じます。

④ 会員管理システムおよびY氏への領収書の件について

 以下は、田村氏が富樫監事の文章に対して記した、会員管理システムおよびY氏への領収書に関する見解なのですが、これには田村氏以外の事務局員有志もその反論に同意しております。


【イ.会員管理システム移行時の取引の総括について

 富樫監の事文書はコンピュートロニクス株式会社(以下、コ社と記す)を「豊田商事事件」として捉えている。これはあまりにも非常識で、失礼である。小職は移行計画と当初のやり取りに関しては門外漢であるが、コ社がどのような会社であり、どのような思いで、その開発を引き受けたかについては11月2日の執行部会による事情聴取で説明したつもりでいます。それ以上に、平成15年1月27日の理事会で富樫監事、宮事務局長双方の詳細な資料による説明と議論がなされ、理事会として承認したと聞いています。
 会員管理業務の詳細を把握していない宮事務局長がその窓口に指名した2人の女性とコ社の仕様が大幅に食い違ったことが、コ社は予想外の工数(人件費)を要し、費用が嵩んでしまったと推定します。
 また、N社など他社の金額を記しているが、これも詳細な内容・仕様がないままであります。重ねて申しますが、非常識な文書であると思いますので外部に出ないように宜しくお願い申し上げますとともに、富樫監事に何らかの注意を喚起していただければと考えます。

ロ.Y氏(略) 韓国語・中国語翻訳着手金の領収書について

 領収書が「名刺の裏に記入したものであった」というのは事実で、私の判断ミスであります。翻訳が完了しました平成17年5月10日には別紙の通り、請求書が起こされ請求書にしたがって6月2日には差額の支払いが完了しております。この規模の事務所であることから、官僚的・形式的に事務を行うこと以上に、効率を重視した小職の判断ミスと言われても仕方ないと甘受します。
 この事務所は、採択が終われば収束すると言われ、いろいろ事務的・基本的なことが後回しにされてきています。富樫監事に指摘されるまでもなく、それらのことは理解しているつもりです。就業規則はない、即ち労働基準法に照らして不適格が多々あります。職員はある場面では非常にムリをしています。ムリを強いられています。そのようなことから、甘いところが出ていないと言えば嘘になります。
 どうぞ、理事会において予算規模を考慮して当事務所の活動内容、必要職員数、職員の役割期待を明確にして頂きたいと思います。基礎資料等を提供することにご協力することはいたします。】


⑤ 執行部への「お伺い」

 われわれ事務局の有志は、富樫監事の配布した文章および文書配布の行為に関する以下の点に関しまして、是非とも執行部の先生方に率直にお答えいただきたく、質問状の形式の「お伺い」を送らせていただいます。

一 富樫監事がコ社を悪質な犯罪者集団「豊田商事」よばわりする文章の配布したことを、重大な問題であると認識しておられますか。つくる会の存続に関わる問題にまで発展する危険性についてどのように認識されていますか。

二 富樫監事の文章は問題であり放置しておけないと認識しておられるならば今後具体的にどのような対応をされるのか、あるいは何かすでに対処をされたのでしょうか。その反対に、放置しておいてとくに問題ないと判断されるならば、その理由はなぜでしょうか。

三 富樫監事が、
「…残念ながら、会の本来の真摯な志が伝統として引き継がれていく事もなく、今の事務局は、官僚的、公務員的な、いや、それ以下に成り下がっているように見えます。/…今の事務局は、各自は自分がやりたい仕事だけやり、興味のないもの、やりたくないものは、しないで済ませ、気ままに日々の決まった仕事だけをこなしているように見受けられます。…」
などと事務局員を批判している内容に関して、執行部の先生方は同意されるのでしょうか。執行部の先生方とは日々の電話連絡や直接お会いしての報告、日報などで事務局員の業務内容を逐一お知らせしておりますが、それらと比較してみても正当な評価であるとお考えになるのでしょうか。

四 富樫監事の文章配布は情報漏洩であり、守秘義務違反に相当するのではないでしょうか。それとも執行部等のどなたかが特別に許可したものなのでしょうか。

五 富樫監事は会計監査の内容から外れた「事務局全体の士気」や事務局員の日々の業務や態度に関する厳しい批判を各理事に勝手に配布しています。しかしながら、そうした権限が会則上、監事にあるのでしょうか。その権限が無いとすれば越権行為であり、職務規定違反ではないですか。理事会や執行部の同意を得ずして事務局の日常に関する自由な意見の表明など監事に許されることなのでしょうか。

六 富樫理事は旧知のコ社を平然と「豊田商事」よばわりしておりますが、その富樫監事がいぜんとして「コンピューター問題調査委員会」の委員を継続されるのでしょうか。監事としての役職を今後も継続されるのでしょうか。それとも執行部として何らかの措置をされるのでしょうか。

七 富樫監事に対して自ら配布した文章の撤回や謝罪などを求める意志が執行部におありでしょうか。執行部にその意志が無いとするならばその理由は一体なぜでしょうか。

八 これらの質問に対していつごろまでにお答えいただけるのでしょうか。

 取り急ぎ作成した文章でまことに恐縮ですが、つくる会の将来と事務局員の名誉に関わる問題であると考えますので、何卒、お答えをたまわりますよう伏して御願いを申し上げます。
 

 新しい歴史教科書をつくる会 事務局員 有志
     
                   署名、捺印
                   (高橋、田村、土井、平岡、福原、的場)

もう一つの「つくる会」顛末記(3)ー対立が解消出来なかったある要因(二)ー
三、対立が解消出来なかったある要因(二)ー権威を盲信する会員、現実を見たくない会員、自分で判断したくない会員ー

 「つくる会」が内紛を繰り返してきた原因には、もちろん、創業者や私も含めた理事たちの問題が大きいわけですが、内紛がこれだけ続く原因はそれだけではなく、会員の側についても考えなければならない点があると思います。

 一つは、有名か無名か、表面の派手な業績、過去の実績、それだけで正邪軽重を判断して、「その時々の言論の質」や「見えない努力や業績」や「未来の展望」を自分で読み解いて判断することができないノイジー・マイノリティーが会員の中にいたことです。彼らは、とかく派手なことが好きで、だから、事務局が担っている縁の下の力持ち的な地味な貢献には目を向けようとしません。それで「たかが使用人」と言った同志愛にかけ、驕り方ぶった言葉が思わず口をついて出てしまうのです。心にないことは、言葉には出ないものです。
 このような会員は特に東京支部の一部に目立ちました。彼らが西尾氏や藤岡氏の扇動にのって騒ぎ立てたことで会の混乱は収拾ができないほどに拡大してしまったのです。

 このような人々を批判することに、私は心の痛みを感じませんが、もう一つの別の種類の人々の考えや行動を吟味の俎上に載せなければならないのは、本当に辛いことです。しかし、そこに目を向けないと、今回の騒動が教えてくれている大切な運動上の教訓を無視することになると思いますので、敢えて書くことにします。
 それは、善意に満ち、それ故、本当に純粋な気持ちで西尾・藤岡両氏を信じてついてきた会員の中に、彼らの問題点は見たくないという心情からか、「誰であろうと正は正、邪は邪」とはっきり表明できなかった人々がいたことです。

 特に会のために頑張ってきた人々や犠牲を払って来た人々の中にその傾向が見られたのは不思議でした。2月27日の理事会以降のことですが、私が両氏の問題点を説明すると、先ずは「それは怪しからん」と言ってくださるのですが、もっと怒って、「それは是非改めてもらわなければいけませんね。会の将来のために理非曲直を正しましょう」と言われるのかと思うと、そうではなくて、結論は「とにかく、仲良く、分裂しないように互いに妥協して」となってしまうのです。
 どうしてそうなるのか、最初、私には訳がわかりませんでした。対外的にどんなに粉飾しても、内部が腐っていたのでは意味がないし、むとろ、世間を欺くことになってしまうのに何故? しかし、私はやがて、次のように考えるようになりました。
「よく頑張ったり、大きな犠牲を払ったりしてきた人ほど西尾・藤岡両氏のことが自分の人生の一部になってしまっていて、その誤りを認めたくないのだろう。彼らに対する批判が、自分に対する批判に聞こえてしまい、そんなことは聞きたくない、信じたくない、嘘であって欲しい、といった心理が働いてしまうのかもしれない。西尾氏や藤岡氏の言葉に簡単に騙されて、真実を告げている人々に猜疑の目を向ける人達もいるが、彼らは自分の心の痛みから逃げるために、無意識の内にそうしているのではないか。どっちもどっち、もう喧嘩はやめて、という事なかれ主義が大勢をしめてしまうのもそのためかもしれない。」

 私にとっての運動とは、自分の弱さ、愚かさ、無能さ、無力さと直面し続けることでした。それに加えて、世間からの心ない非難もありました。それでもなお、国に尽くそうとする「背私向公」(私に背いて公に向かう)の覚悟が常に要求されました。ここでいう「私」には、個人的な利害や人間関係だけでなく、時には職場、ある種の人々には、属していたり、信じていたり、信頼していたりする集団や指導者の方針なども含まれるでしょう。「その公私の葛藤に直面せずに、何の苦しみもなく、清々しい気持ちで国のために尽くすなどということはほとんど不可能だろう」というのがこれまでの経験から私が感じていることです。
 愛国運動には酷な面があります。「それでも貴方はやりますか?」という問いには、一人一人が自分で答えを出すしかないのだと思います。はっきり言いますが、「指導者の皆さん、純粋な私たちの心情を傷つけないようにして下さい。そして、成果を上げて下さい」などと考えている人は運動に手を染めるべきではないでしょう。
 もしそういう人がいたとしたら、私はこう答えます。「それは不可能です。現実を見つめる覚悟をもってください。皆さんも傷つくことを受け入れて下さい。指導者というのは、ただ、一般会員よりは、リスクを負い傷つく覚悟を、少しだけ多く持っている普通の人達なのです」

 この「顛末記」を書き始める前、私は明け方に啓示的な夢を見ました。実は、私は「宗教右翼」などというレッテルを貼られている割には、啓示的な夢など見たことがありませんでした。
 松浦光修氏は、よく見るらしく、三重県で「つくる会」の運動を展開している中で、さまざまな夢を見、その度に私に話してくれました。その夢を後から考えてみると「なるほど、そういう意味だったのか」と分かることが多く、「何だか僕たちは守られているような気がするね」などと話し合ったものです。それについては、松浦氏が「雑感」の中で書いてくれるかもしれません。

 さて、私の夢に話を戻します。それはこんな夢でした。
 大学の用事で、どこかの神社を訪れ、そこの宮司さんが出て来られるのを、私は境内で待っていました。その時に、ふと、山の方を見ると、そこに御本殿があって、塀の扉に何やら神のお告げらしい言葉が書かれてありました。読んでみるとこう書かれていたのです。

「正邪を分かつことによって『古事記』も『日本書紀』も世に出た」

 『日本書紀』では、天地陰陽が分かれることによってカミが現れます。『創世記』では神が天地創造の初めに光と闇とを分かちました。順番は違いますが、混沌の次に分化が起こることで新たな創造、カミや光の出現が起っているのです。
 正邪や陰陽の混沌状態を宥和だとか調和だとか考えるのは誤りで、むしろ、思い切って分けてしまうことによってこそ、新たな希望の光が現れ、清新な秩序の創造がはじまるのだ、とこの夢は告げているようでした。

 どんな組織でも、「創業者を大切にすること」は基本です。それは、一般論としては全く正しいのですが、だからと言って、どんな創業者の行動に対しても、異を唱えてはならない、ということにはならないでしょう。まして、世俗の運動団体の創業者に、宗教の教祖と同じような感覚で接するとすれば、それは「偶像崇拝」の謗りを免れないのではないでしょうか。

 どこの組織でもそうなのでしょうが、とくに運動団体の指導者は構成員の質やレベル、望みや欲求に大きく影響されるように思います。その団体の指導者の徳性や能力を高めたいのであれば、構成員一人一人が運動の中で不断に自らを高める努力をする以外にはないのではないでしょうか。

もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(7)ー内田理事の手記、勝岡理事の手記、内田理事のメモー
【解説】

●(資料1)内田智理事の手記
 「コンピューター問題」に関して宮崎事務局長の処分を決定するために、昨年11月18日に開かれた緊急臨時理事会の様子を内田智理事がまとめたもの。私と松浦氏は出席できなかった。

●(資料2)勝岡寛次理事の手記
 同じく緊急臨時理事会の様子を勝岡寛次理事がまとめたもの。

●(資料3)「会員管理システム問題に関する執行部告知」の問題性についてのメモ
 内田理事が緊急臨時理事会で、自分の主張の法的根拠を明確にするために用意していったメモ。訂正されて、今年の1月16日の理事会で配布された。

◎この理事会でのやり取りを通じて、はじめて八木氏の心に「コンピューター問題」についての疑惑が芽生え、「西尾・藤岡両氏の主張を鵜呑みにはできない。内田さんたちの考えにも配慮して、何とか円満解決の道を探らなければ」と考えはじめた、ということです。これが八木氏にとっての「苦悩の日々」のはじまりでした。

   ☆      ☆      ☆

●(資料1)内田智理事の手記
          理事 弁護士 内田 智

 出席者:八木会長、藤岡副会長、遠藤副会長、工藤副会長、福田副会長
     西尾名誉会長、高池理事、久里理事、勝岡理事、富樫監事、平野監事
 
日時場所:つくる会事務所、平成17年11月18日(金)午後5時開始
      内田は6時10分で退席。会議は6時30分まで。

 当日配布資料:高森・新田・松浦各理事のコメント付き意見書
        吉永理事の執行部宛委任状
        西村真吾代議士からのペーパー(本件とは無関係)

1、まず八木会長が「欠席者の書面をそれぞれ目をとおしてください」との発言。
  5時5分頃から執行部提案について審議に入った

2、以下要旨
 ①内田「処分案二というのは二つの性質の異なるものからできている。一つは会長権限で事務局長を解任し、理事会で承認を得たいということ(会則指摘)。もう一つは使用者対労働者の関係で、宮崎氏を減給と出勤停止の各懲戒処分にすること。懲戒処分の根拠規定を尋ねたい。」
  藤岡「就業規則も労働契約も何もない。」
  高池「本来、懲戒処分はできない。但し予告手当を出して解雇はできる。」
  西尾「じゃあ解雇だ!」
  内田「罪刑法定主義と同じ思想であって労働者たる宮崎氏への懲戒処分はできない。解雇は、解雇権濫用の問題で法的に争われれば勝てないだろう。」
  高池「解雇はできるかも」(内田「思想団体だから可能性ある」)
  八木「そうするとこの処分案は違法で、全然だめということですね?」

 ②内田「だから結局、今回のことは宮崎氏を更迭するために、コンピューター問題を利用しようとしているだけでしょう。世間では許されない不当なやり方だ。嫌がらせをして追い出そうとしている。地位を奪い、金を奪い、名誉を奪うのが人の道にかなうのか」
  遠藤「更迭問題とコンピューターの問題とはあくまでも別にやろうとしていることを理解して欲しい」
  内田「コンピューターの問題で、損害があるのか。1千万円ではあり得ない」
  高池「法的損害はまだない、或いは不確か」
  西尾「現に不具合がある。自分はこんなに金をかける必要などないと主張してきた」
  遠藤「(執行部側報告書の要旨をさらに説明)」「調査の中で宮崎さんは局長に不適任であると思った」
  久里「コンピューターや財務の細かい問題でいきなり詳しい背景も分からないのでよく判断できない。処分はまずそう」
  藤岡「H氏はこの問題で契約相手の会社の取締役を退任?となった。宮崎氏が会で処分されないのはおかしい」
  内田「そんな理屈は立たない。H氏は経営判断を誤って1700万のところを1000万で締結して会社に損害を与えたという評価でしょう。会社とつくる会で契約をしているんだから。宮崎さんの処分とは関係ない」
  西尾「大事な会員のお金を無駄なことに使ったのでその責任が事務局長にはある」
  内田「執行部や理事会でオーソライズされて事務局長が執行しただけだ。当時の執行部で現理事の種子島さんが何故責任を負わないのか」
  西尾「それはそうだ。当時賛成した意味で高森も悪い」

 ③内田「時間が余りないので言っておく。今度の処分は、世間の物笑いとなる。些細なトラブルに藉口して事務局長を生け贄にしてよいのか。採択戦の総括が先である。どこに薄給で熱心にこれだけ会に尽くしてくれる人材がいるのか。思想・知識・読書量・諸団体との人的関係いずれをとっても代わる人材はいないのではないか。功労に報いることをせず石もて追うように人を痛罵して何が保守思想団体か。(新田書面の3項冒頭2行を読む)理事だってこう思っている」
  *宮崎氏の人物評価について西尾、富樫(いずれも悪口)
  藤岡「総括というが、他の事務局員からは書面が出ているが宮崎さんから全く出ていない。総括は総会でやった」
  八木「それは対外的な話であり、会内では全く総括は終わっていないことは明らか」
  遠藤「今回の調査で、全く問題がないと宮崎さんが言ったのには信じられなかった。調査の中で宮崎さんは局長に不適任であると思った」
  勝岡「今回の処分を外から見ると、新田、松浦両氏の書面のような批判が出るのは当然のこと」 
  内田「こんなことをしていては、高額寄付者もはなれてしまう」
  藤岡「脅迫だ!」
  西尾「会が割れるから今日はこれ以上の審理はできないな」
  内田「結局、無理に更迭したいがためにこんな非道いやり方をしては駄目。処分案に反対。伊藤哲夫氏なども呼んで審議を継続すべき。」
  藤岡「伊藤氏や高橋史朗氏には共に案内を出している」(以上で退席)
 
 ④他の状況等および補足
  福田副会長、工藤副会長は発言なし。
  富樫監事からは「事務局全体が腐っているのでは」などの発言があった。
  (11月18日記す)


●(資料2)勝岡寛次理事の手記
勝岡寛次

 11月18日理事会の出席者は執行部(西尾、八木、藤岡、遠藤、福田)に監事二名(富樫・平野)、あとは久里、高池、工藤、内田、勝岡の12名。新田理事、松浦理事、高森理事よりの意見書あり。

 最初に内田理事から質問の形で、宮崎氏の懲戒処分につき、法律問題としてつくる会に懲戒する権限はあるのかといった話になり、結論としては「ない」「裁判すれば負ける」(内田)等、ひとしきりその話題になった。高池さんが「解雇することは出来る」と発言すると、西尾先生がすかさず「それなら直ぐに辞めてもらおう」と発言したが、同調者はなかった。

 私が「事務局長の責任、1000万円の損失というが、その根拠が明確でない。現にシステムは稼動しているではないか」との疑問を呈すると、遠藤氏より、今回の経緯についてのこまかい説明があり、私は経緯を詳しく知らないので、不信感を抱きつつも反論できなかった。しかし、その後のやり取りの中で1000万円の損失とかいうアバウトな話でなく、もっと損失の額を詰める必要があるという話にはなった。

 ついで内田氏が、「結局は宮崎氏を辞めさせたいがためにこの問題を利用したに過ぎない」と強い調子で執行部を批判。西尾・藤岡両氏は、内田氏の気迫に圧倒されてか(?)必ずしもこれを否定せず。内田氏は憤懣やる方ないといった調子で「こんなことをするのは卑劣だ。今は総括をしなければいけない時なのに、何故こんなことを拙速にするのか。宮崎氏の事務局長としての実力は皆が認めている。下手なことをして追放でもすれば、ああつくる会は結局そういう組織なのかと見られてしまうが、それでもいいのか。保守派の団体は皆これを見ている」と“立て板に水”の如しであった。しかし、西尾先生は「宮崎さんからは一つ一つ事実を確認しながら話を聞いた」、藤岡先生は「全く話が違う。(内田氏は)事務局内部のことを全然わかっていない」といった調子で、執行部との溝は全く埋まらなかった。

 私が「それにしても今回のことは拙速で、15日に案内状が届いて18日に緊急理事会で決めるというのは非常識だ。新田、松浦、高森の各氏も皆同じような疑念を抱いている」と発言すると、拙速だったことは執行部も認め、西尾先生から「じゃあじっくり時間をかけてやりましょう。それならいいでしょう」との発言があり、結論は持ち越しとなった。ここで内田氏は時間がなくなり、「今度は伊藤哲夫氏にも出席してもらってやりましょう」と言って途中退席した。

 内田氏が退席した後は、富樫氏も加わって宮崎批判一色となった。久里氏も「私は宮崎氏を事務局長として適任だと思っていない」と発言。富樫氏は「この執行部報告は宮崎氏の意見を中心に書かれているが、私の意見は入っていない。宮崎氏は前の時もこのような対案を出したが、やってることはいつも同じ。事務局員は宮崎氏からいつもいじめられている」と発言。西尾先生は、「宮崎さんがいなくなって事務局員はせいせいしている」とも言った。私は、事務局内部のことは全然わからないので、黙っているしかなかった。(福田先生は最後まで発言されず)

 最後に八木会長から、「何とか建設的な方向でまとめたい」との発言があった。西尾先生が捨てぜりふのように「今度は宮崎さんにも出てもらって、皆で吊るし上げましょう!」と聞き捨てならぬことを言ったので、私が「それは共産主義ですよ」と言ったところで会議はお開きになった。

 遠藤氏は非常に不本意な様子で、「自分は宮崎さんになるべく傷がつかないようにと思ってやってきた。それが解っていただけないのなら、副会長は辞任する」と、憮然とした調子で最後に言われていたのが印象に残っている。ああ、この人は真面目なのだなと思った。

 私は、執行部についても、事務局についても、それから全国の支部と宮崎氏との関係についても、わからないことだらけだ。執行部が不当に宮崎氏を首にしようとしているのであれば、それだけは何とか思いとどまらせたいと思って今日は議論に参加したが、執行部の宮崎批判が相当強固なことを肌で感じた。事務局員が宮崎氏に対して、実際のところどういう思いでいるのかは、私には判断がつきかねた。

 つくる会が、総括にも入れずこんなところでもたついているのは見苦しい限りだが、次回理事会では事務局員も入れて宮崎氏の責任を追及することになるのではないかと予想される。当時を知っている人でないと、判断しかねることばかりで、もっと事情が分かる人に多く参加していただいて、事実に基づいた正確な議論をしてほしいものである。
(11月18日記す)


●(資料3)「会員管理システム問題に関する執行部告知」の問題性についてのメモ

                          平成17年11月18日
(18・1・10訂正)
弁護士 内田智(つくる会理事)

 表記告知(平成17年11月12付)の内容のうち宮崎事務局長(以下事務局長)に対するもの(表記告知の二)を「本件処分」とよぶ。

 結論:本件処分は違法かつ不当である。

 理由:
1、まず本件処分のそれぞれの法的性質は次のとおりである。

 (1)「事務局長の任を解き、事務局次長に降格する」については、もともと事務局長の解任行為が、会則18条3項(「事務局長は、会長が指名し、理事会の承認をうけるものとする」)の指名に対応するものとして、会長の権限であり、理事会の承認事項であると解釈できるから、「会長」による解任行為を理事会が承認するかどうかの問題である。

 (2)「事務局長としての給与の10%を本年12月より3ヶ月にわたり減額する」及び「当分の間、出勤停止とする」については、つくる会(使用者)に対して労働者たる地位にある事務局長に対する、いずれも懲戒処分(服務規律違反に対する秩序罰)である。労働者が就労に際して守るべき集団秩序を職場秩序といい、その職場秩序を確立しその遵守を労働者に要求するために集団的な労働の場における行動基準が必要となるが、その一つが服務規律である。大きく分けると4つある(①出退勤・勤務態度・業務命令・素行等労務の正常な提供の確保に関する条項②使用者に対する信用・名誉・職務上の秘密・地位利用等の使用者と労働者との信頼関係の維持による条項③施設利用、怠慢・不注意による災害等使用者の財産の保全、損害の防止に関する条項④施設内でのビラ貼り・集会等政治活動禁止に関する条項)

 なお「出勤停止」とは、一定期間出勤を停止し、就労を拒否する制裁をいい、その期間中の賃金の支払いは停止されるのが原則である(したがって労働基準局長通達は「出勤停止の期間については、公序良俗の見地より、当該の情状の程度などにより制限のあるべきは当然である」としており、労働者の生活を不当に圧迫するおそれのある長期間にわたる出勤停止は許されないものとされている。この観点から「当分の間」という処分は労働者の地位を徒に不安定な立場におくものと言え、表現の有効性自体の問題もある)。賃金の支払いがされる「出勤停止」には、経済的問題はないが当該労働者の業務遂行を阻害する(その間の執務ができないことによる復帰後の困難。営業職が典型)側面と職場内での名誉を毀損する面が指摘できる。一方、出勤停止を秩序罰として労働者に命じておきながら、賃金を支払うとすれば使用者側財産を不当に毀損する(ノーワーク・ノーペイの原則に反するから)との批判が可能である。

2、労働者に対する使用者からの懲戒処分発動については、予め懲戒事由と懲戒処分の種類・程度が就業規則・労働協約に明示されていなければならない。(労基法89条1項9号「制裁の定めをする場合においては、その種類および程度に関する事項」)。罪刑法定主義(刑法の原則)は、職場における労働者の制裁・懲戒においても要求される。

 本件処分が就業規則や労働協約上、いかなる規定にもとづくのか。
 また懲戒処分と懲戒事由の軽重の関係は、客観的にみて相当でなければならない。客観的な相当性を認められない処分は無効である。
 さらに懲戒処分は、適正な手続きにしたがっておこなわれなければならない。懲戒手続きが就業規則や労働協約に規定されていればそれを厳格に守らなければならない。手続きに重大な違反があれば処分は無効である。当該「労働者の弁明」を「十分に」聞くことは、当然に絶対的に必要である。これらの要件が本件処分において充たされているか。

3、「懲戒事由」の不存在

 (1)事務局長が「1000万円の損失を当会に与えた」事実がそもそもあるのか。損害は現在、発生しているのか。コンピューターシステムは現在、ダウンしているのか。なお、調査報告書では以下の言葉が用いられている。
「総額1000万円以上の高額の投資(中略)僅か3年で終焉を迎えつつある事態」
「1000万円の高額投資を無駄にしたという事態」
「1000万円もの高額投資が僅か3年で事実上崩壊した」
何の根拠で、現在、法的な意味での「損害」がつくる会に発生したと言えるのかの疑問がある。
 「データ保存に重大な疑問がある」(11月9日)との指摘が損害とどう結びつくのか。また、「コ社」がメンテナンスを要求しても応じない事実及びそれが直ちに事務局長の負うべき「損害」にどうしてなるのか。

 (2)執行部(会長、副会長、事務局長。会則12条)の構成員に過ぎない事務局長が、執行部会や理事会で報告して了承を受けた各種契約行為及び交渉を行って、どうして法的責任(懲戒処分)を問われることになるのか。
 報告書にも招集通知にも事務局長に「悪意や不正は存在しない」と明記してある。それでは労働者としての事務局長に業務遂行上の何らかの「過失」や不注意があるのか。その「過失」は本件懲戒処分を妥当なものとする程のものか。上記(1)のように、「損害」がないにもかかわらず、そのような「過失」の存在を執行部は立証(裁判まで視野に入れて)できるのか。

 調査報告書によってそのような過失が立証されたと到底言えないと判断する。
 事務局長の弁明書(添付書類含む)がどうして処分の承認を求める理事会資料に添付されないのか。手続き上の重大な問題である。(以下略)

閑話休題2ーある昔話ー
昭和50年代の話。
 あるタレント会社がありました。その創業時代を支えたのが「西崎さん」と「藤尾さん」という二枚看板で、彼らの強烈な個性によって、その会社は順調に伸びていきました。しかし、その陰では、彼らのわがままに泣かされる人々も多く、一番の被害者は何と言ってもマネージャーで、彼らの気分を害するとすぐに首が飛びました。なにしろ、マネージャーの代わりはいてもスターの代わりはいないのですから仕方がありません。しかし、もちろん、そんなことが表ざたになれば会社の経営にかかわりますから、彼らの素顔を世間に対してはできるだけ秘めて、プラス面だけを強調するように会社員たちは努力しました。時折、問題が世間に洩れることもありましたが、なんとか大事になる前に済ますことができました。そうやって内部の人々は、会社のために、あるいは株主のために、我慢して尻拭いをし、彼らを持ち上げ続けたのです。しかし、それが、かえって益々彼らの驕りを増大させてしまうという悪循環を生んでしまったのも偽らざるところでした。

 これは本社内の者にとっては大変なストレスで、体調を崩したり、中には過労死が噂される者まで出ましたが、そんな酷い状況を想像できない外部の人に話してみても、「会社のためには、そのくらい我慢しなくちゃぁ」と笑いとばされて、まじめに取り合ってもらえないのが実状でした。それくらい二大スターのカリスマ性は強烈だったのです。

 しかし、世の常として、次第に彼らの芸も飽きられ、人気が低下しはじめました。このままでは先細りなのが目に見えて来ました。そんな時に、新たな魅力をふりまいて登場してきたのが「八岡さん」でした。会社が創業者の時代を終えて、第二ステージに立つためには、新たな企画に耐えられる新たなスターが必要だったのです。そこで、先見の明のある人々は、今後は彼を全面に押し出して、トップ・スターとして売り出していくしかないと考えはじめたのです。

 ところが、その切り替えの動きに旧スターの二人が嫉妬したのです。そのきっかけは、会社のために彼らの横暴をできるだけ抑えようとしてきたマネージャーの「宮木さん」が、さまざまな難癖をつけられて、いつものように、追い出されそうになったことでした。ところが、今回だけは様子が違っていて、旧スターの横暴に対して面とむかって批判できる重役が少数ながらおり、「八岡さん」も「宮木さん」を庇うという事態が起ったのです。すると、今度は直接的に「八岡さん」とその少数の重役達が攻撃対象にされてしまったのです。
「なによ、あんた、生意気ね。最近少し売れて来たからって、いい気になるんじゃないわよ。誰のお陰で、この会社がここまできたと思ってんのよ。でしゃばるんじゃないわよ」「支社で少しくらい業績を上げたからってナンボのもんじゃ。本社の内情も知らんくせに」といった感じです。

 このタレント会社が継続的に発展していくためには、新企画と新スターとが必要なことは外部の者や現場の担当者達には明白でしたが、本社内部は旧来の人間関係が支配していました。かつての栄光を背景にして「私たちとあの子とのどっちを取るのよ」と迫られれば、旧スターの言うなりにならざるを得ない重役や社員が大半でした。彼らのやり方に抵抗できたのは、彼らとの縁が薄かったり、外部から会社のことを眺められたり、現場を知っていたり、他社での重役経験があったり、会社を辞めても生きていけるだけの生活基盤をもっている重役たちでしたが、残念ながら、それは少数に過ぎませんでした。

 この会社は、これまでも旧スターが新人を潰したり、追い出したりするという「内紛」を繰り返してきましたが、今度は「八岡さん」という救世主の可能性をもったタレント(頼みの綱、最終兵器)が追い出されてしまったのです。こうして、この会社は旧来の陋習を改めることができず、相変わらず、旧スターの伝統芸を頼りにして行くことになりました。それで、この会社の未来に絶望した重役たちは辞任して行ったということです。その後、この会社がどうなったかについては、記録がないので分かりません。(おしまい)

   ☆      ☆      ☆

 世代交代を如何に混乱なく行うかはどんな組織にとっても重大な課題ですが、保守系の運動組織ももちろん例外ではありません。その時に、もっとも大切なことは、実績もあり、権威もある創業者に「次の世代に上手に譲ってやろう。育ててやろう。支えてやろう」という「大旦那」の心構えがあることです。ところが、創業者が「いつまでも自分がトップでいたい。これは俺が創った組織だ、誰にも渡すもんか」などと考えて、地位に固執していると、世代交代はできません。実績をだけを較べれば、年長者の方が上に決まっているわけですから、若い世代は彼らの人脈に包囲されて窒息させられてしまいます。
 世代交替の問題は、高齢化社会を迎える「平成日本の重大問題の一つ」なのかもしれません。

 誰をリーダーに選ぶのかという問題は、どんな理念を掲げるのかという問題と同じくらい、組織にとっては大切だと私は思っています。組織を通じて何かを実現しようと本気で考えるのなら、どんなビジョンを持った誰にリーダーシップを委ねるのかはその組織の未来を左右する重大問題で、「単なる醜い権力闘争」などと言って避けて通るわけには行きません。また、そのリーダー選択の問題が過熱化した中で現れる未確認情報の問題などと同列に考えていい問題でもないでしょう。
 福地惇氏の文章を読むと、この辺の軽重の区別が彼にはできていなかったように思います。福地氏がご専門の明治初年の時期は、誰が新政府のリーダーシップを握るのか、それをどうやって制度化していくのか、が真剣に模索された時期でした。
 いくら過去の歴史に対する知識を豊かに持っていても、あるいは、真実にせまるための実証的方法を知っていても、ただそれだけでは自らの実人生を正しく導いてくれる実践的な智恵を身に付けたことにはならない。そんな教訓を福地氏の言動から得たような気がします。

 はじめに書いた昔話を御存知だったのかどうかは知りませんが、世代交替の重要性をもっともよく理解して、最後の努力して下さったのが、種子島前会長でした。就任時の経緯から、最初、私は種子島会長に不信の念を強く抱き、それを言動にも表していました。しかし、最終局面で、種子島さんが実は誠意の人で、次世代を育てよう、俺が防波堤になってやろう、そのためには嫌われ役も引き受けてやろう、という覚悟の持ち主だったことが分かり、私は当初の不埒な態度を深く反省せざるをえなくなりました。とても恥ずかしく、申し訳ない話なのですが、しかし、最近、老人に対して失望することの多かった私にとっては、種子島さんの存在は誠に有り難く、大きな救いでもありました。その辺のことについては、後にまた詳しく書くことにします。

もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(6)ー新田意見書と松浦意見書ー
【解説】
●(資料1)平成17年11月17日付「新田意見書」
 宮崎氏から「弁明書」が届き、それを読んであわてて前日に出していた八木会長宛のファックスを訂正して、翌日の緊急臨時理事会のために八木会長宛に出した意見書です。まだ、「コンピューター問題」なるものの正体(つまり、本当に欠陥ソフトなのかどうか)が分からない中で、「何か怪しいなあ」という勘に基づいて、問題解決の筋は何か、運動体としての優先課題は何か、どんな倫理観を持たなければいけないのか、という観点から書いたものです。

●(資料2)平成17年11月17日付「松浦意見書」
 私とは別に、松浦氏が本部から送られて来た資料や「宮崎弁明書」を読んで、翌日の緊急臨時理事会に提出してもらうために八木会長宛に送った意見書です。別に話し合ったわけではないのですが、私とほぼ同じ論点から執行部提案に反対しています。「宮崎弁明書」を素直に読めば、こういう結論になるのが当然なのではないでしょうか。

◎私と松浦氏の他に、高森明勅理事も執行部案に対する反対意見を書面で出されたそうですが、入手してないため掲載できません。


●(資料1)
                           平成17年11月17日
八木秀次会長様
    新 田  均

 11月14日付けの会長名の緊急理事会開催通知ならびに調査報告書を受け取った後に私の感想を記したファックスを昨日お送りしました。ところが、その後、宮崎事務局長よりの弁明書が届き、それに目を通しました。その結果、今回の処分案には同意出来ず、まず、採択の総括を行い、システム問題についてはさらに精査し、事務局長その他の執行部の責任については、その結果が出た後に、来年三月を目途として最終決定を行うべきだと考えるにいたりました。以下、理由を列記いたします。

1.システムの問題については、その欠陥の程度や被害総額が明確ではありません。もし、当会が重大な損失を受けたのならば、第一義的に責任を問われるべきはコ社であるわけですから、損害賠償を求め、その結果を待って損害額を確定すべきでしょう。その前に、内部の処分を急ぐ必要はありません。しかも、多くの理事の出席が見込めない臨時理事会で決着をはかろうとするのは拙速というものでしょう。

2.今の当会にとっての最大の課題は、敗戦の総括にあります。運動の中核にいた宮崎事務局長を抜きにして、その総括を正確かつ多角的に行うことは不可能だと考えます。十分な総括をせずに次の運動に突入しようとするのは愚かなことです。

3.宮崎氏更迭の動きはシステム問題浮上以前からあり、その事情を知る者として、今回の処分提案には、何にか清らかならざる嫌らしさを感じます。事実の究明や建設的な反省よりも、特定の人物に責任を負わせることによって、別の何かを得ようとしていたり、もっと重大な何を隠蔽しようとしているのではないか、との疑念を拭えません。会の品性を貶める結果になるのではないかと心配です。これからの運動にとって最大のマイナスは「所詮あれが正しい歴史を声高に叫ぶ者たちの本性なのだ。彼らが作った教科書で教育されたところで立派な人間になどなりはしない。彼らの振る舞いをみれば分かることだ」と後ろ指をさされることでしょう。この会には、本当に純粋な良心や宗教心から献身的な貢献してくれている会員が多数います。公明正大ならざる振る舞いで、彼らを失望させれば会は崩壊しかねません。謀略を疑われるような拙速は避け、今はじっくりと事実確認に努めるべきだと思います。何をそんなに慌てふためいているのかと理解に苦しみます。
 先のファックスでも若干申し上げましたが、もしも宮崎事務局長について身分に関する責任を問うのならば、旧執行部についても同様の措置を考えべきでしょう。


●(資料2)
                          平成17年11月17日
 八木秀次会長様                      松浦光修

       緊急理事会に対する意見書

一昨日、速達にて緊急理事会の御案内を受け、その文面を一読して驚いています。遠方で旅費もおかけしますし、また急なことでもあり、欠席させていただきますが、送付いただいた文書を拝見して、かなり違和感を覚えましたので、書面にて申し上げます。

① いただいた文書を読むかぎり、今回第一に問われるべきは、「コンピュートロニクス株式会社」の「保守契約書」の契約不履行なのではありませんか?。その契約違反による損失額が具体的に、どの程度のものなのか、一千万円という数字は何を根拠にしているのか、もしも本当に契約違反なら、「つくる会」として、なぜ、まず契約不履行を追求しないのか、この点、不思議でなりません。

② 内部の責任追及は、その作業を通じて、外部の処置が落着した後に行われるのが、普通の手順でありましょう。それがなぜ、それは問わないまま、内部の責任追及が優先されているのか、それに、なぜそれを「緊急理事会」を開いてまで、慌てて決定しようとしているのか、私には、よくわかりません。

③ 宮崎氏には、今回の採択の総括をまとめる、という重要な仕事があり、それは今後の採択のためにも、ぜひとも必要なものであつたはずです。宮崎氏のミスはミスとして、その関する処分は、その重要な仕事のあとでは、なぜいけないのか、私には理解できません。

④ 上司が部下の処遇を考える時には、これまでの「功罪」の両面から、総合的に判断すべきでしょう。「功」について、私個人にかぎって言えば、これまでの「つくる会」の、支部活動以外の仕事を(理事をお引き受けしたことを含め)お引き受けしてきたのは、単に会の活動や八木会長を支援したいから、という気持ちのみからではありません。それに加えるに、宮崎氏の多少強引とも思われるお誘いがなければ、お断りした仕事も多かったと思います。おそらく会員の中には、そういう方も少なくないはずです。

以上、取り急ぎ申し上げました。「本部の事情のわからぬ者の的外れの所感」とお思いでしょうが、私には一支部長として支部会員への説明責任があります。万人が納得できるよう、事態を収拾していただきたいと思います。そして、くれぐれも「角を矯めて牛を殺す」ことのなきよう、明日の理事会では、その点を御配慮の上、よろしく御議論ください。(付記 転載にあたつては誤字等を修正し、また会員の個人情報に関する文言は削除しています)

雑感・つくる会の逝きし日々(2)ー三重県支部設立のころー
松浦光修
                      
 私が「つくる会」と関係するようになったのは、平成10 年も暮れるようとする12月も半ばであった。もう八年も昔のことになる。翌11年5月、思いもかけず「三重県支部」の設立を任されてしまい、暗中模索ながら、同年10月3日、ようやく支部の設立にこぎつけた。この間のおよその経緯は、拙著『いいかげんにしろ日教組』(PHP研究所・平成15年)に記しているが、まことに「一からの」そして「手づくり」の、支部設立であった
 「支部長は、ぜひとも地元の名士に引き受けてもらいたい」と考えた私は、いろいろな方を訪問したが、むろん地元の名士で、そんなことを喜んで引き受けてくださる方など、そうそういるものではない。何人もの方をあたったが、次から次へと断られた。私は、まずこの段階で「つくる会に対する世間の風の冷たさ」に直面せざるをえなかった。最後の最後になって、ようやく引き受けてくださったのが、昨年12月 25日、享年96歳をもって帰幽された神社界の長老で、かつ神道学者としても著名であった櫻井勝之進氏である。
 支部長探しの次は、設立大会の準備で大忙しであつた。当時、実質上の協力者は、事務局長を引き受けてくださっていた三木茂一さんだけであった。しかし、三木さんはワープロもパソコンも使えない。だから大会当日に配布する資料の入力・印刷・袋詰めなどに限っては、私が、ほぼ一人でやっていた。今でも、そのころコツコツ入力した全県下の教育委員会の住所録などが残っている。もつとも、「平成の市町村合併」がすすんで、それももう…なかば意味のないものになってしまつたが…。
 
 役員となっていただく方々への就任依頼、講師への講演依頼、会場の選定や準備、招待状や案内状の作成、寄付集め、アルバイトの手配、懇親会の計画などなど…仕事は無数にあった。たとえば、懇親会の計画一つでも、会場の準備から、出すビールの本数まで、私は三木さんと、すべて一々、電話で相談しながら決めていたものである。支部設立の平成11年の総会・講演会は、何もかもはじめてのことであったので、特に気苦労が多かった。三年ほど前からは三重県支部にも、強力に応援してくださる方が何人も見あらわれ、かなり仕事は楽になったが、その平成11年の支部設立から昨年まで、ともあれ私は、ほぼ毎年一度、総会・講演会を開催してきた(それも結局のところ、昨年の秋に行ったものが、私としては最後のものとなったが…)。
 私は昨年の総会・講演会まで、多忙な研究、教育などの本務…、また増え続ける講演依頼、執筆依頼などを受けるかたわら、一方では、そんな地道な作業も、同じようにつづけてきた。しかし、その経験を通じて、私は、ただそれだけのことに、どれだけの労力や支援が必要なのか、そして、ただそれだけのことに、どれだけ多くの方々の「気くばり」や「まごころ」が必要なのか、ささやかながら、「体感」してきたつもりである。
 そういえば、あまりの忙しさに閉口して、私は三木さんに「もう支部長やめたいんですが…」と、よくグチをこぼしていた。そのたびに三木さんは、「がんばりましょうや」と私を励ましてくださった。しかし、三木さんも、時に事務局長の忙しさに閉口して、「松浦先生、もう私は…」と、暗に私に辞任の希望を伝えるため、わざわざ伊勢まで出向いて来たこともある。その無言の訴えを、私はわかっていて(申し訳ないことながら)気づかぬふりをしつづけ、結局のところ、辞任を諦めてもらったこともある。励まし、また励まされ…、その人間関係の機微の中から生まれるものこそ、真の意味で「国を思う人々のネットワーク」なのであろう。少なくとも私は、同志である「事務局」の人々に対して、敬意のかけらも払わない(払えない)人々が、偉そうに「美しい日本」について語る資格はない、と思っている。
 ともあれ、地方支部とは、そのような純粋、かつ無私の方々の、いわば涙と汗の結晶を組み合わせつつ、構成されているものなのである。愚かな私ではあるが、これまでの理事の中で、その点を熟知している点にかけては、決して人後に落ちるものではない、と自負している。いつたい、これまでの「つくる会」の理事で、そんな地方の現場を「体感」してきた人物が、何人いるであろうか?。私が理事になって、すぐに理事会の空気に「とても気持ちの悪い何か」を感じたのも、あるいはそうした現場経験を長く積み重ねていたせい…かもしれない。
         ☆          ☆
 はるか昔…、建武三年のこと、京都で公家たちが「詮議」をしていたが、その「詮議」は、ある愚かな公家の扇情的な発言にひきずられていた。やがて彼らは、現場を最も知っていた楠木正成の建策を退け、いかにも公家くさい、虚栄心に満ちた、現実離れした作戦計画を決定してしまう。そして、その愚かな作戦によって正成は「討死」し、やがて「建武中興」は瓦解していく…。今の私には、なにやらこの半年の「つくる会」の理事会が、その公家たちの「詮議」と、どこかしら似ているように思われてならない。
         ☆          ☆
 すでに理事を辞任した今、時に私は三木さんと一杯やりながら、ゆっくりと三重県支部設立のころの思い出話でもしたいものだ、と思うのであるが、もはやそれは、かなわぬ夢である。三木さんは平成16年2月14日の早朝、大変な交通事故にあった。幸い命はとりとめたものの、事故後は、もはや会話することさえままならない。三木さんは今、ご家族の暖かい介護を受けながら、静かに療養生活をつづけている。(平成18年5月17日 記す)  
        
                        
                        
もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(5)ー宮崎氏の弁明書ー
【解説】
 (資料1)は、(資料編3)で掲載した執行部会の「コンピューター問題」についての「調査報告」ならびに「処分案」に対する宮崎正治事務局長の各理事宛の弁明書です。
 宮崎氏が、この弁明書を各理事宛に出した最大の理由は、自分の処分が決定される11月18日の理事会への出席を認められず、事情を知らない理事達に対して自ら弁明する機会を奪われてしまったからです。

 後に破綻を見ることになる「調査報告書」の問題点は、すでにこの「宮崎弁明書」で言い尽くされていたと言っていいでしょう。
 最大の問題点は、一事務員の訴えを執行部会の理事たちが鵜呑みにして、宮崎氏本人に事情を聞くこともなく、いきなり彼を犯人扱いしたことでした。しかも、「本決定[宮崎処分案]については理事会の承認を受けるが、執行部としては承認されない場合は総辞職する決意である」などと脅しているのには驚かされます。

 10月28日の執行部会では、藤岡氏の提案で、急遽、宮崎氏の出席を拒否し、西尾名誉会長の参加を求めた上で、「コンピューター問題」が提起され、事前に本人に何の事情も聞くことなく、「調査委員会」の発足と、宮崎氏の「出勤停止」が決められてしまいました。
 これは八木会長とっては、寝耳に水の出来事で、「コンピューターが大変なことになっている」「宮崎がそれを隠蔽している」「裏で金が動いているかもしれない」「こういう場合には、宮崎を出勤停止にして、帳簿と預金通帳を押さえるべきだ」などと主張した西尾氏や藤岡氏に圧倒され、すっかり、「大問題だ」という先入観と、会員に対して申し訳ないという罪の意識とをうえつけらてしまったのです。

 そして、実際、その日の理事会では、一体何のことだか執行部以外の理事には訳が分からない状態の中で、「調査委員会」の設置が承認され、10月31日には、藤岡副会長、高池理事、富樫監事が始業時に合わせて事務局に乗り込み、宮崎氏に「休暇」を命じるとともに、関係書類を持ち出したのでした。

 ずっと後の事ですが、藤岡氏の「平成13年共産党離党」情報が流れた時に、八木氏がその情報について公安関係者に確認し、確認した内容をいく人かの理事や新聞記者に語ったことをもって、藤岡氏は「私に聞く前に、公安に確認するとは何事か! 私を疑うことがそもそも怪しからぬ!」と、とてつもない罪でも犯したかのように八木氏を責めたてたということです。
 けれども、宮崎氏の場合を考えてみれば、一部の情報を鵜呑みにして、誰かを頭から犯人扱いするというやり方について、藤岡氏に他人を批判できる資格があるとは思えません。皮肉な言い方をすれば、「八木さんは宮崎さんの時と同じことをしただけでしょ。それはあなたが主導したやり方でしょ」ということです。しかも、藤岡氏の場合には、宮崎氏の場合とは違って、大本にちゃんと確認をとり、しかも極一部の人に話しただけなのですから、八木氏は「ちゃんと学習していた」とさえ言えるでしょう。
 ところが、西尾氏や藤岡氏は、宮崎氏に対する悪質な虚偽情報を会の内外で盛んに言い触らされしたにもかかわらず、未だに公式にも非公式にも一切謝罪していないのです。

(資料2)富樫監事に対する田中会長・宮崎事務局長連名の回答書(平成15年3月)
 この資料は、新会員管理システムの導入時に、契約内容について富樫監事や西尾名誉会長から疑義が出されたので、二回に渡って理事会で慎重に審議し、「3年半契約で約1000万円」という契約内容が承認されたことを示しています。したがって、今さら、その金額が高すぎたなどと主張し、あまつさえ、その主要な責任が宮崎氏にあったかのように言い募ることが不当なのは論をまたないでしょう。

※なお、直接の関係者以外は匿名に改めています。


(資料1)「コンピューター問題」についての宮崎事務局長の弁明書

平成17年11月16日

新しい歴史教科書をつくる会
 理 事 関 係 各 位
宮崎  正 治 印


 諸先生の日ごろのご指導に感謝いたしますとともに、このような形で、私見を述べることをお許し願います。
 昨日、「事務局再建委員会」の調査報告書とともに八木会長名の執行部決定の告知が小生のもとにも届きました。
 本決定に関しては、去る11月12日(土)に執行部より呼び出しを受け、「未定稿」の報告書を渡されるとともに、その結論部分を読み上げられ、口頭にて執行部決定を告知された次第です。その席上でも、本決定への若干の質問と所感を述べましたが、本決定については理事会の承認を受けるが、執行部としては承認されない場合は総辞職する決意である旨を伝えられるに及び、告知の草稿を書き取らせていただき、辞去した次第です。
 通知によれば、18日に臨時理事会開催とのこと。しかしながら、小生には理事会案内状は届いておらず、意見陳述の機会さえ与えられないものと思われます。かかる上は、卒爾ながら本件に関する私見をまとめ、事前に理事各位のご高覧に供し、理事会の賢明なるご判断を仰ぐほかなく、このような郵送に及んだ次第です。

 もとより、4年余にわたって事務局長として会の健全かつ民主的運営につとめてきた立場から、執行部決定に異議を申し立てていたずらに会を混乱させることは本意ではなく、
 ・この私見表明は、あくまでも「祖国再建運動の象徴的存在」となった会の将来を考え、4年後の採択へ向け禍根を残さないことを願ってのものであること
 ・小生、自らの非力さも十分自覚しており、理事会・執行部、事務局が相互信頼のもと一体となって再出発するにあたっては、これまでの経験を生かして何らかの形で寄与したいという願いはあっても、事務局長の職に拘泥する気は毛頭ないこと
 ・さらに願わくば、不毛な批判の応酬は控え、『新しい歴史教科書』が4頁を割いて特筆している聖徳太子の精神に則り、憲法十七条に示された人間観や公共奉仕の精神にもとづき、社会の師表となるような理事会・執行部・事務局をお互い目指して行けるようありたいことを申し添えておきます。


①「事務局再建委員会」発足の背景とその不健全さに関して

 報告書にある通り、本委員会の発足は、前回の理事会で決定しましたが、ご出席の理事の諸先生も唐突に持ち出されたため、唖然呆然としてほとんど論議のしようがないまま承認(?)されたというのが事の真相ではないでしょうか。

 というのも、すでに理事諸兄の多くは、9月中旬より執行部の一部に「事務局長更迭」の声が出始め、総会を前にした9月21日の理事会でも議題に予定されていたという経緯を承知されていたからです(ただし、この時は反対が多数を占めると予想されたため議題から取り下げられたとのことです)。

 事務局長問題に関する小生の考えは、「はじめに事務局長更迭ありき」では健全な会のあり方に反する、というものです。もとより、小生とて今回の採択結果についての責任は痛感しており、責任をとって事務局長を辞任すべきかと苦慮し、関係者に相談したこともあります。また、今回の採択結果の組織的総括のうえ、理事会・執行部会、事務局の方向性が示され、その結果、小生よりも適任者がおられたらいつでも引く覚悟でいました。
 しかるに、十分な総括と今後の展望についての検討もなされることなく、何かに急かされた如く「事務局長更迭」のみを優先されることに不自然さ、不健全さを感じ、これでは会の今後に禍根を残しかねない、かつての「また……か!」の会に逆戻りして会の信頼を損ねかねないとの懸念から、9月17日深夜に最初に受けた辞職勧告以来、同意することなく今日に至っています。
 幸いというべきか、事務局長問題の結論は総会後に持ち越され、総会終了後の10月中旬、次期事務局長候補として推薦された運動担当の事務局次長を迎えるとともに、来年3月までに事務局長人事の結論を出すという、まことに独特な執行部案が提示され、小生もそれだけ時間をかければ会にとって最適な結論に落ち着くはずと思って歓迎し、10月21日に暫定的な事務局体制がスタート、執行部を交えての歓迎会の日程も決定していた次第です。

 しかるに一週間後の10月28日の理事会の場において、いきなり一方的に「事務局の機能不全」を宣告され、「事務局は本日より、執行部会管理に入ります」との執行部決定を通告された次第です。その時の理事会の反応は前述の通りですし、小生も突然のことで言葉も出なかった次第です。その強圧ぶりに内心シラケていたというべきかもしれません。
 この決定に対し事務局員のほとんどが反発していたことは確かで、31日午前、事務局に理事会決定の説明に来られた藤岡副会長に対し、事務局を代表して小生より、「事務局の機能不全」宣告は「心外である」旨を伝えた次第です。

 と申しますのも、執行部の「事務局の機能不全」の判断の根拠として示されたのが、事務局員が提出した事務局強化へ向けた企画書だったからです。この企画書は、八木会長の提案により小生が事務局員に提出を指示したものであります。定期総会でも事務局強化が課題として決定していたことでもあり、事務局員にも日ごろ思っていること、自分はこんなことをしたいなど自由に書いて提出するように、提出されたものは八木会長と私が見て、揃った段階で全員に配布し討論会を行う旨を伝え、何度か督促を繰り返して提出してもらったものです。最初の一人分を見られた八木会長より、副会長にも送るようにと指示があり、それなら理事会前に届くようにと、急いで残りを取りまとめ、全員の分を会長・副会長に届けた次第です。なお、理事会前日の夕刻、会長とお会いした際は、既に企画書に目を通されていて、是非みんなで討論会をしましょうと、事務局員全員による討論会に期待を寄せておられました。

 ですから、理事会当日までまさかこの企画書が問題となり、「事務局の機能不全」を宣告されるなどとは誰も思っていませんでした。むしろ、事務局が機能し、それなりに信頼関係があり、個々人に会に対する愛情と向上心があったからこそ、かかる自由に書かれた企画書が揃ったのです。
 ところが、事務局の実情に疎い先生方にはこの企画書を異常と見られたのか、理事会当日の執行部会で問題となり、参考資料として理事会に提出するよう急遽指示が出され、前述の「事務局の機能不全」宣告となった次第です。採択本部長である藤岡副会長にいたっては、7月初旬までは、それまでの事務局の働きに「パーフェクト」と称賛されていたにもかかわらず、です。

 せっかく苦労してまとめた企画書なのに、それが事務局批判、事務局長批判に悪用されてしまった、との声があることを理事諸先生方にもご理解いただき、「事務局の執行部管理」がいかなる目的でなされているかご賢察たまわりますようお願いいたします。


②「会員管理システム」問題化の不健全さに関して

 一方、今回の告知の本題である「会員管理システム」問題についても、執行部による告知の場でも申し上げましたが、問題の取り上げ方の不健全さを指摘させていただきます。最初に本問題を直訴した事務局員の意図するところを超えて、故意に重大視し、問題化されてきたため、当人は事態の進展に当惑しているとも仄聞いたしております。

 そもそも、本問題は、執行部の一員である事務局長には何らの問い合わせや確認もないまま、報告書にある通り、前回理事会の場でいきなり、事務局再建委員会の設置とともに「コンピューター問題調査委員会」を設置し調査を開始する旨の執行部決定が報告されたものです。小生にも寝耳に水のこの報告は衝撃で、このような決定は不本意で認められないと思い挙手して発言を求めましたが認められず、理事会の最後に至って発言を促されたため、①小生としては本件について問題性を認識していない故かかる措置は不本意である、②何ら問題はないと確信するゆえくれぐれも厳正な調査をお願いしたい、旨の発言を行いました。その理由は、後述いたします。

 一事務局員の発言だけで(それもどこまで本人の意志かは不明)、事務局長や他の関係者の誰にも意見聴取することなく、いきなり、本来の構成員たる事務局長を排除した執行部会で上記の決定が行われた事実経緯をお知りになれば、本件の本質が奈辺にあるのかご賢察いただけるものと思います。
 執行部会決定以前に、事務局長に事情を確認し、本件の経緯に関する関係資料の提出を求めるのが筋であるのに、それらの手続きを一切省略し、いきなり事務局長を被告席、被疑者席に追いやる性急な措置が下されたことには明白な意図性があるとしか考えられません。しかも当日の執行部会は、事務局長である小生も参加して開催されることに決定していたにもかかわらず、小生が会場に向かう途中になって急遽、出席しないことになったと告げられたのです。事務局長としての小生は、この一連の判断を主導された担当者の責任
を追求したい気持ちであります。

 なお、付言すれば、本件は平成15年初頭、執行部会、理事会で数次にわたって報告・検討のうえ、承認を受けてきた事例であります。しかるに当時より疑義を提示していた当事者本人である富樫監事をいきなり調査委員会の一員に加え、当人提出の資料(事務局田村氏ならびに宮崎より提出分含む)をもとに、「コ社」の平岡氏の外は当時の関係者(木沢、阿部、大島ほか)の誰ひとりからも事情聴取せず、途中から事務局に入った丸山女史の発言のみで調査を終えておられることにも、調査の方法として片手落ちではないかと疑義を呈しておきます。


③事務局長としての「会員管理システム」問題に関する認識と解決案

 「調査報告」では、「本システム導入以来導入実務の責任者である宮崎事務局長が今日なお事態の重大性を認識していないのも理解に苦しむ」とあります。しかしながら、この件については調査委員会での小生の主張が一切「調査報告」に書かれていないため、誤解を生じかねないと思われますので、簡単に説明・報告させていただきます。

 本件は、事務局長就任(13年10月1日)前後に発端があり、事務局掌握まもない小生にとっての悩みの種の一つであったことは、委員会の「報告」からもご理解いただけるものと思います。それ故、事態の進展の都度、執行部会や理事会に図り、決定を仰いできました。とりわけ、当時の小生はコンピューターについては全くの門外漢であり、物事を決定するにあたっては、専門的知識のある関係者の判断に頼らざるを得ず、本件については一切独断はせず、関係者の意見を聞き、最後に総合的な見地から判断を下すという姿勢を貫き、責任を負ってきた、というのが小生の立場です。

 本件契約の発端については、業界の事情に疎い小生が事務局長に就任することが決定していて、総会提出の予算案も小生が最終決定することになっていたため、監事の富樫女史と相談のうえ木沢氏が小生へ予算要求を行ったことに発するものと思われます。その後の経緯については概ね「報告」と大同小異ですので省略しますが、途中、何度も契約内容とその履行について平岡氏に直談判に及んでいたことも付け加えさせていただきます。

 これらを前提として、問題となるのは責任者としての小生の事態認識になりますが、本問題の解決に小生なりの案を持って、会長にも相談する段取りを進めており、決して事態を軽視していたわけではありません。
 すなわち、これは9月初頭から3度目の挑戦へ向けた事務局改革の一環として、会の学生会員・家族会員用のソフト作成者で、事務所のコンピューター施設全般の相談相手にもなってもらっているA氏に専従事務局員になってもらい、事務所のコンピューター部門の総責任者になるとともに、ソフト管理の責任者、事務部門の統轄責任者になってもらうというもので、本人も了承、八木会長、西尾名誉会長にも腹案として相談し、八木会長には本人に会ってもらうよう要請していました。その案の中には、会の組織力の底上げを目的としてメールアドレスを登録している会員に対する定期的な情報発信システムの構築も含まれていました。A氏は、長年、全国組織のコンピューター部門の責任者をつとめるとともに事務局長経験も豊富で、事務局統轄者として最適任と判断してのことです。もちろん、本件が問題化する以前のことです。
 しかしながら、9月17日以降、小生の事務局長更迭の動きが執行部の一部にあり、会長はその問題が落ち着くまで待って欲しいという返答であり、A氏には暫時返事を待ってもらうよう要請していた次第です。

 A氏の職場退社の情報をもたらしたのは、会員管理担当の事務局員丸山女史であり、両名の間には日ごろよりソフト管理に関する相談のやりとりが行われており、事態の根本的解決には、本件に当初より関係しているA氏の協力を得ることが最適との判断は、丸山女史にも伝えていました。
 しかし、事務局長問題の解決が長引いて八木会長とA氏入局の相談が出来ず、A氏の方にも他団体から事務局長就任の要請があり、結果的に同氏の全面的な事務局入りは不可能となりました。しかしながら、会員管理ソフトに関しては同氏より、現在3つに別れているソフトを一本化するとともに、不要なシステムをカットする等、出来るだけ合理化する方向で進める、費用については製作費100万から200万、保守費月5万との条件まで提示した上での協力申し出があり、そのことは事務局の田村・丸山両名にも伝え、さらに調査委員会の場でも報告した次第です。

 「コ社」側が平岡氏の社内的立場の変化により、契約履行に困難さを感じている旨通告してきたこと、推移如何では平岡氏の退職にもつながりかねないとの懸念も、田村氏を通して伝えられており、平岡氏との交渉は、A氏の事務局入局問題解決をもって、同氏を交えて行うとの判断も、丸山・田村両名に伝えており、この件についても調査会の場で報告した次第ですが、それらについて「報告」が一切コメントすることなく、小生に事態の重大性の認識が欠けていたと決めつけられていることは、「報告」の公平公正さへの疑義を募らせるものであります。


④執行部決定(告知)に関しての所見

 執行部による告知の場でも所感の一端を申し上げましたが、小生としては、本件に関する執行部の決定は、現状のままでは承服できません。
とりわけ、悪意・不正がなかったことを認める一方、会に及ぼした影響として「一千万の損害」を会に与えたかのように主張され、そのことを処分決定の理由とされていますが、会への損害の認定の根拠は何ら示されておらず、きわめて不明確で、一方的かつ恣意的にすぎるといわざるを得ません。

契約額及び契約期間の妥当性については、すでに数次の執行部会や2度にわたる理事会での討議により決定承認済みであり、3年半という短い契約期間は名誉会長からの提案を受けた理事会決定でありました。また、金額の最終決定段階では、財務責任者である種子島副会長のご自身の経営者としての経験や関係者からの聞き取りに基づくご発言が支持されて理事会決定となりましたし、500万円を一時に払うことも確か名誉会長提案による理事会決定であると記憶しています。

 ※参考に供するため、平成15年1月27日開催の第58回理事会に提出した「パソコン.ソフトの保守管理移管に関して」と題した事務局作成の経過報告資料と、同年3月18日付で富樫監事に送付した「執行部へのご提言に関する回答」を同封いたします。

 実質3年半の契約に総額960万円の契約が妥当だったのかどうかを再び論じることの是非は措くとして、既に3年以上経過し、今回問題となっている障害についても、それが業務に支障を及ぼす範囲のものでなく、契約期間がほぼ事故なく終了するものと想定される以上、会へ与えた損害の判定は極めて微妙であるといえます。

 もちろん、契約に沿って速やかに対処しない「コ社」側の不実、そのことがオペレーターに与えた心理的苦痛については別途判断を要する問題といえます。また、監督責任者としての小生の処理方についての責任も問われてしかるべきかと思われます。ただし、この件については「コ社」側から当会窓口への苦情があったことも申し添えておきます。
 また、万一の場合に備えて常にバックアップはしていますし、契約期間中に事故があった場合には「コ社」相手に損害賠償を求めることは言うまでもありません。また、契約期間中に「コ社」側がかかる不足の事態を出来するものとも思われません。それゆえ、万一のことを想定しての損害判断も現段階では不要と思わざるを得ません。

 以上のことから、1000万もの多額の損失を会に与えたかのような判断に基づいてなされている今回の執行部決定は、はなはだ妥当性を欠くものではないかと思われます。

 また、処分のはじめに、「監督責任及び道義的責任」として「現執行部5名及び名誉会長が100万円を会に納付する」とありますが、この決定の根拠はきわめて曖昧であり、事務局長の責任を問うため設けられたものではないかとの疑念は拭えません。会の損害認定の根拠も不明ななかで、どのようにして100万円の金額を設定されたのか理解に苦しみます。したがって、この項の処分内容の妥当性については、理事会の場において十分な議論がなされるようお願いいたします。

 なお、事務局長である小生への処分の妥当性についての意見は差し控えさせていただきます。

 以上、執行部決定に関しての私見を申し述べましたが、理事会において小生の意見が取り上げられ、慎重審議の上で結論が出された場合は、その決定に従うことを誓います。


(資料2)
                        平成15年3月18日
富樫信子監事殿
                     新しい歴史教科書をつくる会
                         会長 田中英道
                         事務局長 宮崎正治

        執行部へのご提言に関する回答

 日ごろより、弊会の監事として、会の発展のためにご尽力いただいていることに心より感謝申し上げます。
 さて、貴殿より提出された1月27日付の「新会員管理システム移行取引について」(会長 田中英道宛)の報告文書、ならびに2月10日付の「『新会員管理システム移行取引について』の理事会決定事項への提言」(西尾名誉会長ならびに会長・副会長・事務局長宛)に関して、執行部会ならびに理事会で協議した結果を、下記に回答いたします。
 まず、貴殿からご提出の報告文書ならびに提言は、1月27日開催の第59回理事会、3月10日開催の第60回理事会において正式議題として取り上げられ、ご提出の文書はそれぞれ事務局長より会議の討議資料として出席者全員に配布され、慎重審議がなされたことをご報告いたします。

 1月の理事会当時にご提出の報告文書については、事務局長からの「パソコン・ソフトの保守管理移管に関して」(貴殿にも送付済み)の報告書とともに第59回理事会に提出され、各理事から意見を徴した結果、
   ①ソフト会社のコンピュートロニクス(株)と正式な契約を締結する。
   ②契約期間は、平成14年10月より平成18年3月までの3年半とする。
   ③保守料金を含めた契約を約1,000万円とし、その半額をソフト制作費として    今期中に支払い、残額は保守料として月々の支払い(約11万円)とする。
の3点を決定いたしました。
 会員管理ソフトの移行に関しては、一昨年秋、事務局長より執行部会に提案があり、執行部の了承のもとすすめられてきたものです。しかるに、当初予定より種々の理由で完成が遅れ、当初見積もりを上回る契約要請がコンピュートロニクス側よりなされたためか、貴殿の「疑義」を招き、貴殿は田中会長に対して第三者による査定の申し入れをなされました。田中会長は、無償の条件のもと貴殿の申し入れを受け入れ、事務局長に協力を申し渡しました。その結果、貴殿ならびに貴殿の紹介者による査察が、資料の提供など事務局の全面的な協力のもとなされ、その結果を貴殿は上記報告文書として提出されたものであります。
 理事会では、西尾名誉会長より、貴殿の文書にある「疑義」をめぐって、会の財務状況への危機意識を促す意見が出されるとともに、契約期間等について若干の意見交換がなされましたが、最後は財務担当理事である種子島副会長の、事務局の原案通り契約を進めるべしとの意見が支持され、上記の通り決定した次第です。
 この第59回理事会決定は事務局長より貴殿に対して口頭報告がなされるとともに、事務局長は理事会決定にもとづきコンピュートロニクス側との交渉を重ね、最終的に理事会決定の枠内で合意が得られたことを執行部会に報告し、了承避けました。
 しかるに、貴殿より理事会決定に関する疑義に基づく第二の文書、すなわち「提言」が出されたために、執行部会で検討の結果、事務局長の本契約条件(総額962万円、うち500万を3月中に支払う)に関する報告とともに、貴殿が提出された文書を第60回理事会に提案し、審議に付した次第です。
 貴殿のご提案の内容は「ソフト業界における経済取引慣行に照らして、当該ソフト業者は、業界のモラルに外れているといわざるを得ません」とのび指摘にみられるように、コンピュートロニクス側についての3点のご提言を含むものでありました。
 理事会では、事務局長より貴提案の概要が報告され、討議した結果、
   ①本契約に関しては事務局長報告を了承し、速やかに締結する。
   ②なお富樫監事からのむ3提言に関しては、以下の通り決する。
    ・第1の提言である、第三者の外部コンサルタント立ち会いのもとに契約内容をつろめ件については、会の機密に関わる本件の性質上なじまない。
    ・第3の提言である、会計に関する重要事項についての監事の理事会出席等については、提言の通り、「理事会が必要あると認めるとき」、出席を要請する。
   ③富樫監事の今回の提言に対しては、理事会での討議内容をもとに事務局長が文書回答の原案を作成し、会長・副会長の承認のもとに富樫監事に送付する。
ことが決定されました。
 事務局長は、この決定に基づき、貴殿からの問いかけに際して、文書で回答する旨を答える一方、理事会での決定に基づき本契約を締結かべく、その条件を貴殿に送付した次第です。
 以上、ご報告させていただきます。

 なお、理事会では、貴殿からの重ねてのご提案が当会監事としての貴殿の弊会会計に関する並々ならぬ責任感に発するものであることを認め、感謝の意を表するものであります。また、事務局長も理事会の席上、改善かべき点は改善しなければならない、と貴殿の提案を前向きに受け止めた発言をいたしています。しかしながら、公認会計士として貴殿がこれまで経験されてきた営利を目的とした企業や公益法人と、任意団体である当会の性格との間に齟齬がある、との指摘が理会においてなされたこともこご報告させていただきます。
 最後に、本報告をご了承いただき、今後とも会の健全会計にご尽力たまわりますようお願い申し上げます。


もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(4)ー伊藤隆先生の辞表ー
【解説】
 松浦光修氏が「雑感・つくる会の逝きし日々(1)」の中で「去る二月、その伊藤先生も、藤岡信勝氏に対する激烈な批判の言葉を残して『つくる会』を去られた」と述べている部分についての資料です。
 3月11日に開催された「つくる会」の第4回評議員及び全国支部長会において、内田理事の求めにより、伊藤先生の弟子である福地惇理事によって読み上げられました。
 なお、福地理事は、2月27日の理事会で「八木会長解任動議」を提案したことについて、伊藤先生から「藤岡と組むなんて、お前の目は節穴か。まるでピエロだ。それでも学者か」などと叱られてしまったそうで、八木氏や内田氏や宮崎氏に会った時に「不明を恥じる」と何度も言っていたそうです。私には「伊藤先生に義絶されてしまった」と漏らしていました。
 ところが、その後また、八木追放派の急先鋒へと転身してしまいました。この福地氏の迷走が理事会の混乱に拍車をかけたのは間違いありません。その経緯については後に本編で詳しく述べることにします。

(資料)
         辞 表

 新しい歴史教科書をつくる会の立ち上げ当初から理事として参加してきましたが、教科書が出来た段階で、自分のしなければならぬ仕事に専念するために辞意を申し上げておりました。形だけでもよいから残留して欲しいと当時の田中英道氏から慰留され、さらに私が信頼している八木秀次会長に交替したときにはそのままにしておりました。大した事は出来ないが、多少なりともお役に立てればと思って今日に至りました。ところが今回の騒動で、私が積極的に参加していた時期にも繰り返し内紛が繰り返されていた、その際必ず藤岡信勝氏がその紛乱の中心の当事者であったこと、それがこの会の発展の阻害要因ともなってきたことを思い出し、私の信頼する八木会長を解任した藤岡氏が会の実質上のリーダーとなるような今日の事態のもとで、最早理事として名を連ねることは、全国の運動を推進されている会員の皆様に対して責任を果たす所以でないことを考慮し、改めて理事を辞退させて頂きたく存じます。
 なにとぞ、ご了承下さるようにお願い申し上げます。
  平成十八年三月九日
                             伊 藤  隆 印
新しい歴史教科書をつくる会会長 種子島経様

雑感・つくる会の逝きし日々(1)ー伊藤隆先生去る…の意味がわからない人々ー      
松浦光修

  
「つくる会」の活動を盛んにやっていたころの話である。ある親しい(著書も複数ある)教養人から、「こういう社会活動をやっていると、大学の世界では、ずいぶんと高く評価されるんでしょうね?」と言われたことがある。まずはビックリした。次に「ああ、これほどの教養人でも、大学の世界というものの実態が、まったくおわかりではないのだ…」と悟り、私は暗然たる思いにとらわれた。

 評価されるどころか、こんな活動をやっていると、今の大学の世界では白眼視され、誹謗中傷されてしまう。それが、あたりまえなのである。三重県においては職を奪われた大学教授さえいる(拙著『いいかげんにしろ日教組』参照)。専門書も博士号も持っていない“あやしい大学教授”はともかくとして、それらを持ちつつ、それでもなお、このような活動をやるというのは、学界では、よほどの“バカ”か “お人よし”でないとできないことなのである。

 ましてや今の我が国の日本史関係の学界は、そういう一般的な学界からさえ、さらに隔絶した「サヨクの楽園」である。いくら私が“バカ”だとはいっても、私も日本史の学者のはしくれではあるから、さすがに心細い思いをする時がないでもなかったが、つい最近まで「つくる会」には、日本史プロパーの大先輩として、尊敬する伊藤隆先生がいらっしゃった。世間の方々は、あまり御存知ではないようであるが、日本史の“プロ”から見て、伊藤隆先生の名前があるのとないのとでは、その歴史教科書の“重み”は、格段に違ってくるのである。いくらサヨクが『新しい歴史教科書』を「素人がつくった歴史教科書」と、非難しようとしても、先生の名前があるだけでその種の非難は封じることができる…、「伊藤隆」という名前は、“プロ”の世界ではそれほどの威力をもっていた。

 しかし去る二月、その伊藤先生も、藤岡信勝氏に対する激烈な批判の言葉を残して「つくる会」を去られた。伊藤先生を失ったことほど、「つくる会」の、ひいては『新しい歴史教科書』の学問的信用を落とした出来事もあるまい。それにもかかわらず、どうやら会の関係者は、今もその点に関しての深刻な認識を欠いているようである。「いかにも素人くさいこと…」と私は呆れている。(平成18年5月14日記す)
もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(3)ー「コンピューター問題」関連資料および間抜けな私の返事ー
【解説】
 今回ご紹介するのは「つくる会」内紛の直接のきっかけとなった「コンピューター問題」関連の資料です。この「コンピューター問題」は、次のような意味で決定的に重要なものでした。
①.内田・勝岡・新田・松浦の四理事が、創業者の横暴や驕りに気づき、「つくる会」理事会に潜む謀略体質をはじめて体験して、西尾氏や藤岡氏と対立していくことになるきっかけになったこと。
②.当初は、理事会内の宥和を重んずるという考えから西尾氏や藤岡氏の意向を尊重しようとしていた八木氏が、途中から「コンピューター問題」の虚偽性・謀略性に気づくことによって、西尾・藤岡両氏から離れて、会長としてのリーダーシップを発揮しようと考えるようになるきっかけになったこと。
③.「会員管理システム問題に関する調査報告」を起草した遠藤浩一氏が、自分が起草したこの文書の正当性にこだわる余り、結果的に西尾・藤岡両氏に同調するようになってしまったために、八木氏が会長と副会長(藤岡、遠藤、福田、工藤)で構成する執行部会(実質的には西尾氏を含む)の中で孤立するようになってしまったこと。
④.宮崎氏に対する処分案を各理事に通告する前に、執行部は労働法の専門家だということだったので、弁護士の高池勝彦理事に妥当か否かを一つ一つ確認し、「妥当である」との回答を得ていたといいます。良識ある中間派だと思われていた高池理事が、西尾・藤岡両氏に同調し、宮崎氏に対して厳しい姿勢をとり続け、最後には八木会長解任に賛成するところまで行ってしまった背景には、この時の専門家としての判断のミスを認めたくなかったことがあるのではないかと言われています。

●(資料1)「コンピューター問題」関連資料の「送り状」
 この資料のポイントの一つは「1000万円もの損失を当会に与えた」と書いている部分です。つまり、「コンピューター問題」の被害額を「1000万円」と断定しているわけです。この巨額の被害があってはじめて、(資料3)の宮崎事務局長に対する厳しい処分が正当化されるわけです。
 ところが、内田理事に「本当にそんなに巨大な被害があったのか。そもそも、被害そのものが認定できるのか」と追及されると、執行部は「調査報告は、会に与えた損害額を1000万円と認定したわけではない。『1000万円もの高額投資が僅か3年で事実上崩壊してしまった事態』を問題にしたものである」(平成18年1月12日付け「会員管理システム問題にかかわる宮崎弁明書への反論」)とわけの分からないことを言い始めたのです。
 八木氏から聞いたところによると、この「送り状」は八木氏が自ら書いたものだそうです。調査に直接関わっていなかったこともあって、他の執行部メンバーから聞かされたことを鵜呑みにして、宮崎氏が1000万円の損失を会に与えたと思い、このように書いてしまったとのことでした。

 この資料のもう一つのポイントは、12月1日に通常の理事会が予定されていたにもかかわらず、事務局長に対する懲戒処分という重大な問題を、文書発送からわずか四日後の臨時理事会(しかも平日の夕方。当然、多忙な理事や遠隔地の理事は出席できない状況)で、さらにたったの1時間の会議時間(資料4参照)で決定してしまおうとしていた点です。その意図は、執行部以外の理事がわずかしか出席できない中で、さっさっと宮崎氏の処分を決めて仕舞おうということだったのでしょう。

●(資料2)「会員管理システム問題に関する調査報告」
 この資料のポイントは、次の二点です。
①「はじめに」における「第三者業者による現行システムの調査・点検を行ったところ、『データ保存に重大な問題がある』(11月9日)との指摘があり、またコ社からも『撤退後は代替業者を紹介するが、新システムを構築するのが最善』(同8日)との見解が示されている。いずれにせよ現行システムは早晩廃棄し新システムを構築することが迫られている。/会員管理業務は本会のような運動組織にとって生命線とも言える。そうであるからこそ総額1000万円以上の高額な投資がなされたわけだが、それが僅か3年で終焉を迎えつつある事態は、異常かつ深刻と言わざるを得ない」との主張。

②「総括」における「⑤依然として、実務上の責任者たる宮崎事務局長は、会員の浄財で運営される本会において1000万円の高額投資を無駄にしたという事態の本質を理解せず、その深刻性について執行部と認識を共有していないのは遺憾である」「結果として、1000万円もの高額投資が僅か3年で事実上崩壊してしまった事態はきわめて重大であり、会に対し損害を与えたことについての責任問題を等閑に付すわけにはいかない。まず、当時の理事会(執行部)の監督責任は当然問われるべきである。また、当時から今日まで一貫して執行に当たっている宮崎事務局長の責任を不問に付すことは不当である。」との主張。

 つまり、「1000万円も投資したのに、いつデータが消えるか分からない欠陥ソフトをつかませられた。その第一の責任者は宮崎事務局長である。したがって、宮崎氏は処罰されなければならない」というのです。「コンピューター問題」の核心はここ、データ保存に重大な問題を抱えた欠陥ソフトだったのかどうかの一点にあったわけで、契約の仕方やお金の払方などは、その欠陥があってはじめて問題となる枝葉の問題にすぎません。
 事実、今年1月16日の理事会で、私が「コンピューターが現に動いているのなら大きな問題ではないですよね」と発言したところ、西尾名誉会長は「それは無責任な言い方だ。消えちゃいますよ。ソフトが全部」と言って私を非難されました。

 したがって、この「調査」において、最も慎重に時間をかけて行わなければならなかったのは、まさに、第三者によるソフトの検討だったわけですが、報告書には「④11月9日  現行会員管理システムに対する第三者業者による調査・点検(コアサイエンス社――藤岡副会長、丸山事務局員他)」とあるだけです。つまり、たった1日、しかも1社だけ(宮崎氏が相見積もり取らなかったことを批判しているのに)、しかも立ち会ったのは、この問題を騒ぎ立てた「藤岡氏と丸山事務局員他」だけという杜撰さでした。
 その結果、あれほど、「消える! 壊れる! 1000万円の損害だ!」と大騒ぎされたにも関わらず「資料編1」で述べているように、「今年の三月二十八日の理事会において、種子島会長から、この現行システムに問題はなく、制作者であるコンピュートロニクス社とのメンテナンス契約が切れた後も、藤岡氏が連れてこられた専門家に、月二万円の保守管理料を支払えば十分使用可能であることが報告され、出席者を唖然とさせました」という結末になってしまったわけです。

 5月2日にお電話をいただいた西尾先生に、このことを説明申し上げたところ、先生に「それじゃ、あの問題は何だったの?」と聞かれてしまい、「それはこちらが聞きたいですよ」と言いたい気持ちを抑えて、私は「要するに、どんなソフトにでもバグは起こるわけですが、コンピューター会社の対応に不安を感じたオペレーターの丸山さんが過剰に心配しただけのことでしょう」と答えました(ちなみに、丸山さんが退職した後は、何故か、ソフトは何の問題もなく快調に稼働しているとのことです)。そうしたところ、西尾先生は「この件の火付け役はたしかに藤岡だった」とおっしゃいました。
 つけ加えますと、三月二十八日の理事会の後で、八木さんが、ぽつりと「富樫信子監事は、コンピュートロニクス社を『豊田商事』にたとえたけれど、本当は調査報告の方が『姉歯建築』だったみたいですね」と言ったのが私には印象的でした。

 この「調査報告」では、システムを設計したコンピュートロニクス社自身が「新システムを構築するのが最善」と述べて、欠陥を認めているかのような記述になっていますが、実は、コ社は、このシステムの品質には絶対の自信をもっており、直ぐに壊れることなど有り得ないとする膨大な説明資料を宮崎事務局長に渡していたのです。宮崎氏はそれを2月の理事会で披露するつもりでいたらしいのですが、突然、宮崎解任動議が出され、退席を命じるという形で発言を封じられてしまったために、結局、理事の誰一人として真実を知らないまま今日に至っているのです。

●(資料3)「会員管理システム問題に関する執行部告知」
 (資料2)の「調査報告」に基づいての処分案。
 これについて、八木氏は次のように語っています。「この『問題』が持ち出されるまでは、宮崎氏を事務局に残こそうと考えていたが、もう宮崎氏は守れない、こんな損失を与えて会長として会員に申し訳ないとの思いで、厳しい処分をすることを決断した。ただし、宮崎氏だけ処分するわけにはいかないと思い、執行部も金銭的負担をすることを提案した。労働法の専門家と言われていた高池氏に処分案を見てもらったところ、問題ないということだったので、理事会に提案することになった。後に、こんな重い処分は一般には通用しないと指摘されて、自分の迂闊さに気付いた」

 ちなみに、「現執行部5名及び名誉会長が100万円を会に納付する」とあるのを見て、私はてっきり一人が100万円ずつ負担して1000万円の穴を埋めようとしているのだと思い、「さすが執行部の理事は覚悟が違う。そこまで責任を負うつもりなら、宮崎さんに対する厳しい処置も仕方がないか」と思いました。ところ、後から聞いて見たら、「全員足して100万円だ」ということだったので、少し拍子抜けしたのを覚えています。ちなみに、私と同じ様なはやとちりをした理事は他にもいました。

●(資料4)「緊急臨時理事会開催のご案内」

●(資料5)平成17年11月16日付の私の八木会長宛のファックス
 昨年12月16日に届いた「コンピューター問題」関連資料を読んで、西尾・藤岡両氏と執行部に素朴な信頼を寄せる「純粋真っ直ぐおじさん」だった当時の私が、幻の「コンピューター問題」を信じて書いた間抜けな八木会長宛の返事です。しかし、今となってみると、こんな間抜けなファックスを出していたお陰で、自分たちがはじめから宮崎氏擁護派だったわけでも、徒党を組んでいたわけでもないことを立証できるのですから、人生とは皮肉なものです。


●(資料1)
                 平成17年11月14日
理事及び関係各位
                新しい歴史教科書をつくる会
                     会長 八木 秀次 印

「会員管理システム問題に関する調査報告」及び「執行部告知」並びに「緊急臨時理事会開催のご案内」の送付について

 前略 平素は当会の発展のためにご尽力を賜り誠にありがとうございます。
さて、現在、不具合が露見しております当会事務局の会員管理システムについて、10月28日開催の理事会で執行部内に設置が承認されましたコンピューター問題調査委員会では関係者からの聞き取り調査の結果、別添のような調査報告書をまとめました。
 詳細は調査報告書をご覧頂きたいと存じますが、当委員会では「結果として、1000万円もの高額投資が僅か3年で事実上崩壊してしまった事態はきわめて重大であり、責任問題を等閑に付すわけにはいかない。まず、当時の理事会(執行部)の監督責任は当然問われるべきである。また、当時から今日まで一貫して局長の責任を不問に付すことは不当である」との結論に至り、これを受けて11月12日の執行部会で別紙の通りの処分を決定致しました。
 調査報告書にありますように、今回の問題には、悪意や不正は存在しません。し かしながら、当会の予算規模や会員からの会費収入で成り立っている当会の性格を考えますと、結果とはいえ、1000万円もの損失を当会に与えた関係者の責任は問わざるを得ないとの結論に至りました。
 理事及び関係各位には関係書類をご精読の上、ご理解賜りますようお願い申し上げます。なお理事各位にはこの件について緊急臨時理事会(11月18日(金)午後5時)を開催致しますのでご出席賜りますよう併せてご案内申し上げます(詳細は別紙をご参照下さい)。           草々
送付資料
・会員管理システム問題に関する調査報告
・会員管理システム問題に関する執行部告知
・緊急臨時理事会開催のご案内


●(資料2)
                  平成17年11月12日

会員管理システム問題にかかわる調査報告

                新しい歴史教科書をつくる会
                     事務局再建委員会

1 はじめに

 現在使用中の、本会会員管理システムは、平成14(2002)年10月に導入されたものだが、不具合が生じても、システム開発業者であるコンピュートロニクス株式会社(以下「コ社」)によるメンテナンス業務が十分に行われないという問題が生じている。

 本年10月4日に生じた不具合について、つくる会側より同社に連絡するも「担当者は現在緊急の業務があり、対応できない。今年中の対応は無理」と保守業務を拒否され(同7日)、また「平成18年3月を以て保守業務から撤退したい」旨同社より通告があり(同5日)、事実上現行システムによる会員管理は継続が困難な状況に立ち至っている。現在の不具合に関するメンテナンスについては後日「12月には対応できる」旨の返答はあったものの、軽重を問わずシステムに障害が発生した際に即座に対応しないのは、本会とコ社との間で取り交わした「会員管理システム保守契約」違反である。

 しかるに、コ社側は「つくる会から毎月受領している11万円はシステム構築料の分割払い分であり、保守契約は名目にすぎない」との解釈をとり、契約を根拠とした保守業務に難色を示している。本会としては、あくまでも契約通りのメンテナンスを要求しているが、コ社側の認識との相違は埋められていない。

 コ社側がメンテナンスに難色を示し、さらには来春の業務撤退を通告してきている以上、現行システムは今後正常な稼働が期待できないということになる。第三者業者による現行システムの調査・点検を行ったところ、「データ保存に重大な問題がある」(11月9日)との指摘があり、またコ社からも「撤退後は代替業者を紹介するが、新システムを構築するのが最善」(同8日)との見解が示されている。いずれにせよ現行システムは早晩廃棄し新システムを構築することが迫られている。

 会員管理業務は本会のような運動組織にとって生命線とも言える。そうであるからこそ総額1000万円以上の高額な投資がなされたわけだが、それが僅か3年で終焉を迎えつつある事態は、異常かつ深刻と言わざるを得ない。保守契約書が存在するにもかかわらずコ社側が「保守契約は名目にすぎない」との奇妙な解釈をとるのはなぜか。また、本システム導入時以来導入実務の責任者である宮崎事務局長が今日なお事態の重大性を認識していないのも理解に苦しむ。次期採択戦に向け事務局機能を強化する上で、事態の経緯を明らかにし、適切な措置を講ずることは不可欠である。

 以上の観点から、本会は、10月28日の理事会において、①当面事務局を理事会直轄とすること、②事務局再建委員会(八木会長、藤岡・遠藤副会長の3名に相談役として西尾名誉会長が参加、調査の内容に応じて高池理事、富樫監事にも出席を要請)を設置して会員管理システム問題を始めとする種々の問題の調査と対策をはかること等を決定、同31日、事務局に示達した。

 同委員会はただちに調査・ヒアリングを開始した。主な内容は以下の通りである。
 ①11月2日  会員管理システムに関する事情聴取(丸山・田村事務局員、宮崎事務局長――藤岡・遠藤副会長、高池理事、富樫監事、西尾名誉会長)
②11月4日  事務局機能全般に関する意見聴取(的場・福原・土井・高橋・丸山・平岡事務局員――八木会長、藤岡・遠藤副会長、西尾名誉会長)
 ③11月8日  コンピュートロニクス株式会社への事情聴取と契約問題についての協議(平岡真一郎氏――藤岡・遠藤副会長、高池理事、富樫監事)
 ④11月9日  現行会員管理システムに対する第三者業者による調査・点検(コアサイエンス社――藤岡副会長、丸山事務局員他)
 ⑤11月9日  宮崎事務局長への事情聴取及び今後の対応に関する協議(宮崎事務局長――八木会長、藤岡・遠藤副会長、西尾名誉会長)
 ⑥11月12日  種子島理事への事情聴取(種子島理事――藤岡副会長)


2 経緯

 会員管理システム問題に関する主な経緯は、以下の通りである。

H9(1997)
・会発足当初より、K氏(F社社員)がサイド・ビジネスとして会員管理ソフトを作成、保守管理を担当。つくる会は、技術料として月額28万円支払(特別の場合は増額。例:平成12年4月は38万円)。

H12(2000).6以降
・財務担当の種子島理事よりK氏との契約内容が不明瞭で報酬が高額過ぎるとの指摘があり、以後月額5万円・年末手当30万円(年間90万円、特別な場合は別途技術料支払)との契約を結んだ。
・K氏のオリジナルソフトにはマニュアルがなく、毎年更新しなければ使用不可能な仕組みになっており、氏に事故があった場合やオペレーターの急な退職等に対応できない不備があり、それが改善される見込みはなかった。

H13(2001).9
・K氏より宮崎事務局長に対して、①現行ソフトは耐用年数がきれかかっており、大幅な補修が必要、②K氏自身は時間的に無理なので同氏友人に新ソフト開発を依頼する、③約300万円準備してほしい旨通告あり。宮崎事務局長は同月23日開催の総会提出予算案に350万円の予算を計上。
・富樫監事は予算書を見てシステム変更が計画中であることを知る。

H13(2001).10
・宮崎事務局長は、つくる会会員でコ社役員のH氏(略)に相談、機密保持の契約書を取り交わした上で会員管理システムの調査をコンピュートロニクス株式会社に依頼。K澤氏に対しては、この機会に同システムの健全化・安全化をはかりたい旨を伝え、変更の場合は協力してほしいと要請。同氏からは「自分が納得できる条件の場合は協力する」と返答。

H13(2001).10.25
・会員管理を担当していたO・A事務局員は、①現在のシステム(ファイルメーカーを使用)を踏まえた上で、今以上に使いやすくレベルアップしたものにしてほしい(操作を覚えるのに時間のかかるものは担当人員、仕事量的に不可)、②ソフト作成後、現ソフトと当分の間並行して試用し、システム、データ入力・出力上問題がないか確認する、③定期的な保守、追加ファイルの作成等、ソフト作成後も継続的にサポートにあたる、の三項目からなる要望書を提出。これが、つくる会側からコ社に対して文書で示された、仕様に関する唯一の要望。ただし同要望の適否についてつくる会全体としてのオーソライズはなされていない。

H13(2001).11
・H氏より調査結果とコ社がシステム開発と保守を担当する場合の見積が提示された。①アクセスもしくはSQLを使用して現行システムとは全く別の新たなシステムを構築(O・A事務局員による要望①は反映されず)、②1200万円の予算を割引きして13万円~15万円の5年契約、総額750750~900万円との内容。宮崎事務局長は、①K氏との契約を継続した場合(750万円)とほぼ同額であり、②K氏個人と契約するより、法人たるコ社と契約した方が安定性を確保できる、③コ社はオペレーター交代に対応できるマニュアル完備、④コ社は契約終了後の著作権を無条件でつくる会に譲渡する等の理由から、この際コ社への移行が妥当と判断。
・同事務局長はその旨を種子島理事に報告、同理事から口頭で承認を得、K氏にも伝えて同氏から了承を得る。
・同事務局長はコンピューターに詳しい友人(A氏)に相談、コ社の提案及び見積の妥当性について意見を求めると「会社との契約であれば安いし、妥当」との回答を得る。
・富樫監事は、コ社への発注を知り、執行部会の承認を得るべきと宮崎事務局長に進言。

H13(2001)11.21
・「事務所パソコンのソフト保守契約の業者委託に関して」の事項で、コ社への移管を執行部会(田中、種子島、藤岡、高橋、宮崎)に報告、了承。ただし、システムの内容等に関する検討は行われていない。

H13(2001)11末
・システム移行に関する作業に着手。
・移行作業は平成14年2月末から3月にかけて行い、試験期間を経て4月より正式移行との方針をコ社・H氏との間で確認。
・移行に伴い会員管理業務の万全を期すため、完全移行までK氏との契約を継続。
・この頃からO・A事務局員は要望①が反映されないのではないかとの危惧を抱く。

H14(2002).2
・コ社・H氏はKソフトを継承しての作成は困難と判断、宮崎事務局長に対して独自システムの構築を提案。同事務局長は従来の機能を維持することを前提に了承(ファイルメーカーを使用しないことで妥協)。その時点では3月末納品、4月試験期間、5月完全移行の予定。
・この頃種子島副会長は宮崎事務局長に対し、①旧システムをベースにせず、全く新しいシステムを構築する、②ユーザー(つくる会)側の要望を一本化し同事務局長が折衝の窓口となることを事務局長に指示(宮崎事務局長は「記憶にない」)。

H14(2002).3.25
・第一次納品(デモンストレーション)。O・A事務局員は要望①(ファイルメーカー使用)が反映されておらず、不満を表明。協議の結果、ファイルメーカーを使用した折衷案でいくことになった。このときコ社側から「ファイルメーカーは使ったことがないから分からない」との発言あり。
・後日海外出張から帰国した種子島副会長は折衷案になったことを知り驚くが、作業が進行していたので黙認。「ここで妥協したのは自分の責任」(種子島氏)。

H14(2002).5.29
・平成14年度決算報告時に富樫監事より田中会長にシステム移行の件について承知しているか確認、会長は「知らない」と返答。

H14(2002).6~7
・コ社側の「判断」とO・A両オペレーターの「要望」との間に生じたパーセプション・ギャップを調整しないまま、場当たり的に機能の追加や変更を重ねた結果、システム構築に時間がかかり、見積額も膨れあがった。当初予定の作業量が大幅に増加したため、H氏より宮崎事務局長に対して契約条件の見直しについて口頭で要請あり。宮崎事務局長は確答せず、早期の完全移行を求める。

H14(2002).9末
・K氏との契約を解消。

H14(2002).10
・新システムによる単独業務に移行するも、修正・追加事項があったため、正式契約は保留し、暫定措置として「ソフト管理費」として月額17万円をコ社に支払。

H14(2002).12
・修正・追加作業が終了し、コ社・平岡氏より「月額17万円、7年契約」との条件が提示される。しかし当初の見積額より大幅に増額されていたため、宮崎事務局長は返答を保留。
・システムが構築されたにもかかわらず、この時点で契約書、仕様書、検収書等基本文書は存在せず。
・富樫監事より宮崎局長に対して契約内容について質問したところ、同事務局長は「1000万円以上」と口頭で返答。同監事は①早急に正式契約を締結すること、②予算オーバーなので執行部会の了承を得ることを助言。

H15(2003).1
・宮崎事務局長よりコ社・H氏に見積額及びその根拠書類の提示を求め、「総額1728万円、月額17万円(保守料)」の仮契約書を提示される。ただし契約を4年で打ち切ることによる600万円程度の実質値引きで合意。

H15(2003).1.14~24
・富樫監事は友人の専門家(B氏)とともに新システム導入に関して調査を実施し、①契約書等書類の不備、②発注内容の不明確、③旧ソフトより高度な内容にしてほしいとの要望に対応していない、④納入期限の不明確と検収書の不備、⑤つくる会の性格上長期債務の設定には問題あり、⑥内部の承認手続きに問題あり等について指摘する(正式報告書は1月27日付)。

H15(2003).1.22~
・田中会長、種子島・藤岡両副会長、宮崎事務局長、柚原事務局次長で執行部会を開催、契約期間を3年半とし、金額はB氏の調査報告を参考に検討、種子島副会長・宮崎事務局長に一任することとした。後日「月額11万円、約1000万円」と決定。
・つくる会側はこの額には保守料も含まれると認識し、コ社との間で保守契約を締結。ただし、コ社側としては、契約額を著しく下げると厖大な赤字が発生するため、上記の額はあくまでもシステム構築料であり保守料は含まれずと理解、「そのことは宮崎事務局長との間で、口頭で了解済み」と主張。宮崎事務局長は「口頭了解の事実はない」と否定。コ社側は保守メンテナンスに際して費用が発生した場合は、つくる会側に請求できると判断。ここから「保守契約」をめぐる玉虫色の解釈が生じる。つくる会の田村事務局員はコ社内におけるH氏の立場を考慮し、コ社側の判断(保守料含まれず)に理解を示す。他方コ社のH氏はつくる会会員でもあり、自分が担当である限りは保守・メンテナンスに誠実に対応しようと決意。

H15(2003).1末
・富樫監事の問い合わせに対して、宮崎事務局長は「このまま契約することになった」と口頭で報告。

H15(2003)2.10
・富樫監事は「曖昧かつ不当な取引」を継続することに危惧をおぼえ、①本来本契約は全面的に破棄すべきものだが、それができない場合は第三者の外部コンサルタント立ち会いの下に契約内容を詰める、②理事会議事録を作成し、理事・監事から質問があった場合は文書で回答する等の提言を理事会に対して出す。

H15(2003).3.18
・上記提言に対する田中会長、宮崎事務局長連名の回答提示。

H15(2003).3.20
・つくる会、新システム取得代価として525万円をコ社に支払。

H15(2003)4.16
・富樫監事は決算作業中に、コ社への525万円支払の事実を把握するが、つくる会の注文書のみで請求書の不在に気付く。宮崎事務局長に問い合わせたところ、同事務局長の口頭の指示により田村事務局員が振り込んだとの報告。

H15(2003).5.27
・富樫監事、種子島理事に「平成14年決算概況書」報告、書類等の不備を指摘、監査報告ができない旨伝える。

H15(2003).6.17
・書類の日付に整合性を得るため、田村事務局員は富樫監事の助言を得る。

H16(2003).11
・この頃までは、H氏の配慮もあり、コ社によるメンテナンスは比較的順調に行われていた。しかしH氏が取締役を降り(つくる会関係の業務でコ社側に損失が生じたことが原因)、「つくる会担当」を離れると、コ社の対応は冷淡になる。不具合について担当オペレーターの丸山事務局員が問い合わせても、「仕事が忙しくて対応できない」「担当者が不在」と応答されるだけで、保守業務が急激に疎かになる。

H17(2005).2
・丸山事務局員は、コ社側とのやりとりの記録を開始。

H17(2005).4.7~
・不具合について丸山事務局員が数回にわたって問い合わせの電話をかけるも「席を外している」「外出している」と言われるだけで折り返しの連絡なし。

H17(2005).4.15
・丸山事務局員は、コ社の対応について宮崎事務局長に報告。同事務局長の指示により、以後田村事務局員が間に入り、折衝にあたることとなる。

H17(2005).10.4
・不具合が生じたため田村事務局員よりコ社に連絡。丸山事務局員が状況を説明。

H17(2005).10.5
・コ社・H氏が本会来訪、田村事務局員と面談。不具合の応急処置について説明するとともに、来年三月をもって保守業務から撤退したいとのコ社側の意向を通告。田村氏は応急処置について丸山事務局員に伝達することを失念。

H17(2005).10.7
・返答がないと思った丸山事務局員はコ社に再度連絡。担当者不在のため折り返しの電話を待つと、H氏より「返答は田村氏に既にしてある」と連絡。また「担当者は現在緊急の業務があり、対応できない。今年中は無理」とも言われる。

H17(2005).10.12~
・会員管理システムの継続に危惧を感じた丸山事務局員は八木会長に相談。八木会長の「どうなっているのか」との問い合わせに対して宮崎事務局長は「対応は考えている。大した問題ではない」旨の発言あり。この頃、丸山事務局員は退職を決意。

H17(2005).10.21
・丸山事務局員より藤岡副会長に退職の挨拶。不審に思った同副会長が問いただすと、同事務局員は重い口を開いて会員管理システム崩壊に対する危惧を報告。事態を重視した藤岡副会長は執行部及び西尾副会長に問題提起。

H17(2005).10.28
・執行部会で同問題への対応について協議。
・理事会で対応を報告、了承を得る。

H17(2005).11.2~
・同問題に関する調査を開始。

3 総括

 一連の経緯から明らかになった問題点は、以下の5点である。

 ①本会の性格や財政規模を勘案した上でどういうシステムが必要であるのか、どういうプログラムの仕様を業者に求めているのかについて十分な検討がなされないまま安易な発注を行ってしまった。当時の本会オペレーターによる「要望」そのものについての評価・検討も含め、つくる会側の求める仕様を吟味せずに発注し、場当たり的に機能の追加や変更を繰り返した結果、コストが高騰し、保守契約に関する玉虫色の解釈が生じる一因となった(ただし保守契約書がある以上、コ社の主張が不当であることは言うまでもない)。

 ②新システムへの移行に際して、最初から業者をコ社一社に絞り込み、高額発注に不可欠の複数業者による「相見積」等当然の措置をとらなかったため、同社との契約に関する不透明感をいたずらに増大させた。また、コ社の提案や見積額が妥当かどうかの発注時点での検証が困難になった。

 ③現行システムに移行させた主たる動機は「旧システムは個人との契約で担当者の事故等緊急の事態に対応できないが、新システムはコ社という企業との契約であり安定性が確保できる」(宮崎事務局長報告)というものであった。しかるに、新システムも、実態は平岡氏個人との関係に過度に依存したもので、平成16年11月同氏が担当を離れると同時に「安定性」は危機を迎えた。この時点で事態の重要性を察知し、対策を講じるべきであったにもかかわらず、問題を放置した。

 ④発注、支払や設計の変更など既成事実の積み上げが先行し、理事会(執行部)への報告や契約書・仕様書等基本文書作成などが事後的に取り扱われたため、理事会(執行部)全体として問題を認識するのが遅れ、早期に適切な対策を講じることが困難となった。

 ⑤依然として、実務上の責任者たる宮崎事務局長は、会員の浄財で運営される本会において1000万円の高額投資を無駄にしたという事態の本質を理解せず、その深刻性について執行部と認識を共有していないのは遺憾である。

 今回の問題には、悪意や不正は存在しないと思われる。しかし、判断ミスの積み重ねや適切な処置の不履行、問題に対する感受性の鈍さが、本来早期に解決できる筈の問題をいたずらに拡大し、複雑にしてしまった。
 結果として、1000万円もの高額投資が僅か3年で事実上崩壊してしまった事態はきわめて重大であり、会に対し損害を与えたことについての責任問題を等閑に付すわけにはいかない。まず、当時の理事会(執行部)の監督責任は当然問われるべきである。また、当時から今日まで一貫して執行に当たっている宮崎事務局長の責任を不問に付すことは不当である。                                     以上


●(資料3)
                   平成17年11月12日

      会員管理システム問題に関する執行部会告知

                   新しい歴史教科書をつくる会
                       会長 八木 秀次 印

一、 ・現執行部が、この件についての監督責任及び道義的責任を負う。
   ・当時の執行部・理事会以来の歴代執行部・理事会を代表して、現執行部5名及び名誉会長が100万円を会に納付する。

二、 ・宮崎正治事務局長は、この問題の当初から今日に至る直接の執行担当者としての責任を負う。
   ・事務局長の任を解き、事務局次長に降格する。
   ・事務局次長としての給与の10%を本年12月より3ヶ月にわたり減額する。
   ・当分の間、出勤停止とする。

三、 ・上記の処分は、次の理事会で報告し、承認を得る。

四、 ・上記の処分の内容を理事会での承認の後、直ちに欠席の理事及び全国の支部長に通知する。                  以上


●(資料4)
                     平成17年11月14日
理事各位
        緊急臨時理事会開催のご案内
                   新しい歴史教科書をつくる会
                         会長 八木 秀次

 拝啓 平素は「つくる会」の発展のためにご尽力を賜り、誠にありがとうございます。
 さて、現在、不具合が露見しております本会事務局のコンピューターによる会員管理システムについて、前回の理事会で執行部内に設置することが承認されました事務局再建委員会及びコンピューター問題調査委員会は、不具合の原因に関して別添のような調査報告書(「会員管理システム問題に関する調査報告」)をまとめ、これに基づき執行部では別紙の通りの処分(「会員管理システム問題に関する執行部会告知」)を決定致しました。
 つきましてはこの件について、理事会の承認を得る必要がありますので、期日が近づいてのご案内で恐縮でありますが、下記の通り、緊急の臨時理事会を招集することと致します。執行部ではこの問題は当会にとりまして重要問題であるとの認識でおります。ご多用とは存じますが、万障お繰り合わせの上、ご出席に賜りますようお願い申し上げます。なお、ご欠席の場合は委任状のご提出を賜れば幸いでございます。            敬具

          記
日時 平成17年11月18日(金)午後5時~6時(約1時間)
場所 新しい歴史教科書をつくる会事務局
(以下略)


●(資料5)
                       平成17年11月16日
八木秀次会長様
新 田  均

 11月18日の緊急臨時理事会には申し訳有りませんが授業のため出席できません。管理システムのことについては、突然の事で驚いておりますが、お忙しい中、詳しい調査をされた方々のご苦労に敬意を表します。ただ、責任の取り方については、宮崎氏と現執行部が責任を負うということだけでよいのでしょうか。私には現執行部よりも当時の旧執行部の方が責任が重いように思われます。
 なお、執行部ではありませんし、システム導入の話が既に進んでいる中での理事就任ではありましたが、今の執行部が道義的責任を取られるというのであれば、私も理事の一人として10万円を会に納付したいと思います。

コメントを寄せて下さっている皆様へ        
  新田均

 様々な御意見、質問、感想などありがとうございます。傾聴すべき御意見、本質に関わる質問、なるほどと思う感想など、質の高いコメントが多いのに驚いております。
 ただ、今は、本務の傍ら、顛末記と資料編を書くだけで精一杯で、一つ一つにお答えしている余裕がありません。皆さんのコメントはできるだけ記憶しておいて、顛末記の中で触れられるように工夫してみたいと思います。
 書き始めた時は、私やその他の辞職理事への濡れ衣を晴らしたいという思いが一番強かったのですが、段々と、「つくる会」の体験は自分にとって何だったのかをはっきりと理解したいという思いの方が強くなってきました。賢者は歴史に学ぶと言いますが、私はそれほど賢くないので、まずは体験からしっかりと学びたいと思っています。
 繰り返しますが、質の高いコメントが多く、だんだんと、「良質な保守の会」みたいな雰囲気になってきたな、「つくる会の体質を正す会」という名前は少し後ろ向きだったかな、などと感じはじめています。

もう一つの「つくる会」顛末記(2)ー対立が解消できなかったある要因ー              
二、対立が解消できなかったある要因

 対立の構図は「一」のようですが、この対立の構図が解消できなかった大きな原因として、お二人の確信犯(この用語は、西尾氏と藤岡氏を指していますが、もちろん、彼らを犯罪者だと言っているわけではありません。ただ、「自分の主張を通すためなら会の混乱も辞さず」との信念の下に内紛を起こし続けている人を指す適当な用語が他に見つからなかったのでこの言葉を使うことにしたまでです)をとりまく無責任な理事やこの混乱に乗じて売り出そうという野心家の理事の存在を指摘しておかなければならないと思います。
 彼らは裏に回れば、西尾・藤岡の問題点を指摘し、彼らとは一緒にやりたくない、彼らでは会は保たない、などと言いますが、表立っては批判せず、決して改革に手をそめようとはしませんでした。むしろ、理事会の場では彼らの味方に回りました。それは、逆恨みされて、悪口雑言を浴びせられるのはかなわないと思っていたからのようです。また、時には騙されて、共犯者(これも犯罪者という意味ではありません。間違ったことを一緒にやってしまった者という意味です)になってしまったこともあり、その事実を認めることを、知識人・評論家としての面子が許さなかったからとも考えられます。

 ここが、彼らと八木氏とが決定的に違うところです。八木氏は、実に素直な人で、最初の内は創業者二人を信頼し、彼らと言動を共にしていました。ところが、ある時点で、自分は騙されていたと気がつき、彼らのグループから離れ、その過ちを正そうとしはじめたのです。その結果、裏切り者にされてしまいました。
 人間は誰でも判断ミスを犯すものです。人間を本質的に信頼している保守主義者はなおさらです(特に、八木氏は「一緒に酒を飲める人は良い人だ」という先入観の持ち主でした)。私もそうです。ある時点までは、創業者の言葉をそのまま真実であると信じて、扶桑社の真部栄一氏や宮崎正治氏を疑い、それを言動に表現してもいました。
 しかし、ある時点で「これは変だぞ」と気づいたのです。それで言動を改めました。八木氏もそうでした。ところが、そんな簡単なことが出来ない人達がいるのです。最初は何故だか分からずに不思議でしかたがなかったのですが、だんだん原因が分かってきました。

 一つは、知識人や評論家としてのプライドです。世間に対しては、大きくて複雑な問題についての「正論」を吐いていながら、実は、目の前で起きている小さな出来事についての判断さえ誤ることがある、騙されることがある、などということは恥ずかしくて認められない、ということのようなのです。いずれ、お話することになると思いますが、「南京大虐殺」が幻であることは知っていても、「コンピューター問題」の幻には気付かなかった、などとは恥ずかしくて言えないのです。その小さなプライドを捨てられないために、方向転換ができず、ずるずると確信犯に引きずられていったということのようなのです。

 二つ目は、表では「公」が大切などと言っていても、裏に回ると、「つくる」会というボランティア組織よりも、自分が今まで築いてきた個人的な関係の方が大切で、それが壊れるようなことはしたくない、と言うのが本音のようなのです。これは人間関係を大切にする保守主義者に共通の欠点なのでしょうが、そこにつけ込まれて、「俺を取るのか、彼奴を取るのか」とせまられると、言っていることは正しいが、個人的には縁の薄い人たちの味方をするというわけにはいかなくなり、疎遠な人に味方をしなくてもいい理由をあれこれと考え出し、やがて自分が創作した理由に縛られて、結局、確信犯について行くしかないということになってしまう、ということのようなのです。
 そして、心の中で、自分の良心に対して、こう言い訳しているのではないかと思います。「この会がどうなろうと私のせいじゃない。内紛を起こした、西尾・藤岡や八木・宮崎・新田たちが悪いのだ。そのとばっちりなんか食ったらたまらない」。

 三つ目は、ブライドが高く、上昇思考が強くて、しかも、偏狭な正義感に酔いしれる傾向があり、さらには、不遇感や恨みを心のそこに抱いているある種の人々には、西尾氏の「あなたが会長になりなさい」「君たちこそ良識派だ」「覇権をとれ」「貴方たちに期待します」などという煽り文句が実に良く効くらしい、ということです。

 いずれにせよ、中間派(様子見派、私益重視派)理事の存在によって、八木氏、種子島氏、そして彼らを支えようとした私たちの改革の試みは挫折してしまいました。聞くところによれば、私たちが退席した4月の理事会で、7月総会での藤岡会長選出が決まったとのことです。それを、強力に進言したのは、遠藤浩一理事だったようですが、この決定が「もううるさいから藤岡にやらせてみろ。どうなるか見物だ」などという無責任なものではなく、せめて、今度だけでも、「全力で会長を支えます」という決意の表れであってほしいと思います。



もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(2)ー種子島会長・八木副会長・松浦理事の辞表ー
【解説】
 (資料1)は4月30日の理事会で私たちが退席した直後に「つくる会」会員に対して送られた種子島会長と八木副会長の辞表です。しかし、新執行部の命令によって途中で送信が止められてしまったため、届いていない地域もあります。
 この「FAX通信172号」について、その破棄を通告した藤岡さん起草の「FAX通信」では「理事会のルールを破る事態」「異常な行動を八木前副会長が指示した」と、八木氏が一人で勝手な行動をとったかのように書かれていますが、事実は違います。
 誰が考えても分かることですが、予め送信の準備をしておかなければ、理事会の最中にこんな長文の「FAX通信」を流すことなどできません。その上、ここには種子島会長の辞表も含まれているのですから、種子島会長の同意と指示がなければ入力も送信も不可能です。事実、私はその場にいたのですが、種子島氏の指示で、八木氏が送信の連絡を事務局員にしていました。
 予め両氏が辞表送信の準備を整えていたのは、新執行部成立と同時に、真実を会員に対して伝えることが不可能になる事態が十分に予想できたからです。会長と副会長がこんなことまで考えて準備しなければならなかったということ自体に、この会の理事会の「異常」さが端的に表れていると思います。

 (資料2)は、私が松浦光修理事から預かって、4月30日の理事会が始まる前に種子島会長にお渡しした松浦氏の辞表です。私たちが辞任しなければならなかった理由を極めて的確に表現した名文だと思いますが、いかがでしょうか。


(資料1)
つくる会FAX通信172号      平成18年4月30日(日)

          会長、副会長辞任のお知らせ

                    新しい歴史教科書をつくる会会長
                               種子島経

 まことに申し訳ない次第ですが、本日、4月30日の理事会で、会長の私、副会長の八木秀次が揃って辞任することとなりました。昨年9月以来の混乱を収拾すべく就任した私共が、かくも短期間で辞任せざるをえなくなったのは、次のような事情によります。
1. 2月27日理事会で急遽会長に選任された際、私は次の2点を確認し、それに基づいて再建構想を進めることとしました。
  1) 全理事が揃って支持してくれること
  2) 副会長選任などの人事については私に一任されること
2. 3月28日理事会で次の決議を行いました
  1) 私の推挙により八木氏を副会長に選任
  2) 理事間の内紛は一切やめる
  3) 今後は将来についての議論のみ行い、過去に遡っての糾弾など行わない
 ご承知の通り、組織というものは、かような決議を一つ一つ踏まえて、それを前提に進むべきものであります。ところが、この3月28日から10日も経たないうちに、一部の理事が、会の活動とは関係ないことをことさら問題にして、八木氏を査問にかけ、会から追放すべき旨の提言を執拗に行って参りました。これは、私の選んだ副会長を信任せず、またぞろ内紛を起こそう、というもので、以上のいきさつからしても到底承服できないところであり、私は峻拒しました。かようなルール違反、統制違反は、以前から「会」に見られ、昨年9月以来の混乱の一因をなしており、また私の会長就任後の短期間にも何度かあって、その都度注意して参ったことでした。しかし、こんなことでは私として会長職の責務を全うすることは不可能であります。
 これらの理事を解任して、私なりの統治を貫くことも考えました。だが、宿亜の糖尿病と高血圧が予想外に悪化して、予定していたブロック会もキャンセルせざるをえなかったような状態では、長期間会長職が勤まろうはずもありません。私なりの責任がとれないのなら、と私は辞任を決意し、八木副会長に伝えました。彼は、在任中、とりわけ昨年9月以来、このような問題に悩まされ続けて来ただけに、「もう精神的に限界です。私も辞めます」と表明、揃っての辞任となったわけであります。

 会長二ヶ月、副会長1ヶ月という超短期で辞任のやむなきに至ったのは、一重に私共の力不足によるところであり、深くおわび申し上げます。私は、日本では日本人、アメリカではアメリカ人、ドイツではドイツ人をマネージして、40年間、ビジネスを展開して参りました。だが、「つくる会」の理事諸侯の一部に関してはマネージ不能であったことを遺憾とします。彼等は、ルールを守る、ボスの方針に従う、などの国際基準を全く無視しますので、マネージできないし、彼等との仕事は、賽の河原で石を積む子供たちのような空しさの繰り返しにしかならないのです。

 後任人事など、別途通知をご覧下さい。
 私と八木とは、理事も辞任し、一会員として会の外から今後その発展を見守りたい所存であります。今後とも、「つくる会」へのご支援方、よろしくお願い申し上げます。また、八木は、「つくる会」を離れても、今後ますます日本のために活動すべき人材であります。暖かい目で見守って下さるよう、併せてお願い申し上げます。


              退会の辞

                   新しい歴史教科書をつくる会副会長
                               八木秀次

 平素は本会の発展のために日夜ご尽力賜り誠にありがとうございます。
 さて私は本日をもって本会の副会長・理事を退任し、同時に正会員も辞して、名実ともに本会を去ることに致しました。会長を解任された後、3月末に副会長に就任し、7月の総会で会長に復帰する予定でありましたが、その路線を快く思わない一部の理事が会の外部と連動し、私の与り知らない問題で根拠もなく憶測を重ねて嫌疑を掛け、執拗に私の責任を追及し始めました。私としては弁明もし、何とか理事会の正常化ができないものかと思って耐え忍んで参りましたが、この半年間を通じて彼らとの間ではいつも後ろ向きの議論を余儀なくされ、その結果、遂に志も萎え、肉体的にも精神的にも限界に達するに至りました。またこれ以上、家族にも精神的負担を掛けられないと判断致しました。本会は発足以来定期的に内紛を繰り返して参りましたが、「相手代わって主代わらず」という諺があるように、今回は私などがたまたま「相手」とされたに過ぎません。「主」が代わらない限り、本会の正常化は無理であり、また発展も未来もないものと判断し、やむなく退会を決断した次第です。
 これまでご支援賜りました全国の会員・支援団体の皆様には大変申し訳ない限りですが、今回の退会は私の志を維持し発展させるための苦渋の決断であることをご理解賜りたく存じます。とき至り、再び私が必要とされるようになった暁には日本の子供たちに輝く虹を見せるための活動の一端を担う所存です。皆様には何卒微意をお汲み取り下さいますよう伏してお願い申し上げます。


(資料2)
              辞表
                        平成18年4月30日

「新しい歴史教科書をつくる会」会長・種子島経 様

                    新しい歴史教科書をつくる会理事
                            松 浦 光 修

 私は、平成十一年より今日に至るまで、現場では三重県支部副支部長、同支部長として、本部では評議員、理事として、本会のため微力を尽くしてまいりました。それは「つくる会」の理想を正しいものと信じたが故であり、また支部役員をはじめとする会員の皆様が、きわめて善良、かつ純粋な方々であったが故でもあります。しかし、昨年九月、請われて理事となってみると、理事会の実態は、会の理念とは隔絶しており、残念ながら「教科書よりも、まずはご自身を正されてはどうか」と、思わざるをえない方が、少なくありませんでした。おそらくそれが、「創業者」が会を私物化し、合理的な根拠もないまま、私情にまかせ、無慈悲にも汚名を着せ、次々と事務局長を追放し、それに多数の理事が無批判に追随するという、全体主義的で陰湿、かつ冷酷な慣行を継続させてきた原因の一つかと思われます。
 総じて理事会は地方の実情を何も知らず、余暇をもてあまし、誇大妄想、被害妄想気味の、エキセントリックな一部老人たちによる精神的支配がつづいているのが実態で、地方で苦労してきた私からすれば、悲しいほど大義のない、欺瞞に満ちたものでした。「これでは偉そうな左翼批判など、とても恥ずかしくてできない」「これでは善良な会員の方々に申しわけない」と考えた私は、同憂の理事たちと、本会を日本人らしい道義ある会に再生すべく、この半年、きわめて多忙な本務のかたわら、微力を尽くしてまいりました。幸い現副会長の八木秀次氏や現会長の種子島経氏は、日本人らしい善良さ、純粋さ、また社会常識をお持ちの方々であると感じられましたので、つい最近まで、まだ私は、その点に会の再生への一縷の希望を託していました。
 しかし、去る四月十三日、たぶん西尾幹二氏に使嗾されてのことと思われますが、藤岡信勝氏と、両氏に追随する福地惇氏が、せっかく会の再生に乗り出した八木秀次氏と種子島経氏を呼び出し、脅迫的な態度で辞任を迫るという、まるで背後から切り付けるかのような信じがたい行動に、またも出ました。この半年に限っても、私が彼らのその種の所行を聞くのは、いったい何度目のことでしょう。これを聞いて私は、彼らに反省を促すことなど不可能であり、そうである以上、もはや彼らと戦いをともにすることはできない、と諦観しました。かくして、結局のところ今日の事態に至りましたこと、善良なる会員の皆様に対しては、自らの力不足を恥じるばかりです。
 ここにおいて私は、理事として本会を浄化できなかった責任の一端を痛感し、本日を以て、本会の理事・評議員を辞することとしました。おって三重県支部長も辞する所存です。不義なる人々を戴いて戦うことを、私は男子として潔しとしません。今のところは残念ながら、これが神と君と、会員の皆様に対して誠を示す、私の採れる唯一の道と考えてのことですので、どうか私の我儘を、お許しください。
 なお、七年もの長きに渡って、私の本会での活動に御支援をいただいた三重県内外の会員の皆様と、数多くの市民の皆様には、深甚の謝意を表する次第です。今後とも各自の御判断で、報国の活動を御継続くだされば、幸いに存じます。

  私に とらはる人の 公を 語る醜さ われは与せじ


閑話休題1ー「つくる会FAX通信第174号」についてー
 「つくる会FAX通信第174号」が産経新聞の記者を攻撃するために3頁も割いているのを見ると、予想していたことですが、もはや藤岡氏の暴走を誰も止められなくなってしまったようです。そこには、私に関係した虚偽記事も含まれていますが、それについては連載の中ではっきりさせるつもりです。藤岡氏が明白な虚偽を散蒔いてくれればくれる程、私たちの正しさを証明することが楽になるので、今はどうぞ御勝手にという感じです。

 ただ、産経新聞の記者さんは、自分のために記事を書いて反論するわけには行かないでしょうからお気の毒です。藤岡氏は、反撃の手段を持たない人をよくターゲットにするのですが、堂々たる大家のやることではないでしょう。

 私にこの記者さんを弁護する義理はないのですが、3月29日の記事は正確です。しかし、それは誰かがリークしたからというよりも、正確な資料読解と緻密な周辺取材とによって「感づかれてしまった」と言うことなのです(この辺についても、追々、具体的にお話しします)。
 私がこの記者さんを弁護する義理がないと言ったのは、この方の取材力と新聞記者魂を込めた記事が、私が望んでいた八木氏の会長復帰を阻止する口実として藤岡氏らに使われてしまい、そのことを「恨めしく」思っているからです。しかし、自分が恨めしく思っている人であっても、抵抗の手段を奪われた状態で、まるでサンドバックのように痛めつけられているのを見過ごすわけにはいかないので一言しました。

 ちなみに、この「FAX通信第174号」の真の意図は、次の二点をごまかすことにあると思われます。
①.3月28日の理事会では八木氏の7月総会での会長復帰が既定路線であったこと(これに強く異を唱えたのは、藤岡氏自身で、他の理事は、彼がごねると面倒なので、表面上は「含み」ということにしたこと)。
②.ほとんどの理事が藤岡氏の執行部復帰を望んでいなかったこと(高池理事が副会長復帰を提案しましたが支持されませんでした)。
 この分析が正しいとすれば、もはや「FAX通信」は藤岡氏の自己正当化や弁明のための私物となってしまったと言えましょう。
 「自分に都合の悪い何かを隠すために、誰かを激しく攻撃(口撃の方が適切かな?)する」というのは藤岡さんによくみられる行動パターンの一つだと思います。

もう一つの「つくる会」顛末記・資料編(1)ー西尾先生への訂正要求ー
【解説】
 以下の資料は、西尾幹二先生が「日録」でお書きになった「『つくる会』顛末記ーお別れに際してー」の中に含まれている主要な虚偽について、私が手紙で西尾先生に訂正を求めた経緯と内容を、予め西尾先生の了解を得た上で「西尾日録」に書き込んだものをまとめたものです。書き込みをお許しいただいた西尾先生に感謝します。


〈5月6日〉
新田均です。
 西尾幹二先生がブログでお書きになったことの内、特に五点について、五月五日までの訂正を求める手紙を配達証明付きで先生に差し上げました。すると、五月二日に拙宅に直接先生からお電話がありました。その時のやり取りの極一部を紹介するとこんな具合です。

西尾「逐条的というわけにはいかないが、貴方の要求に答えるエッセイを書きます。何故、私が貴方たちの行動を党派的・組織的だと思ったかについて、問題の前史を詳しく書いて材料を提供したいと思います。その際に、あなたの手紙も部分的に紹介します。」

新田「ありがとうございます。読者に私の主張を正確に理解していただくために、私の手紙を全部載せていただけませんか。」

西尾「それは、長谷川さんが大変だから難しい。」

新田「それでは、私がコメント欄に書き込むのはどうでしょうか。」

西尾「それは貴方の自由です。ただ、せっかく書いても読まれなければ意味がないので、私が書いた後で、『元はこういう手紙です』と書き込まれるのが、いいんじゃありませんか。今は原稿や旅行で忙しいので五月五日までに書くというわけにはいかない。さわりだけでも、五日に出したいが、場合によっては、それも難しいかもしれない。書き始めても一挙に書き上げられないかもしれないので、貴方も一度に全部載せるのはやめて下さい。」

新田「分かりました。それでは、先生が書き始められたら、私も順次載せていくようにします。ただ、こうやってお話しして、私が「問答無用」「対話不可能」な人間でないことはお分かりいただけましたよね。」

西尾「そう思っていたら、電話なんかしないよ。それから、私の知らないことについては、あんまりつっこまないでください。」

新田「先生、今さらそんなこと言われても・・・(笑い)。言論上のことですから、きっちりやりましょうよ。」

というわけで、私の訂正要求の具体的内容は、西尾先生の筆の進みに会わせて、順次このコメント欄に紹介していくことになりました。ただ、私としても、自ら期限を切った以上、その時点で何のアクションも起こさないというのでは不誠実でしょう。そこで、何故、西尾先生に手紙を差し上げたのか、その理由だけでも先に明らかにしておこうと思います。以下はその理由について触れた手紙の冒頭と最後の部分です。


前略
 西尾幹二先生。先生の日録に基づいてインターネットその他での議論が広がっているようですね。その議論のきっかけとなり、前提ともなっているのは、三月七日の「『つくる会』顛末記ーお別れに際してー」ですが、そこには多くの虚偽が書かれていて、人々の議論の前提を誤らせ、私たちが謂れのない非難を受ける原因となっています。そこで、それらを以下に指摘いたしますので、ご訂正下さい。

(中略)

 日録におけるその他の歪曲や事実の相違を挙げていけばきりがありませんが、上記の五点は、先生が私たちを、「全共闘的な圧力」「言葉の暴力」「固い血の盟友関係」「『つくる会』の一角に取り憑いたガン細胞のようなもの」と非難する原点となったものですから、私たちの名誉にとって真偽の認定は重要です。したがって、このいずれもが事実でないことを先生の日録で明示していただくことを求めます。
 これまで先生が活躍してこられた活字の世界では、出版社や編集者に共同責任がありましたので、このような訂正を求める手紙は、先ずはそちらの方に出すのが筋なのでしょうが、この日録については全ての責任がそれを発信した個人にあると考えますので、こうして直接にお手紙を差し上げた次第です。

 この手紙での要求は、根拠を示した上での訂正要求を拒否するような方ではないだろうという、言論人・西尾幹二氏に対する、私にわずかに残された信頼の表現であると御理解下さい。もしも、御自身での訂正に躊躇を感じられるのであれば、この手紙をそのままブログに掲載していただくという方法でも構いません。すこし余裕を見て、五月五日までに訂正していただくことを求めます。
 ちなみに、日録によれば、「つくる会顛末記」を緊急出版されるとのことですが、こちらについては、くれぐれも虚偽記述が改められないままの出版とはならないようにお願い申しあげます。                              草々

  新 田  均

平成十八年四月二十八日

西 尾 幹 二 先生


〈5月7日〉
西尾先生へ
新田均

 5月6日のお返事、ありがとうございます。ところで、私が先生に訂正要求の手紙を差し上げた主旨をコメント欄に投稿いたしましたところ、多くの人から早く訂正要求の内容を教えてほしいとの電話がかかって参りました。
 その中には「西尾先生は、『時期は確約できません』『ご質問に必ずしも対応して書くことはできません』と言っておられるのだから、必ずしも西尾先生の筆の進み具合に合わせる必要はないのではないか。それよりも、貴方は自分の説明責任を果たすことを優先すべきではないか」という的確な指摘もありました。そこで、先生には申し訳ないのですが、先生の筆の進み具合には必ずしも縛られることなく、私の要求内容を順次投稿して参りたいと思いますのでご了承下さい。
 なお、先生は、私の掲げた項目を「問い掛け」「質問」と受け取っておられるようですが、私の意図はそうではなくて、「事実に反することが書かれていますので、ご訂正下さい」というものです。したがいまして、私の申し上げていることが間違っていて、「訂正の必要を認めない」とおっしゃるのであれば、それなりの証拠を示して、反論していただきたいと存じます。そうでないと、先生が私たちを「全共闘的な圧力」「言葉の暴力」「固い血の盟友関係」「『つくる会』の一角に取り憑いたガン細胞のようなもの」と非難した根拠がくずれてしまう、換言すれば、先生は根拠もなく私たちを誹謗中傷したことになる、というのが私の考えです。

(訂正要求1)
 今回の騒動は宮崎正治事務局長の更迭問題に端を発したわけですが、その更迭の提言について、先生は「三人[八木、藤岡、西尾]の誰かが先走ったということはありません」と書かれていますが、これは他の二人によって明確に否定されています。
 昨年12月13日の私への電話の中で、「八木さんは、自分の知らないところで事務局長がらみで話が進んでいたと言っていますが、どうなんですか」という私の問いかけに対して、藤岡信勝氏は「そうなんですよ、それがよくないんです」「西尾さんが声をかけちゃったんですよ」「要するに独走した」とはっきり言われました。
 したがって、この問題の出発点において、八木会長を無視して西尾先生が独走された事は明白です。それをごまかそうとするのは大変卑怯なことだと思います。まず、この点をご訂正下さい。
 (西尾先生の「独走」については改めて八木氏に確認済みです。先生が「つくる会」顛末記の中で「名誉会長の名で会長より上位にある立場を主宰することは二重権力構造になり、不健全であるとかねて考えていました」と書かれたのは、実は、このようなご自分の独走に対する素直な反省の弁だったのではありませんか?)


 なお、「哭泣の書」の中で、先生は「つくる会ファックス通信173号では、産経渡辺記者が『謀略的怪文書を流しているのが〈八木、宮崎、新田〉であると明言した。』とはっきり書いている。会の公文書がここまで打ち出しているのである。軽く見逃すことはできない。」と書いておられますが、本心でしょうか。
私は渡辺記者本人から「そんなことは言っていない」と聞いています。それに、このファックス通信はいくつかの重大な虚偽を含んだ怪しいもので、高池会長代行名で出されていますが、恐らく、原案は藤岡氏の手になるものでしょう(「陰で操る」のは藤岡氏の常套手段です)。その藤岡氏について先生は「他人を言葉で操って動かそうとし、現実が大きく変わるとたちまち昨日言ったことを替えて、結果的に彼を支持しようとしてきた人の梯子を外す。裏切りである。言うことがクルクル変わる。昨日顔を真赤にして怒りを表明していた相手に、今日はお世辞を言って接近する。今日たのみごとがあると下手に出て礼をつくすことばで接近するかと思うと、用が終ると、同じ人に数日後に会っても鼻もひっかけない。/彼と付き合えばみんな分かっているこういう彼の性向挙動は、多分共産党歴の長い生活と不可分で、党生活が人間性、普通の良識ある社会性を破壊してしまったものと思われる。」〈怪メール事件(一)〉
 ここまで扱き下ろした藤岡氏が主導している会が出しているファックス通信を、何故、先生が「軽く見逃すことはできない」と言われるのか、私には理解できません。まさか、八木や新田を罵倒できる材料ならなんでも構わない、などとは考えておられないと思いますが・・・・。
 蛇足ですが、これまで先生は「つくる会」騒動の最後に現れた出所不明情報を誇大に言い募ってこられました。「哭泣の書」を読むと、今度は騒動の遥か以前の八木氏との関係を情緒的に書き上げて人々の同情を引こうとされているようにみえます。このように事後と事前を強調することで、騒動の本来の出発点をごまかそうとされているのではないか。そんな懸念が私の心の中に生じたことを申し添えておきます。


〈5月8日〉
西尾先生へ
新田均

(訂正要求2)
 私たち四人が八木会長に対して抗議の声明[昨年12月12日]を送ることになった前提には、宮崎氏が「コンピューター問題」なるものによって、理事会の承認もなしに停職とされ、しかも、「事務局長の任を解き、事務局次長に降格する。事務局次長としての給与の10%を本年12月より3ヶ月にわたり減額する」という処分まで受けようとしていたという事態がありました。
 この問題について「事務局再建委員会」の「調査報告書」は「現行[会員管理]システムは今後正常な稼働が期待できない」「いずれにせよ現行システムは早晩廃棄し新しいシステムを構築することが迫られている」「結果として、1000万円もの高額投資が僅か3年間で事実上崩壊してしまった事態はきわめて重大」と断じ、「[契約]当時から今日まで一貫して執行に当たっている宮崎事務局長の責任を不問に付すことは不当である」としました。
 ところが、今年の三月二十八日の理事会において、種子島会長から、この現行システムに問題はなく、制作者であるコンピュートロニクス社とのメンテナンス契約が切れた後も、藤岡氏が連れてこられた専門家に、月二万円程度の保守管理料を支払えば十分使用可能であることが報告され、出席者を唖然とさせました。そして、このことは「つくる会FAX通信」第171号ですでに会員に周知されています[そして、本年三月末日をもって、データ消滅などの事故もなく、コンピュートロニクス社との契約期間は終了しました]。つまり、「1000万円もの高額投資が僅か3年間で事実上崩壊」したという「コンピューター問題」は幻だったわけです。
 したがって、私たちが昨年十二月十二日の「声明」において、「“損害”なる主張は何ら法的実体を伴わないものです」「これらの言挙げは、まるで南京大虐殺を左翼がでっちあげて日本軍国主義批判を展開することを想起させます」と指摘したことは極めて適切だったことになります。また、被害も確定できていないのに、宮崎氏を処分しようとしていることに対して、宮崎氏解任のためにしくまれた「一種の謀略」ではないかと考えたことも十分に合理性があったといえるでしょう。
 ところが、先生のブログでは、「コンピューター問題」についての執行部の調査報告書が事実無根であったこと、それによって宮崎氏の地位や名誉が著しく不当に貶められたこと、したがって、宮崎氏解任のための謀略ではないかと疑われてもしかたのない事件であったことが全く書かれておりません。これは読者を欺くものですので、すみやかにご訂正下さい。

 なお、私の投稿の意図は、西尾先生には予めご了解いただいていることですが、虚偽の宣伝に対して、その発信者に訂正を求めるというものですから、何ら非難される筋合いのものではないでしょう。そして、自らの主張については、近々ブログを立ち上げて、そこで展開するつもりでおります。

 ちなみに、出所不明の藤岡氏「平成13年共産党離党」情報に、もっとも振り回され、大問題だと、産経新聞の社長、福地氏などに吹聴し、さらにはブログにまで載せて世間にばらまいたのは西尾先生でした。先生は、裏も取らずに大騒ぎしてしまった自分の軽率さ、滑稽さをごまかすために、一生懸命に八木氏や私に罪を擦りつけようとなさっているのではありませんか?


〈5月9日〉
西尾先生へ
新田均
(名前を先に書いているのは、読みたくない人は読まなくてもいいよ、という思いやりの表現です。私には西尾先生を崇めている人々の信仰を破壊したり、その悲鳴を聞いて悦んだりといった悪趣味な意図はありません。)

(訂正要求3)
 「つくる会」顛末記(三)には、私どもの「声明」を指して、「問答無用のなじめない組織的思考、討論を許さない一方的な断定、対話の不可能という現象」と述べ、これは「突然の挑戦状」であったとしています。これは事実とは正反対の悪質な宣伝です。事実は、「コンピューター問題」に関連して、宮崎事務局長の処遇が理事会で継続審議になっていたにもかかわらず、それを無視して執行部が宮崎氏に辞任を迫ったことに抗議し、理事会での議論を要請したにすぎません[追記 しかも、それは八木会長に宛てた抗議で、会長を通じて他の理事にも私たちの考えを知らせていただくことをお願いしたものですから、もちろん、理事会外に問題を持ち出したわけではありません]。また、四人連名の文書となったのは、それ以前に、個別に出していた意見が無視されたためで、「突然の挑戦状」などというものではありませんでした。
 それに、私には最初から宮崎氏個人を守ろうなどというつもりはありませんでしたし、今でも、そんな考えはありません。ただ、誰に対してであろうと、「コンピューター問題」なるものをでっち上げて処分しようとしたり、それがうまく行かなくなると陰で辞任を迫るというような[陰湿で]理不尽なやり方が許せなかっただけです。
 その上、人事や運動の総括に関して理事会で公明正大に議論すべきだとの私の主張については、「声明」後の12月13日に電話をくださった藤岡氏も「僕も原則的に、それは全然、賛成ですよ」と賛意を表されていましたし、「いろいろお聞きしてよかったです。また宜しく」と言われていたくらいですから、この時に「問答無用」の状態など存在しませんでした。むしろ、藤岡氏が大変危惧しておられたのは、私たちに対してではなくて、帰国した西尾先生が「大暴れしないか」ということでした。そして、事実、そのように事態は動いて行きました。
 したがって、私たちに対して「問答無用」「討論を許さない一方的な断定」「対話の不可能」などのレッテルを貼ることは、事実を転倒させるものですので、ご訂正下さい。


〈5月10日〉
西尾先生へ
新田均

(訂正要求4)
 「つくる会」顛末記では、私どもの「声明」を指して「異質の集団の介入」と言ったり、「一つのネットワークが一つの組織に介入して、四人組をその先兵として送り込んできているのではないか」と言ったりしていますが、事実無根です。
 私たちは、互いに推薦しあって理事になったわけではありません。誰が推薦したのかは知りませんが、それぞれが採択の実績や裁判での活躍、あるいは中韓の教科書批判の実績を買われて理事に推薦され、集まってみれば、昔なじみの顔があったというだけのことです。
 また、私たちが日本会議や日本青年協議会の意向を受けて動いたなどという事実もありません。事実はむしろ逆で、日本会議による仲介に熱心だったのは藤岡氏の方でした。

 執行部に退職を求められた宮崎氏は何人かの人々に相談したそうですが、その中には、「宮崎さんが辞めさせられるのなら、これまでのようには協力できないね」と発言した有力団体の関係者もいたとのことです。そのことを12月9日に宮崎氏は藤岡氏に率直に伝えたようですが、それは当然のことでしょう。「つくる会」には、特定の個人の信条や活動実績に共鳴して協力して下さっている有力者も多いのですから、その人が辞めさせられたりしたら、困ったことになるのは目に見えています。
 事実、八木氏や宮崎氏が解任された後、彼らの個人的な関係で繋がっていた有力寄付者からは多額の寄付金の停止や返還を求められることになってしまいました。宮崎氏の立場に立てば、自分を信頼してついてきてくれた人々に対して、濡れ衣まで着せて自分を追い出そうとした不誠実な組織への支援を、それでもお願いし続けることなどできないのは当然でしょう。
 それに、組織運動に少しでも関わったことのある人なら分かることですが、他団体との関係や事務の要である事務局長が、後任も決っていないの辞めたりしたら組織は大混乱に陥ってしまいます。事実、宮崎氏が停職にされていた間や辞任して後の事務の停滞や混乱には看過できないものがありました。

 宮崎氏の前記の発言が意味していたのは、その程度の常識的なことに過ぎなかったのですが、この言葉から藤岡氏は「日本会議が宮崎支持に回った。自分は敵視されている」とは判断し、勝手に怯えてしまったようで、急に態度を変え、「日本会議には『つくる会』立ち上げの時には大変お世話になりました」などと話しはじめたそうです。
 ちなみに、「どうしてそんなに私を辞めさせたいのですか」との問いに対する答えは、「要するに、相性かな?」というものだったと言います。藤岡氏による執拗な宮崎批判の根底がこんなものだったとは、開いた口が塞がらないのは私だけではないでしょう。

 さて、藤岡氏は「摺り寄ろう」とでも思ったのでしょうか、日本会議の椛島氏に会いに行くことを八木会長に提案したそうです。そのことを八木氏から聞かされた私は「内部のゴタゴタの収拾を他団体にお願いするようなみっともないまねはやめた方がいいのではないか。日本会議にしたって迷惑だろう」と忠告しました。しかし、八木氏は「藤岡さんが熱心なんです。椛島さんに仲に立ってもらって、それで、彼が納得して円満に収まるのなら、それでもいいと思います」とのことでしたので、私はもうそれ以上言いませんでした。
 後で八木氏から聞いたところでは、12月14日に椛島氏と会った時の藤岡氏は「借りてきた猫」のようで、日本会議に対する感謝の言葉を並べ立て、「分裂するようなことがあれば、協力が難しくなるので避けてほしい」との椛島氏の言葉を、まことに素直に聞いていたとのことです。そして、この会見の後で、八木氏と藤岡氏との間で、宮崎氏の停職処分を解き、事務局長に復帰させることが確認されて、さらに、帰国した西尾先生が大騒ぎしないように抑えに行く役まで、藤岡氏が買って出たと聞きました。その時は、「これでようやく解決だな。本格的な運動の総括を行って未来の展望も開けるだろう」と私は悦んだものです。

 ところが、藤岡氏は西尾先生を抑えるどころか、大叱責を受けたためでしょうか、全く態度を変えて、宮崎氏や八木氏を糾弾し始めたのです。宮崎氏が「自分をやめさせれば、日本会議、日本政策研究センター、キリストの幕屋、全国の神社などの諸団体が、つくる会の支援から一斉に手を引く」などと具体的組織の名前まであげて、藤岡氏を脅迫したなどというのは、後から藤岡氏が考え出した創作にすぎません。自分が勝手に日本会議の影に怯えて、八木氏のリーダーシップにしたがってしまった惨めな姿をごまかすために、またもや宮崎氏に濡れ衣を着せて脅迫者に仕立て上げようとしたのでしょう。
 藤岡氏とお付き合いの長い西尾先生ならば、彼が、時と所と相手と状況によって、言葉をすり替えたり、誰かを悪役に仕立て上げたりして、自己保身を計ることくらいはよく御存知のことだろうと思います。それなのに、どうして、彼の言葉を鵜呑みにして、「異質の集団の介入」などという虚偽を信じておしまいになったのか、私には大きな謎の一つです。
 [追記 たしか西尾先生は「自己弁明のためにあっさりと他人を売る。しかもその他人は自分を守り、支えようとしている人である。信義は弁明より値が安い。自分が誰かに媚びを売るために、信義なんか糞くらえ、なのだ。藤岡氏はそういう男である」(怪メール事件(四))と書いておられましたね。]

 要するに、私たちが「つくる会」の理事になったのは他団体の意思とも、互いの意思とも無関係であり、今回の問題について他団体の圧力を利用しようとした事実もありません。また、これは私のことではありませんが、宮崎氏が「俺を辞めさせたら全国の神社、全国の日本会議会員がつくる会から手を引く」と「会を脅迫する言葉を吐いた」事実もないとのことです。この点をご訂正下さい。

[追記 西尾先生は3月5日に八木氏に会われて「肝胆相照らした」時に、「[宮崎氏の事務局長復帰を宣言した]12月15日の「会長声明」を読んで、藤岡は『八木に対して殺意を覚えた』と私に言ったんだよ。これは仲間内では有名な話だ」と八木氏に告げたそうですが、これは本当の話でしょうか?]


〈5月11日〉
西尾先生へ
新田均

(訂正要求5)
 先生は、一月十六日の理事会で「新田理事は『西尾名誉会長はいかなる資格があってこの場にいるのか。理事ではないではないか』と紋切り型の追及口調で言いました」と書いておられますが、このような事実は存在しません。執行部が出してきた文書について私が質していた時に、「あなたの発言は失礼だ」と言った西尾先生に対して、「文書に名前を連ねていない先生に失礼だと言われる理由が分かりません」と言っただけです。ここには明確な事実の歪曲があります。その歪曲が単なる聞き違いではなく、私を貶めようとする意図に裏打ちされているのだとしたら、事態はもっと悪質です。訂正を求めます。


 先生の日録を読ませていただいて、結局、先生はこれまでの人生の中で、面子や利害やイデオロギーを越えて、自らを疑い、体験によって自分の思索を深め、社会正義を実現したいと考える自立した個人に出会うことが出来なかったのではないか、と残念に思いました。先生が、私たちの行動に「薄気味悪さ」を感じられたのだとしたら、それは自立した個人が正義感に基づいて覚悟ある行動をとり、それが自然に一致するなどということを信じる用意が先生の側になかったためだと思います。宗教イデオロギーにとりつかれた組織のロボットたちとでも解釈して納得しなければ、自らの世界観が崩壊してしまうような不安が先生を襲ったのかもしれません。

[追記 西尾先生作・西尾劇場(激情?)「余りにも悲しい物語」(別名「怪メール事件」)の感想を最後に記させていただきます。
 西尾先生は、「つくる会」の理事諸氏を指して「余りに彼らは孤独に耐える力がない」とおっしゃっておられますが、私が見るところ、最も孤独に弱いのは西尾先生御自身ではないかと思います。自らの影響力の衰えに対する不安と焦燥、「忘れられるくらいなら、嫌われたほうがましだ」というのが、先生を突き動かした衝動だったのではないでしょうか。そして、その思惑は今のところ「大成功」のように見えます。しかし、その破壊力によって、結局は、御自身の栄光を未来に語り継いでくれるはずだった人々まで、みんな吹き飛ばしてしまったのではないか、そんな憂いを抱いているのは私だけなのでしょうか。]

    ー「西尾先生への訂正要求」了ー

〈補足〉
 西尾先生のいう「怪メール事件」についてのお尋ねがありましたので、簡単にお答えしておきます。私は怪文書などというものを作成も、発信もしておりません。藤岡氏から文書でお尋ねがあった時に、次のようにお答えしました、
「無名または変名で根拠のない怪文書を送ったり、本人のいないところで悪評を流したり、手先を使って扇動したり、という卑怯な手法は貴方たちの手法で、私の手法ではありません。私の流儀は、個人の責任で、自分の名を名乗って、根拠を示し、本人の面前で、あるいは名指しで批判するというものです。」

 私が「コンピューター問題」を重視するのは、「怪メール事件」をごまかすためではありません。また、この問題は「言った、言わない」などという些細な問題でもありません。この問題が重大な理由は以下の四点です。
 ①.この問題が私たちが西尾・藤岡両氏と対立することになった直接の原因であったこ  と。
 ②.この問題は、1000万円の被害という巨大な虚偽が宣伝され、そのために宮崎氏  に対して「出勤停止」という具体的処分が下された上に、降格・減給処分までが提示  され、さらには西尾・藤岡両氏らの口を通じて広く会員に喧伝されました。ここには  本来の被害が不明の「怪メール事件」(世間に喧伝したのは西尾・藤岡両氏)などと  は比較にならない名誉毀損であること。
 ③.具体的被害についての究明は行わず、そのイメージだけを誇大に宣伝して、特定の  人を攻撃し、貶めるという手法は「コンピューター問題」と「怪メール事件」に共通  するものであり、「怪メール事件」なるものの本質を理解するためには「コンピュー  ター問題」の真相を明らかにすることが不可欠であると考えられること。
 ④.むしろ、「怪メール事件」の方こそ、「コンピューター問題」とそれに続く虚偽や  暴言や圧力や陰謀を覆い隠す煙幕ではないかと考えられること。

 なお、私は今回の「つくる会」騒動について、純粋な会員の皆さんに対して大変申し訳なく感じておりますが、それが無意味な「内紛」だったとは考えておりません。むしろ、これからの保守運動の未来を考える上で、貴重な教訓を多く含んだ出来事だったのではないかと感じています。それについは、私たちが立ち上げたブログ「つくる会の体質を正す会」(http://tadasukai.blog58.fc2.com/)で語ることにいたします。
 ただし、西尾先生や藤岡先生を信仰されている皆さんには「目の毒」だと思いますので、御覧にならないことをお勧めします。


もう一つの「つくる会」顛末記(1)ー「つくる会」内部対立の意味ー
新田均

はじめに

 私は四月三十日で「新しい歴史教科書をつくる会」の理事を辞任し、あわせて会員も辞めました。ことここに至るまでの私たちの言動については、会の秩序を無視し、一般常識に反する形で、様々な悪宣伝が行われてきました。しかし、これまでの私は、理事として、また、会員として、会を守り、会長を支え、会長の指示にしたがい、組織としての最低限のルールは守るという制約の下にありましたので、理不尽な個人攻撃に対しても、縦横無尽に反撃するというわけには参りませんでした。しかし、今やそのような制約は過去のものとなりました。これからは、自らの良心の指し示すところにしたがって、私の名誉と誇りを守るために、また、会員や支援者の皆さんへの説明責任を果たすために、存分に破邪顕正の筆をふるって参りたいと思います。
 予め申し上げれば、今回の私たちの辞任は、自分たちの言動を正当化できなくなったからでも、立場に窮したからではもありません。また、良心的な会員を見捨てて、無責任に会を抜け出したのでもありません。むしろ、この会の中に居続けたのでは、事実を広く会員や支援者に伝えることが出来ず、会の陋習(老醜でも可)に引きずられて、会員や支援者の期待に反し、自分自身の良心にも背き、結局、「つくる会」の体質を改善することができず、教科書改善運動を保守運動全体の中に適切に位置づけることもできない、と考えたからです。
 私たちは、本当に信頼できる仲間とともに、闘いの最中に背中から弾を打つような人々がいない環境で、明るく、楽しく、伸びやかに、お国のために働いて行こうと決めました。もう濁った心の持ち主たちとの「調整、協調」に人生の貴重な時間を費やしたくはありません。そして、こちらの道こそ、私心なく日本のことを考えておられる良質な保守派の期待に応えるものだと確信しています。


一、「つくる」会内部対立の意味ー単なる「内紛」ではなかった

 これから私は、「つくる」会の「内紛」がどのようにして起こり、拡大していったのかを説明していきたいと思っているわけですが、その経過説明の前に、対立の構図の大枠を説明しておいた方が読者には分かり安いのではないかと思います。余り単純化してしまうと誤解を受ける恐れもあるのですが、思いきって図式化すれば、今回の一連の騒動は、人的には、西尾・藤岡vs八木・新田等の対立に、中間派(様子見派、私益重視派)が絡んでのことだったと言えると思います。
 そして、余り事情を知らない会員には、八木会長や宮崎事務局長の解任、種子島会長や八木副会長の辞任、その間に現れた出所不明情報などが、会の理念を無視した私的で低俗な争いの繰り返しに見えたことは確かでしょう。しかし、そこには、これからの保守運動を考える上で貴重な教訓を多く含んだ深刻な対立があり、確かに徒労感はあるものの、決して無意味なものではなかったと申し上げたいと思います。
 それを説明する前に予め申し上げておきたいのですが、低俗な攻撃に対して反撃したからと言って、反撃した方まで低俗だということではない、ということです。日本を攻撃する際に、中国が持ち出す「南京大虐殺」、韓国が持ち出す「従軍慰安婦」は低俗な議論ですが、日本の名誉を守るために、それに反論することは決して低俗ではありません。また、その反撃によって、日中関係や日韓関係が悪化したとしても、そこに大義がないわけではないでしょう。

 さて、今回の西尾・藤岡vs八木・新田等の対立は、運動理念、組織理念、方法論、人間観、世界観など様々なレベルに渡りますが、以下、思いつくままに列挙してみましょう。

1.「つくる」会至上主義路線vs他団体との協調路線
 西尾・藤岡両氏は、西尾氏の「神社右翼、宗教右翼」という言葉に象徴されるように、これまで「つくる」会の運動を陰で、あるいは下で支えてくれた他団体に対する感謝の念がありません。ただ、利用しようと思っているだけです。したがって、人事の問題などで「他団体の考えも考慮しなければ」などと言うと、途端に「それは介入だ、圧力だ」と言い出すわけです。その対象には、教科書を出してくれている扶桑社なども含まれているのですが、そこの編集者が気に入らないと「あいつを外せ」などと言って、自分たちが他団体の人事に介入するのは平気なのです。そんなわけですから、新たな団体から協力の申し出を受けるのはいつも八木氏で、しかもその時には「西尾・藤岡とは一緒にやりたくありません」と言われて困っていました。

2.忘恩派vs先人尊重派
 御存じのように教科書改善運動は、「つくる会」が嚆矢だったわけではありません。それ以前に長い先人の努力の歴史があります。教科書に限っても、「日本を守る国民会議」(現「日本会議」)作成の高校用教科書「新編日本史」(「最新日本史」)がありました。この「新編日本史」での経験が様々な形で伝えられたことによって「つくる会」の運動は発展できたのです。ところが、西尾・藤岡氏は、すべて自分たちの力で達成したことだと思い上がってしまい、先輩たちを厚く遇することはしませんでした。西尾氏にいたっては「新編日本史」の悪口を方々で吹聴していました。それでも、「新編日本史」を作成した人々、あるいは、その普及のために努力し、今は「つくる会」の会員になっている人々は、日本のために「つくる会」運動が成功して欲しいという思いで黙って我慢していました。実は私もその一人で、「つくる会」の立ち上げの時に、故坂本多加雄氏に日本会議の関係者を紹介したことがあります。しかし、その思いやりが仇になってしまい、益々両氏を増長させ、「万能感」すらも与えてしまったように思います。
 ちなみに、藤岡氏は今回の問題で日本会議に仲介を頼みながら、後から「日本会議は『つくる会』を支店扱いしている」などと恩知らずな言葉を吐いています。

3.教科書至上主義派vs国益重視派
 「つくる会」の「内紛」が展開されていた昨年の秋から今年の四月までの国家的な課題は決して「教科書問題」ではありませんでした。それは「皇位継承問題」であり、「教育基本法改正問題」でした。それに対応していたのは、八木氏であり、私たちでした。ところが、「つくる会」至上主義派は、その時に会の内紛を演出して、私たちの足を引っ張り、会務怠慢と責めたてたのです。そこに国益の視点はありません。日本の保守運動全体の中に、教科書改善運動をどのように位置づけるのか。この視点を欠いた西尾・藤岡両氏が率いる会では、これまではともかく、これからは他の保守運動の足を引っ張ることになると思います(すでに「日本会議」批判にそれは現れていますが) 。
 ついでに言えば、この時期の私たちには、会内部のことについて、陰謀をめぐらしているような「暇」はありませんでした。理事や支部長や一部の会員に電話をかけまくったり、秘密の会合を開いたりといった「暇」があったのは、西尾・藤岡氏の方です。

4.怨念派vs感謝派
 「新しい歴史教科書」は、確かに、これまでにない愛国的・保守的な教科書で、新しい地平を切り開いた功績はいくら強調しても強調しすぎることはないでしょう。しかし、そこには欠点もありました。それは左翼史観に対する反感や怨念が強すぎるということです。そのエネルギーが運動を押し進める原動力として大変役立ったことも確かですが、一定以上の採択を確保しようとする際には、教科書に漂う負の感情が敬遠されることになってしまいました。そこで、改訂にあたって扶桑社側は、もっと大らかに日本への誇りや感謝が伝わる記述に替えようと努力したといいます。ところが、それに西尾氏が強く反発し、後になって藤岡氏が西尾氏の機嫌をとるために同調したのです。ここに今回の騒動の発端があるのですが、そこで両氏の非難の集中砲火を浴びたのが扶桑社の編集者・真部栄一氏であり、宮崎正治事務局長は西尾・藤岡両氏の行き過ぎにまったをかけようとして、今度は宮崎氏が更迭運動を起こされる羽目になってしまったのです。

5.同志切り捨て派vs思いやり派
 宮崎氏が両氏の標的にされたのには、もう一つ理由があります。それは、支部の組織化に宮崎氏の貢献が大きかったということです。理由は異なっていたようですが、西尾氏も、藤岡氏も、いまのままの支部ではだめだ、改革しなければならない、そのためには宮崎は邪魔だ、と考えたようです。
 そこで、事務局長の実績を検証することもなく、宮崎事務局長は無能だと言い募り、あまつさえ、1000万円もした会員管理システムが「事実上崩壊してしまった」などという事実無根の「コンピューター問題」まで捏造し、「[契約]当時から今日まで一貫して執行に当たっている宮崎事務局長の責任を不問に付すことは不当である」として、彼を追い落とそうとしました。これに対して、私たちは、「いくらなんでも、それは昨日までの同志にする仕打ちではないでしょう。少なくとも、事実をしっかり検証すべきでしょう」と主張したわけです。この私たちの主張の正しさは、次の二点によって既に証明されています。
 ①.この会員管理システムは「崩壊」することなく、本年三月末日をもって、これを設計したコンピュートロニクス社との契約期間が終了したこと。
 ②.コンピュートロニクス社並びに藤岡氏が連れてこられた専門家・小林太巖氏によって、このシステムの安定性が保証されたことにより、早急に新システムの構築を行うのではなくて、小林氏との間でのメンテナンス契約(月二万円)で現在のシステムが運用されることになったこと。

6.事務蔑視派vs事務重視派
 「つくる会」の歴史を振り返ってみると、事務局長という存在は、その時々の西尾氏や藤岡氏の思惑次第で、さまざまな難癖をつけられて更迭されるのが常で、その際には、正確な事実検証はなかったようです。「たかだか使用人の問題で会がこじれていいのか」という藤岡派評議員の発言や、事務局員を問いつめた藤岡氏自身の文書に象徴されるように、彼らの心底には事務に対する蔑視があります。自分たちの代わりはいないが、事務局長の代わりも、事務局員の代わりもいくらでもいるというわけです。西尾・藤岡両氏は、はじめ「宮崎氏は事務局員から嫌われている」と言っていたのですが、実は反対で事務局員の心は宮崎氏の側にあり、自分たちの方が嫌われていることが露になると、今度は「宮崎は事務局をしっかり把握していない」と非難しはじめました。
 私たちは、会の中で一番弱い立場の事務局員の側にたって、彼らの思いを汲み取ろうとして、西尾・藤岡氏とはげしく対立することになっていったのです。

7.地方無視派vs地方尊重派
 西尾・藤岡両氏、それに結局は彼らを応援した理事、その中に地方支部出身者はいませんし、地方のこと、さらには、多額寄付者のことを分かっている人はいません。ですから、勝手に支部を改造できると思ったり、多額の寄付を集めている八木氏や宮崎氏を切ろうなどと言えるのです。

8.私益派vs公益派
 西尾・藤岡両氏には、会のために自分を犠牲にするという精神はありません。常に、自分あっての「つくる会」なのです。ですから、自分がいない「つくる会」などなくてもいい、自分がいることによってどんなに「つくる会」が困ろうとも去る気はない、ということになるわけです。だから、自分たちの意見に従わない理事は「追い出そう」ということにもなるわけで、「つくる会」がこれまで何回も「内紛」を繰り返してきた原因の一つは、ここにあります。八木氏の「つくる会」辞任の弁にある「相手代わって主代わらず」という言葉の意味はここにあります。
 今回の「内紛」の間にも、出所不明情報が飛び交いました。「つくる会」は発足当初から「怪文書」や「怪情報」が飛び交う内紛を繰り返してきましたが、その歴史を通じて、理事会に居続けたのは西尾幹二氏と藤岡信勝氏の二人だけです。「このお二人は全く善良で、志が高く、清らかで、人情味にあふれる、立派な指導者であるにも関わらず、次々に不埒な理事が入ってきては、まるで遺伝でもしているかのように同じ手口で悪事をなして彼らを苦しめ続けた」などという話を皆さんは本当に信じられるのでしょうか。

9.似非宥和派vs真正宥和派
 西尾・藤岡両氏にとって、「つくる会」は自分たちの名声のための手段ですから、自分を守るためであれば、あるいは、気に入らない理事をたたき出すためであれば、会が混乱しても構わないわけです。ところが、私たちはそうは考えていませんでした。争いはできるだけ小さい範囲で押さえたい、外に出さないようにしたいと常に努力してきました。そのために、情報発信が常に後手にまわり、私たちに対するダーティー・イメージや私闘イメージが先に固められてしまったのです。対立は理事会内で収めたい、話し合いで解決したい、会員に心配をかけたくない、まして、会の外に持ち出すなどもっての他だ。こういう良識が、私たちの手足をしばり、積極的には情報発信できなかったのです。
 具体的な経過は後で記しますが、これだけ申し上げれば、心ある方には、会の名誉を守ろうとしていたのはどちらか、宥和を考えていたのはどちらか、自ずと分かっていただけるものと思います。

10.偏狭なナショナリズム派vs開かれたナショナリズム派
 中国訪問を問題視されて、八木氏が会長を降ろされたことに端的に現れているように、西尾・藤岡氏には、対決や圧力の姿勢はあっても、対話の姿勢はありません。したがって、八木氏が対話によって勝ち得た成果も全く評価しようとしないのです。このままでは、「つくる会」は、徒に対外緊張を生み出す存在として国民から指弾されることになるのではないでしょうか。

11.人治主義派vs法治主義派
 どこの組織でも正式なリーダーの意向に従うというのは当たり前の原則でしょう。ところが、「つくる会」では、それが通用しません。会則では会長が「この会を代表し、会務を総括する」「副会長は、会長を補佐し」となっているのですが、実際には、創業者の西尾・藤岡両氏が理事の間で隠然たる力をもち、他の副会長たちも西尾・藤岡両氏には逆らえないという心構えでいたために、会長がリーダーシップを発揮することは不可能でした。
 しかし、私たちは、会の未来は新しいビジョンと方法を持つ八木氏に託すべきだと考えていたので、理事会が会則通りに運営されるように努力したのです。
 このような私たちの考えを最後に分かって下さったのが、種子島前会長でした。種子島さんは、会の混乱の原因は、創業者二人の圧力によって会長の指導力が抑えられていたことにあったと気が付いて、西尾氏との長年の友情を犠牲にすることも辞さずに、私たちを支持して下さったのです。

12.無神論派vsサムシング・グレイト派
 西尾氏の言う「近代保守」の別名は無神論派でしょう。それが言い過ぎならば、神なんてものの実在は信じないけれども、神についての物語を人々が信じている方が社会にとって有益だ、だから、自分も信じているかのように振る舞うという「かのように派」でしょう。私は、真の保守とは、どこかで人間を超えるものの実在を感じて生きているものだと思っています。それをフィクションとしか思えない人は本物の保守ではないのではないでしょうか。はっきり言えば、天皇制度の意味など本質的には理解できない人々だと思います。
 そのような人々は、平気で物語りを作り替えます。嘘をつきます。多くの人々が信じるならば、それが真実だ、と思っているのです。ある物語が疑わしくなれば、別の物語に置き換えればいいさ、ということで次々に偽りに満ちた幻想を創作し続けるのです。
 ちなみに、西尾氏は、「つくる会」や「日本会議」を支えている宗教団体を「神社右翼、宗教右翼」と非難し、「日本保守界を特定の宗教右翼ではなく真の保守主義者たちの手に取り戻さなければならない」(早瀬善彦氏)との主張を後押ししています。しかし、誰がどう考えても、日本会議に集う宗教者は事務局も含めて保守の良質な部分であり、日本の将来のために対決すべき宗教団体は創価学会でしょう。したがって、西尾氏の態度は無知に基づく誤解などというレベルで済まされるものではなく、保守派にとっては明らかに利敵行為です。このような人の言動に「つくる会」が左右されることを私たちは許せませんでした。

 本連載は、当然ながら西尾氏のブログを意識しており、内容は「きつい」ものになるでしょうが、彼のように「酷い」ものにはならないと自負しております。読み比べていただければ幸いです。(つづく)

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